※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『最悪の苦労は抗った末に滅びることではない、他人に足を引っ張られてドン底に叩き落とされることだ!』

 

 東京郊外。神奈川県の県境にほど近い地域に、それはあった。

 昨晩、対魔忍が襲撃し、既に事の終わった麻薬組織の研究施設だ。周辺は3メートルの壁に囲まれ、少なくとも一般人にとって入れるのは正面からだけだ。

 

 表向きには小さな製薬会社の研究部門となっている。

 周辺は真っ当な研究施設が点在しているものの、夜になれば人通りはなきに等しい。

 研究者というのは内に籠る人物が大半で、専門分野がハッキリと別れる。隣の研究所で何を研究しているか、などと知りたがる研究者は、それこそ稀だろう。

 

 ――つまり、真っ当ではない研究をするにはうってつけの場所ということだ。

 

 存外、外道というものは身近に潜んでいるということでもある。

 また人目を気にする必要がないのは、対魔忍にとっても襲撃するにはうってつけの場所でもあったわけだが。

 

 

「さて、と。地道に行くとしますか」

 

「ああ。しかし、こんな格好をする必要があったのか? まあ、貴方のことだから考えはあるのだろうが……」

 

 

 研究所近場の物陰に移動用のハイエースから下りた二人の格好は普段とは違っていた。

 

 凜子はトレードマークのポニーテールではなくハーフアップに。顔には縁なしの伊達眼鏡をかけている。

 服装は紺色のパンツタイプのレディーススーツを身に纏い、ネクタイは締めていない。一見すれば、新社会人、新人OLといった風情である。

 凜子は着慣れない服装に戸惑っていたものの、スーツがはち切れそうなほどの肉感と実に相性が良い服装だ。

 

 虎太郎もまた黒いスーツに洒落たネクタイを締め、その上からベージュのトレンチコートを羽織っていた。

 顔には鋭利な視線を隠すような分厚いレンズの黒縁伊達眼鏡をかけ、髪型も軽くパーマをかけてる。

 ヨミハラでは気弱な男を演じていたが、今は如何にも仕事ができる男といった印象を受ける。

 

 髪型や印象が変わるだけで大抵の者は同一人物と判断できなくなってしまう。人間であれ、魔族であれ、彼らが思っている以上に鈍感な生き物なのだ。

 それこそ虎太郎レベルの疑り深い人物でなければ、この程度の変装でも十分ということだ。

 

 虎太郎は問いかけに答えることなく一跳びで壁を飛び越え、凜子も後に続く。

 

 

「ここだな」

 

 

 向かったのは凜花と正体不明の少女が交戦した地点だった。

 流石にまだ色濃く戦闘の後が残っており、弾丸や手榴弾、対魔忍の忍法によって地面に出来た大小さまざまな穴、ぶちまけられた血が残っている。

 翌日になれば、政府直属の後始末部隊が到着し、全ての証拠を闇に葬ることになるだろう。

 

 虎太郎は少女が術を行使したであろう地点に移動すると、膝を折り曲げて萎びた芝生に手を置いた。

 

 

「凜子、対魔粒子という言葉を聞いたことはあるか?」

 

「勿論。我々で言う所の“対魔の力”の米連での呼び方だろう」

 

「じゃあ、それを感じ取れるか?」

 

「自分のものなら。言葉にするのは難しいし、他人のモノとは区別がつかないが」

 

「そうか。目を閉じて意識を集中してみろ。戦闘中では殆ど不可能に近いが、こうして集中する時間があれば、お前なら分かるはずだ」

 

 

 半信半疑であったが、凜子は目を閉じて大きく息を吐いた。

 集中しろ、と言われても大抵の人間ではそう簡単にはいかないが、凜子はその限りではなかった。

 

 彼女の修めた逸刀流の鍛錬には精神修行も含まれる。

 免許皆伝にして跡を継いだ凜子も、道場での鍛錬の前に正座で精神集中を行う。その時と同じ要領だ。正座か立っているかという違いだけ。

 

 凜子は確かに自分と虎太郎の“対魔の力”を感じ取れていた。

 全身の肌で感じ取っているそれを、凜子は不思議なことに色として認識していた。

 

 自身の色は青。蒼穹のような青色だ。

 虎太郎の色は黒。闇をも飲み込みそうな漆黒であった。

 

 自分は兎も角として、虎太郎の色が余りにもらしすぎて、思わず笑ってしまいそうになった。

 

 

「う、む。確かに、色のように感じ取れる……気がする」

 

「へえ、お前はそうなのか。オレは圧迫感と匂いのような感じなんだがな。感じ取り方にも違いがあるらしい。まあ、いいか。もっと深く集中してみろ」

 

 

 虎太郎の言葉から、この技術を教えられたのは自分が初めてなのかと喜びに浸りながらも、凜子は更に自己の内側に埋没していく。

 

 それから、どれだけの時間が経っただろう。

 凜子が殆ど無我の境地に近い領域にまで脚を踏み入れると、虎太郎の手の置いた地点に新たな色を感じ取った。

 

