『そして彼は苦労という名の地獄への道連れを手に入れた! なお、相手は嬉しい模様』
ヨミハラの動乱から既に2ヶ月の時間が経過した。
ゆきかぜと凜子は学生としても、対魔忍の任務にも既に復帰している。
不知火に関しては、まだ治療が終わっておらず任務に直接的には関わってはいないものの、日々鍛錬で衰えた身体を鍛え直している最中だ。アサギのサポート役として、任務への忠言や作戦の提案には関わっているらしい。
かくいうオレは左手の完治後、すぐさま戦線に復帰。
下忍としての任務は数十件、救出班としての任務は5件を熟し、教師として三足の草鞋の生活を送っている。
任務の内容が簡単だったからいいものの、これがヨミハラのような重い案件が挟まれば、冗談抜きで過労死しかねない忙しさだ。
もうちょっとこう、オレに対する
アサギの奴は、どうやらオレのことを身内と思っているらしく、無茶振りも一入だ。
さくらや紫よりも酷い目に合う場合が多々ある。まあ、九郎と同列扱いなので仕方がないと言えば仕方がないが。
九郎の奴も激化する魔族・米連の抗争で、日本中――どころか世界中を飛び回っている。オレもそうだが、アイツもいつかガチで過労死するぞ。
アサギは身内であるほどに甘くなり、一定のラインを越えたものにはとことん甘える。
現状、奴が甘える相手は長い時間苦楽を共にした九郎、不知火、甚だ不本意だがオレも含まれている。
さくらと紫も同じだと思う奴等もいるだろうが、二人はアサギにとって守るべき対象なのか、オレ達三人とはまた別のカテゴライズのようだ。
そこをさくらからはぶーぶー文句を垂れられたり、紫からは危険な嫉妬を向けられたりと散々だ。
九郎と不知火は、年上であり経験も上ということで認められているからか、年の近いオレが文句の対象となる。ふざけんな、対魔忍としての経験も、実績もこっちの方が上だろがい。
「あーあ。いいよなー、お前等はよぉ。任務や組織関係で頭痛めることもなくてさぁ」
「がう……」
面倒臭すぎる現実に愚痴を漏らしながら、目の前の熊の身体を洗う。
五車学園の隣には農場があり、畜舎がある。
表向きは何の変哲もない農場だが、実態は対魔忍の畜舎だ。
古く忍びは、伝令に犬や鳥を使っていた。
人間よりも長い距離を短時間で駆け抜けられ、訓練次第で人の忍顔負けの活躍もできる。俗に言う忍犬という奴だ。
現代でも、忍獣の歴史は続いている。無論、対魔忍の中でだ。
伝令だけでなく非常時の戦力、人へと変装した魔族を嗅ぎ分け、魔界製の何かを追ったりと、ヨミハラの対魔忍用警備犬を彷彿とさせる。
そんな中でも特異なのは忍熊だ。こればかりは対魔忍が生まれてから同時に現れた忍獣である。
対魔忍によって育成され、対魔の力を有する熊だ。人間並みの知能を有し、戦闘に特化しているだけあってオークならば鉤爪の一撃で襤褸雑巾にし、オーガであっても正面から互角に戦える。
正直、オレはコイツラが羨ましい。だって与えられる任務が戦闘だけなんだもの! 人間関係を気にしなくていいんだもの! 作戦に穴があっても進言しなくていいんだもの!
