食堂に行くまでの間に昨夜、酷使された局部に鈍い痛みを感じ始めた。今まで麻痺していた感覚が戻ってきたようだった。妙な歩き方に見えないように、ゆっくりと食堂まで移動する。扉を開けると、声が聞こえてきた。
「ちょっと、せめて道具だけでも元の位置に戻してくれませんか?」
ドレスローザの王宮では、それまでの船の生活同様、料理担当はマリアを除くファミリーがローテーションで分担していて専門の料理人はいなかった。(マリアは控えめに言って少し味覚が特殊、正確に言えば全て激辛の味付けなのでローテーションから外されていた)
なので船には幹部たちに依頼してスカウトした、ドレスローザの飲食店の料理人を雇ったのだ。
その料理人が懇願するように船の乗組員に言っている。それに対し乗組員たちは、食器やら調理器具などを乱暴に棚から取りだし、あちこちから紙を見つけ出しながら、鼻でせせら笑って答える。
「若様のご命令なんだよ!この船を、隈無く探せってな!」
マリアはため息をつきながら、乗組員を諭すように声をかけた。
「もし彼が道具を探すのに手間取った挙げ句、食事が遅くなって若様のご機嫌が悪くなったとしたら、その理由を伝えますからね」
ギョッとする乗組員の間を、威圧する風を装ってゆっくりと縫うように歩き、適当に選んだテーブルにつきながら、マリアは料理人にコーヒーをいれてくれるよう、頼んだ。
マリアの言葉を聞いた乗組員たちは、そそくさと食器や調理器具を 元の場所に戻し始めた。その様子を眺めながら、マリアはコーヒーを持って来た料理人に礼を言いつつ、話しかける。
「確か、ファミリーの幹部のお知り合いの紹介だったわね。この船に来てくださったのは」
「はい。身体を壊しましたけど、運がいいことに体調は回復しました。が、そろそろ料理人としての復帰に向けてカンを取り戻そうと、キッチンにたち始めたところに話が来まして。その間は代理のコックに店を任せようと決めました。何しろ国王のドフラミンゴ様の食事を用意できるなんて、名誉なことは無いもんですから二つ返事で引き受けたんです」
料理人は嬉しそうに口を開いた。
マリアはコーヒーをすすりながら考える。
彼の雇い主となったドフラミンゴは、食に関して特にこだわりはない人物だ。パンが嫌いだの梅干が嫌いだの、子供のような好き嫌いを言わず、出されるものは文句を言わずに口にする。(マリアが初めて作った激辛料理も、幹部たちが一口食べて大騒ぎするなか、淡々と口に運んでいたが、マリアに自分の作った料理を試食させ、何を騒いでいるのか分からないといった彼女の表情で、マリアの味覚が世間と異なっていると気付き、ローテーションから外したのだった)なので、料理人の彼が苦労することはないだろうとマリアは思った。(ちなみに、彼女の嗜好を知っていたモネは、その事実を言葉で証明できないことが分かっていたので、止めることなくマリアに料理を作らせていた。多少、面白半分といった感じではあったが)
「…。若様は美味しいものを食べても、美味しいって言わないから、作り甲斐がないかもしれないわよ?」
料理人として、あえて言われたくないだろうことをマリアは口にする。しかし、料理人は反論してきた。
「私には感想など不要です!国王様に召し上がって頂けるだけで、名誉なことなんです!」
国王として人気のあるドフラミンゴの評判を、わざわざ落とすことはないと判断したマリアは、ドフラミンゴが口に合わない料理でも文句を言わずに食べることは、口には出さなかった。
そして偽りの笑みを浮かべ、マリアは料理人の耳に心地よいであろう言葉を口にする。
「そんなことを言ってくださって、こちらこそ感謝するわ。若様にはあなたが言ってたこと、伝えておくわね」
ちなみに今日のドフラミンゴは要請書を探すことを最優先とし、食事を最低限で済ませようと考えたらしく、船の乗組員達に軽食を運ばせていた。
どこにいても邪魔者扱いされるのは目に見えていたので、マリアは終日、食堂で料理人を話相手にして時間をつぶした。乗組員たちは入れ替わり立ち替わり、時間を惜しむように食事をしていく。
リミットの日の入りまで、まだ時間があったが、外が暗くなってきた。海が時化てきたのだ。雨も降りだしたが、ドフラミンゴは捜索を止めようとはしなかった。
(ホント、執念深いわね…。)
キッチリ朝食と昼食をとったマリアは呆れながら、食堂に姿を見せないドフラミンゴの心配をする料理人をなだめていた。
