九郎からの残念なお知らせの翌日に、虎太郎は案の定、アサギに呼び出しを喰らった。
『既に九郎からも聞いていると思うけれど、今回の任務は桐生 美琴の捕縛ないし殺害よ』
『…………………………………………そうか』
『ちょっと、大丈夫?』
『しっかりしろ、弐曲輪。今まで国内で尻尾を掴ませなかった“魔剣士女医”を捕縛する、またとない機会なんだぞ!』
『うるせぇ。どうせ苦労すんの、オレじゃねぇか。オメーが痛い思いすんのかよぉ』
『貴、様という奴はぁ……ッ!』
『はあ。紫、一々取り合っていたらキリがないわよ。それに、虎太郎がやることはやるって、知っているでしょう?』
桐生 美琴。
あの桐生 佐馬斗の実姉であり、当人も魔界技術に精通した凄腕の魔科医。
彼女の研究成果は残虐にして無慈悲。腕は確かなのだが、その成果は遊び半分で行われたようであり、明確な目的など何一つ感じられない。
対魔忍は常日頃から彼女を追っていたのだが、数多の闇の組織を隠れ蓑に逃げ回り、犠牲者は増え続ける一方であった。
間違いなく千載一遇のチャンス。対魔忍側としても逃す訳には行かない。
此処で逃がせば、次に美琴を捕捉できるのは何時になる事か。それまでに、どれほど犠牲者が増えるのか、分かったものではない。
故に、虎太郎が選定されるのも無理はない。
実力、実績共に申し分なく、魔科医や魔界技術に造詣が深い。
何よりも、桐生を捕らえられたのは虎太郎と言っても過言ではない。桐生に勝るとも劣らない美琴を捉えるのに、安心して任せられるのは、他にいないだろう。
『それで、今回の出動できそうなメンバーだけど…………』
『いいよいいよ。誰でもいいよぉ、へっ』
『……佐久 春馬、神村 舞華、志賀 あさつきのいずれかだな』
『ヤダー!!! ヤダヤダヤダヤダヤダヤダーーーー!!!!』
投げ槍を通り越したやる気絶無の態度であったが、三名の名前を聞いた瞬間に豹変した。
机の上にドンと頭を乗せると、そのまま三転倒立の体勢に移行し、ヤダの言葉に合わせて左右の脚を前後に振り回す。
まるで、ダンジョンで捕まえたモンスターを食料にしようとでも言われたかのような嫌がりぶりである。
完全な奇行である。思わず、そんな奇行を取ってしまうほどに、名前の挙がった三名と組むのが嫌なのだろう。
『さ、三人とも優秀だろう。な、何が、不満だ……』
『うるせー!! あんな猪、三匹全員連れてったって、どう考えても鴨でしかねぇよ!! そもそも、あの三人、オレの話しどころか人の話も聞かねぇじゃねぇか!!』
『いや、気持ちは…………分からないでもないが、それでは一人で任務を遂行することになるんだぞ!?』
『思い出してー! お前とさくらが桐生にどんな目に合わされたかをー! そしてあの時、オレが他に誰か連れて行ったかをー!!』
まだ桐生が対魔忍に捕らえられる以前、紫とさくらは彼の手に堕ち、悲惨な改造と凌辱をその身に受けた。その際、救出に向かったのは、やはり虎太郎であった。
当時はまだ救出部隊などというものはなかったものの、アサギ、九郎の妹、虎太郎としても二人に恩を売っておきたかった――当時から、二人からの信頼は不動のものであったが――故に、直接動いた。
結果は語る必要もない。失敗などしていようものなら、紫とさくらは勿論の事、桐生が五車学園に身を置いている訳がないのだから。
『し、ししし、知るかー! オレはアルだけ連れていくからなー!!』
それだけ言って、虎太郎は五車学園を飛び出した。
…………言うまでもない事だが、準備だけはしっかりと整えていた。この男に、そんな初歩的なミスを期待する方が間違っている。
『それで、今回のプランですが……』
「今回はプランなしだ。最近、策を弄し過ぎたからな。共通点を発見されても面倒だ。真正面から叩き潰す。無論、予防線は張っておくがな」
(虎太郎の場合、強行突破でも十分完遂可能なのも酷いと思います。能力的に死角が存在しないということですから)
東京は八王子。高速道路のジャンクションから10キロの地点で、虎太郎は何時間も自然へと溶け込み、準備を整えながら時を待った。
古くから修験道の霊山として知られ、今でも多くの観光客や登山客の望める高尾山が目と鼻の先にある森の中に、それはあった。
5000坪もの敷地に、建造された洋館。
この洋館が建てられたのは明治初期。当時はまだ米国と呼ばれていた米連の成金が、事業の関係で日本を訪れたおりに建てたものだ。
建築主は当然の如く没落。以降は時代の節目節目に持ち主を変え、八王子大空襲、関東大震災等の人災、災害すら奇跡的に潜り抜け、現在まで残り続けていた。
本来であれば歴史的な価値を見出されてもおかしくない建築物であるが、この洋館の主となる者は皆一様に人の生き血を啜る人種であったが故に、誰の目に付くこともなく、ひっとりと闇の中で胎動していた。
今現在も、闇の拠点として用いられるのも、何かの因果であったのかもしれない。
高尾山の威容が闇に閉ざされ、月が天高くに上り始めた頃、全ての準備を整えた虎太郎は、行動を開始する。
「でよ、その女と来たら、……――おい、どうした?」
「何だ、あの野郎は……?」
洋館の周囲を囲む5mもの壁。その中で唯一、内と外とを繋げる門もまた、巨大であった。
闇の拠点だけあって、警備が皆無の筈もない。門番は二人居た。
新興組織であるが故に、人員不足であり、人員を集めている最中なのか、防備としては余りに手薄。危機感も薄いらしく、二人とも煙草を吸っていた。
――しかし、人数に反して、装備は潤沢であった。
メインはM4A1。
1990年代に米連で正式採用され、今現在も不動の地位を手にしているカービン銃である。
M16シリーズのパーツを数多く共有できるため、整備の手間や動作不良を改良を促されつつ、次第に洗礼されていった。
彼等のM4A1には目に見えているだけで、スイッチで暗視装置を作動させるスコープ、銃身下部にはM203グレネードランチャーが取り付けられており、他にも様々なパーツや改造が加えられていることだろう。
サブはM9をレッグホルスターに収めていた。
こちらも米連で正式採用され、世界中の法執行機関、軍において幅広く使われている拳銃だ。
更に防弾ベストも、そこいらの闇の組織では手が届かないであろう素材で作られたものを着用しており、予備弾倉もキッチリと収められている。
米連の横流し品であるのだろうが、新興組織の一構成員に対する装備としては手間も金も掛かり過ぎていた。
【まるで軍か、
(大方、桐生姉の作った淫獣だぁ、媚薬だぁ、麻薬だぁで荒稼ぎしてるんだろ。慎ましくとか、目立たないとか、そういう思考は頭にないのかね?)
