※この作品はR-18です。

誰がために……   作:やすけん

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突きつけられた質問。

ゴーストととして家族を相手に戦いを続けるか、ファントムとなり戦友と戦うか。

二択に一つを迫られた栗栖(くりす)ベクター。

彼の答えは?

















第七話

 

 

「断る」

 

自分でも分からないけど、ついて出た言葉はこれだった。

 

隣のレッドキャップが口の端を僅かに吊り上げるのが見えた。でも、他の人たちは驚きの表情をしている。

 

「何を言ってるのさ兄さん」

 

弟のライアンは食らいつくように詰め寄ってくる。

 

「これを断れば兄さんは–––」

 

「お前は黙っていろ」

 

「いや黙らないよ。この誘いを断る理由なんかあるようには思えないんだけど。これを断れば兄さんは、兄さんは殺されるんだよ」

 

「知っている」

 

ライアンは大声を上げ抗議する。

 

「だったら何故」

 

暫く思案するように頭(こうべ)を垂れていたライアンだが、直ぐに面(おもて)を上げると続けた。

 

「兄さんの部下に、ジョンって人いるでしょ。あの人も僕らと働くと言ってる。だから兄さんも–––」

 

「そうか。ジョンによろしく言っておいてくれ」

 

「な……。兄さんは昔からそうやって、どうして自ら過酷な道ばかり選択するの」

 

「別に。常に最善の選択をしているつもりだ」

 

「また、こうやって家族と出会えたのに」

 

「僕はもう、幸せになる資格なんかないのさ。平和な世を歩く権利なんてのもないのさ。僕の背後に控える死者が、お前に見えるか」

 

「見えないよそんなの。そんなのは関係ない。兄さんは国を守るために、その……人を殺していたんでしょう」

 

「どうだかな」

 

「兄さんも人なら、幸せになる権利も、資格もあるよ」

 

「人ならな。お前は天国に行きたいか」

 

「何だよ突然」

 

「どうなんだ」

 

「行きたい……よ」

 

「僕は興味ないんだ。死後の安寧も、現世の幸福も」

 

「だからって–––」

 

「ライアン。お前の人生の方が正しかったのかもな。お前はまだ人だ。僕は父さんを殺してからだ。おかしくなったのは。人を殺したくて軍に入って、どんなに辛い訓練にも耐えた。いや、耐えられた。守るべきもののために頑張ってる奴が脱落するのに、僕みたいな不純な奴は残ったんだ。一体この世界はどうなってると思う」

 

「確実に良い方向へ転換してると思うよ」

 

「僕はそうは思わない。この世は地獄だ。とことん腐りきっている。日本では女を殺した。ソマリアでは子供をたくさん殺した。男なら世界中で殺している。あそこ(戦場)には、天国なんていう二文字は何処にもない」

 

「兄さん。今のアメリカを見てよ。テロも犯罪も無いんだって。これを世界に展開するんだよ。これの何が不満なのさ」

 

「株価を暴落させるのなんて簡単だ。この経済は一突きで弾け飛ぶ。まるで泡(バブル)のようにな。これは偽りの平和だ。一皮剥けば醜く劣悪な人間の性(さが)が見える。お前はなライアン。世界についてあまりにも無知だ」

 

ライアンはとうとう悟ったのだろう。兄を説得することは出来ないと。住む世界が違うという事を。

 

この場所に来てハッキリと分かった。僕が求めていたモノが何なのか。僕は誰がためにこの命を捧げていたのか。空虚な答えだ。全くもって。僕は相変わらず空っぽだった。

 

ライアンは悲しげに俯き小声で言う。

 

「僕たちは一卵性双生児で、元は同じ存在だったのに。どうしてこんなに違うのかな」

 

「よっぽどお前の方が人間らしい。もう僕は駄目だ。あの時から死に取り付かれてしまった。他者の死なくして僕の生は確立しないんだ。分かったよライアン。僕は悪魔だ。悪魔が住まう場所は地獄だ。僕は自分で知らず知らずのうちに地獄を求めている。だから戦場へと赴く。だから人を殺す。だから天国への切符を破り捨てる」

 

「交渉は決裂だな」

 

唐突に、ずっとだんまりを決め込んでいたジェイコブが太く強靭な声で告げた。彼も彼なりに忙しいようで、先ほどから時間を気にしていたのは知っている。

 

「悪いがねベクター君。君ほどの人材を失うのは惜しい。こちらとしてはどんな手を使ってでも君が欲しい。また辛い目にあうことになるよ」

 

ジェイコブは立ち上がりそう言った。

 

