「おい、桐生の解析が終わった。照らし合わせるぞ。お前の意見も聞かせろ」
『おや、ワイト殿と仲睦まじい生活を送っている虎太郎ではないですか。一週間も私の事を放っておいて、随分と都合が良いですね』
「お前な、スネんなよ」
『……………………………………………………………………………………………………………………………………スネてません』
「そのクソ長ぇ間はなんだよ、アルくぅぅん! 間が長すぎんよぉ!!」
一週間、ワイトの面倒を見通しだった虎太郎であったが、桐生による死霊騎士の研究と解析は一段落ついたらしく、こうしてミーティングルームを訪れた。
しかし、部屋の主が訪れたというのに管理者はいい顔をしなかった。彼には顔などないが、声色と態度が全てを物語っている。
虎太郎がワイトを助けることに、相当、思う所があるようだが、積極的に手を貸さなくとも、積極的に口を挟みも手も出さないところを見ると、否定だけをするつもりはないらしい。
相棒の性質上、難儀で厄介な“誓い”を理解しており、また生命の営みを肯定する彼のこと、否定などしよう筈もない。ただただ、不満だけが募っていくのである。
「まあいいが。それよりも、極秘回線1908を開け」
『承知しました。繋がります』
『おやおや、魔術師の
「何を言ってやがる。毎回、これで連絡取ってんだろうが。老人だろうが新しいモノに順応してかなきゃ、単なる老害呼ばわりされちまうぜ」
『全く、口の減らない坊やだよ。何が酷いと言って、容赦のない正論である辺りが一番酷いねェ』
『お久しぶりです、ノイ様』
『アンタはいつも礼儀正しいねぇ、アルフレッド。そこの坊やに、爪の垢でも煎じて飲ませてやったらどうだい?』
『生憎ですが、爪も垢もない身ですので』
ミーティングルームに映し出されたのは、皺くちゃの老婆だった。
一見すれば優しげな皆のお婆ちゃんといった風情ではあるが、その実態は違う。
ノイ・イーズレーン。
アミダハラ随一の魔術師にして、アミダハラの闇を司る魔術師組合の重鎮中の重鎮。
アミダハラのどんな悪党であっても逆らおうとせず、黙って道を開ける凄腕魔術師。
出身は魔界であるらしいが、正確な種族は不明。
若かりし頃は随分と派手な活動をしていたようだが、人界にまでは伝わってきていない。
普段はアミダハラで観光客相手に小さな土産物屋を営んでおり、様々な意味でアミダハラの顔役となっている老婆である。
『それで、今回は何の用だい? 坊やに法外な安値で売っているノイ特製の魔術品は、まだストックがあるはずだけどねぇ』
「ふん。それに見合うだけの働きはしただろうが」
『ふむ、その通りさね。だからこうして、坊やには頭が上がらないのさ。それとも、あの子達の――――』
「老人の長話に付き合うのは面倒だ。本題に入るぞ――――屍の王とレイスについて聞きたい」
孫に対して行う世間話をバッサリと斬り捨て、虎太郎は本題に入る。
アミダハラ随一の魔術師であっても、彼にしてみれば、警戒には値するものの、恐れ敬う存在ではないらしい。
屍の王とレイスと言う言葉を聞いた瞬間、ノイの糸のように細められていた目が、右側だけ開かれる。
彼女ほどの魔術師であっても、軽く流せるものではないようだ。
『また坊やと来たら、特大の厄介事だね。趣味なのかい?』
「冗談だろ。アンタのところの自信過剰の地雷二人と一緒にするな。オレが自分から厄介事に首を突っ込む訳あるか」
『だろうねぇ。坊やの場合は、何もしていなくても厄介事が交通事故を起こしに来るからねぇ』
(…………死にたい)
ノイの自分への認識を聞き、毎度のことながら忘れようとしている自らの境遇を白目で嘆く虎太郎。
彼の場合、無駄に噛みつき、無駄に弱味を突いた発言をするよりも、単純に彼の境遇を憐れむ発言の方が精神的なダメージが大きいようだ。業が深い。