虎太郎とアルフレッドは二人にしか聞こえぬ会話をしつつも、恐れることなく門番へと近づいていく。
その余りにも無防備な歩み、滑稽と言えば余りに滑稽な虎太郎の姿に、門番は自信の役割すら忘れて薄ら笑いを浮かべて逆に自ら距離を縮めていった。
「おいおい。何だよ、お前ぇ? 此処は私有地だぜ?」
「ハ、イカれてんだろ? コイツが目に入らねぇらしい」
明らかな嘲笑を浮かべ、スリングで吊るしたM4A1を見せびらかすようにポンポンと手を叩く様は、玩具を与えられたばかりの子供のようだ。
【銃を持っただけの素人ですね】
(だな。まあ、オレの格好もあるんだろうが…………ない、ないわー。こんな不審者、オレなら見つけ次第撃ち殺すわ)
【自覚があるのは良いことです】
虎太郎の格好は、この夏に差し掛かろうとしている季節だと言うのに、黒いライダースーツの上に黒いロングコート。首には白いスカーフまで巻いている。
季節外れの厚着。黒一色の異装。確かに、頭がおかしい人種としか言えないだろう。
――だが、更に正気を疑わせたのは、頭部を覆ったフェイスマスク。怒りの感情が骨にまで現れたかのような、髑髏の仮面だった。
赤い
これではどう見た所で、一昔前に流行ったかのようなダークヒーローのコスプレだ。さもなければ――――
「さっさと帰んな。お前みたいな阿呆が来ていい場所じゃねぇ」
「馬鹿抜かせ、こんなもん見られてんだ。生かして帰せると思ってんのか?」
「ハ、それはそれでいいな。折角だ、コイツの試し撃ちも悪かねぇ。残念だったな、イカレ野郎、これにてお前の人生しゅー――――」
――――正真正銘、罪人共を地獄の底まで叩き落とす為に現れた亡霊そのものだろう。
吸っていた煙草で仮面の額に試し撃ちの烙印を押そうとした男の言葉は、驚愕によって停止した。
驚きもしよう。今し方まで、自分自身に繋がっていたはずの手首が、煙草と共に地面へと堕ちたのだから。
「え、ハッ、――――ひぃ、ぁぁああぁぁあああああああぁああぁぁっっ!?!?」
驚愕、忘我、恐怖、激痛。
その全てが一体となり、口から悲鳴として迸る。
虎太郎の手にはナックルガード付きのトレンチナイフが逆手に握られていた。
手首の綺麗な断面は力任せに叩き斬られたのではなく、卓越した技術によって関節の繋ぎを解体されたことを物語っている。
なんて間抜けな勘違い。鴨撃ちの鴨が、実際には虎だったかのような、あってはならない勘違いだ。
しかし、片や恐怖と痛みに蹲り、片や現実を受け入られぬまま、銃のセーフティを外すどころか構えることすら儘ならず、勘違いを正す機会すら得られなかった。
棒立ちのまま咥えていた煙草を落とした男の眉間に、虎太郎の投擲したトレンチナイフが深々と突き刺さった。即死である。
どう、と音を立てて、男の死体が背中から倒れ込むのを確認すると、虎太郎は足元で蹲り、痛みから嗚咽を漏らす男の首筋に、小型の注射器で薬品を打ち込んだ。
即効性の筋弛緩剤と麻酔である。
効果は、ただのチンピラに過ぎない男には絶大だった。意識を失いこそしなかったが、筋肉は弛緩して動けないらしく、びくびくと痙攣を繰り返すばかりだ。
そして、虎太郎は男の身体の下に一つの置き土産を仕舞い込み、二人のM4A1を手に取り、門の蝶番に向かってアンダーバレルのグレネードランチャーを放った。
凄まじい爆発が巻き起こり、怪鳥の悲鳴のような金属音と共に巨大な門の片側が敷地内に向かって倒れた。
「さて、鏖殺の時間だ」
『監視カメラの映像は?』
「ここのデータバンクにアクセスして奴の研究データ諸共、根こそぎ浚え」
『了解しました。……正面玄関から53の熱源反応。人魔の混成部隊です』
「そいつはいい。これで引き籠られたら殺す手間がかかるからな。アマチュアは殺そう殺そうばっかりで助かる」
―――――
――――
―――
――
―
洋館の地下。増改築を繰り返し続ける桐生 美琴の研究施設が、其処にはあった。
彼女が隠れ蓑とするために作り上げた新興組織にとって、彼女自身と研究は金のなる木だ。
彼女が居なければ組織のボスは、一生を東京キングダムの掃き溜めで、誰かを喰い殺し、誰かに喰い殺されるのを待つだけの人生を送っていたであろう。
美琴の作る悪夢染みた性能の淫獣、彼女の手によって改造・調教された奴隷娼婦、格段の効果と中毒性を誇る媚薬・麻薬の数々。
それを闇のルートで売り払い、ボスは瞬く間に闇の世界を登り詰め、冗談としか思えない金を得た。
東京キングダムの掃き溜め生活から僅か一年でこの有り様。それだけで、美琴の技術の高さ、ボスの後先を考えない暴走振りが窺えるかのようだ。
組織のボスは、身長は低いが、横幅は広い子豚のような男だった。
脂ぎった欲望を形にした顔と肉体は醜悪の一言。どれだけ高級スーツを纏おうと、その人物の品性までを覆い隠せる訳ではない。
そして、ボスは研究施設の最奥に位置する美琴の研究室兼私室に、慌てふためいた様子で押し入った。
「おい! おい! 美琴、何をやっている!」
