八神はやての一番の娯楽は、図書館に行くことである。小学校には行けず、他に行く所と言えば病院だけで、変化のない生活。そんな日常に飽き飽きしている時に、自分の知らない場所や物、面白い物語を提供してくれる本は、はやてにとって最高の友達だった。今日は、どんな本と出会えるだろうか、そんなウキウキとした思いを抱き、図書館の自動ドアをくぐったはやてが見たものは、受付に人すらいない、無人となった館内の、ガランとした風景だった。キョロキョロと辺りを見渡しても、誰かが出てくる素振りすら無かった。
……これは、なんなんやろ。ドッキリかな? いや、もっとこう、図書館とは『別の場所』に来ちゃったかも知れへん……
既に閉まった自動ドアから抜けだそうとするも、それはぴしりと閉じて開かない。というより、はやてと自動ドアの間に一枚の壁があるような感じだ。外に出る方法がないと分かると、はやては館の奥へ向かって車椅子を動かした。別に、何か覚悟を決めたわけではない。このまま立ち止まった所でひ弱な自分にはどうすることも出来ないし、この状況を作った人が自分を害するというなら、それでも良いと諦めただけだ。
別に、自分が一人いなくなった所で誰も迷惑しないし、悲しまないとはやては考えていた。何故、そう断言出来るのか。はやてが今まで人との関わりを遠くしていたからだ。完全に断ち切ると言うことではないが、自分を「特別な存在」と思う人を作らせないように立ち回る。それが、はやての処世術だった。自分の障害はだんだん重くなっていくし、治る目処も立たない。そんな不毛な状況に、出来るだけ他人を巻き込みたくなかった。だから、誰とも親しくならない。親を亡くし、本来頼るべきでない他人に迷惑をかけてばかりの人生、その終わりくらいは、誰にも迷惑をかけずにひっそりと消えていきたかった。
もちろん、はやてを大切に思い、それを苦にしない人は、はやての思う以上にたくさん存在した。はやてを担当する石田医師や、はやてを担当したヘルパーたちも、皆はやてに「幸せになってほしい」と願っていた。しかし、はやては自分が誰かに愛されていると、思いもしなかった。先ず自分を愛してくれる親を早くに失っていたから、「愛される」ということに鈍感だったのかもしれない。
はやては通路を通り、本棚の間をすり抜けながら、無人の図書館を動きまわる。普段いるべき人たちがいなかったから、意外に早く探索することが出来た。そして、はやてがいつも本を読む、奥まった所の読書室に入ると、そこには先客がいた。車椅子に座るはやての目線からは、その男の腰から肩岳が見えて、高い壁の様に思えた。しかし男はしゃがみ込み、はやてと目線を合わせて、名乗った。カイト・フォレスターと名乗るその男が、この場を用意したらしい。
「本当は君の家に行こうと思ったんだが、あそこは危険だからね。監視の目が強い」
「監視?」
カイトがいう監視というのは、はやての家に居着く二匹の猫だった。彼らは魔法を使う使い魔という種族で、日々彼女を監視しているのだという。はやては一瞬冗談かと思い笑おうとしたが、このような舞台を作り出し、人目を避けてまで言う事なのだから、少しだけ信じてみようとも思い、あえて何も喋らなかった。
「私はね、君のことが好きなんだ」
「はあ」
好き。見ず知らずの、年も離れた男に何気なくそう言われて、はやてはとぼけたような反応しかできなかった。つれない態度にもめげずに、カイトは話のペースを上げていく。
「君のことが好きだ。どうしようもないほどに。だから、君を治してあげたい」
「治す……?」
この人は、私を治療したいのか。そう、はやては納得して、そして失望した。治療という言葉に、あまりいい思い出がないのだ。痛くて辛いのに、何の効果もなく、ただ病状は進んでいくだけなのだから、当然だった。
「今までのような対症療法じゃない。もっと根本的なものだ。君の神経麻痺、その原因を君から外す」
その程度の言葉では、はやては心を開かなかった。今までも、この男のようなことを言って、結局なにもできずにはやてから離れていく医者や研究者がいたのだ。その中で残ったのが、今はやてを担当している石田医師である。
「信用していないね? だが、私は『魔法使い』だ。今まで君を治そうとした医師とは、やり方が違う」
「魔法使いさん、なんですか? 私の足には呪いがかかっていて、それで動かせなくなっとるって、ゆうんですか」
