※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『一番大きい苦労が、一番初めにやってくることもある』

 

 東京の地下300mに位置する退廃都市ヨミハラ。

 其処へ至る道の入り口は、建設途中で放棄された首都圏外郭放水路にある。

 施設の一部であり水の勢いを調整する調圧水槽は地面から天井までを59本のコンクリートの円柱で繋がっており、さながら林の様相を呈している。

 

 其処を超えると今度は狭い坑道のような空間を進むことになる。

 一説には後北条氏の隠し鉱山が東京の地下にあると噂されているが歴史に記されていない事実故に、真偽は不明だ。

 ともあれ、その坑道も厄介だ。元より入り組んでいる上に、奴隷商人が護衛として手に入れたオークやトロールが逃げ出し、野生化。

 また武装難民が住み着いており、とてもではないが偶然入り込んでしまった一般人は死の運命しか待ち受けていない。

 対魔忍であっても、正しい道程を知っていなければ、悪戯に体力を消耗し、オークの苗床か、トロールの餌となろう。

 

 坑道を何とか這い出すと、巨大な門が現れる。其処がヨミハラの入り口だ。

 門には複数人の門番と対魔忍用の特殊警備犬が待ち構えている。

 この警備犬は対魔忍が持つ対魔の力――米連の研究において“対魔粒子”と呼ばれるものだ――を嗅ぎ分ける。

 つまり、対魔忍であるのなら、荒事なくしてこの門を突破することは不可能ということ――――なのだが、虎太郎は誰にも感付かれることなく全てを容易に突破した。

 その方法は虎太郎にしか分からず、彼が誰かに語ることはないだろう。

 

 ともあれ、彼はヨミハラへ潜入した。

 対・対魔忍用の警備犬の数は多くない。麻薬捜査、危険物発見を行う警備犬よりも遥かに高度で特殊な訓練が必要だからだ。一度侵入してしまえばどうとでもなる。

 

 そして、虎太郎が初めに行ったのは言うまでもなく情報収集だ。

 20年近くも昔、ヨミハラに足を踏み入れたことがあるが、闇の都市は常に趨勢が変化し、たったの数日でパワーバランスが入れ替わることは珍しくないことをアミダハラでの経験から理解していた。

 当時の情報など9割方が当てにならないと初めから理解している。

 地形、建物の把握。下位組織同士の小競り合い。それぞれの勢力と種族の縄張り争い。3日かけて必要な情報を収集し、今現在は別の作業に移っている。

 

 

「あー、何やってんだろ、オレ」

 

『ヨミハラの外壁を登っていますね』

 

「いや、そういう直接的なもんじゃなくてな。こう人生的なというか、哲学的なというかな?」

 

『貴方の立てた作戦(プラン)のせいですよ』

 

「まあ、そうなんだが……」

 

 

 一体、どんな作戦だと言うのか。

 外壁を登ったかと思えば下り、下りたかと思えばまた登りを繰り返す。

 それすら命がけの作業だ。命綱無しのロッククライミング。それも地面と垂直の壁ではない、地面と平行に近い壁を登るというよりも進んでいる。

 

 

『実に大したものです』

 

「ああ、何が……?」

 

『貴方の考えた作戦ですよ。ヨミハラという環境、ヨミハラに住まう方々の性質、恐怖と猜疑と不審。呆れ返るほど有効です』

 

「だろう? まあ、初めて此処に来た時に考え付いたんだが、当時は能力的にも物資的にも不可能だったからな」

 

『ですが、一言だけ言わせて下さい――――――貴方は酷い人だ』

 

「褒め言葉だね」

 

 

 虎太郎は相棒の責め立てるような台詞を鼻で笑う。

 アルフレッドは基本的に虎太郎を否定しない。アルフレッドにとって虎太郎の存在は全てだからだ。

 最早、この世から消える選択肢しか選べなかった己に、新たな選択肢を与えた存在。

 実に興味深く、また虎太郎の存在なくしてはアルフレッドも存在する意味がない。虎太郎がこの世を去れば、自らもまた速やかにこの世を去るつもりでいる。

 

 そんなアルフレッドですらが酷いと称する作戦だ。

 もしアサギがいれば唖然とし、さくらがいれば顔を引き攣らせ、紫がいれば問答無用で殴りつけ、九郎が入れば卒倒し、どんな対魔忍も白目を剥いて現実逃避をするのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

 葛 黒百合の得た情報とその情報元、水城親子の関わった任務、ゾクトの顧客リストをアルフレッドが調査をする内にある事実が浮かび上がってきた。

 

 まず情報元の人物の政界における友人、協力者、接触人物と水城親子のついた任務に関わりのある者の中から共通していた人物は一人。

 日本最大の野党にして政権を握る民新党の幹事長、矢崎宗一である。

 表向きには中華連合親善議員連盟会長。だが、裏では中華連合と取引を行い、闇の組織とも繋がりのある売国奴だ。

 