どいつもこいつも、糞食らえだ。

 

「ベクター。変な気を起こすなよ。お前を殺すのに二秒と必要無い」

 

隣のレッドキャップは、変な気を起こして暴れる事を危惧しているようだ。それにしても二秒だって。

 

コーヒーを一口含んでから「僕なら、一秒だよ」と心の中で呟く。

 

口の中のコーヒーをレッドキャップに噴射する。霧状となったコーヒーは、見事に眼球に入ってくれて痛みを誘発させくれている。

 

咄嗟の出来事にレッドキャップも両手で目を抑える愚行をしている。ガラ空きの胴体に手を伸ばしナイフの柄を掴んで引き抜いた。

 

座っていたソファを蹴りジェイコブの喉笛を掻っ切りに飛びかかる。

 

奴は素人だ。驚いて動きが止まっている。戦場では動きを止めたら駄目だ。的になる。

 

死ね。

 

レッドキャップの愛用しているナイフはよく研いであって切れ味が凄そうだ。試してみたい。

 

ジェイコブの喉を撫でるように柔らかい軌道で素早くナイフを疾らせる。

 

紙を切るみたいだ。スーッと何の障害も無く刃は敵を切り裂いた。でも、それは狙っていたモノじゃない。

 

「母さん」

 

ライアンの悲痛な叫び。ライアン。お前もやはり素人だ。腕を深く切ったが早く止血すれば良い。切れ味が鋭いから、傷もすぐ治る。

 

それにしても母さん。何を馬鹿な事を。こんな奴を庇うのか。退(ど)け。

 

母親を蹴り飛ばしてジェイコブを睨みつける。

 

彼の怯えきった顔。そうだジェイコブ。これが殺しだ。これが戦場だ。これがお前の知らない世界だ。僕はその世界でずっと生きてきた。こんなわけのわからない部屋じゃなくて、容赦のない残酷な世界で生きてきた。僕が地獄を連れてきてやったぞ。お前のエデンを壊しに来たぞ。

 

切っ先をジェイコブに向け踏み込む。蛇が噛み付くみたいに一気に腕を伸ばして刺突を繰り出す。目を瞬く間にナイフと喉の距離は紙一重となる。

 

でも、彼はついている。こんな奴まで飼っているのか。

 

ナイフを持つ右手の甲に衝撃があって奇しくもジェイコブの喉は突けなかった。手はじんじんと凄く痛い。どこのどいつがと思ったけど、すぐ隣にいた奴の持っているモノを見て悟ったよ。

 

ククリナイフだ。

 

小柄で浅黒い男がいつ間にか横にいた。その目つきは戦士のそれだ。

 

面白い。グルカ兵か。勇猛無双。最強無敵と謳われる兵がいかほどか試してやろう。

 

リーチは確実にこちらに分がある。

 

前蹴りを出そうとして足を上げた。でもそれはすぐに引っ込めた。

 

何故なら、グルカ兵の手が動いていたからだ。

 

戦慄だ。背筋を走る悪寒。

 

足を出していたら確実に切り落とされていた。

 

そう確信できる。このグルカ兵の実力は相当なものだ。

 

睨み合ってると、ライアンがジェイコブと母さんを引っ張ってどっかへと消えてしまった。追いかけようにも目の前のグルカ兵がそれを良しとしてくれるわけはなく、失敗に終わってしまった。

 

ならばグルカ兵。お前だけでも道連れにしてやろう。

 

覚悟を決めて睨みつけると、グルカ兵も身構えた。

 

悠然と距離を詰めていく。

 

間合いの判定。

 

格闘訓練では、踏み込んでクリティカルヒットを出せる間合いを徹底的に覚えさせられる。両者向かい合った状態で、片方が歩いて接近していき片方が防御に徹する。相手が踏み込むのを見切って攻撃を防御出来たら勝ち。はたまた相手の防御をかいくぐり攻撃を与えられたら勝ち。歩くリズムを一定にせず焦らしたりして相手のペースを崩す。これも戦法。敢えて微動だにせず焦りを相手に悟らせない。これも戦法。

 

幾多のテクニックがある。でも一番必要なのは冷静さ。無風の水面(みなも)のように一切の波のない完璧な平常心。

 

このグルカ兵。死を恐れてない。

 

まったくの鉄面皮で微動だにせずこちらを睨んでいる。

 

今まで雑魚しか相手してなかった。こういう手合いと対する経験値が不足している。どう切り崩すか悩むところだ。

 

でも、訓練で培ったこと以上の事は出来ない。

 

