※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『グラムと苦労人の違いは、自ら死に近づけるかどうか』

 

 

(厄介なことになった。取り敢えず、最低限の任務は達成した。後は逃げるだけだが、さて……)

 

 

 虎太郎と花蓮は森の中を東京方面に向かって走っていた。

 想定外だった吸血鬼による襲撃を躱し、撤退を開始した両名であったものの、脅威が完全に去った訳ではない。

 

 距離は離したものの、追撃は終わっていない。

 仕掛けておいた爆弾の爆発に巻き込んだが、吸血鬼には再生能力がある。完全に殺し切れてはいない、というのが虎太郎の見解だった。

 彼が過去相対した吸血鬼は皆、冗談染みた再生能力と不死性を有していたからであり、後方から凄まじい勢いで迫ってくる怪物共の気配があったからだ。

 

 

(逃げきれん。オレ一人ならどうとでもなるが、氷室が居てはな)

 

 

 移動をしながら、左手に開いた風穴に止血剤と化膿止めを打ち、その上からガーゼと包帯を巻いて応急処置を済ませていた。

 彼の最大の不安要素は負った傷ではなく、まだ未熟な生徒だ。必死で自分に着いてくる花蓮に視線を向ければ、肩で息をし、汗で額に髪を張り付かせている。

 

 

(吸血鬼連中がどの程度の強さなのかは分からんが、首魁のグラムとやらはまず間違いなく貴族級。どう考えても、コイツを守りながら追撃を振り切るのも迎え撃つのも無謀でしかねぇな)

 

 

 虎太郎は敵の戦力分析を簡潔に済ませ、厄介な状況に嘆息したが、その瞳に狼狽や焦燥の色は皆無だった。

 既に、この状況を如何にして打破すべきなのか、答えを見つけているのだろう。

 

 虎太郎が片手を上げて、静止を指示する。

 氷室は指示通りに即座に脚を止めたものの、膝に手を突き、荒い呼吸を繰り返す。

 彼にしては速度を押さえて走っていたのだが、彼女が長距離を移動できるギリギリのラインだったらしい。

 

 

「ハァっ……ハァッ……、どうして、急に」

 

「これ以上、お前はオレに着いて来れない。二手に分かれる。お前は撤退し、オレが囮になる。いいな?」

 

「………………ッ」

 

 

 虎太郎は自分の身体中を隅々まで調べながら、花蓮にとって余りにも屈辱的な宣言をした。

 

 ――お前は、足手纏い以外の何物でもない。

 

 言外に、そう言っているも同然だ。

 花蓮は唇を噛み締め、きつい印象を与える目は、更に吊り上がったように見えた。

 

 だが、彼女も分かっている。虎太郎の判断は正しい、と。

 少なくとも身体能力についても、逃走能力に関しても、虎太郎の方が遥かに上手。

 共に敵を迎え撃とうにも、自分自身は武器を持ってくる余裕すらなかった。どう足掻いても、足手纏いにしかならないだろう。

 

 

(この場で最悪なのは、私自身が下手を打って、敵に捕まること……)

 

 

 少なくとも、花蓮はそう考えていた。

 虎太郎は決して良い教師でもなく、出来た教師でもない。けれど、教師失格というわけでもない。

 教師としての仕事は最低限であるものの、必ず熟す意欲のある生徒に対して協力を惜しまない。

 

 好きで教師をやっているわけではないのは、誰の目からでも明らかであったが、自分自身に課せられた義務から逃げ出すほど、無責任でもない。

 本当に……本当に嫌な顔をして、嫌々な態度を見せながらも、最低限の義務を果たすだろう。

 

 花蓮は、もし自分が捕まれば、虎太郎は命を失うギリギリまで粘り、自分の救助に全力を尽くすことを知っていた。

 

 

「お前にこれを渡す。こっちの端末には、オレが個人的に所有しているセーフハウスへ向かうようにルートを設定しておいた。セーフハウスに着いたら、端末を扉に翳せ、中に入れる」

 

「丙と丁、それから本部への救援要請は……?」

 

「本部へならいいが、丙と丁は止せ。あの二人は対吸血鬼用の戦闘に慣れているわけじゃない。丙はそこそこ戦えるだろうが、決め手に欠ける。それから、これもだ」

 

「これは……」

 

 

 虎太郎が手渡したのは、コンテナの中で取り上げたタブレット端末であった。

 これを託される意味。その重要性を理解し、花蓮は両腕でタブレットをぎゅっと抱きしめた。

 

