※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『これが! これが! 苦労人の本気(のおちょくり)だ!』

 

 余りにも深く、余りにも濃い瘴気が工場を満たしていく。

 常人ならば肉体、精神共に変調をきたす次元の濃度。

 

 その中心に立つのは屍の王。

 水底に沈んだ数多の死体と怨嗟の声から生まれ落ちたとされる、魔界の神ですら予期しなかった存在。

 

 立体を持った人型の闇。

 最早、そのように表現する他ない。

 

 

「――――…………」

 

 

 突如として現れた屍の王が、まず行ったのは裏切者の始末であった。

 

 ワイトはあの瞬間、確かに選んだ。

 屍の王への忠誠と萌音に対する想いを天秤にかけ、自らの(いし)で萌音の側へと傾けた。

 

 ワイトに裏切りの認識はなかった。ただ、自らの願いを口にしただけだ。

 だが、屍の王にとっては明確かつ度し難い裏切りのようであった。

 

 

「が……っ、……ぶ…………」

 

 

 ワイトは腹に開いた大穴だけでなく、口や鼻からも血塊を吐き出している。

 ただでさえ冷たい身体からは、血液と共に熱が失われていく。

 

 まずありえない事態である。

 レイスは不老不死の肉体を持つ種族。中でも死霊騎士は、極めて高い身体能力と再生能力を持つ。

 人間ならば即死に至る傷であっても、彼女たちにとって致命傷にはなり得ない。

 

 しかし、今回は違っていた。

 ワイトの身体からは命――と言っても、生まれを考えれば命と呼んでよいのかは疑問であるが――が失われつつある。

 

 出血だけではない。ワイトの身体はゆっくり、ゆっくりと手足の先から腐り、干乾び、風化している。

 このままでは五分としない内に、ワイトの身体は塵と化すだろう。

 

 

「ワイト、貴様を真っ当な節理へと返してやる。何一つ得られないまま、絶望と共に死ね。裏切者には相応しい末路だ」

 

 

 もし仮に、虎太郎の推測が的を射ていたのなら、ワイト――どころか、レイスと呼ばれる種族は、屍の王に死体から造られた玩具だ。

 屍の王こそがワイトを造り出した。ならば、不老不死であるはずのワイトを殺すことも決して不可能ではないだろう。

 

 死霊騎士の不死の秘密。その根幹は、呪詛にこそある。

 肉体――それも血や骨ではなく塩基配列にまで刻まれた最上級の不死の呪い。

 呪いは魂を縛り上げ、魂を肉体に固着させる。肉体がある限り魂は天へ召されず、魂がある限り肉体は不滅。

 

 その呪いを(ほど)いたのだろう。

 呪いによって捻じ曲げられた節理は、解呪によって真っ当な流れへと戻る。

 何十年、何百年と経った死体がどうなるか。ワイトの行きつく先は、そこだった。

 

 

「――――あぁ」

 

 

 崩れていく手足に、猛烈な寒さに襲われる感覚に、ワイトは悲鳴すら上げず、諦念の吐息を漏らす。

 

 死霊騎士が必死になって屍の王に仕えるのは、何も抗いようのない甘美な悦びを求めるだけではない。

 この恐怖、この結末を回避する為にこそ、全てを捧げて仕えているのだ、とワイトは悟った。

 

 しかし、彼女に恐怖はなかった。寧ろ、当然と考えていた。

 死霊騎士の裏切者など、存在してはならない。存在してはならない以上は殺されて当然だ。

 だが、それ以上だったのは、裏切者という汚名ではなく、臆病者という羞恥。

 

 あの時――ウィスプが、萌音を手に掛けようとした瞬間、何をしていたか。

 何もできなかった。何も、しなかった。屍の王への忠誠と萌音に対する想い、自身にとってどちらがより重かったのかなど、答えは出ていた筈なのに。

 

 裏切者の臆病者には、相応しい末路。

 萌音に対する多くの無念と悔いを残しながらも、避けようのない破滅を受け入れて――――

 

 

「…………ふ、ふ」

 

 

 ――――ふと、目に入ったモノに、思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 視界に映ったのは、仮面に覆われた顔で自分を見下ろす虎太郎であった。

 何の動揺もなければ、何の迷いも見られない。最早、死霊騎士ですらなくなり、死体へと戻ろうとしているワイトに声すらかけない冷酷無慈悲な態度。 

 