 ゾクトの顧客リストの中で最も取引回数の多かった人物は、アンダーエデンと呼ばれる娼館の主、リーアル。

 ヨミハラの有力者であり、ノマドとも強いパイプを持つ一介の娼館主、調教師と呼ぶには権力を握り過ぎている。

 

 一見、何の繋がりもなさそうな両者。

 在ったとしても精々が店主と客以上の関係は出てこないだろうが、二人の写真を並べれば話は別だ。

 

 

『似ているな。体型や耳の形、遺伝的な特徴が出やすい部分は特に』

 

『はい。二人の外見的特徴の一致率は63%。十分に血縁関係を予想できる範囲です。DNA鑑定が出来ればいいのですが』

 

『必要ないだろ。矢崎宗一の経歴を調べろ。改竄は多いだろうが、血縁関係に何らかの痕跡があれば“当たり(ビンゴ)”だ』

 

 

 そして矢崎の出生記録、学歴、政歴を調べ上げ丸裸にしていくと確かに血縁関係に改竄されたような痕跡があった。

 矢崎とリーアルの繋ぐ糸に確証はなかったものの、これで全ての情報が一本の糸で繋がった。

 

 

『ということは、リーアルはヨミハラに潜り女性を奴隷娼婦に仕立て、矢崎に提供し、金銭を得る。矢崎は提供された女性を使って政敵を懐柔して金と権力を得ている、と』

 

『そのサイクルで稼いでいるんだろ。そう考えるのが自然だろうな。よくやる兄弟だ。どちらが兄で、どちらが弟か知らんが』

 

『ふむ。…………虎太郎、一つよろしいでしょうか。ヨミハラはノマドが支配している都市なのですよね?』

 

『ああ、ヨミハラはノマド一強だ。正確には複数の勢力がいるのは確かだが。少なくとも、オレが行った当時はな』

 

『では、リーアルがノマドに属していないのは何故でしょう……?』

 

『…………おい、ちょっと待て。ノマドとパイプがあるって、パイプがあるだけなのか……?』

 

『はい。リーアルは厳密にはノマドではありません。それだけ金と権力に執着がある人物が、パイプのみで済ませるのは些か以上に可笑しいかと』

 

 

 ヨミハラには専用のローカルエリアネットワーク(LAN)がある。

 客が迅速に欲しい情報を得るためであり、また運営側から情報を提供するにはネットが最適だ。

 政府や対魔忍へ情報が流れることを防ぐ為に、インターネットとの接続は禁止。

 するとしても、ノマドから許可を得た上で、幾重ものサーバーを経由する必要があるのだが、史上最強の人工知能(アルフレッド)の前には無駄な努力であったようだ。

 

 其処から得た情報ではリーアルの営む「アンダーエデン」はノマド傘下の娼館ではなく、あくまでも彼個人が経営しているものらしい。

 可笑しな話だ。より金が欲しいのならば、より権力を得たいのならば、ノマドの傘下に入る方がいい。

 個人で動くのならば、ヨミハラの一角を借り受ける土地代及び上納金、魔界技術の入手困難化、護衛の選出と契約金の発生。どう考えた所でメリットよりもデメリットの方が大きい。

 

 

『今の所、考えられる可能性は二つか』

 

『リーアルがノマドにとって危険な人物であるか――』

 

『金を稼ぐのとはまた別の思惑がある、か……』

 

 

 またしても別の方向へと伸びる糸が見えてきた。

 だが、これ以上の答えは見込めない。あとはリーアルから直接聞くか、その身辺をつぶさに探るしか方法はなかった。

 

 厄介な情報が見えてこないままの潜入であったが、致し方ない。

 準備不足など生きている上では常にある。虎太郎も何度経験したか分からない事実であり、その場その場の在り物でどうにか凌いできた。今回も同じである。

 

 

『しかし、そのようなもの、どうするつもりですか?』

 

『ん? ああ、これ? なぁに、袖の下、みたいなものだ』

 

 

 その答えにアルフレッドは何も言わなかったが、明らかに怪訝な様子。

 それもその筈、虎太郎が用意した数々の装備は潜入にも作戦にも全く必要もない上に、袖の下とはとても呼べないクーラーボックスだったのだから。

 

 

 

 

 

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―――

――

 

 

 

 

 

「き、貴様、何をして――――」

 

 

