文明とは、すなわち明かりとともにある。日没を迎えれば世界は闇が支配するものとなり、人は身を寄せ合って明かりに集まる。ミドルードでもそれは同じであり、防壁に囲まれた人々の群がる巣では、警備兵の周囲に配置ややミドルード城各所で燃えさかる松明の明かりが灯っている。都市の外に一歩出ればそこは文明の外である。明かり一つない草原は昼間の顔を捨て、森の入り口は化け物の口腔のようで、今や開いた口の闇をさらけ出している。
威勢が良く金のためなら死んでも良いとさえ言う商人でさえも、。夜の森には立ち寄らない。狼や熊という、人間を餌として扱う獣がいるからだ。主は人を自らの姿に似せて作ったと言われるが、ではその人間を喰らう狼は邪神の化身であろうか。
そして今、鳥と虫の囁き声、そして獣の遠吠えしか聞こえぬはずの森に、二人の女が立ち入っていた。一人は流れるような赤髪の女で、奇怪なことに彼女は一際太い樫の木に登り、その枝に足をかけながら遠くを見つめている。視線の先には、闇の中ぼんやりと姿が浮かぶミドルード城がある。さてもう一人のシスターは、その樫の木の根元に寄りかかっている女で、くるりと自然に巻かれている金髪が、月明かりで仄かな輝きを放っていた。
赤髪の女、エイダはそのしなやかな肉体を伸ばしてミドルード城を眺めていたが、そこになんの異常も無いことを見て取ると、今夜何回目かわからないため息を吐いて地上へと戻る。
彼女の身長より遙かに高い樫の木から、音もなく飛び降りたエイダは、欠伸を隠すこともなく同僚の前で眠たげな顔つきをしてみせ、目を擦る。欠伸が収まった時の彼女の顔は、ベラに対して不満の顔を作っていた。
「……そんな顔をしても、聖務なんだから文句は局長に言いいなさいね」
不満の視線など意にも介せず、ベラはその位置からミドルード城を観察している。
「つっても、こんなところから眺めてて、何か役に立つのかよ? もっと他の仕事なら歓迎なんだがなー……」
元来待つのが苦手であるエイダは、猫の様に体を伸ばし、固まった筋肉をほぐしている。
「仕方ないでしょ。外出禁止令でろくに聞き込みもできないんだから」
「もう、いっそのことラスプーチン
いつものように燃える赤髪を風に揺らしておくのではなく、今のエイダは後ろで縛っている。尻尾の様に見える見事な赤髪を手で弄びながら樫の木にだらしなくもたれかかるエイダは、あまり真剣にはものを言っていないのだろう。ベラもそれをわかっていながら、半ば自分に言い聞かせる形で反論する。
「ダメよ。彼が今回の暗殺の首謀者なのか、それはまだわからないんだから。現状で一番彼が得をする立場にあるから、こうして城を見張ってるんでしょう?」
木にもたれかかったまま、エイダは軽く二回首を縦に振った。その適当な態度に気分を害した風でも無く、ベラは再びミドルード城へと目を向ける。
彼女らは、教会への補充要員のはずだが、では彼女らの言う「聖務」とはなんなのか。聖職者の生活では、夜は誰よりも早く寝床に着くが、この時間になって外を出歩くというのは、聖職者としてはなはだ奇妙である。いやそもそも、周囲を高い防壁に囲まれ、唯一の出入り口である門は吊り上げ橋を上げて侵入者も脱出者も出さないようにしているこの城塞都市から、彼女らは一体どうやって抜け出してきたのだろうか?
当主暗殺によって緊張感の高まるミドルードでは、門の警備はいつも以上の厳重さで、その人員も倍に増員されている。そして彼らはたとえどんな用事があろうとも、一般の人間達を門に入れることを許さない。そして森から見える門の様子から判断すると、彼らは都市の中から脱走者が出たなどとは露程も知らぬ様子であった。
二人とも、それぞれ異なる体躯を持ち、それぞれの美しさを持つ神の僕であるが、ただの女のはずである。果たして、どのような奇術を用いたの言うのであろうか。
そのとき、エイダは今までだらしなく緩みきった顔をしていたが、突然ふっと顔を上げ、森の奥を見つめる。同様にミドルード城を観察していたベラも、後ろに視線を向けていた。
「……ベラ」
その呼びかけに顎を引くだけで答えると、二人は木に寄りかかるのをやめ、森の奥を注視する。
やがて、森の奥から、存在しないはずの明かりがぽつぽつと浮かび上がってきた。それはまるで魑魅魍魎が闇を歩き回るという百鬼夜行の輝きの如き不気味さであったが、二人の尼僧は怯えた風もなく、ただその先を見つめていた。
そして森の奥からぬっと浮かび上がってきたのは、松明を手に取った男達であった。足で大地を踏みしめている様から、彼らは人間であることは間違いない。だがそれぞれ松明と同時に手には短剣や斧、槍まで持っている人間もいた。そしてその顔には、それぞれ隠そうともしない下卑た笑いが張り付いていたのだ。野盗である。男からは身ぐるみ剥いで奪って殺し、女なら身ぐるみ剥いで犯して殺す。都市という文明の明かりに決して照らされることがない者どもである。
「……よお、姉ちゃん。俺らの相手をしてくれねえか?」
その中の一人、おそらくはリーダー格であろう男が、内に篭めた欲望の臭いを撒き散らしながらベラに問いかける。20人はいるだろうか、彼らはゆっくりと広がると、半円状にベラとエイダを取り囲んでしまった。
「……いえ、間に合っていますので」