 ワイトも、ようやく気付いた。

 違う、これは違う、と。何もしないのではなく、何かを待っているだけだ、と。

 

 思えば、虎太郎は何時でもこれだ。

 自分の意志を優先するが故に、相手の全てを否定しているように見えるが、そこには確かな尊重があった。

 

 

「…………たす、け……て」

 

「――――――任せておけ。お前を奴から奪ってやる」

 

 

 ワイトの懇願に、虎太郎は静かに頷く。

 冷たくなっていく手を重ねるその姿は、命に対する確かな優しさがあった。

 

 

「く、は、はははははっ! 任せておけ? 任せておけだと? 何を任せると言うのだ。卑小で愚劣な人間に、私を越える(わざ)があるとでも言うのか!」

 

 

 屍の王の哄笑が響く。

 

 ある訳がない。

 死人を一時的に蘇らせる反魂の術、それに近い何らかの能力を保有している者は居るかもしれない。

 だが、あくまでも一時的なものだ。屍の王のように、己の意志で恒久的に死者を生かし続けることは不可能である。

 

 

「――――はぁ」

 

 

 己を嘲笑う屍の王に対して虎太郎が見せたのは、怒りですらなかった。ただただ大きな溜め息をついただけ。

 

 その溜め息に、屍の王の笑いがピタリと止まった。

 溜め息にも色々と種類があるだろう。安堵に疲労――そして、呆れ。

 誰が耳にしても、虎太郎の溜め息は、大きな呆れを含んだものだった。

 

 虎太郎の溜め息と態度は、屍の王の琴線に触れた。

 何一つ出来ず、助けを求めるワイトを救えず、ただ眺めていることしかできない人間風情が、この私に愚かな感情を向けるなど、あってはならない、と。

 

 

「おい、不死者というものは知ってるか……?」

 

「…………何?」

 

 

 虎太郎は余りにも唐突に、この場、この状況にそぐわない話題を口にした。

 

 不死者とは魔女の使役する奴隷である。

 魔女の扱う魔法は、効果が大きければ大きいほど、威力が高ければ高いほど、発動までに時間が掛かる。

 使用する魔力は多くなり、組み上げなければならない術式は複雑化し、唱える呪文も長くなる。

 

 敵前でそんな隙だらけの姿は見せられない。だが、そうしなければ敵を倒せない。

 

 この欠点を補うため、古の魔女が生み出したのが不死者だ。

 対象の魂を自らの身体に取り込み、自らの力の一部を分け与えることで不死とする。

 簡単に言えば、魔法を発動させるまでの時間稼ぎ役、或いは肉壁と言ったところか。

 

 但し、魔女と対象の魂の相性が良くなければ、魔法自体が成立しない、という欠点も存在しているが。

 

 無論、屍の王はその程度のことは知っている。

 過去、戦った強者の中には、戦争を仕掛けた相手の中には魔女もいれば、魔法魔術に精通した種族も居た。

 その最中で、確かに不死者と呼ばれる存在を目にした、聞きもした。

 

 

「それがどうした? 異界の存在と契約を交わし魔術師となった訳でも、生まれ持った強大な魔力で魔法を収めたわけでもない貴様に、何が出来る?」

 

「その通り。この状況は流石に予測していなかった。オレには何も出来ない」

 

「ふっ、ならば――――」

 

()()()()、な」

 

 

 己には何も出来ない。虎太郎は嘯きつつも、髑髏の下で笑みを浮かべる。

 

 屍の王の襲来など、本当に予期していなかった。

 精々あったのは、別の死霊騎士を送り込んでくる可能性程度のもの。

 そもそも組織、集団の長が裏切者の始末に自ら乗り出すなど、笑い話にもなりはしない。

 

 何処かの不死の王ならばやりかねないとは思っていたが。

 屍の王も虎太郎にしてみればブラックと同類項の愚か者と認識された記念すべき瞬間である。

 

 そして、この状況を予期していなかったとしても、この状況を何とかできる手段を用意はしてあった。

 

 

「生憎だったな、屍の王。オレは異界の神と契約を交わしちゃいないが――――人の世で生まれた機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)が憑いてるんでね」

 

【ついている、のニュアンスが少々引っかかりますが、今回は聞き流してあげます】

 

(どうもー。この馬鹿に、目にもの見せてやれ)

 

【承知しました】

 

 

 屍の王には聞こえない会話を交わす。

 

