『苦労人の苦労人たる由縁。それは当人の知らないところで話が進んで苦労するところ』
「あー、空が青いぜ。オレがこんな嫌な気分なのに、何でそんなに青いんだよ、空コノヤロー」
アサギとの密会より二週間。
あの時の喜びようは何処へ行ったのか、虎太郎の顔は陰気で満ち、目は魚のように死んでいた。
彼の言葉通り、空は見渡す限りの青空であり、夏へと向かって気温も上昇し、太陽の日差しも強くなってきている。
そして、そんな晴天の下にある五車学園のグラウンドに、ジャージ姿で立っていた。
別段、アサギが口にした書類仕事の軽減について反故にされた訳ではない。
密会の次の日には、五車学園一階の端にあった空き教室を使い、一部署のような扱いでメンバーが集った。
無論、紅羽、翡翠、奏、零子、碧のやる気がなかったわけではない。
若い上忍三名は、元より虎太郎に対して一目置いており、恩義を感じていた。紅羽は仲間思い、翡翠は生真面目、奏は大らかと気質的に手を抜くわけも、不満があるわけでもない。
教師組二名は、虎太郎がどれほど過酷な状況に叩き落とされているかを知っており、救出班についても知っている。実働任務の際には、可能な限り協力していた。
勿論、組織内部で虎太郎がトップに立つような部署が出来ることで沸き上がった不満に辟易したわけでもない。
そんな不満に耳を貸すような男ではなく、不満に対して、じゃあ変わるか? の一言で黙らせてしまった。
ならば何故、彼がこんなにも目が死んでいるのか。………………賢明な人物ならもうお気づきであろうが、また厄介事だ。
事の発端は一週間前――――
『えー、では、彼女はこれから一年間、育児休暇に入ります。彼女の代わりは、弐曲輪先生で良いでしょう』
『――え?』
『――は?』
『それで構わんでしょう。基礎訓練ならば、あの恥晒しでも出来るでしょうからね』
虎太郎が任務でいないのを良い事に、嫌がらせの決定が下された。
疑問の声を上げたのは零子と碧を中心とした虎太郎本来の顔を知っている教師達である。
零子はハッキリと反対意見を述べ、碧は虎太郎の意見を聞いてからと宥めすかしたのだが、多数決の前にあえなく虎太郎の負担の増加が決定した。
アサギや九郎、不知火から重用され、さくらと紫とは対等に接する虎太郎には数多の嫉妬が向けられている。
そんな男のために一部署が設立された。しかもアサギ直々に。自分の方が優秀だと思い込んでいる側からすれば、面白くないであろう。
完全にイジメである。しかも、卑怯なことに、本人のいないところで話が進むのだから性質が悪い。
いい年をした大人が、嫉妬から他人を虐めるなど恥ずべき行為なのだが、一部の人間以外には不思議とすら思われていない。
社会の中でもよくある話ではあるが、仮にも正義と誇り謳う組織ですらこれである。自分を棚上げするのが大好きであるのは、対魔忍でも変わらないらしい。
そして、任務から意気揚々と帰ってきた虎太郎はと言えば――
『は?』
『いや、我々も粘ったのだが……』
『はぁ?』
『その、弐曲輪先生、落ち着――――』
『はぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああぁああああっっっ!?!?』
『『……ご、ごめんなさい』』
――はの疑問形三段活用を披露し、零子と碧は勢いに押されて何も悪くないのに謝ってしまった。
この話はアサギの耳に入ることになったものの、虎太郎の意見によって、この状況を作った者に対する叱責はなしと決まった。
こんなバカな真似をする連中は叱責しようがお構いなしだ。話し合いや叱責で解決する手合いなら、そもそもこんな真似はしない。また無意味に反応すれば、寧ろ相手を喜ばせることになる。
それに虎太郎の立場が悪くなるのは明白だった。これといって気にする訳ではないが、仕事がやり難くなるのは問題だ。
『でも、それじゃあ、虎太郎の仕事が増えるわよ』
『週に二、三度だ。それほどでもない。だが、そうだな。奴等に思い知らせてやる。オレにそんなことをさせたら、とんでもないことになるってなぁ』
『生徒を酷い目に合わせるのは止めなさいよ』
『保証は出来んね。だが、実戦に出て死ぬよりかは、訓練で死んだ方が幸せなのは、お前も知っているだろう?』
『…………はぁ、万が一に備えて、桐生に連絡しておいてね。それからご隠居達には私から伝えておくわ』
『はいはい。隠居や当主連中にはありのままをありのまま伝えりゃいい。あの爺共はオレが人にモノを教えるのを恐れているが、オレが好きで教えるわけじゃないからな』
『恐れもするわ。自分が何をしたか忘れたの?』
