「経緯としては、こんなところだな」
「事情は分かりましたけど……」
「何故、貴方はそう厄介事が舞い込んでくるんだ……?」
「うるせー、こっちも好きでやってるわけじゃないんだよ……」
授業中、アサギからの呼び出し、と言う事で校長室に向かったゆきかぜ、凜子、凜花の三人を待っていたのは虎太郎であった。用件は、授業をサボって買い物に行こうというものだった。
普段の彼からすれば、考えられない発言だ。
愚痴を漏らす。やる気もない。それでも、自らの義務や責任を投げ出さず、やるべきことはやり遂げる。それが弐曲輪 虎太郎である。
無論、他人にもそれは及ぶ。学生としての義務や責任を投げ出す輩には、随分と手厳しい言葉を投げつける男が、自ら義務や責任を放棄させようというのだから、三人は目を白黒させてしまった。
しかし、経緯を聞いて納得した。
またしても厄ネタである。しかも、最大級の。
三人に死霊騎士に対する知識はなかったものの、対魔忍が魔族を招き入れる危険性と重要性は、十二分に理解できていた。
もし、魔族――ワイトの正体がバレれば、対魔忍と言う組織自体に罅が入りかねない。組織の瓦解を予見させる厄ネタだ。
「それで、死霊騎士――ワイトだったか? 彼女の身を隠す一環として、生活用品を買いに行く、と」
「そういうことだ。女の服の良し悪しは分からん。手伝ってくれ」
「構いませんけれど、よりにもよって魔族だなんて……」
流石の凜子と凜花も、難色を示す。
手伝うのは構わない。虎太郎の決断も否定するつもりは毛頭ない。
それでも、一歩間違えば破滅しかねない綱渡りをする姿を見るなど、彼の女として見たくはなかった。
「まあまあ、二人とも、そう言わずに」
「しかしだな、ゆきかぜ……」
「そうよ。これは流石に……」
「そうですか? だって、虎太兄らしくていいと思うけど」
そんな中、ゆきかぜはにっこりと笑って、虎太郎の決断を肯定する。
彼女の言葉に、二人は閉口せざるを得なかった。もしここで、ワイトを見捨てるようならば、虎太郎は変わったということだ。
自らの受けたモノは必ず返す。誰にも変えられず、彼自身ですら曲げられない筈の“誓い”が、捻じ曲がってしまったことを意味する。
そうであれば、虎太郎にとって三人は何の価値もない存在に成り下がり、三人にとっても虎太郎は失われたも同然であった。
「それに、今の、その魔族――ワイト、でしたっけ? 今のソイツに責任を求めるのは間違っている気がするなぁ」
「…………ぐうの音も出ない、とはこのことだ」
「嫌になるぐらい正論だわ。反論のしようもないわね」
二人とて、十分理解している。
かつてのワイトと今のワイトは地続きではない。何の罪もなければ、かつての罪を追求できはしない。
何よりも、彼女の信じる正義や誇りは、ワイトをただ排斥することを拒絶していた。
命を奪う行為であれ、命を弄ぶ行為であれ、決して許されるべきではない。
自分達が正義の名の下に行っている行為とて、虚飾を取り払えば単なる殺戮に過ぎないと考えている。
自身の行為が正しかったどうかは、全てが終わってみなければわからない。自分達の末路は、自分達の
そんな二人が、如何に魔族とは言え、桐生 美琴の被害者を断罪など出来よう筈もない。
虎太郎は甘いと失笑するだろう。
この世において因果応報が薄いなど儘あると学んでいる。成果に対して正しい報酬が支払われるとは限らないと知っているからだ。
アサギは嬉し気に微笑むだろう。
例え、行為はどうあれ、その根底にあるモノは人間らしい情なのね、と。
「じゃあ、決まりですね! 虎太兄、行こう!」
「ああ、お前の計画通りに進んで何よりだ」
「……あちゃー、やっぱりバレてた。でも、止めないってことは好きにしていいってことだよね?」
「好きにしろよ。オレは誰かを支配するつもりもなければ、出来るとも思っちゃいない。お前らが危険に晒されなきゃ、止めねぇよ」
「う……虎太兄、腕を上げたんだ。今のは大変キュンときました」
「ああ、そうかいそうかい。そりゃどうも」
うんざりとかぶりを振って、虎太郎は肩を落とした。
ゆきかぜの馬鹿馬鹿しい計画に賛同こそしていないが、止めようともしていない。
気分は、心地の良い底なし沼に嵌っているようなものだった。
虎太郎にとっても、ゆきかぜを筆頭とした自分の女が、勝手に互いを管理しあってくれるのは手間が省けてありがたい。