「やっほー。虎太郎、ひっさしぶりー」
「こんにちわ」
忍熊に慰められながら身体を洗ってやっていると、畜舎の中に物好き共が入ってきた。
基本的に忍獣の世話は下忍の仕事だ。入ってきた物好き二人のような上忍が忍獣と関わるのは任務の時だけだ。
本来であれば、今日はオレだけではなく他の連中もいるのだが、オレがいるのを知ると逃げやがった。テメエの仕事も碌に熟さないで文句だけ垂れやがって、クソに塗れて死ね。
「何の用だ。蘇我、由利」
臍のでるモスグリーンのTシャツにジーンズというラフな格好。黒い髪にナチュラルボブの髪型、しゅっと背の高いモデル体型の女は蘇我 紅羽。
その忍法から隠密行動や密偵任務を得意とする現役対魔忍だ。
能力や得意とする任務に反して、性格は明るい。さくらタイプと言えば分かりやすいだろうか。よく言えばムードメーカー、悪く言えばお調子者だ。
もう一人は白いノースリーブYシャツに青いネクタイを締め、ホットパンツに紺色のニーソックスで太ももを包んだキレイめファッション。灰色の髪を後頭部だけ長く伸ばし三つ編みにしたスレンダー体型の女は由利 翡翠。
前線での戦闘を主とする現役対魔忍である。キャラが濃い上忍の中では特に目立たない女だが、一度戦闘になれば驚異的な粘り強さを見せる。
友人と呼べるものも殆どおらず、趣味らしい趣味もない。物静かで口下手な奴だ。
蘇我と来たら教師でもないというのに、暇さえあれば忍犬と遊びに五車学園を訪れており、生徒との顔見知りも多い。何かの気まぐれで忍熊の畜舎を訪れても不思議ではない。
由利にしても何時だか野鳥に餌付けをしているのを見たことがある。口下手な分、会話が必要なく付き合える動物が好きなのかもしれない。
性格からして正反対の二人であるが、存外仲は良いようだ。
より正確に言うのなら、口下手で自己主張の乏しい由利を、蘇我が一方的に気遣っているように見える。
由利も由利で仲間意識は強い。口下手と分かっても気にせず付き合ってくれる蘇我とは相性がいいのだろう。
確か、二人は同期だった。
隠密、密偵任務でメキメキと頭角を現した蘇我に対して、由利は早くから忍法に目覚めていたものの、その力が認められたのは遅咲きだったと記憶している。
上忍となるには任務において一定以上の功績を収めるか、他の上忍からの推薦かのどちらかによって能力を認められる必要がある。蘇我は前者、由利は後者である。
その後、厳選な審査と精神鑑定の元に晴れて上忍になるのだ。まあ、何にせよ、オレには関係のない話だ。
二人とオレの関係は何のことはない。
両名が上忍としての初任務にオレも同行し、オレがバックアップしただけだ。
その甲斐もあってか、二人のオレに対する評価は無駄に高い。由利など、オレの能力的に上忍でなければ可笑しいとアサギに直談判したほどだ。これだから真面目で実直な奴は恐ろしい。
オレの立場や過去を知らない故に仕方がないとは言え、良い迷惑である。その時は、由利を上忍に推薦した九郎の執り成しでどうにか収まったが。
「何の用だ、なんてつれないなぁ。こうやって手伝いに来たんだよ?」
「手伝い……?」
動物好きコンビだ、単に忍熊とじゃれにでも来たと思ったが、どうやら違ったようだ。
何でもたまたまプライベートであった二人は蘇我は由利の野鳥に餌付けに、由利は蘇我の忍犬とのじゃれあいに付き合ったらしい。
その最中に、本日忍熊の世話及び畜舎の清掃を仰せつかった下忍が帰っていく姿を不審に思って、此処まで来たのだとか。物好きな連中だ。
動物の世話は簡単ではない。
畜産業からも分かるように、徹底した管理と研究、或いは経験則から事を運ばねば、名馬は駄馬となり、最高級の肉は駄肉に堕ちる。
知能の高い忍熊はその限りではないものの、やはりどうしても人の手は必要だ。
どうしても時間はかかるし、力仕事の体力勝負だが、その程度で仕事を投げ出すなど笑わせる。人としてもプロとしても三流以下のロクデナシだ。
まあ、腕は確かだが性格に難ありのオレが言えた義理ではないが、少なくともオレはやることはやる。愚痴を漏らすのはそれからだ。
「虎太郎さあ、こう、偶にはガツンと言ったら? 相手もつけあがるし、互いのためにならないよ」
「知るかよ、そんなこと。あんな連中にかかわってやるほどオレは人情に溢れちゃいない」
「アサギ様にお伝えすれば……」