『忘れる筈もない。自分がどれだけ愚かだったかを忘れるほど、馬鹿に見えるか? いや、見えんこともないか』
くつくつと悪魔そのものの笑みを浮かべるばかりの虎太郎に、アサギは頭痛を消し去るように眉間を揉み解した。
入ってはいけないスイッチが入ってしまった以上、もうこの男は止まらない。
問題は、隠居や現頭首などの老人達――虎太郎がふうまの跡取りであったことを知っている連中だ――の存在だった。
かつて虎太郎は、ある失敗を犯しており、その責任を取るために自らの手を汚すこととなった。
最も、転んでもただでは起きぬ彼である。その問題と責任追及を片付けた上で、アサギの地位を不動のものとする離れ業までしてのけた。
しかし、それ以降、老人達は虎太郎が誰かを指導するのを極端に恐れるようになっていた。
現在のように、知識を教えるだけなら許容の範囲内であろうが、直接的に指導に入れば、何を言うか。
しかし、老人を気にする必要もない。何せ、アサギにせよ、虎太郎にせよ、二人に責任はなく、勝手に押し付けられただけなのだ。
もし仮に、痛い目を見るとするのなら、虎太郎にそんな仕事を押し付けた連中なのだから。虎太郎が叱責すらアサギに望まなかったのは、そういう理由もあった。
「まあ、いいさ。気持ちは切り替えていこう。それに今日で二回目だしな。さーて、どうなるかねぇ」
グラウンドの中央に集まった学生達を眺めながら、ボソリと虎太郎は呟いた。
虎太郎が集団に近寄っていくと、極一部を除いて殺意にも似た敵愾心を向けてくる。
極一部は、ゆきかぜ、凜子、凜花といった虎太郎の本来の姿を知っているものか、花蓮、蛍、幸奈といった真面目な者達だけだった。
基礎訓練は学年に関係なく、合同で行われる。
ここでいう基礎とは、主に身体能力を差す。学年は関係なく集まり、幾つかの班に割り振られる。
彼等彼女等が、何故こうまで虎太郎に敵意を向けるのかと言えば、問題は一回目の授業に合った。
『あー、今日からお前等の基礎訓練をすることになった、よろしくな』
『敵からの逃げ方でも教えてくれるんですかぁー?』
明らかに虎太郎を小馬鹿にした野次が飛び、学生達にわっと笑いが沸き上がった。
極一部の生徒は不機嫌そうに顔を顰めて、注意を促すが、赤信号みんなで渡れば怖くないを地で行くように、殆ど効果を上げなかった。
集団の中で、凜子が顔を青くさせていた。
その理由は、両隣になったゆきかぜと凜花の機嫌が加速度的に悪くなっていったからである。
思い人を馬鹿にされるなど、思い人が許容していたところで許せる筈もない。また二人も成長こそしているが、直情径行はまだまだ強い。何を仕出かすか。
最悪、自分が止めようと凜子が心に決めると、耳を劈く派手な発砲音が響き渡った。
『はいはい。そういうのいいから、ちょっと黙れ』
いつもと同じ口調、いつもと同じ調子で虎太郎は天に向かって腕を伸ばしており、手には銃口から硝煙の立ち上る拳銃が握られていた。虎太郎が銃の引き金を引いたのは、誰の目からも明らかだ。
それでも生徒は静まり返ったものの、口元から笑みは消えていない。ただの銃弾など対魔忍には無意味。当たりはしないから、危機感も薄いのだ。
『それにこれからやるのは基礎訓練だぞ? 逃走なんて高度な真似、オレがお前等に教えるわけないだろ? 少しは頭を使おうな?』
『――――っ!!』
『はーい、これ以上は時間の無駄なんで、早速訓練を始めるぞー』
虎太郎が困ったような口調で言うと、ビシリと空気が軋む。言うまでもなく、生徒達の怒気が発せられてのものだ。
しかし、その怒気を発せさせた張本人は、さらりと流す。流れを見守っていた凜子はハラハラとし、ゆきかぜと凜花はいい気味とばかりに笑みを漏らした。
挑発的な発言に反した態度に生徒達は肩透かしを喰らい、怒りの向け先を見失った。互いに顔を合わせながらも、渋々虎太郎の後に続いた。
そして、虎太郎が経ったのはグランド内のトラックのスタートラインだ。一週およそ800m。トラックの大きさとしては平均的だろう。
『じゃあ、これからオレが先頭を走るから、お前等は後をついてこい』
『あの、弐曲輪先生、走るって、どのくらいですか……?』
『まー、ウォームアップ程度かなー? 兎に角、付いてこいよー』
詳しい説明もなく授業を開始しようとした虎太郎に、集団の中で埋もれていた桃子は手を上げて質問したが、はぐらかすような答えで要領を得ないままに、ランニングは始まった。
対魔忍の卵足る生徒達にしてみれば、余りにも馬鹿馬鹿しい訓練だったであろう。だが――――
(虎太兄がさ、簡単な訓練とかするわけないよね……)
(訓練に関しては、合理性よりも根性論寄りだからな、あの人は)
(何人、潰されるかしら……?)