 吸血鬼の追撃を鑑みるに、あのコンテナの中身は、グラムにとって決して他人に知られたくないものであることは間違いなかった。

 タブレットの中には、その秘密がたっぷりと詰まっている。何が何でも、この情報を五車学園に持ち帰らなければならない。

 情報を解析すれば、敵の意図も見えてくる。後は吸血鬼との戦いに慣れた対魔忍たちに託すだけだ。

 

 

「必ず、学園に届けます」

 

「お前の賢い所、納得させれば聞き分けの良い所は嫌いじゃない。よし、こっちの準備も終わったからな」

 

「……それは、どういう?」

 

「気にするな、こっちの話だ。策は、こうだ」

 

 

 虎太郎の準備とは、盗聴器などを仕掛けられていないかを調べ終わったということだった。

 吸血鬼の首魁――グラムに身体を触られた、煙草とライターを奪われただけだと言うのに、とてつもない警戒心であるが、彼にしてみれば当然の備えだった。

 

 ――何故ならば、自分ならそうするから。

 不用意に敵に近寄られれば、まずは何かされたかと疑うのが、彼の思考回路である。

 

 そうして、彼は自らの策を語り出す。それが、虎太郎にとっての本当の意味での撤退戦の始まりであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「グラム様、これを……」

 

「分かっている。下賤で下等な人間どもが、やってくれたな。嫌と言うほど、後悔させてやるぞ、対魔忍……!」

 

 

 グラムとその部下の15人は、トラックに仕掛けられた爆弾の爆発に巻き込まれたものの、全員が存命だった。

 しかし、その内5名は全身に火傷を負い、両脚を負傷して海岸沿いの道で肉体の回復を持っている。

 それだけではない。二人の対魔忍を追う道中に仕掛けられた爆弾のトラップに引っ掛かり、更に2名が動けぬ重症を負ったのである。

 

 怒りから冷静さを失いつつあったものの、発見したものにニヤリと笑みを浮かべた。

 

 ――発見したのは落ち葉の上にぶちまけられた大量の血痕。

 

 彼らが如何にして二人を追いかけていたのか。それは単純に、敵の血の匂いを追跡したのである。

 吸血鬼は文字通り、血を吸う鬼。人間と同じ食物を摂取して生きることも可能であるものの、血を吸わねば吸血鬼としての能力を失ってしまう。

 そういった事態を避けるためにか、効率よく血を吸えるように発達した器官も当然、存在する。

 

 それが血液に対する嗅覚である。

 

 血液を嗅ぎ分けることに関して、吸血鬼の右に出る生命体は存在しない。

 血の匂いから獲物の疲労や病、果ては純潔であるか否かまで、得られる情報量の桁が違う。

 

 また大気中の微分子を嗅ぐことで、何処までも獲物を追跡する。

 単純に鼻がいい――無論、人間と比べれば感覚器官が発達しているのは疑いようはないが――というわけではなく、血だけを嗅ぎ分け、追跡することに長けた嗅覚を生まれ持っている。

 

 二人が逃げ出す瞬間、グラムは自らの身体から生み出した短剣を投擲していた。

 煙幕と爆発によって目視による確認は出来なかったものの、肉を貫く音を聞き、男の新鮮な血液が流れる匂いを嗅いだ。

 グラムは、恐らくは此処で何らかの応急処置を施したのだろうと考え、その証が大量の血痕だと結論づける。

 

 

(クク。相当に疲れているようではないか。致命傷ではないにせよ、深手には違いあるまい)

 

 

 科学的に考えるならば、血中に存在している乳酸の濃度を嗅ぎ分け、獲物の疲労度を測っているのだろう。

 

 

(この疲労の度合いでは、この程度の出血でも無事では済まない。いくら応急処置をしても限界は近い筈だ。問題はあのメスガキの方か)

 

 

 どうやら、グラムに二人を見逃すつもりはないらしい。

 あのコンテナは、彼にとって秘密にしておかねばならないものなのだろう。

 

 男の方は何の問題もない。少なくともグラムにとっては、そうであるようだ。

 疲労と出血もさることながら、あの男は、コンテナの中にいた実験体の血を浴びていたからだ。

 あの場、その瞬間に立ち会わなかったグラムが、何故そのような事実を知り得たのか定かではないが、事実ではある。

 そして、たったそれだけの事実が何を意味すると言うのか。だが、どうやら彼にとっては、男の完全な殺害を確信するほどの事実であるようだった。

 