今の自分の出来る全てをぶつける事だ。

 

サイレントから、サプライズへ。

 

爆発的な変化で持ってグルカ兵に肉薄する。

 

混じり気のない殺気を相手に飛ばしながら下からナイフを掬い上げた。

 

グルカ兵はそのナイフを持つ手首を狙いククリナイフを振り下ろす。クルッとナイフを手の中で反転させ逆手にする動作を回避行動と織り交ぜてそれを躱し、コンパクトにグルカ兵に刺突を繰り出す。顔を狙った刺突だったけど、グルカ兵は上手く上体を反らしてこれを回避。ならばと九十度ナイフを反転させ垂直に振り下ろす。強靭なフィジカルを持つ山岳兵士は変な体勢からでも異常なく動作に移れるようで、半身になって刃を避ける。間髪入れずに飛んでくる腹部を狙ったククリの刺突は左手を沿わせて円を描くように外に弾く。ガラ空きの胴体にフックを放つ要領で逆手に持った刃を疾らせる。グルカ兵が腰を引いたために掠めるにとどまったナイフはコンパクトな刺突に切り替え追い打ちをかける。これに対しグルカ兵は空いている左腕をこちらのナイフを持つ右腕に打ち据え凌ぐ。刃を一度引きもう一度刺突を下段に打つ。これも左腕に阻まれる。

 

素晴らしい反応速度だ。ここは意外な一手で攻めてやろう。

 

ナイフを上に–––グルカ兵の目線の高さに投げて煌めかせる。

 

グルカ兵が目を奪われた隙に右手で相手のナイフを持つ手首を掴み、左手でククリナイフの刃の背を掴んでこちら側に引っ張る。グルカ兵の手からこぼれ落ちるククリを放り投げ、宙で回るナイフを逆手にキャッチしグルカ兵の体までの最短距離を疾らせる。

 

阻まれた。ならば別の角度で。これも阻まれた。

 

フック、刺突。蹴りや素手の攻撃を織り交ぜてもグルカ兵の防御は崩れない。

 

いい加減に死ねと思いつつ繰り出した刺突はグルカ兵に掴まれた。そのまま引き込み何かしようとしたので咄嗟に左手で顔面を殴ってやる。振り抜いた左手でグルカ兵の顎を掴み足を引っ掛け倒し、膝を鳩尾に落とす。苦悶の顔で呻(うめ)くグルカ兵は尚も両手でナイフを持つ右手首を保持している。だから左手で殴る。素早くコンパクトに。相手がホールドを解く前に三発は顎に入れてやって、力が入らなくなったところで右手首を捻ってグルカ兵の手首を切りつける。握力が無くなるようにちゃんと腱を切断してあげて、フリーになったナイフに体重を乗せてグルカ兵の胸に深々と突き入れる。肺に穴が開いた程度だから、一回引き抜いてもう一度。肋骨を潜り心臓を貫くようにナイフを抉りこむ。

 

凄い。

 

ガバガバのビッチマンコにチンボコを入れてやったみたいにすんなり入った。

 

戦いの高揚感は性的なそれと似ている。勃起や射精は無いけどそれとなく恍惚に包まれるのだ。

 

いや、雑魚を殺した程度ではこの悦は得られない。

 

このグルカ兵みたいに対等に渡り合う強さを持った相手を越えるとこういう気持ちになるのか。

 

死を隣に感じて、やっと生を感じる事が出来る。

 

僕は生きている事にこの上なく感動している。

 

異常かな。

 

今までの人生、こんなに充実していた時はない。

 

生きている。素早らしいことだ。

 

レッドキャップは拍手を送ってくる。

 

「素晴らしいなベクター君。彼はワイルドキャット(山猫)と言われて山々を軽々と越える体力の持ち主なんだ。勇猛なグルカ兵の中でも結構強い部類に入るのに、よく倒したもんだ」

 

グルカ兵。たった一人でテロリストから検問所を死守したり、たった一人で四十人の武装強盗団を退けるという架空のヒーローがやるような事を現実で行う人たちだ。

 

「だがしかし、そろそろナイフは返してもらう」

 

「なら取りに来い」

 

レッドキャップは盛大にため息をついて「あのなぁ」と前置きしてから続ける。

 

「私はレッドキャップ。イギリスに伝承される妖精のレッドキャップから名前を貰っている」

 

「それがどうした」

 

「妖精のレッドキャップは斧で人を殺している。そういう所を含め私はレッドキャップなんだ」

 

「ナイフより、斧の方が得意だと言いたいのか」

 

