※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『上司が彼に苦労を押し付けてくるのだが、彼はもう限界かもしれない』

 

 とある日の昼休み。

 名を変えたふうまの跡継ぎ、弐曲輪 虎太郎は五車学園の廊下を絶望的な表情で歩いていた。

 まるで己の命以外全て――金も、名誉も、家族すらも奪われたような表情だ。

 普段は彼のことを嘲笑っている生徒たちですら、余りの変貌ぶりに思わず自分から道を譲り、声を掛けることすら憚られている始末。

 

 彼に一体何があったというのか。

 何のことはない。単なる呼び出しであるのだが、彼にとって問題であったのは呼び出した人物にこそあった。

 呼び出したのは井河 アサギ。対魔忍のトップであり、実力もその頂点に立つ女傑だ。

 生徒ならば呼び出される名誉に喜びで震え、教師であっても緊張は隠せないが、虎太郎にしてみればどちらも馬鹿馬鹿しい。

 彼にとってはアサギは最強の対魔忍などでなく、厄介事を押し付けてくる傍迷惑な上役でしかないのだ。

 

 加えて今回の呼び出し、アサギだけでなく、アサギの脇を固めるさくらと紫も同席するというのだ。

 アサギからだけでも相当な厄介事だというのに、側近であるさくらや紫も同席するレベルとなると厄介事を越えた厄ネタに他ならない。

 楽をしたいと願う彼には、厄ネタなど地獄への誘い水にしか見えない。これだけの絶望的な表情にも納得だ。

 

 

「………………」

 

「全く貴様は、ノックの一つでもしたらどうだ」

 

「………………」

 

「ねぇ、コタ君。挨拶くらいは、ほら、ね」

 

「………………」

 

「はぁ、もう勝手に始めるわよ。ほら、アルフレッドの端末を出しなさい」

 

『こんにちは、皆さま。今日もお元気そうで何よりです』

 

 

 虎太郎は無言で校長室の引き戸を開けて入室し、無言で三人の対面に位置する場所の椅子に座り、無言でアルフレッドの端末を机の上に置く。

 紫は怒りを露わにし、さくらは憐れみを向け、アサギは呆れと共に溜め息をつき、アルフレッドは丁寧に挨拶を述べる。

 必要以上に虎太郎を責めるものはいない。もう何度となく繰り返してきたやり取りであり、改善の余地など初めから存在しないと学んでいるからだろう。

 

 

「今回は救出任務の命令ではないわ。……そうね。相談、かしら?」

 

「………………相、談?」

 

 

 アサギの台詞に虎太郎は、目が死に表情筋が死に、全てが緩み切っていた生ける屍(リビング・デッド)の如き表情から、FXで有り金全部溶かした人の顔程度には回復した。

 虎太郎としても、救出任務での命がけの苦労をするよりかは、救出が必要となるかどうかの前段階でああでもないこうでもないと相談し、知恵を捻出した方が労力が少なくて済むと考えたのだ。

 

 

「ええ、現在遂行中の、ある任務で気になる点があってね。貴方の意見が聞きたいのよ」

 

「なるほどね。任務の続行か、中断かを判断したいわけか」

 

「この手の判断に、貴方以上の適任はいないわ」

 

 

 虎太郎は対魔忍ではあるが、その性質や本質は寧ろ敵対する闇の住人に近い。

 彼が対魔忍に属しているのは正義や誇りの為でなく、ましてや情の為ですらなく、万が一の保険と対魔忍が彼にとって扱い易い集団だからだ。

 

 ふうまの跡取りであり、同時に一族の裏切り者である彼に恨みを持つ者は多く存在している。彼自身が買った恨み、一族が買った恨みに区別はない。

 万が一、ふうまの生き残りであることがバレた時に肉壁にしやすいのが、魔族でも米連でもなく対魔忍であった。

 少数精鋭かつ派閥争いが少なく、その上仲間を見捨てないと謳う集団だ。確かに、一切の情と人間性を切って捨ててみるならば、肉壁にしやすいと言えるだろう。

 その性質を理解してなおアサギが彼を重用しているのは、お決まりの情のみならず、彼自身が常に自身の有用性を証明し続けているからに他ならない。

 

