その日から朝からベッドの上で、震えるほどの性感に襲われるようになった。あのリングが彼の替わりに24時間私をなぶり犯し続ける。意識がある時はいつでも、リングが舌や頬の内側や上顎の裏をかすめるだけで身体がガクガク震えるような発作のような高まりが襲ってくる。声を自分の手で塞ぎ押し殺す。身体が開ききって片時も性感が途切れることがない。息が苦しい。胸を掻きむしるほど。絶望と愉悦の渦に飲み込まれて息ができなくなる。海で溺れているような。窒息する。酸欠で指先が痺れてくる。このままいけば死ねるのかも知れない。死にたいのだろう? 怖れることなどないのに。
やがて臨界点がやってくる。意識がなくなる。気を失うのだ。それ以外にこの地獄から逃れることが出来ない。ナースにも医者にも気づかれずに悶え苦しみ、気を失う。1~2時間で意識が戻ってくる。なにもなかったように昼食が運ばれ、やっとの思いで半分ほど手をつけて終わる。すでに味わいながら食べるという行為は失われた。私の舌はもう食べるためにあるのではない。私の舌は性器だ。銀色の異物が頬をかすめるたびに耳の中で彼の囁く声がする。お前の口は食べるためにあるんじゃない、と…
私は完全な彼の犬になった。両方のリングに彼は細い鎖をつなぎ、舌を引き出す。声の出ない私ははあはあ喘ぐだけ。本当の犬のように舌を出して、はあはあと喘ぐだけの家畜になった。舌が引かれるたびに気の遠くなるような愉悦が襲う。あまりの快感に涙が止まらなくなる。よだれが口の端から流れ、知らないうちに何度も放出している。彼は私の口にそれを流し込む。白く生臭い体液にまみれた私の舌を、更に彼は二本の指でゆっくりと入り口から喉の奥までまさぐり、かきまわしてもみしだく。舌を引き出されたまま、唾液と生臭い体液を口のなかでぐちゃぐちゃにかきまぜられて、唇がどろどろに汚されていく。彼の指が口の中の粘膜と舌の感触を気が済むまで執拗に味わい続ける。波のように襲ってくる愛撫の快感に、身体の痺れが止まらない。エサをねだる犬のように鼻を鳴らして吐息で喘ぐ。彼の指づかいが激しくなってくる。
(恥ずかしい家畜だな! 奴隷のお前にはお似合いだよ。鎖も…この恥ずかしい姿も)
耳元で彼が上ずった声で囁く。彼の吐息が耳をなぶるたびに、頭の中が腫れたように痺れて疼く。
(お前は鎖でつながれた犬だ。エサをもらえて嬉しいだろう? こんな恥ずかしくて臭いエサを欲しがるのはお前だけだ…家畜!)
その言葉に一気に愉悦が膨らみ暴発する。下腹部が灼熱で溶かされる。熾火を仕込まれたような深い熔岩のような、滑らかな高温の熱に犯され続ける。気が狂ったような愛撫と、狂ったように応え続ける私の淫器。
(こんないやらしい反応を誰が教えたんだ? 言ってみろ…犬…お前の体にこんな淫らな刻印を誰が刻んだんだ? 初めてじゃないだろう? もう前からたまらなかったんだろう。俺に感謝しろ! お前を救ってやったんだ! こんな淫乱な犬…どうしようもない。役立たず! 役立たず! 俺にひざまずけ。服従しろ。壊して人様の前に出られなくしてやる!)
もうすでに夜が待てなくなっている。ナースコールを押してしまいそうになる。彼を呼べば何をしてくれるだろう? 耐えられなくなるのを待っているかも知れない。私が犬のようにはぁはぁしながら鼻をならして、犯して下さいと懇願するのを待っているのかも知れない。昼間の彼の無関心さは全く変わらない。深夜以外は無視だ。毎日毎日地獄が度を増してくる。苦しい。ただ苦しい。自分を助けるすべがない。動機も、死ぬ気力も、生きる気力も、この行為を拒むことも、何も…
夕闇がせまる。夕食が始まる。自分が家畜以下に見える。食物のほうが私より神聖だから…私は汚辱にまみれている…ただの性奴。
日に日に痩せていくのがわかる。緩慢な自死…それもまたひとつの解放…だが夜が深くなり消灯の頃には、私は彼の薬を震える手に乗せて、ジャンキーのように流し込む。そして震える身体を自分で押さえながら、ひたすら催眠剤が効いてくるのを、そして彼がやって来るのを犬のように待っている。自発的なめくるめく熾烈な悦楽の渦。快楽で苦しい…のか、苦しいから快感なのか…もうわからないこんな淫火の中では。地獄の火をこの世に? ああ…悪魔が鬼火を分け与えに来た。淫器があかあかと燃える。辛い…熱が辛い…
この一時だけ全ての苦痛を忘れる。この一瞬だけ、たったこの一瞬だけ、全ての苦痛を忘れかける!