自分と自分の女の関係が、真っ当な男女の関係から大きく外れているのを理解しているからだ。もし、管理しようとしなければ、待っているのは
その所為で、己がどんどん逃げられない状況に嵌っていくのは分かっていたが、代償としてはマシな部類だろう。
結局の所、彼の苦労は変わらない。
対魔忍を続けて苦労を重ねるのも、この現状から逃げて一からやり直すのも、背負う苦労に大差などない。それぞれに、違った苦労があるだけだ。
ならば、現状を続けた方が、まだ楽だ。ある程度は先が見えており、完全に闇に閉ざされた明日に気を揉まずに済む。
よって、身を任せる方を選んだ。
自らの選択だ。彼自身が自分自身に持つことを許した、数少ない“自身の決断”という名の誇り。
どのような結果になるにせよ、どのような結末が待っているにせよ、彼がその選択を、後悔することだけはないだろう。
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「うわ! この新作、凄くいい! 可愛い!」
「うぅむ。相変わらず、ふぁっしょんと言うものはよく分からないが、中々心躍るものがあるな」
「う~ん、ワイトさんにはこっち、いえ、こっちの方が……」
「あの、皆さん、余り騒ぐと旦那様に御迷惑が……」
五車町から車で1時間の場所には街があり、また大型のショッピングモールがあった。
交通の便もよく、バスの路線も繋がっており、対魔忍の学生達もよく利用する場所だった。
中には洋服は勿論のこと、日常生活を送る上で必要な生活用品、不必要な嗜好品が大抵は揃い、娯楽施設も数多く存在する。
ゆきかぜお気に入りのブランドショップの中で、三人はそれぞれ気に入った服を手に取り、ワイトの身体の前に宛がっては外し、宛がっては外しを繰り返していた。
ファッションに対する女の執念に気圧されてか、ワイトは困惑するばかり。
虎太郎に助けを求めて視線を向けたが、虎太郎は居心地が悪そうに両腕を組んでいるだけだった。
三人は学生服のまま。ワイトは丈の合わない男物の服――虎太郎の私服である――を袖や裾を捲っており、虎太郎はくたびれたスーツ姿。
傍目から見れば、奇妙な集団だ。邪推の一つでもしたくなるだろう。店員や他の客は、時折、訝しげな視線を向けていた。
「ほらほらワイトさんも、私達が選んだのばっかりじゃなくて、自分が気に入った服も選ばなきゃ」
「で、でも、旦那様が……」
「そういった心遣いもいいが、虎太郎がいいと言ったんだ。遠慮が過ぎれば、逆に非礼だろう?」
「…………う」
「好きなのを買え。金が有り余ってる訳じゃないが、ないわけでもねぇよ」
これではいつまで待っても埒が明かないと感じたのか、虎太郎が女性陣の会話に割って入る。
女三人寄れば姦しいと言うが、この三人はそれ以上だった。年相応の微笑ましい光景ではあったものの、彼からすればさっさと終わらせてほしい買い物であった。
男は女の買い物に付き合いきれない者が大半だ。
見るだけ見て、可愛いと言うだけ言って、時間を掛けに掛けて、何も買わないまま店を後にするなど珍しくもない。
男にすれば理解不能だ。そうまで吟味する理由が何処にあるのか理解できないだろう。もっとも、女からすれば、男の買い物など理解できなくもある。お互い様だ。
「――――え?」
「……虎太郎、見栄を張るのは良くない」
「そうです。虎太郎さんのお給料では……」
「うるせぇよ! 見栄張ってるわけじゃねぇ! 安月給だからってな、貯金くらいあんだよ! 給料のことで馬鹿にするのやめてくれない!? 死にたくなるんですけどぉ!!」
三人は揃って憐憫の表情を浮かべ、虎太郎から視線を逸らした。
そんな反応に虎太郎は青筋を立てつつも涙目になり、自らの境遇に絶望する。
彼の性質は、闇の住人に近い。思考回路、行動方針すら対魔忍のものとは掛け離れている。いや、ある意味では闇の住人からすら外れている。
しかし、こと日常生活においては、一般人と大差はない実に質素な生活を送っていた。
闇の住人のように、底無しの欲望に身を任せはしない。自身の器を越える欲望は、破滅への第一歩であると今まで目にしてきた下衆どもの末路から重々承知しているからであろう。
その為、長年、貯えてきた金がある。
