懐から取り出した懐紙でスパタにこびり付いた血を拭うエイダは、今は充満する血の臭いに顔を顰めていた。それも当然で、20人近くいた野盗はことごとく頭を割られ、首を切り裂かれて絶命してそこら中に転がっているのだ。一瞬にして屠殺場と化した森の中で、先ほどと変わらぬ顔で、唯一生き残ったリーダー格の男を尋問しているのはベラだ。
「誰に雇われたのですか?」
口調と顔こそ穏やかではあるが、男の首筋には何人もの野盗の首を刈り取ったスパタが押しつけられている。エイダはその光景は見慣れていたため驚きは無かったが、何度眺めても慣れない恐ろしさがある。
「……くわばらくわばら」
恐怖と同様のあまり声も忘れたのか、男が口から何も情報を出さないのを見ると、ベラは躊躇無く男の指をつかみ、へし折った。男の絶叫が森に木霊するが、こんな場所にだれも助けにくるはずもなく、空しく森の闇に吸い込まれていく。
「……お互い、無駄な時間を取りたくないものですわね。誰かに雇われたんでしょう? ねえ?」
問いかけに、男は首を狂ったように上下させる。自業自得とはいえ、その姿はあまりにも哀れだ。
「……そ、そうだ! 雇われた。誰かは知らねえ……本当だ! そいつの手下が俺んとこに金を持ってきたんだ。俺は何もしらねえ! 何も……」
折られた指を片腕で庇いながら、男は必死に訴えかける。その言葉にベラが心を動かされたようには見えなかったが、やがてため息を吐いてスパタを男から離す。男はその場にへたり込み、呆然と仲間の死体を眺めていた。
「で、信じるのかい?」
尼僧服のポケットをまさぐっていたが、なかなか目当てのものを探し当てられない様子のベラに懐紙を手渡しながら、エイダは問いかける。ベラは懐紙を受け取り、スパタの血を拭う。そして、元の収納場所、尼僧服らしく長い足の裾にそれを戻すと、男に目を向けた。魂の抜けたような表情をしていた男はそれだけで飛び上がらんばかりに驚き、小さな悲鳴を上げる。その様を見てもう一度ベラはため息を吐いた。
「……そうね。おそらく捨て駒でしょう。実力的に、刺客としてレベルが低すぎるわ。……捨て駒だとしたら、雇い主は自らの正体がばれないようにするでしょうから、その痕跡をこいつらに悟らせないようにするでしょうね」
血の臭いに混ざり、奇妙な臭いが辺りに立ちこめる。見れば、へたり込んだ男の股間を中心に水たまりが広がっていた。
「成る程、確かに捨て駒にはもってこいな人間だねえ」
男は失禁した事実さえわからぬほど動揺していたが、彼女達に殺意が無くなったのは理解できたようだ。彼なりに必死に頭を巡らし、その場から一刻でも早く逃げ出すための算段を頭の中で練っているようだった。
「しかし、誰の仕業だ? やっぱりラスプーチンかね?」
「どうかしら? 密偵が買収に応じなかったからといって殺そうとする? そんなことをして、もし事が露見したら十字軍よ?」
男に妙案は浮かんでこない。そもそも、理解を超えたことが立て続けに起こり、状況を正確に把握すらできていないのだから、最初から答えの無い思案だったと言えよう。だが男は必死に考えた。スパタを仕舞い込んだ女二人はもしかすると自分を見逃すつもりではないか、という楽観的な考えも浮かんでくる。
ベラはそこで、地面にへたり込む男を再び見る。今までうっかり忘れていた、という顔を見せたが、すぐに彼女は天使の様な顔付きになり、両腕を会わせて祈りの体勢を取った。男は一瞬気後れしたが、聖職者の姿をした彼女らの機嫌を損ねないように、久方ぶりに手を組み、瞳を閉じて祈りを捧げた。
「貴方に主の慈悲があらんことを」
『祝福』では? そう男が考えたときには、男の頭はベラの手によって本来の方向とは正反対にへし折られていた。自らの尿の上に男の死体が倒れ込む。
「……そのことについて考えるのは後ね。今はエステルが心配なの」
まだぴくり、ぴくりと指先を動かす死体には目もくれず森の出口へ急ぐベラの後を追いながら、エイダは苦笑する。
