「以上が隼人学園の置かれている現状だ。何か質問は……?」
桐生の悪意あるサボリが発覚した翌日。
虎太郎の選んだ拠点には、要望通りの人員がある程度集っていた。
紫は用意したホワイトスクリーンを背に立ち、虎太郎はその隣で資料の広げられた長机に腰を降ろし、皆は机を囲むように紫の言葉に耳を傾けるか、机の資料を読み耽っている。
現役の上忍からは葛 黒百合、蘇我 紅羽、由利 翡翠、穂村 奏。
教師陣からは峰麻 碧、蓮魔 零子。
生徒からは氷室 花蓮、前園 桃子、喜瀬 蛍、高槻 幸奈、星乃 深月、大島 雫、百田 里奈子。
そして、虎太郎は要望していなかった志賀 あさつき、上原 燐。
基本的に最後の二人以外は、紫が居らずとも虎太郎の指示を最低限は守る人物で固められた人選であった。
生徒が中心であったのは、やはり動かせる人員に限りのある厳しい台所事情が原因だ。
しかし、中々にバランスの取れた布陣ではある。
諜報活動に特化しつつ経験の豊富な黒百合、紅羽、碧。
近接に特化した翡翠、奏、あさつき。
中距離のカバーが可能かつ殲滅も可能な零子、燐。
生徒達は経験不足であるものの粒揃いかつ虎太郎の指導付きだ。
彼女達ベテランが率いれば、十分過ぎる戦果が期待できる。
隼人学園という数百人単位の救出作戦にしては人員が少なすぎたが、これで十分であった。
グラムの資金源は底が見えており、この街に
また一度は組織が壊滅状態になったというだけあって、純粋にグラムの下へと集っている吸血鬼は50名前後であった。
仮に生徒や教師達全てに寄生蟲が既に仕込まれていたとしても、完全な傀儡に出来ていないのは確定している。
桐生の研究結果によって、この寄生蟲は宿主の快楽信号に反応して、宿主との同化を図る。グラムが北絵を犯したのは、そういった理由があったからだ。
もし、快楽信号がない場合、寄生蟲の同化は最低でも数ヶ月を要する。グラムの隼人学園内部の動きを察するに、彼が潜入したのは最長でも一ヶ月。
どう計算したところで、グラムの狙いである4人以外は傀儡化は出来ていない。精々が、動きを縛る程度だ。
無論、虎太郎が隼人学園の窮地を見過ごそうとしたのは黙っており、紫と虎太郎が交渉に向かった際には既に隼人学園は吸血の巣窟と化していたということになっている。
この辺りまでは、皆も理解できていた――――いたのだが、どういう訳か、全員の表情が引き攣っている。
決して、これから戦うであろう吸血鬼と寄生蟲の悍ましさに怯えているのではない。
決して、隼人学園の置かれた現状に怒りを覚えていることだけではない。
最大の原因は、虎太郎だった。
「ギ、ギギッ、ギィィィッ、ギギギギィィィィィィィィィィィィィィィィィっっ!!」
「ひえぇ……」
虎太郎が、奇声を発しながら奇行を繰り返していたからだ。
桐生と書かれていたであろう紙に向かって、両手で握った包丁を奇声と共に何度も何度も振り下ろしているではないか。
最早、桐生と書かれた紙は原型を留めておらず散り散りになっており、包丁の突き刺さった机は虎太郎の周囲だけがささくれだっていた。
丑の刻参りをする愚か者であったとしても、ここまで気合を入れて個人を憎まないし、呪わないだろう。
彼女達が別々に集合してから、虎太郎はずっとこの調子である。
憎しみとともに奇行を繰り返す姿は、完全に狂人である。誰だって、狂人を前にした時には対処に困るし、恐怖するものだ。
そりゃ顔も引き攣ろうというもの。だって怖いもの。誰だって怖いもの。長い付き合いになる紫だって顔が引き攣るのを止められていないもの。
「すぅ……はぁ…………あの、一つ、宜しいでしょうか」
「あ、あぁ、どうした、氷室?」
皆が沈黙し、虎太郎の奇声と包丁を突き立てる音だけが響く中、深呼吸をしてから花蓮が意を決して発言の許可を求める。
紫も渡りに船とばかりに、花蓮の質問に食い付いた。しかし、直ぐに後悔することになった。
「隼人学園の生徒や教師、吸血鬼の女王であるカーラ・クロムウェルや側近も危険な戦力だとは思いますが、寄生蟲はそれ以上に危険です」
