※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『苦労人は何も彼だけではない。魔族にだって苦労人は存在する』

 

「三人は対魔忍だな。雷撃、斬鬼、最近は名を聞かなかった幻影のまで」

 

「あの魔界騎士にまで名を知られているとは、光栄の至りだな」

 

「勘違いをするな。貴様らが哀れな奴隷娼婦に堕ちたと聞き及んでいただけだ」

 

(お前も似たような目にあってんのに、よー言うわ)

 

 

 魔族特有の人間に対する無条件の侮蔑を向けられ、ゆきかぜと凜子は武器を構えながら歯噛みした。

 イングリッドがかつてどんな目にあったかを知っている虎太郎にしてみれば、どうして自分を棚上げしてそんなことが言えるんだ状態である。

 

 

「しかも、最近ヨミハラを騒がせている狼藉者と同伴とは。この馬鹿騒ぎも貴様の手によるものか」

 

「………………」

 

「余程、娼館に恨みがあると見える。奴等がそんなに憎いか? 下賤な対魔忍どもを助けたのは、奪われた女の影でも見たか?」

 

(セーフ。少なくとも表面上は気付かれてない。あれだけ派手にやったし、対魔忍のやり口からかけ離れてるからね! 今はアサギの何でもかんでも正面突破のやりように感謝!!)

 

 

 自分は殆ど手を下さず、住人を煽動して娼館の人間を殺させる。

 対魔忍のやりようにしては悪辣すぎる。仮にも正義と誇りを謳う集団である。用いる手段が、余りにかけ離れている。

 その身に纏う対魔忍装束ばなれした対魔忍装束と顔を覆う無貌の仮面も、正体を隠すことに一役買っていた。

 

 イングリッドは哀れみすらも見せない軽蔑の視線を向ける。見当違いの見解は虎太郎にとっては僥倖だ。

 自分に対して絶対の自信がある者は、一度下した自身の結論に疑いなど抱かない。少なくともイングリッドの気質では、自身を疑うなど在り得ないだろう。

 

 

「答えてやる義理などない。……べらべらとよく回る舌だ。手にした剣は飾りか?」

 

「――――何?」

 

 

 ギシリと音を立てて空間が凍り付く。言うまでもなくイングリッドの殺気によるものだ。

 

 ゆきかぜと凜子は冷や汗を掻き、不知火は得物の薙刀を握り直す。

 並みの魔族ではここまでの殺気を放てまい。一般人であればそれだけで、蒸発してしまいそうだ。 

 

 

「そうまでして他人を見下したいか。確かにお前は強い。生き物としても、存在としても、能力も強度も人とは段違いだ。認めざるを得ない」

 

「……何が言いたい」

 

「いや、オレに言わせれば一山いくらの魔族と大差はないという話だ。他人を見下していないと誇りも示せない。力というただ一点でしか世界も他人も測れない狭量で視野の狭い馬鹿どもだ」

 

「――――貴様っ」

 

「違ったか? ああ、すまない。そんな風にはまるで見えなくてね」

 

 

 失笑を漏らしながらの台詞に、イングリッドどころかその部下までも怒りを露わにする。

 他の3人にしてみれば、冷や汗ものだ。わざわざ怒りを煽る場面でもあるまいに、と。

 

 しかし、虎太郎にしてみれば当然の舌戦だ。

 怒りは確かに能力を高める。その反面、視野狭窄を引き起こし、突発的な事態に弱くなる。付け入る隙が増えるということだ。

 

 

「オレから言わせれば、お前等は揃いも揃って年を重ねただけのガキだ。何処までも自分が正しいと信じ、上手く行かないとすぐ取り乱す――――お前が大好きなあの男ですらそうなのだから、笑える話だがな」

 

「下賤な人間風情が、我が主まで侮辱するか……!」

 

「オレはお前等と同じことをしているだけだ。自分の見たものを、自分の尺度で語っているに過ぎん。自分がやられて嫌なことを、他人にするなよ。まあ、掌が大きい、腕の長い子供は可哀想という話でもあるがな」

 

 

 必要以上の挑発――などではなく、全て虎太郎の本心だった。

 虎太郎の魔族に対する結論だ。不死の王、吸血鬼の始祖、強大な力を持ったノマドの創始者であるエドウィン・ブラックであっても、それは変わらない。

 強大な力を持って生まれた故に、何もかもが思い通りに進んできた。だから、力が全てなどと勘違いをする。

 

 確かに圧倒的な暴力は、この世において比類のないものだ。

 しかし、それは支配や戦いという観点から見ただけの話。発展や成長という観点から見れば、知恵の方がよほど有用である。

 

 その辺りを魔族は全く理解していない。

 弱肉強食の掟に従い、戦いばかりに生きてきたのだから仕方がないといえば仕方がない。

 だが、掟も法則も異なる人界に来たと言うのに、浪費と殺戮を繰り返すばかりで学ぼうともすらしないのは虎太郎に言わせれば、どうしようもない阿呆だ。

 

