『見切り発車の罠とか、苦労人には付け入る隙でしかねぇ!』
魔都・東京――――から少し離れた地方都市を、黒塗りの乗用車が目的地に向けて走っていた。
運転手は無貌の対魔忍、弐曲輪 虎太郎。助手席に座っているのは、対魔忍の頭領足るアサギの後を継ぐのでは、と期待されている八津 紫。
普段であれば虎太郎は草臥れたスーツを。紫は自前のスーツの上から白衣を纏っている。それが五車学園に於ける二人の決まった服装だ。
しかし、今回は毛色が違っていた。
虎太郎は普段のものと変わらない安物のスーツだが、下ろし立てらしく草臥れた印象は受けない。
可もなく不可もなく。他人に不快な印象は一切与えないが、逆に取り立てて印象に残る訳でもない格好だ。
紫もレディーススーツ姿であった。
黒いブラウス、白いジャケットと白いスカート、両脚を包む黒いストッキング。
コーディネート自体は普段から変化は余り見られないが、スーツ自体の値段や身に付けている小物は桁違いに高かった。
珍しい服装もさることながら、珍しい組み合わせでもある。
虎太郎は必要と在れば誰とでも組むが、表向きには対魔忍組織の一構成員に過ぎない彼がアサギの側近である紫と仕事を共にすることはない。
紫も同様だ。彼女は多くの場合、さくらと組むか、アサギのサポートに回ることが殆どである。
そもそも、互いが得意とする――虎太郎の場合は、ほぼ全ての任務を熟せる万能選手であるが――任務が違う為に、稀も稀な組み合わせだ。
そして、二人の表情は非常に険しかった。但し、それぞれの険しさの意味は違っている。
虎太郎はうんざりと心境が表情に出ているが故に険しく、紫は明確な怒りによって険しくなっていた。
「貴様と来たら、毎度毎度、独断ばかり! 如何に対魔忍と言えども、アサギ様の命なく行動するなど――」
「そりゃ、そっくりそのまま対魔忍の8割の連中にお返しするよ。独断専行は対魔忍の専売特許だ」
「話をすり替えるな! 確かに問題のある連中はいるが、私が話をしているのはお前の問題行動だ!」
「少なくとも今回――ワイトの件に関しては、アサギの考えに沿って行動した結果だ。魔族を引き入れるなんぞ問題だが、アサギが秘密裏とはいえ決定した事柄、何の問題もないだろう」
五車学園を出立してから虎太郎と紫は、ずっとこの調子だ。
普段から独断――もっとも、アサギ直々に独自の判断と行動を許されている虎太郎には独断という言葉がそもそも当て嵌まらないが――を叱責する紫。
紫の叱責と追及を十分過ぎる理由を以て、のらりくらりと躱す虎太郎。
そんな光景が、車内で展開されている。
紫の叱責の理由としているのは、無論、数週間前のワイトと死霊騎士及び屍の王の襲撃事件。
ワイトの保護に関しては、記憶のない状態ではあったもののアサギの了承は得ていた。故にワイトを救出対象に含めるのは当然のこと、というのが虎太郎の主張。
あくまでもワイトの保護は記憶のない状態が前提であり、記憶を取り戻した以上は危険な――ともすれば、殺害対象にすら値するかもしれない相手、というのが紫の主張。
無論、ワイトの状態を知っている紫は、今更、殺せなどとは言っていない。いや、虎太郎の判断は正しかったとすら認識している。
他の魔族のように人を蔑むでもなく、我が身可愛さに人に付いた訳でもない。ただ、己の意志で人の側へと立ったのだ。
警戒はしている。不安も残っている。だが、その意志を無下にするほど、闇雲に否定するほど、紫も思考が固い訳ではない。
「全く、貴様という奴は……!」
「ようやく終わりか。それで、渡しておいた資料、目を通してあるだろうな」
「当たり前だ! 兄上が苦心して手に入れた情報だぞ!」
(オレが言いたいのは、そっちじゃないんですけどねぇ……)
二人が向かっているのは、日本における対吸血鬼組織の中心、『隼人学園』。
対魔忍、隼人学園にとって共通の敵であるエドウィン・ブラックに対する共同戦線。
その内容に対する草案、本格的に手を組む互いの意思の確認が、紫と虎太郎が隼人学園へと向かっている理由であった。
本来であれば、組織のトップであるアサギが出向くのが筋であるが、今回は紫が代役を務める。
アサギに急な任務や別組織との会談が入ったのではなく、単純に隼人学園に舐められない為だ。
強大かつ共通の敵の出現は手を組むには充分な理由だ。
だが、組織である以上は、自身の組織の利益を追求するのは当然のこと。少しでも自身の利益を得られるように動こうとするのは目に見えている。