よく買う嗜好品など煙草くらいのもの。酒は嗜む程度。欲しいものは特になく、必要なものがあれば、まずは造ろうとする。
最近は、アルフレッドが任務のために行っている株に一口乗っており、貯金は増える一方。恐らくは、自分の女の数が増えてきているからだろう。
「皆さんったら、もう…………私にだって、自分の趣味くらいあります」
「むむ、確かに。似合うのばっかりじゃなくて、お洒落には自分の趣味も大事だよね。ワイトさんが自分で選んだ奴を着てみたら……?」
「私達はそれに会わせましょうか。試着室がありますから、そこで」
「はい、分かりました」
「…………?」
今、この状況が楽しくて仕方がないだろう。三人は朗らかな笑みを浮かべて、ワイトを見送った。
相手が恐縮してしまいそうな配慮を見せながら、悟られないレベルの警戒を抱いてこそいたが、ワイトの様子を見る限り、杞憂に終わりそうだ。
「魔族って言っても、案外、私達と変わらないですね」
「そうね。虎太郎さんの話では、過去に手を組んだ魔族も居るようですし。意外と言えば意外ですが」
「まあ、人間とて変わらないだろう。国や宗教が変われば、途端に話が通じなくなる。余計な重荷がなくなれば、手を取るのは難しくないかもしれん」
「………………」
多くの魔族は人間を見下し、相手に圧倒的な力がなければ会話にすらならない。
しかし、魔界にも数が少ないものの、人界の社会形態に近い種族も存在する。
特に戦い、奪うばかりを続ける種族ではなく、狩猟や農耕、牧畜などを中心に生活している種族は、話が通じやすい。
ドワーフなどの高度な鍛冶、工芸技能を持つ種族、ホビットのような農耕や牧畜を中心とした生活を送る種族は、かねてより出稼ぎと称して人界にやってくることもあった。
人界でしか手に入らない鉱石、食物というものは少なからず存在する。そういった目的の品を、まともな手段で魔界に持ち帰っているためだ。
三人娘の新たな発見に魔族に対する認識を改めつつあったのだが、虎太郎は訝しげな視線をワイトの消えていった試着室に向けていた。
「……どうかしたか、虎太郎?」
「…………アイツの持ってった服、おかしくなかったか?」
「おかしい、って……人の趣味を、とやかく言うのはよくないと思うけど?」
「いや、そういうんじゃなくてだな」
首を傾げ、歯切れの悪い言葉を紡ぐ虎太郎に、三人は顔を見合わせた。
間の悪い事に、誰一人としてワイトの持っていった服を目にしていなかったのである。
これがいいと思っても、実際に着てみなければ良し悪しは分からない。顔立ちや髪型、体型も人それぞれ。万人に似合う服など存在し得ないと理解しているからこそ、ワイトに要らぬ世話を焼かなかった。
その時、試着室のカーテンが開き、ワイトが出てくると同時に、四人の視線が突き刺さった。
「ど、どうでしょうか?」
『――――凄い!!』
「そ、そうですか? 良かった……」
『いや、そういう意味じゃなく! 露出凄過ぎぃっ!!』
「えぇ……?」
試着室から出てきた彼女の姿に、四人の心が一つとなり、声が重なる。
ワイトは黒いチューブトップに、ローライズのショートパンツだけを纏っていた。
肝心な部分がギリギリ隠れてはいるが、それ以外の部分は全て見えてしまっていると言っても過言ではない。
大胆に露出した臍には銀色のピアスが見て取れる。人形のような見た目に反して、存外にパンクな趣味をしているらしい。
「ワイトさん! それ駄目な奴ぅ!」
「水着か! いや、これ、水着よりも酷いぞっ!」
「よりにもよって、どうしてそんなイケイケ責め責めの格好を!?」
「いえ、これなら、動きやすいかな、と……」
「…………おい、ちょっと待て、ワイト。後ろ見せてみろ」
「はい、旦那様、これでよろしいですか……?」
『お尻が半分ハミ出してる!?』
虎太郎の言葉に背中を見せるワイト。
ローライズすぎるパンツから、下は白くムチムチとした尻肉がはみ出しており、上からは谷間が覗けてしまう。
通りすがりの男どもはワイトの美貌と肉感的な身体に生唾を飲み込んで、遠慮のない下卑た視線を送っている。誰とて視線を注いでしまう格好だろう。
だが、これから世話を見なければならない虎太郎だけは白目を剥いていた。
こんなド派手な格好をするなど悪目立ちをしてしまう。ひいては、身元を引き受けている虎太郎自身にも邪推の視線も向けられかねないからだ。