(弐曲輪先生、珍しく、やる気、よね? ……嫌な予感しかしないわ)
――――何人かは、これが地獄の始まりであるのは予期していた。
20mシャトルランというものがある。文部科学省にて定められた学生の体力測定テストの一つだ。
20mの間隔で引かれた二つのラインを、合図音と共にスタートし、次の合図音までに逆側のラインにタッチすることを繰り返す。
合図音は徐々に早くなり、二度ラインにタッチ出来ない時点で終了となり、最後にタッチできた回数が記録となる。虎太郎の訓練はこれに似ていた。
トラックを一週するごとに、虎太郎がペースを上げる。これの繰り返しだ。
初めの内は生徒達の表情にも余裕があったのだが、これが10分を過ぎた辺りで様子がおかしいことに気付く。虎太郎に止まる気配がまるでないのである。
20分が過ぎて何人かが脱落し、30分が過ぎて十数人が脱落し、40分が過ぎて残っていたのは僅か十人のみ。その頃には、体力以前に虎太郎のスピードについていくだけでやっとと言う有り様だった。
授業終了5分前まで続いたランニングにおいて、最終的に残ったのは五十名中凜子と凜花の二名のみ。
ゆきかぜ、花蓮も寸前まで喰らいついていたものの、終了間際に周回遅れとなり、リタイアとなった。
この訓練で何が辛いと言って、終わりが見えないのが辛い。
体力的にも追い詰められるが、それ以上に精神的に追い詰められる。自分の意志とは無関係にペースが上がり続ける、終わりの見えないマラソンなのだから当然だろう。
『ふーん、こんなもんか………………思ったよりも体力ねーな』
(何も、そんな聞こえるように言わなくても……)
『まあ、いいか。じゃあ、今日の授業は終了だ。身体、よく解しておけよなー』
辛うじて立てていたのは凜子と凜花だけ。
その二人ですらが膝をガクガクと震わせ、肩で息をするのがやっとだと言うのに、虎太郎は呼吸を乱すどころか、汗一つ掻いていない状態であった。
彼は、地面に伏せたまま立ち上がれない生徒に一瞥もくれず、そのまま校舎へと帰っていく。
後に残ったのは、たった一時間程度の地獄で動けなくなった卵達と彼等の屈辱だけであった。
「お、逃げずに全員来てるじゃーん。お前等、ちょっと見直したわ。じゃあ、今日の授業を始めるぞー」
「あ、ああ、あの、弐曲輪先生! 今日の、今日の授業は、前回とは別のメニューですよね!?」
殺気だった学生達の中で、桃子は青い顔をしながら手を上げて発言した。
残念ながら、桃子は前回、最初期に脱落した生徒の一人だった。それでも、脱落した後に休憩を挟んで走り続けようとした辺り、極めて真面目だ。
「喜べ、前園――」
「ランニングじゃないんですね、ヤッター!」
「――前回と同じだ!」
「ランニングじゃないですかー! ヤダー!」
わーん、と泣きながら声を上げる桃子であったが逃げ出しもしなければ、抗議もしない。能力的にはまだまだでも、根性は人一倍だ。
「――――ふざけんなっ!」
「あぁ? 何がだよ?」
「オレ達は、逃げるために訓練をしてるわけじゃないんだ! こんな訓練に、何の意味があるってんだよ!」
その時、生徒の中から不満の声が上がった。
基礎訓練と言えど、彼等が今まで受けてきたのは戦闘の基礎となる訓練だった。今更、体力を伸ばす訓練など、無意味とでも思っているのだろう。
加えて、“逃げの虎太郎”の評判もあった。
対魔忍と呼ぶのも憚られる恥晒し、下忍としてすらマトモに任務を熟せない未熟者。
この場に居る生徒の大部分は実戦を経験しており、無事に任務を完了して帰ってきた実績がある。
分かりやすく言えば見下しているのだ。そんな人間に劣っている部分があるという事実を、年若い彼らが耐えられる筈もない。
ゆきかぜや凜花、花蓮を中心にした何名かが、口を開こうとしたものの、それを制したのは他ならぬ虎太郎であった。
「はぁー、分かった分かった。じゃあ、こうしよう。オレのやり方が気に入らん奴、前に出ろ。オレと模擬戦してみようか」
「いいのかよ。“逃げの虎太郎”なんかが――――」
「べらべらとうるせぇぞ。さっさと前に出ろ。この訓練の意味を教えてやる。そっちは武器も忍法も使っていいからな」
下らない時間を過ごしているとばかりに欠伸を噛み殺す余裕の態度を崩さない虎太郎に、ボルテージは上がっていく。
(……虎太兄、本気は出さないよね?)
