エリアRos Lim-E郊外に佇む、とある事務所にて。
「…………やれやれだなぁ……」
応接室に置かれた執務椅子に背中を預け、白色の肌に金髪の男――アレックス・デューイは目の前のノート型端末から疲れを含んだ声を漏らしながら顔を上げる。
彼が今いるのは職場であり自宅でもある『便利屋』、その事務所である。
さまざまな依頼を引き受けて報酬を得るという仕事だが、その主な依頼は人を食らう異形の怪物――“魔物”の討伐であり、当然1人で務まるものではない。
本来ならあと2人社員がいるのだが、生憎どちらも前回の仕事の際に負傷し、現在療養中。そんな状態で仕事らしい仕事などできない為、アレックス自身しばらく現場とはご無沙汰である。
幸い前回の依頼の報酬がよかった為に、すぐに金に困ることはなかった。しかし、日々の生活費や店の運営費、店を開く為に借りた借金の返済――これについては知人から借りている為、事情を話せば待ってくれるというのが唯一の救いだ――に加え、社員たちの治療費のことを考えると、そろそろ危険な状態になりつつある。先程彼が目を通していたのも、現在の懐事情を示した家計簿なのだから。
そこに書かれている数字に憂鬱になっていると、現実逃避なのか、不意に懐かしい顔が浮かんでくる。
(…………あれから、どれくらい経ったっけな?)
それはもともと一緒にこの店を経営していた女性――キャサリン・ルソーとの最後の思い出だった。
朝日が窓から射し込む中、アレックスは気だるげに全裸の体をベッドから起こし、先に起きて着替えているセミロングの金髪が特徴の白人女性――キャサリンを見やる。
「…………本当に、行くんだな」
「えぇ。荷物はもう送ったし、あとは私が出ていくだけ」
わかってはいる、しかし訊かずにはいられなかったアレックスの問いに、キャサリンは着替えの手を休めずに素っ気なく応じる。
2人は以前勤めていた中規模の便利屋の頃からの付き合いであり、一身上の都合で退職してからは共に今の個人店を営んできた。しかし数カ月前、キャサリンが「人生をやり直したい」と地元の役所に再就職を決めたことがきっかけで、その縁もゆっくりと終わりに近づいていった。
そして、ついにその時はやって来てしまった。
キャサリンは部屋の隅に置いてある1.7mほどのケースを肩に掛け、それで彼女がここを去る準備は完了する。
「…………なぁ、キャシー…………」
「なに?」
「…………いや」
急かされてもその先の言葉は続かず、結局アレックスは違うことを告げる。
「やり直し、上手くいくことを願ってる」
「ありがとう。落ち着いたら連絡するわ。アレックスも、体には気を付けて」
言うとキャサリンは部屋を出、独り残されたアレックスは、言い損なった言葉が喉に詰まる不快感に口を結んだ。
別にキャサリンの気持ちがわからないわけではない。
便利屋はその性質上、ある程度の身体能力を必要とする。もうすぐ三十路に手が届こうという時、自身の衰えを多かれ少なかれ自覚する時、この仕事でこの先も食べていけるのか不安を覚えるのは当たり前だし、別の道を探そうとするのは理に適っている。そして、その新しい一歩を踏み出すのにもそれなりの勇気がいることも。
だからキャサリンが初めて再就職の件を持ちだした時、アレックスは否定しなかったし、その後の準備にも一切口出しはしなかった。借金については、当時の残高を2人で割ってそれぞれ自分で返すことで話しがついた。
加えて、彼女が自分に愛想を尽かしたのだということも薄々察していた。長い付き合い、それも一つ屋根の下に一緒に暮らしてきた仲だから、相手の考えていることはだいたい予想がつく。もっとも、それだけの付き合いだからこそ、特に決定的な理由があるわけでもなく、長い時間の中でのすれ違いが重なって別れてしまうものなのだろう。
現実的な理由にしろ、精神的な理由にしろ、気持ちを知っている以上、彼女が望むようにさせてやりたいという思いも確かにあった。
しかし一方で、それを拒否したい気持ちも――。
そんな感慨に耽るアレックスを現実に引き戻したのは、インターフォンの呼び出し音だった。
(……誰だ? 訪ねてくる奴に心当たりはないが……郵便か?)
思いつつも腰の得物を確認しながら立ち上がると、インターフォンの受話器に歩み寄ってそのモニターに顔を寄せる。
と、画面に映った顔を見て、大抵のことでは動じないアレックスが、一瞬だが不覚にも動揺してしまう。
「……キャシー?」
特徴的なセミロングの金髪は、紛うことなきキャサリン・ルソーである。ご丁寧に肩には、あの日持っていったケースを提げている。
(何であいつがここに?)
役所に勤めている関係上、魔物退治の依頼の紹介などでやり取りは未だに続いている。が、それらはあくまでも端末の中でのやり取りであり、電話越しの声すらもう大分聞いていない。そんな彼女が何故今目の前に現れたのか?
(……それは、本人に訊けばわかるか)
断じると、アレックスは受話器を持ってインターフォン越しに呼びかける。
「キャシーか? 突然どうした?」
『お久しぶり。どうしても貴方に頼みたいことがあって……入っていいかしら?』
(頼み?)