 問題は、女の方。

 吸血鬼の鼻は血液以外に鋭敏な反応はしない。人よりは上であるものの、犬や狼のように数億もの匂いを嗅ぎ分け、追跡できるほどではないのだ。

 

 しかし、彼の部下は優秀であった。

 地面に残った僅かな足跡。そして、近くにあった木の枝の上に僅かな泥の付着を発見した。

 男の血の匂いの漂う方角とは別の方角に向かっている足跡は、明らかに二人が二手に分かれた証明であった。

 

 

「5人は私と共に来い、女を追うぞ。男は残りに任せる。どうやら、我々について多少の知識はあるようだが、知識程度ではどうにもならない現実を教えてやれ」

 

 

 短く答えた三名の部下は、血の匂いが漂う森の奥へと消えていった。

 そして、グラムはくつくつと笑いながら女が逃げたであろう方向へと歩を進める。

 

 自分を虚仮にして逃げ切れるとでも思ったか。

 女は手足を斬り落とし、あらゆる恥辱と共に犯し、あらゆる絶望を味合わせて殺してやる。

 いや、男を殺さずに捕らえ、目の前で女を犯して無力さを噛み締めさせるのも、その逆もまたいい。

 

 そんな事を考えながら、グラムは既に勝敗の決した追撃を再開した。

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 月明かりが薄らと差し込む森の中、三つの影が木々の合間を擦り抜ける。

 明らかに人工的な乗り物とは異なるケダモノの疾駆に木々は騒めき、招かれざる客を拒んでいるか、或いは……。

 

 

「血の匂いが濃くなってきた。近いぞ」

 

「注意しろ。奴は我々に気付いている。さっきかかったトラップが良い証拠だ」

 

「はっ! あの程度の爆弾でオレた――――」

 

 

 これから行われる一方的な殺戮を夢想して、歪んだ愉悦に笑みを浮かべた吸血鬼であったが、次の瞬間、一人が消えた。

 何かに躓きでもしたのか。余りにも不様な様に、残りの二人は舌打ちをする。

 

 

「おい、何をしている」

 

「いくら森の中とは言え、人間じゃあるまいし、こんな所で転ぶ奴が――――」

 

 

 先行していた二人は怒りと呆れから脚を止め、倒れた仲間へと近寄ったが、その姿を確認して愕然とする。

 

 倒れた仲間には、首が無かった。

 如何に吸血鬼と言えど、彼等は吸血鬼の中では下位も下位。首がなくなれば、死は避けられない。

 

 馬鹿な。一体、何が。在り得ない。

 そんな思いで、混乱したまま仲間の死体を見下ろしていたが、一方があるものに気付いた。

 

 木と木の合間に張られた血の滴る鋼線を、発見したのである。

 

 仲間の死に対する回答は得られた。

 既に死んだ彼は、この鋼線に自ら首を差し出したのだ。けれど、解答を得たと言うのに疑問と衝撃からは立ち直れない。

 

 

(在り得ん。何故だ。いくら夜とは言え、この月明りと鋼線の太さ。コイツが気付かぬ筈がない……!)

 

 

 そう、在り得ない。吸血鬼の視力は、人間とは比べ物にならない程に優れている。

 例え、一切の月明りが差さぬ夜であっても、この程度の罠を見逃しはしない。夜こそが、彼等の時間なのだから。 

 

 

「……っ! 待て、それ以上近づくなッ!!」

 

「何を――――――――――ウォォオっ?!」

 

 

 人間如きが仕掛けた単純すぎる罠にかかり、不可解な死を遂げた同胞に近づこうとした一人は、静止の声に反応するよりも早く、新たな罠が発動した。 

 

 単純なくくり罠の一種であった。

 弾力に富んだ木の枝を選び、折り曲げて先端に縄を付け、トリガーとなる機構で固定する。

 あとは地面に獲物の足を捉えられるように、縄で輪を作り張り巡らせるだけ。縄の長さや選んだ木の枝の弾性によっては、成人男性でも十分に逆さ吊りにできる。

 

 

「間抜けが! すぐに縄を斬れ!」

 

「分かってる。……いや、待て。あの野郎、近づいてくるぞ!」

 

「チッ! おい、速く!」

 

 

 罠にかからなかった方は即座に持ち前の能力で長剣を作り出すと、急激に濃くなり、敵の接近を知らせる血の匂いが漂っている方角を向き直る。

 