「それもゴメンだ。どの道、アレの性格じゃ、なあなあの内に終わる。オレは無駄なことは嫌いなんだよ」
私服でやってきた二人に作業用のジャージを着せ、三人揃ってデッキブラシで畜舎の床を磨いていく。
忍熊とて知能も戦闘能力も高いが生き物だ。人と共に暮らしたが故に他の動物に比べて綺麗好きでもあるが、どうしても限界がある。
汚れをそのままにしておけば、可笑しな病気にかかりかねない。こうした清掃は下忍の大事な仕事である。
その辺りを、オレ一人に仕事を押し付けていった下忍どもは理解していない。
年若く、経験も浅いが故に、こうした地味な雑務よりも派手な戦闘や分かりやすい任務を優先したがる。
組織運営はこうした地味で地道な作業とて重要だ。言うなれば屋台骨や土台に当たる部分である。楽な仕事はあれど、重要ではない仕事などないのだ。
わざわざ告げ口のような真似をして軋轢を生む必要はない。
あの程度の実力と認識の甘さなら、何もしなくても勝手に死ぬ。新しい人員が配置されて、ソイツが真面目な奴なら万々歳だ。
蘇我は何とも言えない笑みを浮かべて、翡翠は無表情ながらも不承不承といった雰囲気を醸していたが、気にしない。
こいつらも馬鹿ではない。下忍どもがどういった事情でサボったのかを考えているのだろう。実態は、単に面倒臭いだけなのだろうが。
「それに、コイツラを一人で世話する楽し――おっと」
「……何さ、楽しみってのは?」
「気になりますね」
「はあ、他の連中には言うなよ」
口を滑らせたことを後悔するように、大げさに肩を落としてやる――――無論、面倒になった話題を逸らすための演技だが。
それでも普段から笑いもせず、仕事に任務ばかりの偏屈な男の楽しみとやらに興味が沸いた様子の二人に、自分の演技が完璧であったと確信を得る。
女は皆、噂好き。他人の秘密を知りたがる。こういった話題逸らしには効果抜群だ。まあ、これから見せるのが、細やかな楽しみであるのも事実だが。
そうしてオレが取ってきたのは解凍を済ませた鮭の山。
熊は肉食傾向の強い雑食。肉も食べれば野菜も果物も食べる。
手に入りやすいからという理由で外国産の鮭が忍熊の主食である。時折、鹿肉なんかもくれてやるし、野菜や果物も食べさせて栄養バランスを整える。
「ほれ、いくぞー」
そう言って、一番近くにいた忍熊に丸々一匹の鮭を投げてやるとパクリと一口――――とはいかず、ヘッドトスをして隣の忍熊へ、その忍熊も更に隣へ、隣へ、隣へ。
鮭一匹だけでなく、次々に投げていくと、次々に隣へとヘッドトスを繰り返す。やがて、全ての忍熊に行き届くと全員一斉に喰らいついた。
おー、と忍熊の曲芸に拍手をする二人であったが、忍熊も一斉に立ち上がって手を叩く仕草を見せる。
更におぉー、と蘇我と由利は目を輝かせたが、蘇我の方が一言。
「いや、戦闘用の忍熊になに教えてんのぉっ!?」
本当にな。オレは一体、何を考えてこんな曲芸を仕込んだんだか。
でも、アレだ、ほら。人間、ムシャクシャしてると訳分んない行動、よく取ったりするよね、うん。そうだと言ってくれ。
自分な無駄な行いを目の当たりにし、死にたくなる衝動に駆られているオレを尻目に、由利は目を輝かせ続けている。コイツ、動物好きだな。
「弐曲輪教諭はいらっしゃ――――うわぁ!? なんだ、これはっ!?」
オレを探しにやってきたのだろう凜子は畜舎内で巻き起こっている忍熊のスタンディングオベーションに仰天した。そりゃ誰だって驚く。
「これは貴方の仕業か」
「ムシャクシャしてやった。反省も後悔もしている。だが、怒られたり罰を受けるのは嫌なので黙っていてくれ」
「反省も後悔もしているのなら、叱責も罰も黙って受けて下さい」
凜子と由利が冷たい視線を向かてくるがオール無視。
本気で反省も後悔もしているが、叱責も罰を受けるのも厳密に言えば嫌なのではない。
殺す以上は殺されても仕方がないのだ。馬鹿をやらかせば、叱責も罰も当然である。
ただ、自分自身の馬鹿さ加減を再認識させられるのは死にたくなるので勘弁願いたい。それだけである。
「はあ、貴方ときたら……アサギ先生がお呼びだ」
「いや、待って。ちょっと待ってね、忍熊の世話がだね、これも立派な仕事だからね、突発的に他の任務が入ったからってね、投げ出すのはね」
「いえ、此方は紅羽さんと私でやっておきますから」
「そうそう。どんな仕事でも貴賤はない、だろ?」
こ、コイツら……!