言われて再度映像を見ると、彼女の右手には鞄が握られている。
「あぁ、わかった。今開ける」
応じるとアレックスは玄関へ向かい、鍵を外してドアを開ける。
(……確かに、キャサリン・ルソーだな)
ドアの陰から現れた実物の彼女に、ようやくこれが夢や幻ではなく現実なのだと実感する。それくらい彼女が自分の許へ来たことが信じられなかったのである。
「本当に久しぶりだな。とりあえず上がってくれ。コーヒーでも淹れる」
「ありがとう」
そう言ってキャサリンを店に入れると、アレックスは電気ポットでお湯を沸かし、2つのマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れる。
ふとキャサリンの様子を見ると、普段は社員たちが休憩所代わりに使っている執務机前のソファーに、それこそかつてそうしていた時の要領で楽に腰を下ろし、ほんの僅かだが古巣に帰ってきた懐かしさを浮かべながら店内を見回している。
「……変わらないわね。ここは」
「あぁ。良くも悪くもな……。それでも、新人が2人入ったんだ。今は怪我で休業中だがな」
キャサリンのおもむろな呟きに応じると、丁度沸いたお湯をカップに注ぎ、彼女の分には角砂糖を1つ落す。
テーブルを挟んで向かいのソファーに座りながらそれを差し出すと、アレックスは話を切り出す。
「それで、いったい何の用だ? 久しぶりに顔が見たくなった、ってわけでもないだろう」
言いながら、ソファーを挟んでキャサリンの背後に置かれたケースに視線を向ける。
「…………依頼を頼まれて欲しいの」
コーヒーを飲んで口を潤すと、キャサリンは若干迷いのある様子で応じる。
「依頼ならメールですればいいだろう? 現にいつもそうしてる。それにさっきも言ったが、今動けるのは俺だけなんだ。どんな仕事か知らんが、返事は期待しない方がいいぞ。わざわざ来てくれてなんだが、他を当たった方がいい」
「この依頼は私の個人的なこと。だから直接頼みにきたの。貴方以外に頼む気もない。それに、私も現場に出るわ。貴方しか出れないのは寧ろ好都合かも」
「……何で俺に拘る? そもそも依頼ってのは何なんだ?」
話が見えないことに若干苛立ちながら、アレックスはマグカップの取っ手に指を掛ける。
それに応える様にキャサリンの表情から迷いが消え、意を決した様に答える。
「依頼の相手は……ポールなのよ」
「?」
唐突に出た懐かしい、そして話の流れ上全く予想していなかった名前に、アレックスは危うくマグカップを落しかける。
「……ポール……だと?」
「……」
無言で頷くキャサリンを見て、聞き違いという楽観論はあっさり否定される。
「あいつが……《F》を?」
《F》とは強い常習性を持つ違法薬物のことである。種類によって違いはあるものの、服用し続けると人間としての理性を失い、肉体が異形の姿に変質し、本能のままに人を襲う怪物へと変貌する。この怪物こそが、アレックスの様な便利屋が討伐する魔物なのである。
かつて同じ店に所属し、共に魔物討伐の依頼を何度もこなした、それ故に《F》の恐ろしさを知らないポールではない。
「そんな馬鹿な!」
そんな思いから未だ信じられないアレックスに、キャサリンは鞄から出した紙を差し出す。
それは遠距離から撮影されたと思しき写真であり、写っているのは多かれ少なかれ体の一部がゴム管を束ねた針金人形の様な姿に変貌した魔物たち――麻薬系の《F》を服用した者の成れの果てである。
「これは?」
「昨日私が撮影したもの。上にはまだ報告していないわ。……ここを見てちょうだい」
言いながらキャサリンは写真の中の魔物の1体を指さし、アレックスは目を凝らす。
右半分、特に上半身は著しく変貌しているものの、左半分はまだ人の面影を残している。それ故に遠くから撮影された写真であっても、左腕にくっきりと刻まれた切り傷の痕がどうしても目に入る。
「…………ポール……」
その傷痕を見て、アレックスはようやく現実を認める。そもそもこの傷をつけたのは、自分なのだから。
「……なんでこんなことに……」
「……ごめんなさい。私も少し焦りすぎていたわ。順を追って話しましょう」
昔馴染みの変わり果てた姿に表情を暗くするアレックスに、コーヒーを一口飲んで気持ちを落ち着けたキャサリンが説明を始める。
「貴方と別れた後、私はポールの所に身を寄せていた」
「……」
思うところがある発言だが、今言うことではないとアレックスはコーヒーを飲んで先を促す。
「私が来た頃は前に勤めてた便利屋で働いていたんだけど、仕事中に右脚を複雑骨折しちゃって、脚を引きずる体になってしまったの」
「……それで、店をクビに?」
「えぇ」
首肯するキャサリンに、アレックスも納得する。ある程度の身体能力を必要とする便利屋に怪我人を置き続けるということは、遠からず犬死する者を出すということだ。そうなる前に店から離した社長の判断は、まず正しかっただろう。
「彼もそれは納得していて、なんとか新しい仕事を探そうと必死だったけど、なかなか見つからなかった……」
「……まさか、そのストレスから《F》に?」