「若様は何かに集中すると、それ以外のことは最低限しないの。邪魔すると機嫌が悪くなるから、放っておいた方がいいのよ」
「でも、何か口にした方がいいんじゃ…?」
「大丈夫。乗組員の人たちに食べ物を運ばせていたみたいだから」
「でも…」
マリアは料理人を安心させるように説明する。
「国王としてはともかく、プライベートになると子供みたいになるのよ。若様は。でも、内緒にしておいてね?」
「それは構いませんが…」
それでも気掛かりな様子の料理人に、さらりと言いつのる。
「まあ、国王としての責務をそれなりに果たしてるから、大目に見てくれると助かるわ」
「それなりに、だなんて!とんでもない!…。分かりました。人間、一食二食抜いても生きていかれますからね。私などが国王様の心配するのは、不遜なことでしょう」
自分を納得させるように、料理人は言葉を発した。
そろそろ日の入りの時刻になるが、海はますます荒れ模様となり、船は大きく揺れ動いた。局部の痛みも治まってきたので、あちこちを探しまわっている乗組員を適当に捕まえ、日の入りの正確な時間を聞く。
「ここら辺は18時27分ですが…」
乗組員は言葉を濁した。
「ですが?」
「約束をした地点での時間は38分だったはずだと…」
思わずマリアは吹き出した。執念深いと言うより、セコい。
「若様がそう言うなら、それでいいわ。でも、風邪をひかないようにしてね」
マリアはそう伝えると、幹部たちの広間で彼を待った。
しばらくすると、ずぶ濡れのドフラミンゴが現れた。苦虫をつぶしたような表情だ。あちこちに着ている服を脱ぎ捨てると、幹部専用のバスルームの扉を壊れそうな勢いで開閉する。シャワーの水圧も最大にしているような音が聞こえてきた。
(当分、機嫌は直らなそうね…)
マリアはため息をつきながら、脱ぎ散らかした服を拾い上げた後、ドフラミンゴの部屋に着替えを取りに行く。
水音の聞こえなくなったバスルームの扉から少し離れてマリアが立っていると、水を滴らせてバスローブを羽織っただけのドフラミンゴが出てきた。
マリアが差し出した着替えを床に投げつけ、無言で自分の部屋に向かう。マリアは水浸しの床を落とされたドフラミンゴの着替えで拭いた。
その気配にドフラミンゴが振り向き、冷酷な声を出す。
「おい。俺の服で床を拭くな」
マリアはにっこり笑ってみせた。
「どうせ洗いますから、少しくらい汚れても大丈夫です」
「チッ!」
盛大な舌打ちをしてドフラミンゴは、少し開いていた自分の部屋の扉を力まかせに蹴りつけ部屋に入る。最悪の気分だった。
依頼書は見つからないうえ、久し振りの船に加え荒れた海のせいで揺れが大きく、船酔いに襲われたのだ。それをマリアに気付かれないよう、ライティングチェアに乱暴に腰を下ろし、デスクの上に足をドカッと置く。
着替えはすぐに水を含み、雑巾代わりにならなくなったので、マリアは本物の雑巾で床を拭きはじめた。
広間と彼の部屋の床を拭き終えると、今度はバスタオル2枚を手にドフラミンゴに近付いた。1枚はデスクに置かれた足の下に敷く。
はだけたバスローブをみぞおちから腿にかけて重ね合わせ、チェアの背もたれの後ろに立ったマリアは、もう1枚のバスタオルを手にサングラスにかからないよう、注意しつつ丁寧に彼の頭を拭いはじめた。
短髪のため、すぐに水気はとれた。次にバスローブから露出している手足も拭きはじめる。その間、マリアは敢えて言葉を発しなかった。
「おい。ゲームは終わった。本物の依頼書はどこだ」
このうえなく不機嫌な声でドフラミンゴはマリアに問いただす。
マリアは再び微笑んだ。
「その手には乗りませんよ。若様。今、本物の依頼書を渡したら絶対、破棄されるに決まってるじゃありませんか」
その言葉にドフラミンゴはこめかみに青筋を浮かべる。
「あれを海軍に渡さねェと、依頼を引き受けたことにはならねェ。さっさと出しやがれ」
「若様が依頼書を破棄できないよう、海軍の方のいるところで若様にお渡しします。それまでは決して若様の目には触れさせません」
ドフラミンゴは最高に気分が悪くなった。
が、考え方を少し変えた。
幹部たちはドフラミンゴの言葉に絶対服従する。
しかし、マリアはファミリーにとって得策だと思われることを最優先させる。それが例えドフラミンゴの意思にそぐわないことであっても。
今回のことはいい例だ。
ドフラミンゴにとっても、彼が世界政府や海軍の言いなりになっているのではなく、マリアに苦言されて仕方なく従っているとファミリーに納得させられることができる。