(哀れな。酷い目に合うぞ)
(絶対にマトモな方法で戦いませんよね、虎太郎さんの場合)
(………………爆弾、使わないわよね?)
寧ろ、焦っていたのは虎太郎本来の実力を知るゆきかぜ、凜子、凜花。そして、以前の任務で虎太郎の実力を垣間見た花蓮だった。
因みに花蓮は実力は知っていても、彼の事情までは知らない。
アサギ直々に口止めされており、疑問も疑念も押し殺していたが、知りたくない訳ではないからか、今も止めようとはしていなかった。
そうこうしている内に、生徒の中から出てきたのは、最近、名を上げてきた有望株の一人であった。
ゆきかぜなどの次世代のエースほどではないが、生まれ持った忍法も才能も人並み外れている男子生徒だ。
まさに喜色満面。前回といい、今回といい、しこたま馬鹿にされたままで終われる筈もなければ、納得できる筈もない。
「――では、始め!」
「はぁああああああぁああっ!!」
審判を仰せつかった凜子が開始の合図と同時に、生徒は印を結び、得意の忍法を発動させる。
彼が得手としているのは土遁の術。彼の対魔粒子と意志に呼応するかのように、グランドの土が捲れ上がり、全身を覆う鎧となる。
土遁は土や岩を操る。土を操って砂嵐を起こすのも、石や岩を飛ばして弾丸と変えることも出来るが、彼の土遁は殊更に強力だ。
土は圧縮され、金属と比較しても遜色ない硬度を得ており、身長も2mに至ろうかという大男と化している。
言うなれば、彼お手製の強化外骨格と言ったところか。彼は、この土遁の鎧を以てオーガやトロルなどの怪力自慢の化け物を、真正面から殴り殺してきた。
(虎太兄、優しいなぁー。あんなの模擬戦始める前に着ときなさいよ)
(……?! あんなに隙だらけだったのに、虎太郎さんが手を出さなかった!? 明日は槍でも降るの!!?)
(弐曲輪先生だったら、術を発動させる前に、攻撃しそうだったんだけど……)
呆れ顔のゆきかぜ。驚きを隠せない凜花。疑問に首を傾げる花蓮。
三人の考えは正しい。虎太郎がその気であれば、術など発動する前に殺しにかかる。
しかし、今の彼には二つの縛りがある。
一つ、彼は何の異能系忍法も持たない。
一つ、逃げ足以外には、何の取り得もない。
この二つの縛りは、自分自身の身を守る為に、実力を隠す為に、破る訳にはいかないのだ。
「う、おぉぉおおおおおぉ――――ッ!!」
自分が待って貰っていたなどという自覚もないままに、生徒は一撃で事を決めようと間合いを詰め、渾身の一撃を降り下ろす。
しかし、虎太郎には当たらない。見ている方がひやひやする紙一重の回避を見せた。
なおも、生徒の猛攻は続く。当たれば常人など染みとなる。トロルやオーガでもただでは済まない。強力極まる破城槌のような連撃。
虎太郎は時に懐に飛び込み、時に後方に下がり、時に左右に身を反らしながら、十分な余力を以て躱し続ける。
殊更、彼が気を遣ったのは
彼の狙い上、目を見張るような速度や体捌きを見せてしまっては意味がない。あくまでも、経験と予測によってギリギリのところで回避し続けるのが望ましい。
本来の、自身の限界を隠しつつ、相手の速度を測りつつ、それに合わせて回避。正に神業だ。
一歩間違えば大怪我をしかねない状況下、本来の実力を発揮できない状況下において、持ち前の冷静さで神業を成立させ続ける。
――そして、並みの対魔忍ならば、10分ともたない回避を30分以上も成立させ続けた。
「……ぜぇ……ぜぇ……」
「どうした。立てよ。実戦じゃ、敵は待ってくれなかっただろ?」
その頃には、攻撃を続けていた側が膝をつき、一切手出しをせずに回避を続けていた側が見下ろす光景が展開されていた。
男子生徒は土遁の鎧を維持できず、不様に四肢をついて絶息寸前の呼吸を繰り返している。
当然だ。どれだけ高性能のエンジンを搭載したスーパーカーであっても、アクセル全開を維持し続ければ燃料の消費も速い。
対し、虎太郎は縛りのある中での暖気運転に過ぎなかった。体力を無駄に消耗するはずもない。
「もういいだろ。審判、判定は?」
「ふざ、けんな……オレは、まだ……」
「はあ、そこまで。これ以上は彼の方が無理です。此方の権限で止めさせてもらう」
凛子は片手を上げ、虎太郎の勝利を宣言する。