考えられることではある。実際写真に写っているのは麻薬系を服用した魔物なのだから。
「おそらくね。私も服用してるところを直接見たわけじゃないから断言はできないけど……その頃から様子がおかしかった」
言いながらキャサリンの顔に僅かだが後悔の色が浮かぶが、先ほどと同じ理由からアレックスは敢えて黙殺し、さらに続きを促す。
「この写真はどうして撮った?」
「数日前、仕事から帰ってきたらポールが忽然と消えていて、伝手で彼の端末の位置を調べてもらったらスラム街にいることがわかったの。ただ、反応はその一点から動いてなかったから、途中で落したんだと思うけど。前からどこか様子がおかしかったことも考えて、まさかと思ってしばらく張っていたら……」
「昨日のこの写真が撮れた。……そして、俺の所に来た、と?」
「……自分勝手なことはわかってるつもりよ。私の方から離れていったくせに、都合が悪くなるとこうして泣きついて……。でも、彼を止める為の依頼は他の人には任せられない。貴方じゃないとダメなのよ」
キャサリンの切実な訴えを聞きながら、ようやく話の全貌が見えたアレックスは腕を組んで思案する。
魔物化した人間を元に戻す術は今のところ存在しない。そして放っておけば魔物は見境なく人を襲い続ける。周囲への被害を食い止め、ポールを――
「わかった。引き受けよう」
今まで他の魔物たちにそうしてきた様に、介錯してやるしか手は無い。そしてその役目は、昔馴染みだった自分たちの仕事なのかもしれない。
キャサリンの意思を汲み、尚且つ一介の便利屋としての判断を下すと、アレックスは残りのコーヒーを飲み干して、打ち合わせと準備にかかる。
酷使前提で開発された為に耐久性と作動性に優れ、7.62mmという大口径から威力も高い突撃銃『JA AB-40』、その銃身を13インチ(330.2㎜)から20インチ(508㎜)に交換して取り回し悪化の代わりに精度を上げたカスタムモデルを肩に掛け、ロケット推進式対装甲擲弾射出筒『JA TRG-4』を脇に抱える。腰に予備の弾倉を入れたポーチと弾薬箱、常時携帯している大型自動拳銃『JA DN-35』を提げると、アレックスはキャサリンを見やる。
嘗て仕事の時はいつもそうしていた様に髪を後ろで1本に結った彼女の手には、ケースの中身――大口径ボルトアクション式対物ライフル『JA TR-3』が握られ、腰には予備弾倉入れを提げている。
お互いの準備が整ったのを確認すると、2人は外に出てガレージに向い、アレックスの愛車――軍から払い下げられた四輪輸送車に各々の仕事道具を載せていく。
「運転は?」
「当然私が」
「そうだと思った」
予想通りの返事にキャサリンに鍵を渡すと、アレックスは助手席に乗り込む。キャサリンによると、自分の運転では酔うらしい。荒い運転をしている自覚はないのだが、現場に着いてから具合が悪くなられても困るため、彼女と乗る時はいつもこうだ。
キャサリンが運転席に乗り込み、鍵を回してエンジン音が鳴り響くと、車は現場へと出発する。
「確認するけど、ポールが……左腕に傷のある魔物が出てきたら私が仕留める。それ以外の個体についてはいつも通りに」
「あぁ」
キャサリンの確認に短く応じると、アレックスは窓の外に顔を向ける。
懐かしい者に会い、懐かしい名前を聞き、懐かしい座り位置で移動を行う。そんな懐かしさが重なった所為か、ふと昔のことが思い浮かぶ。
アレックスが便利屋という世界に足を踏み入れたのは、16の頃だった。
魔物討伐の性質上危険と隣り合わせ、しかし一度に多額の収入を得られるという点に惹かれたものあるが、それ以上にこの仕事に憧れを抱いていたのが理由だ。銃火器の扱いにはそこそこ自信があったから、すぐに名の通った大手に採用されると思っていた。
しかし、そこで娑婆の厳しさを思い知る。大手の採用試験を受けても、自分ほどの腕は掃いて捨てるほどいると言われてあっさり落される。そうして一通りの大手を落し尽くされると、流石に身の程を知り、“雇ってくれそうな店”を探すようになった。
そうして入れてもらったのが、今の店の前に勤めていた所だ。社員数は10人少々といったところだが、その一帯では継続して経営していけるだけの実力と実績を持っていた。
なんだかんだありつつも、念願の便利屋になれた時は、やはり嬉しかった。
ポールとはその店で知り合った。彼の方が1年早く勤めており、歳が近かったこともあってすぐに意気投合した。
キャサリンと会ったのはその1年後。自分たちの後輩として入社してきた。
彼女とも早くに打ち解け、それ以来仕事の時も暇な時もよく3人でつるんでいた。
今思えば、自分はこの時から彼女に特別な気持ちを抱いていたのかもしれない……。
念願叶ってなれた便利屋の仕事は、予想通りハードなものだったが、それでも充実していたと思う。
入社してすぐに、この道何年という先輩たちにしごかれ、現場での立ち居振る舞いというものを叩き込まれた。射撃訓練も頻繁に行われ、お陰で“掃いて捨てるほど”よりはいくらかマシになった。扱える銃火器の種類も増えた。