 

「べらべらと舌が回るのは貴様の方だ! 自らの愚劣、死を以て知るがいい……!」

 

「何を怒ってるんだ、アイツは……」

 

『自分から怒らせておいてよく言います』

 

「全くだ……!」

 

「全くよ……!」

 

 

 6人の騎士が一斉に襲い掛かる。得物は全てが長剣。

 

 真っ先に前へ出たのは、凜子と不知火。共に近接戦闘において無類の力を発揮する剣術、薙刀術の使い手。当然の選択だ。

 だが、八つの剣戟が激突するよりも速く、奔るモノがあった。

 

 

「飛べよ、雷撃――ッ!!」

 

 

 ゆきかぜが自らの得物を構え、術を発動させる。

 手にしたフリントロックを連想させる二丁拳銃の名はライトニングシューター。強大な雷遁の術を安定して使用するための装備だ。

 

 銃口から緑色の雷球が迸る。

 一つ一つが5000Vを越える雷撃である。直撃すれば一溜りもない。

 並みの魔族であれば反応することも敵わず身体の風通しが良くなり、黒焦げの死体が出来上がる。

 

 されど、彼女達が相手取るのは魔界騎士イングリッド直属の自警団――否、騎士団である。

 無数に放たれる雷球を躱し、防げなくては、とても魔界騎士の部下は名乗れない。

 

 女騎士たちは手にした剣はイングリッドのような魔剣術なのか、魔力を帯びている。

 故にゆきかぜの雷球を断ち切るも、防ぐも思いのままであるようだ。事実、何度雷球を受けても蹈鞴を踏んで交代するばかりで感電や電熱に曝されている様子は一切ない。

 

 ゆきかぜに焦りはない。

 元よりこれまで相手にしてきた魔族とは格の違う相手だ。当たれば御の字、当たらずとも凜子と不知火の牽制になればそれで良かったのだ。

 

 凜子と不知火は襲い来る騎士を必死の形相で捌く。

 一対一ならば負けはないが事実上の一対三の構図は、如何に二人と言えども如何ともしがたい。

 

 不知火は敵を倒し切れぬ現実と回転を上げていく鼓動と呼吸に焦りが生じていた。凜子もそれは変わらない。

 本来であれば、不知火はこの6人を相手どっても負けないどころか勝てたであろう。しかし、長年に渡る奴隷生活は彼女にどうしようもない衰えを生じさせている。

 

 対魔忍は堕落し、魔族と共にあると不思議なことにその力――対魔粒子の増大、術の応用範囲、威力の増大だ――を増していく。

 極一部の者しか知らぬ事実であるが、その理由は対魔忍の力の根源と関係がある。

 対魔忍とは、かつて魔に対抗する為、魔の者と交わり、魔の力を自らのモノとした人間の末裔なのだ。

 

 虎太郎もその真実を知っている。薄々感付いてはいたが、ハッキリと認識したのは東京キングダムにおけるアサギと朧の死闘を垣間見た時だ。

 心身ともに極限まで追い込まれたアサギは、自らの内に眠る魔の力を覚醒させ、辛くも勝利を収めた。その場に、救出へと向かった虎太郎も居合わせたのである。

 

 堕落した対魔忍が快楽を追求し、鍛錬のたの字も掠らぬ有り様にも拘わらず、かつてよりも強大な力を手にする理由を虎太郎はこう結論付ける。

 対魔忍は身も心も魔に近づくほどに力を増すのは、人よりも魔に近づいているが故だ、と。

 

 故に不知火の弱体化は当然である。

 既に彼女は身は兎も角として、その精神は人そのもの。残るのは衰えた身体のみ。

 

 

「――――邪魔だっ!!」

 

「ぐぅぅ――――ッ!?」

 

「――――あぐぅっ?!」

 

 

 如何に強いとはいえ新人の凜子。如何に手練れとはいえ衰えた不知火。

 そんな二人では、今がまさに全盛期のイングリッドを止められる筈もなく。

 

 辛うじて体勢を崩すのみで済んだものの、イングリッドも凄まじい膂力と剣技だ。ただの二閃で、両者を突破してしまう。

 

 彼女の狙いは、ゆきかぜだ。

 この場において最も攻撃範囲の広く、火力も高いゆきかぜこそが、剣士である彼女にとっては最大の天敵だ。

 イングリッドの実力を鑑みれば、障害とも呼べない障害である。躱しようがあり、防ぎようのある攻撃など無意味極まる。

 けれど、主を愚弄した男を確実に殺す為には最大の邪魔者には違いない。

 

 イングリッドが間合いを詰める。

 元より遠距離からの攻撃を得意とするゆきかぜは、無数の雷球を放ち、魔界騎士の足を止めようする。

 だが、既に疾風と化したイングリッドは止まらない。迫る攻撃を躱すばかりで、防御すらせずに前進した。

 

 ――そして、ゆきかぜの首がイングリッドの間合いに入ってしまった。

 