「そうね、氷室さん。目下、最大の脅威は其処になるわ。寄生蟲の寄生経路が凶悪過ぎる……」
「あっ…………それは、だな。いや、済まん。それは、それだけは、今――――」
「寄生蟲への対抗手段は、どうするおつもりなんですか……?」
花蓮は碧の後押しを受け、狼狽える紫にはっきりと問い質した。
教えを請う側の生徒にしては毅然とした態度であったが、花蓮にしてみれば当然のこと。
この中で、寄生蟲の脅威を身で以て体験こそしなかったが、目の前で確かに見た。
自分を庇って寄生蟲の脅威に晒された虎太郎が、自作の電気椅子に座って全身に電流を流す様を。
対抗手段がない状態では、とてもではないが戦えない。
臆病にすら見えるが、持って当然の危機感だ。この中で、虎太郎以外には彼女がもっとも寄生蟲の危険性を知っているのだから。
――――刹那、部屋の空気が凍りついた。
ドスン、と一際大きく虎太郎が包丁を強く机に突き立てたのである。皆は、ビクンと肩を震わせた。
先程から皆は困惑しきりであったが、紫は行動にこそ出さなかったものの、心の中で顔を片手で覆っている。よりにもよって、今、その質問をしてしまうのか、と。
本当に、よりにもよって、である。
今、虎太郎が奇行に走っている原因は、その対抗手段を桐生が用意していなかったためである。
いや、厳密には用意していなかったわけではない。正確に言うのならば“数を揃えていなかった”が正しい。その数を揃えるために、虎太郎がまた命を掛ける羽目になったのだが。
紫は横目で虎太郎の様子をチラチラと確認しながら、口を開こうとする。
彼女の警戒も尤もだった。昨夜、隼人学園の件をほっぽりだして桐生を殺しに向かおうとする彼を力尽くで止め続けたのだから。
そして、ヤバいと感じながらも、紫の立場上の責任として言いたくもないことを言わねばならない。
「寄生蟲への対抗手段は――――ある。人体に影響を及ぼさず、寄生蟲だけを殺すウイルスを桐生が開発している」
「なら――――」
「分かっている。……だが、数が足りない。今はまだ、な」
「吸血鬼との協議まで、あと17日……それまでに間に合うんですね?」
「――――計算上は、な」
彼女は彼女なりに、冷静に状況を分析していた。
グラムの寄生蟲に対抗できるのは、集まった者の中でも五人。
寄生蟲を凍りつかす事が出来る氷遁を持つ自身と幸奈。
寄生蟲を焼き尽くす事が出来る火遁、雷遁を持つ里奈子と燐。
寄生蟲をそもそも寄せ付けない風遁を持つ深月。
しかし、それらも体内への侵入を阻止するための手段に過ぎない。
体内への侵入を許してしまえば、どうにもならない。それこそ、虎太郎のように死を覚悟した上で、一か八かの手段に出るしかない。
妙に歯切れの悪い紫の言葉に違和感を覚えたものの、花蓮は納得したらしく、ほっと息をつく。
「少し待って頂きたい。グラムと初めに接触したのは弐曲輪でしたね」
「しかも、二ヶ月以上も前の話だったはず……」
「弐曲輪。貴様、何をしていた」
「待て、志賀、上原。い、今この場は、叱責の場ではない。いや、そもそも……」
「そのような訳にはいかんでしょう。事実として、そのウイルスの配備が遅れているのですから」
やはり来たか、と紫は内心で嘆息した。
俯いた虎太郎を責めるように睨みつけたのは、あさつきと燐の二名だった。
この二人と虎太郎の仲は頗る悪い。
いや、そもそも虎太郎と仲の良い対魔忍の方が珍しいくらいなので、当然と言えば当然か。
二人の虎太郎の認識は、対魔忍の風上にも置けない恥さらし。虎太郎の二人の認識は、使えねー猪二頭といった具合である。
そんな二人が、虎太郎のミスらしきものを見過ごす筈もない。
ここぞとばかりに追求するのは目に見えていた故に、紫の歯切れが悪かったのである。
このままでは、あさつきと燐の二名と翡翠や紅羽を筆頭とした虎太郎の肩を持つ者達が激突しかねない。
作戦を前にして余計な軋轢など避けたい紫にしてみれば、頭痛此処に極まれりである。
そして何より、これ以上虎太郎を責めようものならば、彼の怒りが爆発しかねない。今回の件、彼は本当に何一つとして非はないのだから。
「――――――あっ」