『しかし、屍の王かい。また危険な奴を相手取ったものだよ』
「明確な敵対関係にある訳じゃない。だが、色々と優位に動かにゃ死ぬのはこっちだ」
『その両の瞳がありながら、呆れた警戒心だよ。だが、坊やには返しきれない恩がある。聞かせてあげようか、悍ましき屍の王の成り立ちを』
気が遠くなるほどの大昔。
魔界では、今と同様に
日に日に増えていく犠牲者の数。日に日に高く積まれていく死体の山。多くの死と憎悪が積み重なり、流れる血は河と化す地獄絵図。
戦場には死臭のみならず、腐臭までもが漂い始め、多くの兵士が病に倒れた。そんな時、ふと誰かが思い立った。
――この腐臭も病も、死体のせいだ。焼けば敵に野営地を掴まれかねない。ならば、河に流してしまおう。
呆れ返るほどの短絡さ。死者に対する手厚い見送りも、自然に対する敬意すら投げ捨てる冒涜の極み。
けれど、彼等は簡単な道理にすら気付かない。魔族は傲慢極まる者の集まり。そもそも、冒涜などという言葉があるかも疑わしい。
ある軍勢が死体を河に流し始めると、他の軍勢もまたそれに倣った。
清流であったはずの河は死の穢れに満たされ、其処に住んでいた生き物すらが死体として水面に浮かぶ有り様。時に、多過ぎる死体は河の流れを堰き止めたほどであった。
積み重なり過ぎた死体は、腐肉が崩れ、骨は散逸し、水底へと溜っていた。余りにも多すぎる無念と憎悪と共に。
そして、淀み溜った腐肉と骨によって象られた水底から、屍の王が現れた。
――生きとし生ける者全てに向けられる、果てのない憎悪を携えて。
「それが“
『“屍の王”は数ある王の中でも異質で危険な存在さ。いくら神話級の魔族でも女の胎から生まれてくる。そうでなくても、魔界を作った“
「魔界の創造主ですら予期しなかった生命体。いや、その話が本当なら、始めから
『…………もう少し、こう、反応と言うか、怯えた感想でも言ったらどうだい?』
「屍の王ってだけあって、凄く臭そう」
『――――はぁ』
今の話を聞いて、何処をどう感じれば、そんな感想が出てくるのか。
普通に考えれば、怯えや脅威を覚え、警戒するところだろうが、虎太郎には一切変化は見られない。
決して、怯えていないわけでも、脅威を感じていないわけでも、警戒していないわけでもない。ただ、表に出ていないだけ。
頭の中では、凄まじい勢いで対策を立てている最中だ。この男の恐ろしい所である。
他者に警戒をさせないために、完璧に無警戒を装う。相手が虎太郎が警戒心の塊であったと知るのは、全てが手遅れになった時だ。
『私が知っているのは、そのくらいだね。屍の王にせよ、レイスにせよ、極端に排他的なのさ。普段は自分の領地に引き籠って、決して出ようとしない、戦争以外ではね。だから、そこでどんな生活を送っているのかも、よく分からないよ』
「そうか。それさえ分かれば十分だ。あとはこっちで調べるからよ。助かった、礼を言う」
『あれ? お婆ちゃんが、そんな機械を――――って、ことは虎太郎よね!? ちょっと、貸して、アイツに言いたい事があるのよ!』
『はぁ!? あの馬鹿人間が通信?! 冗談じゃない! あんなド外道とアンネローゼを喋らせられない!』
その時、通信機の向こう側から、若い女の声が聞こえてきた。
ノイが何とか二人を諫めようとしたのは窺えたが、相当頭に来ていた二人を止められる筈もなく、画面に手振れが発生し、次の瞬間――
『ちょっと、こ――――』
『この、馬鹿―――――』
――黒髪の女と青髪のメイド服の女が僅かコンマ数秒だけ画面に映り、虎太郎の通信終了の操作により、あえなく画面は漆黒に染まった。
『良かったのですか?』
「え? 何が? 会話する必要もない、会話をする有用性もない、そもそも会話にならない連中と話す必要性ってあるのか?」