魔物討伐の際には重傷者が――悪い場合には殉職者が――出たことも何度かあった。アレックス自身、些細なミスで危うい状況に陥って、間一髪のところで同僚に助けられたこともあった。もちろん、アレックスが他の同僚を助けたこともあった。
また、便利屋という仕事上覚悟はしていたが、初めて人間を殺す依頼を受けた時は流石に気が退けた。その日の夜はろくに眠れず、翌朝目の下にクマを作って出社したのは苦い思い出だ。もっともそれも、何度も同様の依頼をこなしていく内に慣れてしまったのだが。
そんな辛いことが多い仕事でも、アレックスの中に「便利屋を辞める」という考えが浮かぶことは無かった。やっと入れた職場というのもあるが、やはりポールとキャサリンがいつもそばにいてくれたことが大きかったのだろう。どんな現場であれ、自分の隣にはポールが、後ろにはキャサリンがいてくれる。その認識からくる安心感に支えられて、目の前で同僚が全身各所から血飛沫を上げたり、どこがどこだかわからないほど粉々になったりして死んでいく恐怖にも耐えることができていたのだろう。
そんな充実していた日々が狂ったのは、あの日だった。
その日、強力な個体こそいなかったが数えるのも馬鹿らしくなるような魔物の群を討伐していた際、小規模の塊に向けて突撃銃を撃っていたアレックスは、弾切れになった弾倉を交換しようとしていた。
しかし、すぐそばに大量の魔物がいることに焦っていたのだろう。手が滑って新しい弾倉を落してしまった。慌てて拾ったものの、1体の接近を許してしまった。いつもならポールやキャサリンが援護してくれるのだが、2人とも別の塊の対処に手一杯だったため、こちらの状況に気づいていない。
(俺もここまでか!?)
目の前に立った魔物が大口を開けたのを見て、自分の番を悟った。
が、一瞬後に魔物の頭が粉々に吹き飛び、
「何やってんだノロマ! とっとと弾込めろ!」
直後に響いた怒声に気を取り直すと、アレックスは助かったという自覚もそこそこに銃撃を再開した。
帰りの車で知ったことだが、あの時自分を助けてくれたのは普段反りが合わない先輩だった。普段はどうでも、現場に出ればお互い様ということだろう。
しかし店に帰った後、案の定というべきか、その先輩からたっぷりと嫌味を言われた。助けてもらった手前言い返すこともできず、かと言って逃げることもできず、アレックスはひたすら耐えるしかなかった。
だからその日の仕事終わり、気分転換ということでポールたちと行き付けの飲み屋に行った時、いくらか機嫌が悪かったのは確かだった。
普段はほどほどに酔ったところでやめておくアレックスも、この日ばかりは浴びる様に飲んだ。それこそ当時の記憶が曖昧になるくらいに。
キャサリンがトイレに立って席を外したことは覚えている。それに構わず愚痴を溢しながら飲み続けていたこともなんとなく覚えている。
そう思っていた次の瞬間、キャサリンの悲鳴が耳を貫き、気づくと自分の手にナイフが握られ、足元には食器や食べ物が散乱し、目の前にはポールが左腕を押さえてこちらを驚愕の目で凝視していた。
「!?」
突然のことに動揺しそうになる自分を必死に抑え、アレックスは状況を整理した。
手に持っているナイフは、当時護身用に身に着けていた私物だ。刃には真っ赤な血がべっとりと付いている。こちらを凝視しているポールは長袖越しに左腕を押さえながら苦しんでおり、破れた袖の合間から覗く腕には手で覆えないほど長い切り傷が深々とついている。
これらのことから導き出される結論は……。
「俺が……刺したのか? ……ポールを…………」
すぐには理解が追い付かず、知らぬ間にナイフを落したアレックスは、しばし呆然としていた。
先にキャサリンが気を取り直し、それに続いてポールや店員、他の客たちも我に帰ると、手始めにポールの腕の応急処置を行い、ナイフを拾って手早く会計を済ませ、未だ自失しているアレックスを引きずる様に店を出た。
近くの病院で本格的な治療を行い、アレックスもどうにか回復してひと心地つくと、3人は現状を確認した。
ポールの証言によると――彼自身その時はそれなりに酔っていた為、記憶の信憑性は低めなのだが――アレックスの愚痴に適当な相槌を繰り返していた時、突然激昂したアレックスがテーブルを叩きながら立ち上がり――床に散乱していた物はこの時落ちた物――腰に提げていたナイフを抜いて訳のわからないことを騒ぎながら斬りかかったらしい。
そして斬りかかる瞬間にトイレから出たキャサリンがそれを目撃し、信じられない光景に悲鳴を上げたそうだ。
一連の話を聞いてもアレックスはその時の記憶を全く思い出せず、酔っていたとはいえ仲間を傷つけてしまったことに頭を抱えて、ただただ後悔していた。
不幸中の幸いというべきか、痕は残るかもしれないが後遺症はまずないという診断にひとまず安堵すると、互いに時間を置いて落ち着こうということでその日は解散した。
その時のアレックスは、この流れを幸いに思った。未だ酔いが残る頭でこれ以上悩んでいてもしょうがない。それに冷却期間を設ければ丸く治まるだろう。そう思っていた。
しかし、実際は違った。