 しかし、それも失策と言わざるを得なかった。

 少なくとも、敵の迎撃ではなく、仲間の救出を選択していれば、また違った結果となっていただろう。

 

 ドスリと肉を貫く音と共に、人間とは異なる同胞の血の匂いが彼の鼻腔を刺激する。

 背後を振り返ってみれば、“吊し人(ハングドマン)”の状態のまま、背後から心臓を貫かれた同胞は、二体目の死体と化していた。

 

 恐らくは仕掛け弓の一種だろう。くくり罠に獲物がかかれば、続いて発動するように仕組まれていたのだ。

 

 残された最後の一人は、ふと何処かで聞いた言葉を思い出した。

 

 ――罠猟の基本として、仕掛ける罠多ければ多いほど、獲物がかかる確率は増す。

 

 彼にとって、単なる獲物に過ぎなかった手負いの男であったが、既に立場は逆転していた。彼こそが狩られるケモノであり、手負いの男こそが猟師である。

 

 

(どうする……! 奴は近づく速度を緩めた。ならば、この周囲にはまだまだトラップが仕掛けられている可能性が高い!)

 

 

 ゆるゆると歩くような速度で距離を縮めてくる血の匂いに、吸血鬼は決断を強いられる。

 

 即ち、罠を警戒して現れるであろう男を迎え撃つか。

 それとも、自ら打って出て、男に襲い掛かるべきか。

 

 人間如きに追い詰められてしまった現実に吸血鬼は自尊心を傷つけられ、怒りと屈辱から歯噛みしたものの、選択した決断は合理的だった。

 

 男を迎え撃つ。それが彼の決断だ。

 周囲には罠が張り巡らされている可能性は極めて高い。生憎と、彼には罠に関する知識は殆どない。

 あるかも分からない罠に気を揉んで行動するよりは、此方へと確実に向かってきている男を迎え撃った方が賢い。

 

 そもそも、人と吸血鬼では戦力が違う。

 少なくとも彼は、日本に来てから日が浅く、対魔忍という存在を脅威として認識していないが故に、一山いくらの人間と大差はないと考えていた。

 

 真正面から相対すれば、どうとでもなる。敵が出血をしているのなら、何処からの不意討ちであろうとも容易に対応できる。

 

 そんな浅はかとしか言いえない考えの下の決断であったが、仕方がない。

 自分が相手取っているのは、最強の対魔忍・井河 アサギよりも恐ろしく、対魔忍において最も悪辣な男であるなどと、知り得るはずがないのだから。

 

 

「………………っ、」

 

 

 血の匂いは彼の視界、その正面から真っ直ぐに向かってきている。

 あともう少しで、吸血鬼の夜闇を見通す視力によって男を捉えられる距離に入る瞬間――――暗闇の中から大量のクナイが飛来した。

 数は19。弾丸のような勢いで迫るクナイに、吸血鬼は怒りからギリと歯を鳴らす。

 

 

「舐めるなぁ――――ッ!!」

 

 

 余りに捻りのない攻撃。

 明らかにその場から動かさせ、用意した罠へとかけようとしているであろう男の見え透いた意図に、吸血鬼は作り出した剣でクナイを打ち落としていく。

 

 吸血鬼の身体能力、吸血鬼の動体視力、吸血鬼の再生能力。

 その全てを動員しての迎撃。如何に対魔忍の攻撃と言えども一筋縄にはいかない。

 彼は一歩も動かず、時には打ち落とし損ねたクナイの痛みに耐え、そして――――

 

 

「――――――ぁ?」

 

 

 ――――20()()()のクナイが、心臓に突き刺さる音を聞いた。

 呆然と、自分の左胸を見下ろし、クナイを引き抜こうとしたが、全ては手遅れ。

 

 存在しない筈のクナイは名前も知らぬ吸血鬼の心臓を貫いていた。即死である。

 余りに唐突な死に対応しきれず、吸血鬼は意識だけが生きていたものの、肉体が死んでいる以上、行動に移るなど夢のまた夢。

 

 哀れな獲物は猟師の思惑通りに背中から地面に倒れ、何故という疑問を抱いたまま、この世を去った。

 

 そして、獲物を思惑通りに罠へと陥れた猟師は、それでもなお用心深く闇の中から現れる。

 

 

「鼻が良すぎるってのも考えものだ。長所は短所、短所は長所ってな」

 

