扉をノックして開けると、マリアが出て行った時と同じ状態で、ドフラミンゴがチェアの上にふんぞり返っていた。
ドフラミンゴにしたら、ベッドで横になると余計に具合が悪くなりそうだったし、例え自分の身体を案じての言葉だったとしても、今はこれ以上マリアの言いなりになりたくなかったのだ。
「ベッドに入っていてください、と言ったのに…」
はぁっと大きなため息をついたマリアが独り言のように呟きながら、近づいてくる。
トレイをデスクに置き、ふいっとドフラミンゴの横を通り過ぎると、ベッドの上にあった毛布を手にデスクの方に戻ってきた。
デスクに行儀悪く足を投げ出しているドフラミンゴに毛布を掛けると、マリアはドフラミンゴに話しかける。
「じゃ、ここにスープとお薬を置いておきますからね。さっさと召し上がってください」
立ち去ろうとしたマリアの背後から、不機嫌な声がかかる。
「お前のせいで疲れて身体が動かねェ。食わせろ」
マリアはため息をついてクルリと振り返る。
「なんですか?アーンして欲しいんですか?子供ですか」
「うるせェ。ガタガタ言うな。言う通りにしろ」
マリアの
本当に機嫌が悪いと、いつも以上にわがままを言うのは経験上、想定内だったが、まさか嫌がらせのために恥も外聞も捨て、赤ん坊のように食べ物を口に運ばせるとは思わなかった。
スプーンをドフラミンゴの口に運んでいると合間に質問が飛んできた。
「お前一人で写しを隠したのか」
マリアは思わず笑みをこぼす。
「まさか。船が港についてる1週間の間、シュガーとデリンジャーが時間の空いた時に、やってもらったんです」
「お前が首謀者か」
マリアは再び笑顔になる。ちなみヴィオラにも声をかけて、こっそり参加させたことはマリアの心の中にしまっておく。
「私は、あの子たちが危ない場所に立ち入ったりしないように見張ってただけです。あ、後は変な場所に隠した写しを取り出したり」
肯定も否定もしないマリアに、いまいましそうな舌打ちをしながら、ドフラミンゴは怪訝な表情を浮かべる。
「変な場所?」
「ええ。操舵室の精密機械の中に隠したり、火気厳禁の場所に隠したりするので…」
操舵室の精密機械の中に隠した写しが機械に支障をきたしたり、火気厳禁の場所で静電気などから引火したりした可能性があったことにドフラミンゴは思わず肝を冷やす。
「成長したとは言え、幼少期からファミリーにいたのでは、なかなか一般常識を学ぶのは難しいですから…」
マリアは言葉を慎重に付け加える。
「特にシュガーはモネがいなくなってから、少し情緒不安定な感じだし…」
ドフラミンゴが右眉を上げるのを見て、マリアは憐れむような笑顔を浮かべて続けた。
「あれでもシュガーはモネがいないことを寂しがっているんですよ。強がって元気な様子を見せてますけど…」
モネは、しばらく前からドフラミンゴの命令のもと、ある島の化学者の秘書兼助手として赴任していた。
「そんな風には見えないがな」
ドフラミンゴは冷たく言い放つ。と、マリアは咎めるような口振りで言い募った。
「若様といる時は、モネのことを忘れられるんですよ。…。シュガーが生まれて少しして、父親が亡くなったからファザコンかも」
ふと思いついたことをそのまま口にするマリアに、ドフラミンゴは苦々しい表情を浮かべる。
「誰が父親代わりだ。俺はそんな年じゃねェ」
「あら。シュガーの実年齢はともかく、外見は子供だから親子でも通用しますよ。見た目は全然似てないけど、性格と口が悪いところはそっくり」
「…。ファミリーの中で俺を悪し様言うのは、お前くらいだ」
更に言いたい放題のマリアに、ドフラミンゴは呆れたように言い捨てた。
(ヴィオラによると、マリアを含めたファミリー全員が性格と口が悪いらしいが、マリアにとっては心外な言葉だったので黙っておく)
ヴィオラの言葉を思い出しながらマリアは再び微笑む。
「悪し様だなんて、とんでもない。事実を申し上げただけです」
それが悪し様だ、とドフラミンゴは思ったが口にはしなかった。
スープを飲み干した彼に、ドクターからもらった薬を水の入ったコップと一緒に渡した。薬を見つめながらドフラミンゴが再び口を開く。
「変態ジジイはまだくたばってねェのか」
「ええ。あ、ここに診に来てもらいます?」
「断る」
ドフラミンゴは質問が終わる前に即答した。
そんなことを言いつつ、大人しく薬を飲んだドフラミンゴを見て、マリアは空になった食器をトレイに乗せ食堂まで下げに行った後、再び彼の部屋に戻る。