だが、全ては手遅れだった。
漏れた声は誰のものだったか。紫か、黒百合か、碧か、零子か。少なくとも、虎太郎本来の姿を知る者であったのは間違いない。
虎太郎は震えていた。それはもう震えていた。最早、振動といったところだ。
顔の赤さも相俟ってピンクローターか、バイブといった趣である。あながち間違いではないだろう。彼の性技であれば、その程度の道具を再現するのは不可能ではない。
その様に四人は全てを諦めた。
彼女達に出来たのは、無言で両耳に手を当てて塞ぐことだけだ。
「ぶじゃけりきゃぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁあぁぁぁっっっっ!!!!」
瞬間、虎太郎が奇声と共に弾け飛んだ。
座っていた椅子を吹き飛ばし、ペットボトルロケットも斯くやという勢いで飛び上がる。
室内でそんな勢いで跳ね上がればどうなるのか。当然、天井にぶち当たる。
頭上の電灯に頭から突っ込み、勢いがあり過ぎて、明らかに曲がってはいけない方向へと首がひん曲がる姿を全員が目撃した。
そのまま電灯の破片と共に背中から机へと落下した虎太郎であったが、そのまま勢い良く立ち上がる。どうやら、この程度の痛みでは怒りが収まらないらしい。
「志賀ぁ! 上原ぁ! 今、お前ら何つったぁっっ!!!!」
「い、いや…………だから、この事態はお前が報告を疎かにした結果だろうと言ったんだ!」
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!???!?!??」
虎太郎の狂乱を見るのは初めてであったのか。動揺こそ見られたものの、なおも噛み付く辺り二人もまた強い。
二人の言葉を聞いた瞬間に、虎太郎はまたも跳ね上がり、ドガァっ! と天井に激突する。
先程よりも音が大きく、部屋全体が揺れるかのようであり、皆の肩がビクぅっと震えた。
「こ、虎太郎、おちつ、落ち着きなよ!」
「これが落ち着いていられるかぁああぁぁっっ!! この、このクソアマ共! これを見ろよぉぉぉぉっっ!!」
「な、何だと言うんだ……!」
紅羽の静止の声にも全く聞く耳を持たず、虎太郎は机の上にあった書類の束を掴んで二人へと見せつける。
書類の束は虎太郎の書いた報告書だった。
無論、グラムと邂逅を果たした四人一組の任務の報告書である。
任務後、極度の疲労と心停止の影響もあってか、一時的な記憶喪失に陥った彼であったが、記憶を取り戻すと直ぐ様、ボロボロの身体で報告書を書き上げた。
その理由が、これ以上仕事を貯まるとオレが死ぬという理由である辺り、涙を誘う。
「報告書はしっかり提出してますぅ~! 志賀みたいに任務から一週間も後とかにしないで、二日で提出してますぅ~! 体調が万全ならその日の内に提出しますぅ~! 上原みたいに何度も何度も報告書を書き直す必要もなく一発で通りましたぁ~!」
「い、今は我々のことは関係ないだろう……!」
「ま、まあ、上原先生の言う通りではあるな……」
「報告書は兎も角、アサギ様に報告を怠ったのだろう……!」
「んひぃぃ、んひぃぃぃぃぃぃいいいぃぃぃぃぃいぃぃぃっっっ!!」
虎太郎は、しっかり仕事をしてるアピールをしつつも、あさつきと燐の仕事の質が悪いことを貶す。
横道に反れ始めた虎太郎の言動に、零子のフォローが入ったのだが、あさつきはまたも墓穴を掘ってしまった。
彼女の言葉を聞くと、虎太郎は二度飛び上がり、天井にへこみを二箇所も作り出す。修繕費がまた嵩んでいく。
奇声は訳の分からない領域であったが、表情を見る限り、どうやら笑い声であったようだ。感情が振り切れているとこんな笑い方を人はするのだろうか。
「報告もきっちりしましたぁ~! アサギだけじゃなくて、紫もさくらも交えて寄生蟲の危険性を懇切丁寧に伝えましたぁ~! その後、九郎にも連絡しましたぁ~! 残念でしたぁ~~!」
「あの、残念なのは、弐曲輪先生の言動とか行動の方――――いえ、何でもありません」
舌を出して子供のラクガキのように歪んだ顔で、あさつきの指摘を一蹴する虎太郎。