 ゆきかぜは咄嗟にライトニングシューターを盾にしようとしたが、イングリッドの持つ魔剣ダークフレイムには余りにも心許ない。

 

 次の刹那には首が飛ぶ。 

 ゆきかぜが死を覚悟し、イングリッドが勝利を確信した――

 

 

「本当に、手間の掛かる奴だな、お前は」

 

 

 ――そんな呟きと共に、身の毛もよだつような肉が裂け、骨の断たれる音が響き渡る。

 

 

「――なっ!」

 

「……ッ!?」

 

 

 ダークフレイムが断ったのは虎太郎の突き出した左拳。

 イングリッドの驚きも、ゆきかぜの戦慄も無理はない。自らの一部分をあっさりと捨てるなど、誰であれ予測も出来まい。

 

 

「ふッ――――!」

 

「が、ぐぁっ?!」

 

 

 腹部に放たれた右の掌底に、イングリッドは後方に投げ出されながらも何とか地面に倒れ伏す不様を回避した。

 

 ゆきかぜの顔は蒼褪めている。自分の不手際と弱さで、虎太郎が傷つくなどあってはならないことだ。

 

 

「…………こ――」

 

「取り乱すな!」

 

 

 己の名前を呼びそうになったゆきかぜに、鋭い喝を入れる。

 左の拳は手首まで縦に裂けているにも拘わらず、痛みを感じさせない鋭さだ。

 虎太郎にとっては手が斬り裂かれたことよりも、名を知られる方が余程問題であるようだ。徹底的にも程がある。

 

 

「何て奴だ。対魔忍などを身を捨ててでも守るとは――――だが、残念だったな」

 

「知ってるよ。燃えるんだろ、これ」

 

 

 勝利を確信したイングリッドは会心の笑みを浮かべる。

 イングリッドの魔剣術は黒い炎を生み出す。消えぬ黒炎はやがて敵の全身へと行き渡り、骨まで焼き尽くされた焼死体が出来上がる。

 そうして、彼女は魔界騎士の名を欲しいままにし、数多の敵を屠ってきたのである。

 

 けれど、虎太郎は何処までも冷静だった。

 断たれ、今まさに黒い炎が生み出されようと煙を上げる左手を前に差し出す。

 イングリッドの能力は闇の世界でも有名である。それ故、万が一に備えた傾向と対策も整えてある。

 

 虎太郎は左手首に手持ちの鋼線を巻き付けると、即座に斬り落としてみせた。

 

 

「………………ッ」

 

「何だぁ? 何を驚いているんだ、お前等は?」

 

 

 イングリッドやゆきかぜだけではない。凜子と不知火と交戦していた6人の騎士達ですらが硬直していた。

 

 イングリッドの能力への対抗する方法はいくつかある。

 遠距離からの一方的な攻撃。彼女の攻撃には一切当たらない。彼女の魔術や魔力を封じる。通常、思いつくのはこれくらいだろう。

 だが、虎太郎の取った方法は、誰もが思いつくが決して、呼吸をするように実行するようなものではない。

 

 彼にしてみれば当然だ。

 使えないものは斬り捨てる。自分の一部であろうとも、自分自身であろうと例外ではない。その理に従ったまで。

 合理的だ。命を喪うよりも遥かにマシであると同時に、痛みにさえ耐えれば戦闘続行も可能。実に無駄がない。

 

 ――もっとも、そんな判断を誰もが即決できはしないからこそ、彼の異常性を際立たせているのだが。

 

 確かに、五車学園に戻れば桐生がいる。彼の技術を以てすれば、傷跡も残らずに元に戻る。

 だが、20年以上も連れ添った自分の一部を顔色一つ変えずに斬り捨てるなど、まともな精神では不可能だ。

 

 

「どうした? 何故、攻撃してこない? 絶好の機会だったろ? そんなに驚くようなことか? 死ぬよりマシだろ?」

 

「……貴様は」

 

「ふん、お前等みたいな連中は嫌いだよ。他人から命を奪っている癖に、自分の命は奪われるのは嫌ときた。最低限、オレくらいの覚悟は持ってほしいもんだね。殺してるんだ、殺されても当然だろ? 何されたって文句言えない立場だと思うがね。オレが相手にすることは、全部オレにやっていい事なんだがなぁ」

 

 

 嘘偽りのない本心である。

 

 虎太郎には自覚がある。それは能力面だけでなく、己自身の行動にまで至る。

 自身は紛れもない外道である。闇の住人共を罵る権利すらない。

 命を含めた全てを奪って生きている。ならば、いずれ自分が全てを奪われても文句など何一つない。

 無論、抵抗はする。それは一つの生命として当然の権利なのだから行使すべきだ。だが、抵抗虚しく殺されたとしても、くそったれと言いながら笑って死ぬ覚悟など当の昔に終えている。

 

 

「そんな程度の覚悟もないのに、よくもまあ好き放題やるもんだ。お前等の死に様、さぞ見物だろうよ。もっとも、オレは楽しみゃしないがね。死んだかどうか確認するだけだ」

 