 その一つが状況判断能力である。

 限りある情報から推測し、裏に隠された事実、思惑を導き出す力に彼は長けている。

 

 幼年期、彼の周囲は敵しかいなかった。

 身体能力に大きく劣る彼が生き残れたのは、何より運によるところが大きいが、それだけではない。

 身体能力で劣るのであれば、それ以外の生きた年月に関係のない能力で勝るのみ。

 即ち、人と状況を観察し、その本心で何を考えているのか裏の裏まで読みつくし、その上で最良の一手を導き出すこと。それに長けていたからこそ、彼は生き残れたのだ。

 

 

「遂行中の任務は“纏の任務”」

 

「……“纏”ね」

 

 

 虎太郎は差し出された資料を受け取り、頬を掻いた。その言葉だけで、かなり難しく繊細な判断が求められるのを察したのだろう。

 

 纏の任務とは、対魔忍の間でのみ伝わる俗語、或いは隠喩だ。その内容は身分を偽り、情報を探る潜入任務。

 短くとも一ヶ月。長ければ十年単位で任務に当たり続けなければならず、本来の身分がバレたのならば即座に殺されるか捕らえられる、非常に過酷で危険度が高い任務だ。

 

 

「任務遂行に当たるのは、水城 ゆきかぜと秋山 凜子」

 

「…………………………………………え? あの、ゴメン。オレの聞き間違いかなぁ。とんでもない名前が聞こえたんだが」

 

 

 その二人の名前を聞いた瞬間、虎太郎は理解できないという表情で三人の顔を見回しながら、震え声で聞き返した。

 

 水城 ゆきかぜ、秋山 凜子。両名共に、虎太郎自身が世話をしたことがあるほどには親密な関係の少女達である。

 確かにそのような関係を持つ少女たちが危険な任務に赴いていたと知れば、当然動揺もしよう――――まともな人間なら。

 

 

「残念ながら聞き間違いではない。確かに水城と秋山が纏の任務を遂行中だ」

 

「……………………………………」

 

『ああ、皆さんお待ちください。私を見捨てないで』

 

「あ、ああ、ゴメンね、アルちゃん」

 

 

 紫の止めの一言に、虎太郎の表情筋は完全に死んだ。

 この部屋に入ってきた時以上の有り様である。最早、能面の方がまだ表情があると言えるほどの無表情。いや、誰であっても彼を弐曲輪 虎太郎と判断できないほどの表情の完全な消失、即ち“無”だ。

 

 その様に紫は首を振りながら、さくらは乾いた笑みを浮かべながら、アサギは頭痛を堪えるように目頭を押さえながら、三者三様の様子で椅子から立ち上がり、部屋の中で虎太郎から最も離れた壁際に後退した。皆、この後に何が起きるのか理解しているのだろう。

 自らの意志で動けないアルフレッドは端末の回収を願い、さくらは謝りながらも爆発物処理班さながらの慎重さで端末を回収する。

 

 

「…………………………ふひ」

 

 

 どれほどの時間が経ったのだろう。

 “無”表情だった虎太郎がカタカタと震え始めた。

 

 

「ひ、へ、……へへ、うぇへへへい、イヒヒヒヒ、イーッヒッヒッヒッヒッヒ!」

 

 

 突然笑い始めた虎太郎であったが、動いているのは口元だけで、目は笑っておらず地獄の窯の底のように死んでいる。大変怖い。さながら悪魔に取り憑かれた人形のようだ。

 何度となく同じ場面を見てきた紫とさくらであるが、明らかに恐怖で表情を歪めている。

 アサギは怖れているというよりかは、乱心した虎太郎の姿を見るのも忍びないといった様子で目を逸らしている。

 