二人にしてみれば手助けのつもりなのだろうが、こっちにしてみれば引き延ばし作戦が台無しにされたようなもんである。
もっとも覚悟なんぞ、とうに決まっているし、何よりもアサギが呼ぶ以上はオレ以外がやれば、更にオレへの負担が増すのは目に見えているので行くしかないのはわかっている。
それでも、嫌なものは嫌なんだよぅ……!
「と、ところで、さっきの曲芸、虎太郎さん以外でもできるのですか……?」
「…………ああ、うん。できるよ」
きらきらと目だけを輝かせながら、そんなことを由利が聞いてくる。どうやら、さっきの曲芸をかなり気に入ったようだ。
はは、可愛い所もあるじゃないか………………なわきゃあ、ねーだろうがぁぁぁぁ!!
うわぁぁぁ、こっちが死にそうな気分になってるのに、無邪気にこんなこと聞いてくる奴って、どうしてこんなにムカつくのぉぉぉ! ぶっ殺してぇぇぇ!!
―――――
――――
―――
――
―
「ようやく来たわね」
「遅れて申し訳ありません」
「いいのよ、駄々を捏ねたのは虎太郎でしょう……?」
「いえ、そういうわけでは……」
校長室に入って早々、失礼なことを
駄々など捏ねていない。怒りを堪えて、蘇我と由利に仕事の引継ぎをしただけだ。
他人に自分の仕事を任せるのなら、きっちり一から十まで――緊急時の対応も含めて伝えなければならない。これで分かるだろうとおざなりにすれば、後で自分も他人も痛い目を見る。
「で、今度は誰だ? 誰の救出に向かえばいい? 神村か? 佐久か? それともさくら? 紫?」
「救出前提で話すのね……」
「それ以外にお前がオレを任務で呼びつける理由がねーだろがよぉ!」
「……で、では、私は失礼します」
「いえ、凜子、今回は貴方も残ってちょうだい」
「…………え?」
校長室を後にしようとした凜子は驚いて足を止めた。勿論、オレだって驚いている。
これから語られるのは救出班としての任務だ。凜子には関係がない。それをわざわざ語るなど――――オレにとっては厄介事の匂いしかしないでござる……!
凜子はオレとアサギを見比べて、信じられないという表情をしながらも、オレの隣の椅子に腰かけた。
総大将からの命令だ。どれだけ実力があろうが、一介の新人に過ぎない凜子に逆らう術などない。そもそも逆らうような性格でもないが。
「今回の救出対象は、紫藤 凜花よ」
「――――っ!」
アサギの口から飛び出た名前に凜子は顔色を驚愕に染め上げ、思わず椅子を弾き飛ばしそうな勢いで立ち上がりそうになった。
オレは肩を掴んでそれを止める。凜子の気持ちも分からんでもないが、ここで慌てた所で意味がない。
紫藤 凜花。通称、鬼腕の対魔忍。
ゆきかぜ、凜子と同じく新世代のエースと目され、また凜子の幼馴染にして切磋琢磨するライバルでもある。
「い、一体、何時です! 凜花はいつ……!」
「落ち着け。此方が慌てても何にもならん。アサギ、情報を教えてくれ」
「行方が分からなくなったのは10時間前。戦闘中に、よ」
「……随分速いな」
「ええ、生き残りがいたからよ」
紫藤は今から10時間前、前線での戦闘中に消息を絶った。