 ――次の瞬間、虎太郎を中心に巨大な魔法陣と無数の空間ウィンドウが浮かび上がる。

 

 正確には虎太郎を中心に、ではなく、アルフレッドの端末を中心に、である。

 アルフレッドの存在を知らぬ屍の王には、そのようにしか見えなかっただろう。

 

 アルフレッドは異界の神に等しい存在だ。

 多分に我流を含むものの、不死者を造り出すメカニズムを解明し、自分なりの方法で再現するなど造作もない。

 加えて言えば、この発想はアルフレッドによるものではなく、虎太郎によるものである。

 

 虎太郎が着目したのは不死者を造り出す過程で、対象の承認や了承など、まるで関係がないという点であった。

 言うなれば強制契約のようなものだ。本来、魔法における契約は互いの同意が必要不可欠であるが、この不死者を作成する魔法は別であった。

 

 ――なら、この魔法を巧いこと改造すれば、相手の魂を一方的に奪えるんじゃね?

 

 不死者を造り出すことが目的ではなく、相手の魂を奪うことこそが虎太郎の目的であった。

 魂を奪ってしまえば、強制的な主従関係を構築できる。その上、何者であれ、魂は無防備――つまり、強敵の封殺と不死殺しの手段を得ることを目的としたのである。

 

 不死を造る技術を、不死を殺す為に用いる。

 魔女、魔術師、魔法使いにはない発想だろう。

 

 無論、魂自体の相性という問題もあった。

 だが、アルフレッドは、この魔法の術式を対象の魂に合わせて書き換えることで問題を乗り越えた。

 

 これもまた並みの魔女には不可能な事柄。

 魔法とは数式のようなもの。1+1=2という答えが変わらないことと同じように、魔法も結果は常に同じとなる。

 アルフレッドは、魔女などとは比較にならない研鑽の時間と知性があった。魔女には不可能でも、彼には可能な事象に過ぎない。

 

 虎太郎による異形の発想力、あらゆる事態を想定し、準備を怠らない油断のない精神性。

 アルフレッドによる高度な演算機能と、人間よりも遥かに優れた理解力と言う名の創造性。

 

 この二つの前であれば、あらゆる敵は膝を付き、不可能な筈の事象は可能な事象と成り下がる。

 

 

「そのような真似――――させると思うのか!」

 

「邪魔をさせて貰えると思うか? こっちはもう動いている。既にお前は一手――一手だけだが()()()()()んだぜ?」

 

 

 屍の王の瘴気が膨れ上がり、型を為す。

 身体から一本の触手のように伸びたと思えば、巨大な刃の形となる。

 瘴気そのものが屍の王にとっては変幻自在の武器なのだろう。既に虎太郎もワイトも間合いに入っている。

 

 誰がどう考えても、屍の王の方が一手速い。

 ワイトは身に受けた傷故に動けない。

 アルフレッドも強制契約魔法を発動させようとしているが故に手助けは出来ない。

 虎太郎はこれからワイトの契約主となる故に、その場から動けない。

 

 完全な手詰まりである――

 

 

「煙遁・飛び紫煙っ――!!」

 

 

 ――但し、三人に限ればの話だが。

 

 屍の王の横合いから、一つの影が飛び掛かってきた。

 裂帛の気合と共に影――凜花は肘から手首までにかけてを煙に変化させ、二つの拳を放つ。

 只の二撃のみではない。拳が増えたのではないかと錯覚するほどの連打(ラッシュ)

 

 屍の王は、反射的に防御態勢に入っていた。

 刃は形を変えて盾となったが、対魔殺法の達人たる凜花と煙遁の術の前には無意味であった。

 

 魔族の種族は千差万別。如何なる能力を持っているか、いつ何時(なんどき)、何処から襲い掛かってくるか分からない。

 

 対魔殺法を修める上で一番初めに教えられる言葉。

 変幻自在の瘴気であろうとも、教えに忠実であれば、如何様にでも突破は可能――!

 

 

「喰らいなさい――!!」

 

「―――――?!」

 

 

 盾を掻い潜り、屍の王の顎――らしき部分にアッパーカットの形で吸い込まれ、身体を宙に浮かせると、ありとあらゆる方向から拳の豪雨を浴びせ掛けた。

 重なる打撃音は、降り注ぐ豪雨の音そのもの。避ける隙間も、躱す間も与えぬ凜花に可能な最高速の連打。

 

 だが、完璧な奇襲を極めた凜花の表情は苦虫を潰したようであり、額には疲労とは異なる冷や汗が浮かんでいた。

 

 

(駄目、効いていない……!)