その日私はとうとうナースコールを押した。初めてのことに担当のナースが驚いて飛んできた。私は嘘をついた…頭が割れるように痛いと。すぐに担当医が呼ばれ、私にいくつかのルーティンな問診をし、血圧を計り、鎮痛剤を注射した。私は枕の下に用意していたメモを、ナースに見られないように彼の白衣のポケットに滑り込ませた。彼はチラッと私の目を見てナースに指示を出し、すぐに病室から去っていった。
“昼も犯して”
彼はメモを読むだろうか…私の狂気に気づくだろうか…
抱かれたい…抱かれたい…抱いて…抱いて…抱いて抱いて抱いて…
あなたが望んでいたように壊れたのです。早く来て下さい。そしてもっと壊して下さい。二度と立ち上がれないように。
私が要求を持つ。なにも望まなかったこの私が。彼は悪魔かも知れないが、そんなものに救われる者もいるのだから…
彼は再び病室に姿を現した。ナースを追い払い、彼はドアに鍵を掛けた。振り向いた彼は笑っていた。手には細い注射器を持って…
私は初めて自分から彼にすがりついた。跪き腰を彼の脚にこすりつけ、夢中で彼の手に唇を押し当てた。そして自然と私は舌を出していた。彼に銀色のリングを差し出すように。早く…早くして…! ああ…気が狂う気が狂う気が…
「もう駄目です…」
私は彼を見上げかすれた声で告げた。彼は微笑みながら口を開いた。メモを見たよ…とうとう駄目になってしまったな。そう言うと彼は汚物のように乱暴に私の手を払いのけ、私の髪の毛を力の限り鷲掴みにした。引きちぎられるような痛みに顔が歪み喉からうめき声が漏れた。
「どうかな?」
彼は笑い顔のまま私に話し続けた。君のような役立たずは死んだほうがマシだが、僕が親切に奴隷にしてあげた。役立たずの家畜が自分の意志を持ってどうする? まるで恋人気取りじゃないか。とんだ錯覚だな。安心しろ。家畜には要求する権利などない。無駄口が叩けないように、昼も眠らせてやる。犯されたくて犯されたくて気が狂いそうなんだろう? もうほんの少しも我慢出来ないんだろう? ありがたく思え。それとも狂ったまま、毎日夜中までのたうち回りたいか?
悪魔のような冷血な目が私を見下ろしていた。その目に私は初めて戦慄した。人…じゃない? その瞬間、腕に直角に突き立てられる針。
「うあぁっ!」
私はその痛みに耐えられず思わず苦痛の声を上げていた。
「ベッドに戻るんだ」
腕に注射器が突き立てられたまま髪の毛を掴まれて、ベッドまで引き摺られていく。完全な嗜虐。やはり人ではない。私も、そして、あなたも…
薬はすぐに効く。静脈に直接鎮静剤が入る。朦朧とする間もない。眠ったのではない。意識を失った。
長い夢を見ていた。誰かに追われている?
落下落下落下…
何処だ? 此処は…
暗い。鬼火が…
夜の砂浜だろうか?