 色は無色透明に近いが、辛うじて藍色と認識できるそれに、凜子は違和感を感じて集中が途切れてしまう。

 

 

「そこに何かあった。あの少女の力の残滓とでも言えばいいのか。私達と同じようでいて、正反対のような……すまない、上手く説明できないな」

 

「…………空遁はお前が考えている以上に危険な力技だが、同時に繊細な職人技でもある。期待はしていなかったんだがな、そこまで分かれば上出来だ」

 

『お見事です、凜子様。才能だけならば虎太郎以上ですよ。今あなたが感じたものは、俗に魔力と呼ばれるものです』

 

「今のが……何だかあやふやで判然としなかったが、すぐに忘れてしまいそうだ」

 

「自転車の乗り方と同じでな、この感覚は一度でも覚えれば決して忘れんよ」

 

 

 虎太郎とアルフレッドから称賛を受け、凜子は戸惑いを覚えた。

 コツは掴んだ気はするが、感覚があやふやすぎて思わず不安を口にしたが、虎太郎は即座に否定する。口ぶりからして経験則だろう。

 

 

「いや、それよりもアルフレッドが感じ取れる――というよりか、お前の場合は計測か、できているではないか。必要だったのか」

 

「一つの装置に頼るのは賢明とは言えねぇよ。一つの装置と一つの感覚なら、より正確に別の方向から物事を見極められる。一つの装置と二つの感覚なら尚の事、だ。知っておけ、物事ってのは多角的な視点で初めて全体像を把握できる。そこを疎かにするとな、すぐに騙されるぞ」

 

『このような人も機械も相棒も信じないドライモンスターなのです。正論ですが、冷徹が過ぎます』

 

 

 虎太郎のぐうの音も出ない正論に、凜子は閉口せざるを得なかった。

 アルフレッドの皮肉交じりのフォローが入ったものの、それでも虎太郎の正論は揺るいだ訳ではない。

 凜子もヨミハラで自分の考えや判断を優先して、蜘蛛の巣に絡め捕られた蝶となったのだ。素直に言うことを聞かざるを得ない。

 

 自分の力に絶対の信頼を置いていない点も、相棒(アルフレッド)の援助を得られない、或いは失った状況を想定している点も、凜子からすれば驚きを通り越して寒気すら覚えるが、否定するだけの材料を持ち合わせていなかった。

 

 

「しかし、魔力か。ともすれば、あの少女は別組織の魔族、なのだろうか」

 

「それは早計だ。魔力は魔族の力の源だが、決してイコールでは結ばれないからな」

 

『人間でも異界の存在と契約することで魔力を得られます。魔術師、魔女と呼ばれる方々ですね。ただ、魔界から流出した技術ですので、魔界側の存在に近いのは確かですが』

 

「次の場所に行くぞ。そっちの方が、得られる情報が多そうだ」

 

 

 異界とは魔界とも異なる世界である。

 どのような世界であるかは断片的に語られるのみで、理解している者は人界魔界を合わせても一握りしかいない。

 

 曰く、かつて神と呼ばれた存在達の寝床。

 曰く、人界魔界とも物理法則の異なる世界。 

 

 異界など、その程度しか知られていない。

 虎太郎も、あちら側の存在と出会ったことはあるが、人界に合わせてスケールダウン――というよりかは気合と根性でこっちに留まっているようなものか、と結論付けていた。

 どの道、彼にとっては敵と認識する必要のない相手だ。此方に来た時点で異界の存在も、そこいらに居る魔族と大差はなくなる。

 

 その上、彼等も対魔忍、魔族、米連同様に敵を舐める癖がついている。

 

 元より圧倒的な上位存在だ。

 格下を見下すのは仕方ないにしても、もう自分以外の全てが他人を舐めて痛い目に会い、誰かの足を引っ張っていると考えるだけで虎太郎は胃が爆裂しそうな思いだった。

 そういう輩に限って自分の脚を引っ張ってくるからだ。彼の苦労人生は、異界存在の尻拭いまで含まれているらしい。悲惨としか言いようがない。

 

 

「ここら辺だったが――――――あったぞ」

 

「それは……?」

 

「あの少女はここで銃弾を躱し損ねていた。その結果だ」

 

 

 既に映像からその事実を確認していた虎太郎は、芝生の中から少女の血が染み込んだ衣服の切れ端を拾い上げる。

 弾丸は彼女の衣服の一部を破り、身体に傷を残した。恐らく、凜花を抱えていたが故に普段通りの回避行動が出来なかったのだろう。

 虎太郎は衣服の切れ端を引っ張り、手感で何かを確かめるような仕草を見せた。その後、染み込んだ血の匂いを嗅ぎ、納得したように頷いた。

 

 

「衣服は対魔忍の装束と似てるが、強度はそこそこ、伸縮性は段違いの化学繊維だ」

 

「ならば、米連の手の者か。魔術にまで手に出しているとはな」

 

「米連であるのはほぼ間違いないだろうが、もう一息だな。血の匂いも人と魔族のそれが混ざっている」

 