心意気だけは及第点であったが、それだけで現実を覆せるはずもない。生徒は立ち上がることもできないまま、項垂れるばかりだ。
「とまあ、これで分かってくれたかなぁ? この不様が、将来のお前等の姿だ」
「こ、こんな戦い方、実戦じゃ……」
「そうだ。実戦じゃ、こんなに生易しくない。卑怯者と思いたければ思えば? 恥晒してんのは、自分の想像不足を棚上げして、恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く馬鹿だ」
通用しない、と続けようとした生徒の言葉を斬り捨てる。
虎太郎にしてみれば当然だ。
相手の得意な土俵で戦ってやる必要性など何処にもない。
如何に自分の得意な土俵に相手を引き摺り込み、相手に本来の性能を発揮させないままに屠る。彼の戦闘スタイルの基本である。
正論も正論だ。
相手は魔族や米連。お行儀よく相手に付き合ってくれる手合いでもない。
想像してみて欲しい。ボクサー相手にボクシングを挑むのはボクサーだけだ。それ以外の者がボクシングで挑むのは愚か以外の何物でもない。
それでも正論とは理解しても、納得はしていないのか、生徒達の表情は不満げであった。
「そうかい、そうかい。そんな表情されたらコッチもやる気失くすわ。先生、もうやる気なくなった。今日は帰るわ。後はお前等で勝手にやって、どうぞ」
「ちょ、こたに――――弐曲輪先生、それはちょっと、無責任なんじゃ」
「知るかよ。コッチの話聞かん奴等に教えたって意味なくねー? 納得できないことを続けたって意味もない」
「……………………」
「オレのやり方が気に食わんのなら、来なくていいぞ。ハッキリ言えば、オレはお前等を殺すつもりでやる予定だ。この程度で根を上げるようなら
「ちょ、ちょっと……」
虎太郎の眼光は何処までも冷たく、放たれた言葉は何処までも本心であると告げている。
そして、生徒の反論にも反骨心にも興味すら示さずに、彼は校舎へと戻っていく。一度目と同じく、後に残されたのは置き去りにされた生徒達であった。
―――――
――――
―――
――
―
「あのやりようで、これだけ残るとは……」
三度目の授業に出席した凜子は、意外そうな表情で呟いた。
自分やゆきかぜ、凜花が残るのは当然である。虎太郎によって様々な技能を叩き込まれており、彼の教育の手腕と自らの成長を実感していたからだ。
それでも、虎太郎のあの態度と言葉である。アレだけのことを言われて、自分の方に非があったと認められる者は数が少ないと踏んでいた。
けれど、残った人数は10人も居た。正直、自分達三人だけが残るだけでも良い方と思っていたのだ。
残っていた面子に目を向ける。
氷室 花蓮。性格は真面目も真面目。また虎太郎の強さも知っている。逃げるはずもない。
前園 桃子。これからの訓練に不安そうな表情はしていたが、投げ出すという思考が存在していないらしく、不満はなさそうだ。
高槻 幸奈と喜瀬 蛍の姿もある。
二人とも不満はあるようであるが、嫌っている虎太郎から逃げるのはもっと嫌という反骨精神と克己心から残っているらしい。
「ふむ。この辺りまでは理解できるが、お前たちが残っているのは意外と言えば意外だ」
「……あのやりように不満がないわけではないですけど」
「なあんも間違ってへんでしょ、虎太先生は」
「ですね。言い方は、どうかと思いますけど……」
凛子が声を掛けたのは、それぞれが特徴的な三名だった。
星乃 深月。
巨大な扇子を得物に、ゆきかぜと似たようなレオタードタイプの装束を纏った長い黒髪とリボン付きのカチューシャがトレードマークの学生だ。
クラス委員を務めており、性格は真面目。そのお陰か、花蓮と極めて仲が良い。
大島 雫。
関西で育っており、最近になって対魔忍の能力に目覚め、転校してきた。日焼けした肌に、白く短い髪だけでも目立つが、快活な笑みが何よりも人目を惹く。
比較的に誰でも仲のいいムードメーカーであるが、格闘を得意としているからか、特に凜花をよく慕っている。凜花の方はテンションが合わないのか、戸惑い気味だ。
百田 里奈子。
長い黒髪に、前髪を一直線に切り揃えており、肉付きのいい肉体は凜子のバストに、凜花のウエストと言った趣きである。