睡眠作用のある薬が効いてきたのか、しばらくするとドフラミンゴが寝息をたて始めた。海は静かになってきたが、万が一ドフラミンゴが吐き気を感じても対処できるよう、マリアは部屋に残った。だが部屋に唯一ある椅子はドフラミンゴに占領されていて腰をかけることもできないので、暇潰しを兼ねて昨日彼に荒らされた部屋を片付ける。空っぽの本棚に、下に落とされた数十冊の本を記憶している順番で並べていった。順番が違うと、後でドフラミンゴにネチネチとイヤミを言われるのは、火を見るより明らかだ。
本を探し出して本棚に差すだけで、かなりの時間が潰せた。
マリアはドフラミンゴが留守にしていた間と出港した後、ニュース・クーから入手していた新聞を部屋に置いていた。(新聞を与えておけば、大人しくしているだろうと考えたからだ)それらは、ご丁寧に日付も順番も全く考えずに一枚ずつバラされていた。
が、一部、七武海として召集されたポートガス・D・エースと白ひげの関係を詳細に記した記事が掲載されているものではなく、麦わらのルフィこと、モンキー・D・ルフィが天竜人に手を出したと言う記事の掲載されている新聞だけ、きれいに折りたたんであった。ドフラミンゴは以前、アラバスタ王国の騒動と麦わらとの関係を指摘していたので、関心があるのだろうとマリアは考えた。なので、バラされた新聞はゴミとして捨てたが、その新聞だけはデスクの上に置いた。
クローゼットの中は、必要最低限の着替えしか入れてこなかったため、被害が少なかった。(その内の一式は雑巾代わりとなったが)ぐしゃぐしゃにはなっていたが、床に落とされた訳ではないので、きれいにたたんで入れ直すだけにとどめる。
あらかた片付けが終わるのを見計らったかのように、ドフラミンゴが目を覚ました。そしてマリアに声をかける。
「海軍本部には観念して潔く行ってやる。だが、これからも依頼書を探さねェ約束もしてねェよな」
性格が最低最悪なのに反比例して、頭の回転は素晴らしく良い若様は、人の揚げ足を取ることと屁理屈をこねるのが異様に上手い。マリアは再び大きくため息をつく。
「そうですね。探したければ、ご自由にどうぞ」
マリアは諦めとともに言葉を発した。そう言うことを見越して予め手を打っておいたのだ。10年も使用人として仕えているので彼の行動は、ある程度は予測できるようになった。
しかしドフラミンゴもまた、自分が勝手なことをした時のマリアの反応を予想できる。諦めたような態度をとる時は、本当に諦めている方が多いが、稀に何か仕掛けられていて、しっぺ返しを食う場合もある。しかも、何か仕掛けていても得意そうな態度を全く出さないのでドフラミンゴをもってしても、予想不可能だった。
今回は仕掛けがある確率の方が高い。自分が依頼書を見つけることはできないだろう。ドフラミンゴは横目でマリアを睨んだ。
「…と言いてェところだが、まあ常識的に考えて今後は探さねェのがスジだろうな。手下たちにも探さねェように言っておこう」
と非常識の極みの存在としか言い様がないドフラミンゴが言った。
ドフラミンゴの予想では依頼書を郵便、若しくは誰か幹部に別の船で持たせて、ドフラミンゴが海軍本部に到着する時に手に入れるようにするのだろうと思った。
しかし、マリアは眉を寄せ思い切り不信感を現にした表情を浮かべる。
「…。どういう風の吹き回しですか?若様が諦めるなんて」
「俺は負け戦はしねェ。それだけだ」
表情を変えず眉を寄せたままのマリアに強引に話題を変える。
「海軍本部に行くには、
「七武海を傘にきて、好き放題やってる若様みたいな人もいますしね」
マリアの歯に衣着せない率直な言葉を聴こえなかったかのように、ドフラミンゴは珍しく真剣な顔で続ける。
「そこに着いたら、お前らは船から…いや、甲板にも出るな。いいな。これは命令だ」
有無を言わせない口調にマリアの口から、考えるより言葉が先に出る。
「かしこまりました。若様」
「分かったら、さっさと出て行け」
マリアは薬が効いたらしいドフラミンゴの顔色が、さっきよりよくなったのを確認して返事をした。
「かしこまりました。若様」
部屋のドアを開け、頭を下げて退出した。
マリアを見送った後、ドフラミンゴは虚ろに天井を見つめる。
人を奴隷として扱っている天竜人が、どんなに憎まれているかと言う現実を知らず、ただ理想だけを追い求め
こうやって自分たち七武海が召集されているのは、事情通でなくても既に知っているだろう。更に処刑が予定されている海軍本部は、徹底的に外部からの侵入に備えている。果たして白ひげは、どうやってエースを救うつもりか。考えただけでドフラミンゴは面白くなっていた。
