「あんたら、本当に行くのかい? 気をつけてな」
小太りの男が人の良さそうな顔を物憂げにして、そう忠告した。その言葉の先にいたのは、3人の尼僧だった。ラテル=アノの法皇庁から派遣されてきた補充要因の尼僧とのことだったが、禁欲的で地味な尼僧服の上からでも、それぞれの特徴が滲み出ているのが不思議だった。
「陛下が魔族に暗殺されて、今城下は混乱してるらしい。盗賊どもも、その騒ぎを聞きつけてそこら中で暴れ始めるって噂だあ。大人しく家の中に籠もってるのが一番だと思うがね」
その中の一人、柔和な笑みを浮かべる最年長と見える尼僧--といっても、男からしたらそれは娘と言って良い年齢に思えた--が答える。
「ええ、聖務ですので。ご心配ありがとう御座います。貴方に神のご加護があらんことを」
そう言って男のために祈りを捧げる。男はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、しばしの逡巡の後、場所を引き返していった。そんな馬車にいつまでも視線を送る女に、声をかける人間がいた。
「で、これからどうするのさ」
殊勝な尼僧を演じるのをやめ、片手を腰に当て、片足に重心をかけだらしなく問う女は、燃えるような赤髪の女だった。通常の尼僧なら許されないほどの長髪を指で弄びながら、特徴的な吊り目の中で瞳を燃やしている。
「そうね。ひとまず、赴任先の教会に行きましょうか。城下町にあるはずだけど、騒ぎは起こさないようにね、エイダ?」
エイダと呼ばれた先ほどの女は、鼻を鳴らしてその答えとした。尼僧服を窮屈そうにしながら、歩き出す。
「じゃ、さっさと行きましょ。ぱっぱと今回も片付けちゃいますか」
そこまで言うと、すたすたと先を急ぐ。幸い、彼女らの視線の先には都市を囲む防壁と、都市と外界を繋ぐ門が見えていた。エイダは後続の二人を振り返りもせず進んでいく。
その様子を苦笑しながら見ていた女に、傍らに控えていた3人の中でもっとも小柄な尼僧が問いかけた。
「ベラ、教会に着いた後はどうする?」
「そうねえ。まずは実地調査、ってところかしら?」
頭一つ下にある尼僧を見つめながら、ベラは話す。対する小柄な尼僧は、エイダに負けず劣らず気の強そうな、そして好奇心の強い碧眼を不満げに揺らした。
その意味を、ベラだけはきちんと把握することが出来た。困ったように苦笑すると、彼女が話し出す前にベラが釘を刺す。
「ダメよ、エステル。荒事は」
そう言われた小柄な娘、エステルは一瞬はっとした顔になり、その直後に赤面した。母、いや姉に叱られたような顔をする尼僧を、ベラはやはり穏やかな顔で見つめていた。
エステルはしばらくうつむいてその赤面を隠していたが、ベラがエイダに遅れてはならないと、エステルを促したために覚束無い足取りながらも歩き始めた。
先に門前に到着し、二人を待っていたエイダに合流し、一行が法皇庁から発行された教会の補充要因であることを示す書状を差し出すと、門番は疑り深く、そして好色な顔つきで一同の体を眺めたが、いくら書状を検めても不審な部分が見つからないため、彼女らを通した。
門をくぐれば、そこは一挙に大国と名高いボルジア家の城下町、ミドルードである。ボルジア領の中心地であり、事実上の「首都」だった。彼女らにはすぐさま都市の中心部に巨大な城が見える。それこそがこの城塞都市の核となるミドルード城であった。
ミドルードの城下は、法皇のお膝元たるラテル=アノに比べればその荘厳さや活気は劣るが、立ち並ぶ商店の数や、きちんと整備された道は流石ボルジア家たるやというものだった。領主が内政に力を入れているかどうかは、その眼下である城下町と、道が整備されているかを調べればすぐにわかるのだ。
それらの様子をさりげなくベラは調べながら、目的の教会へと向かう。一同はしばし無言で教会への道のりを歩いていたが、そのうちエイダが我慢できずに口を開いた。
「なあ、人間はどこにいったんだ?」
彼女の不思議ともとれる呟きは、ミドルード城下の様子を見れば人目で理解できるだろう。
人が歩いていないのだ。
時刻は昼時。これほど大きな都市であれば、昼夜問わず人々は眠ることなく活動している。日が昇っているうちは商人が身を粉にして働き、夕暮れを過ぎれば酒屋が一日の疲れと鬱憤を晴らす男どもの叫びと笑い声に包まれる。そして夜遅くになると、ようやく酒盛りを終えて帰宅していく。都市はしばし静かになるが、日の出前には教会の聖職者達が目覚め、朝の祈りを済ませて一日の仕事を開始する。
それが都市であり、これはどこでも代わりがないはずである。それが今三人の眼前には、立派ではあるが扉を閉め切り、中からもなんの活気が溢れてこない商店がずらりと並んでいた。そして本来なら目当ての商品を探し、この通りをうろつくであろう町人達が一人もいないのだ。まるでゴースト・タウンのような有様であった。