 

「あへひへへのほへへへ、ウェヒハハハハ、ホホホのホー!! ウェェェーーーーィィィイイイ!!!」

 

 

 完全に狂人の――いや、それ以上の悍ましい何かのような笑みを浮かべ、かろうじて笑い声と判断できる声を上げ、首をあっちへこっちへ振り乱す。

 この場に居た人間たちにとって唯一の幸運は、こういった事態に備えて、この部屋を完全防音とし、窓ガラスは防弾使用、電灯は格子で覆っていたことだ。

 

 

「ぶぁじゃけりぇきぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!!!」

 

 

 虎太郎は笑い声から完全な奇声へとシフトすると、椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、そのまま机を横に投げ飛ばす。

 完全に興奮と怒りの渦へと飲み込まれた虎太郎であったが、どうやら“ふざけるな”と言いたかったようだ。

 

 そして僅かな理性であらん限りの怒りをぶちまける。

 

 

「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁああぁぁぁっ!!!」

 

「…………あの」

 

「なんで! よりにもよって! この二人が纏の任務につくんだよぉおぉぉぉぉっ!!!」

 

「こ、これには、だな」

 

「この二人!! 戦闘訓練ばっかでぇぇぇ!! それ以外の訓練!!!! 殆ど受けてねぇだろうがよぉぉぉぉおぉぉぉおおおお!!!」

 

「くノ一としての必要な訓練は終えているわ。何よりも、二人の意志を尊重したのよ」

 

「んぁぁぁぁぁあッッ!! 組織の!! トップが!! 一番しちゃいけない!! 判断下してるぅぅぅぅぅぅっっ!!! んぎぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 虎太郎はその場で床に身体を投げ出し、身を捻じり回し、全身で怒りを表現する。

 

 彼は親しいゆきかぜと凜子が纏の任務を命じられたことに動揺した訳ではない。

 どう考えたところで二人の能力と釣り合っていない任務に憤慨しただけなのだ。

 つまり、彼の頭にあるのはたった一つの思いだけ――――――コイツ等、またオレの仕事増やしやがった、である。

 

 

「あ、あのね、コタ君。二人とも自分たちが一番相応しいからって、意気込んでて、ね?」

 

「どこがだぁぁぁぁぁぁぁ!! こいつらの何処が相応しいんだよ、くそがぁぁぁぁぁぁああああ!!」

 

「あ、秋山は優れた空遁の術の使い手だ。逃走には最適だろう……」

 

「そこだけじゃあねぇかぁぁぁぁぁぁぁ!!! それ以外に相応しい所なんてひとっつもねぇんだよぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉ!!」

 

「それが、あるのよ」

 

「あるのよ、じゃねぇんだよぉぉぉぉ!! もうヤダァァ!!! つれぇぇ!! この立場(ポジション)で生きるのつれぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

『何度見ても見事ですね』

 

「え? 見事ぉ!? アルちゃん何が!?」

 

『見事でしょう。この不様さ加減。どんな悪党でさえ死を前にしても此処まで取り乱しません』

 

 

 自らの相棒の取り乱し振りを不様と称する情報生命体。余りの容赦の無さにドン引きする三人。

 

 そして、怒りの中である事実に思い当たり、虎太郎はカッと目を見開いた。

 

 

「ハッ!? ちょ、待て! もしかして! あの二人、何か怪しかったのは……」

 

『十中八九、この任務が控えていたからでしょうね』

 

「チックショォォォォォオオオォォォォォ!!!! みすみす爆弾解体処理し損ねてんじゃねぇかオレェェェェェェェ!!!!」

 

『自業自得です。貴方がもう少しそのお二人に興味を持っていれば、結果は変わっていたでしょうね』

 

「おろろ~~~~~ん! おおおろろろろろ~~~~~~ん!!」

 

「…………絶望的に汚い絵面だな」

 