翌日、とりあえずいつも通りに出勤した3人だったが、いつも仲のいい3人の態度がどこかぎこちないこと、なによりもポールの左腕に包帯が巻かれていることに、同僚たちの多くは何かがあったのだと察し、中には露骨に訊いてくる者もいた。
3人が3人とも沈黙を貫き、表向きはこの件は治まったものの、以降3人、特に最も不自然な様子だったアレックスに向けられる視線には疑念が混ざるようになり、職場での居心地は必然的に悪くなっていった。
決して嫌がらせを受けるとか、理不尽なことを要求されるとかではない。寧ろ何もされず、気づいたら距離を置かれていることが辛かった。
仕事――特に現場――への影響こそ最小限に止めていたものの、そんな雰囲気にいつまでも耐えられるほど、ましてや命のやり取りを継続できるほど、アレックスは強くなかった。
結局、飲み屋での一件から半年も経たない内にその店を辞めてしまった。同僚が死ぬところを見ても辞める気が起きなかった男が、同僚たちからの無形の圧力で辞めてしまったのだ。
キャサリンも同じ思いを抱いたのか、一緒についてきてくれた。本人の真意はわからなかったが、アレックスにとってはありがたかった。
ポールは残った。曰く、「自分はもうここでしか生きていけない。多少居心地が悪くても、ここにいるしかないんだ」とのこと。それに対してアレックスは、「…………そうか」と返すことしかできなかった。
勤めている店を辞めた後も、アレックスはキャサリンと共に便利屋を開いた。それが現在の店だ。心機一転して転職を、などという考えは起きなかった。やはり自分には便利屋しかないと思っていたから。
前の店の社長が最後の情けと言って、店を開く元手を退職金と共に持たせてくれ、事務所も早くに見付かったので開店そのものは思いの外早くできた。
もっとも、実力の知れない新しい店に依頼が舞い込んでくる機会など少ない為、未だに元手という名の借金は返し切れていないのだが。
そうしてなし崩しとはいえ独立を果たした後、アレックスはキャサリンと共に借金返済と並行しつつ、山も谷もない便利屋稼業を営んでいった。苦しい立場の為に贅沢は言えないものの、ある程度のリスクと報酬のバランスを考えつつ、魔物の討伐もやればあまり声に出せない仕事も引き受けた。
その後キャサリンが出ていき、新たに社員を2人雇い、今日に至る。
ふと思う。あの時ポールを説得して今の店に誘っていれば、こんなことにはならなかったんじゃないか? 自分たちがそばにいてやれば、また違った結果になたのではないか? そもそも、あの日自分が彼を傷つけなければ、あの日々と同じか、せいぜい少し違う程度の毎日が今日も送れていたのでは――。
唐突に感じた停車の感覚が、アレックスを現実に引き戻した。
(……着いたか)
現場に来た。その認識が余計な思考を隅に押しやり、車を降りて突撃銃『AB-40-ul』と対装甲擲弾射出筒『TRG-4』を取るとそれぞれ動作確認を行う。
キャサリンの方も銃の準備が整ったのを見ると、互いにヘッドセットの調子を確認し、車の前方に広がる廃墟群へ向かう。
キャサリンが写真を撮った際に見付けていた狙撃地点へ向かうのを横目で見つつ、アレックスは背負った『TRG-4』を抱え直し、『AB-40-ul』を構えて慎重に歩を進める。
『狙撃地点を確保したわ。11時の方向、距離300に3体。内2体はポールじゃない。1体はここからだと左腕が見えない。そっちで確認してちょうだい』
「了解」
ヘッドセット越しのキャサリンの指示に応じると、アレックスは言われた方向へ向かう。
足音を立てないように注意して進むと、右半分がゴム管になった魔物が3体、廃屋の合間を亡霊の様に徘徊しているのを崩れかかった壁の陰から見る。
内1体は左腕が他の魔物の後ろに隠れている為、ここからでは傷の有無は確認できない。
(距離は100mってとこか。いつもならまとめて片付けるところだが、今回はな……)
車内での会話を思い出しつつ、無線越しにキャサリンに問う。
「目標を確認した。他の対象はどうだ?」
『貴方を中心にした1000m以内には見られない。でも物影に潜んでる可能性はあるわ。それに、1000から先には三々五々固まって徘徊してる』
一度大きな音を出せば、後から後から自分の許へ集まってくることになる。事務所での打ち合わせによると、確認できた魔物はいずれも麻薬系、数ははっきりしないらしい。
ただしこれは「確認できた」もののみである。キャサリンが下見の際に強力な個体を見落とした可能性はある。もしドーピング系の様な打たれ強い種類が出てきた場合、現状の装備では正直きつい。そうした不確定要素を考えると気は進まないが……。
「了解した。とりあえず目の前の2体をやる。傷が無ければ3体共な」
『了解』
どの道ポールを仕留めなければ先に進めない以上、こちらから仕掛けるしかない。
一抹の不安を覚えながらも魔物の1体、その左胸に狙いを付けると、アレックスはフルオートに設定して2回トリガーを引く。
銃口から吐き出された6発の7.62mm弾の内、1発目が左胸を貫いて心臓を潰し、2発目が左脇を掠り、3発目と4発目が脇の下を、5発目と6発目が離れた所を通り過ぎていくと、その魔物は押される様に仰向けに倒れる。