『安定のドライモンスターぶりですね。そんなことだから、貴方は人に嫌われるのです』
一方的な通信終了に、彼は一切悪びれる様子もない。
虎太郎が話したかったのはノイであって、必要なのはノイの知識だけだった。
一瞬だけ画面に映った二人は、神村や佐久のように、虎太郎にとっては最前線に放り込む使い方しかできない戦闘要員でしかないようだ。
いや、対魔忍ではない二人だ。余計に性質が悪いと言える。何せ、彼女等の正義は、極めて自己中心的なものだからだ。
「さて、次はコイツだ」
虎太郎は二人への仕打ちを光の速さで頭の中から排出し、手にした端末を画面に向かって振るとあるデータが映し出される。
桐生 美琴及び桐生 佐馬斗の姉弟が調べ上げた死霊騎士に関するデータであった。
『これは……』
「まずは桐生 美琴の方だ」
どうやら、レイスという種族は主――屍の王からの命令に、抗いがたい甘美な魅力を覚えるらしい。
決して忠義、忠誠から生まれる魅力、ではない。レイスという種そのものに、そのような生理的な機能があるのだ。
つまり、通常のプロセスとは真逆なのだ。
何者かを心酔し、忠誠を誓ったからこそ、命令に魅力を覚えるのではない。
命令そのものに魅力を感じるからこそ、屍の王に心酔し、忠誠を尽くすのだ。
何と歪な主従関係だろうか。
これならば、まだ不死の王と魔界騎士の主従の方がマトモと言える。少なくともイングリッドはブラックの命令に魅力など感じずとも、忠義は尽くすだろう。
『つまり、桐生 美琴は、この生理機能を魔界医療による改造で利用し、虎太郎を主人と認識させたのですね』
「らしいな。だが、一つだけ疑問が浮かんだ。自分の眷属とはいえだ、こんな機能、持たせられると思うか?」
『どう、でしょうね。少なくとも、自然交配では無理でしょう。代を重ねるごとに遺伝子とは変化するものです。おかしいと言えば、おかしいですね。屍の王の特殊な能力と考えれば不思議ではありませんが』
「その通りだが、婆さんの話を聞いて確信した。もっとも、婆さんの話が事実なら、だがな」
『どういうことです?』
「これを見ろ」
先程の同じ動作をすると、また別のデータが転送され、モニタに映し出される。
一般人にはそれが何であるかは直ぐには理解できなかったであろうが、元々答えを知っている虎太郎と地球史上最高のAIであるアルしかいない。理解できぬ筈がなかった。
『塩基配列ですね。このタイミングで出すと言う事は、ドクター桐生が調べた死霊騎士ワイトのものですか』
「ああ、そうだ。一見すれば、人間と大差はないが―――拡大すると……」
『これは……?!』
虎太郎がパンと両手を合わせてから広げると、モニタに映し出された塩基配列の画像データが拡大される。
それに、アルフレッドが愕然と声を漏らす。彼にしてみれば、我が目を疑うような光景であったのだろう。
――拡大された塩基配列には、ビッシリと何らかの呪文が描かれていたのである。
「アル、この呪文に見覚えはないか」
『……あり、ます。拷問用の呪詛。対象を決して死なせぬように魂を縛りつける最上級の不死の呪い。あの呪詛に文字も配列も酷似しています』
「ああ、その通りだ。そして、これがレイスの不死性の正体であり――――」
『――――レイス達が、屍の王の命令に魅力を感じる理由というわけですか』
下らねぇだろ? とばかりに肩を竦め、アルフレッドの漏らした呻きのような言葉を虎太郎は肯定する。
余りにも悍ましい。
レイスの不死の正体は、遺伝子レベル、分子レベルにまで及んだ規格外れの呪詛による身体改造だったのだ。
こんな改造が可能なことも、自らの眷属に呪詛レベルの改造を実行したことも、屍の王の悍ましさに拍車をかけているようなものだ。