任務自体はよくある闇の組織を壊滅させる類のものだ。
最近、東京で幅を利かせてきた麻薬密売組織。それも魔界産の麻薬を売り捌いている組織の壊滅が目的。
麻薬密売組織など腐るほどいるが、奴らが売り捌いていた麻薬は極めて危険度の高いものだったらしい。
何でも遺伝子にまで作用し、虜となった中毒者の子孫にまで中毒性が遺伝する麻薬だ。
しかも、効果は抜群のアッパー系だと言うのに、人体への悪影響はコカインの10分の1との分析がなされている。
これに危惧したのは対魔忍の事務方のトップ。政府とアサギを繋ぐパイプ役、山本 信繁その人だ。
内務省公共安全庁、
かつては軍人として日本を守る為に従軍した護国の戦士、今も人魔結託する悪に対抗し、正義を実行するために行動する理想家だ。
惜しむらくは、抱いた理想に対して能力が釣り合っていない点だ。山本部長の知略も政治も大したものだが、根が戦争屋なのである。
魔族やそれに連なる者は卑怯卑劣。実直な理想家では相手が悪い。いっそのこと元スパイの方が敵対するにしても相性が良かっただろうし、対魔忍にとっても有益だった。
とは言え、彼の支援は貴重だ。何よりも対魔忍が組織としての体を保っているのも、政府の下位組織であるのも彼のお陰である以上、文句など言えた義理ではないが。
山本部長は、その麻薬の危険性を即座に認めた。
何せ、一生涯使ったとしても煙草レベルの危険性しかない上に、その子孫にまで中毒性が遺伝するのだ。最悪以外の何物でもない。
危険性が低いということは、手を出すハードルが下がるということ。子孫にまで中毒性が遺伝するということは、ほぼ一生涯に渡って金を毟り取られるということだ。
こんなもの、瞬く間に一般市民を含めた世界中にまで広がって、莫大な利益を上げ、闇の住人を勢いづかせるに決まっている。
「組織の本部、研究施設、製造工場を同時に襲撃し、壊滅させる作戦だったわ」
「当然だな。その麻薬、大きく出回る前に研究データ、製造法、研究員の全てを抑えにゃどうにもならん」
「ええ、そして研究施設を襲撃中に、凜花は敵の手に堕ちたわ」
方法にも作戦にも落ち度はない。それ以外に、この麻薬を撲滅する方法はないだろう。
何処からか情報が漏れていた可能性もあるが……それも山本部長の落ち度とは言えまい。
オレならばありえないミスだが、そこは個人と組織、有能な副官の有無の差だ。
組織である以上、多くの人間が属し、その素性を全て調べ上げるのは不可能に近く、多くの人間に情報が渡るが故に、どうしても漏洩は防げない。
ましてや、日本の政界は闇の組織と繋がっている連中が多すぎる。そんな状態で漏洩を防げとか、むりむりむりのかたつむりだ。
「ざっくりした内容は分かった。詳しい内容とデータはいつも通りにアルフレッドへ」
「ええ。それから、凜子」
「――はい」
「本日付けで、秋山 凜子、水城 ゆきかぜの両名を特別救出班の人員に任命するわ」
がつんと棍棒で殴られたような衝撃がオレを襲う。
両目が零れそうなほど目を見開いて、凜子と顔を見合わせる。
ふへ、ふひひひ、ほへへ――――やっぱり厄介事でしたぁ!