 

 紫の口から非常に端的な感想が漏れた。

 

 20代も半ばに手をかけようかと言う男が自らの失敗を悟り、恥も外聞もなく大号泣を晒す。

 これが人生全てをかけての大願が叶った歓喜の涙であったのなら、或いはありとあらゆる全てを喪った絶望の涙であったのなら、紫の感想も違っただろう。

 だが、自らの失敗でわざわざ自分で苦労を呼び込んでしまった、一切の同情に値しない涙なので致し方あるまい。

 

 暫くの間泣き喚いた虎太郎であったが、突然ピタリと泣き止んだ。

 

 

「……紫、手伝って」

 

「……あ、ああ」

 

 

 虎太郎はおもむろに立ち上がると、投げ飛ばした机を元に戻そうと紫に助けを求めた。

 あれだけの取り乱しようだったというのに、恐るべき切り替えの早さである。そして、その切り替えの早さを何度となく見てきたにも拘らず、こればっかりは慣れない紫であった。

 

 机と椅子を元の位置に戻し、資料を手にして虎太郎は椅子についた。他の三人と一体もそれに倣う。

 

 

「……はあ、悪い。取り乱した」

 

「あ、はは、私、コタ君の切り替えの早いところ好きだよ……?」

 

「意味分かんねぇお褒めの言葉なんかいらないんだよ。……………………か」

 

「……え?」

 

「お前も性奴隷にしてやろうかぁぁぁぁぁぁ!」

 

『蝋人形にしてやろうか、のノリで言う台詞ではありませんよ、虎太郎』

 

「ちょ、止めてよ! コタ君が言うと洒落にならないじゃん!」

 

「なんで微妙に嬉しそうなんだよぉ、このド雌豚()ゥゥ!!」

 

「ち、違うし! 嬉しそうじゃないし! ドMでもないもん!!」

 

 

 さくらが嬉しそうなのか、ドMなのかは二人の間でしか分からない。真相は闇の中だ。

 ただ、さくらは頬を赤く染めていた。それがどのような意味を秘めているかは、やはり二人の間でしか分からない。

 

 

「いい加減にしろ、弐曲輪。これも任務だ、集中しろ……!」

 

「チッ、桐生のアホにお前があの日のことが忘れられないの、毎晩自分を慰めてるって言ってたって伝えてやるからな」

 

「おい。おい、止めろ。絶対に止めろ。事実無根の上に……」

 

「これも任務だぞ、集中しろよ紫。で、この二人が適任ってのはどういう判断だ」

 

「貴様、人の話を……!」

 

「今回の纏の任務。その目的の関係上の話よ」

 

「アサギ様ぁ……!?」

 

 

 紫の悲痛な叫びを無視し、アサギが虎太郎の問いに答える。これも毎度のやり取りなのだろう。

 

 

「水城 不知火の捜索と救出。その為には、本人確認をスムーズに行える娘のゆきかぜが適任と判断したわ」

 

「………………」

 

 

 水城 不知火。

 かつてはアサギと並んで最強と呼ばれた対魔忍だ。

 人呼んで“幻影の対魔忍”。優れた水遁の術の使い手であり、薙刀の扱いに関しては右に出る者なしと言われるほどの技量だった。

 しかし、5年前の任務中に失踪。以後、生死不明のまま捜索が続けられていた。

 

 その事実に虎太郎は無言で頭を抱えた。彼が想定していた難度と範囲を大きく超える任務であると悟ったのだ。

 

 

「ああ、そういえば、オレは不知火さんが失踪した任務の内容を知らんのだが、どんな任務だったんだ?」

 

「……ヨミハラへの潜入任務よ」

 

「――――――は?」

 

 

 地下都市ヨミハラ。

 東京の地下深くに存在している、政府の力も対魔忍の力も及ばず、日本において最も闇に近い歓楽街。噂では、ヨミハラの最深部には魔界へ通ずる穴が開いている、とも言われる。