口の中から砂が溢れてくる
とめどなくサラサラと
黒い生き物に腰を抱かれている
それから逃れられないのがなぜかわかっていて…
腰から溶けてしまいそうな性感に、絶望感が身体中に満ちてくる
彼が去っていくのが見える
待って
待って
待って…
砂が…体を埋めていく…
拒絶されて私は思い知った。微かに生きようとしていたことを。無意識に救いを求めていたことを。でもそれは自分の中の奥深くに封印した、微かな願いだった。微かな期待と意志は暴力的な拒絶と支配によって、もうそれ以上私が何を望んでも完全に無駄なことを思い知らされた。
あの日だ。海に入って死にかけたあの時、あの抱きしめられた身体の温かさが絶望と諦めで塗り固めた心の壁に、僅かに亀裂を入れてしまった。その亀裂から私は見てしまった。求めていたことを。心が凍えて死にかけていたことを。倒錯した担当医が私の心を動かしたわけではないのだ。あの温かさの替わりを無意識に求めた…悪魔に肉体に心が寄り掛かった。ただの松葉杖、だったはず。だが無意識に求めた。その残酷さだけが激しい絶望として打ち込まれた。みぞおちに叩きこまれた拳のように、息が止まりうめき声すら出ないほど。心の奥ではこんなにも求め、そしてこんなにも失われたまま諦めまで失い、期待すら奪われた。ひとはこんなにも何かにすがらなければ、生きてはいけないのだろうか。こんなにも…
今なら死ねるだろうか? 気力さえあれば? 終わらせられるのだろうか? それが答えだろうか。それ以外に、答えなどあるのだろう…か…
絶望と拒絶のあと、私の心の中で再び死は色を増した。死が色濃くなるに従い私は食事をうけつけなくなった。やつれきった身体と砕けた心に発作が追い打ちをかける。全身の痙攣、終わらないオーガズム。昼に担当医が鎮静剤を打ちにくる。嗜虐の笑みを浮かべ、私を汚物のように見下しながら、一言耳元で囁く。
…役立たずの…家畜
そんな侮蔑を受けながら乱暴に打たれる鎮静剤の痛みに、私は毎回涙を流し悶えた。もう鎮静剤は嫌だ。致死量の毒薬を下さい。そんな願いも半ばに意識が途切れ、目が覚めるといつの間にか栄養剤の点滴が腕から流しこまれている。衰弱死すら今の自分からは奪われている。
辛い。全身を薄くカミソリで削がれ、血だらけになっても死ねはしない。そんな心の中の拷問が再び始まる。それに応じるかのように真夜中の凌辱の狂宴は、更に暴力的になり嗜虐を増していく。生きも死にも出来ないように。それが悪魔のやり方。悪魔? 自分自身のことかな…
いつもと同じ朦朧とした意識の中で、声の出ない口の中いっぱいに画鋲が詰め込まれていく。口に五本の指を押し込まれて、顎が裂けるかと思うほど乱暴に喉の奥まで犯される。もうあれ以来毎回のことになった。口いっぱいの太い医薬品のビンが、口腔に何度も押し込まれ犯される。舌に絡まったリングが絶え間なく鳴り続け、口の中が切れて血まみれになる。口と鼻を両手で無理矢理押さえつけ、窒息させられる。
いつからか彼は私の口を便器がわりに使い始め、わたしの唇に彼の尿道をあてがい喉にむけて排泄した。むせかえる私の頭を押さえつけ彼は笑った。
(…この便器。使い物にもならない。便器以下だな…ゴミみたいだ)
そう言われ私は絶頂をむかえる。その体液をいつも通り口に流し入れられる。彼の尿と自分の体液が混じる。彼はその中に唾を吐く。鼻と口を押さえつけられているのでそれを飲み下すしかない。汚されるままに汚されていく。
(汚い便器だな。汚物が汚物にまみれて)
彼は言葉と靴でも私を辱しめる。彼がわたしの顔を靴で踏みにじる。舌で靴を清めるように命令されても、私の体は悶え続けている。激しい苦痛と汚辱の中ですら…
完全な崩壊、もうなにも望まない。死…以外は。
ただただ打ちのめされる。感覚だけに支配される。理性の入り込む余地がない。
苦しいの?
快楽なの?
どちらも
どちらも
もうわからない
死にたい
死にたい
殺して下さい
殺して
殺して
(苦しいの?)