「そうだよ」

 

レッドキャップはスローイング用だと思われるハチェット(手斧)を腰の鞘から抜き放つ。

 

でもそのハチェットを見て投擲用ではない事が分かった。その形状は意匠と言うべきか、特注に違いない。刃は薄く鋭く、髭の部分が長くなっていて武器を引っ掛けやすく形成されている。更には柄の部分と後端にリングが付いてあって、そこに指を入れて握るスタイルだ。まるで出来損ないのメリケンサックナイフみたいな形をしている。

 

人差し指でハチェットをクルクルと回すレッドキャップはウェスタン気取りだ。

 

こっちもナイフをハンドリングしながら対抗した。

 

冷静に近づいていき、今まさに交錯する。

 

斧はどうしても大振りになるだろう。だがその予想を裏切るレッドキャップの手捌き。

 

ハチェットによる刺突。その動作はナイフ術と精通している。

 

首を横に傾げて辛くも回避する。自分でもどうして反応できたのか分からない一撃だった。

 

見えない。

 

気付いた時にはハチェットは顔の横を掠めていた。頬に走る鋭い痛み。熱を帯び、温(ぬる)い液体が顎先まで滴っていく。

 

レッドキャップはハチェットを横薙ぐ。ダッキングでそれを避け太腿へカウンターの斬撃。

 

足を引きこれを躱し、同時にハチェットを突き下ろすレッドキャップは的確にグリップエンドのリングで顔を殴打してくる。容赦なく眼球を狙った一振りだ。ヒットポイントをずらす事しか出来ずに手痛い一撃を食らってしまう。左瞼の上が切れて血が流れてくる。その血が左目に入って痛い。片目を瞑らなくてはならなくなった。

 

「ベクター君。君も半分視界を失ったね」

 

喜色満面で告げるレッドキャップ。その微笑のまま、死ねばいい。

 

ハチェットを逆手に。グリップエンドのリングに人差し指を入れたレッドキャップの顔には、とうとう笑顔が現れる。恐らくこれが本来の使い方なのかも知れない。

 

カランビットナイフと呼ばれるナイフの使い方と一緒だ。レッドキャップがカランビットの達人だとして、何の不審点はないが厄介な事この上ない。

 

ハチェットを持つ右手–––右半身を前にレッドキャップはジリジリと間合いを詰めてくる。

 

やってやる。

 

一気に間合いを詰め、左手でハチェットを取りに行く。魚を釣るように、レッドキャップが左手に向かい斬撃を繰り出せば手を引っ込め改めてハチェットを取りに行く。手首を抑え、ナイフでいくと見せかけ蹴りを入れようとしたけど、レッドキャップのハチェットが回転したのを見て急いでナイフをそちらへ当てがう。金属同士が打ちあう音がして、手首を切りつけられるのはだけは回避できた。

 

厄介だな。

 

カランビットはリングで持つ事が出来るため指が通っていれば何とでも振りまわせる。手を抑えられたら回転させ刃で傷つけてやればいい。リング”だけを”握って普通では扱えないくらいリーチを長く保持するエクテンデットグリップという技法もある。加えレッドキャップの物は斧。ナイフでは出来ない物を”引っ掛ける”という動作が出来る。

 

今もこうしてレッドキャップの右手を抑えるのに両手を使ってしまっている。左手が飛んで来るのは分かりきっていて、予想通り痛い思いをした。

 

レッドキャップは右腕を振り上げこちらの両腕も釣ってガラ空きの土手っ腹に膝をめり込ませてきて、少し後ずさると豪快なソバットをこれまた土手っ腹に叩き込こんでくる。

 

吹き飛んだ。

 

情けない。

 

「どうだいベクター君。まだ抗うか」

 

「ああ、クソッタレが。やってやるよ」

 

立ち上がる。腹部には鉄球をぶち当てられたような衝撃の残滓(ざんし)が残っている。

 

けれど、時間をかけ過ぎた。

 

ドタバタとケルビムの紋章をつけた男数人と女が入ってきた。

 

浅黒い傷顏の男。デカい黒人。褐色の女戦士。注射器をやたらと腕に装備しているメガネの白人。それと忌々しい矢野と、ジョン。

 

この部屋でケルビムはレッドキャップを含め七人。

 

こちらは一人。

 

「ベクター君。いい機会だ。これが我々ケルビムの面々で、ハッピーライフ&フューチャー社の幽霊社員(ファントム)だ」

 

そんな事は知るかとレッドキャップに襲いかかった。

 

だが、ヒスパニックの傷顏の男が進路上に立ち塞がる。

 