 人界にありながら、完全に魔界の勢力圏に収められた超危険都市だ。

 

 そして、不知火の捜索と救出が目的であるのなら、当然ゆきかぜと凜子もヨミハラへと向かったことになる。

 彼が行ってきた救出任務の中でも類を見ない、困難な任務となるだろう――――が、彼が嘆いていたのはそんなことではなかった。

 

 

「…………あ、ぁ」

 

「嘆いている場合ではないわ。危険だからこそ、こうして――――」

 

「違う、そうじゃない。オレが嘆いてるのはそこじゃない」

 

「……? なら、どういう──」

 

「……………………オレ、ヨミハラ、イッタコト、アル」

 

「は……?」

 

「はぁ……っ!?」

 

「ハァァァァァっっ!?」

 

『…………ああ、もう』

 

 

 口から魂が零れ出て真っ白に燃え尽きた状態で、片言で事実を語る虎太郎。

 三人は普段のテンションが高い順に驚きの声を上げ、その事実を知ったアルフレッドは声だけで頭を抱えているのが分かった。

 

 かつて、虎太郎はヨミハラに潜ったことがある。

 対魔忍と呼ばれる以前、井河に己と一族を売る以前、ある孤独な対魔忍のところに身を寄せていた折りの話だ。

 詳細は避けるが、虎太郎が苦労人になったのは対魔忍になってからではなく、なる以前からのようだ。最早、苦労は彼の運命である。

 

 

「七難八苦を祈ってないのに、苦労が怒涛の勢いでオレを責め立ててくる……」

 

『いえ、今回に関しては貴方の完全なる自業自得です。情報の共有など基本中の基本です』

 

「何故、我々に教えなかった! 今回にしても、5年前にしても、お前の責任だぞ!」

 

『紫様、それも違います。作戦の責任は全て命令を下し、許可した者にこそ帰属します。つまり、我々の場合はアサギ様ですね』

 

「クソ、頭も痛いし、胃も痛いが仕方がない、か」

 

「こっちの台詞よ、全く」

 

 

 アルフレッドの情け容赦のない機械的な正論に、彼らはようやく冷静さを取り戻した。

 虎太郎の興味のない事柄に対する無関心さと度を越した秘密主義、アサギの対魔忍全体に対する強い信頼と現実認識の甘さがこの現状を生み出した。

 両名に取って、受け入れなければならない現実であると同時に打破しなければならない現実だ。

 

 

「いくつか疑問がある。まず、何故今になって不知火さんの救出なんて話になった」

 

「数ヶ月前に、ヨミハラで不知火が目撃されたという情報がもたらされたのよ」

 

「誰が手に入れて、情報元は?」

 

「手に入れたのは葛 黒百合よ。情報の元は、潜入先の民新党議員の秘書からね」

 

「おい、さくら。葛を呼び出せ。確か別の任務から帰ってきていただろう、直接聞く」

 

「あぁ、うん、分かった」

 

 

 一切の不平不満を漏らさずに、さくらは椅子から立ち上がって部屋の外へと出ていく。

 こうして虎太郎が動いている時には、素直に手足として動いた方が賢明であることを彼女は知っていた。

 

 

「それで、どうやってヨミハラに潜入させた。あの二人じゃ、誰の手引きもなく潜入は無理だろう」

 

「別件で捕らえた奴隷商人を使った、名はゾクト。今回の協力と引き換えに今までの罪を見逃すと言ったら、一も二もなく飛びついてきた」

 

「頭痛が酷くなってきた。そいつが裏切らない保証が何処にある」

 

「散々痛めつけたんだぞ? 到底裏切れる心身を持っているとは……」

 

「裏切るだろ。倫理観のない奴はな、同時に危機感もないんだよ。目先の利益に飛びついて、後先なんぞ関係ない。昔のことなんてすぐに忘れる。馬鹿だから」

 