「そ、そんなことまで分かるのか。ならば魔族が面白半分に孕ませたのが……」

 

「人だの魔族だのの血も死体も腐るほど見てきたし、匂いも腐るほど嗅いできた。直感に過ぎんが、これは半人半魔というよりかは……」

 

 

 虎太郎も匂いだけで判断しているわけではない。

 僅かに残った証拠から経験や五感から言葉にすらできない断片的な情報を感じ取り、脳内で直感として再構築しているのである。

 

 言うなれば職人の感覚に近いか。彼等は経験から極小の差異ですら一目で見抜く。

 恐るべきは、そんな領域に足を踏み入れるまで、多くの人と魔族の死を目の当たりにし、また自らも屍山血河を築きあげた彼の人生である。

 

 虎太郎は、かつてアミダハラで出会った半人半魔の魔女を思い出す。

 彼女の血の匂いも戦いの中で嗅いだ。アレは人でも魔族でもないが、第三の生命体として確立した匂いだったと記憶している。

 だが、今嗅いだのは人と魔族が混ざり合ったような匂いだ。同列として語るには、違和感が勝ち過ぎていた。

 

 

「で、どうだ……?」

 

『これは、無茶苦茶ですね。どうやら人間に魔族の血液を輸血したようです。人と魔族、両方の遺伝子が確認できます。それに、彼女の全身には手術痕らしきものも見られました。臓器移植も行われている可能性もあります』

 

「米連の、生体実験という奴か」

 

「魔族の中から遺伝子的に人と近い種族を選別して、その上であの娘に臓器移植と輸血を行ったんだろ。もっとも、成功例が出るまでに拒絶反応でどれだけ死んだか知らんがな」

 

 

 凜子は余りの悍ましさに顔を歪めた。

 

 人と魔族は根本的に別の生き物だ。

 如何に遺伝子的に人と近かろうが、血縁関係にある者同士の臓器移植ですら不可能である場合も珍しくないというのに。

 かつて、拒絶反応という要因を人類が知らなかった頃に行われた羊や豚の腎臓を人間に移植した過去とは異なる。

 米連の研究者は、明らかな危険と患者の死を認識した上で、生体実験を断行したのだ。

 

 虎太郎はそれほど嫌悪も怖気も抱いていなかった。

 人類の歴史は浪費の歴史だ。多くの財産、多くの資源、多くの命を浪費しながらしか生きられないのが人類なのだ。

 彼にとって少女の身に起こった現実も、ただ歴史に埋もれていくだけの事実に過ぎない。

 何より少女に魔族の臓器移植を行った経緯を知り得ていない。動機や目的が分からない以上、自分には正当な評価が下せないと、それ以上の思考はカットした。

 また彼の任務には何の関係もない事柄だ。今必要なのは少女の背景ではなく、少女の目的――ひいてはその裏で糸を引いている米連の思惑である。

 

 

「行くぞ。オレ達が優先するのは紫藤の救出だ」

 

「分かった。それで、次は……」

 

「どうすればいいと思う?」

 

「――――……どのようにして、彼女が逃げたのか、か?」

 

「その通りだ。人間が逃走する以上は必ず何かが残る。だが、お前の空遁の術は痕跡を残さん。その辺りも理解しておけよ」

 

 

 虎太郎は救出者、或いは猟犬としての行動を教育しつつも、凜子自身の能力についても考えさせる。

 

 彼が考えるに能力というものは、どんなものであれ、使い方次第だと考えている。

 道具の使い方と同じだ。馬鹿と鋏は使い様である。

 道具がどのような使われ方をし、どのような使用法こそが効率の良い使い方なのか、どのように使用するのが自分にとって使いやすいのかを識る――即ち、自覚の有無こそが全てを決める。

 

 常に道具を使い続け、常に道具と己の限界を見続けること。

 

 反復と探求こそが自覚に繋がり、蠅を龍へと生まれ変わらせる。虎太郎が生き残れてきた要因の一つが、それだ。

 

 

「当時の状況を鑑みるに、逃走経路は地上に限られる」

 

「何故、そう言い切れるんだ? 米連に属しているならヘリの一つや二つ、すぐに用意できるだろう?」

 

「ここいらにゃヘリが着陸できる地点がない上に、着陸せずに人間を回収するのも手間だ。夜中にそんなもんが飛べば周囲にもバレやすい。目的も戦闘ではなく、誘拐だからな。人目につきにくい移動手段の方が適しているだろ?」

 

 

 凜子が納得できるだけの理由を持った結論を語り、二人は追跡を再会するために壁を飛び越えた。

 

 監視カメラの映像から推測できる逃走経路。現場に残った足跡。虎太郎とアルフレッドの推察から凜子も薄らとではあるが少女の人物像が見えてくる。

 少なくとも少女は自分や対魔忍のように生まれながらに生きる道が決まっていたわけではないようだ。幼少期から訓練を重ねた印象は見受けられない。

 戦闘訓練ばかりだった自分でも足跡程度は気を使う。少女は足跡を消すのを忘れた、というよりかは足跡を消せないのだろう。

 魔族の臓器を移植された影響か、魔力や異能の獲得のみならず、身体能力の向上が見受けられるが、それ以外の技術に関しては素人同然である。

 