「…………いいだろう。貴様は敵だ。我が全霊にかけて殺すべき――いや、殺さねばならぬ敵だ」

 

「だから、何から何まで遅すぎるんだよ、お前等は」

 

 

 事此処に至ってようやくイングリッドは虎太郎を認めた。

 競い合い、互いを高め合う好敵手ではなく、己の全てをかけてでも殺さねばならぬ敵という意味だ。

 

 魔界騎士は、この男が強者弱者に拘わらず、危険極まる存在だと認識を改めた。

 必ず殺しておかねば、いずれ――いや、今すぐにでも、主に牙を剥きかねない。

 根拠のない勘と大差はなかったが、騎士たる彼女には、それだけで充分だ。

 

 既に怒りも憎悪もない。頭も心も芯まで凍てついている。

 呵責無き虐殺に感情など不要。ただ鍛え上げた技と力さえあればよい。

 

 余りにも遅すぎる様に、虎太郎は嘆息しながらゆきかぜに視線を向け、続き凜子と不知火を見た。

 視線に込められた意図に気付いたのか、三人は僅かな逡巡の後に頷いた。

 覚悟を決め、己の為すべき行動を察した二人に反して、ゆきかぜは虎太郎の服の一部を掴む。

 今、ゆきかぜの心を占めているのは、虎太郎に対する謝罪と己の弱さに対する悔恨だ。自分がイングリッドとまともに戦えていれば、虎太郎が左手を失いはしなかったからだ。

 

 彼女の胸中を知ってか知らずか、虎太郎は掴んでいた手を振り解いた。

 これより彼が挑む死闘は一瞬。瞬きの合間に片が付く。今はゆきかぜの純粋な思いですら、邪魔なものに過ぎない。

 

 

「征くぞ―――ッ!」

 

「さっさと来い、魔界騎士殿」

 

 

 弾かれたように三者が動く。

 虎太郎とイングリッドは互いに向かって。ゆきかぜは凜子と不知火を援護する為に地を蹴った。

 

 

(迅い……! しかし、自ら左手を斬り落としたのは失策だったようだな!)

 

 

 虎太郎の速度は、もはや疾風を越えて迅雷だった。

 予備動作の全くない踏み込み。無音の疾走。一歩目から自己の最高速を生み出す歩法。

 魔界にて数々の強敵を討ち果たしてきた魔界騎士にとってすら初めて相対するレベルの、速度と云う名の凶器。

 

 しかし、悲しいかな。左手を斬り落とす行為は重心のバランスを崩していた。

 彼の最速を知らないイングリッドですら、陰りを見て取れる。

 

 痛みを感じないこと、痛みに耐えられることは違う事柄だ。

 ましてや、超絶の回復能力を有していない虎太郎は痛みを重ね続けるのみ。所作や能力に影響が出ない方が可笑しい。

 

 十分な勝算がイングリッドにはある。

 速度においては劣るが、圧倒的な間合いの有利が彼女にはある。自らの間合いに相手が入った瞬間に首を刎ねるなど剣術に長けた彼女には造作もない。

 

 虎太郎もそれを分かっていたのだろう。

 隠し持っていたクナイをイングリッドの顔面目掛けて投擲した。

 

 苦し紛れの牽制。

 投擲されたクナイを弾きながら判断しつつも、彼女に油断も慢心もない。

 最小限の動きで剣を操り、鍔で弾かれたクナイは虚しく宙を舞う。イングリッドは体勢すら崩さず、動きに淀みはない。

 

 

(――――何だ!? いや、迷うな!)

 

 

 見れば、今し方クナイを放った虎太郎の右手には、白く輝く球状の何かが渦巻いていた。

 何らかの魔術か、能力か、魔界の魔法具によるものか。イングリッドに判断を下せるだけの予備知識はなかったが、躊躇や迷いだけは生じさせない。

 

 如何なる能力であるにせよ、球体に如何なる作用があるにせよ、間合いはイングリッドの方が広かった。

 相手の攻撃が当たるよりも速く、此方の攻撃が首を飛ばす方が速い。

 

 彼女の判断は正しい。

 事実として虎太郎がイングリッドに球体を叩き込むよりも速く、ダークフレイムの刀身は首へと吸い込まれ――

 

 

「なっ――――ぐ、あぁぁっ!?」

 

 

 ――虚しく空を斬った。 

 

 突然、文字通り掻き消えた敵の姿に驚愕の呻きを漏らすよりも速く、イングリッドは背中に叩き込まれた正体不明の衝撃に肺の空気を全て吐き出し、内臓は直接掻き回されたかのように荒れ狂う。

 それだけではない。衝撃はまだ足りぬとばかりに彼女の身体を地面へと抉り込ませ、余る威力は地面を叩き割った。

 恐るべき威力だ。石畳の地面は捲れ上がり、濛々と粉塵が舞い上っている。 

 

 

「い、イングリッド様……!」

 

 