 

 彼の――獲物の瞳から光が消え去り、死の虚ろに飲み込まれているのを確認すると、ポツリと呟く。

 虎太郎は能力は行使しようとも、自ら種明かしはしない。能力を知られていない利点をよくよく承知しているからだ。

 

 ――故に、彼に代わって答えよう。如何なる能力を以て、敵を打倒したのかを。

 

 隠遁法(いんとんほう)阿斯訶備(あしかび)

 

 それが今回の任務に際し、虎太郎が邪眼を用いて奪ってきた忍法だ。

 隠遁とは俗世間を離れ、隠れ住むという意味。阿斯訶備(あしかび)とは日本神話において、生まれると同時に身を隠した別天津神の名。

 

 端的に言えば、この忍法は物体を透明化させる。生物無生物、有機無機を問わずに作用する。

 但し、透明化できるのは、あくまでも一つきりであり、また術者自身の姿を消せる訳ではない欠点があった。

 

 だが、虎太郎は対魔忍にせよ、魔族にせよ、米連にせよ、大抵は視覚に頼り切りであることを理解しているが故に、欠点を利点に変えている。

 発動した罠を敢えて発見させ、其方に目を向けさせた瞬間に別の罠を透明化、次々にそれを繰り返せばどうなるか。

 無数に武器を放ち、弱点急所を狙った一撃のみを透明化すればどうなるか。

 

 見えているモノに意識を向けさせ、見えざる刃を以て敵を討つ。この忍法の最も効率的な使い方だ。

 

 殊更、気配を発することのない罠。感覚が鋭い敵とは極めて相性がいい。

 前者は無数の罠を用意し、その中で本命を透明化させれば、術中に嵌めるのは容易。

 後者は視覚という絶対的な情報源があるが故に、感覚ごとに情報が食い違えば混乱するからだ。

 

 また敵に能力を知られた所で対処のしようがない。いや、寧ろ、知られてからが本番だ。

 疑心と困惑を晒した敵の心臓に刃を滑り込ませるなど、彼にしてみれば赤子の手を捻るが如し、である。

 

 

「さて、あっちもそろそろ気付いたかな。氷室が逃げ切れればいいが――――っ」

 

 

 その時、虎太郎は足を縺れさせ、地面へと倒れ込んだ。

 

 さしもの虎太郎も、困惑した。

 一週間に渡る情報収集の疲れ。自分へと吸血鬼どもを引き付けるために自らの肉体を傷付けての大量の出血は、確かにあった。

 

 ――しかし、彼の知る自身の限界はまだまだ先の筈だった。

 

 即座に左手に開通した(トンネル)に目を向けるが、止血剤によって出血が止まり、傷口自体は普通の裂傷と変わりはない。

 

 何らかの毒によるものという判断であったが、納得には至らない。

 身体を麻痺させる毒は無数に存在するが、傷口から体内へと入り込むタイプの毒は傷口に腫れ、変色、激痛が伴うものだ。

 

 何よりも、毒が効いてくるのが遅すぎる。

 麻痺を引き起こす毒は、野生生物のものであれば大抵が獲物を捕らえるためのものであり、極めて即効性が高い。

 治療・手術を目的とした麻酔・筋弛緩剤などでも、同じだ。医療現場では、緊急性、即効性が常に求められる。また身体中の神経や筋肉に作用する故、呼吸困難、脈拍に異常が見られるものだが、どちらもない。

 

 

(毒じゃない。あの短剣にも、それらしい痕跡はなかった。……なら、あのグラムとやらの能力と考えるのが妥当だが……はてさて)

 

 

 海岸沿いにおける自身とグラムの行動を思い返すが、吸血鬼の能力によるものとしても疑問が残る。

 特定の行動によって発動する能力も確かかつ無数に存在しているが、それにしてもおかしい。

 

 一番初めに疑ったのは、視界に収める、視線を交わすことによって発動する、虎太郎自身の邪眼のような能力であった。

 だが、邪眼に近しい能力であるのならば、その場で発動させてもおかしくなく、発動時には視界に収め続ける必要があり、やはり辻褄が合わない。

 

 あらゆる可能性を考え尽くし、ある可能性に辿り着いたが、虎太郎は大きく溜め息をついて首を振る。

 辿り着いた可能性は予断に過ぎず、過度の予断は破滅を呼び込むが故に、思考を中断した。

 