奏はその言動に当然の感想を漏らしたのだが、虎太郎に視線を向けられて押し黙った。
そりゃ、誰だって地獄の釜の底のような有り様になった視線を向けられれば口を閉ざさるを得ない。
「それだけじゃないですぅ~! 対魔忍全員へ情報が行き渡るようにアサギにもお願いしましたぁ~! 職員会議でも伝えましたぁ~!」
「なっ?! 私は聞いていないぞ!?」
「いえ、言っていましたよ、上原先生。もっともその時、弐曲輪先生の話をまともに聞いていたのは、私と蓮魔先生だけでしたけど……」
「ひぇぇぇ、ひぇひぇひぇひぇひぇひぇっっっ!!! ひゅぅううぅいごーーーーーーー!!!」
燐には全く心当たりのない出来事に驚きの声を上げたが、碧は事実を口にする。
確かに、虎太郎は職員会議でも寄生蟲の危険性を鑑みて、生徒達にも情報が行き渡るように、教師達へと通達していた。
だが、碧の言うように、虎太郎の話を聞いている者などほぼいないに等しく、余りの危機感の無さ、人に仕事を押し付ける癖に自分は仕事をするつもりのない連中に、人知れずビキビキしていた。
碧としても零子にしてもフォローをしたくともフォローが出来ない。
虎太郎がどれほど有用で重要な情報を伝えたとしても、彼等は全く聞く耳を持たないのだ。聞く価値がないとすら思っているに違いない。
普通の人間なら、とっくの昔に嫌になって口を閉ざすのだが、虎太郎には慣れっこの事態であり、恐るべき根気が伺える。
しかし、追い詰められた今の彼にはダメージとなっているらしく、魔女の如く笑いながらまたも天井にドッカンドッカンしだした。
その有り様と来たら、世界で一番有名な赤い配管工。
残念ながら頭突きで天井をへこませようが、穴を開けようが、コインもでないしキノコもでないしスターもでない。ずんどこずんどこ頭部へダメージが重なっていくだけだ。
「桐生ちゃんにも直接頼みましたぁ~! 紫とアサギも交えて頼みましたぁ~! 早いとこ、薬なり何なりを量産しとけって言っときましたぁ~!」
「……………………」
「なあ、頼むわ、教えてくれよ!!! オレのこと罵るんなら教えてくれません!? もう面倒だからその通りにしてやるからよぉ!! そうすりゃ満足なんだよなぁ!! オレの話聞くんだよなぁ!? もうオレが悪いでいいからよぉ!! 頼むから教えてくれよぉ!! これ以上、オレにどうしろってんだよぉぉっっ!! うわぁあぁぁあぁぁあぁあぁっっっ!!!!」
天井にドッカンドッカンし続け、スターを得ることも叶わずに、先に机が音を上げる。
最後の悲鳴は、虎太郎が泣き出したと同時に机が衝撃に耐えかねて真っ二つに割れたからであった。
「ひぐぅっ……ふぐぐぅっ……ふーっ、ひーっ……ひえぇええぇぇぇ…………」
資料の紙が舞い、真っ二つに割れた机の真ん中で俯せに床へと叩きつけられた虎太郎は、そのまま泣き腫らす。
余りに弱々しい泣き声は哀れみを誘うものの、彼の狂乱ぶりに殆どはドン引きしており、彼本来の姿を知る者達は頭痛を覚えるばかり。
今回の件は、虎太郎は何も悪くはない。
彼は己の出来る範囲で最大限の行動を起こしていた。
これは彼の背負った運命であったのか、桐生の意図的な悪意と周囲の無自覚の悪意によるものだったのか、はたまた彼の重ねてきた悪逆の数々の報いであったのかは、神のみぞ知る。
「…………あの、虎太郎、さん?」
「に、弐曲輪先生、落ち着きました、か?」
弱々しい泣き声すらなくなると、しぃんと部屋の中は静まり返った。
生徒達は可哀想なものを見る目で虎太郎を見る。上忍達は気の毒そうに顔を顰めている。教師達は大きく溜め息を付いていた。虎太郎の怒りのターゲットとなった二人ですらバツが悪そうにしどろもどろであった。
そんな中、近づいていったのは、彼の評価が比較的高い翡翠と花蓮であった。
自分達の声にすら全く反応を示さなくなった虎太郎に、二人は視線を合わせると膝を曲げて一緒に身体を揺さぶるものの全く反応がない。
いや、それ以上に気になったのは、彼の身体の冷たさだった。
正常な体温からは程遠い、触れただけで背筋まで寒くなる氷のような冷たさに、二人は息を呑んだ。