「あ~ら、何か御用かしら? 何か用事がある時しか、ここを訪れたくなかったんじゃなくて……?」
「ああ、その通りだ! こんな悪趣味な部屋に誰が来たがるか! だが、来なきゃならん理由があるんだよ!」
「ハイハイ。その程度、分かっているわよ。馬鹿にしているの?」
桐生美琴の格好は様々な意味で異様だった。
セーラー服に、長い黒髪。桐生 佐馬斗の姉にも拘わらず、10代の若々しさを保っているのは手にした魔界技術の賜物か。
何よりも異常なのは、その右腕。左腕の数倍は太く、甲冑のように堅牢な皮膚で覆われていた。人の腕ではない。
彼女曰く、魔術師から譲り受けたとのことだが、事実は如何か。無論、問題は其処ではない。問題なのは、異界の鬼神の右腕であると言われている点だ。
その右腕に一体どれだけの対魔忍、魔族、米連が犠牲になったことか。
桐生よりも派手に暴れ回り、何処にも属さずやりたい放題をやっていられるのは、この右腕によるところが大きい。
部屋で美琴は椅子にもたれ掛り、脚を組んでコーヒーを片手に寛いでいた。
その何一つ分かっていない様子にボスは怒り心頭と言った様子であったが、その実、美琴の方が深く状況を理解している。
部屋のあちこちに檻が設置されており、檻の中に出来た薄暗がりから人間のすすり泣く声が響いている。
ボスは、この部屋が大嫌いだった。まるで美琴の人を人と思わぬ所業を怖れてではない。檻の中に居るような
「襲撃、でしょ? とっくの昔に見てるわよ」
美琴が眺めていたのは私室内部にあった巨大なモニターだ。
本来であれば、彼女の膨大な研究データや検体の様子を逐一把握できるようになっているのだが、今は洋館中に仕掛けられた監視カメラの映像を見ていた。
――監視カメラの映像は、洋館の正面。かつてはよく行き届いた庭園であったのだろうが、今や戦場の様相を呈していた。
たった一人しかいない髑髏の襲撃者は噴水の陰に身を隠し、一人、また一人と確実に組織の雇った傭兵とチンピラを射殺している。
「よし! よしよしよし! いいぞ、そのままだ! 其処に釘付けにしておけ! 正門からそこは丸見えだ!」
「ふーん、壁の外で見回りさせてる連中を正門に集めて蜂の巣ってワケ。でも、上手く行くかしら?」
そう言い、美琴が画面を操作すると、監視カメラの映像が正門前のものに切り替わる。
塀から顔を除かせ、中の様子を窺っている見回りが十名。残りの二名が既に倒された門番の生死を確認していた。
門番の片割れに息があるのを確認すると、より詳しい容体を確かめようと俯せから仰向けにすると、沸き上がった爆炎が正門を飲み込んだ。
虎太郎が動けなくなった門番の下に残していたのは爆弾だった。
敵が逃げた後の生き残りや死体は不用意に触れるべきではない。このような罠が仕掛けている恐れがあるからだ。
「あはは! すごいすごい! アンタの動き、完全に読まれてるじゃない!」
「あ、か…………わ、笑っている場合か!」
「そうね。笑ってる場合じゃないわ。なんて面白い能力なのかしら」
美琴が興味を示したのは傭兵の死でも、髑髏の男の手法ではない。
髑髏の男は、その場から一歩も動かずに、様々な種類の兵器を次々に持ち替えて攻撃を続けていた。
詳しい銃器の名称は美琴には分からなかったものの、多くの銃器を代わる代わるに持ち替え、引き金を引いていた。
明らかにおかしい。どう考えた所で、監視カメラによる観察では、それだけの銃器はとてもではないが持てない。そもそも、背負ってすらいなかった。
「ほら、見なさいよ。あんな能力もあるのね」
「んだよ、そりゃあ……」
玉切れになった自動小銃を捨てると、髑髏男の手――正確には手の近くに、水面のような波紋が広がった。
唖然とするボスの心なぞ知ったことではない髑髏男は、水面から現れた新たな銃のグリップを握ると引き抜き、またも傭兵達に銃撃を見舞う。
「空間操作系ね。空間を歪めてる……にしては、発動から武器を取り出すまでが速すぎる。元々決められた空間に固定しているから? それとも……」
「おい! そんなことを言ってる――――」
「そうこうしている間に、ほらもう逃げてるわよ」
「んなっ?! あのクソ野郎ども! こっちがどれだけ高い金を払ってると思ってやがる!」
ものの20分としない内に二十名近くが殺害される頃には、傭兵達は既に逃走を開始していた。
どれだけ金払いが良かろうとも所詮は新興組織だ。規模は古参の組織には敵わず、組織同士の繋がりも薄い。
逃げた所で報復に走れるだけの体力もなく、命を賭して付き合う忠誠心を見せるだけの理由が傭兵達にもない。
車、バイク、自らの脚。
逃走手段は各々違ったが、襲撃者には敵わないと見るや攻撃を止め、物陰を移動しながら正門に移動していた。
髑髏の男も逃げる者まで追うつもりはないらしく、傭兵には目もくれない。
攻撃が止むと弾丸で削り取られ、原型を留めないほど破壊された噴水の陰からゆったりとしていながら力強い歩調で洋館に向かって歩み始めた。
「ふふ、面白いじゃない。良い研究素材と実験材料が手に入りそう」