冷たくあしらうベラの言葉を聞いているのかいないのか、男は二人の尼僧の体を検分するのに夢中だ。
黄金のような金髪に女性的な柔らかい顔、そして尼僧服の上からでもわかるはちきれんばかりの胸。その胸に半円状の男達は釘付けだ。そしてもう一人、燃える赤髪に気の強い吊り目、胸こそ控えめだがその手足はすらりと伸び、無駄肉がなく、さりとて貧相でもない絶妙のバランスを保った体躯を持つ女。こちらにも男達の視線は移る。あからさまな欲情の視線に、エイダは不愉快そうにし、ベラは薄く笑っていた。
「そうかい。ま、俺は長話は好きじゃあねえんだ。……やれ!」
その言葉を受けて、檻が開け放たれるのを待ちわびていた猛獣の如き勢いで男達は我先にと尼僧に群がっていく。野盗にとって略奪こそが至高の時だ。彼らは欲望の赴くままに壊し、犯すことができる。彼らはそれぞれ手に持った獲物は相手を脅すための道具と考えていたし、尼僧二人程度にそれを使う必要もないと考えていた。……それがいけなかった。
一人の男が群れから抜け出し、一番乗りでエイダの目前に迫る。片手には斧を持つ男は、相手左腕でエイダの胸ぐらを掴もうとしていた。そのとき、エイダが鋭く腕を振るった。
色欲、その欲望を顔に貼り付けたままの男の顔が胴体から離れ、ごろり、と後ろへ転がり、男達にその顔を見せつける。頭部を失った胴体はふらふらと前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。
腕をふるったエイダの手には、幻のように現れた剣が握られている。剣はスパタという列島で最も普及した片手用の剣である。
静寂が男達を支配する。今の今まで蹂躙されるしかないただの獲物だと思っていた女の、見事な一閃に、ぽかんとした表情を浮かべていた。だが、いち早く驚愕から立ち直ったリーダー格の男が、仲間を殺されたこと、もしくは獲物と思っていた弱い女の思わぬ反撃に、怒りを露わにして彼女らに襲いかかったことで、野盗共はそれぞれの獲物を使うことを決意したようだ。利き手に持ったその獲物をそれぞれ振り回しながら、二人の尼僧に突っ込んでいく。
その怒りの全てを受け止めてエイダはにやりと笑う。
「やっぱこう来なくちゃな」
対するベラは冷たい。
「余計な仕事よ。面倒は避けたいのだけど」
今度は正面、そして右からベラに男が迫る。それぞれ剣と斧を持っており、それを躊躇いも無くベラに振るう。
だが、尼僧を切り裂くはずだったその一降りは空しく空を斬り、彼らは忽然と尼僧のいなくなった空間を見、そしてお互いに顔を合わせた。
「破ッ!」
気合いの声とともにベラが跳躍から舞い戻り、地面へと降り立つ。その腕には剣が握られており、正確に正面の男の首筋を切り裂いた。柔らかい首筋は剣を簡単に受け入れ、皮膚とその下の血管にまで剣は侵入する。ベラが腕を振り切ると、ぱっくりと空いた傷口から滝のように血が噴き出てきた。ベラは腕を返す勢いでもう一閃させる。右に立つ男は斧を空振りした間抜けな体勢のまま、こちらも首筋に剣の一降りを浴び鮮血に飲まれながら倒れる。
エイダはもっと暴力的だった。彼女の二倍以上の横幅を持つ男が縦に振るった斧を半身で避けると、斧と交差するように片手で振るった剣が男の脳天に直撃し、その頭蓋骨を砕いて顔面の中腹まで圧し切る。女が片手で振るったとは思えぬ威力だ。巨漢の後ろから叫び声を上げてもう一人の野盗が槍を突き出したが、これは彼の目前から掻き消えたエイダをとらえることは出来なかった。
跳躍し、巨漢を飛び越えながら頭にめり込んだスパタを抜いたエイダは、一瞬で槍を突き出す男までの距離を詰める。
「グェッ!」
潰された蛙のような鳴き声を上げた男の背中からは、血に濡れたスパタが生えていた。エイダは片手で握るスパタに力を込め、男を蹴り飛ばした。肉の抉れる音と鮮血を残して、男は後方へと吹き飛んだ。
野盗の士気は低い。一方的に奪い、犯すことを目的としている彼らは、一度劣勢に立つと命惜しさにすぐ逃げ出してしまうのだ。例え女が相手であろうとも、尊厳を捨てて逃げようとする。
このときも、無残な肉塊となった5人の野盗を見て、それを決断したようだった。顔に何滴か付いた返り血を舌で舐め取りながらこちらへ歩いてくるエイダに対して、遙かに体格の良い男達は後ずさりをする。
遂にその中の何人かが後ろへと振り向いて逃走を図った。森の奥へと一目散にかけようとする彼らだったが、だがそこには金髪の娘が薄笑いを浮かべて立っていた。彼らの頭に恐怖が湧き上がる。だがそれを十分堪能する前に、幻のように現れたベラが振るったスパタが男達に弱点を正確に切り裂き、彼らを物言わぬ骸に変えていく。
後ろの惨状を見て、残され夜盗は退路を失ったことを悟った。
「逃げんなよう。最後まで相手してくれよう」
果たしてそれは尼僧が浮かべる笑みであろうか? 血を滴らせるスパタを月明かりに反射させ、エイダがにやりと笑ったのだ。野盗のうちの一人が、無様に尻餅を付いた。
「一人残しなさいよ、エイダ」
美貌の上にいつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら、ベラも一歩足を踏み出した。
都市の明かりの及ばぬ場所では、どんな危険に出くわすかわからない。