 自分自身が操り人形と化したかのように巧く動かず、時間が経つにつれて効果は増していく。

 このままの状態では逃げ切るよりも、グラムが追いつく方が速い、と判断した虎太郎は、更なる罠と策を張り巡らせ始めた。

 

 

「いいさ。本人に直接聞く――――正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討ってやろう」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「………………っ」

 

 

 三人の吸血鬼が、虎太郎の罠に接触する直前、グラムは花蓮と虎太郎が分かれたであろう地点に戻っていた。

 

 ――花蓮を追いかける内に、ある疑念を抱いたのだ。

 

 グラム・デリック。

 人と吸血鬼の間で締結した協定を無視し、人間どころか同族すらも奴隷として権力者へと売り払い、闇社会で高い地位を手にしている。

 かつては吸血鬼の王家に名を連ねていたが、今現在は裏切り者として処断された身でもあるが――かつては支配階級であったが故に、彼等の嗜みにも精通していた。

 

 その一つが、狩猟だ。

 古くから貴族や富裕層の嗜みと知られており、ある種の娯楽として魔界の歴史的にも実施されてきた。

 人界に築かれた吸血鬼の国・ヴラドも、狩猟が頻繁に行われるヨーロッパ付近にあるとされている。

 かつてよりの嗜みが続いていたとて不思議ではあるまい。

 

 グラムは狩猟の経験から知っていた。

 野生の獣にせよ、人間にせよ、逃げる以上は必ず痕跡が残る。その痕跡を追い、獲物を仕留めるのが狩猟である。

 

 ――しかし、今回の猟は、余りにも獲物の痕跡が少なすぎた。いや、ないと言った方が正しかった。

 

 痕跡を探すことに時間を費やしたグラムと一味であったが、その事実に気付いたグラムは慌てて元の地点に戻ったのである。

 

 そこで彼の怒りを助長させるものを見つけた。

 大量の血痕が残った場所からほんの5m程離れた木の根元に、人ひとりが身を隠せる穴が掘られていた。無論、先刻にはなかった――或いは気付かなかったものだ。

 

 

「止め足か、舐めた真似を……!」

 

 

 野性の生物には止め足と呼ばれる行動を取る種が存在する。

 彼等は獣ではあるが非常に賢い。自らの足跡から捕食者が追跡可能なのを知っているのだ。

 故に、後方に出来た足跡を踏むように一定の距離を後退し、足跡の着かない場所に跳躍する。追跡者に対し、ある地点から足跡がなくなったように錯覚させてしまう。

 

 狩猟の本質は、獲物と狩人との知恵比べだ。決して一方的な逃亡劇でもなければ、殺戮でもない。

 最終的には獲物の性能と狩人の技量の勝負となるが、そんなものは()()()に過ぎない。

 逃亡する側は如何に自らの足跡を消しつつ逃げるのかに知恵を絞り、追跡する側は如何に獲物の習性を学び、ひたすらに追いかけることこそが最重要だ。

 

 虎太郎は花蓮をより確実に逃がす為に、敢えてその場に身を隠して動かぬように命じ、敵が去ってから逃亡を開始するよう言い含めた。

 その為に花蓮に止め足を行わせ、自身は大量に血を流し、其方に視線と嗅覚を引き付けた。

 

 花蓮は前線での戦闘に向いた対魔忍ではあるが、未熟と言えども対魔忍。気配を殺し、身を隠す術は学んでいる。

 自身の能力に絶対の自信を持つ吸血鬼。その能力を知り尽くし、傲慢さに付け入るのは虎太郎の十八番。

 況してや虎太郎は年季の入った逃亡者だ。幼少期より追跡から身を躱すには、どうすればいいかに知恵を絞っていた。

 

 如何に狩猟を嗜むグラムと言えども、如何に人より優れた吸血鬼と言えども、相手が悪すぎた。

 

 

「今、()()を目覚めさせた。男の脚は鈍る。奴を捉えて女の居場所を吐かせるぞ、どんな手段を使ってもな……!」

 

 

 グラムが怒りを抱きながらも、冷静さを失わずにいられたのは勝ちを確信していたからだろう。

 アレとやらを目覚めさせると、如何なる技術か能力によるものか、グラムは虎太郎の位置も、体調をも理解できるようになった。そして虎太郎の神経系に介入し、行動を阻害していた。

 

 グラムの狩りはまだ終わっておらず、その勝利も揺らぎのないものであった――――少なくとも、彼にとっては。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 グラムが氷室の追跡から虎太郎の追跡に切り替えてから一時間余り。彼は、虎太郎を追い詰めていた。