エイダの問いかけにベラもエステルも答えられぬまま呆然としていると、通りの向こうが俄に騒がしくなった。整備された道の向こうから、多数の人間がこちらに向かってくるのだ。三人はやっと人間に出会えたことにほっとしていた様子だったが、すぐにその表情を不審げに曇らせた。
視線の先から近づいてくるのは、町人でも迎えの聖職者達でもなく、甲冑を着込み剣を腰に帯びる、武装した集団だったのだ。甲冑の胸に刻まれた紋章からするに、ボルジア家の兵士であろう。彼らはまっすぐにエステルらの前まで来ると、高圧的に話しかけてくる。
「うぬら、余所者の尼僧だな。一体この街に何の用だ」
都市の中ということもあってか、問いかけた男達は兜までは装備していない。その刈り込まれた黒髪の男は、無感情な瞳を三人に向けている。
「私達は、ラテル=アノよりミドルード教会への補充要員として派遣されてきた尼僧ですわ。ここにそれを証明する書状が」
男達との交渉役は、ベラが務めた。もっとも、エイダは我関せずとそっぽを向いていたし、エステルは明らかにこのようなことに向いていないから彼女が自らその役を買って出たのだが。
男はベラの手から乱暴に書状を引っ掴むと、書状と三人の顔を交互に検分する。不快な行為にエイダとエステルは顔をしかめたが、ベラだけはにっこりと穏やかな表情を浮かべていた。
「成る程。確かにこの書状は本物のようだ」
「でしたら、もう行ってもよろしいでしょうか? 赴任先の神父様に挨拶を済ませなければなりませんので」
男の手からベラが書状を奪い返そうとしたが、ひょいと手を挙げた男のせいでベラの手は空を切った。代わりに、ベラの細い腕を男ががっしりと掴んだ。
「なに、そう急くな。貴様ら尼僧に、姫君が会いたいと申しておる。城まで来てもらおう」
そう語る男の顔はにやりと嫌らしくゆがんでいた。エイダが男の態度にかちんと来たようで、すぐに突っかかろうと身を乗り出したが、それをベラが目線で制した。
「……わかりました。殿下にお会いしますわ。ですから手を離してください」
そう言われると、その答えに満足したのか、男はゆっくりと手を離した。
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武装した男に囲まれる形で、三人は城への道筋を進む。その道さえもやはり人っ子一人おらず、街はいまや兵士と尼僧の貸し切り状態であった。
「……一体街の人間はどこにいったのですか?」
控えめな態度が功を奏したのだろうか。この中でもっとも階級が高いと見える先ほどの男へ投げかけたベラの質問に、男が答えた。
「今は無期限の外出禁止令の布告中だ。陛下が魔族に暗殺されたとなれば、城下の治安を守るために仕方のない措置だ」
「まあ、暗殺? 魔族が?」
ベラは、自然な反応で驚いてみせる。その反応は男に届いたとは言い難かった。それ以上は、口をつぐんで話そうとしないのだ。
ベラが男との円滑なコミュニケーションを図ろうとしている様を後ろで呑気に眺めながら、残ったエイダとエステルは小声で話し合う。
「町に入っていきなりこれとは、ついてねーなー。赴任初日は、まず酒屋に直行、じゃねーの?」
「それは流石に聖務を舐めすぎですよ不良僧侶」
口をほとんど開かず、そして視線を動かさず、という高度な内緒話をする割に、話の内容は至極くだらないものだった。周囲を武装した屈強な男に囲まれているにしては、緊張感の無い娘達であった。
「でも、手間は省けるかもな」
「……ええ、城に行けば、姫と話せますし、ラスプーチンなる人物に会える可能性もある」
「あー、魔術師だっけ? よっくそんな奴が姫君に近づけたね。ラテル=アノなら即打ち首獄門よ?」
二人は、最近ミドルードを騒がせていた謎の人物について言及する。
ラスプーチン。ボルジア領より西、海峡を越えた先のリモナフ領よりやってきたと言われる男で、一体どのような術を使ったのか、卑しい身分でありながらボルジアの姫君に取り入り、ミドルード城内で影響力を持ち始めたという人物である。その噂はボルジア領を超えて遙か法皇領や帝都まで広がっていた。
「さあ……そこまでは。ただ、今回の事件にも絡んでいるかもしれない人物ですから、それを見極められるかもしれません」
エステルとエイダの会話は、周囲の兵士には到底聞こえぬほどの大きさではあったが、ミドルード城が近づくにつれ狭くなる道に対応して兵士が彼女らを囲む輪を狭めると、ぱたりと二人の会話は止まった。
それきり城門をくぐるまで、ベラと無愛想な男の世間話が続くばかりであった。