 6人の騎士は不知火を筆頭とした三人の対魔忍から距離を取り、自らの主人が消えた粉塵の帳へと目を向けた。

 彼女等は確かに見た。無貌の男は首を刎ねられる直前、突如としてイングリッドの背後へと空間転移(・・・・)を行う様を。

 

 粉塵の中から一つの影が飛び出し、僅かに遅れてもう一つの影が躍り出た。

 先に出たのは虎太郎。そしてもう一方は無論、イングリッド。奇しくも、死闘前と位置が入れ替わっている。

 

 一瞬、睨み合った両者であったが、イングリッドは膝を折り、真紅の血反吐を地面へとぶちまける。

 

 騎士達は主の元に駆け寄るが、傷の深さに息を飲んだ。

 攻撃を喰らった背中の外套を円形にくり貫かれ、皮膚は螺旋状の跡が残っている。

 内臓は勿論のこと、下手をすれば人間よりも遥かに強固である脊椎にすら損傷がある。後遺症が残りかねない。

 

 

(凄ぇ頑丈。今の喰らって死なねぇの、ウチじゃ紫くらいのもんだぞ。並の魔族なら胴体が爆発四散すんだがな)

 

【未完成ではありますが、貴方の対魔殺法――“自在天”の威力は大したものです】

 

(ま、今は(・・)死なれても困る。未完成の技くらいが丁度いい)

 

【これで、ですか。貴方の容赦の無さには恐怖すら覚えます】

 

(馬鹿言え。殺し合いじゃ、たまたま急所を外れて、たまたま殺さん程度の威力で、たまたま生き残ってりゃ十分すぎる手加減だ)

 

 

 対魔殺法とは、対魔忍の歴史の中で培われた武器術、格闘術の総称だ。虎太郎の使用した“自在天”は、彼個人で培った技であるが。

 

 これだけの威力を引き出せたのは、全て対魔粒子によるものだ。

 対魔粒子――対魔の力は、対魔忍であれば、ある程度操ることが出来る。足に込めれば脚力に、腕に込めれば腕力に、全身を覆えば頑強に。或いは何らかの能力として顕現する。

 米連から奪った情報により、対魔の力が粒子であると知った虎太郎は、これを利用する術を考案した。

 

 モノを操る上で理想的とされるのが円運動である。対魔粒子でも変わりはない。

 掌上で対魔粒子を円回転させ、更に円回転を十重二十重に生み出すことで球と為す。

 円転自在にして球転自在。これらを超高速で行って生み出される威力は計り知れない。

 

 何よりも対魔忍であるのなら、雷遁や空遁といった異能型忍法に目覚めていなくとも扱える。

 もっとも緻密な対魔粒子の操作能力が必要であり、一朝一夕では習得不可能だ。虎太郎も、ここまで形にするのに十年の時間を要した。

 たったの十年で対魔殺法と呼べるレベルの技を考案、開発した虎太郎の発想と努力も恐ろしいが――――何よりも、現段階でこの威力だというのに、更に先がある辺りが最も恐ろしい。

 

 

「ぐっ、う゛……!」

 

 

 片膝を付いたイングリッドは口にまで競り上がってくる鉄の味、悲鳴を上げる内臓と骨格すら無視して、久方ぶりの敗北に歯噛みする。

 

 卑怯でもなければ、卑劣でもない。ただ、あの一瞬において、無貌の男は自身を上回った。

 

 扱える能力を隠すことを卑怯とは言わない。賢いと呼ぶべきだ。

 自らの性能を深く理解することを卑劣とは言わない。用心深いと呼ぶべきだ。

 

 全て。全てだ。あの男の行動、言葉、所作に至るまで、この展開を引き寄せるためのものであった、と認めざるを得ない。

 自分自身よりも深く、広く、無貌の男は自身の性能を把握し、最も効果的なタイミングで行使した。イングリッドにとって、これは言い訳のしようのない敗北だ。

 能力、性能における戦いでは五分だろう。だが、自身の扱える能力技術に対する自覚、戦いの中での頭脳戦で後塵を拝した。

 

 

「……この、勝負、貴様の勝ちだ。それは、認めよう」

 

「……おいおい」

 

「だが、貴様だけは何があっても殺す! 貴様は、危険だ!」

 

 

 この男は危険だ。我が主の敵となりかねない。忌々しい対魔忍の頭――井河 アサギすら霞みかねない程の強大な敵に……!