「ワイト。お前は自分で服を選ぶのだけは禁止だ。それだけは口を挟ませてもらう」
「えぇ?! そんなっ!」
つい数時間前に言った自身の言葉を翻し、虎太郎は震え声で告げるのだった。
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「ふふふ、良い物買ってもらっちゃった~♪」
「よかったのか? ワイトだけでなく、私達のものまで」
「別に構わんよ。それに、偶にはお前等にも最低限の甲斐性くらいは見せてやらなくちゃな」
ショッピングモールからの帰り。
年季の入ったワンボックスカーの中で、虎太郎は運転席、助手席には凜子、後部座席にはゆきかぜと凜花の間にワイトが挟まれる形で座っていた。
ワイトの生活用品を買ったついでに、三人の服まで買って帰路。虎太郎は相変わらずの無表情であったが、女性陣の表情は嬉し気に綻んでいる。
効率を優先する彼ではあるが、無駄遣いも時には必要と知っている。
何より、ゆきかぜ、凜子、凜花の三名の努力と成長は著しい。虎太郎も褒美でも与えねば釣り合いが取れないと認めている。散財に躊躇はなかった。
「ん~、でもぉ、私としてはぁ、指輪も欲しいなぁ……」
「ゆ、ゆきかぜさんゆきかぜさん、それはもしかして、俗に言う給料三ヶ月分って奴ですかぁ?!」
「そんなぁ~、私が虎太兄に、そんなおねだりするわけないじゃない。でも、左手の薬指にしっかり嵌める指輪とか、女の子として憧れちゃうなぁ~」
「「………………分かる」」
「…………?」
ゆきかぜは、バックミラー越しに両手で赤く染まった頬を挟みながら、チラチラと虎太郎に視線を送る。
虎太郎は悲鳴のような声を上げ、凜子と凜花はボソリと呟いて頷いた。流石に魔族であるワイトには人界の習慣を知らないが故に首を傾げる。
給料三ヶ月分の指輪。ましてや左手の薬指に嵌める指輪と言ったら、もう一つしかないだろう。
「…………まあ、考えてはやるがな。あまり高いのは期待するな」
「え? い、いいの!? 虎太兄、私だけじゃないんだよ?!」
「何を驚いてる。お前だって、オレが受けたモノは必ず返すと知ってるだろ?
「虎太兄、そういうとこホント好き!」
「あの、ゆきかぜさん、今運転中ぅっ!!」
それほど期待しているつもりはなかったのだろう。
ゆきかぜは目を輝かせて、後ろから座席ごと抱き締める。
突然、首に手を回された虎太郎は声こそ慌てていたが、運転に何の影響も出ない辺り、流石であった。
凛子と凜花にしても予想していなかった言葉なのか。二人とも動揺から目を泳がせた。
凛子はパクパクと声も出さないままに唇だけを動かしており、凜花は肩を縮こまらせて自分の左手の薬指に視線を落として何度も擦っている。
困ったのはワイトだ。
自分だけが取り残されてしまったような気になり、理解できない焦燥を抱いてしまう。
「あ、あのっ! 旦那様……!」
「ん? どうした……?」
「え、えぇっと、その、えっと……こ、この服は、どうでしょうか?」
虎太郎を呼んだはいいが、何も考えていなかったワイトは苦し紛れの話題に後悔した。
そもそも、彼女の今着ている服は、ゆきかぜ達が選んだものであり、金は虎太郎の出したものだ。どうも何もないだろう。
何より、ゆきかぜと凜子、凜花はワイトの発言にキョトンとした表情で眺めたものの、次第にニヤニヤとした表情に変わっていく。
ワイトは心境を見透かされてしまったのに気付き、顔を真っ赤に染め上げて俯いてしまう。
「あー……? (どうでも)いいんじゃないか?」
「虎太兄、サイッテー。他に言う事ないの?」
「チッ、うるせーなぁ。…………ワイトちゃん! ちょーかわいいよー! 似合ってる似合ってる! キタコレ! ハァ……! ハァッ……!!」
「気持ち悪い」
「地獄に堕ちろ」
「ひでぇ」
フリルの着いた半袖の白いブラウス、襟には赤いリボン、膝上までの紺色のハイウエストスカート、薄手の黒いストッキングに白いローファー。
フェミニン系の落ち着いた、可愛らしい服装だ。人形のように整った美貌のワイトには、よく似合っている。この服を決めるまでに、着せ替え人形のような扱いを受けたのはご愛敬だ。
(虎太兄ね、お洒落な娘は好きなんだって)
(そうなの? でも、ゆきかぜちゃん、どうしてそんなことを……?)