慌てて身体をひっくり返し、現れたのは白目を向いている虎太郎の顔。
花蓮は口元に手を翳し、翡翠は首筋、手首の順で指を当て、最後に左胸に耳を当てた。
「……え? うそ、やだ! こ、呼吸してない!」
「みゃ、脈もないです! 心臓も止まっています!」
『――――はぁ?!』
「………………ハッ?! に、弐曲輪ぁああぁぁぁぁああぁぁぁあぁっっ!!」
二人の青褪めた表情と悲鳴のような叫びに、虎太郎の暴走ぶりから白目を剥いていた紫が再起動を果たした。
慌てて虎太郎へと近づいた紫は、二人と同じく虎太郎の状態を探る。
彼女はアサギの補佐、教師として教鞭を握る傍ら、かつて桐生に捕まった経験から魔界技術の恐ろしさと有用性を知り、独自の研究を行っていた。
無論、完全なゼロスタートの紫には茨の道であったものの、医学から始まり、桐生に直接学ぶことを避けて彼の研究資料や虎太郎の齎す情報を元に、それなりの腕にはなっていた。
呼吸停止、脈拍停止、心停止、瞳孔散大。
日本の医療界において、医師が死亡を宣告する際に必要な四つの要素が全て揃っていることを確認すると、紫は白いジャケットを脱いで、シャツの袖を捲くる。
「えぇい、大馬鹿者め! あれほど危険だと言っただろうが! 由利、気道を確保しろ! 心肺蘇生法を開始する!」
「は、はい。でも、どうしてこんな……」
「血を抜いているんだ、弐曲輪は! それも、致死量寸前までな!」
「ど、どういうことです……?」
「全ては桐生のせいだ! 全く、どうして私の周りには、馬鹿な男しかいないんだ――――!」
―――――
――――
―――
――
―
「やれ、ゆきかぜっっ!!!」
「はぁい…………うーん、こんなことしていいのかなぁ?」
「だったらオレを開放しろ、牝豚! マイハニーにやられるなら兎も角、貴様のような貧相な――――」
(どうしてこの男は自分から地雷を踏み抜くのか……)
「…………私を牝豚って呼んでいいのは虎太兄だけだから(ニッコリ」
「ひぎゃああああああああああああああああぁぁあぁああぁあぁぁああぁあぁ――――っっっ!!!」
時間は十数時間前は遡る。
アルフレッドから桐生のサボリの報告を受けてから数時間後、虎太郎は即座に学園で待機していたゆきかぜ、凛子、凜花の三名を動かして桐生を確保させた。
対魔忍装束を纏った三名は桐生の研究室に踏み込むと、部屋の主を容易に捕縛してしまう。
以前までの彼女達ならばまだしも、虎太郎の指導という名の魔改造が入った三人に、何の準備もしていなかった桐生の抵抗など意味を為さなかった。
ゆきかぜは起伏の少ない身体を槍玉に上げられ、桐生に触れて怒りと共に電撃を流す。
手酷い拷問である。常人なら即死しているが、桐生は半ば不死。何の問題もない上に、今回の問題行動もあって誰も同情していない。
彼は逃げられぬように鎖で雁字搦めにされて天井から逆さ吊りにされていた。
その下には大きめのバケツが設置されており、電撃で痙攣する桐生を尻目に凜花が新たな水をバケツに注いでいる。
「ぐ、ぐはっ、こ、この牝豚、どもがぁ……!」
「よぉしよぉし。凛子、下ろせ!!」
「了解だ…………余り良い気分ではないな、これは」
「………………そうね」
「ごぼご、ごぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼおぼぼぼぼぼ――――!!!」
凛子の愛刀“石切兼光”が床に突き立てられた状態から引き抜かれると、縫い止められていた鎖が滑り、桐生の身体が下りて頭がバケツの中に浸かる。
実に古典的な水責めと電撃責めの拷問であった。
虎太郎は意外にも拷問という手段をそれほど用いない。と言うのも、拷問が苦手なのではなく、拷問自体が非合理的な手段だからだ。
自分達の求める答えを強要しがちな手法は合理性に欠く。
拷問の対象者は苦痛から逃れる為に、執行者の求める答えを口にする。それが嘘であるのならばまだいいが、苦痛の余りに記憶を捏造することすらあると、もう手が付けられない。
二度、三度と拷問を繰り返し、確認作業がその度に挟まっては、時間も費用も人員も無駄なことこの上ない。