残りの2体が同類の異変に気づく――前にアレックスは続けてトリガーを引き、もう1体に二射分叩き込む。殺到した6発の内5発が腕や脇を掠り、1発が心臓を貫いてその息の根を絶つ。
倒れる魔物を視界の端で確認しつつ、結局傷の無かった最後の奴にも二射分撃ち込み、2発が腕を掠り、3発が脇を通り過ぎていく横で1発が心臓を穿つ。
その音に釣られてか、廃屋の陰に潜んでいた1体が駆け寄ってくるが、一瞬で傷の有無を確認して二射分撃ち込み、4発が首や肩を掠って2発が額を貫く。
(さて、今ので来るな)
連続で鳴り響いた銃声、それを聞き付けてこちらにやって来るであろう魔物の群を想像し、アレックスは周囲を警戒、同時にキャサリンの連絡を待つ。
『14時から4体。ポールは……いないみたい』
「こちらからも確認した。ついでに左からもな」
応じつつ、廃屋の合間から湧く様に出てくる魔物の群を壁の陰から観察する。
(合計10体か。内脚周りの変貌が少ないのは4体。ポールは……いないようだな)
左腕に留意しつつ、左腕が変貌している個体はキャサリンの話にあったもう一つの手掛かり――右脚を引きずっているかどうかで素早く判断を下すと、キャサリンに通信を送る。
「ここらで攻める。フォローを頼む」
『了解』
返答を聞きつつ、アレックスは弾倉を新しい物に交換する。基となった『AB-40』は弾倉1つにつき30発、つまりまだ6発入っているのだが、目の前の数を一度に相手するには途中で弾切れになってしまうので今の内に換えておく。
それを済ませると先頭を歩く脚周りの変貌が見られない個体に狙いを付け、その胸目がけて6発撃ち込む。
内1発が心臓を潰して血飛沫を上げる間に、その隣のもう1体にも二射分撃ち込み、1発が首を掠ってもう1発が心臓を撃ち抜く。
予想通り銃声とマズルフラッシュの輝きに気づいた残りの8体が一斉に押し寄せるが、アレックスは冷静に優先順位を決めて捌いていく。
麻薬系は変貌が進むと脚部までゴム管化し、歩行能力が著しく低下する。そうした個体は後回しにして、先頭を走る脚が綺麗な残りの2体を優先的に撃っていく。
脚が変貌していない個体は、《F》の効果によって脚力が人間より強化されている。直線距離で100m少々――実際には相手が距離を詰めてくるのでもっと近いだろうが――の開きがあるものの、対処を誤るとあっという間に詰められてしまう。
だからこそアレックスは1体1体を確実に、それでいて素早く処理していく。
3体目は右頬を掠り、眉間に風穴を空けられる。4体目は心臓に1発撃ち込まれる。
その後ろをぎこちない歩調で進む6体、内手近な1体に残弾6発を叩き込んで2発が心臓を潰すと、手早く弾倉を交換して残り5体に二射ずつ撃っていく。
ある者は心臓を、ある者は頭を撃ち抜かれ、狙いが逸れた弾が脇や腕を掠り、肩や腹を砕いて血飛沫を上げながら倒れていく。
が、全て倒し終わった頃にはすでに5体ほどがこちらに気づいて近づいてくる。
(一息つく暇もない)
休む間もなく現れた一団に内心愚痴を溢しつつ、アレックスは撃ち切った弾倉を新し物に換える。
しかし作業が間に合わず、足の速い1体の接近を許してしまう。
もっとも、フォローがしっかりしている為に一切の不安は無い。
アレックスとの距離を12mまで詰めたところで、その魔物は上方から飛んできた15mm弾に体を砕かれる。
キャサリンの大口径ボルトアクション式対物ライフル『TR-3』だ。160cmに及ぶ全長から取り回しが悪いものの、信頼性と威力に優れ、Junky Armament製では珍しいある程度の精度も備えている頼もしい一品。
2km先にも強力な一撃を届けることができる心強い後衛に守られながら、アレックスは周囲に気を散らすことなく装填を終え、残り4体それぞれにセミオートの一撃をお見舞いする。
血飛沫が飛び、肉片が舞い、頭か心臓を撃ち抜かれた魔物たちが地面に転がるが、その頃にはまた別の一団が湧き出てくる。
同類の死骸を踏んで5、6体、多い時で10体ほどの魔物が間を置かず迫ってくるが、アレックスはただ無心にトリガーを引き続けるだけだ。舞い散る血飛沫に対する不快感も、標的を倒した高揚感も、途切れること無く迫る魔物への恐怖心も無い。ポールの件と戦うこと以外思考らしい思考を働かせず、今や己の体の延長となった突撃銃に銃弾を吐かせ続け、キャサリンの狙撃を交えつつポール以外の魔物を介錯し続ける。
そんな状況がどれくらい続いただろうか。
ポーチの中身が2割を切ろうとした辺りを境に、湧いてくる魔物の数が目に見えて減り始め、視界内の最後の1体にフルオートの一撃を叩き込んだのを最後に動いている魔物はいなくなる。
残っているのは、目の前に転がる100はあろう死体だけだ。その内頭や胸が大きく抉れているのはキャサリンの狙撃によるものである。自分への援護以外にも別の場所へ向けて何度か撃っていたことも考えると、見えない所にも多数の死体があるのだろう。
(ポールがいなかった? ……どういうことだ?)