(さぁ~、ワイトさんも色々大変だけど、頑張ってね? 私達、いくらでも協力するから)
(え、ええ、ありがとう)
にっこりとしたゆきかぜの笑顔に、ワイトは何故か気圧されてしまい、若干引き気味に礼を口にした。何となく、ゆきかぜの作為を感じ取ったのだろう。
ワイトは存外、ゆきかぜ達と相性が良かった。
元々、世話焼き好きのゆきかぜと凜子、凜花は虎太郎への態度が自分と似たタイプと感じているらしく、仲が良くなるのも早い。
出会って数時間で、ワイトに一線を引いた態度を取っている虎太郎よりも、親密な関係になったとも言えた。
「ん? この道は……」
「ああ、懐かしいわ。子供の頃、よく遊んだものね」
「……そうそう、凜子先輩と凜花先輩と一緒に」
「何だったら、寄っていくか? ワイトもいいか?」
「はい。皆に付き合って貰ったんだもの、私も付き合います」
三人の言葉に従い、五車町に続く山道の脇に車を止め、ガードレールを越えると一本の道が伸びていた。
林を貫く緩やかな斜面の獣道。昔から、多くの人間が通っていた証だ。もっとも、ゆきかぜ達はこの道を使用したことはないのだが、何処に繋がっているかは知っている。
林を抜けた先に待っていたのは、五車町を一望できる小高い丘の上に出た。
「ふふ、良い所でしょ?」
「………………」
丘の上には、紅紫と白の蓮華草が所狭しと咲き誇っている。
幻想的とは言い難く、牧歌的で何一つ特別なものなどない光景であったが、自然そのものの美しさが広がっていた。
多くの緑に囲まれた五車町らしい景色と風情に、ワイトは大きく目を見開いて息を飲んでいた。
「ここで子供の頃に、先輩達とよく遊びましたよね」
「ああ。ゆきかぜときたら、花の冠を作ろうとしたが、上手く行かずに癇癪を起して投げ出してしまったな」
「あら? 凛子ちゃんも造れなくて、私に投げて寄越したくせに」
「そして、二人を迎えに来たオレの脛を、凜花は無言で蹴りつけてくれたな」
「虎太兄その後、イッテェとか叫んで、坂を転がり落ちていったよね~」
それぞれがそれぞれの恥ずかしい過去を揶揄しつつも、懐かしい思い出に耽り、笑みを浮かべていた。虎太郎は相変わらずの無表情であったが。
その時、三人娘が丘からの光景を眺めるばかりだったワイトの表情に息を飲んだ。
今にも泣きだしてしまいそうな、堪えきれない何かに耐えるような表情。
何を考えているかは分からなかったものの、自分達の言葉と行動が軽率であったと悟ったのだ。
ワイトに過去の記憶はない。あったとしても、思い出せない。
記憶喪失者にとって、他者の麗しい思い出など、苦しみしか与えまい。
「……ご、ごめん、ワイトさん、軽率だった」
「――――え? あ、ああ、そういうこと? 大丈夫、気にしてないわ。ただ……」
「ただ……?」
「何だか、懐かしくて…………変ね。見た事なんて、ない筈なのに」
ワイトの発言に、三人は顔を見合わせた。
この光景が、彼女の記憶を刺激したというのなら、魔界にも似たような光景が広がっていたということでもある。
三人にとっては意外だった。
魔界に対して持っているイメージは、おどろおどろしい風景ばかりで、こうした色様々、四季折々の風景が広がっているなど考えもしなかったのだ。
「此処、また来てもいいかしら? 本当に、綺麗な所ね」
「――――……うん、いいよ。此処からの景色は、誰の者でもないから」
「おい、ゆきかぜ……」
「いいじゃないですか。此処が綺麗って思えるなら、私達、もっと仲良くなれますよ」