 

 

 拳を撃ち込む度に伝わってくる感触は、まるで真綿でも叩いているかのようだった。

 不死の存在を単なる拳打で殺せるなどと考えてすらいなかったが、自身の鍛え上げてきた技術が通用しない現実は、凜花の肩に重く圧し掛かる。

 

 そして、凜花と屍の王の視線が絡み合う。

 

 屍の王に眼球など存在しない影絵の人型にも拘わらず、全身が総毛立つ感覚に、凜花は相手が自分を見ている確信を得た。

 あったのは恐怖だ。其処すら見えない闇を覗き込んだような不安感、闇から覗き込まれているかの如き絶望感。

 

 しかし、凜花が浮かべたのは笑みだ。元より、凜花の目的は別の所にあった。

 

 

「今よ、ゆきかぜちゃん――――!」

 

「――――――も、いっぱあああああああああつッ!!!」

 

「うっ、おぉぉおおぉおおおぉッ?!!」

 

 

 屍の王にとっては唐突に、凜花にとっては当然に。

 宙に浮かんだ人型の影が、背後から放たれた雷の極光に一瞬で飲み込まれた。

 

 紛れもないゆきかぜの雷鎚の術による一撃。ライトニングシューターを犠牲に放たれる、彼女の持てる最大火力。

 

 凜花もゆきかぜも打ち合わせをした訳ではない。

 ただ、屍の王の姿を見て、単純な物理攻撃では効果が薄いと各々が判断した結果だ。凜花はゆきかぜが確実に当てられる足止めを、ゆきかぜは凜花に足止めされた相手に一撃を叩き込む。

 自身の持つ手札と限界を鑑みつつ、最大の効果と損害を発揮できる役割を分担した。こんな所にも、虎太郎の指導が行き届いているようだ。

 

 

「虎太兄! ワイトさんは……?!」

 

「安心しろ。死んでねぇよ。気は失っちゃいるがな」

 

 

 巨大な工場が半壊する事態を引き起こしていながら、ゆきかぜは全く意に介さず、ワイトの安否を虎太郎に問う。

 返ってきたのは虎太郎の何時もと変わらぬ気の抜けた声。間違いなく良い結果となった証左だ。

 

 ゆきかぜと凜花が地面に横たえられたワイトに視線を向ければ、瞼を閉じ、穏やかな呼吸を繰り返している。

 相変わらず死人のような白い肌であったが、頬には赤みを帯びている。誰の目からも明らかに、危機は過ぎ去っていた。

 

 

「よくやった――――と言いたい所だが、詰めが甘い」

 

「虎太郎さん? それは、どういう……?」

 

「仮にも不死と呼ばれる存在だぞ? ()()()()()殺せると思うな」

 

 

 虎太郎は両腕を組んだまま、ゆきかぜが屍の王を吹き飛ばした地点から一時も視線を外さずに注視していた。

 凜花とゆきかぜは顔を見合わせ、虎太郎の視線を追うと、そこには――――

 

 何かあってはならない筈の虚空には、ゆっくりとではあるが確実に、黒い霞のようなものが集まっていた。

 

 

「……まあ、そんなことだろうとは思ったが。凜花、ゆきかぜ。お前達の役目は此処までだ。ワイトを連れて撤退を」

 

「そ、そんな、虎太郎さんを置いていくなんて……」

 

「分かった。虎太兄も、死んじゃヤダからね」

 

「当たり前だ。こんなバカを相手にして死ねるか」

 

 

 渋る凜花を抑え、ゆきかぜは意識を失ったワイトに肩を貸す。

 凜花は何を言うのか、とゆきかぜは無言で首を振った。

 

 虎太郎は一度決めれば、其処に別の思惑や利益が絡まねば方針を曲げない。どれだけ言葉を重ねても意味がないのを知っているのだ。

 例え、自分達の行為が愛した男を戦場に置き去りにする行為であったとしても、自分達には出来ることは残されておらず、足手纏いにしかならないと悟っていた。

 

 屍の王に対して、凜花の攻撃は恐らくは一切通用しない。

 ゆきかぜはライトニングシューターを失ったことにより、能力の応用範囲の幅も狭まり、攻撃性の低下は著しい。

 