「お前がそれを言うか」

 

「言うね。オレは倫理観も危機感もあるし、どちらも同時に捨てられるだけだ。馬鹿と言う自覚もあるしな。ソイツの資料あるか? アルに全部見せろ」

 

 

 奴隷商人を利用してのヨミハラへの潜入。

 ゆきかぜと凜子が纏ったのは、ゾクトに捕らえられた哀れな奴隷という身分。そのまま奴隷として娼館に売られ、娼婦に扮して捜査を行う段取りだ。

 正直な所、対魔忍がヨミハラに潜入するにはそれくらいの手しかないが、余りにも杜撰だ。ゾクトが裏切れば、全ての前提が崩れ去ってしまう。

 

 

「それから、なんで今になってオレに意見を求めた。二人に何かあったか……?」

 

「いえ、こちらとあちらの連絡役はゾクトが務めているわ。その定期連絡では何の異常もなし。けれど……」

 

「ふん、奇怪しいな。男も知らん年頃の女が娼婦になって何もかも順調です、は都合が良すぎる」

 

「極めつけは、これよ」

 

「これは指令か? …………おいおい」

 

 

 対魔忍は基本的に、政府の指令があって初めて動く。政府の犬と揶揄されるものの、秩序を守る組織としては致し方ない。

 人員の選出はアサギに一任されており、装備や回収部隊も対魔忍側から要請があれば、ほぼ無条件で政府から提供される。

 だから、何の不思議もないであろう、何時ものように、政府から極秘裏に発せられた指令の筈だ。

 

 しかし、指令の内容には疑問符を浮かべざるを得ない。

 ある組織の殲滅、潜入による極秘情報の奪還。実に対魔忍らしい任務ではある。

 だが、その組織は確かに非合法であるが、ノマド傘下の組織に比べれば比較的穏健であり、同時に戦力も多い。

 情報奪還に関しても、極秘でこそあったものの、政府としては諸外国に漏れたとしても痛手は少なく、どうとでもなる問題だ。

 どちらにしても時期外れ。前者はもっと入念に情報を入手してから動くべきであり、後者はまず政府肝煎りの捜査官に当たらせるべき内容だ。

 

 

「組織の殲滅に関しては相当数の戦力が必要。少なくともお前か紫、どちらかが戦線に出なければ総員を纏めきれない」

 

「……ええ」

 

「そしてこっちは能力的に見て、確実に遂行可能なのはさくらくらいのもんだなぁ」

 

「その通りだ」

 

「ハハ――――露骨かっ!」

 

『ですが、我々に従わないという選択肢はありません。有効な手段です』

 

 

 怒りの余り虎太郎は指令書を床に叩き付け、アルフレッドは冷静に敵の手管を評価する。

 

 対魔忍には表向きには指令を拒否する権利があるものの、実際には拒否権など無いに等しい。

 存在自体が秘密の戦闘部隊。政府としても扱いに困る。何せ、日本が保有している戦力であっても対抗できるかは分からない上に、その気になれば政府の要人も暗殺可能と厄介極まりない。

 政府にとって有用である内はいいが、僅かでも反旗や反逆の素振りを見せようものならば、即座に切り捨てられる。その為のカバーシナリオも出来上がっているだろう。

 

 政府内部に存在する獅子身中の虫が、あからさまにアサギ、さくら、紫の三名を何かから遠ざけようとしているのも明白だ。

 さくらは情報奪還に駆り出され、アサギと紫の一方は戦線に投入。必然的に残った一名は万が一に備え、五車学園で待機しなければならない。

 遠ざけようとしている何かがゆきかぜと凜子であるとは限らないが。実力、知名度、名実ともに対魔忍のTOP3が動けない状況が出来上がっている。

 

 

「つれてきたよ」

 

「失礼します」

 

 