「本当にそうか?」
『――――え?』
「さっき婆さんの話を聞いて確信したって言ったろ? あの話が事実なら、屍の王はまっとうな生命体じゃない」
『……虎太郎、待って下さい』
「真っ当な生命体じゃない奴が、ガキなんて造れると思うか? 死体はガキを作れねぇよ」
『…………で、は』
「ああ、多分だけどな。レイスってのは種族でもなければ眷属ですらない。屍の王が死体をベースに好き放題、遊んだ結果だろうよ。奴の玩具ってわけさ」
ケタケタと笑いながら、虎太郎は残酷過ぎる結論を告げた。
酷い話もあったものだ。
レイスの正体は、被害者のまま加害者となった者達の総称。自らの死の要因となったであろう屍の王に、死後まで弄ばれた犠牲者だと言う。
無論、全ては事実であればの話である。
しかし、アルフレッドにしてみれば、出来れば事実であって欲しくはない。
余りにも酷過ぎる。余りにも悲し過ぎる。そんな残酷が存在するなど、彼にしてみれば、あって欲しくはないだろう。
「そうすると、何で屍の王がブラックに喧嘩を売るのかも説明がつくし、ブラックが屍の王と不死同士で不毛な争いをしないで、人界をふらついているのかも説明が付くんだよなぁ」
『既に屍の王が何を考え、何を目的としているかも分かったと?』
「さあ、そこまでは直接見にゃ分からんさ。だが、確信に近くはあるがな。下らねぇ下らねぇ、ブラックも屍の王も、一山いくらの魔族と大差ねぇ。結局、
虎太郎が見せたのは、ブラックと屍の王に対する本気の、心からの哀れみだった。
多くの魔族は
だが、虎太郎に言わせれば、それは読めないのではなく、知ろうとしないだけだ。
少なくとも不死の王と屍の王の心の内に限れば、限りなく正確に把握できている、と、らしくもない自信まで抱いており、少し考えれば分かる程度のものでしかない。
「そんな浅い連中は、好きにやらせておいてだ。こっちはこっちで、準備を整えるとするか」
『何の準備ですか?』
「ワイトに関してさ。アイツは今、真っ新な白紙の状態だ。どう転ぶのか、まるで読めない。だから、準備するのさ」
『殺す準備をですか?』
「
先程までアルフレッドはワイトに対して嫌悪感しかなかった。それは、彼が最も嫌う命を弄ぶ存在と考えていたからだ。
しかし、虎太郎の言葉を信じるのであれば、ワイトもまた命を弄ばれた被害者に過ぎず、同情に値する存在と言える。
彼も、自分自身の掌返しに呆れ返るばかりであったが、無慈悲に策謀を巡らせる虎太郎には、電子音声が冷たい響きを帯びていくのを抑えられなかった。
「さて、もう一度婆さんに繋げ。そろそろあの地雷女二人も帰った頃だろ。今頃はオレへの怒りを、目に付く気に入らん連中に向けて、刀と斧で
『…………分かっているのなら、犠牲者を出さない為に、あの二人と会話をしたらどうです?』
「やだよ、あの二人と関わること自体が厄介事でしかねぇからな。阿呆臭い。それに、アミダハラに住んでる連中が死んでもオレは困らん。犠牲者なんて言わないね。自業自得だ、自業自得」
何とか、虎太郎が話すのも面倒と断ずる二人のフォローを入れようとしたアルフレッドであったが、二人の性格を思い出し、閉口した。
客観的に見て、アルフレッドでもフォローは出来なかった。あの二人は悪党ではないが、正義の味方でもない。ある意味で、無法都市アミダハラに相応しい住人だからだったからだ。
(それから、ワイトについては、まだ気になることもあるし、調べておくか)
―――――
――――
―――
――
―
「はぁ…………私ったら、本当に何も出来ないのね」
虎太郎が五車学園でアルフレッドと策を張り巡らせている時、保護対象であるワイトは、五車町の目的の場所に向かって溜め息と共に歩いていた。
今日の服装は、凜花の選んだものだった。
