7月25日 ウランバートル ソ連軍司令部
「………凄まじいな」
「……申し訳ありません」
報告を聞いたジューコフがそう呟くと、報告に来た士官が謝罪した。
「いや、君の責任ではない……しかし、日本軍の守りは相変わらず固いな」
「はい…鉄条網とピアノ線の組み合わせは絶大です。これを排除する為、切断しようと工具を持った者は狙撃される為、誰も何も出来ません…ですが、やれる事は敵防衛線へ人海戦術での波状攻撃のみで…」
「ううむ…」
士官の言葉に苦い顔になりながら唸るジューコフ。
本来なら、強固な防衛線には旅順要塞攻略の様に大量の各種火砲による集中射撃、または航空戦力による空爆、その両方を実施するのが『セオリー』である。
だが……
「火砲と航空戦力の回復状況は?」
「進んでおりません。やはり、制空権を握られている状況では…」
「やはり…か」
予想通りの答えにジューコフは溜め息を吐く。
その『セオリー』を『出来ない』理由は『既にやって失敗している』からだ。
「敵航空戦力の増強具合は?」
「日本大使館からの未確認情報では、日本本土の航空部隊は粗方移動しているそうで…陸海軍問わず、の様です。それを示すかの様に、現場での投入数が日を過ぎる毎に増加しつつあります」
史実と違い、支那事変を抱えていない日本帝国陸海軍は現状ソ連に互角以上に対抗出来る航空戦力を一部を除き、訓練・錬成部隊すらも満州方面に派遣していた。
そして、ローテーションを組ませ、訓練・錬成部隊を防衛線上空・前線後方の警戒・迎撃にあたらせる事によって、一線級部隊による事前迎撃を行わせていた。
また、この事前迎撃を行わせる為に『防空監視網』の構成が行われていた。
と言ってもレーダーのない現状では既存の偵察機や地上の偵察部隊、前線の防衛部隊、地上設置の空中聴音機による情報を無線・通信機で繋いで『飛来を報告』するだけの『有り合わせの寄せ集め』である。
しかし、その『概念』を作る事、そして、『最初から高度な事は求めない』事で基礎を確定させる事にしていた。
よって、ソ連軍機編隊接近を聞いた陸海軍戦闘機隊が司令部から流される『飛来通知ラジオ』を聞いて効率良く迎撃出来た。
無論、これを成すためにはイギリスより技術指導を受けて性能・品質・生産性を安定させた『航空機用無線機』を全機種全機に配備する事が出来たからこそだった。
特に陸軍は今回が勝負処であった為に、陸海軍の垣根どころか、軍民の垣根すら取っ払って各種通信機器、並びに通信系統の改善に乗り出していた。
これらの結果がこうして出ていた。
また、ソ連大使館が情報を拾えないのはゾルゲ事件後、日本帝国自身がより一層監視を強めており、今やソ連大使館は新聞と噂話でしか情報を拾えていないからであった。
そして、その増強された航空戦力が制空権を確保し、昼夜問わずソ連軍部隊、補給路とその補給路を使って移動する火砲や補給物資を軒並み吹き飛ばしていたからだ。
「うーむ……航空戦力の増強は無理だろう…いや、地上戦力を含め、現状が限界だ」
「何故ですか!? それこそ、ヨーロッパ方面から回せば…」
「君も我が国土の事はわかっている筈だ。いくら航空機の移動速度が速いと言っても、国の端から端へと行くには時間が掛かる。それに今のヨーロッパ情勢は我が国にとって微妙な状況だ。安全を確保する為にも、相応の戦力がヨーロッパ方面に必要だ」
無論、それは事実であり、建前であるのもジューコフにもわかっていた。
ジューコフくらいの人間であれば、否応なしに『政治』と言うものに関わらなくてはならず、欧州方面から戦力を引き抜けない『真の理由』も知っているのだ。
「火砲の移動は? 夜間に動かせているんだろう?」
「ダメです。対戦車砲や野砲なら何とかなります…ですが、重砲となると手間が掛かります。更に日本側は此方の動きを察したらしく、夜間にもハルハ河を中心に空爆を開始したので、更に移動機会が減っており、輸送計画は頓挫状態です」
「火砲がそれなら…弾薬を含めた補給物資の輸送状況も察せられるな…」
「はい……故に、最前線は物資不足が顕著に現れています…」
「うむ…現状の打開どころか、現状維持すら危ういか…だが、この状況を変える手法は我々にはない。そもそも、敵は此方の手の内を知り抜いている。対し、此方は何も解らんし、何も出来ん…か」
何とも暗い話ばかりにジューコフは溜め息を吐く。
それを見た士官が気まずそうに話を続ける。
「実は士気の話になりますが……これはあまり公言しづらく、政治将校の前では話せないのですが……」
「なにかね? 今なら大丈夫だから、言ってみたまえ」
「はい…前線では『戦闘に紛れて投降している者が多数いる』との噂話が…」
「……確かに、政治将校の前では言えんな」
士官の言葉にジューコフは予想出来た事に溜め息すら出なかった。
その頃 ノモンハン
「いや~、参った、参った。降参、降参するよ」
周囲を日本兵達に囲まれた中、おちゃらけた調子で降参する既出(第32話)の車長。
鉄条網やピアノ線の隙間を上手い事見付けて前進し、防衛線の塹壕まで辿り着いたものの、歩兵は誰もついて来ていなかった挙げ句、対戦車砲で走行装置を破壊され、その余波で塹壕へ落ちてしまい、どうにか乗員と共に脱出したものの、手遅れだった。
「車長殿、これはマズイのでは…?」
「大丈夫だ。彼方の会話を聞いている限り、手荒な真似はしないさ」
ドライバーの問いに件の車長はおちゃらけた調子で言う。
「……まさか、車長、日本語が解るんですか?」
「うん、まあ…スペイン内戦に派遣された時、向こうで仲良くなった日本人が居てな…料理人で、日本の一流ホテルに居たこともあったそうだが、その時にな……まあ、食糧車がスタックして、助けに行こうとして死んじまったのは奴らしいと思っちまったがな」
装填手の言葉に何処か物悲しそうに車長は言った。
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