「……くわばらくわばら」
夜はまだまだ長い。
▲▽▲▽▲▽
エステルは自らの軽率さを悔やんだ。彼女にとって自らの失敗を自分自身で認めることはまだまだ難しいことだったが、その彼女ですら自分が致命的なミスを犯したことを認めねばならぬことだった。手には列島で一般的な刀剣であるスパタが握られており、その柄は彼女自身が流す手汗と、鮮血にまみれていた。周囲には人、人、人。およそ20人ほどの男達が彼女を中心に円を描くように囲んでいる。
だが、その全ては無残な傷跡を残し、呼吸を忘れた人形と化している。この場に生きる人間はエステルだけであった。
「……しくじった」
そう、
だからこそ彼女は、小柄な体躯をさらに小さくして野盗の死体をまさぐり、なにか手がかりがないか調べているのだった。だが、成果が上がっているとは言い難い。出てくるのは口に含むものとは思えぬ謎の保存食、珍妙なお守り、用途不明の人形だ。エステルは遂にあきらめ、その用途不明の人形を持って立ち上がる。
「わからん」
お姫様の姿を模した人形ではあるが、手も足も無い。豪奢なドレスに手も足も隠れているのだ。簡略化された顔は笑いの形を作っているが、あまりにも粗末すぎる。全体的に雑な作りだが、その金髪の頭だけはやけに丸みを帯びているのが疑問だ。エステルはこれを野盗が持っている意味を理解できず、思考を放棄してそれを森に投げ捨てた。
ちなみにそれは「張り型」というものなのだが、エステルはその用途を知る由もない。
「ああ、局長とベラに殺される……きっと私は帰ってから一本一本指の逆むけを剥がされる拷問を受けるんだわ……」
彼女がその身に待つ低レベルな拷問に身を震わせているとき、森の奥から微かな声がした。それはともすれば森の静寂、虫の奏でる音楽や鳥の叫びに消されるほどの大きさだったが、確実にエステルの耳に入ってきた。
エステルは膝をついて神に許しを乞う体勢から立ち上がると、その方向に向き直った。
足音だ。それも、二人。エステルは尼僧服の裾にしまったスパタをゆっくりと取り出すと、油断無く構える。
「とんだお転婆だな、野蛮人らしいじゃないか?」
現れたのは、闇に溶けるような黒髪に、褐色の肌を持つ男だった。列島には存在しない褐色の肌は、大陸系の特徴である。
男は血まみれの死体を見て鼻を軽く鳴らし、自らの足元のそれを踏みつける。その顔には紛れもない侮蔑の色が籠っていた。
「女一人始末できないとは、劣等種の男は出来が悪い」
そう言うと、褐色の男は死体を
「『魔族』ですね、貴方方は」
問いかけに、二人の男の雰囲気が一変する。それぞれ目には溢れんばかりの憎悪を燃やしていた。
「『魔族』? この高貴なる身を魔族と呼んだか劣等種!」
短い黒髪を振り回し、敵意を剥き出しにする男らに、エステルは怯む様子はない。その様子を見てさらに激昂した男は、腰に帯びた偃月刀を抜き放つ。
「ボルジア当主暗殺は貴方たちの仕業ですか」
「答える義務は無い」
偃月刀を抜き放ったのは男一人だけだ。もう一人の魔族は、後ろでその様を傍観している。一騎打ちということらしい。エステルにとっては好都合だ。
「では、無理矢理にでも聞きださせてもらうわ」
口調を一転普段のものに戻し、エステルは男を強くにらむ。目前の少女が戦うつもりだと知り、偃月刀の男はせせら笑った。後ろの男もうっすらと笑っている。
「そうか。では、死ね」
一言を残し、男が跳躍した。一瞬でエステルとの間合いを詰め、偃月刀を振るう。常人ならその速度に反応すらできなかっただろうが、エステルは後ろに飛び退くことでそれを躱した。男の偃月刀は空を切るが、獲物を捕らえなくともその姿勢に一片の乱れはなく、再び偃月刀を構えなおす。整った男の顔には、自らの一撃を少女に躱されたことに対する感嘆と、しかし己の実力で少女に負けることは無いという自負が浮かんでいた。