 ならば自分達の役目は、虎太郎とアルフレッドが救ったワイトを無事に五車学園へと連れていくこと。

 虎太郎が死んだとしても――もっとも、虎太郎の不死者となったワイトは、虎太郎が死亡すれば死ぬのだが、二人は知らない事実である――ワイトに本懐を遂げさせてやることだけ。

 

 二人は互いに気を失ったワイトをハンヴィーへと乗せると、ゆきかぜはそのまま後部座席に、凜花は運転席に乗った。

 

 

「…………そう言えば、凜花先輩。運転免許って……」

 

「持ってないわよ! 一応、運転の方法は教わってるけど、これが初めて! えっと、エンジンかけて、ギアを入れて、サイドを下ろして、ブレーキを離して、アクセルを踏ん――――きゃあぁあああああぁぁっ!!!」

 

(あ、これ私達の方が駄目かもしれない……)

 

 

 急発進したハンヴィーは、鉄柱に掠め、壁にぶつかりながら何とか廃工場を脱出した。

 

 何とも締まらない二人の姿に自分を重ね、そういう所は似てきて欲しくなかったな、と溜め息をつきながらも、虎太郎は相変わらず意識は黒い霞に向けられていた。

 

 宙に浮かぶ黒い霞は、やがて人型となっていく。間違いなく、屍の王である。

 

 

(何か依代が必要かと思ったんだが、違うのか。何にせよ、奴の正体はガス状生命体に近いモノだろうが)

 

【そのようですね。正確には精神を持った瘴気や呪詛そのもの、と言った趣きでしょうが】

 

 

 かつて、虎太郎は魔界の底からやってきたガス状生命体と交戦した経験があった。

 ガス状生命体は魔界においても珍しい。殆どが理性も精神も持ち合わせておらず、本能のままに襲い掛かるだけだった。

 物理攻撃は全く通用せず、おまけに他者の体内に侵入し、脳を徹底的に破壊した上で肉体を乗っ取る凶悪な存在だ。

 

 唯一の救いは敵の攻略法が存在しており、全体の数が極端に少ない事。

 また魔界の瘴気が濃い場所でしか生きられないらしく、人界での遭遇は廃棄都市の内部に限られる点だ。

 

 

「――――やって、くれたな、人間風情がっ!」

 

「ふん。そうやって自分の詰めの甘さを棚に上げて、他人を罵る辺り、実に魔族らしい。やっぱり一山いくらの魔族と変わらんな。所詮、こんなもんか」

 

 

 心からの本心を伝えつつも、屍の王の怒りを煽りながら、入念に観察する。

 

 虎太郎の読みでは、眼前の存在は屍の王であって屍の王ではない。

 恐らくは、本体から分かたれた分身体。決められた形を持たぬ生命体であるが故に可能な荒業だろう、というものだった。

 

 読みの理由は単純である。

 この程度の戦闘能力では、いくら死なないとは言えブラックに対抗できない。何百年と戦い続けることは不可能だ。

 虎太郎もブラックが本来の力を発揮した全力は目撃も体験もしていない。だが、常に余裕のある態度、激昂時に見せた強大な力は、更なる切り札の存在を示唆しているも同然であった。

 

 加えて言えば、何故初めに死体に取り憑いたのか、という疑問もあった。

 

 

(死体に取り憑いたのは瘴気の消耗を避けるための依代だろうな。瘴気も気体だ。気体は缶にでも詰めたほうが保存が効く)

 

【その表現はどうかと思いますが。この在り様、このような生命体であるのなら、人界への進出を避けているのは……】

 

(魔族の連中は人界に進出すると力の大半を失う連中も少なくない。魔界の瘴気から生まれたのか、魔界の瘴気が意志を持ったようなコイツは、それがより顕著だからだろうな)

 

【辻褄は合いますね。それで、どうするのですか? 殺しますか?】

 

(冗談。分身なんぞ殺してどうする。だが、本気は出すぜ。本気でおちょくってやる……!)