「おい、美琴! このままじゃ……!」
「うるさいわね。私の造ったキメラ共の方がよっぽど使えるわ。それに、アレもあるでしょう?」
まるで自分の負ける可能性など考えたことすらない笑みを浮かべて、美琴はモニターを操作する。
すると、研究施設の内部に点在している研究材料の保存用カプセルから保存液が抜け、仮死状態にあったキメラどもが一斉に活動を開始した。
更に、まだ仮死状態から目覚めていない実験体が4つ。それこそが、美琴の言う“アレ”であり、彼女の切り札でもあった。
―――――
――――
―――
――
―
虎太郎は厚い軍用のブーツを履きながら足音一つ立てずに、正面玄関から我が物顔で足を踏み入れる。
金をかけて改装したのだろうが、銃撃戦の影響で玄関付近は荒れ果ててしまっていた。
玄関を入ってすぐに階段があり、一階の半ばまで登ると左右に分かれている。洋館は東と西に広がり、正面玄関を中心に左右対称の造りとなっていた。
洋館の内部に入ってすぐ、虎太郎は舌打ちを繰り返し、反響音に耳を傾ける。
アルフレッドもまた電磁センサーを作動させ、備に洋館の内部を探り始めた。
(洋館はフェイクか、誰も居ないし、特別な造りもしていない、となるとぉ……)
【此方も同じ結果です。彼女が納得する研究施設はありません。地下です】
(……――っとぉっ)
二人が同時に同じ結論に至ると、玄関の床が左右に割れた。
重苦しい機械の作動音が玄関ホールを包み、さながら地獄の門のように研究施設への扉が開く。
【明らかに罠、ですね……】
(それ以外の何物でもねぇよ。どっち道、こっちにはイカれた絡新婦の、イカれた巣に飛び込むしかねぇさ…………桐生姉の様子はどうだ?)
【どうやら、研究施設最奥の私室にいる模様。研究用の記録カメラを掌握しました。しかし、これは……】
一体、何を見たのか。アルフレッドの呻きを漏らした。
虎太郎はある程度を察しているらしいが何も言わず、新たな銃――H&K G36Cを“蔵”から取り出し、地下への階段を下りていく。
空遁の術に属するそれは、端的に言えば武器庫だ。
此処とは異なる何処かに異空間を作り出し、その中に武器を収め、引き出すことが出来る。
異空間は虎太郎が奪った能力を返しても残り続ける。内部はどうなっているのかは術者自身にも不明だが、時間と距離の概念がないらしく“武器”と認識したものをいくらでも収めることが可能だ。
だが、“瞬神”のような特殊な能力を備えた武器を収めると、どのような経緯、どのような製作過程を経たものであっても完全に無効化され、ただのガラクタと化してしまう欠点もある。
しかし、大量に近代兵器を保管し持ち運びできるこの能力は、兵器に精通した虎太郎にとって、極めて扱い易い忍法であった。殊更、今回のような大量の敵を相手にするには、これ以上ない忍法である。
(アル、感傷に浸るのは結構だが、仕事を忘れるな。オレ達は間に合わなかった。これはそれだけの話だ。お前が動揺した分だけ犠牲者が増えるぞ)
【――――分かっています。このドライモンスター。ですが、彼等は……】
(如何にもならん。あのイカれ女が施した改造だ。過去、救出できた連中は桐生ですら元に戻せず、人として死なせてやるしかなかった。分かってるだろ?)
桐生 美琴は魔族、米連を問わず、様々な組織を渡り歩いてきた。
時に対魔忍の襲撃を躱す為、時に組織同士の抗争を避ける為に、研究成果を投げ捨てて逃げて回り、また別の隠れ蓑にて新たな研究を始めるコウモリのような立ち回りをしていた。
その度に、彼女の研究の犠牲者という形で、残骸とも言えないような救出対象が発見されている。
余りにも惨い有り様で、とても元が人間とは思えないほどに改造された“それ”を直視し、“それ”が助けを求める光景に、精神を病んだ者すら居た。
どんどん機嫌が悪くなっていく相棒に、虎太郎は溜め息を漏らしそうになったが、辛うじて抑える。此処で溜め息を漏らそうものなら、アルフレッドの機嫌は更に悪くなるのは明白だ。
アルフレッドは、全ての命を尊敬している。
自身の生まれた経緯故か、或いはアルフレッドという魂が高潔であった故かは分からないが、彼の尊敬は本物だ。
彼は命を奪う者はまだ許す。
それは消費と発展が題目となる地球と言う星の生命形態にとって、当然の行為だからだ。
だが、命を弄ぶ者は決して許さない。
命を弄ぶ行為は、星の生命形態からすら外れている。生命体として優れていようといまいと、あらゆる生命には敬意を払うべきと考えていた。
何故、人間よりも人間らしく、人間よりも高潔なAIを、オレが諫めにゃならんのだ、と心の中で悪態を吐きながら、フェイスマスクのギミックを作動させる。
左右から歯を意匠が施されたプレートが閉じ、口元が完全に覆い隠された。美琴が用意しているかもしれない毒ガス、細菌兵器を警戒してガスマスク機能をオンにしたのだ。
【奥の扉の向こうに30メートル四方の大部屋があります。動体反応34。どうやら、彼女の実験体のようです】
(扉のコントロールは奪えるか……?)