 

 言葉と同時に、イングリッドの魔力が膨れ上がる。いや、正しくは全く別の魔力が噴き出したと言うべきだ。

 これは彼女にとっては忌むべき切り札である。魔界騎士としての誇り故に、普段の彼女であれば決して切らないであろう切り札だ。

 

 けれど、無貌の男は今この場で殺しておかねばならない。ほぼ、直感に等しい判断であったが確信にも近い思いがあった。

 

 ――この男の牙は、我が主にすら届きかねない。

 

 油断と容赦の無さ。自身の性能を誰よりも深く把握し、最効率で行使する智慧。

 たった、それだけ。たったそれだけの理由で、この男は不死の王を殺すという矛盾(・・・・・・・・・・・・)を御しかねない。

 

 最愛の主を守るためならば、魔界騎士としての誇りなど塵芥に等しい。彼女に、迷いなどない。

 

 

「召喚術か。意外に多芸だな」

 

「その、通りだ。私の魔力を贄と捧げ、魔界の深淵に潜む邪龍グルニエの力を垣間見よ……!」

 

 

 召喚術。

 遠く離れた場所――魔界、異世界から何者かを喚びよせる技術だ。

 基本的に召喚術は自らの力で屈服させ、存在を縛りつけてから召喚を行うものであるが、裏道も存在する。

 それは契約。何らかの生贄を召喚の際に約束し、自身よりも格上の存在を喚ぶ。反面、存在を縛りつけていないが故に、常に暴走と反逆の危険も孕んでいる。

 イングリッドは、その危険を邪龍の“力”だけを召喚することで、クリアした。

 

 流石の虎太郎もこれは予期していなかったらしく、声には感嘆の色が聞き取れる。何だ、やればできる子じゃないか、とでも言いたげに。

 

 

「だが、召喚術にも弱点はある。自分よりも上位の存在を召喚する場合は特にな」

 

「ふ、よもや召喚するまで時間がかかることが弱点とは言うまいな。私がその程度、考えないとでも思ったか……!」

 

 

 イングリッドの周囲には黒炎が生み出され、凄まじい熱量と魔力が渦巻いている。

 これが邪龍の力。最早、彼女に近寄ることも叶わず、あらゆる武器、能力は文字通り焼き尽くされる。

 召喚は契約された通り、今正に為されんとしていたが、虎太郎は肩を竦めるばかりだ。

 

 

「いいや、まさか。オレが言いたいのは一度召喚が始まれば、アンタの意志じゃキャンセルは効かないってことだ。上位存在との契約を破棄すれば、死ぬのはアンタだ」

 

「……何を、言っている」

 

「いやさ、オレはもう帰るって言ってるんだ。アンタはオレを殺したいかもしれんが、オレはアンタを殺すことが目的じゃない」

 

「……なっ! 逃げるつもりか!?」

 

「アンタに付き合ってやる義理がオレにあると思うか? 何処までオメデたいんだ、アンタは。確実に殺したいのなら、逃げられない状況を作れ、馬鹿め」

 

 

 イングリッドは、ただただ呆然とする他ない。

 その目的が何にせよ、根底にあるものは闇の住人に対する憎しみや恨み。

 だから、憎悪に任せて向かってくると、彼女は思っていた。もう、そこからして間違っている。

 

 いや、こればかりは彼女を責められない。

 何せ、ヨミハラで引き起こされた暴動、娼館への襲撃。これだけの虐殺を引き起こし、彼自身が利益を得ているように見えないのであれば、怨恨としか考えられない。

 三人の対魔忍を引き連れていたのは、たまさか目的の最中に助けられたから助けた。そうでもなければ、かつて失った誰かの面影を重ねただけと考える他ない。

 仕事をする上で効率がいいから、などという薄ら寒くなる理由で、これだけの虐殺を引き起こしたという真実に辿り着くなど、誰にも出来ないだろう。

 

 

「逃がす、ものかぁぁ――!!」

 

 

 無貌の男。その真の目的が何であるかを察せぬまま、イングリッドは苦し紛れに黒炎を放つ。

 邪龍の炎は石畳を溶解させながら、無貌の男に向かって迸る。

 並の魔族では、余波だけで丸焼けになる黒き炎は文字通りの地獄の炎。避けなければ蒸発する、避けたとしても身体の大部分が炭化しかねない熱量だった。

 

 ――しかし、苦し紛れながらも渾身の一撃は、虚空を焼くばかり。

 

 まるで蜃気楼のように、無貌の男は溶けるように消え失せた。

 明らかに空間転移とも異なる能力に、イングリッドは何度失策を繰り返せば気が済むのだ、と己を罵る。

 

 そして、彼女が視線を向けたのは、この場所に引き寄せた理由、奇妙な魔力が発せられていた地点だ。

 

 

「貴女自身の言葉をお忘れかしら? これが“幻影”の本領よ……!」

 

 

 既に男――どころか、残る三人の対魔忍も同じ地点に立ってなど居なかった。立っていたのは影――不知火の忍法によって生み出された幻影。

 不知火は虎太郎と視線を交わした瞬間に、その意図を察していたのである。知略と虚実を操る“幻影の対魔忍”の面目躍如である。

 

 

「殺す! 貴様は殺すぞ、無貌の男! 例え何処に逃げようと、地の果てにまで逃げ遂せようと、必ず見つけ出して殺してやる……!」

 

「興味もない、好きにしてくれ――――アンタの力で、出来るものならな」

 

「――跳ぶぞ!」

 

 