 虎太郎は五車学園を出た時点で、もっと正確に言えば監視カメラの映像を確認した時点で気付いていた。

 米連にはそういった者が多く属している。生まれは平凡だが特殊な能力を持った人間に特殊な装備を与え、特殊戦闘員や特殊部隊の一員とするやり方は、彼等の十八番なのだ。

 

 米連は個々人の能力は対魔忍、魔族に劣るものの、用いる人員も装備も金も最大の勢力である。

 覇権主義の歪みを抱え、世界の盟主として振る舞い続けた米連にとって、肥大化することは一種の生存欲求だ。

 正に巨獣。しかし、成果を上げ続けなければ死は避けれらない。大きくなり過ぎた獣は、自らの巨体に押し潰される運命にある。かつてのイギリスやソ連のように。

 

 

「これだな」

 

「……タイヤ痕か」

 

 

 少女の足取りを追って研究所から100m程度離れた林の中で、二人は地面に残ったタイヤ痕を発見した。

 タイヤ痕の幅と間隔から、それなりの大型車としか凜子には判断できなかったが、虎太郎はもっと深くまで見通しているようだ。

 

 

「これで車種とタイヤ痕の深さから乗っていた連中の人数まで分かる。後は追いかけるだけだな」

 

「そんなことまで分かるのか……」

 

「安心しろ。これが自然に出来るようになるまで徹底的に仕込んでやる。追跡においては必須の知識と技能だ」

 

 

 凜子は、それらはアルフレッドの方が得手だろう、と言いかけた言葉を飲み込む。

 まだ目の当たりにしたわけではないが、アルフレッドが破格を通り越して異常な性能を有しているのは、人工知能や機械の知識に明るくない凜子にすら話からだけでも理解できた。

 その上、虎太郎が簡単に明かしたのならばそれは上辺だけで、アルフレッドの能力も性能ももっと凄まじいものとも受け取れる。

 

 全てを理解してなお言葉を発さなかったのは、これも多角的な視点で事実の全体像を捉えるのに必要な行いなのだろうと思い至ったからだ。

 次々と覚えねばならない手法や知識が披露され、凜子は目が回りそうな思いであったが、不満はない。寧ろ、喜ばしくあった。

 期待をされていないのは分かっている。虎太郎は他者に期待を向けるような可愛らしい性格をしていないのも知っていた。正当かつ正確に他者の能力を把握する上で、期待は邪魔にしかならないだろう。

 

 それでも愛した男の力になれるのなら、凜子にとっては胸が熱くなるほど情熱が沸いてくる。この程度の労苦など彼女には苦にもならない。

 

 

「地図は持ってるな?」

 

「――ああ」

 

「これからこの手の案件に繋がっていそうな東京方面の米連施設を繋ぐルートを辿る。ルート上にある監視カメラの映像から特定車種が連続して発見できれば、それが当たりだ」

 

「しかし、それでは時間がかかりすぎる。凜花の身が……」

 

「いや、どうだかな。今回の件、米連にしては消極的で慎重だ。普段とは違うやり方なら、思惑も別の所にあるのかもな。それに初動も速かった。存外、時間の猶予はあるだろうよ」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 虎太郎と凜子が研究所から追跡を開始しようとした頃、太平洋上空を米連の輸送機が空を駆けていた。

 正規の手続きに基づいて在日米連軍の基地を発った輸送機の中には、非正規部隊の人員が何人か乗り込み、今まさに一仕事終えて本国へと戻る途中であった。

 

 

「よう。アルマ、浮かない顔だな。どうした?」

 

「………………」

 

 

 輸送機の荷物の一つであった兵士が航空機特有のエンジン音と機体を風が叩く音の中で、隣に座った少女に声をかける。

 

 アルマと呼ばれた少女こそ、虎太郎と凜子が追う凜花を捕らえた張本人である。

 兵士は彼女のバックアップを行った者の一人だ。アルマとはもう2年もの時間、任務を共にしていた。

 

 

「どうして……殺さなかった、の?」

 

「知らんよ。オレらの任務は対象を捕縛して引き渡すことだけだ。殺したら、任務がおじゃんになるだろうが」

 

「……こんな任務……初めて」

 

「いいじゃねぇか。誰かを殺すよりかは、まだマシだ」

 

 

 もっとも引き渡した後にどうなるかは分からんが、と兵士は暗い気分で心の中で溜め息をつく。

 彼は優秀な兵士だった。正義や悪など信じておらず、ただ上からの命令に従うのみ。どれだけ自身の倫理にそぐわない任務であろうとも、国の為に粛々と役割を果たすだけだ。

 

 チラリと兵士はアルマの顔を盗み見る。

 そもそも、彼女が何かに頓着すること自体が珍しいが、困惑はすれども表情に出ていない辺りが普段からの彼女を物語っているようで、兵士は何とも言えない気分となった。

 