まるで警戒心のないゆきかぜに、凜子は苦言を呈したが、まるで効果を上げなかった。
ワイトの記憶が戻れば、何が起こるか分かったものではなく、決して明るい未来でないのは確かだ。
だが、ゆきかぜの確信めいた態度に凜子も閉口せざるを得ない。
彼女としても信じたい。少なくとも、何も知らない、何も覚えていないワイトは、凛子にとっては悪人ではなかった。
誰に甘いと誹りを受けようとも、ここでワイトを手に掛けようものなら、生まれたばかりの彼女の細やかな望みすら摘み取ろうものならば、彼女の信じる正義が破綻するも同然だからだ。
凜花はいいのかと問うように虎太郎を見たが、彼は顎に手を当てて考え込んでいた。
(魔界と此処が似た風景だと? ありえねぇだろ、それは)
虎太郎が魔族から絞り上げた魔界の情勢と照らし合わせても、まずありえない。
屍の王と眷属足るレイスは極めて閉鎖的な種族で、他種族との交流は無きに等しい。
自らの領地に眷属以外の者が足を踏み入れようものなら即座に殺し、お得意の能力で生ける屍として送り返すらしい。
常に何処かの勢力に戦争を仕掛けており、戦線が膠着状態に陥ることはあっても、休戦や停戦などありえないようだ。
そもそもが不老不死の種族である。
そうした無茶苦茶な行為も可能なのであろうが、多くの魔族はこう語る。
――屍の王の戦争に意味などない。だからこそ、奴を敵に回してはならない。
戦争は大抵の場合には、何らかの欲望や情が絡むものだ。
軍需産業の拡大。自らの領土の拡大。領民に行われた非道への制裁と抵抗。
理由はどうあれ、戦争に支払われる犠牲はどうあれ、戦争には意味も意義もある。
けれど、屍の王の戦争には何もない。ただただ虐殺と残虐があるのみ。
そんな王の領地が、まともな筈もない。自然など何一つ残っていないだろう。
通常であれば、民は暴虐を尽くす王に抗うであろうが、レイスは不老不死。どのような環境であれ、死ぬことはない。不満など何もないだろう。
もっとも魔界の王はそんな王ばかりであるが。
基本的に弱肉強食が魔界の掟。不平不満を漏らすことはあれど、強い者には逆らわないし、逆らえない。
そんな世界だ。極一部の地域を除いて、魔界の自然は瘴気と戦争によって、人界のそれとは大きく違ったものになっている。
だからこそ、ありえない。ワイトが、この光景を懐かしがるなど。
「あの、旦那様も、よろしいですか……?」
「あぁ? 構わねぇよ。言ったろ、お前のことは最低限お前が決めろってな。お前が選んで、お前が決めた事だ。オレが口を挟むつもりはない」
「ありがとうございます……!」
「やったね、ワイトさん!」
「ええ、ありがとう、ゆきかぜちゃん」
両手を合わせて笑い合うゆきかぜとワイトの微笑ましい光景に、凜子と凜花は笑みを漏らした。
虎太郎は二人に視線を向けつつも、見てはいない。何を考えているのか、何を感じているかも分からない鉄面皮だ。
(屍の王、レイス、死霊騎士――ワイト、か。奴等が人界に進出し始めた以上、敵対する可能性は高い。念には念を入れて調べておくか。オレは殺されりゃ死んじまう、弱い人間様だからな)
虎太郎の有する不死殺しの手段、或いは無効化・無力化する手段は、数多く存在する。
しかし、レイスとの戦いを見越せば、それでは足りない可能性もあり、不死の種類によっては効果を期待できない可能性も高い。
呆れ返る警戒心であるが、彼が生き残れた最大の理由であり、不死殺しを成し遂げた最大の理由でもある。
この世で最も悪辣な対魔忍は、毒蛇よりも恐ろしく、毒蜘蛛よりもおぞましい