タートルネックタイプの白いニットワンピースに、灰色のカーディガンを羽織り、黒いニーソックスにロングブーツを履いていた。
但し、ワンピースの丈はやたらと短く、ニットのお陰で出る所は出ている。女らしさを前面に押し出した格好である。
道行く男達は思わず振り返り、女であってもワイトの美貌に驚いているようだった。
今現在、ワイトは虎太郎の親類、という扱いで通っているが、やはり余所者という印象が強いのだろう。嫌でも目を引いてしまう。
当の本人は好奇と好色の視線が、一切気にならない程に落ち込んでいた。その原因は、多くの失敗によるものだ。
ワイトとしても、仕えるべき主人である虎太郎の世話に成りっぱなし、というのは耐えられなかった。
せめて、少しでも虎太郎に対する恩を返そうと、出来る事をしようと思い立ったのが、家事であった。
入れ替わりで虎太郎の家を訪れ、家事を行っては帰っていくゆきかぜ達の姿を見て、これなら何とか、と思っての行動であったが、甘かったとワイト自身も認識している。
掃除をしては物を破壊し、洗濯をしては洗剤の量を間違えて泡を溢れさせ、料理をしては食材を黒焦げにする始末。
ゆきかぜ達は苦笑いを浮かべて、次に頑張ればいいと励ましてくれたのはありがたかったが、それ以上にへこむ出来事があった。
何よりも堪えたのは、虎太郎が失敗に対して怒りもせず、ただただ呆れた表情をして眺めていたことだ。
虎太郎しかいないワイトにとって、何よりもショックであった。
尊敬や崇拝している対象からの呆れは、叱責よりも辛い。怒られた方がまだマシだろう。
それでも凜子や凜花、時折訪れる不知火の指導もあって、徐々にではあるが、成長はしている。
初日に食器棚を倒した大惨事に比べれば、今日の被害は引き戸のガラス一枚と、一週間で大した成長と言えよう。もっとも、彼女は納得していないようだが。
「――――やっぱり、此処は落ち着くわね、ふふ」
ゆきかぜに教えて貰った蓮華畑のある、五車町を一望できる小高い丘の上が、ワイトのお気に入りの場所になっていた。
どういう訳か、この場所は酷く落ち着いた。叫び出したくなるほどの清々しい気分と同時に、胸を締めつける寂寥の念が溢れ出してくるにも拘わらず、生まれる前から此処を知っているかのようだ。
そして、悩むのにも此処が良い。
何せ、他に人など来ないのだ。少なくとも、ワイトは此処で人と出会ったことはない。
「…………嫌な、女」
ポツリと吐き出したのは、他ならぬ自分自身への悪罵であった。
自分は恵まれている。
記憶を失い、自分が何者かも分からなくなった。
けれど、傍には愛しい主人が在り、手助けをしてくれる人々がいる。なのに……――――なのに、主人以外の人間に対する嫌悪感は、なんなのか。
その嫌悪感は、虎太郎以外全ての人間に当て嵌まった。
まるで、虎太郎以外の全てが、動いているだけの腐乱死体であるかのよう。
臭いも、仕草も、行動も。全てが等しく、薄気味悪い。吐き気を催すほどに醜く感じる。
酷い勘違いもあったものね、とワイトは一人心の中で呟いた。どう考えても、醜いのは自分自身だったからだ。
ゆきかぜも、凜子も、凜花も、不知火も。皆は誰もが持っていて当たり前の優しさと良心に従って行動している。
それを否定しようとする自分の性根こそが腐っている、と考え、ワイトは一際大きく落ち込んだ。
(もしかしたら、記憶のある頃の私は……)
「…………ひぐっ」
「…………?」
最悪の想像を掻き消すように被りを振ったワイトであったが、その時、誰かが鼻を啜る音に、首を傾げた。
辺りを見渡すと、蓮華畑の中で小さな女の子が俯いて座り込んでいた。理由は定かではないが泣いているようだ。
チッ、と舌打ちをしたワイトは足早にその場を立ち去ろうとし――――脚を止めた。