火遁の名門、百田家の正当後継者。才能だけならばアサギすら越える、と言うのが現頭首の百田 幽玄の言であるが、気弱な性格が災いして本来の実力を発揮できていないようだ。
この三名に関しては、虎太郎の意図に何となくではあるが気付いているからこそ残ったようだ。
「おー、大分減ったなぁ…………もっと減れば良かったのに」
「弐曲輪先生、振るいにかけるのは結構ですけど、しっかりしてください」
「チッ、うっせーな。反省してませーん」
「いや、反省しとらんのかい!」
やる気なさげに現れ、やる気なさげな言葉を発した虎太郎に対し、花蓮は呆れた口調で注意したものの、暖簾に腕押しであった。
雫が思わず授業中だということも忘れて、関西仕込みの鋭いツッコミを入れたほどだ。
「さて、と。今日いない連中に関しては、余所の班にぶち込むとして、今日残ったお前達は、オレの意図が分かったかな?」
「はい。体力の向上。ひいては対魔の力の向上、ですね」
「その通り。其処に加えて、自らの限界の把握というのも意図の一つだ」
手を上げての深月の答えに、虎太郎は補足説明を入れた。
対魔の力――対魔粒子は体力と精神力を消費して生成される。
体力と精神力を直接変換するわけではなく、また生成効率も個人によって異なる為に、体力と精神力が全く同じ――そもそもその二つを数値化することも、正確に同じなど在り得ないが――でも、最終的に生成できる総量は変わってくる。
それでも、この二つはあるに越したことはない。元より、対魔粒子など不安定で未知の要素が強く、鍛えることは難しいのだ。そんなものの鍛錬法を探るよりも、体力、精神力を鍛えた方が堅実かつ確実に強くなれる。
そして、もう一点が限界の把握。
自身の限界を把握できていれば、戦闘中であっても無理をしようとせず、無茶もしない。
どうしようもない状況というモノは、どうしようもなく存在しているが、常に安定した力を発揮するには不可欠な要素である。
「で、お前等は、自分の忍法に関して、どの程度限界を把握しているかな?」
「私の場合は、最大火力なら二度でどうしても打ち止めです。武器の方が壊れちゃうし。替えが効くなら、四回、かな」
「私が最も消耗するのは空間跳躍の法ですね。安全かつ確実に行くなら四度、危険を犯せば五度、結果を考えなければ六度はいけます」
「煙遁の術は消耗はそれほどでもないので回数ではなく時間でいいますけど、全力で戦闘をし続けるとなると、二時間が限度かと」
「私の方は一時間だと思います。氷花立景の範囲を狭めれば、もう少し伸ばせると思います」
「うーん、私の催眠誘導はー、効きも回数も相手によって変わるからなぁ。でも、少なく見積もって、術の効きも考えなければ三十回は可能です」
「流石に、お前達は大まかに把握してるな。そっちの方はどうだ?」
既に虎太郎による指導が入っている三人、かねてより当人達の質問等でアドバイスを送っていた二人に関してはある程度把握している。
残りの五人は、困惑するばかりで答えられない。
地力を上げることばかりで、限界というものに目を向けてこなかったのだろう。
「自分の限界ってのは、要は最大値だ。最大値を知っておかなけりゃ、ペース配分もクソもない。戦闘中、ガス欠になるなんざ、どれだけ他人の脚を引っ張るのが好きなんだっつー話だ」
戦闘中、任務中に体力が尽きて動けなくなるくらいだったら、死んでくれた方がマシというのが虎太郎の結論だ。
戦線の何処であれ、敵地の何処であれ、動けない者が居たら、本音はどうあれ、生きている以上は助けなければならない。
周囲に敵が居ようが居まいが、人ひとりを救助する労力というものが発生する。その労力を生み出す為に何人かが必要になり、任務に必要なマンパワーが足りなくなりかねない。
「ま、それを知らないのも無理はない。お前等に教えていた連中が悪い。脳みそまで筋肉と正義と誇りで出来てる連中だから身体鍛えろしか言わんだろうし。そこに論理がないからね。しょうがないね」
「えーっと、虎太先生は、どないやって学んだんです?」
「ハハッ、実戦で命削って。しょうがないね。オレを助けてくれる奴なんていなかったからね。自分以外の全てが敵なんて状況、オレには珍しくないからね。ハハ、死ねばいいのに、ハハ」