 兵士にとってアルマは悲劇の少女でもあった。少なくとも彼にとっては。

 数年前、アラスカにおいて飛行機事故が発生した。死傷者200名以上に上る大惨事であったが、航空機墜落においては珍しくない数字である。事故唯一の生存者がアルマだった。

 

 彼女の悲劇はなおも続く。

 事故後、彼女の身体は人の形を保ってはいたものの、機能の大半は損なわれ、無数の機械によって命を繋がれている状態だった。

 死を回避するだけの延命治療。せめて安らかに死を迎えるためだけの終末治療。何一つ救いのない、失われるだけの彼女の人生。

 

 そこで奮い立った人物がいた。米連内において移植手術のスペシャリストとして知られる教授であった。

 彼こそがアルマに魔族の臓器と血液を移植した張本人である。しかし、彼の行動は凜子の抱いた悍ましさとは、およそかけ離れた動機を元にしてのものだった。

 

 彼はただ、目の前で失われていく患者の命を見捨てたくなかっただけなのだ。

 人間的に正しい動機の元、教授は怖気の奔る手術に手を出し、アルマの命を救ったのである。

 

 

(必死になって救った少女が、今や軍属の殺し屋とは。皮肉だぜ)

 

 

 正しい思いによって行動を起こしたとて、必ずしも正しい結果、正しい報酬を得られるとは限らない無常に、兵士は両肩が重くなるのを感じる。

 

 アルマと教授にとっての唯一の救いは、二人が家族のような絆で結ばれていることだ。

 手術の影響から、彼女は事故以前の記憶の殆どを思い出せなくなっていた。確かに頭の中には記憶はあるのに引き出せない。常に記憶は霞がかったような状態だった。

 

 アルマは感謝と自己に対する不安から教授を慕う。

 教授は自己の行いに嫌悪と後悔を抱いて、アルマを気にかける。

 

 余りにも儚く、余りにも切ない――――けれど、結果はどうあれ、その絆は本物だ。

 

 残ったものはそんなものだったが、それでもいいさと兵士は受け入れている。そんな歪でちっぽけなものであったとしても、守るに値するものだと信じている。

 

 

(対魔忍の娘にゃ悪いことをしたが、これも仕事だ。お互い、因果な商売についちまったもんだな。恨みっこはなしにしようや)

 

 

 自身たちの手で引き渡された凜花を想い、更に重苦しい気分となった兵士だが気持ちを切り替えた。長年の兵士としての経験が生んだ術である。

 後は教授の元へアルマを送り届け、二人の笑顔を確認したら、(ホーム)へ帰って家族と食事が待っている。家に仕事を持ち込まないのが、彼の流儀であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 

「ここが、最も可能性が高い場所か……」

 

 

 研究所から追跡を開始して24時間後、東京都は渋谷区松濤の高級住宅街に二人は辿り着いていた。

 

 ルート上のコンビニ等の監視カメラの記録を虎太郎と凜子は警察官と身分を偽って――その為のスーツ姿だったようだ――あたり、アルフレッドも広範囲に渡って同様の行為を繰り返した。

 その結果、少女達の逃走車両を特定し、後を追いかけたのだが、とある廃工場に行き当たり新たな敵の影が見えてきた。

 

 その廃工場で見つけたのは、少女とその仲間である米連の秘密部隊のタイヤ痕と足跡だけではなかった。

 何かを引き摺ったような跡に、少女達とは別の第三者の痕跡である。

 

 そこで虎太郎は何らかの取引が行われ、米連が凜花を第三者に引き渡したと確信した。

 虎太郎と凜子の目的は救出であり、そこで追跡する対象が第三者へと切り替わったのである。

 

 後は同じ追跡法だ。車種と人数、向かった先を特定し、監視カメラの映像から追跡した結果が現在地だった。

 幸いなことに第三者が使用していた車種は一般人には手が出ない高級車であり、カメラによる追跡も容易であった。

 

 

『どうやら此処は小さな野党の議員宅のようですね。それも親米派です。米連と繋がりがあって不思議ではありませんね』

 

「また政治家かよ。どこまで腐ってんだ、日本政府ェ……」

 

 

 アルフレッドの言葉に、虎太郎はゲンナリとした表情で溜め息をつく。

 

 そのまま舌打ちをすると車を降り、凜子も後を追う。

 凜子の表情は固かった。何せ、あの矢崎と同じ政治家の悪党だ。仕方あるまい。

 

 議員の自宅は警備もなければ、監視カメラの類も一切なかった。

 政治家は一般人と比較すれば高給取りであるが、選挙運動など金のかかる仕事でもある。重鎮や大物と呼ばれるレベルでなければ、自宅の警備などこんなものだろう。

 あっさりと内へと侵入した二人であったが、議員も凜花も姿はなかった。

 

 

「どういうことなんだ。まさか、外れか?」

 

「いや、ガレージに車がなかった。既に別の場所に移動した、と見るべきだろうな」

 