もう、その後の会話は一切覚えていない。朦朧とする意識の中で、はいはいと壊れた人形のように機械的に反応をするのがやっとだった。
―――――
――――
―――
――
―
「装備課から、下忍用のスーツを受け取ってきたが……」
「…………」
『ご苦労様です、凜子様。どうぞ、お掛けになってください』
「……あ、ああ」
特別救出班の武器庫兼ミーティングルームに脚を踏み入れた凜子は、ギクシャクとした様子で虎太郎の対面の椅子へと腰掛けた。
この部屋の主たる虎太郎は、そんな凜子に反応すら示さず、片手で顔を覆って俯いている。
まず凜子が救出班の班員となって始めに感じたのは喜びだ。
愛する男の力になれる。本質的に尽くす女である凜子にとっては、これ以上ない喜びである。
しかし、アサギの決定を聞いた虎太郎の表情を見て感じたのは、引け目だ。
確かに新人としての腕前が飛び抜けている自覚はあった。
だが、ヨミハラの一件で、単純な強さだけでは悪鬼外道どもの悪意に打ち勝つには足りないことを学んだ。
より正確に言えば、自分の全身全霊であったとしても悪意を打ち破るには力が足りない現実を。
だからこそ、虎太郎には申し訳なく思う。純戦闘員でしかない自分では、何処まで彼の力になれるかどうか。
ゆきかぜほど前向きで無邪気であれば、どれほど良かったか。今は素直にそう思っていた。
「こ、虎太郎。凜花を助けたい気持ちもある。その、私では力不足かもしれないが、精一杯のことはやるつもりだ」
「………………別に、お前やゆきかぜに不満が――――あることはあるが、今オレが考えてるのはそこじゃない」
「え? じゃ、じゃあ、何を……」
「アル、出せ」
『了解しました。
アルフレッドの合図と同時に、凜子の目の前に3Dの立体映像が展開される。
そこに映し出されたのは、凜花と仲間達の姿だった。背景から昨夜の襲撃任務の映像のようだ。
察するに研究施設の外側、そこの監視カメラの記録だろう。
映像が進むにつれて、アルフレッドが説明をしていく。
まず対魔忍による三ヵ所同時襲撃の任務は成功を収めた。研究員及び研究データ、製造データは完全に確保され、既に抹消済み。唯一の汚点が紫藤 凜花の拉致だ。
この映像は山本部長が何かの手掛かりになればと、部下が制圧した研究所から抜き取り、送られてきたデータである。
映像の中で凜花は圧倒的だった。
現役の対魔忍に勝るとも劣らない強さを見せつけ、人と魔族の混成部隊を蹴散らしていく。
凜花の持つ忍法は煙遁。身体の一部を煙と化すことのできる忍法だ。
彼女は主に両腕を煙化して、拳打の射程を伸す、或いは拳打を視界の外から襲わせる使い方を好む。
両手に装備した魔界の希少金属オリハルコンで出来たナックルには三つの髑髏が恐ろしく輝き、見る間に警備員の頭部を砕き、内臓を破裂させる。
彼女の射程は30mにも及び、殆ど銃の間合いであるが凄まじい近接格闘技術も相まって卓越した強さを誇った。
切磋琢磨してきた凜子も、この強さに苦戦を強いられ、今の所、二人の訓練での勝率は五分と五分。
その時、一人の少女がカメラに写り込んだ。
薄青のウェーブがかったミディアムヘア。寝起きのような覇気の感じられない表情。肩と背中が全開の露出度が高い衣装に、全身に傷跡の残る少女だ。
突然の闖入者に、凜花や対魔忍たちは困惑していたが、少女が地を蹴った瞬間に、戦闘態勢に入った。
凜花が即座に前に出ると他の者は警備員の相手に集中し、戦いの邪魔はさせぬと奮起した。
二人の戦いは一瞬で終わった。
凜花に油断はなく、一息で全てを終わらせるつもりだったのだろう。
大きく振りかぶった拳を前に突き出すと同時に腕を煙化して射程を伸ばし、少女に抵抗の余地を与えずに殺害ないし無効化を図ろうとした。
――その全ては、凍り付いた四肢の前に無意味に終わった。
一瞬で凍り付いた手脚に驚きを隠せず、また自由を失った凜花は顔から地面に転び、そのまま立ち上がることすらままならない。
仲間が助けに入るよりも早く、少女は何らかの薬品を注射によって凜花に打ち込み、意識を失った凜花を抱えるとカメラの撮影範囲外に消えていった。
「どう思う……?」
「どう、思う、と言われてもな」