昏(くら)い火が灯る凶眼。ヒスパニックの目を見ればこいつの残虐性がうかがえる。

 

腰からカランビットナイフを抜いたヒスパニックはレッドキャップに引けを取らないハンドリングで刃を回転させる。

 

お手並み拝見と行こうか。

 

牽制となる刺突を顔面目掛け繰り出す。

 

これを冷静に見切り微動だにしないヒスパニック。

 

なかなかやるじゃないか。一旦間合いを取り、両手を高く上げて一息つく”振り”をする。

 

すると、お返しとばかりに刺すような鋭い前蹴りが返ってきた。

 

馬鹿な奴め。腕を上げて胴体に隙を作ったのは誘いだという事も分からなかったのか。

 

前腕で脛を打ち下ろし、肩から体当たり、左手でヒスパニックの手を–––カランビットを回せないように–––握り、右脇の下を刈る。この動作をワンテンポくらいに凝縮し行う。

 

更に柔道の大外刈りを掛けるように右膝の裏同士を密着させ、巻き取るように前転。

 

ヒスパニックは後頭部から倒れこみ脳震盪くらいになったか。ちんぐり返しの体勢でずっと床の上に転がっている。

 

蹴って、踏みつけて、

 

「君じゃ暇つぶしにもならない。殺す価値もない」

 

弱い。と、呟く。

 

横たわるヒスパニックを殺す気にはなれなかった。興醒(きょうざ)めという奴だ。

 

レッドキャップと対等に渡り合う僕。見たところこのヒスパニックはレッドキャップより位が下だった。なら、僕に敵う道理などない。

 

「ベクター君。彼は私の右腕的存在なのに、そうもあっさり倒しちゃうかね」

 

「凄い目をしている。地獄の大釜ででも育ったのか知らないけど、僕には遠く及ばない」

 

レッドキャップは不敵に笑い、

 

「そうだとも。君ほどイカレた存在は私も見た事がない」

 

と断言する。

 

「エドが負けるのも、宜(むべ)なるかな」

 

「エド」

 

それがこのヒスパニックの名前か。

 

「エドワルド・ギレ。元カイビレスの隊員でメキシコのカルテルで仕事をしていたのを引っこ抜いたんだ。見所ある若手なのに、容赦なく潰してくれたね」

 

カイビレス。グアテマラの特殊部隊。

 

その部隊のモットーは「私が前進したら、ついて来い。私が止まったら、前進するように促してくれ。もし私が撤退するようなら、私を殺せ」というストイックなものだ。

 

その血も涙もない過酷な環境で頑張ってたのか。

 

へぇ〜。

 

「お前は、どこの部隊の出身なんだ」

 

ふと、気になってレッドキャップに尋ねてみる。

 

「私か。私はね、軍部出身ではない。元々は諜報畑にいたんだよ。確かね」

 

「確か、だと」

 

「諜報と言えば嘘つきの世界だ。偽りの自分を幾つも演じてきた。いろんな経歴の私が居て、いろんな職種の私がいる。本物の私は、どれだったかな。ジャーヘッド(海兵隊)だったしユニット(デルタフォース)だったしスペツナズだった事もある。カメラマンだったしジャーナリストだったし学生だった時もある。ラングレー(CIA)の、パペットなのかもしれない。はたまた、KGBの所有物かもしれない。私は、何をしていたのかな」

 

笑顔で喋るレッドキャップの顔を見ているとそれすらも嘘くさく感じてしまう。

 

が、まぁいい。

 

「ベクター君。君は少し暴れすぎた。あまり時間を掛けると私の信用に関わる。だから、これで終わりだ」

レッドキャップが構えたので、迎撃の体勢を取る。

 

だが次の瞬間には首にブスリと痛みがあって、何かが注射されていた。

 

急いで引き抜いて振り返った先にいるメガネの白人を殺そうとナイフを振ろうとしたら、視界が滲んで輪郭が幾重にも見えてきてしまった。

 

平衡感覚も失い片膝を着くけど、崩れるように床に横になる。

 

「ドク、よくやった」

 

そう告げるレッドキャップの声を聞いて、意識を失った。

 

 

 

 

 




まーた捕まってしまいましたベクター氏。

一体誰が助けてくれるんでしょうか。

最後はえ?って感じで唐突にベクターは負けてしまいますが、現実はそんなもんでしょう。

ベクター視点なので意識を失えば話もそこで終わってしまいます。

あまり読み応えのない回でしたね。

次話はもっと濃厚にすることを目指します。
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