目的の者がいないことに首を傾げながらも、アレックスはキャサリンの周辺確認の結果を待ちつつ、今の内に残弾9発の弾倉を新しい物に交換する。
そうしながら、唐突に懐かしい感覚を――背中を預け切れる安心感を思い出す。
(そういえば、昔はこれが当たり前だったんだよな……)
前の店でも、個人店になってからしばらくも、自分の後ろにはキャサリンがいてくれた。ポールが隣から消えたことはそれなりに痛手だったが、彼女が後ろにいてくれるだけでもどれだけ支えになったことか。
無論、今雇っている社員2人が頼りないというわけではない。大手に入る腕こそないものの、自分と組んで仕事をする分には充分な技量がある。
しかし、長年背中を預け続けたキャサリンには敵わないというのがアレックスの正直な思いだ。積み重ねた時間だけは、何にも代えることができないから。
そこまで考えると、不意に石が転がる音が耳を突く。
「!」
すぐに音のした辺りを確認すると、魔物が1体こちらに近寄ってくる。
「……ようやくだな……キャシー」
『確認した…………こいつは私が』
「……了解だ」
通信越しに応じると、アレックスは腕の傷がくっきりと浮かぶ魔物に突撃銃を向ける。
(……いや、こっちの弾はもう心許ない。あの歩みなら、これでもいいか)
残弾の状況と、大して変貌が進んでいないにも関わらず
自分が手を下さずとも、すぐにも頭を撃ち抜かれて片が付く。あくまでも念の為に過ぎない。
その筈だったが……。
(……まだなのか? キャシー?)
彼我の距離が50mを切ってもいっこうに撃つ気配のない彼女に、アレックスは内心焦りを募らせる。
レティクルの向こうに左腕に傷を負い、右脚を引きずる魔物を捉えると、キャサリンはトリガーに指を掛ける。
16の頃から何年もの間ずっとやってきた、いつも通りの動作だ。役所勤めの間も暇さえあれば射撃訓練を続けていた。腕は鈍っていないことは先ほどまでの狙撃で確認済みだ。後はトリガーを引くだけ。それでここに来た目的は達成される。
その筈なのだが……。
(……どうして、引けないの!?)
己の意思を拒絶する様にピクリとも動かない指に、キャサリンは困惑する。
(何してるのキャサリン! 撃ちなさい! 何の為にここに来たと思ってるの?)
自身への叱責を浴びせるが、それでも指は動かない。
(ポールがあぁなったのは、私が彼の悩みに気づいてあげられなかったから。だから、彼を介錯する義務は私にある。アレックスに頼んだのはあくまでも手伝い。これ以上彼に――私の方から離れていった彼に甘えるわけにはいかないの!)
震えだす手を鎮めようと一語一句自分に言い聞かせるが、それでもトリガーが引けない。
(今更何を躊躇うの? トリガーを引くくらい、もう何年もやってたでしょう? 貴女は今まで何体の魔物を撃ってきたの? 何人の人間を殺してきたの? ついさっきだって何体も魔物を撃ったじゃない。やることはそれと同じ。早く引きなさい!)
尚も叱責を続ける間にも、アレックスと魔物との距離は15mを切る。
そして、
「!?」
自分ではない銃声が響くや、彼女は何が起こったのか理解する。
理解と同時に、一滴の涙が零れ落ちる。それが悲しみによるものか、悔しさによるものかは、本人にも判断がつかなかった。
両手でしっかりとグリップを握り、視線と一直線になった銃口を目の前の魔物の頭部に合わせる。
相手との距離は10mを切った。動きは鈍く直線的。手の中の『DN-35』は高威力を誇るものの反動制御が難しいのだが、それにはとっくの昔に慣れた。
条件と自分の腕を冷静に判断するに、確実にやれる自信がある。何より、これ以上待っていては自分が危ない。
ここに至ってアレックスは、いよいよ決断を下す。
「…………すまない、キャシー。…………悪く思うなよ、ポール」
消え入る様な声で呟くや、指を掛けたトリガーを2回引く。
鋭い銃声を伴って放たれた11.2㎜強装弾は2つとも吸い込まれる様に魔物の頭に当たり、肉片と血飛沫を飛び散らせて頭蓋骨を砕く。
「……」
頭部を失った魔物が仰向けに倒れるのと同時に、アレックスの胸に重い痛みが走る。
しばし待ち、近寄って足先で蹴り付け、魔物が動かないのを確認すると、拳銃を下ろしながら通信に呼びかける。
「キャシー。……キャシー!」
『……え? あ、なに?』
「悪いな。なかなか撃たないから俺がやっちまった。……とりあえず、依頼は完了だ。残りがいないか確認して引き上げよう」
『…………えぇ。そうね』
キャサリンの声に違和を感じるものの、アレックスは敢えて無視して事務的なやり取りを続ける。今は寧ろ、その方がいい。
1時間ほど捜索して生き残りの魔物がいないかの確認を終えると、アレックスとキャサリンは車に乗り込み、真っ直ぐ事務所へ向かう。
ハンドルを握るキャサリンも、窓の景色を上の空で眺めるアレックスも、何も話そうとしない。