折衝、交渉の場では示威行為、相手に怖れられる、認められるというのは恐ろしく有効だ。
躊躇や恐れを見せれば、押し切られる可能性は、それだけ高くなるからだ。
――故に、虎太郎と紫というアサギの懐刀が二振りのみの交渉は、言うなればジャブである。
言外に、お前達との提携、協力関係は我々にとって、それほど重要ではないと語るため。
事実として対魔忍の組織力は、隼人学園に比べれば人員、装備、手段と、どれをとっても勝っている。
全ては対魔忍の関わる任務の広さと事務方のトップである山本長官の手腕によるところが大きい。
無論、本心は別だ。
エドウィン・ブラックの底は未だに見えず、一国の秘密組織に過ぎない対魔忍と多国籍企業であるノマドでは動員できる戦力差は絶望的ですらある。
だが、姿勢というモノは大事だ。それで相手が怯み、躊躇を見せてくれれば、自らの案を押し切れる可能性が高まるから。
「さて、着いたぞ」
「おい、隼人学園まではまだ距離があるぞ」
「冗談だろ? 車に何かされちゃ面倒だ。歩いていくぞ」
「……お前の場合、どんな時でも発信装置や爆弾程度なら常に警戒しているだろうに」
「そりゃ当然。だが、警戒し過ぎて骨折れ損で済むなら御の字だ」
隼人学園から僅かに離れた立体駐車場に車を止めた虎太郎は肩を竦め、紫は呆れながらも不承不承と了承した。
今回は隼人学園の視察も含まれ、交渉時間も長引くだろうと虎太郎は推測していた。車に何らかの仕掛けを施すには充分な時間が。
隼人学園側としては虎太郎と紫を陥れて殺したところで何の意味もないのを理解しての選択である辺り、彼の疑り深さが分かろうというものだ。
駐車場を後にし、二人は揃って街並みを歩いていく。
地方都市は、東京ほどではないものの発展を遂げており、並び立つビルや交通機関も多く、それに見合った人の数もいる。
夜になったとて、街の光で闇夜は塗り潰されることだろう。
だが、決して喜ばしい事ばかりではない。
夜が明るくなったとしても、人の心の闇までは照らせる訳ではない。
文明が発達し、人々の心と生活に余裕が生まれるほど、心の闇と街の闇は濃く、深くなっていくからだ。
この街でも、密かに、だが確実に、闇の者は勢力を拡大しているだろう。
その事実に、うんざりとしながら虎太郎は進み、紫は彼の顔を見て咳払いで諫めた。
そうこうしている内に、目的の隼人学園が見えてきた。
五車学園に比べて、遥かに近代的な造りとなっており、学園の規模はちょっとした大学のキャンパス並みの広さがある。
また全寮制故に、敷地内には生徒と教師用の寮まで揃っている。
理事長である上原 北絵ひいては上原家は、古くから日本という国に仕えてきた陰陽師系統の家系。
お陰で、対魔忍などよりも政府関係者からも信頼が厚く、権力と財力を兼ね備えた家柄でもある。この規模も納得だ。
比べて、対魔忍は組織力は勝っているものの、政府からの信頼は殆どないようなもの、権力も金も山本長官任せである。虎太郎が嘆くのも無理はなかった。
「おっ、アンタらが、例の連中かい?」
隼人学園の校門前に辿り着いた二人を待ち構えていたのは、長い赤毛の女性。
虎太郎は相変わらず何を考えているのか分からない無表情であったが、紫の表情は女性を前に引き締まった。
神村 東。
日本有数の
彼女の名は吸血鬼だけではなく、対魔忍、魔族の間にも広く知れ渡っている。
曰く、彼女の手にした鬼切は千の吸血鬼の血を吸ったとか。
吸血鬼のみならず、上級魔族相手にも大立ち回りを演じ、遂には討ち取ったという話もある。
しかし、仰々しい噂に反して、彼女の見た目も雰囲気もそぐわない。
燃えるような赤毛のポニーテール。ブラトップの上に赤いジャケットを纏い、下はローライズのジーンズにサンダル。
本人はその気など全くないのだろうが、引き締まった筋肉と豊満な胸と尻が煽情的に男を誘っている。もっとも、見た目に誘われ襲い掛かろうものなら、悲惨な目に会うのは明らかなのだが。
表情も明るく溌剌としていて、露出の多い格好よりも、彼女の性格の方が印象に残りやすいことだろう。
「始めまして、私は八津 紫。この度は井河 アサギに代わり――――」
「あー、いいって。そういうのは、理事長に頼むわ。あたしはあくまでも単なるハンターだからな」
「し、しかし……」
「気にすんなって。あたしが仰せつかったのは学園の案内と授業の様子を説明したりだからさ」
「い、いえ、まずは上原殿へ挨拶を……」
「あー、そういうのは必要なもんだと分かっちゃいるんだけどさ、理事長の指示でね。挨拶から協定だのは顔を合わせて、流れで一緒にやった方がいいだろう、ってさ。あたしとしては、素直に従って貰った方が助かるんだが……」