「…………………………」
過去の苦労を思い出しているのか、ニッコリとした満面の笑みに反して、彼の目はどんどん死んでいく。
「オレの鍛錬における基本方針は、“例え死んだとしても許しを与えずに鍛え続ける”だが、お前達にはやり過ぎなので、ちょっとは手を緩めてやる」
「あの、弐曲輪先生、そんな鍛え方をしてるのに、というかそんな鍛え方をしてるから、えっと……」
(違う。違うの百田さん。虎太兄メチャクチャ強いから……)
近代体育において、過度の鍛錬は逆に筋肉を委縮させてしまうのは周知の事実であり、肉体が故障する可能性が高まる。
オーバーワークをするぐらいだったなら、ベッドの上で休んでいた方がマシ、というのが共通認識だ。
合理性、効率を重視する彼らしからぬ、根性論的な発想である。
しかし、無理からぬことであった。
彼の場合、合理や効率、常識に収まった鍛錬だけでは、到底足りない。それだけでは当の昔に死んでいるからだ。
合理や効率、常識を超えた、人の根性と執念と未知の部分全てを使ってしか辿り着けぬ境地に至らねば、どう足掻いても生き残れなかった。
「という訳で、基本方針は“血反吐を吐いたら終了!”でいこうと思います」
「ひ、ひぇぇ………………に、弐曲輪先生! もうちょっと何とかならないですか?」
「えー? そう? じゃあ、行く? 行っちゃう? “血反吐を吐いてからが本番!”で行っちゃう?」
「ちゃうから! 桃やん先輩が言っとる方向とは逆やから! 酷くなっとるから!!」
―――――
――――
―――
――
―
三回目の授業が終了し、虎太郎は校舎へと戻ろうとしていた。
内容は一回目と同じランニングである。向こう三ヶ月は、これをやり続けるつもりだ。
まずは徹底して体力と精神力の底上げを図りつつ、効率の良い走り方を学ばせる。
人が最も効率良く走るのは、最も疲れている時と言われている。それを頭ではなく身体に覚えさせ、同時に効率の良い身体の使い方についても、感覚で学ばせるようという考えだ。
卵達の様子は――――彼女達の名誉を守る為に、一言だけで済ませよう。死屍累々だ。
「……何だ、随分と珍しいことをしてるようじゃないか」
「九郎、帰ってきたのか。成り行き――というか、押し付けられてな」
「成程。なら、押し付けた連中は事情も知らんままにご老人どもに制裁を受けることになるな。これで少しは、態度を改めればいいが……」
「どうだか。馬鹿は学ばないし改めないから馬鹿なんですよ?」
「それも一理あるが、困りものだ。…………少し付き合え」
九郎の言葉に、あいよと答え、虎太郎は歩き出した。
九郎は今し方、五車学園に戻ってきたばかりなのだろうか、普段は見ない黒いスーツ姿である。
屈強な肉体、
八津 九郎。
紫の兄に当たり、元レンジャー隊という異色の経歴を有する対魔忍。
軍人としての任務中に失明し除隊。同時に忍としての力に目覚め、以降は対魔忍として活動する。
活動当初から一貫してアサギ閥を貫いており、他家からは警戒を、アサギと仲間からは絶大な信頼を得ている。虎太郎も使えると認めている数少ない存在だ。
かつてアミダハラにおける生き地獄を虎太郎と共に潜り抜けている。それだけで、どれほどの腕前なのか、分かろうというものだ。
九郎が五車学園を進むと擦れ違う生徒――どころか、教師ですらが畏敬の念故にか、道を開けると直立不動の気を付けの体勢に入る。
その光景に、後ろに続く虎太郎は俯いて肩を震わせていた。
「はぁ、やれやれ。オレ、そんなに怖いか……?」
「任務中は厳しいこと言うからな。前評判とその見た目じゃあな」
「オレはこれでも、気さくな性質なんだが……」
「オレは知ってる。吸うか……?」
「ああ、悪いな」
喫煙所――とは言っても、屋根のある場所の下に吸殻入れを置いただけだが――に辿り着いた時にも、九郎の姿を確認しただけでそそくさと去っていく教師に、九郎はがっくりと肩を落とし、虎太郎は耐えられずに噴き出した。
彼の実際の性格は、本当に気さくだ。
実の妹である真面目な紫よりも、多少おちゃらけているさくらの方が仲が良かったりする。
任務以外では、近所の気の良い兄ちゃんといった趣きだ。もっとも、任務となれば紫同様に自他ともに厳しい面が表に出る。その辺りは、血筋だろうか。
