通された部屋は、客間でも謁見の間でも無かった。巨大な長机が部屋の中央を占拠するその部屋は、会議室、と言ったほうが正しい。エステルたちをそこまで連れてきた兵士たちは室内に入らず、会議室内を警備している兵士に目配せして去って行った。
エステルたちは兵士に促されるままに室内に入る。三人それぞれの表情を浮かべながらも、その視線は長机の先に集中していた。
机の先、この部屋の上座となる椅子には、一人の男が座っている。
尊大に。不気味に。
室内だというのにフードをすっぽり被ったその男の名前を、エステルは聞かずとも理解できた。
(ラスプーチン……!)
長机には、端に丹念に刺繍がなされたテーブルクロスがかかっており、ラスプーチンの下半身を見ることができぬが、その体全体を不気味な灰色の外套で覆っていることはわかった。
「法皇庁所属、シスター・ベラと申します。こちらは同じくシスター・エイダ、シスター・エステルで御座います。ミドルード城下に到着しましたところ、こちらの兵に促され参内した次第に御座います」
一同を代表して、ベラが口上を申し立てる。腰を折り礼を尽くすのが様になっている。
対する灰色の男は、フードに阻まれた表情は窺いしれぬが、声だけは友好的に苦笑してみせた。
「いや、いや。ご足労願って大変申し訳ありません、シスター。我が主、アナスタシア殿下が貴女方にお会いしたいと仰っていたのですが、突然体調を崩されまして、今は奥で気を養っているのです」
申し立てる男に、ベラは殊更心配げな表情を作って見せ、かつアナスタシアの体調を綺麗な修辞を用いて気遣って見せた。後ろではエイダが半ば放心しており、放っておけば立ちながら居眠りをしかねない様子だ。
その間に、ラスプーチンは有難いことにわが身が殿下から全幅の信頼を寄せられており、殿下が体調を崩したため直接ベラに会うことが叶わぬため、その代理を任されたことを説明した。
確かに、アナスタシア殿下でも、その重臣でもなく、突如ラスプーチンがエステルたちと面会するのは甚だ不思議なことであったが、この説明で一応エステルは納得した。
その後もエステルにとっては無意味であるような長い会話が続いた。ラスプーチンは彼女らに椅子に座るように勧めたが、ベラはそれを固辞した。--そのとき、エイダが悲鳴を上げそうな顔になっていたのを、エステルは見逃さなかった。
「それで、殿下は一体どのようなご用件で私どもなどにお会いなさろうと思われたのですか?」
長い婉曲的な会話を経て、ベラが本題を切り出した。
ラスプーチンは、計算か偶然か、ちらりとフードの下からその口を覗かせ、困ったような笑いの形を作って沈黙していたが、扉の前で控えていた警護兵を退出させ人払いをすると、語りだした。
「いえ、殿下は、ボルジア家の家督継承を強く望んでおられます。殿下の統治者としての素質は疑うべくもないものではあります。しかし、そのご年齢は高貴なる身なれど、悩みと悔いの多き身に御座います。そこで殿下は、家督継承の前に、神への懺悔でもってその身の禊と為さるおつもりだったのです」
そこでラスプーチンは一回言葉を区切ると、エステルらの反応を観察するように黙った。ラスプーチンの会話から要領を得られぬエステルとエイダに対し、ベラは穏やかな表情を張り付けたまま、目に一瞬鋭い光が走った。それを確認したからなのか、ラスプーチンは言葉を続ける。
「しかし、その役はミドルード城下の教会にいる僧侶では務まらないのです。これはなにも、彼らの能力を疑ってのことではありません。殿下は、ボルジア家の次代当主であると同時に、うら若き乙女で御座います。それゆえ、彼女は彼女のことを良く知る城下の僧侶ではなく、ボルジア家外部の僧侶に懺悔をしたいと考えておられるのです」
そこまで聞いて、ようやくエステルは話を理解した。つまり、ボルジア家当主になるにいたって突如過去の行いに罪悪感を抱いたアナスタシア姫だが、城下の神父相手ではこちらをよく知る相手だけにやりづらく、それ故ボルジア領に今日流れ着いてきたエステルらにそれを頼もうと言うのだ。