(…………コイツ、絶対脳筋だ。そして、絶対神村の姉貴だ)
東は困った表情をしながら頭を掻くが、紫は想定していたケースを外れたのだろう、困惑顔だった。
そして、東の態度から頼まれた事柄を深く考えずに実行しているだけであろうことを察した虎太郎は、顔を引き攣らせそうになる。
そう。虎太郎を毛嫌いし、蔑んでいる神村 舞華と、この神村 東は姉妹関係にある。
少なくとも彼女の態度を見れば、似た者姉妹であることは想定することは容易い。
今後、東との付き合いで生じるであろう苦労を思い、虎太郎は内心で号泣しそうな勢いであった。
「まあ、先方もそう言ってるんだ。色々と準備もあるだろうしな。素直に従っておくべきだ」
「お、おい、勝手な事を……」
「おっ、そっちの兄さんは話が早くて助かるね。アンタは……」
「弐曲輪 虎太郎。外部との折衝と交渉がメインだ。これから隼人学園との連絡役を受け持つことになるかもしれない。よろしく」
「おう、よろしくなっ!」
性格が固い紫よりも、虎太郎の方が取っ付き易いと判断したのだろう。
東は虎太郎の差し出した手を取ると、ニっと笑みを浮かべて握手を交わした。
紫は自分のプランを挫かれて鼻白んでいたが、招かれたのは我々の方だ、と提案を受け入れた。
そして、同時にいけしゃあしゃあと、相手に全く違和感すら抱かせずに、口から出まかせを吐き出す虎太郎に舌を巻いていた。
(こっちの出鼻を挫いて、無茶な要求でも通すつもりか。それとも単にこっちの値踏みをするつもりなのか。ま、どっちにしたって楽な相手じゃないわな)
隼人学園側の提案から相手の思惑を推察し、虎太郎は東に向けた笑みの下で嘆息する。
思い通りに行かないことは人間にとっては多大なストレスとなる。ましてや重大な場面、重要な物事であれば尚の事。
本来、想定されうる手順を変更することで、相手の想定を崩し、どういった態度を取るのか、図っているのだろう、と少なくとも虎太郎はそう受け取った。
(しっかし、紫め。全然ダメじゃないか。慣れてないからって、ちょっと自分の思惑から外れた程度で狼狽えやがって、こりゃダメかも分からんね)
―――――
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――
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(流石に、教育体制は整ってるな。
東の案内で、隼人学園の設備や授業内容を見て回った虎太郎の抱いた感想は、それであった。
個人個人の質で言えば、対魔忍の方が高い。隼人学園の生徒は、取り立てて特異かつ特殊な能力を有していない。当然と言えば当然である。
だが、体系立てられた対吸血鬼の戦い方や技術を、それぞれの才能の有無はありながらも、皆が同じように共有し合っているのだ。
そこから導き出される答えは、隼人学園に属する人間は一対一よりも、むしろ多対多の集団戦でこそ真価を発揮するというもの。
(欲しいな、このノウハウは。忍法に差異があっても、集団戦の基本、そして教育のノウハウは是非とも欲しい。ウチは教育者としては新米も新米だ…………だが、それよりも)
虎太郎自身が、ではなく、対魔忍という組織が教育のノウハウを必要としている。
誰がどのように教えても、一定の成果を上げる教育体系。五車学園を立ち上げて、まだ10年と経っていない対魔忍には咽喉から手が出るほど欲しい。
虎太郎ならば出来ないことはないが、虎太郎の提案など誰も耳を貸さない上に、何よりも当人にやる気がなく、そしてそんなものに手を出した日には仕事量が激増するどころの話ではない。確実に過労死が待っている。
同盟、あるいは協力関係にある組織からの提案であれば、自信過剰な対魔忍であっても聞く耳を持つかもしれない、という期待もあった。
だが、虎太郎が気になったのは、それ以上に――――
(紫の奴め、気付いてはいないのか? 教師やガキ共からの視線を…………)
学園を見て回っている最中に感じた奇妙な視線の数々。
その大本は、大半が教師や生徒達からのものだった。
学園の内部に見知らぬ人間がいれば、視線の一つも向けるのは普通だろう。
だが、教師すらもが視線を受けるのは違和感しか覚えない。しかも、全員からではなく一部の教師からだけなど。
今回の件は最低限、教師の間には通達があった筈にも拘わらず、視線を向ける理由とは……?