 戻ってきたさくらが連れてきたのは、黒い長髪に豊満などと言う台詞では到底収まりきらない、女そのものを体現したかのような身体の妙齢の女性だった。

 身体つきは元より、薄く笑みを浮かべる口元も、相手を探るような視線も、所作から雰囲気まで全てが妖艶――いや、淫靡でさえある。

 

 彼女の名は葛 黒百合。

 要人の篭絡、あるいは暗殺を主な任務とする対魔忍であり、その分野においては他の追随を許さない実力を誇る。

 

 

「黒百合、任務を終えたばかりのところで悪いわね。さっそくで――」

 

「葛、不知火の情報、何処の誰から引き出した」

 

 

 アサギの黒百合に対する労いと前置きの言葉を遮り、虎太郎は問い詰めるような口調で言った。

 

 その態度にアサギは大きく嘆息して黒百合を見たが、彼女は気にした様子はなく肩を竦めるばかりだ。

 黒百合は虎太郎の本来の任務を知っているベテランの一人だ。共に任務に当たったことはないものの、情報提供を行ったこともあれば、逆に窮地を救われたこともある。

 虎太郎の性格はよく知っているということだ。そして、その有用性も。口を挟むよりも、素直に従った方が賢明なのだと解っている。

 

 

「民新党の幹部の一人、渕上 道山、その第一秘書から。確か、名前は鴻上 健吾だったかしら」

 

「何処で、相手がどのような状態で?」

 

「鴻上行きつけの高級クラブでよ。別件で潜入中にね。驚いたわよ、酒と私の術でベロンベロンになった状態で、まさか不知火さんの名前を聞くことになるなんてね」

 

 

 黒百合は淫蕩の術と呼ばれる忍法を行使する。房中術の一種であり、性技で相手を篭絡、殺害する技。

 また、彼女は体質として体液に媚薬が含まれており、これも相まって、当代一の淫蕩の術使いとされているほどだ。

 

 黒百合の話では、ホステスに扮している際に偶然その情報を手に入れたようだ。

 酒と媚薬の効果で前後不覚な状態の情報であり、要領を得なかったが、断片的な情報を得ることは出来た。

 

 曰く、鴻上は東京深くに存在する歓楽街に行ったことがある。

 曰く、先生方に引き連れられて、初めてその存在を知った。

 曰く、其処で君以上の美女を見た。

 

 おおよそ、そんな情報だったようだ。

 地下深くの歓楽街はヨミハラで間違いない。

 思いもよらぬ情報が顔を出した黒百合は巧みな話術で情報を引き出そうとし、その過程で仰天した。

 話術によって気を良くした鴻上は、スマートフォンを取り出すと例の美女とやらの写真を見せてきたのだが、其処に写っていたのが不知火だった。

 驚きを何とか押し隠し、鴻上を酔い潰させた上でスマートフォンからデータを抜き出して、情報を送った。それが今回の救出任務の発端だ。

 

 

「その状態でなら騙そうとした訳ではないか……その先生方とやらは?」

 

「ダメ。聞き出す前に潰れたわ」

 

「……アル、鴻上周辺の議員を洗え。特に闇と繋がりの深い連中を中心にな。おい、その写真はあるか?」

 

「これだ」

 

「……確かに、水城 不知火だな」

 

 

 プリントアウトされた状態であったが、画像に手を加えられた様子はない。

 そして、その画像に映し出された人物は間違いなく水城 不知火その人だ。

 白を基調としたレオタードタイプの対魔忍スーツ。ゆきかぜから未熟さと生意気さを取り除き、穏やかさを付与したかのような顔立ち。

 かつて虎太郎は彼女とその夫の強引さに辟易したものだったが、何の感慨も抱いた様子もなく机の上に不知火の画像を置いた。

 

 

「アル、洗い出しは終わったか?」

 

『はい、既に』

 

「よし。その中から水城親子の関わった任務に関わりのありそうな人物を割り出せ」

 

『了解しました』

 