「いい。今のお前のレベルが知りたいだけだ。気負いはするな。だが、考えて答えろ」
「そう、だな。まず、この少女の能力は範囲内にある物体を凍り付かせるか、気温を下げるためのもののようだが……」
『そのようですね。手に触れた類のものを凍結させてはいないので、特定の範囲の気温を下げるものでしょう』
「というか、煙は凍るのか。あんな弱点があるなんて、私も知らなかったぞ」
『通常ではあのような凍り方はしません。ただ、
そこまで言って、凜子はハッした表情で疑問を口にした。
「いや、待て。私ですら知らない弱点を、何故敵が知っている……!?」
「それもそうだな」
「それに、この少女は何者なんだ? 麻薬組織の一員ではないのか?」
「悪くない観点だ」
「凜花を無力化してから撤退するまでの速さ……目的は、初めから凜花の誘拐、か?」
「そこまで考えられるなら文句はない。後は数を熟せばものになるな」
凜子の発した疑問に、虎太郎は無表情ながらも満足げに頷いた。
まず現時点で分かっているのは、カメラに映った少女は麻薬組織の一員、及び協力関係にある組織ではない点。
これは別のカメラに写っていた麻薬組織の警備員から銃撃を受けていることから十中八九間違いない。
問題なのは少女が何者であり、凜花をさらった目的と凜花の弱点を知っていたことだ。
確かに、凜花は新世代のルーキーであり、闇の住人には“鬼腕の対魔忍”と怖れられてはいるが、現役の戦闘要員である対魔忍に比べれば出回っている情報は少ない。
そこから明確な弱点を発見するなど、敵は対魔忍の能力に深い見識があるか――――下手をすれば、対魔忍内に内通者がいるかもしれない。そうでもなければ、一瞬で決着とはいかなかった。
また新人である凜花をさらうメリットも薄い。ましてや、あんな鉄火場の中で、である。
下手をすれば、ゆきかぜと凜子へと矢崎が仕掛けたような思惑が裏に潜んでいる可能性も十分に存在しているのだ。
「現状で分かるのはこのくらいだな」
「これから、どうする?」
手掛かりは殆どない。凜花の行方は闇の中だ。ここからどうやって、その足取りを追うというのか。
「やるこた警察と変わらん。但し、多分にオレ流だがな」
それだけ言うと虎太郎は椅子から立ち上がり、壁にかけられた無数の武器や装備品をバッグに詰めていく。
行動の方針は決まったようだが、凜子はこうした任務は初めてで、どうしていいのか分からないらしく、オロオロとするばかり。
「あ、あの……!」
「ん? どうした?」
「その、我が儘を一つだけ、言ってもいいだろうか」
「何だ、こんな時に。言ってみろ、答えはそれからだ」
手は一切止めずに、怪訝な表情で自分を見る虎太郎に、凜子は自らの失敗を恥じ入る。
ここでは自分の我が儘を聞いてもらう場面ではなく、これから自分が何をすればいいか聞く場面だろう。
それでもしどろもどろになりつつも、自らの願いを口にした。
「そ、その、もし、ヨミハラへの潜入のように、娼婦へ扮装するような真似するのなら、拒否、したい」
「――ハ、何だそれは」
「わ、笑いごとではない!」
凜花は救いたい。
救いたいが、今の自分ではその手の任務は不可能だと、身を以て学んでいる。
男の欲望の強さと悍ましさ。それを全てを受け流せるほど、自分はまだ強くも賢くもない。
何よりも虎太郎以外の男に触れられ、欲望を受けるなど、凜子には耐えられない。
「お前にやらせるくらいなら、そういうのを得手にしている奴にやらせる。オレが馬にできることを人にやらせる馬鹿に見えるか?」
「そ、そうか」
「オレはどうしようもない、救いようもない、許される価値のない心底のド外道だ。だがな、自分の女を差し出す下衆でもなければ、ひけらかして遊ぶ趣味もない。お前はオレの女だ、他人にくれてやる部分も使わせてやる部分もないね」
「……あ、あなた」
卑下もなければ、恥じらいもない彼にとっての真実を迷いなく語られ、凜子は嬉しそうに頬を真紅に染める。
先程まで不安だったと言うのに、今は胸をときめかせている現金な自分に呆れ返りながらも、凜子は思いを抑えきれなかった。
「話は終わりだ。仕事の時間だ、切り替えろ」
「ああ、私も全力を尽くす。必ず凜花を助けよう」
「当たり前だ。それが、仕事だからな」