マリージョアが近づくにつれ、気配が不快になるのをマリアは感じた。船が進む先に嫌な気配を察知する。その先に世界政府があるのが不思議なくらいの気配だ。その気配は、レッドラインに着くと強烈に感じられた。
ドフラミンゴは乗組員たちにも甲板に出ないよう指示して一人で世界政府へと向かった。その間にマリアはこのおぞましい淀んだ気配を分析する。
(悲しみ…?憎悪…?いえ、何だろう?怨嗟っていうのかしら…?人を呪うような感情)
この地で虐げられている人々の強い感情だった。マリアは一刻も早く、ここから引き上げたかったが、ドフラミンゴが戻るまで動くことはできない。
ふと、離れたところにドフラミンゴのように強い気配を感じた。それも1つではなく複数の気配だ。
どこかは分からないが、部屋の中にいる二人のものに違いない。
一人は長いストレートの黒髪の美女。もう一人は口一杯に食べ物を詰め込んでいる少年。新聞に載っていた麦わらのルフィだ。
黒髪の美女は何も食べず、ただウットリと麦わらを見つめている。年はマリアと変わらなそうなのに、まるで少女のような表情である。
彼女に興味を抱いたマリアは二人の周囲の気配も探る。驚いたことに、海兵たちが乗る海軍の船に二人はいた。
マリアが訝しく思って、海兵たちの会話に集中すると謎が解けた。黒髪の美女はドフラミンゴと同じ七武海、ボア・ハンコックだったのだ。
マリアの興味は急激に失せた。七武海は海軍が手に負えない海賊に特権を与え名目上、政府の傘下にあることになっている。が、ドフラミンゴのように一筋縄でいかない者の集まりだ。ハンコックも見た目のように中身も美しいとは限らない。むしろ、麦わらに見せる顔の方が彼女にとって例外に違いない。興味は失せたが恋する乙女状態の彼女のことを微笑ましく思った。
非道なことをした場合、ドフラミンゴだったら勝ち誇ったような態度をとりマリアは反感を覚えるだろう。が、ハンコックのような美女が麦わらに見せる態度をとったら、マリアはきっと赦してしまうに違いない。
そんなことを考えていたら、ドフラミンゴが船に戻って来る気配を感じた。
マリアはドフラミンゴより、彼について来る人物の方に反応した。
「君は裏切者のドンキホーテ一族の残党じゃないかえ?」
言葉を発する相手にマリアは今まで感じたことのない感情を察知した。
ドフラミンゴの沸き立つような怒りと憎しみ。更にその人物に
不快な感情は、彼らに対するものだった。
ドフラミンゴは話しかけてくる者を、まるで存在しないもののように歩く。が、ドフラミンゴの態度など気にかけないように一方的に話しかける。
「君の父君は随分、御自分の地位をお嫌いだったようだが、君もその血を受け継いでいるようだえ?」
燃えるような感情を隠し、ドフラミンゴは船へと歩を進める。
マリアはドフラミンゴを通して感じられる気配に、吐き気を催し新鮮な空気を求めて知らず知らずのうちに、部屋を出た。
ドフラミンゴ自身の感情と、話しかけてきた人物に対する邪念に近い強い感情が、不快過ぎるのだ。わき上がる吐き気に口に手を当て、マリアは船の甲板に出てしまった。
気配でなくドフラミンゴの実物を見れば、吐き気は治まるかもしれないと思ったからだ。自分の額に脂汗がにじみ出るのを感じる。外の風を受け吐き気はやや治まったが、不快な感情は変わらなかった。
出てきた扉を背中でもたれかかるように閉める。ふと目の端にドフラミンゴの影が入ってきたので、思わずそちらに目を向けて身体が凍りつく。ドフラミンゴがもの凄い形相でマリアを睨んでいたのだ。
ズカズカと歩みを進めるドフラミンゴに更に淀んだ気配をまとった人物がつきまとう。ドフラミンゴに無視され続けることが不愉快になったらしい。と、ドフラミンゴが歩みを止め船に視線を向けたため、こちらもマリアに気付いた。ニタリと笑って再び話しかける。
「おや。奴隷を連れてきたのかえ?君にしては気が利くえ」
ドフラミンゴは人間離れした跳躍力で甲板に飛び移った。マリアに歩み寄り、いきなり頬を張る。
甲板に倒れ込んだマリアに背を向け、初めて今までつきまとってきた人物に対して言葉を発した。
「悪いが、俺は七武海として今から海軍本部に行かなきゃならねェ。白ひげが海軍を潰して貴様らを守るヤツがいなくなっても構わねェなら、話くらい聞いてやるがな」
それを聞いて形勢が悪くなったのを感じたのか、今度はつきまとってきた人物がドフラミンゴを存在しないもののように、護衛らしき人々とともに来た方へと歩いていった。
天竜人のイヤらしさを言葉に現すの、ムズカシイ…。