「じゃあ、どうすれば……」

 

「手がかりを探す。この家、どうにも匂うぞ」

 

 

 虎太郎の言葉に、この家の何処に可笑しな場所があるのかと不思議であったものの、目下手がかりとなるのはここだけ。凜子も黙って従う他はない。

 

 しかし、一時間以上もの時間、家の中を探し回っても手がかりらしい手がかりは見つからず、そもそも闇の勢力と繋がりがあるのかすら怪しい有り様であった。

 

 もういよいよ駄目なのか、と凜子が焦り始めた時、虎太郎は書斎を歩きながら床の一点に目を止めた。

 床の一部を踏んだ時、そこだけ明らかに音が違った。闇の中、ライターの明かりをつけて確認してみれば、その部分は周囲に比べて明らかに真新しい色合いである。

 うんうんと頷き、周囲の本棚や書斎の机を探し回ると探していたもの――机の裏側にスイッチを発見した。

 

 スイッチを躊躇なく押すと床が開き、中には地下室への階段が伸びていた。

 手の込んだ仕掛けに驚いた表情で凜子は虎太郎を見たが、見つけた本人は肩を竦めるばかり。この手の秘密を暴くのは慣れっこなのだろう。

 

 二人は虎太郎を先頭に、ライターの光を片手に階段へと足をかける。

 虎太郎はすぐさま顔を顰め、凜子も階段を半ばに至った辺りで鼻をつく匂いに心臓を締め付けられるような感覚に陥る。

 

 二人の鼻を刺激したのは明らかな血の匂いだった。

 凜子は幼馴染の身を案じ、焦りは最高潮に達しそうであったが虎太郎と任務の手前、何とか冷静さを保つ。

 

 階段を下りきると虎太郎は何の躊躇もなく鉄扉を開く。

 鉄を擦り合わせる不快な音を響かせながら入った地下室には――――やはり、誰もいない。

 

 地下室は周囲全てがコンクリート造りであり、部屋の中央には手術用のベッド。部屋の隅にはデスクとパソコンがあった。

 異常だったのは壁にかけられた無数の刃物と鋸だ。刃は全て斧や肉切り包丁そのものの形をしており、鋸は刃が細かいものから荒いものまで様々である。

 床はタイル張り。部屋の角には排水溝もあり、ここで行われていた行為の狂気加減は語らずとも、腐った血の匂いで理解できよう。

 

 虎太郎は地下室の様子に眉一つ動かさず、パソコンに向かう。情報源になりそうなのは、それくらいしかない。

 デスクについた虎太郎の後ろから凜子もパソコンのディスプレイを覗き込んだが、この地下室に似つかわしくないものを見つけた。

 

 ガラスの割れた写真立てだ。収められた写真は、30代程度の男女の写真であった。

 男は女の肩を抱き、女は男の肩に頭を預けており、仲睦まじい夫婦そのものである。背景は何処かの湖畔。別荘らしきものまで写っている。

 何処かへ旅行に出かけた時の写真なのだろう。幸せそのものを写真として閉じ込めたかのようだった。

 

 虎太郎は横目でそれを確認しただけで、起動したパソコンを操作する。

 デスクトップには無数の動画ファイルがあった。全てに女性と思しき名前と年月日が記入されていた。

 

 その一つを虎太郎が再生し、凜子は中身を見た事を後悔する羽目になった。

 

 

「…………これ、は」

 

『何と、惨い真似を……』

 

 

 ――切断、流血、絶叫、悲鳴、懇願。残虐、哄笑、興奮、狂気。

 

 おおよそ、動画の内容はそんなものだった。

 

 凜子には、何故そのような真似をするのか、何故そのような行為で興奮を覚えられるのか、全く理解できない。

 ヨミハラでは、そういった(・・・・・)性癖を持つ人間がいると聞いたことはある。

 けれど、その処置を行うのはあくまでも本人ではなく、本人とて処置の結果を楽しむのであって、その過程に興奮する訳ではない。

 ましてや、写真の中では伴侶と仲睦まじい人物が、動画の凶行に奔るなど、理解できよう筈もない。

 

 

「アルフレッド。コイツ、ここ何年かで離婚してるだろ」

 

『はい、そのようです。どのような理由かは不明ですが。調べますか』

 

「よせよせ、時間の無駄だ。理由なんざ簡単に検討がつくからな。知る意味もないよ」

 

「分かる、のか。何故……?」

 

「コイツにとって女の脚は自分から逃げていく証、女の腕は抵抗の証なんだろうよ。自分を裏切った女と違う形にしなきゃ気が済まんのさ」

 

 

 唖然とする凜子を余所に、下らねぇと男の狂気を一蹴する虎太郎。

 

 凜子は頭が可笑しくなりそうだった。

 少なくともこの男も離婚までは至極真っ当な政治家だったはずだ。理想に燃え、夢があり、妻を愛していたに違いない。

 そんな男が、誰にでも在り得る理由で簡単に壊れてしまう人の弱さにも。

 その弱さと狂気を目の当たりにしてなお、よくある話だろうと現実を受け入れている虎太郎にも。

 