「その通り。その呪いを、元から断ち切ってやるんだ」
魔法、そして、呪い。本の中でしか見ることの出来ない、嘘と虚構に満ち溢れた単語だ。しかし、そんな怪しい言葉が出て来たおかげで、はやてはようやくカイトを少しだけ信じるようになった。現代科学や医学が駄目なのだ。だったら、本当に魔法や呪いの仕業なのかもしれない。やれるものなら、やってもらおうではないか。半分小馬鹿にするような気持ちで、はやては男の提案に乗ることにした。
「ええですよ。魔法で本当に治せるんなら、どうぞ治してくださいな」
巫山戯た態度でからかうはやて。その顔に微かながら笑いが起こったのを確認し、深く満足しながら、男ははやてを治療することにした。ベッドや器具を用意する必要はない。ただ、車椅子に座ったはやての胸元に、右手を近づけるだけでよかった。
「なに、するんですか? 呪文? それとも、お祈り?」
「どちらでもないさ。ただ……」
そこまで言いかけて、カイトの顔は憂鬱に沈んだ。この方法を取ると、激痛を伴うことになり、先ず間違いなくはやてを苦しめてしまうのだ。しかしながら、麻酔や鎮痛剤を、使うわけにも行かなかった。そのことを話すと、はやてはからからと笑ってあっさり引き受けた。
「ええですええです。痛いのにも、辛いのにも慣れてますから」
「そんな次元のものじゃない。君の中にある、大切なものを切り取ることになる。君は知らないだろうけど、君の未来にとって重要なものになるかもしれない。それでも、いいのか」
その言葉に、少しだけはやては躊躇した。
「大切なもの、ってなんですか?」
「リンカーコアといってな。魔法の源になるものだ。君は魔法を使える素質があるが、それを取り除かなければ呪いを解くことは難しいんだ」
深刻な口調で言うカイトだったが、はやては拍子抜けした。魔法を使えなくなるのは確かに損なのかも知れないが、今の自分に、魔法なんて必要ないのだ。
「ええですよ? リンカーコアがなんだかはよくわかりませんけど。私は、この足が何とかなれば、それで」
「……分かった」
兎に角、はやての許可は得た。後は、はやてから『闇の書』というしがらみを解き、カイトのものにするだけだ。カイトははやての肩の力を抜かせ、すうっとリラックスさせた。初めて触れた時、何事にも力の入ったなのはとフェイトとは違い、はやてはいとも簡単に落ち着いてくれた。それははやての達観から来るものだった。自分の将来、未来、それに何ら希望を持っていないのが、この時の八神はやてだった。
……なら、希望を与えてあげなきゃな……
カイトは改めて決意した。この少女を、幸せにしてやるのだ。彼女の身体を、壊してでも。
***
「行くぞ……胸のほうだ……心臓を、鷲掴みにされるような、痛みが来る」
「はい」
デバイスを展開。円盤形になったそれを、はやての胸の上に置く。そして、術式を展開。今からカイトが実行するのは、ミッドチルダの魔法の中でも、飛びきりに過激な物の一つ。リンカーコアを摘出して、破壊する魔法だ。魔法学校などでは教えられないし、管理局員が使うにも正式な許可がいる、禁呪レベルの術式。しかし、八神はやてから魔力を無くし、『闇の書』を新たに旅立たせるために、カイトが出来るのはこの方法しか無かった。
カイトが見た歴史のように、闇の書のページを埋めて、主の意識が無くなり暴走が始まる土壇場で抑える方法もあった。カイトの持つ戦力をフルに活用すれば可能ではあるが、これは余りに不確定性が高すぎる。危険な作戦に、自分とはやての運命を賭ける訳にはいかなかった。
「リンカーコア、摘出……もうすぐだ、なるべく早めに、終わらせる。すまないが、耐えてくれ」
はやての胸から、淡い白色の光球が現れる。なのはやフェイトのそれと違って、弱々しく朧なものだ。しかし、魔力を蒐集するのではなく、完全に破壊するとなると、かなりの苦痛がはやてを襲うはずだった。しかし、麻酔で意識を無くせば、リンカーコアの摘出は困難になる。既に魔力とコアを認識している魔導師ならば簡単だが、一から現出させるとなると、どうしても意識を保ってもらわなくてはならない。
カイトは自分の力不足を呪った。いくら未来の知識を持っていようとも、財力と権力を備えていても、はやてという少女一人、苦しませずには救えない。その意識は傲慢とも言うべきだが、例え一分だけでもはやての苦しむ顔を見るのが、カイトにはとても辛かった。