 

【おぉ、神よ……】

 

 

 仮面の下で凶悪な笑みを浮かべた虎太郎に、アルフレッドは絶望の余りに天でも仰いでいそうな声を上げた。

 

 ここで殺したところで意味などない。本体ではなく分身ではないのだから当然だ。

 自分の能力や持てる札を無駄に晒す意義も意味もない。

 元より肉体を持っているかも怪しい存在である上に、どうやら精神性に関しては人間と大差はないのは激昂した様子から明らか。

 

 ――ならば、精神的に追い詰めるだけのこと。

 

 尊厳を圧し折り、心の闇を詳らかにし、羞恥と屈辱を徹底して与え、精神を襤褸雑巾になるまで踏み躙る。

 

 

「しかしまあ、アンタも暇だな。ワイトを大事にしているようには見えなかった。人形に裏切られて腹立たしいのか?」

 

「裏切者を始末するのは当然の事。捨て置けば情報が漏れる。その程度も分からんほどに愚かなのか、貴様は……」

 

「そりゃそうだ。失礼しました」

 

 

 言葉は武器である。

 ペンは剣よりも強し、などという言葉があるが。言葉はより強力である。

 

 古来、審神者や神託者、陰陽師は無駄な会話を嫌った。

 言葉には言霊が宿ると信じており、彼等の発言は事実として多くの人間を動かしてきた。

 

 

「それでも辻褄が合わなくないか? 何も、王と呼ばれる存在が出張ってくるまでのことじゃない」

 

「クク。貴様のような卑小な存在には分かるまい。これが私の力だ……!」

 

「こいつは……」

 

 

 言葉巧みに相手の信じている部分を刺激し、能力を見せびらかさせる。 

 

 屍の王が両手を広げると、工場の内部全体が騒めいていく。

 徐々に。次第に。騒めきの正体が闇の中から現れる。

 

 屍の王の手に導かれるように現れ出でたのは、銀と黒の瘴気であった。

 間違いなく、既に死亡ないし消滅したはずのウィスプとデュラハンの瘴気である。

 

 

「成程、ね。そういうこと。お前にとって瘴気と呪詛は同一のものなわけか。そうやって肉体の消滅した配下の瘴気と同時に魂を回収して、再生させる。こりゃ不老不死なわけだ」

 

「魂さえあれば肉体などどうとでもなる。魂を起点に再生させるも良し。魂を他の器に注いでも良い」

 

「そいつはまた。恐ろしいもんもあったもんだ」

 

 

 言葉の端々に潜む本心と本性を窺い、頭の中で統合し、結論を出す。

 何の事はない。相手の心を読むなど彼にとっては初歩の初歩。

 相手の性格によって戦術を変え、何気ない一言ですらが戦術の一部である男なのだから。

 

 

「――――――成程、もういいよ。お前の底は見えた」

 

「…………何?」

 

 

 つまらん、と言わんばかりの虎太郎の口調に、屍の王は戸惑いを見せた。

 そもそも人型の闇、影にしか見えない屍の王に、この表現は適切ではないが、明らかに表情を歪めていた。

 

 

「――――何故、私だけが」

 

「…………っ」

 

「何故、私だけが違う。他の連中は、正しい形で生を頂いたのに。どうして私は水底で生まれた。憎い、妬ましい、羨ましい、恥ずかしい、恨めしい」

 

「き、貴、様っ……!」

 

「ん? どうかしたか? オレの言葉に、琴線に触れるモノでもあったかな?」

 

 

 余りにもわざとらしい態度で、屍の王の尊厳を嘲笑う。

 

 

「尊大な性格の割に情報の漏洩を恐れているのは何故か? それはその尊大さが、極めて卑屈で自信が無い事の裏返しだからだ」

 

 

 屍の王の心に隠された闇を、鼻で笑う。

 

 

「わざわざワイトを殺しに来たのは、自分と生まれは似ている癖に、自分とは異なる道を歩もうとしたからだな。有り体に言えば嫉妬心だ」

 

「…………!」

 

 

 本心と本性を晒すことで羞恥を煽れるだけ煽る。

 

 

「下らん奴だ。これはブラックも相手にしねぇよなぁ。するだけ時間の無駄だから」

 

 

 相手の抱いていた傷を開き、塩を塗り込み、屈辱でも塗りつぶす。

 

 

「お前の本質は嫉妬と卑屈の塊。だから圧倒的な力で本当に欲しかったが手に入らないもの、羨ましくも妬ましいものを叩き潰す」

 

「…………ぐ、くっ!!」

 

「ブラックにも言ったんだがな。馬鹿でも分かりやすく言ってやろうか?」

 

「…………きっ」

 

「存在自体が傍迷惑なんだよ。誰もお前のことになんて興味がない。興味を持つだけの価値もない。お前がこの世で一番無意味で無価値だ。一生一人でやっててくれよ、頼むから。この構ってちゃんが」