 凜子の掛け声が上がると同時に、4人の姿は消え去った。

 イングリッドも斬鬼の対魔忍の能力を聞き及んでいるが故に不思議はない。

 無貌の男が左手一本だけを犠牲に、ヨミハラに大打撃を与え、対魔忍を逃がし、魔界騎士に辛酸を舐めさせた上で逃げ遂せた瞬間であった。

 

 

「私から離れろ! お前達は外と連絡を取り、ヨミハラの出入り口を調べて脱出可能な場所を探せ!」

 

「し、しかし……」

 

「――――行けぇッ!」

 

 

 イングリッドの怒号に、6人の騎士は後ろ髪を引かれながらも地を蹴った。

 

 そこで彼女は大きく息を吐く。

 邪龍グルニエは召喚に際して彼女自身の魔力と多くの死を求めてくる。

 優秀な部下は貴重だ。何よりも、無貌の男を追う上でも力になって貰わねばならない。こんな自身の間抜けに付き合わせるわけにはいかない。

 

 

「なんという、男だ……」

 

 

 好き放題にやられたというのに、不思議と怒りや憎しみは皆無だった。

 彼女の胸中にあったのは、エドウィン・ブラックを守るという使命感と全く未知の“強さ”を見せた男に対する尊敬に近い念のみだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

―

 

 

 

 

 

 4人が転移したのは東京郊外にある放置された廃工場の一角であった。無論、虎太郎がマーキングを施してあった場所である。

 如何に東京と言えど、発展から取り残された場所は存在し、人が少なくなれば、自然と魔族の数も減る。餌となるべき存在がいない場所に集う捕食者もいないだろう。

 

 

「はぁ、疲れた」

 

「虎太兄、手が……!」

 

「ああ、これか? まあ気にするな。糸で縛って止血は済んでる。あとは桐生の奴が治すさ」

 

 

 痛みでも感じていないかのような振る舞いであったが、ゆきかぜの顔は深く沈んだままだ。

 虎太郎にしてみれば、イングリッドに対して己――より正確に言うのであれば“無貌の男”としての己を強烈に印象付ける為に必要な行動だった。気に病む理由など何処にもない。

 何よりも、この程度の痛みであれば、いくらでも耐えられる。虎太郎にとっては経験済みの痛みに過ぎなかった。

 

 己の無力を噛み締めているゆきかぜを慰めたのは母である不知火だった。

 彼女の肩にそっと手を置き、ただ小さく首を振る。後悔も焦りも何の役には立ちはしない。悔しいのなら、次に生かしましょう、とでも言うように。

 

 悔しさを噛み締めているのは、何もゆきかぜだけではない。

 不知火も、凜子も同じ気持ちだ。自分達の僅かな油断とミスが、虎太郎の身を危険に晒したのは事実である。

 二人はその事実を受け入れ、前に進もうとしていた。ならば、ゆきかぜも負けてなどいられない。元より負けん気の強い彼女は、立ち直りも人一倍であった。

 

 

「しかし、意外だ。あの場で、貴方がイングリッドを殺さないとは。刃物で心臓を貫けば殺せたろうに」

 

「あの女にはまだやって貰いたいことがあったんでね」

 

 

 虎太郎はそこでようやく、二人に語り出す。

 不知火に埋め込まれ、二人の頭にも存在しているであろうチップ。リーアルと矢崎の背後で蠢いている存在を。

 

 

「不知火さんも寝首を掻くか、逃げる機会を窺っていたらしい。奴等も中々やりやがる」

 

「…………虎太郎君」

 

 

 虎太郎は不知火が堕落し、己どころかゆきかぜと凜子すらも捧げようとしていた事実を語るつもりはないらしく、さらりと嘘を吐く。

 別段、彼にとって知らせる必要はなく、報せる義務もない。あくまでも彼の仕事は救出だ。その過程で何があったかを語らずとも最大限の結果を示している以上、多少の虚偽報告は許される。

 まして、不知火の名誉を守るためでもある。アサギが勘付いてたとしても、多くを問い質しはしないだろう。

 

 

「まあ、本当の敵が別に居るのは分かったけど、それがイングリッドを殺さなかったことと、どういう関係があるの?」

 

「ああ、実はな。ヨミハラには色々と証拠や情報を残してきてあってな」

 

 

 クラクルの縄張りにあった地下室。他にも拠点として見繕ってあった場所に情報を敢えて残してあった。

 

 無論、弐曲輪 虎太郎個人に繋がるようなものではない。

 “無貌の男”として動いていた殺戮の証拠や、何を探っていたのかという断片的な情報である。

 

 

「成程。虎太郎君、イングリッドに淫魔族のことを探らせるつもりね」

 

「そういうこと」

 

 