 

「この程度で気が滅入ってるようじゃ、オレと一緒に仕事なんてやめた方がいいぞ」

 

「…………嫌だ。私は対魔忍だ。この手の外道を討たなければならない。何より、この狂気の中であなたを一人残しておけるものか」

 

「本気で物好きだよ、お前も、ゆきかぜも」

 

「知っていると言ったはずだ。それに、あなたと一緒ならいくらでも耐えられる自信――ではないな、これは自覚だ。うん、自覚がある」

 

「ふん、そうか――――――これは……」

 

 

 凜子に顔すら向けずにパソコンを調べていた虎太郎は、既に挿入されていたメモリーカードに目を付け、中のファイルを開いた。

 

 

「ま、まさか、これは……!」

 

「――――――やっべぇな、おい。この案件、オレが出向いて幸運だった。行くぞ、凜子」

 

 

 凜花を誘拐した米連の一部隊。誘拐した人間を利用するでもなく、受け渡すだけの不可解な行動。親米派議員の狂った性癖。

 ファイルの中身は有名無名に関係なく、能力に明確な弱点がある対魔忍たちの写真とプロフィール、能力研究の資料、弱点を前提とした最適戦術であった。

 

 その瞬間、全ての点と点が線で繋がった。

 米連の行った凜花誘拐は実験と試運転だ、と確信する。

 

 虎太郎の考えは、一連の動きは対魔忍研究の成果と効果の確認。それと同時に対魔忍側の戦力を削らせる(・・・・)ため、というものだ。

 

 凜花誘拐は言わばデモンストレーション。だからこそ、手始めに自分達の部隊を使った。

 まず自分達の握る研究という名の情報がどれだけの威力を持ち、どれだけの効果を発揮するのかを、対魔忍の敵対勢力に知らしめる。

 あの鬼腕の対魔忍を簡単に倒せたという結果は、後先を考えない輩に何を求めるかとなど考えさせるまでもないだろう。

 

 情報を提供した議員が闇の勢力と結託し、多くの対魔忍を己の物としてくれればいい。

 議員も積極的になるだろう。何せ、今まで犠牲にしてきた女とは異なり、対魔忍は簡単には壊れない上に、死なないからだ。だからこそ、あの議員を米連は選んだ。

 

 後は頃合を見計らって、情報を闇の勢力にばら撒くだけ。そうすれば対魔忍は目も当てられないほどの弱体化を果たすだろう。

 

 

「魔族どもにいいようにやられてんのに、未だに自分達だけで勝てるつもりかよ」

 

 

 虎太郎が危惧したのは仲間の危険――などでは無論なく、現状の拮抗状態が崩壊することだ。

 対魔忍勢力が弱体化すれば、魔族と米連が台頭し、二つの勢力争いになる。

 しかし、魔界は人界よりも遥かに広大だ。大半は人界などに興味は抱いていないだろうが、それでも総戦力は米連よりも上だろう。

 どれだけ優れた機械技術と人員を有していようが、魔族がそれぞれ遊んでいるからこそ対抗できているだけ。

 人界の征服が目前となれば欲が出て本気になることも、それぞれの魔界勢力が利益分配を前提とした共闘を選択する可能性も高まる。つまり、魔族の一人勝ちになりかねない。

 

 虎太郎にしてみれば、対魔忍、魔族、米連の三勢力が互いを馬鹿にしあいながら、互いの戦力と成果が拮抗している現状こそがベストでこそないがベターではある。

 この隙に魔族の情報を集められるだけ集め、技術を奪えるだけ奪い、削れるだけ削れらねば、人類は魔族の家畜――いや、滅亡しかねない。

 

 何よりも、この計画が成功したとて対魔忍も滅びるまではいかず、弱体化するだけで抵抗は続けねばならない。

 つまり、苦労が増えるだろうが! という話である。虎太郎の頭にあるのは、それが九割九分。残りの一分はゆきかぜや凜子を含めた自分の女たちのことだった。

 

 

「急ぎ、アサギ先生にこの情報を……」

 

『米連内に潜伏中のお仲間を動かして貰いましょう。これは余りに危険すぎます』

 

「何を言っている。そんな面倒なことする必要ないだろ」

 

『私に期待しての発言なら撤回を。最近は米連の施設も魔術用の対策もしてあります。この計画を実行した米連内の組織も同様の対策が為されている場合、時間がかかり過ぎます。この計画は初動から潰さねば、後から同じような計画を実行してくる可能性が余りに高い』

 

「それでも不可能じゃない辺り、お前は流石だ、アルフレッド」

 

「アルフレッドを褒めている場合か! 時間がないと――」

 

「オレにいい考えがある!」

 

 

 車の中へと戻った虎太郎は相変わらずの無表情で言い、彼の台詞に凜子もアルフレッドも嫌な予感がした。

 彼以外がそんな台詞を吐けば、失敗か死亡フラグ以外の何物でもないが、虎太郎が口にすればまたもやド外道戦法か、人間性を排除した効率追求した策があるに決まっている。嫌な予感も覚えよう。