今の雰囲気が、前の店で殉職者が出た依頼の帰路のそれに似ているからだろう。こういう時は無理に口を開かず、黙ったままにしておいた方がいい。各々の気持ちの整理をつけるには、それが一番だと知っているから。
事務所に着いて銃器の片付けを終えると、アレックスは机を挟んで座るキャサリンに角砂糖1つ入れたコーヒーを差し出す。
「……ありがとう」
まだ目が虚ろながらもマグカップに口を付ける彼女を見ると、アレックスも自分のブラックコーヒーを一口飲み、仕事を終えて以来はじめてまともに口を開く。
「その、だな…………引き受ける前はあぁ言ったが、正直もう少しで懐が危うくなるところだったんだ。……だから、仕事をくれたことには感謝してる……」(何言ってんだ、俺は…………)
咄嗟に出てきた言葉に我ながら呆れつつも、アレックス自身、ポールを失った現実――あるいは自分がやったという事実――から立ち直り切れていなのだと自覚する。
「そう。…………振り込み先は、前の口座で?」
「あぁ……」
「わかったわ。帰ったら入れておく」
支払いの確認を済ませると、キャサリンは流し込む様にコーヒーを飲んでいく。
それを眺めつつ、自分もコーヒーをすすりながら、アレックスはどうしても気になっていたことを問う。
「キャシー…………俺を恨んでいるか?」
「…………いいえ。貴方が撃ったのは魔物、便利屋として当たり前のことをしただけよ。それでいちいち恨まれてたら商売あがったりでしょ。……寧ろ、自分でやると言っておいて結局やらなかった私に、幻滅してるんじゃない?」
「そんなことはない」
「ならいいけど……コーヒー、ごちそうさま」
応じると、キャサリンはコーヒーを飲み干し、狙撃銃を納めたケースを提げて立ち上がる。
玄関へ向かおうと歩き出そうとすると、
「……キャシー」
「……何?」
アレックスに呼びかけられて足を止める。
顔こそ向けないが、アレックスはこの際気にしない。あの時の様に、言葉が喉に詰まる不快感を味わうのはもう御免だ。自分がこんなことを言える立場でないことは百も承知だが、それでも言わずにはいられない。
だから、浮かんできた言葉をその背中にぶつける。
「これは大して学のない、それこそ便利屋しかやってこなかった俺の経験則に過ぎないんだがな……世の中ってものへの向き合い方には、二通りあると思うんだ」
そこで一旦言葉を区切る。未だ背を向けたままだが、キャサリンは聞いてくれている。
「一つは、現状をよく理解してそれに合ったあり方を選ぶこと。今のご時世なら、俺たち便利屋はその最たるものだな。《F》が出回り、それによって魔物になる奴が後を立たない世の中で、その魔物を狩って生計を立ててる。もっとも、俺自身はそんなことを理解してこの業界に来たわけじゃないがな……」
最後の方で自虐的な笑みを浮かべると、コーヒーを一口飲んで口を整える。
「もう一つは、現状を理解した上で尚、自分の思い描いているものに向って進んで行こうとすること。世間一般じゃ、青二才とか馬鹿とか言われる様な奴だな。《F》が根絶され、魔物がいなくなった社会。実現させた者は正しく英雄だろうが、茨の……針山の道であることは間違いないだろうな。クリアしなきゃならない課題が多い上に、周りからは笑われたり煙たがられたりするだろう……」
もう一度コーヒーを飲むと、アレックスは少しだけ、ほんの少しだけ、祈る様な目をキャサリンの背中に向ける。
「ポールの様な奴を出さない……俺たちの様な思いをする奴を増やさない為には、後者を選ばなければならいのかもしれない。ただ、所詮便利屋でしかない、そこから動こうとしない俺には無理だ。だがお前なら……理由はどうあれ、そこから動けたお前なら、あるいは…………。なんて、今まで散々魔物殺してきた奴が、今更何言ってんだろうな…………」
「……そう…………わかったわ」
短く応じると、キャサリンは今度こそ事務所を出ていく。
ドアが閉まる音を聞きながら、アレックスは飲み残しのコーヒーに視線を落とす。
(……俺は結局、自分にできないことを他の奴に押し付けたんだな。キャシーだって所詮は下っ端だ。何ができる……。だが…………)「それくらいのことを思わなきゃ、やってられねぇよな…………」
誰に言うわけでもなく呟くと、アレックスはコーヒーを飲み干した。
その後、キャサリンがどうしたかは知らない。
確かなのは、それからも《F》は出回り、魔物になる者は出続け、便利屋がそれらを狩って生計を立てているという、変わらない毎日が繰り返されていること。
そして今日も、アレックスは銃を片手に、復帰した社員たちを引き連れて現場へ向かう。
お付き合いありがとうございました。
作者にとっては挑戦的な内容の作品だったのですが、いかがだったでしょうか?
大雑把な部分も多々あったかと思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。