……この人、本気で申し訳なさそうに謝っとる……私のこと、大切に思うて、くれてるんやろか……
曲がりなりにも強い感情のこもった一言に、はやての心は揺れ動いた。はやては仰向けになって、その目に映るのは真剣なカイトの顔のみだ。出会ってから10分も経っていないというのに、今はやてはこの得体のしれない男に自分の大切なものを任せ、壊すのを眺めている。不思議な感覚だった。
はやてにとって、1つだけはっきりしていることがある。このカイトという男は、本気の本気ではやての足を治そうとしてくれているということだ。もちろん、カイトにはカイトなりの見返りも打算もあるのだろうと、予測は出来た。だが、最初に会った時の「好き」と同様、はっきりと気持ちをぶつけてきてくれているカイトのことを、はやては段々と信じるようになった。
「……いくぞ」
カイトが、白いリンカーコアをぎゅっと握る。すると、激痛がはやてを襲った。それは、心臓を引き抜かれて、そこから全身に張り巡らされている血管がブツブツと切れていくような、鋭く激しい痛みだった。
はやてはその苦痛の最初に、あぎゃ、と大分女の子らしくない声を出してしまったことを認識できた。その後に、読書室どころか図書館全体に響き渡る、正に気が狂った叫び声を上げたのだが、その頃にはすっかり意識が混濁していて、ただ苦痛だけがはやての心を満たしていた。
【い゛だぃ!い゛だぃい゛だぃい゛だぃい゛だぃい゛だぃ、い゛だぃぃぃいぃぃぃぃぃいぃぃ!】
心の中で生まれる苦痛への叫びは、無意識の内に念話となってカイトの心の中に響き渡っていた。肉体的にも精神的にも、はやての絶叫は、愛する者の苦悶の声は、カイトの精神を削っていく。しかし、ここで手を緩めてはいけない。中途半端なリンカーコアの覚醒は、『闇の書』を目覚めさせる手助けをするだけだ。固く構成されたこの広域結界は、使い魔リーゼ姉妹と闇の書の介入を防いでくれている。しかし、それだっていつ、はやての魔力で内側から破れるか分からないのだ。
……はやて……
カイトの心の中は、煩悶と苦悩で一杯になっていた。はやてを自分のものにしようとする意志は、まだ揺れてはいない。しかし、白目をむいて、声にならない絶叫を上げながら、カイトがかけたバインドを解き苦しみから逃れようと、必死に上半身を動かすはやてがそこにいる。はやてが意識を失って楽になろうとしても、リンカーコアを顕現させるための術式の副作用で上手くいかないのだ。さしものカイトも、いや、はやてを愛するカイトだからこそ、自分のしていることの意味に疑問を感じざるを得なかった。
【もう゛い゛や゛ぁ! はやく、はやくわだじを゛を゛ぉぉ!】
……だが今は……できるだけ早く楽にしてやるしか……ない!……
手を震わせながら、それでも迷いを断ち切り、カイトは術式を最終段階に移す。激しく鼓動するはやての胸上に、何個もの魔法陣が展開した。それらは激しく光を放ち、はやての身体とそのリンカーコアの間に、一枚の壁を作った。そして、リンカーコアを手にしているカイトの右手が、勢い良く引っ張られ、リンカーコアが体内から完全に離れた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
はやての最後の絶叫が、室内に響く。それを最後に、はやての意識はぱったりと途切れ、汗と涙とその他の体液でベトベトになった身体は、車椅子の背もたれにのしかかった。
そして、カイトの右手に残されたリンカーコアは、光球の形を失い、白い光となって空中に舞い散った。それは、まるで清廉な冬の新雪のように、気絶したはやてと疲労したカイトに降り注いだ。
***
しかし、カイトの仕事はまだ終わっていない。はやての気絶を確認して早々、デバイスから『パラディース』への直接回線を引き出す。薄暗い倉庫の中ででその呼び出しに応答したのは、紫髪の若き天才科学者、ジェイル・スカリエッティである。彼は今、『パラディース』の倉庫内で、ある計画を目論んでいる。
「ジェイル。こちらは摘出と破壊に成功した。そちらの首尾はどうだ」
『ナンバー2ドゥーエからの報告だ。君と僕の予測通りに闇の書は転移を完了し八神家から姿を消したよ』