男は腰を少し落とすと、次にはエステル目がけて疾駆していた。対するエステルも、今度はスパタを振るう。男の偃月刀とエステルのスパタが雷光の如き早さで激突し、火花が散る。即座に横薙ぎの斬撃を繰り出してきた男の攻撃を、スパタの根本で受け止め、エステルは力強く踏み込みながらスパタの刺突を繰り出した。飛び退りそれを躱した男を追撃し、更に刺突を繰り出す。だが今度は偃月刀で弾かれ、エステルが軽くよろめいた。
そこを見逃す男ではない、エステルの体に男の蹴りが入る。
「ぐうッ!」
男の蹴りはエステルの軽い体を易々と吹き飛ばした。しかしエステルは蹴りを辛うじて左腕で受け止め、その威力を軽減させていた。そして空中でバランスを立て直し着地し、息をつく間もなくスパタを男に向けて投擲した。矢のように男へ刃を突き立てるべく迫るスパタを、しかし男は避けない。軽く左腕を伸ばし、そしてスパタの刃を掴んだ。まるで舞い落ちる花びらを掴むかの如き柔らかい仕草で、エステルのスパタは男の手に収まってしまったのだ。嘲笑を漏らし、男は指を離す。スパタは男の指からこぼれ落ちると、そのまま地面へと突き刺さった。
この膂力、そして反射神経、これこそが魔族の特徴であり、人でありながら『魔族』と呼ばれる所以である。大陸の一大勢力として君臨する彼らは、その力で築き上げた帝国で幾多の人間を征服して大陸を制覇したのだ。列島へとその侵略の矛先を向けた先の大戦でもその力を奮い、魔族一人を倒すのに騎士10人が必要であるとまで言われた。単体戦力としての彼らは地上で最強の存在である。
法皇庁は彼らを人間ではなく邪悪な魔物と称し、大戦終結後に大陸へ撤退し損ねた魔族の残党を血眼になって探している。
では、その魔族と渡り合える身体能力を持つこの少女は一体何者なのであろうか?
癖のある猫っ毛の少女は、まだあどけなさが残る顔つきに明確な殺意を燃やしながら男を見ている。対する男は、未だにその表情には余裕を貼り付けていた。
「ふん、どうした劣等種。次は平手で戦うのか?」
スパタを投擲して武器を失ったエステルを、男はせせら笑う。
「……心配には及ばないわ。こっちがあるもの」
エステルは尼僧服の背中に手を伸ばし、その裏に仕込まれていた刀を抜きはった。月明かりに反射する刃には、見事な刃紋が浮き上がっている。不規則なのたれを持つその刃紋や、程よく反る刀身は、不気味さと美しさを兼ね揃える魔性のものだ。スパタのような片手で用いる剣ではなく、刀身もエステル自身の半分ほどもあるその刀を我が身の一部のように操り、大上段に構えた。迷いの無い瞳は、白刃と同じ輝きを放っている。男はその異様とも言える雰囲気に飲まれたように黙り込んでいたが、少女の構える刀身に浮かぶ文字を見て態度を変える。
「『
男は炎すら焦がすほどの憎悪をその目に浮かべる。彼は噂で聞いたことがあった。親しい同胞の犠牲者を知っていた。法皇庁が血眼になって魔族を見つけ出し、そしてその後投入するという戦力のことを。決して存在を公にしない組織。対魔族の狂信者集団。神罰の地上執行者を自称する特務機関。
「……この地上に魔族の住む場所は無いわ」
静かに宣言するエステルを前に、男の哄笑が響いた。男は怒りに燃えながら、しかし自分の同胞たちの仇を討つ好機を得て悦びに震えているのだ。
「感謝するぞ狂信者。告げておこう、我が名を」
昂揚する魔族に対し、エステルの目は冷め切っている。彼女は、まさしく汚物を見る目で、若い帝国貴族たる目前の男を見つめていた。彼が高らかにその誉れ高い名を宣言する前に、エステルはそれを遮った。
「--必要無いわ。お前達に死後の世界は無いのだから、これから死ぬお前に名前なんて必要無い。……『
「貴様……」
男は偃月刀を構える。自らを汚物扱いする少女を前に、決闘の礼儀など必要などない。少女もまた、魔族を相手に礼儀に則った戦いなどするつもりがないのだから。男と少女は、決して相容れぬことのない存在だった。お互いがお互いの隙を伺い、動かない状態が続いた。だがそれもすぐに終わる。お互いが、ほぼ同時に大地を蹴って跳躍したのだ。
--森のどこかで狼が吠えている。