【可能ですが、その必要はありません。既に空き始めています】
(面倒だ。まずは機先を制す)
【派手にやって、力の差を見せつけて、相手の心を圧し折って下さい】
(オレの相棒とマッドサイエンティストが修羅場すぎる)
―――――
――――
―――
――
―
「何、なのよ、コイツ。ただの、ただの大量生産品なんかで、私の
「どうするつもりだ、美琴! おい! 聞いてるのか!?」
「黙れっ! まだ私は負けた訳じゃない!」
「ふざけるなっ! これ以上、付き合っちゃいられねぇ! オレは逃げるぞ!」
「どうぞお好きに! 東京キングダムの路地裏生活に逆戻りしたければね!」
鬼女そのものの表情で、ボスを睨みつける美琴。
その鬼気迫る表情に気圧され、更に今と過去の生活を比べ、ボスは最終的に自分の命を選択したらしく、短い手足を必死に動かして部屋の外――さらには屋敷の外へと逃げていった。
その不様な姿を見送り、ふんと鼻を鳴らして美琴はモニターの映像を見た。
モニターには34体ものキメラを傭兵共のを相手にしていた時よりも遥かに短い時間で鏖殺した髑髏の男が悠然と奥に向かって進んでいた。
美琴が誘い込もうと開いた扉が開き切るよりも早く、男が飛び込んできた。
部屋の中には、彼女お手製のキメラが今か今かと獲物を待ち侘びていたが、反応すらできない有り様。
揮発性の体液を生成し、毒ガスを発生させる化け物が居た。
ゴーレムのような強固な皮膚組織も持つ魍魎が居た。
電気ウナギよりも遥かに強力な電撃を放つ生命体が居た。
コブシメ並の速度で体表を変え、周囲に溶け込む軟体が居た。
対魔忍ですら反応できない速度で動き回る怪物が居た。
その全てを――――髑髏は悉く葬った。
化け物の体液が、可燃性の強いことを見抜くと焼夷手榴弾で爆散させ。
魍魎の硬さを知るや、硫酸よりも遥かに強力な溶解液で溶かし。
生命体の電撃を見るや、攻撃範囲を逃れ、機関銃で肉塊に変え。
軟体が体表を変えて周囲に溶け込んだにも拘わらず、正確に捉えて縦に引き裂き。
怪物をも超える速度で、容易く脛骨を捻り折ってのけた。
「ふ、ふふ、化け物ね…………でも、化け物だったらこっちにだっているのよ!」
現時点で作り出せる最高傑作を控えさせており、じわじわと沸き上がる黒い感情を押し殺しながらも美琴はなお笑った。
その最高傑作が完成したのは数ヶ月前。
ある標的を選び、既に結果は得ている。性能、制御性においても完璧だ。その際に、標的を捕らえ、新たな実験テーマを得られたのは嬉しい誤算であった。
彼女の言う最高傑作は三体居た。
二体は背は高いが痩せぎすの人型。まるで針金細工のようだ。
手の爪は50cmはあろうか。一本一本が砥がれたばかりのナイフの鋭さだった。
頭部に髪は一切ない――――どころか、耳も眼球も存在しておらず、代わりに四つの機械の目が埋め込まれていた。
口は本来耳があるべき場所まで裂け、鮫よりも鋭い歯が顔を覗かせていた。
もう一対は人型でこそあったものの、更に異形と化している。
屈強なヘラクレス像のような肉体には一糸も纏っておらず、本来あるべき生殖器がない。
腕が四本あり、全てが丸太よりも太く、頭部には人間として存在しているはずのパーツが一切存在していなかった。
これは中華連合でエドウィン・ブラックの細胞を入手して生み出したテクノロジーによって改造された強化人間兵士である。
中華系の犯罪組織“龍門”とも繋がりがあった美琴は強化人間兵士の技術と細胞を手に入れ、培養、投与、改造を繰り返していた。
夥しい失敗と犠牲の上に完成したのが、あの三体。
身体能力は三割近くも向上。不死性に関しては、頭を吹き飛ばそうが斬り落とそうがお構いなし、八つ裂きにしても数分で回復するほどだ。
また対魔粒子にも魔力にも強い耐性を持ち、これらが含まれた攻撃であったとしても容易に殺せはしない。
「さあ、奴の手足を捩じ切ってやりなさい。どうせ、あの能力だったら手足なんていらないんだから……!」
思惑を破壊され、研究成果を殺された憂さを晴らすように、嗜虐心たっぷりの笑みを浮かべる。
流石に桐生の姉だけのことはある。あの強化人間兵士は美琴にとって最高傑作であるのだろうが、同時に最後の砦でもあることに、まるで気付いていない。
天才であるが故に、傲慢であるが故に、自分が追い詰められているなど、一歩間違えれば敗北するなどと考えてすらいないのだ。
「容赦なんてしないわ。標的を見つけ次第、襲い掛かりなさい」
その言葉に反応するように、強化人間兵士のカメラアイがギラリと光る。命令を承諾したのだろう。
そして、三体は主の命を全うし、男が部屋に脚を踏み入れた瞬間、地を蹴った。
現役の対魔忍よりも速い疾駆。獣すら遠く及ばない疾走と強襲には髑髏の男であっても反応出来ない――そう考えていたのは、美琴と傀儡の強化人間兵士だけだった。
何も、情け容赦がないのは美琴や強化人間兵士だけではない。髑髏の男にとて、そんなものは初めから存在していなかった。
男は、既に彼女の行動を読んでいた。
傲慢な人間が追い込まれれば、強硬手段に出るのは分かり切っている。
部屋に入った瞬間、男は片手を上げると、その能力を発動させた。
男の正面頭上の空間が水面のように揺れ、凄まじい轟音と共に金属製の床をへこませて、美琴には見たこともない兵器が引き出された。
――――GAU-8 Avenger.