はやてが生まれた時からそのリンカーコアの大きさと魔力資質に目をつけ、転移してきた『闇の書』。それをはやてから引き離すためには、はやてのリンカーコアを破壊し、はやてから資質を無くせばいい。そうすれば、用なしとなった主を見捨てて、闇の書は新たなる主のもとへ旅を始めるだろう。それが、ジェイルとカイトの出した結論だった。結果は的中。少なくとも、これではやては闇の書の束縛から脱することが出来たのだ。
「で、どうだ。実験体の方は」
『まだ来ないね。流石に次元の海を超えると探知するのに時間がかかるか』
ジェイルは今、あるものが自分の目の前に飛んでいくのを待っている。それは、カイトがかつて言っていた「世界を遊び場にする計画」の重要な1ピースだった。二人はしばらくモニタ越しに顔を合わせながら、その結果を待っていた。
『む。少し待ってくれ………来たよ。確かに闇の書だ。実験体のリンカーコアに取り付いている』
「成功か! 良かったな、ジェイル」
そして、計画は成功した。ジェイルが作り出した、リンカーコア付きの肉体、通称『実験体』の魔力を探知して、闇の書が転移。頭も四肢もない身体だけの『実験体』を次代の主と認めたのだ。主の意思なしに起動しない『闇の書』は、これで永遠に覚醒せず、ただの本のまま停止することになる。
この事を考慮して、なのはとフェイトはジェイルのラボに避難していた。カイトもリンカーコアは持っているのだが、『闇の書』は魔力の高い、素質のあるものを見つけ出し転移する。『実験体』のリンカーコアの魔力はAAAランク。それを誘蛾灯にして『闇の書』を誘い出すのがカイトの計画だった。そのために、ジェイルを急かしてまで舞台を整えたのだ。はやてのリンカーコアが自然に覚醒するのは現地時間の6月4日。今は5月の初旬である。後一ヶ月遅れていたら、計画は成立し得なかったのだ。
『これでようやく次のステージに移れるよ。古代ベルカの秘伝を伝え今の世に呪いと怨嗟を撒き散らす闇の書。素晴らしく興味深い研究素材だ』
「それに、ヴォルケンリッター……お前なら、解析しきれると思うが」
『無論さ。時間はかかるだろうが、必ず私のものにしてみせる』
そして、ジェイルはこのロストロギアを研究することにしていた。闇の書へのアクセス方法は極めて限られているし、無理に触ると暴走し転生してしまう。しかし、ジェイルには自信があった。どんなに強固かつ危険なプログラムでも、それはあくまでプログラム。『無限の欲望』として生み出された脳髄が解決できないような物ではない。それに、『実験体』の持ち主はジェイルなのだから、『実験体』の制御にさえ成功すれば、もしかすると直接アクセス出来るかもしれない。
『しかし君こそ努力が必要だろう? 三人揃いはしたがまだ問題は残っているんじゃないか?』
「まあな。だがギル・グレアムに関しては最高評議会に申し立ててあるし、高町家にしても後三年すれば解決する。今のところは、すこぶる順調さ」
そうだ。これでやっと三人が揃った。今は遠くにいる高町なのはとフェイト・テスタロッサ、そしてカイトの目の前で眠っている八神はやて。ようやくここまで来たのだ、という感慨がカイトの胸をいっぱいにした。十年以上前、ふと前世の記憶から彼女らへの想いを引き出した時を思い出す。その頃のカイトは何処にでもいる新米魔導師で、管理局や民間会社に務め、ごく普通に生涯を終えるのだと信じていた。それが、次元世界を支配する評議会と取引をして、こんな場所で女の子三人を手篭めにしている。本当に、人生というのは分からないものだ。
『闇の書』の消失を確認したリーゼ姉妹が、慌てて主人へ注進しようとこの世界から去っていったことを確認し、ジェイルとの通信を切る。結界は既に解かれていたが、隅の目立たない読書室に人の影はない。転送魔法が展開され、カイトとはやては八神家の中に転移した。
***
「んぅー……」
はやてが自分の部屋で目覚めた時、既に日は落ち、夜の帳が降りていた。目覚めた直後の頭のぼやけか、それともあの激痛の衝撃か、その意識は少し朦朧としていた。その服装は寝間着に変わっていて、治療の時に流した汗も全て洗い流されていた。
……あれ?いつの間に夜になってたんやろ。確か私は図書館で、あの人の治療を受けて……
そこまで思い出した所で、意識が向いたのはその両足である。神経が麻痺していたはずの細い足は、のしかかる布団の感触をしっかりと脳に伝えていた。まだ動かすことは出来ないが、しかし間違いなく治っていた。