婉曲的で、まるで何か大仰な儀式を執り行うかの如く語るラスプーチンの姿は、滑稽と言えよう。近隣諸侯に注目を浴び、姫に魔法の如く取り入った様から怪人とまで呼ばれる男から語られる内容とも思えない。これは案外、アナスタシア姫の体調が悪いというのも、エステルらにそのようなことを告白するのに耐えられぬか弱き乙女心ゆえ、ということなのかも知れない。エステルは、伏魔殿に入り込んだ気分が晴れ、そして身構えていた自分を少し笑った。エイダにいたっては、乙女のそのような感情を理解できぬようで、まだ納得できないように首をひねっていた。
「しかし、殿下の体調のせいとはいえ、こちらからシスターをお呼びしておきながら本日面会出来ぬと言うのはこちらの落ち度で御座います。どうか今日は、このミドルード城に部屋をご用意いたしましたので、そちらでお休みください。明日、殿下の告白を聞いていただければ有り難いと存じます」
ラスプーチンは、今度こそはっきりと、フードの隙間からはっきりと口を覗かせ、笑みをエステル達に見せた。フードで顔を覆ってさえいなければ、その弁舌と併せて完璧な執事であるという印象を与えただろう。
それに対して、ベラは少し考えた後にやはりラスプーチンに負けぬほどの笑顔のまま、答える。
「いえ、有り難い申し出では御座いますが、我らは神に仕える身。ボルジア領の豊かな食物を口に含み、上質な寝床を体験してしまえば、我ら聖職者は今後罪を犯し続けることになりますわ」
ベラの言葉に、ラスプーチンは不思議そうに尋ねる。
「ほう、罪、とは?」
「神父様に『神に仕える生活に満足しているか』と問われれば、はいと答えるしかありません。……しかし主は仰いました。『汝隣人に偽証することな勿れ』と」
輝かんばかりの完璧な笑顔でそう言い放ったベラに、ラスプーチンは一瞬ぽかんとしたが、すぐに肩を揺らして笑い出した。
貴族や、上流階級の人間はこのような妙な会話を好むようだが、エステルにはどうも慣れない空気だ。このような会話に長けるベラを見ていて、果たしてどこでそういう会話を仕入れてくるのか常々不思議に思っているくらいなのだから、ある意味で最も聖職者らしいのがエステルであった。
ラスプーチンはひとしきり笑ったあと、その断り方をされてはこれ以上引き下がれぬと判断したのか、エステルらに再び今回の無礼を詫び、アナスタシア姫の体調が回復したら今度こそ姫の告白を聞いていただきたいと願い出た。ベラは当然その要求を快諾すると、一同の会話はそれ以上必要無くなり、ラスプーチンもエステルらを教会へと送り届けようと申し出てきた。
そのときだった。突如、エステルの背後にあるこの部屋唯一の扉が、けたたましい音と共に開かれたのだ。
「ッ!」
弾かれたように振り向いたその先には、甲冑が立っていた。凄まじい巨体であり、その姿は扉を挟んだ向こう側にあるのだが、首から上を確認することが出来なかったのだ。男一人が悠々と通ることができる扉を遙かに超える背丈の男は、静まりかえる室内をさして気にした風でも無く、その巨体を屈めて室内へ入ってきた。
頭部には室内であるというのに兜を装備しており、その厳重に封をされた鉄兜は、まるで獰猛な獣を封じる折のように彼の目を隠している。
「不作法であるぞドミンゴ! 誰が入って良いと言った!?」
それまでの会話からは想像も付かぬ怒声で、ラスプーチンが巨体の男を叱りつける。しかし巨体の男は反応が薄い。その巨体を微かに動かして室内の三人、エステル、ベラ、エイダを眺めると、やや遅れてラスプーチンに返事をした。
「……申し訳ありません」
その声は低くひび割れており、会話よりも剣戟の応酬を好む人間のそれであった。ラスプーチンは不快感を露わにしながらも、自ら非礼を詫び、エステルらを教会へと送り返したのだった。