かの傑作近接航空支援機A-10 サンダーボルトⅡなどに搭載された30mmガトリング砲である。
本来は航空機用のガトリング砲であるが、どのような改造を施したのか、彼のものは砲座になっていた。
その主な用途は対戦車攻撃用に開発されており、1キロ以上も離れた戦車の装甲を容易く蜂の巣にする。
高サイクル、高初速の弾丸が毎分4200発も発射し、鋼鉄の兵器を単なる鉄屑に変化させる最悪の機関砲だ。
男の発想は極めて単純。
圧倒的な生命力を誇る怪物に対して、それすらも上回る圧倒的な火力で踏み躙る。たった、それだけの話だ。
近代兵器を以て、それを成し遂げようにも難しい。
実現しようにも金がかかる。金の問題をクリアしたとて、それだけの兵器を運用するに個人での携行は不可能。運用の為の軍隊も必要となり、軍事作戦さながらの様相を呈する。
それ故、対魔忍も、魔族も、米連も、魔界技術や特殊能力によって成し遂げようと必死になっているのだが、男は能力と近代兵器によって簡単に事を成し遂げる。
よくよく能力や近代兵器を知っているが、発想が狂っている。
そもそも航空機に搭載する兵器を個人で扱えるようにした挙句、使い捨てのように使うなど。
況してや、本来は戦車の破壊を目的として製造された兵器を、人型に使おうとするなど、正気の沙汰とは言い難い。
GAU-8特有の腹の底に響く発射音と30mmの弾丸が、
数トンもの重りによって反動を制御し、数多の電動モーターによってパワーアシストが働いた砲身を強化人間兵士に向け、弾丸を湯水の如く浴びせかける。
初速1067m/s。毎秒70発。
恐るべき死の具現は、瞬く間に三体の強化人間兵士を肉塊に――――否、この世から消し去った。
後には何も残っていない。肉も、骨も、血も、機械部品すら。紛うことなき消滅。如何な不死と言えど、これでは再生も蘇生もないだろう。
美琴は、唖然とするばかりだ。
自分の最高傑作が、自分の考える美学に掠りもしないラインから流れてきた大量生産品に敗北する現実。
そもそも、強化人間兵士と航空兵器用の機関砲を同列に比較している時点で間違っているのに気付いていない。
また、徹底して相手の土俵で戦おうとしない髑髏の男も、あらゆる意味で悪辣だ。
「――――――ひっ?!」
完全に思考が停止していた美琴は、髑髏の男が放った弾丸が監視カメラを破壊して、ようやく再起動する。
(ど、どうする?! あの三体がやられたら、あとは――――駄目! まだ洗脳も記憶処理も終わってない! そんな状態で目覚めさせたら、私がころ―――)
事此処に至って、ようやくその思考に思い至ったのか。美琴は背筋に氷柱でもぶち込まれたかのように蒼褪めた。
美琴は目の前のモニターを操り、研究施設内の全ての隔壁を下ろし、大事な研究データすら気にも留めずに自爆装置を作動させる。
コウモリのように様々な組織を渡り歩いていた彼女らしく、こういった事態を想定していたらしい。もっとも、こんな亡霊のような存在が、自分を狙いに来るなど考えてはいなかったようだが。
研究データにも研究施設にも研究材料にも未練はない。
生きてさえいれば、いくらでも取り戻せる。美琴が躊躇なく借宿を捨てた理由であった。
手に鬼神の腕と共に手に入れた鬼神の刀だけを握り、美琴は弾かれたように私室を後にする。
直ぐ其処にまで髑髏の男が迫ってくる妄想に背中を押されるように、美琴は地上への直通エレベーターに飛び乗った。
「くそっ、くそくそくそっ! 何なのよぉ! 一体、私が何をしたっていうのよ!!」
彼女の犠牲者が聞けば、余りの身勝手さに怒り狂うか、余りの不様さに笑い転げるような科白を吐き出しながら爪を噛み、必死で震える身体を抑えようとする。
チンと今の彼女の心境を考えれば間抜けな到着音。
開き始めたばかりの扉に身体を滑り込ませ、洋館の外に向かって逃げ出した。その不様は、彼女が利用していたあの子豚のような男とよく似ていたのは偶然だったのか。
「――――はぁっ、はっ、はぁっ、ハ、ハハっ、嫌にあっさり、見逃すと思ったら、そういうわけ?」
正門の向こう。
街の近くまで広がっている森の中では、朦々と黒煙が夜空に向かって立ち上り、その根元では煌々と赤い光がチラついていた。
間違いなく、先に逃げた傭兵とボスのものだろう。
髑髏の男は傭兵の後を追わずに見逃した。それ故に、男の目的はボスの殺害による組織の壊滅か、自身の研究を奪うことにあると踏んでいたのだが、実態はまるで違っていた。
男の目的は始めから殲滅だった。
元々襲撃をかける以前に洋館にあった車両には爆弾が仕掛けてあったのだろう。
或いは、森の中に作られた道路に地雷か何かが仕掛けられていたのかもしれない。
いや、それだけではない。もしかしたら、森の中にはブービートラップも山のように仕掛けられている可能性もある。
誰一人として逃さない。そんな絶対的な殺意を察せさせる光景。
恐怖が一定のラインを越えると笑いが止まらなくなるものだ。だが、美琴はそれを認めない。
そもそも、髑髏の男が防壁を破れたとしても、どれだけ速く走れようとも、どう考えても自爆までに脱出は不可能なのだから。
意気揚々と、庭園を通り抜けて、戦闘によって破壊された噴水を通り抜けようとした瞬間、けたたましい鉄馬の嘶きが屋敷の内部から響き渡る。