虎太郎が好むのは相手の情報を揃えて心理的に相手を追い詰め、僅かな反応から事実を察する尋問であり、または理性と人格を完全に破壊してしまうほど強力な魔界製の自白剤を用いることだ。その方が、全てのコストが安く、早く済む。対象者のその後など、完全に度外視である。
虎太郎が拷問を用いるのは、嘘だろうと構わないから自白が欲しい時だけであった。
にも拘らず、桐生にこんな拷問を用いているのは、単に苛ついていた。
これ以上、桐生に調子づかせると碌なことにならず、此処で確実に互いの関係性を叩き込む方がいい。それから、自身のストレス解消でもあった。
この拷問、桐生のようなタイプの不死者には非常に効果的だ。
電撃は肉体が即再生していくが故にどれだけ浴びせても問題がなく、触手を生やそうにも伸ばそうにも筋肉組織が麻痺していくが故に抵抗の可能性を減らせる。
水責めは酸素を失っても死にはしないので問題がなく、脳に廻る酸素が失われていく一方であるが故にポロリと本当の情報を漏らす可能性が高くなる。
怒り狂っていようとも、思考が冴えている辺り、実に彼らしい。
「ひゃははははははははは! いい様だなぁ、桐生ちゃんよぉ!!」
「ごぼぼっ、ごっほ、ごへぁっ!? ま、マイハニー、助けてくれ! 流石のオレもこれはツラい!!」
「紫、桐生を殺す許可を! お前が許可してくれりゃあ、アサギも納得するだろうからよぉ!」
「ハッ! それこそ有り得んなぁ、弐曲輪! オレとハニーは永遠の愛で結ばれている! そんな許可など――――」
「………………」
(あ、あのハニーの目……養豚場のブタでもみるかのように冷たい目だ。残酷な目だ……。『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』って感じの!)
実際には紫は同情すらしていない。
虎太郎は勿論のこと、己もアサギも桐生へ寄生蟲に対抗する手段を用意するように命じていた。
それを虎太郎への嫌がらせを理由に、完全に無視したのである。そんな相手が殺されようとしているとしても、可哀想などと思うほどに紫は甘くはない。信賞必罰など当然だ。
「あ……あぁ……お、ぉお…………好きだ、ハニー! 気持ちいいぃいぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃっ♡」
「気持ち悪い」
「地獄へ落ちろ」
「ひどい……ことないわ。当然ね」
紫から蔑みの視線を受けた桐生は、そのままの状態で身体をくねらせる。
想像の斜め上の反応に三人は嫌悪から眉を潜め、紫は目頭を抑えて頭痛を堪える。
「ふ、ふふ、ふぅ…………思わず射精してしまったぞ」
「テメェが射精した事実なんぞ聞きたくもねぇんだよ! さっさと事実をゲロしろ! お前、オレに治療しただろうが、その時になんかやってただろ! 吐け!」
「ふははははは! 追い込まれているなぁ、弐曲輪! オレはその顔が見たかった! そんな貴様に朗報だ!」
賢者モードに入った桐生であったが、虎太郎の怒り狂った表情に、喜悦満面といった顔で笑う。
本当に後先のことを何も考えていない。魔界に関わった者は、どうしてこう欲望に塗れているのか。
桐生が語ったのは、紫が花蓮に語ったウイルスの存在である。
虎太郎が運び込まれ、採取した寄生蟲を即座に解析し終えた彼は、これまた即座にウイルスを作り上げると念の為、投与したのである。
罷り間違って副作用で死んでくれればな、とでも思っていたのか。対魔忍に協力する魔界医師の矜持だったのか。今までの反応を見る限り、絶対に前者だった。
「ウイルスは貴様の体液に潜む。唾液は元より血液、精液にもなぁ! 一番効果的なのは精液だ! 次に血液! それに順に準じて、必要となる体液の量も増減する! 貴様の身体そのものがウイルスの増殖場所であり、ワクチンの製造工場と言う訳だ! それを他の牝豚共に飲ませるか投与する、或いは抱くんだな!」
「何でそんな仕様にしてんだよ、テメェはぁ! どう考えたって血しか使えねぇだろうが!」