「わぁ……」
喜びが思わず声に出る。はやては晴れやかに顔を綻ばせて、久しぶりに心から笑っていた。諦観や悲観が消え去り、はやての生来もつ明るく前向きな気持ちが顔を出してきた。どうにもならないと思っていた壁を、カイトという男は壊してくれたのだ。
……あの人を嘘つきだと思うとったの、謝らなきゃいかんなぁ。あの人は、ホントのホントに魔法使いさんだったんや……
そして、彼の「好き」という言葉と、苦悩に歪む顔を思い出したその時、はやての脳裏を何かがよぎった。それは、自分を救ってくれたカイトに対する感謝と、淡い恋心だった――しかし、それだけではなかった。リンカーコアを壊されるときに感じた限りなき苦痛。自分の大切なものを壊された感覚も、確かにあったのだ。それは、はやてにとってトラウマにもなっている。この、正負2つの感情が交じり合い、はやての幼い精神は揺れた。
……あの痛み。心を引き裂かれて、バラバラになってしまうような、あの痛み……あんなの、一生忘れられへん……でも……
例え、その痛みを与えたのがカイトだとしても、呪いを打ち消しはやてを救ってくれたのもカイトなのだ。
……あの痛みが、私を救うてくれたんや……私はカイトさんに壊されて……それで初めて、こんなに幸せになれたんや……
その思いが、はやての心の中に、一つの観念を芽吹かせた。それは、はやての気づかぬ内に心へと根を張り、侵食し始めていた。
ガチャリとドアが開き、カイトが入ってきた。彼が手で押していたのは、はやての車椅子。
「はやて、もう起きていたのか。具合はどうだ、大丈夫か?」
「あ、はい、もうすっかり。足の方も、ちゃんと治ってます」
「そうか、良かった。まだ動かせないと思うが、それはリハビリすれば元に戻る」
お腹も減っているだろう、とカイトははやてを車椅子に座らせ、リビングまで赴いた。そこにあった店屋物の出前を、二人であらかた片付けた所で、カイトは改めてはやてと向き合う。
「はやて。すまない。私の自分勝手で、君のリンカーコアを潰してしまった」
「いえ、謝らなあかんのはこちらです。私、あなたが嘘をついてると思うて、大変失礼なことをしてもうて」
「それはいい。こちらとしても、元から信じてもらおうとは思わなかった」
しばらく謝り合った所で、お互いその不毛さに気づき、ふうと一息をつく。そして、話を切り出したのはカイトだった。
「はやて。君の中にある『闇の書』は消えた。呪いは消えて、君の足は動くようになったのだが、そこで一つ提案がある」
カイトが言うのは、これからのリハビリをこの世界ではなく、カイトの持つ次元航行船『パラディース』でやってほしいということだ。どちらも設備や効果に違いはないのだが、折角治したのだから、最期まで面倒を見たいという。
その提案に、はやては同意した。今更病院に戻る必要もない。というより、石田医師への感情よりも、カイトに対する感情の方が遥かに強く、そして強制力のあるものだったからだ。その感情が何か、まだはやてには分からなかったが、少なくとも、今まではやてが感じたどんな情念よりも強く、熱いものだというのは確かだった。
……私、この人について行きたいって思っとる。この人に付いて行けば、きっと良くしてくれるって……この人は私を、大切にしてくれるから……
カイトの気づかない内に、はやての心はカイトへと寄りかかっていった。『意識操作』を使ってはいなかったが、はやてはカイトに依存心を抱き始めていた。
「向こうには、君と同じくらいの年頃の子供がいる。きっといい友達になれるだろう」
「そうですかぁ。それは、楽しみやなぁ」
カイトの話では、『パラディース』は次元の海に浮かぶ遊覧船で、そこにはカイトの他に二人の女の子と、一匹の使い魔だけがいる。他はみなロボットで、広い船内で数人だけが生活しているという。それが、はやてには浮世じみた光景に感じられ、また、かつて見たファンタジーの本にあるような、幻想的なものにも見えた。用意されていた転送ポートに乗り込み、『パラディース』へと転移する最中、今までとは全く違う暮らしを想像し、はやては期待に胸を膨らませていた。
難産でした……。
アイデアは最初から思いついていたのですが、表現するには随分苦労しました。