 

「キサマァァァアアアァアアァアアッ!!!」

 

 

 そうやって、精神を襤褸雑巾になるまで踏み躙った。

 

 

「なにコイツ。図星突かれて怒ってやんの。やっぱブラックと同レベルですわ」

 

【このドライモンスター、あのエドウィン・ブラックにも同じ真似をしたんですね……】

 

 

 互いに呆れた口調で漏らす虎太郎とアルフレッドであったが、目の前で起こっている事態は呆れている場合ではなかった。

 

 屍の王の感情に呼応するように、瘴気が膨れ上がっていく。

 どこまでも深く、どこまでも昏く、どこまでも重く――――どこまでも巨大に。

 

 

「何だよ、そりゃぁ……」

 

【これは予測の範疇ですか?】

 

(いんや全く。えぇ~、ナニコレ。ちょっと大き過ぎませんかねぇ)

 

 

 瘴気が形となったのは、歌川国芳が浮世絵に描いた餓者髑髏(がしゃどくろ)のようだ。

 屍の王を包むように展開されたのは、廃工場の天井をぶち破るほどに巨大な髑髏の鎧だった。

 

 10mはあろうかという骨の上半身だけの威容。

 餓者髑髏は埋葬されなかった死者の骨や無念が集まり生まれた妖怪とされている。

 

 人界と魔界。両者ともに別の世界で生まれたにも拘わらず共通点が見受けられるのは儘ある話。

 まして、生まれ方まで同じなど、これ以上ない笑い話である。

 

 但し、屍の王は創作ではなく現実に存在しており、その脅威も当然ながら比較にはならないが。

 

 

「貴様だけは、貴様だけは殺す! 何があっても殺してやるぞ! 私の踏み入ってはならぬ部分に脚を踏み入れた!!」

 

「何を言ってるんだか。お前は散々他人を踏み躙ってきただろ? 自分がやられたって激昂するのは違うんじゃないのか? 笑え、笑えよ。自分を偽るなら笑え。冷や汗一つでも掻いたら負けだぞ?」

 

「死、ネェエエエエエエエッッ!」

 

「おやおや。忠告してやったのになぁ――――お前はもう、負けているんだよ」

 

 

 巨大な髑髏が拳を振り上げる。

 瘴気で出来ているにも拘わらず、確かな質量が存在している。

 とても10mを超えている物体とは思えぬ機敏な動きであった。

 

 これだけの質量、速度であれば、生み出される破壊力は近代兵器に引けを取らない。

 一撃一撃が小型ミサイル同然の威力となるだろう。最早、個人に向かって使うものではない。

 

 虎太郎はそれでもなお冷静であった。

 両手を組んだまま、振り上げられる巨大な拳を見上げるばかり。

 振り下ろされれば自身は、ただの肉塊になる。いや、それならばまだマシだ。跡形も残らないと考えた方がいいだろう。

 

 屍の王は虎太郎の余裕に気付いてもいない。

 一刻も早く、一分一秒でも早く。誰にも明かしてこなかった自身の本性と本心に辿り着き、限りない屈辱と例えようもない敗北感を与えた存在を殺さずにはいられない。

 

 愚かな話である。肉体的な敗北ならばいざ知らず、精神的な敗北は相手を殺したところで決して癒されない。

 

 屍の王の愚行を止める者は誰一人と居らず、巨大な骨の拳は呆気ないほど簡単に、されど恐ろしい勢いで振り下ろされ――――

 

 

「知れ。己を縛る監獄は、心の中にこそある、ってな」

 

 

 ――――虎太郎の眼前で、ピタリと止まった。

 

 凄まじい風圧が工場内を襲い、ゆきかぜによって半壊していた工場は、残った柱も壁もが吹き飛ばされて全壊の憂き目にあう。

 

 愕然としたのは他ならぬ屍の王だ。

 明らかな殺意と共に、明らかな害意と共に、明らかな嚇怒と共に、明らかな憎悪と共に放った攻撃であった。

 

 しかも、何が一番おかしいと問われれば、何がしかの抵抗――他者の能力によって静止したのではなく、自身の身体が()()()()()事実だ。

 

 

「貴様っ!! 私に、何をした!!」

 

「――――“原初の監獄(プライマル・ロック)”」

 

 

 それが、虎太郎の奪った能力の名前であった。

 

 