「頼むぞ。アサギ、すぐに出る。作戦の相談もクソもない、()()の救出任務に切り替えだ。詳しい作戦内容は事後報告。構わないな?」

 

「それは何時ものことでしょう。人員の編成はどうするつもり?」

 

「今回は――今回もオレとアルだけで動く。複数人で潜入すれば足がつきやすい」

 

 

 断片的な情報であったが、手にした情報が見えない糸で繋がっている感覚が虎太郎にはあった。

 つまり、今回の一件は偶然や幸運によるものではなく、何者かの意図した計画である可能性が高い。

 全体像を把握しているわけではなく、計画自体の目的も判然としていないが――今は、何よりも重要なのは時間だ。

 

 既にゆきかぜ、凜子がヨミハラに潜って一ヵ月が経過している。

 魔界の技術によってゆきかぜや凜子に何かを仕込むには十分な時間だ。肉体的な改造が施されていると見るべきだろう。

 虎太郎の読みでは、既に肉体的な屈服から精神的な屈服へと方針がシフトしている。時間は早ければ早いほど望ましい。その方が圧倒的に仕事が楽だ。

 

 敵の目的と複数のプランを同時に組み立てながら、虎太郎は準備に取り掛かろうと部屋を後にしようとし――

 

 

「……信じてるわよ」

 

 

 ――黒百合に袖を掴まれ、引き止められた。

 

 この場で最も責任を感じているのは誰なのか。それは間違いなく黒百合だ。

 

 自分が不用意な情報をもたらさなければ。

 自分がゆきかぜ、凜子の代わりにヨミハラへと赴けば。

 このような事態にもならず、むざむざ二人を危険に晒すこともなかったと、意味のない仮定に煩悶している。

 

 黒百合は、かつて子供を喪った。

 彼女に非はなく、周囲の全てにも非はなかった。ただ、間が悪かったとしか言いようがない。

 そんな経験を経ているが故か、子供に対して無条件に甘い。如何にゆきかぜと凜子が優秀な対魔忍であっても、彼女にしてみれば二人はまだまだ子供なのだろう。

 

 

「好きにしろ。だが、期待はするな」

 

 

 その全てを理解した上で、虎太郎は黒百合の期待を冷たく切り捨てた。アルフレッドの端末を回収すると部屋を後にする。

 人間性など欠片も感じられないやり取りに、黒百合のみならず、アサギやさくら、紫ですらが落胆の色を見せ――――ることはなく、寧ろ安堵の表情を浮かべていた。

 

 弐曲輪 虎太郎は油断のならない男である。

 使えないと判断すれば、仲間であろうと簡単に切り捨てる。勝てないと判断すれば、一も二もなくすぐ逃げる。

 人間性を排除した機械的な合理主義。必要とあらば、あらゆる行為を良しとする冷徹さ。あらゆる者を信じておらず、自分自身ですらが疑いの対象である猜疑の塊。

 

 その性格、性質、本質は闇の者に極めて近い。

 そんな人物が、どうして対魔忍などを続けていられるのか。最早、有用性を証明するだけではどうにもならない厄介者だ。

 

 実に単純な話だ。

 彼女たちは知っている。虎太郎自身は誰一人信じておらずとも、己に向けられた信頼を決して裏切る人物ではないことを。

 彼女たちがその性質をどのように受け止めているかは定かではないが、虎太郎からすればその方が都合がいいからに他ならない。

 

 信頼があれば、自分にとって都合のいい方へ状況が勝手に動く可能性が高いことを理解している。故に、虎太郎は他者からの信頼を裏切らない。その信頼すら道具とする為に。

 そして、虎太郎自身は気付いていないが、その方針こそ、辛うじて彼を人間たらしめている理由だった。

 

 四人は普段と変わらない彼の態度に安堵した。

 彼はどう喚こうが仕事人だ。一度任務につけば、完璧に任務を熟す。そして、いつものように帰ってきてから管を巻くことは間違いないのだから。

 

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