まして、それが値踏みと憎しみが混ざったかのような視線であれば、尚の事。
(……………………嫌な予感しかしねぇなぁ、おい)
「さて、と。あたしの仕事は此処までだな。小難しい話は中で理事長と頼むよ」
「いえ。説明と案内、ありがとうございました。組織の代表として感謝を」
「よしてくれよ。何だか、背中がムズムズしちまうから。さ、入ってくれ。理事長、入るっすよ」
高速で思考を回転させ始めた虎太郎を尻目に、東は何時もの事なのかノックすらせずに理事長室の扉を開いて、無遠慮にずかずかと中へと入っていく。
紫は唖然としながらも、東の後に続き、虎太郎も倣った。
理事長室は豪奢な造りではなく、むしろ質素ですらあった。表向きには普通の学園であるのだから、当然か。
執務用の机に、応接用のソファーとテーブル。生徒の情報か、学園の運営に関わるであろう資料、理事長の趣味なのか、ワインが収められた棚がある。
理事長室の中で待っていたのは三人の美女であった。
豊満な身体をスーツを覆ってもなお、成熟した女の色香を隠せていない眼鏡の女性は上原 北絵。
世界でも有数の結界術師にして、隼人学園の経営者兼代表。
彼女の日本政府に対する影響力は強く、山本長官にも劣っていないだろう。そして、虎太郎の目当ての人材でもある。
褐色の肌に白いビスチェとズボンを纏い、他の二人に比べれば控えめな、日本人からすれば十分以上の肉体に外套を羽織った女性はマリカ・クリシュナ。
人界側の吸血鬼、その女王直属の暗殺騎士団の頂点に就く実力者。
かつて、人と吸血鬼が争っていた時代において、吸血鬼の国ヴラドに戦争を仕掛けようとした国の代表や軍の司令官をたった一人で皆殺しするほどの圧倒的な戦闘能力を有している。
透き通る白磁のような肌、血液そのものの赤い瞳、雄ならば誰でも惹きつけられてしまう美貌と肉体の持ち主がカーラ・クロムウェル。
エドウィン・ブラックに敗れ去り、人界に逃げ延びた直系の子孫。
彼女の異名は
三人の女傑――東も含めるのならば四人か――を前にして、流石の紫も冷や汗を浮かべていた。
しかし、その胸中は気迫と覚悟で占められ、僅かばかりの不安が漂うだけの優秀な精神図であった。
(――――――――くそったれが)
これから始まるであろう交渉に、紫が再度の決意を固めた時、虎太郎は誰にも悟られないまま、内心で悪態を吐く。
悪態を向けたのは三人ではなく、この場には居ない男――グラム・デリックに向けたものであった。
虎太郎は、理事長室に脚を踏み入れた瞬間、思わず顔を顰めそうになった。
北絵も、東も、マリカも、紫も、カーラですらも気付いていない、性技に通ずる彼だからこそ気付いた濃密なまでの愛液と精液の残り香が原因だ。
残り香の濃さから連日連夜、この理事長室で凄惨な凌辱が行われたのは間違いない。
そして、そんな真似が出来るのも、そんな真似をする必要があるのも、グラム・デリックを除いて他には居ない。
(やってくれるじゃないの。今回の提案はアンタの入れ知恵なのかねぇ……)
虎太郎は既にグラムの目的を特定しつつあった。
最近、各国では活発に活動し始めた吸血鬼組織によるアムリタなどの麻薬密売、人身売買が問題視されている。
それに対抗する為の協議が、近々、日本で開かれるのだ。
その協議の邪魔をし、自らの組織を壊滅させたカーラに対する復讐が目的だろう。
その為に、かねてより研究していた寄生蟲を日本に持ち込んだ。そして、対魔忍のセンサーに引っ掛かり、かち合う羽目になったのである。
(虎穴に入らざれば虎子を得ず、とは言うけどよぉ。吸血鬼の巣穴に入り込んで、何を得られることやら……だが、そっちがその気なら仕方がない。もう、死ぬしかないなぁ、グラム叔父さん)
既に隼人学園は吸血鬼の巣となりつつある。
誰が手先となり、誰が味方なのか分からないこの状況。下手をすれば、目の前の女傑達も既にグラムの手に堕ちている可能性すらある。
――だが、虎太郎に一切の動揺はない。
これは好機である。
まんまと罠に嵌ったように見せかけられるからだ。
相手は油断している。憎い相手が罠へと誘い込まれたのだ、グラムの性格を考えれば、当然だ。
そして、虎太郎が罠の可能性に気付いたことを、まだ気付いていない。
罠を喰い破り、グラムの思惑を完全に破壊した上で、抹殺するこれ以上ないチャンスである。
――虎太郎は文字通り、一切の感情と思惑を顔に出さぬ無貌のまま、策を巡らせ始めた。