 

 グラムの被害もゼロではない。

 5人居た部下の内2名は仕掛けられた罠に、首を刎ねられ、心臓を貫かれて死亡。

 残りの3名は死んでこそいなかったもの、四肢を狙われ、或いは木に磔にされ、その場から動けなくなっていた。

 

 

「…………やってくれたな、人間」

 

「此処に来るまでの間に、罠の一つにでもかかってくれりゃあいいものを……」

 

 

 虎太郎は、意のままに動かなくなった身体を引き摺って可能な限りの罠を仕掛けていた。

 ただ無作為に仕掛ける訳ではない。追跡者の能力を鑑み、思考を誘導し、なおかつ己の思惑を悟らせない罠の数々。

 

 しかし、それも此処まで。

 既に虎太郎の身体は動かなくなっていた。指を動かすのも一苦労という有り様である。

 木に背中を預け、両脚を投げ出して地面へと座り込んだ姿は、観念したようにしか見えなかった。

 

 

「だが、それも此処までのようだな。どんな気分だ? これから拷問にかけられ、虫ケラのように嬲り殺しにされる気分は」

 

「最悪だ。オレは痛いのも苦しいのも耐えられるが、耐えられるだけで嫌いだからな」

 

「下賤な人間風情が、我が同胞を好き放題に殺してくれたな。奴等の無念は、貴様と連れの女の悲鳴で慰めてやる」

 

「よく言う。同胞なんぞ、アンタにはどうでもいいことだろう? 大物ぶって格好つけるな、素直にオレが気に食わんから死ね程度のことが言えんのか」

 

「よく回る口だが、大物ぶっているのはどちらだ? 指先しか動かせん貴様に出来るのは悲鳴を上げることだけだ」

 

「いや、どうかな? オレは小物だが、この状態でもアンタの思惑と能力くらいは看破できる」

 

 

 その言葉にグラムはピタリと足を止め、虎太郎は思惑通りの展開に仮面の下で笑みを浮かべる。

 

 

「オレの身体が動かないのは寄生蟲によるものだろ? まさか、こんなタイプが居るとは知らなかったよ」

 

 

 寄生蟲は吸血鬼が魔界から人界へと持ち込んだものだ。

 過去の吸血鬼が、どのような意図があって、このような生命体を持ち込んだのかは分からなかったが、知識としては知っていた。

 それ故、寄生蟲に寄生された奴隷が絡む闇取引では、影に吸血鬼が何らかの形で関わっている。寄生蟲は彼等が保有する独自の技術であり、生命体なのだ。

 

 身体が意のままにならぬ理由は、既に見当がついていた。問題は、何時の間に寄生されたのかという事実であった。

 

 

「大したもんだ。宿主の血液に触れただけで生物間を移動する寄生蟲なんぞ、聞いた事がない」

 

 

 グラムの表情が歪む。明らかな警戒の視線を以て虎太郎を見ていた。

 

 その表情に、虎太郎は自分の推察は正しかったと確信を得る。

 あの時、コンテナの中で食屍鬼に襲い掛かられた時、虎太郎は敵の血を浴びていた。寄生されそうな場面は、それ以外になかったと考えていた。

 傲慢になっている相手、敵を舐め腐っている相手は、自分の考えや方法を見抜かれると簡単に狼狽することを経験上知っていた。

 

 

「何の為にかは、どうでもいい。オレにとって重要なのは、どうやって寄生蟲の宿主になるか、だけだ」

 

「だからどうした! 知ったところで何になる! その事実を仲間に伝えることもなく、貴様は無残に死ぬだけだ!」

 

「拍子抜けだな。警戒心が強いかと思えば、こんなもんかよ。さっさと逃げるさ」

 

 

 明らかな自身を小馬鹿にした科白に、グラムは完全に冷静さを欠き、虎太郎との間合いを詰める。

 

 怒りは能力を向上させるが、同時に思考を鈍らせる。

 目の前の男が、どれだけ近代兵器に精通し、罠に対する豊富な知識を有し、更には吸血鬼ですら手玉に取る悪辣さを有しているかを忘れている。

 当然だ、勝ちを確信した瞬間こそ、誰であれ最も無防備になるもの。その点で言えば、虎太郎にしてみれば、グラムは初めから度し難いほどに隙だらけだった。

 

 

「………………?」

 

 