美琴が反射的に背後を振り返れば、正面玄関を突き破って現れるバイクが済んでの所で自爆を逃れ、髑髏の男が生還した姿を目撃してしまった。
―――――
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―――
――
―
地下の研究施設で防壁が下り、美琴が逃走を図ったことを確認すると、虎太郎は即座に蔵の中からバイクを取り出して、来た道をフルスロットルで戻った。
防壁はアルフレッドによって開かれ、何の減速もないままに階段を駆け上り、そのままの勢いで玄関を突き破って外に出た。洋館の自爆はその直後だった。
背後から凄まじい爆風と熱波、衝撃を感じながらも、虎太郎は巧みにバイクを操り着地すると、そのまま逃げる美琴の後を追う。
だが、虎太郎は車をミサイル代わりに使う男である。バイクとて、よく走り、よく爆ぜる重さ数百kgの鈍器兼爆弾といった認識を持っており、用途の幅が広がっている。
虎太郎は崩れていた花壇を発見すると、そこを射出台としてバイクごと宙を舞った。
美琴はそのまま轢き潰すつもりだと悟ったのか、鞘から鬼神の大太刀を抜き放ち、迎撃の構えを見せた。
――しかし、虎太郎は既にバイクの燃料タンクに爆弾を仕掛け終えていた。
そのまま慣性の法則に任せ、自身はハンドルを離し、後方に飛ぶ。
美琴が大太刀でバイクを叩き切ろうとした瞬間に、手にした端末で爆弾を起爆させた。
「――――くっ、あぁぁぁあああぁああっ!?」
爆発に晒された美琴の軽い身体は、無数の裂傷と火傷が生じると共に後方へと吹き飛ばされたが、虎太郎はなおも手を緩めない。
着地と同時にブーツに仕込んでいた刃渡り15cmのTハンドルナイフを引き抜くと、迅雷の勢いで地を蹴った。
炎と黒煙を巻き上げて燃え盛るバイクの残骸を飛び越え、爆発の衝撃から立ち上がっているものの、立ち直れていない美琴に跳び蹴りを叩き込んだ。
「ぐぅっ、この程度、で…………ガッ!!」
顔面に向かって放たれた跳び蹴りを鬼神の腕と大太刀で以て受け止める。
実に大したものだ。腕もさることながら、その肉体に施された魔界医療による強化改造も素晴らしい。既に怪我は治り始めており、肉体が精神に答えているかのようだ。
しかし、防御されることを見越していた虎太郎は、大太刀に
脳天から全身を麻痺させる衝撃に、美琴は蹈鞴を踏んで後退するものの、辛うじて倒れることだけは避けた。
――それでも、結末は変わらない。
ドス、と身の毛もよだつ悍ましい音が身体の中から耳朶を叩き、冷たい感触が右脇腹から内臓に突き抜ける。
内臓の奥底から登ってきた熱い血液を、美琴は堪らず口から吐き出した。
虎太郎は低い姿勢でTハンドルナイフを美琴の肝臓に突き立てていた。
致命傷だ。常人ならばまず助からない傷であったが、美琴はどれだけの改造を自身に施したかを知っており、虎太郎もこれだけで終わると信じてはいなかった。
「ぶ、ぐっ……あ゛ぁっぁぁぁあぁあああっっ!!」
命を磨り減らして迸る咆哮。
黒いストッキングで覆われた美琴の右脚が跳ね上がり、虎太郎の胸部目掛けて渾身の蹴りが放たれた。
虎太郎は地面に四肢を突き、獣そのものの姿勢で蹴りを回避すると後方に飛んで距離を取る。
「これで、ようやく、……仕切り直し、よ」
美琴は血の
その両目には何を犠牲にしてでも生き残ろうという意志と、正体不明の死神に対する恐怖で満ち溢れていた。
対し、虎太郎は胡乱気に眺めているだけで構えすら見せない。まるで何かを待っているかのようだ。
その様子に、美琴は己の失敗を悟ったが、全てが手遅れだった。
「――――あ、っ」
彼女の両脚から力が抜け、膝が折れてその場にへたり込んだ。
「ど、毒、まで……」
先程、肝臓を貫いたナイフには毒が塗られていたようだ。
無数の身体改造が施された彼女の肉体にすら作用する毒だ。相当強力に違いない。
しかし、虎太郎は何処までも油断はなかった。
美琴の事、毒に対する耐性を獲得するように身体改造を施している可能性も否定できない。
長くても数分。短ければ十数秒しか毒の効果が続かないと踏み、彼女からあらゆる反撃の手段を奪い去ろうとする。
「……ま、待って、お願い……何でも、するわ。だから、命だけは……」
「お前、こういう状況で命乞いなんて聞いたことあるか?」
虎太郎が大太刀を拾い上げながら放った一言が全てであり、美琴は絶望せざるを得なかった。
どう考えても、聞く筈がない。自分自身が、今まで実験の材料にした人間の命乞いにも懇願にも耳を貸さなかったのだ。嫌でも理解できよう。
それでも必死に言葉を探し、生き残る糸口を探ろうとしている美琴の二の句すら聞かず、虎太郎は大太刀を振り下ろす。
「――――い、やぁぁぁああああぁぁああぁあああぁっっっ!!」
鬼神の大太刀は、見事に鬼神の右腕を斬り落とした。
ただでさえ血濡れの美琴は、出血によって更に
虎太郎は絶叫や悲鳴にも何の関心も抱かず、斬り落とした鬼神の腕を蹴り飛ばし、大太刀も放り投げた。
肩口を抑えて蹲った美琴は、もう抵抗の余地などない。これで完全に無効化した。生殺与奪の権利は彼にこそある。
【それで、どうしますか?】
(どうするかねぇ。生かしておいても殺してもどっちも変わらねぇしな。お前はどっちがいい?)