それに今回は、つまらない会議などではない。場合によっては白ひげの首を捕り、今まで以上に海軍に貸しが作れるかも知れない。
多分、不可能だとは思うが、どさくさ紛れに隊長クラスの人間を拉致し、ファミリーに迎えられれば儲けものだ。
「勝手にしろ!」
ドフラミンゴは鼻を鳴らして言い放った。
その言葉で依頼書の件に関しては、了承したものと判断したマリアは、話題を変える。
「まったく…。雨の中で長い時間、外にいたら風邪をひくじゃありませんか。顔色が良くないですよ。若様」
顔色が良くないのは船酔いのせいだが、それは黙っておく。
水気を含んだバスタオルを無造作にデスクの上に置くと、マリアはおもむろにドフラミンゴの額の生え際の髪を押さえつけ、前髪をかきあげた自分の額を彼のそれに軽くあてがい呟く。
「ちょっと微熱っぽいかしら…」
頭突きを受けるのかと身構えていたドフラミンゴから、さっさと離れたマリアはバスタオルを手に扉の方へと歩いていった。
「薬と温かいお腹にやさしいものを持って来ますから、ベッドに入っててくださいね」
扉を閉める時にそう言い残すと、マリアは部屋を後にした。
一方、そんな熱の測り方をしたことはもちろん、されたことがないドフラミンゴは、しばらくの間、硬直していた。
ドフラミンゴは決して弱味を表に出さない。もし本当に風邪だと本人が思ったら、全力で否定しただろう。そのことに気付いたマリアは船酔いを疑った。彼女自身もドフラミンゴを迎えに行くまでの間、船酔いに悩まされたからだ。が、そのことについては指摘せず、素知らぬ顔でドフラミンゴの部屋を後にした。
バスタオルを他の洗濯物の中に放り込み、食堂に顔をみせたマリアは、料理人に注文をした。
「何か温かくて、お腹にやさしいものを作ってくださる?若様がちょっと風邪気味みたいだから」
それを聞いた料理人は顔色を変えた。
「国王様は大丈夫なんですか?」
「こんな雨の中、濡れ鼠になっているから、自業自得だわ」
料理人はマリアに批判するような表情をみせた。
「そうさせたのは、マリアさんじゃありませんか?」
「あら。でも、雨に濡れないように船の中を探すこともできたはずよ」
船には密輸品を隠す場所が貨物室だけでなく、あらゆる船室にあった。
「ドフラミンゴ様は自分だけ楽をされる方ではないでしょう?部下の方たちだけに雨の中を探させるような方ではありませんよ」
「…。そうね。でも、こんな天気になるなんて予想してなかったから…」
ドフラミンゴの所業に疑問を持つ人間は、シュガーの能力で存在と同時に人々の記憶からも消し去られていた。なので、残っているのは料理人のように10年前同様、ドフラミンゴを崇拝している者だけだった。
「まあ、それはそうでしょうが…」
渋い顔をしている料理人に声をかけ、マリアは食堂を後にする。
「ちょっと風邪薬を取ってくるわ。食べ物の方、お願いね」
食堂を出ると、マリアは医務室に向かった。ドクターはマリアたちが拾われる前から船に乗っている古株だ。海賊船に乗るだけあって、正規に開業できない闇医者だった。マリアが顔を見せると、人の悪い笑みを浮かべる。
「おや、マリア。また船酔いかい」
「私は大丈夫よ。若様の方が船酔いみたい」
ドクターはニヤリと口の端を上げた。
「ほぉ。若様でも船酔いになるのか」
「意外よね」
マリアも、クスクスと笑う。
「
ウシャシャシャシャと乾いた笑い声を発する、このドクターが男色家で長い航海中に欲求不満になった乗組員たちに、荒々しく刺し貫かれることを無上の悦びとしているのを知っていたマリアは、曖昧に微笑んだ。
(拾われて間もなく、食あたりを起こしたドフラミンゴが渋々ドクターの診察を受けた時のことだ。急に便意に襲われたドフラミンゴが医務室のトイレに駆け込んだ際に、どういう症状か診ないといけない、と理由をこじつけ下半身を観察しようとして、殴り飛ばされたのを覇気で感じたマリアは、カルチャーショックを受けたのだった)
2日分の薬を受け取り、マリアは食堂に戻った。そしてそこで料理人が夕食に作って、残っていた野菜スープを温め直したものと、薬を飲むための水、さらに医務室でもらった薬をトレイにのせ、ドフラミンゴの部屋へと向かった。
ドンキホーテ海賊団にも船医がいたんだろうな~、と勝手に妄想しました。ファミリーと長年付き合っていけるなら、変なヤツに違いない!と、思ったらこんな感じになりました。