 残してきた情報の中には、リーアルや矢崎について、その背後に蠢いている淫魔族に関する情報もある。いや、それこそが本命だ。目をつけて貰わねばならない。

 “無貌の男”を探る過程で、ノマドにとって脅威となりかねない存在が浮かび上がれば、忠誠心の強いイングリッドのこと、無視はできない。

 何より、彼女は気まぐれな者が多い魔族の中にあって途轍もなく真面目な上に、ノマドの大幹部だ。比較的、その行動も表沙汰になりやすい。

 虎太郎が魔界騎士と呼ばれるほどの強者と出会って、自らを幸運と称したのは、そういった背景があったからだ。

 

 イングリッドが“無貌の男”が何を探っていたのかに気付き、追いかければ、自然と淫魔族に行き当たるだろう。

 彼女の手によって淫魔族の目的が判明してもいい、あるいは勢い余って叩き潰してくれてもいい、いっそのことノマドと手を組んですらいい。

 

 淫魔族の戦力はノマドに比べれば大きく劣っている。不知火を堕落させ、駒として操っていたことから、人手不足、戦力不足は明らか。

 その目的が判明すれば、対魔忍が動く理由となる。

 叩き潰してくれるのなら、わざわざ手を下す理由もなくなる。

 ノマドと手を組んだとしても戦力で劣る淫魔族は確実に吸収され、一極化される。下手に策謀を巡らせられるよりかは幾分マシだ。

 

 どう転んだ所で、虎太郎にとっても対魔忍にとっても、全く損害を被らないか、利益にしかならないというわけだ。

 

 

「呆れたな。そこまで考えていたとは…………それに馬鹿げた威力の対魔殺法に、空遁の術まで使えるとは、一体いくつ隠し玉を持っているんだ、貴方は」

 

「この程度で良けりゃいくらでも。それに、空遁の術じゃない。コイツのお陰だ。オレは瞬神と呼んじゃいるが」

 

「瞬神……?」

 

 

 虎太郎は取り出したのは、不知火に手渡したこともある奇妙な形のクナイだった。

 このクナイこそマーキングを行い、空間転移を可能とした武器。ある魔族が作り出した曰くつきの武器である。

 

 瞬神にはいくつかの空間転移術式が組み込まれている。

 

 一つ、瞬神を使用者の手元に転移させる。

 一つ、瞬神が生成する魔力を元にマーキングを行う。

 一つ、使い手の意志の元、マーキングを行った場所へと転移させる。

 一つ、他の空間転移に干渉を可能とする。

 

 虎太郎は語っていないが、ゆきかぜ、凜子、不知火の三名には、既にマーキングを施してあった。

 つまり、三人と会った時点で脱出は何時でも可能だった訳だ。

 エドウィン・ブラックが出てこようが、“あのお方”とやらが出張ろうが、結果は変わらないのはそういった理由からだ。

 

 

「コイツは魔界の物造りの天才が面白半分(・・・・)で造ったもんでな。不愉快だが、それを随分と昔にたまさか手に入れてから使ってる」

 

「面白半分でそれとは、怖気すら覚えるよ」

 

「まあ、転移に限ればこっちが断然上だが、応用範囲はお前の空遁が上だ。狭く深くか、広く浅くかの違いに過ぎん。何より、お前の方は成長の余地がある。一長一短だ、オレから言わせればな」

 

 

 ゆきかぜや凜子にしてみれば、それだけ便利な代物を手に入れて、ギリギリまで隠しておく虎太郎に戦慄を覚えた。

 相手に知られていない。それがどれだけの武器になるのかを、虎太郎の行動もあって二人は嫌というほど学んでいた。

 

 

「さて、オレはそろそろ行く。三人は輸送部隊を待て、ここなら安全だ」

 

「ま、待ってよ、虎太兄も一緒に……」

 

「オレは表向きに存在しないことになってる。だからアレだけ好き放題が出来るんだ。組織内であっても早々に正体を明かせねぇし、そのつもりもないからな」

 

 

 これより虎太郎は東京に舞い戻る。

 今の姿のまま監視カメラのいくつかに移り込むことで、偽りの逃走ルートを探らせ、対魔忍に属している事実から遠ざけるつもりだ。徹底して己の情報を明かすつもりはないらしい。

 

 アルフレッドが対魔忍の撤収部隊へ連絡を入れている。一時間としない内、撤収部隊が現れるだろう。

 

 

「虎太兄、ちゃんと帰ってきてね」

 

「当たり前だ。嫌々だが、他に身を寄せる場所もないからな」

 

「うん、分かった。またね」

 

「ああ、またな」

 

 

 一月前と同じ再会を望む別れの挨拶を受け、今回は虎太郎もそれを返した。

 

 “無貌の男”は何の比喩もなく闇に溶けた。

 任務の終わりと共に偽りの仮面ごと闇へと消え去るのが彼のやり方だ。そうしてようやく、弐曲輪 虎太郎は単なる下忍の身へと戻るのだ。

 

 任務は終わり、その胸中は何の感慨も抱いていない。

 ただただ疲れと痛みだけが残り、更なる苦労が降りかかってくるであろう無慈悲な現実に頭を痛める。

 

 対魔忍の苦労人。その苦労に終わりはなく、まだまだ続いていくことだろう。

 

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