確かに、一人になりたかった所を邪魔されて、気持ち良くはない。そもそも、相手は見ず知らずの子供、関わる必要もない。
けれど、この場を黙って立ち去ることは、人からの優しさで生きている自分に許されることなのか。ゆきかぜ達がくれた優しさを否定することに繋がるのではないか。
そんな考えと正体不明の嫌悪感の板挟みの中、ワイトは自分で自分の行いを決定した。
「…………どうしたの?」
意を決して泣いている少女に近づき、顔へと嫌悪感が浮かばぬように、必死で笑顔を作り、声を掛ける。
少女はワイトを見上げると、ようやく自分を見つけてくれたと言わんばかりに、大粒の涙を流し始めた。
困ったのはワイトの方だ。何せ、何の記憶もないのである。子供のあやし方など分かる筈もない。
――だが、ワイトは自分でも驚くほど自然に少女を膝の上に乗せると、少女の背中を撫でていた。
自分でも困惑していた。
折角、良い人達に選んで貰い、愛しい主人に買って貰った服が汚れてしまうにも拘わらず。
今し方まで嫌悪感しかなかった少女に対して、こうまで優しくしていることが。
しかし、ワイトの困惑とは裏腹に、少女は優しい手付きに泣き止み、鼻を啜るだけになっていく。
「何があったの? こんなところに一人で……」
「うぅ、……ぐすっ、お父さんとね、お母さんがね……」
少女は、子供特有の警戒心の無さで、見ず知らずのワイトに向かって、事情を話し出す。
ポツポツと途切れ途切れの口調による話は、要領を得なかったが、要約すると、簡単だった。
少女の父と母は厳しい人物であるらしく、事ある毎に対魔忍――ワイトは対魔忍がなんであるか分からなかったが――としての修行を課すらしい。
大好きな花集めも、親しい友人とも碌に遊べず、子供には辛い毎日を送っているようだ。
「そう、大変ね。でも、きっとお父様も、お母様も、貴女のことを想って厳しくしているのよ」
「分かってる、もん。……お父さんも、お母さんも本当は、優しいもん。でも、だから、辛いんだもん」
少女は警戒心こそ薄かったものの、心の機微には聡いようだ。
子供とは往々にして、そういうものだ。大人が思っているほどに疎いわけではない。時には独特の感性で、大人よりも鋭く真実を口にすることもある。
「じゃあ、どうしましょうか。このまま、貴女を一人にして帰れないし…………そうね。一緒にお願いしに行ってみましょう? きっと分かってくれるわ」
「本当に? いいの?」
「ええ。まだ時間もあるから。付き合ってあげる」
今までの泣き顔は何処へ行ったのか、少女はようやく得た味方にニパっと顔を輝かせた。
コロコロと変わる表情に、ワイトは柔らかな笑みを浮かべると、少女を膝から下ろして立ち上がり、手を差し出す。
少女は何の躊躇もなくワイトの手を取り、ぎゅっと握り締める。
その手の温もりと小ささに、大きな驚きと小さな喜びを覚え、ワイトは手を握り返す。
「私はワイト。ただのワイトよ。貴女は……?」
「私は、
ようやく名前を明らかにした二人は、笑みを浮かべて丘を下っていく。
ワイト自身、気付いてはいなかったが、既に少女に対する嫌悪感はなくなっていた。あるのは、少女に対する優しさと一握りの不安だけ。だからこそ、少女もあっさりと心を開いたのかもしれない。
そして、ワイトの不安とは――――
(わ、私に、この子のご両親を、説得できるのかしら……?)
――優しさを優先し過ぎて、後先の事を考えていなかったことだった。
案の定、見ず知らずの女が娘の手を連れてきた事実に両親が混乱から二人に対して説教をし始め、少女は大泣き、ワイトは涙目になるのだが、それは別の話。
たまたま通り掛かった不知火が、顔見知りの両親を諫めるのも、また別の話だ。
今ここで重要なのは、“屍の王”にただ従うだけの