「いや、別に。特に理由のない嫌がらせだが」
「死ね! で、紫、桐生殺害の許可は!?」
「はははは! そんな許可が下りる筈が――――」
「許可する。水城、秋山、紫藤。お前達の可能な限りで構わん、やれ」
『了解――!』
「そんな、嘘だ! ハニー! マイハニー! …………そんな、馬鹿なぁあああぁあぁあぁあぁぁあぁぁぁっっっ!!!」
紫の親指を立てて首を掻っ捌くジェスチャーに、三人の気合の入った応えが返ってきた。
紫の判断も、三人の反応も当然だ。対魔忍という組織の一員としても、虎太郎という男を愛した女としても。
通信が切れる直前、桐生の断末魔の叫びが響き渡っていたが、気に留める者など誰一人としていなかった。
「寄生蟲への対抗手段は、既にあったわけだが……どうする?」
「どうするもこうするもない。やるしかないだろ。既にオレ達は後手に回っているんだ。隼人学園の協力もこれからの活動には不可欠だしな。作戦決行をタイムリミットまで引き伸ばす。血も致死量ギリギリまでいくさ」
「――――そうだな。その通りだ。そして、お前はそういう男だ」
唾液と精液は、とてもではないが使えない。
既に選出した人員の中でこれに納得するのは性に長けた黒百合くらいのものだろう。他の者は嫌悪感から拒否するのは目に見えている。作戦決行前から足並みを乱すわけにはいかない。
許容範囲内となるのは血液に限られる。
他者の血液を飲むなど、これではどちらが吸血鬼か分かったものではないが、納得はするだろう。
これならば、最低限の足並みは揃う。
問題は、どれだけの量が必要となるかだ。
アルフレッドは既に桐生の研究データを探っており、後にゆきかぜ達にも研究資料を探らせれば、一人辺りに必要になる量も、作戦に必要な総量も見えてくる。
相当な量になるはずだ。虎太郎の体重から考えうる血液の致死量、一日あたりに生成される血液の量を鑑みても、足りるかどうか。幸いなのは、生ワクチンとして特殊な手順を踏む必要がなく、そのまま血液を使えることか。
桐生の嫌がらせで問題は山積みだが、それが最良の手段だと判断すれば、己の命がどれほど危険に晒されようとも迷いなく実行する。
全てを理解した上で、紫は椅子に座って腕を組んだ虎太郎の頬に手を伸ばした。
「……どうした?」
「…………わ、私は、唾液でいい」
「精液じゃなくてもいいのか?」
「茶化すな……!」
紫なりに、勇気を振り絞っての一言だった。
何をどう言おうが、どれだけ取り繕おうとも、紫もまた虎太郎を愛している。
思考も行動も最低の一言に尽きる男だが、彼の誓いと在り方は知っており、その一点に関してのみは紫も認めるところ。
救われた経緯もある。冷たい、突き放すような言葉ではあったが、慰められたこともある。弱りきった自分では抗うことなど出来るわけがない、と誰に対して言い訳をし続けてきたことか。
今、己が己として生活し、戦い続けられているのは、他ならぬ彼のおかげ。
必要なこととは言え、普段から口五月蝿く叱責し、その度に嫌われるのでは、と一人で落ち込んむ日も珍しくはない。
嫌悪と好意が鬩ぎ合い、今回は好意が勝っていた。
「そういうのは……ダメだ。これからは体力と気力の勝負だからな」
「オレの得意とするところだから問題ない、と言いたい所だが、今回はお前に甘えさせて貰うさ。感謝する」
「ふ、ふんっ。股間をこんな風にされて言われても、説得力がないからな――――んんっ♡」
椅子に座った虎太郎の上に跨ると紫は首に腕を回して自分から唇を押し付けた。
既に固くなっている男性器を下着の上から押し付けられ、開発されきっている身体は熱くなっていくが、欲望をぐっと抑える。
あくまでも唾液を摂取するのは、任務のためであり、虎太郎への気遣い故に。肉欲を曝け出して一つになる行為とは全くの別だ。
部屋の中に二人の唾液が混ざり合う粘着音、紫の荒い呼吸と送り込まれ、吸い出した唾液を嚥下する音だけが響く。
頭に桃色の霞みがかかりだした紫であったが、最後まで虎太郎を求めることはなかった。
それが、紫がどれだけ虎太郎を愛しているのかを、端的に物語っていた。