「この能力は、相手を監獄に叩き込む。精神と言う名の監獄にな。端的に言えば、対象が精神に抱いた感覚や感情を定着させる。永遠にな」

 

 

 珍しい事もあったものだ。

 虎太郎が、奪ったとは言え自らの手札の効力を説明するなど。

 

 ならば考えられる理由は二つ。

 一つは説明すること自体に意味がある。或いは効力を増大させるか。

 もう一つは、相手に説明したところで、何の問題もない能力であるか。

 

 

「お前はオレに“敗北感”を抱いた。当然だな。アレだけおちょくってやったんだからな」

 

「永遠に、定着……だと? ならば……!」

 

「精神のある奴は“敗北感”を抱いた相手には立ち向かえない。立ち向かう為には精神の成長と更なる勇気が必要だ。つまり、オレが何もしなくても、お前はオレに手を出せない」

 

 

 原初の監獄(プライマル・ロック)

 効果は虎太郎が口にした通りのものだ。

 例えば、「脚を踏み外した」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に落ち続ける。

 例えば、「よろめいた」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠によろめきから立ち直ろうとして立ち上がれなくなる。

 例えば、「敗北感」という感情を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に敗北感を抱き続け、立ち向かう心を勝手に挫く。

 

 この能力の利点は、相手の精神エネルギーを利用しているが故に、虎太郎が能力を返還したとしても、効果を発揮し続ける点にこそある。

 

 もっとも、恐ろしいのは虎太郎がこの能力を使う過程であるが。

 この能力は、過去に虎太郎が相対した魔族のものだ。彼にしては珍しい。彼が能力を奪うのは対魔忍であることが大半だ。

 何故ならば、“能力を奪う”という自らの情報を極力漏らさない為である。

 敵の能力がどれだけ優れ、どれだけ有用であっても、自身の存在や能力が知れ渡ることに比べれば、重要度は低い。

 

 何よりも、能力を奪えるのは生きている間だけ。

 優れた能力を持つ敵を生かしておくなど、利益よりも不利益が大きい。

 精神を屈服させるという手もあるにはあるが、所詮は敵。能力だけしか有用ではないのなら、手元に置いておくのはリスクは増す一方。

 

 このリスクを消失させつつ、有用な能力を手元に置いておく方法は、桐生 佐馬斗が対魔忍に下ったことで手に入った。

 

 魔界医療によって、対象を完全に廃人とすること。

 そして、桐生の技術によって生かしたまま冷凍保存しておくことである。

 

 知的生命体を道具と変える余りにも人の道を外れた行為。

 当初はアサギ、さくら、紫は当然のように反対し、虎太郎を基本的に全肯定するアルフレッドですらが難色を示した。

 

 そこで虎太郎が提示した条件は二つ。

 

 対象に反省の兆しが見られず、同情の余地がないこと。

 対象の犯した罪が、この罰に相応しいものであること。

 

 他者を殺しているのに今更、何様のつもりだ、と言うのが虎太郎の意見であったが、四人の協力を失うのは自身にとって不利益の方が大きい。ある程度の譲歩を見せるべきという判断であった。

 

 

「よお、どんな気分だ? 目の前に殺してやりたいほど憎い奴がいるのに殺せない気分は? 教えてくれよ。オレはそんな不様、体験したことがないんでね」

 

「だ、だが、貴様とて私を殺せん! この程度の事で、勝ったつもりか!!」

 

「この程度、ね。勝ったつもりもクソもあるか。オレはお前をおちょくってやっただけだ。これに懲りたら、もう二度とオレの前に現れるな。見逃してやるよ、構ってちゃん」

 

「……うっ! ぐ、ぉぉおお! オオォォオオォオォッッ!!」

 

「さて、オレは帰るよ。お前に一切興味はないから。まあ、お前がもし精神的に成長し、オレを殺しに来たら――――その時は、全力で殺してやるよ」

 

「殺してやるぞ! 何が精神的な成長だ! この程度の能力、必ず破り――――」

 

「じゃあな」

 

 

 屍の王の怨嗟の声を遮り、虎太郎は“瞬神”を用いて空間転移を行った。

 最後の最後まで、屍の王をおちょくった態度を崩さずに。

 

 成程、確かに虎太郎は本気であった。本気で屍の王をおちょくっていた。

 

 後に残されたのは怨嗟と憎悪を滾らせながら慟哭の声を上げる屍の王の、不様な姿だけだった。

 

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