 虎太郎と自分の間、その中間地点に突如として現れた箱にグラムは硬直した。

 見る者が見れば――殊更、日本の自衛軍や米連の兵士が見れば、即座に回避行動に移ったであろうが、生憎と吸血鬼足る彼には全く知識のない物体だった。

 

 モスグリーンの箱の幅は20cm程。地面に4本の細い杭で突き立てられていた。

 

 グラムが最後に見たのは箱に描かれた英語の警告文。

 

 ――FRONT TOWARD ENEMY(敵の方向へ向けて下さい)――

 

 その言葉の意味が何の示しているのか理解するよりも速く、カチリと撃鉄の落ちる音にも似た作動音が響く。

 

 

「――――ぐぅ――――ぶ、ガァァァアアアァっ!!」

 

 

 次の瞬間、グラムの身体は手足が千切れ飛び、内臓を晒し、脳漿を撒き散らしながら後方に吹き飛んでいた。

 一体、何が起こったのか。自身の身に降りかかった災厄の正体を知らぬまま、意識を闇に飲み込まれた。

 

 M18クレイモア地雷。それがグラムを襲った災厄の正体だ。

 信管のセットされたC4爆薬によって内部片面に並べられた700個ものベアリング弾を散弾のように放つ指向性対人地雷の一つ。

 既に時代遅れであるものの、この地雷の利点は複製のし易さと入手のし易さにこそある。

 また吸血鬼や魔族のような身体能力の高い生命体であっても一定のダメージを期待できる、面による攻撃。

 

 虎太郎は自身の身体が動かなくなる直前に、自分の目の前に仕掛け、隠遁法・阿斯訶備によって不可視化させておいた。

 グラムのような手合いは、動けない獲物を前にすれば簡単に姿を現し、目の前から現れる確信があった。

 獲物の不様を思うままに堪能し、自身の手を煩わせた獲物を嘲笑うために、死んでもいない相手に対して、不用意に近づいてくると。

 

 ――――けれど、敵をまんまと罠へ陥れた代償は、決して安くはなかった。

 

 

「あー、あんだけ近けりゃ、そりゃコッチも無事には済まんわな。内源のクソ爺、安もんのベストなんぞ寄越しやがって、歯を全部ぶち抜いて流動食しか食えんようにしてやる」

 

 

 グラムが意識を失ったことで、寄生蟲による拘束から解放された虎太郎は、森の中を花蓮が向かったセーフハウスの方角へとひた走っていた。

 その右脇腹は血で真っ赤に染まり、クレイモアの破片が突き刺さっているのは、誰の目からも見ても明らかだ。

 

 クレイモアの最も危険な範囲は真正面であるものの、後方とて近すぎれば危険である。所詮は地雷なのだ。

 寧ろ、脇腹にダメージを負っただけで済んでいる時点で恐るべき強運である。

 

 

「しかし、これで終わりじゃないな。もう一度か二度、死線を潜らにゃならん。こんなことなら吸血鬼用の装備、持ってくればよかった」

 

 

 そう。まだ、終わっていない。グラムはまだ死んではおらず、気を失っただけだ。

 貴族級の吸血鬼を殺すとなれば、相応の能力か装備が必要となるが、生憎と今はどちらも虎太郎の手元にはない。

 何よりも、体内の寄生蟲もある。グラムの意識がなくとも、寄生蟲が主人の命を奪わせまいと宿主を殺す可能性も否定できなかったからだ。

 

 これはあくまでも時間稼ぎだ。それも、吸血鬼の回復、再生能力を鑑みれば僅か1、2時間程度のものに過ぎない。

 窮地は脱しておらず、吸血鬼の時間である夜も、まだまだ長い。

 限られた時間の中で体内の寄生蟲を除去し、逃走し、敵の研究データを解析して対策を立てる。やることは山積みである。

 

 虎太郎の劣勢は明らかだ。

 如何に対魔忍とは言え、如何に痛みに馬鹿げた耐性があるとは言え、所詮は人間に過ぎない。死の足音は着実に近づいている。

 

 ただ、虎太郎には他の人間や対魔忍とは違う点がある。

 

 彼は決して、死の恐怖に屈しない。

 死の恐怖を抱いたとしても、決して足を止めず、決して臆さず、決して面にも出さない。

 そして、知ってもいる。死神の魔の手から逃れる一番の手は、自ら死神へとギリギリまで近づいて活路を見出すことだ、と。

 

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