「まず、妹の件で礼を言わせてくれ。オレも学園に戻ってきても、すぐに出立ばかりが続いて、礼も言えなかったからな」
「お前ら兄妹に恩を売っておくのも悪くなかっただけさ。今は東京の隅っこで便利屋やってる。あと、何ヶ月前に猫型の獣人が相棒になった」
「…………獣人? 魔族の? アイツが巧くやれるか? と言うか、お前が組ませたのか?」
「組ませたというか、ヨミハラの奴を無理やり送り込んだが正解。何のかんのでお前と紫の妹だ。面倒見は良いから、相性がいいと思ってさ」
九郎と紫の下には更に妹が一人いる。
名前は愛子。九郎と紫の二人ですらが手を焼いたじゃじゃ馬である。
愛子は数年前に抜け忍となった。
元々、無法者に近い戦い方や命令違反を繰り返しており、周囲から反感も買っていた。大抵の者は当然の結果だろうと呆れていたが、その胸の内を知る者は数少ない。
無論、抜け忍には裏切者を始末する懲罰部隊が差し向けされる。
九郎も居らず、紫も組織の要となった以上、愛子を守れる者はいなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、虎太郎だ。
正体を隠すことに長け、なおかつ逃げる手段、逃がす手段に精通している彼であれば、懲罰部隊の追撃を躱すなど造作もなかったのである。
「末の妹だから甘やかされて育ったし、オレも甘やかしていた。それに、アイツの性格や正義は組織向きじゃないからな」
「誰だって見りゃ分かる。どんな風に甘やかせば、あんな狂犬に育つんだ?」
「…………お前も人の事は言えんと思うが。あと、アレで可愛い妹だ。余り悪く言わんでくれ」
「へぇへぇ」
はあ、と二人揃って大きく溜め息をつく。
彼等は長らくアサギの無茶振りに応え続けた苦労忍同士である。息もぴったりのようだ。
「要請があった吸血鬼のグラムについての情報だが。あのコンテナ、どうやらアマハラを経由して持ち込まれたもののようだ」
「なら、後を追うのは難しいか。あそこは何でも持ち込まれて、何でも流れていく」
「だが、ある程度は情報を掴めている。アサギに報告を済ませたら、すぐにヨーロッパに飛ぶ」
「さっすが九郎ちゃん。頼りになるわー」
「それでも信じていない辺りが、お前らしいがな」
くくっ、と苦笑とも失笑とも取れない笑みを浮かべると、九郎は煙草を揉み消した。
こんな姿を見せるのは、虎太郎をおいて他にいない。どれだけ強い信頼を向けているのか、分かろうというものだ。
「それから、これも渡しておく」
「金? 何の真似だ?」
「花代だ。今年も行くんだろ? オレは海外を飛び回る羽目になりそうだから、お前が代わりに花を添えてくれ」
「あいよ、分かった。じゃあ、気を付けろよ」
「それから、余り言いたくないんだが……」
「止めて。聞きたくない。お前がその顔をして言うと厄介事しかこないから」
そう言うな、とすら言わず、九郎はお構いなしに話を続けた。
その内容は、彼が海外の任務中に見つけた奇妙な物資の流れだった。
高価な最新鋭設備がアマハラを経由して日本に持ち込まれていたのである。それも同じルートを何度も使って。
始めは米連の極秘計画でも発動したのかと危惧したのだが、調べていくと如何にもおかしい。
米連からも物資が持ち込まれているものの、軍や政府の関連性は薄く、一般企業からの買い付けが中心で、金の支払いはいくつものダミー会社を経由されていた。
――そして、最終的に行きついたのが日本の組織であった。
組織は新興。持っている権力も、私兵も、金もそこそこだというのに、無理をしてまで最新鋭の設備、機材を買い付ける理由は何処にあるのか。
理由はすぐに分かった。そして、厄介なのは組織ではなく、組織を操っている女の存在であった。
「女の名前は桐生 美琴。残念ながら、また厄介事だ。お前に御指名が入るぞ」
その名を聞いた瞬間に、虎太郎の両膝はへし折れ、その場に倒れ込んだ。
闇の世界に身を委ねた者で、その名を知らぬ者はいない。魔剣士女医の異名を取るとびきりのマッドサイエンティストであり、あの桐生の姉に当たる人物だ。
――この案件は、間違いなく虎太郎に振られる。そうでもなければ、どうにもならない厄ネタである。