 

 

「アルフレッド。過去、オレが交戦した米連の有名どころ、結構いるし、記録もあるよな?」

 

『は、はい。勿論です。それから貴方が考えた策も…………まさかとは思いますが』

 

「……おい。おい、まさか、あなたは――」

 

「その情報、バラ撒いちゃおっか☆」

 

「この闇人形!」

 

『このドライモンスター!』

 

 

 にっこりと微笑みながらの、やられたらやり返す宣言に凜子とアルフレッドは絶叫した。

 因みにアルフレッドの絶叫も当然である。虎太郎の考えた最適戦術は、米連が見せた弱点を前提とした生温いものではない。

 対象の性格や嗜好、果ては血縁関係まで利用し、虎太郎でなくとも、人を選ばず容易に実行できるものなのだから。

 

 何よりも、それでは結果が変わらない。弱体化するのが対魔忍から米連になるだけだ。絶対にさせてはならない。

 

 

「馬鹿言え、オレがそんな破滅主義に見えるか? バラ撒くのは魔界勢力でも政治家連中でもない」

 

「ん? んん? 何だと? では、誰に?」

 

『…………成程、米連内の排斥派ですか』

 

 

 アルフレッドの言葉に、その通りだと頷く虎太郎。

 米連内は巨大な帝国だけあって、その内部も一枚岩ではないが、対魔族においては二つに分かれる。

 

 魔族と手を組む結託派と魔族の排除を目論む排斥派である。

 結託派は日本における矢崎のようなものであり、排斥派は対魔忍に相当する派閥だ。

 もっとも結託派は、魔族と協力しよう、魔族を利用しよう、魔族に追従しよう、魔族に降伏しようと内部でもそれぞれ思惑が異なるが。無論、排斥派も、である。

 

 

「今回の件、結果を考えれば結託派が引き起こした可能性が高い」

 

「確かに、魔族が最大の利益を得るわけだからな……」

 

「だから、手に入れたこのメモリーカードの情報とオレの情報を排斥派にバラ撒く」

 

 

 そうなれば後は勝手に抑止が働く。

 排斥派も馬鹿ではない。二つの情報を渡せば、情報を流した者の意図に気付くだろう。

 中には虎太郎と同じように、魔族に対して決定的な勝利のビジョンがなく、現状が長く続いてほしい派閥もいる。

 だからこそ互いの滅びや弱体化を避ける為に、情報という矛を納め、闇に葬る方向に動くしかない。

 

 

「暫らく、米連内は荒れるぜ。お前らがこんなことをするから、真似をする馬鹿が出るって責任追及でな」

 

「自分は情報を流すだけか、悪辣な……」

 

『凜子様。素直に外道といってもいいのですよ?』

 

「ふふふ、何処が。少なくとも米連内で殺し合いには発展しないだろうよ。しかも排斥派の連中が勢いづけば恩も売れる。いずれは対魔忍にとって共闘するための材料になるかもしれん。これが効率の良い方法よ」

 

「ああ、そうかそうか。もういい。それで凜花の方はどうするつもりだ。我々の任務は救出だろう」

 

 

 頭の痛い問題が一つ片付いたものの、依然として凜花の行方が分からず、既に追跡する為の情報の糸は途切れたも同然だ。

 

 しかし、凜子に見えずとも、虎太郎には見えている糸はある。

 

 

「思うに、あの男にとって女というのは自分を捨てた女房の代替品だ」

 

「……それもそうか。人間全てに絶望しているのなら異常性癖者ではなく、連続殺人犯かテロリストになるだろうな」

 

「愛しながらも憎んだ果てに、あの行動に及んだ。けれど女房はもう戻ってこない。本当に壊し、穢したいものは手の届かないところへ行ってしまった。ならば、どうする……?」

 

『私には人間の情動は理解しかねます。凜子様はどうでしょう?』

 

「うぅ、む。私も同じだ。そもそもあんな異常者の心など理解できるとは思えん」

 

「簡単な話だ。張本人がいないのなら、張本人の残したものを壊し、穢す。自宅に地下を作ってあんな真似をしていたのが良い証拠だ。次に何処で事に及ぶかなんて決まっている」

 

 

 確かに、虎太郎の言い分は尤もだった。

 自宅の地下で、あんな異常な行為に及ぶ必要性は何処にもない。生来の性癖であれば、それを満たせる場所に行けばいい。東京にはそういった吐き気の催す場所があるのだ。

 妻と愛し合った自宅や思い出を見る影もなく壊し穢すために、わざわざリスクを背負ってまで、あんな凶行に及んだ。

 

 だとするならば――

 

 虎太郎は懐からあるものを取り出す。地下室にあった仲睦まじかった頃の夫婦が写った写真だ。

 

 アルフレッドと凜子は、あ、と思わず声を漏らした。

 写真に残して飾るほどの愛の思い出。次の場所は決定している。

 

 ――次に穢すのは、湖畔に立った別荘しかないだろう。

 

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