頭の中で誰かが囁く。ああ…まだ期待してる。自分が被虐の奴隷だと認められない。まだ人でいたい、と。
人としての尊厳? 奴隷の快楽に震えている自分をどこかで拒絶している? なんのために? あの医者の言う通りじゃないか。なんの役にも立たない。社会のお荷物。無駄な命。家畜以下の、食料にさえなれない、棄てられるのを待つ汚物。この舌に埋め込まれた刻印が、さらに私から全てを奪う。私はあの医者にとっても奴隷以下だ。汚物として棄てられるはずだった。死すら与えられず
これが価値のない人間。いや人間でもない。尊厳とは笑ってしまう。なにを期待して? 無意識に自尊心に寄り掛かって気づかずにいる。なにもないと思いたくない。なにもないなら生きている価値がないから。
でも、もう、生きている価値はないんだよ。
じゃあ、苦しむ必要は…?
一切ない。一切…ない。
なにもないんだから…
そう、なにもないんだから。
なにも…ないんだ…
存在価値も、自尊心も…
それはある意味、発見だった。記憶を無くし、自分が誰で何処から来たのかもまったく分からないまま。だけど、心は自分が存在する理由を、こんな自分でもこの世に存在して良いという理由を、いつの間にか探していたのだ。ないものを探していた。
過去の記憶さえあればすべて取り戻せるのか…良い大学を出て、一流企業に就職していて、将来を約束されていたのか、それとも犯罪にでも手を染めて、追われていたのか。取り戻した記憶が自分にとって都合のいいものかどうかなど、そんな保証など一切存在しない。思い出したくないから、思い出せないのかも知れない。今のほうが幸せかも知れないような過去?
わからない。私には確かなものはなにもない。欠落ではない。なにもない。なにもなかったのだ。脳のたった一部の障害で人生は恐ろしいほど簡単に、絶望の中へ裏返ってしまう。そんな不確かなものに支えられて人は生きている? まるでこの大地がひび割れることを知らないかのように! 記憶とはなんだろう。それはもしかしたらこの私よりも私であるものなのか? 私自身が置き去りにされるほど。記憶は自分として刻まれ、それに人は疑問を抱かない…一切? 否、疑問は起こさない…それはこの世で生きていく為の保証。疑わない…それを失うまで。
私はそれをなくした…私は自分自身をなくした!
カチリ…
口の中でリングが歯に当たる音が耳の奥に響く。あ…あ…また…発作が…
性感が一気に身体を支配してきた。震える身体…押さえても止まらない。左右の銀色の輪が交互に口蓋を犯す。そのたびにびくんと背中が反り返る。舌に固いリングがまとわりつく。微かな正気が快感の中で磨滅する。堪らず口に指を突っ込む。唾液で滑るリングは指をすり抜ける。
取って…誰か…これを…
異物に引きつれた舌が痺れて疼く。駄目…駄目だ…身体に刻まれているんだ。なにもないのに。自分すらいないのに。感じるんだ…
感覚
かんじている
ああ。なにもないのに感覚だけある。感じないことは出来ない。感じないふりしかできない…
からだ を かんじて いる
それはいままでのかんかくとちがうかのように、わたしのむねにせまってきた。かんじたことだけ、かんじたことだけしかない。かんじることだけが、ある。わたしに残されている。
それは不思議に苦しみではなかった。純粋に感覚が身体を駆け抜けていった。快楽の頂点に達したかのように。
なぜならば、エクスタシーに突入したまま、快感がなんの歯止めもなく高く高く吹き上げられて…
まるで光のようで
それは まるで 光のような
微笑むと 笑い返して
まるで乳飲み子のように
ああ
自分を眺めている
なにもない
赤子のように
なにももたないで
この世に産まれてきて
やっぱり持ってなかった
いくつになっても
どんな刻印を刻まれていたとしても
このからだ
可愛い
無邪気な光だな
味わって
動いて
羽ばたいて
高みに飛翔して
壊れても
なにも変わらないで
変わりようがないから
味わって
動いて
まるで
踊っているような…
…羽音
…天使?
…エロス…?
知らないうちに、いつの間にか眠っていた。
私は眠りつづけた。夜になっても私は深くて長い眠りの中にいた。彼が来たのも覚えていないほどの、久々の深い安らかな眠りだった。どれくらい経っただろう。気がつくと朝になっていて、警察が来ていた。久しぶりの事情聴取だった。
何か思い出したことは?
いえ…なにも…
私は微笑んでいた。
いいえ。なにも…