【捕縛すべきかと。彼女の研究データは手に入れましたが、引き出せる情報は他にもあるでしょう。何より、貴方が命を奪うのは黙認しても、命を弄ぶのは看過できません】
(さいですか。じゃあ捕縛で。さぁて、情報引き出せるだけ引き出しちゃおうねー)
相棒との相談で処遇を決めた虎太郎は、美琴に向かって手を伸ばしたが、異変を感じてピタリと止まる。
「ふっ……ふふ、くふふ……」
「………………」
「――――あっはははははははっ!! アンタは強かったけど、どうやら私の運はそれ以上だったみたいねぇ!」
「……みたいだな」
顔を上げた美琴は会心の笑みを浮かべ、虎太郎は溜息と共に彼女の言葉を認めた。
――両者は弾かれたように自身の背後を振り返る。
美琴はそのまま傷口を抑えて立ち上がり、何処にそんな体力が残っていたのかという速度で逃げ出す。
虎太郎は“蔵”からドラムマガジンの取り付けられたフルオートショットガン――AA-12を取り出して引き金を引いた。
――虎太郎の背後には、傭兵の遺体が動き出し、襲い掛かろうとしていた。
初弾で遺体の頭を吹き飛ばしたが、遺体はなおも止まらない。
仕方なく、完全に動きを止める為に、今度は四肢に向けて引き金を引く。
AA-12に装填されているFRAG-12は世界最小のグレネード弾である。四肢を引き裂く等、造作もない。
「逃がさねぇよ、間抜けが」
突如として動き出した最初の遺体に続き、周囲の遺体も続々と動き出していた。
だが、動きは生ける屍特有の緩慢さがある。何が起こっているのかは、流石の虎太郎にも判断は出来なかったものの、余裕があるのは確かであった。
逃げる美琴の背中に銃口を向ける。
AA-12は有効射程は180mとショットガンとしては破格の射程を持つ。十分に射程圏内である。
『虎太郎、避けて下さい――――ッ!』
「――――っ?!」
アルフレッドの悲鳴染みた警告の声と自身の察知能力によって、あるものを捉えると虎太郎は身を捻りながら後方に倒れ込む。
彼が視界に捉えたのは、地面から自身の顔に向けられた何らかの砲口であった。
「ぐ、ぉぉっ――――っぶねぇっ! 何がどうなってんだか、ったくよぉ」
『想定外は貴方にとって何時もの事ですよ』
「そうだった。死にたい」
砲口は黄色の閃光を放ち、虎太郎の頭部を覆っていた髑髏の仮面を粉々に打ち砕いたが、当人は無傷らしく、残った部分を脱ぎ捨てた。
虎太郎が砲口に目を向ければ、地面の中から何かが這い出してきている。
恐らくは、蜂を模した何かだろう。有機物ではなく無機物の質感と光沢を帯びたそれは、四枚の羽で一人でに浮かび上がった。
その意志のない特定の行動のみを取っているかのような姿は、かつて見た魔術師の粘土人形のようだったが、それともまた違うと虎太郎は直感していた。
しかし、それ以上に虎太郎の頭にあったのは、この蜂の操り手を何としても見つけ出し、殺さねばならないという思いであった。
何であれ、この蜂が何者かに操られていることは間違いない。例え、相手が自分を知らずとも、顔を見られるのは頂けない。
「しかし、この傭兵の死体、どういう原理で動いてんだ? 桐生姉の手術によるものか?」
『いえ、そのような記録はありませんでした。押収した研究データを再検索――――――――――これは……』
「おい、何かあったか?」
『――――死霊、騎士』
「あー! あー! 聞こえないー! オレ、今聞こえちゃいけないワードが聞こえた気がしたけど、聞こえませぇぇん!!」
『諦めて現実を受け入れて下さい』
最大級の厄ネタの匂いを嗅ぎ取り、虎太郎は喚きながら耳を塞ぐ。死霊騎士という言葉は、それほどの厄ネタらしい。
その時、自爆した洋館の一部が崩れ、燃え盛る炎の中から人影が現れる。
チッ、と舌打ちをして虎太郎はAA-12を構えるが、引き金までは引かない。
奇妙なことに周囲の生ける屍も、宙を飛ぶ蜂の模造品も、先程から微動だにせず、再び襲い掛かってくる様子を見せなかったからだ。
虎太郎が見たのは、焼死体が出来上がるまでの映像記録の逆再生であった。
炭化していた肉体は次第に肉の色つやを取り戻し、皮膚を取り戻し、爪を取り戻し、髪を取り戻す。
伝え聞いた通り、吸血鬼すら凌駕する超絶の再生能力。それもその筈、死霊騎士のそれは再生と言うよりも復元に近いのだ。
復元が完了した死霊騎士は、一糸纏わぬ女であった。
ショートボブの薄い金髪。同じく色素の薄い金色の瞳。死体のように血の気を失った白い肌。見るも鮮やかな桜色の乳首と陰部。
死霊騎士は一歩、また一歩と視線を合わせぬままに虎太郎に近づいてくる。
虎太郎も敵意のないままに無防備に近寄ってくる死霊騎士に攻撃すべきか、様子を見るべきか、迷いつつも引き金から指を外さず、気も緩めない。
そして両者の距離が2mにまで縮まると、ようやく死霊騎士が顔を上げ、虎太郎と目を合わせた。
すると、死霊騎士は驚き故にか目を大きく見開き、続いてうっとりと目を細めて陶磁器のような頬を桜色に染める。
「…………だん、な、さま」
流石の虎太郎も、死霊騎士からの旦那様呼ばわりに困惑した。
次の瞬間に、死霊騎士は意識を失い虎太郎にもたれ掛るように倒れ込んだ。
周囲で棒立ちだった生ける屍は糸の切れた人形のように摂理の輪に戻り、宙を飛んでいた蜂の模造品は土へと還った。
反射的に死霊騎士を受け止めると、その身体は虎太郎に死体そのものの冷たさを伝えてくる。
『虎太郎、分かりました』
「ちょっと、待って。嫌な予感がするの。心の準備させて。ホント待って」
『駄目です。どうやら、桐生 美琴は数ヶ月前に、あの三体と共に死霊騎士と偶然交戦し――――彼女の捕縛に成功したようです』
「へ、へぇ、やるじゃん……そ、それで?」
『その後、研究の為に記憶処理と洗脳を施したようです。その洗脳ですが、一番初めに見た人間を主人として慕うようになっているらしく……』
「――――ファっ?!」
『端的に言います―――――また厄ネタです!』
「厄ネタに厄ネタ重ね塗りとか、桐生姉ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」