 最後まで言葉を紡げず、一刀の下娼館の主たる淫魔族の首が床に落ちた。

 首謀者は紫のコートを纏い、フードを被った男。恐らくはフリーランスの傭兵、それも魔族だろう。

 目的は金銭か、或いは何者かの依頼によるものか。真実は男を捕まえない限り、闇の中だ。

 男は部屋の窓から路地裏に下り立つとそのまま通りへと姿を消し、ヨミハラの闇の中へと消えていく。

 男が消えた後、奴隷女中の悲鳴が娼館に響き渡る。悲鳴は館全体に伝播し、瞬く間に混乱へと放り込まれたが、最早、全てが手遅れであったのは言うまでもなかった。

 

 

「まあ、こんなもんかな」

 

『鮮やかな手並みです』

 

 

 今し方、娼館の主を殺した男は、ヨミハラでも比較的大きい人通りの中を悠々と歩いていた。無論、弐曲輪 虎太郎その人である。

 彼はヨミハラの外壁を登るのに飽きたのか、或いはもう準備が整ったのか、今度は呵責なき暗殺に乗り出した。

 ヨミハラ潜入前に用意した変装用の衣装を複数用意し、自身の存在を隠した上での暗殺だ。

 ターゲットはヨミハラに点在する娼館の経営者側ではあったものの、今回の救出任務には関係ないだろう。

 もし狙うとするならば「アンダーエデン」のリーアルか、そのスタッフでなければ道理が合わない。一体、何が目的だと言うのか。

 

 

『――ですが、今回は相手の方が一枚上手だったようです』

 

「そうだな。まさか気配だけで追いつかれるなんぞ、思ってもみなかった」

 

 

 虎太郎は持ち前の強い危機感と疑り深さから、アルフレッドは高感度センサーによる探知によって、追っ手の存在に気付いた。

 娼館を後にした辺りから付かず離れずの位置を取り、決して不用意に近づいて来ようとしない。

 

 恐らく、見極めようとしているのだろう。ここ数日、ヨミハラの娼館の主やスタッフが虎太郎の手によって殺害された。

 証拠は程々に残っていながらも決して犯人に到達できない手口は、ヨミハラ全体に疑心暗鬼を生み出すには十分だ。

 犯人の目的は不明のまま。単独犯なのか、複数犯なのか。同一犯なのか、同時多発的に似たような犯罪が頻発しているだけなのか。

 今後、同じような事件を引き起こさぬ為に、ヨミハラの支配する側として是が非でも知って置かねばならない。

 

 

「撒けそうにない。相当な手練れだぞ、これは……」

 

『そうですか。ですが、不測の事態など慣れたものでしょう?』

 

「慣れたくはないがな。虎穴に入らずんば虎児を得ずというが、ここは虎の(あぎと)だな全く」

 

 

 作戦の仕込み(・・・・・・)以外の暗殺、殺害を避けたい虎太郎にとっては、まさに青天の霹靂だ。

 正直な所、彼の予想ではこれほどの手練れが現れるのは作戦が最終段階に差し掛かった時だと思ったが、想定外、規格外などどの世界でも溢れている。

 

 追っ手の存在に全く気付いてないよう装い、虎太郎は目についた路地裏の一つに身体を滑り込ませる。

 即座に周囲の気配を探り、アルフレッドによる周辺スキャンの結果、誰もいないことを確認すると彼自身の忍法を発動させた。

 

 ふうま一族は代々、邪眼或いは瞳術に目覚めるという。

 邪眼とは異能系忍法の一種であり、その視線そのものに魔が宿る能力だ。

 その能力は実に多様であり、相手を石化させる、相手を魅了する、相手を発情させるなど。唯一の共通点は、相手を見る必要があるというもの。

 

 虎太郎の生まれ持ったのは邪眼“魔門”。別名、“貪欲の瞳術”とも。邪眼と言う珍しい能力の中でも更に稀有だ。

 その能力は云わば簒奪。手で触れ、瞳で捕らえた相手の忍法、特性、能力を奪い取り、また奪われた相手は虎太郎が他の能力を奪うか返却するまで能力が使用できない。

 

 彼はあらかじめ、ある対魔忍から奪った、ある能力を発動させ物陰に隠れる。

 その能力を発動させた以上、彼は極めて高い確率で見つかることはないだろう。

 

 しかし、可笑しな話もあったものだ。路地は幅1mもあるかどうか。矛盾しているが物陰などないにも拘らず、確かに虎太郎は物陰に隠れている。

 

 

「さて、何処のどいつか、顔を拝ませてもら、おう……か……、ね…………」

 

『これは……』

 

 

 慎重かつ繊細でありながら、絶大な自信と大胆を足取りに込めながら、追っ手が姿を現した。

 

 その姿に、虎太郎とアルフレッドは絶句する。

 

 現れたのは絶世の美女だった。

 その顔立ちは年齢不相応の若々しさを保っており、女でも嫉妬を通り越して見惚れてしまうだろう。

 熟れた体にはたっぷりと脂が乗り、型崩れが一切ない。その豊か過ぎる双乳と尻肉に反して縊れた腰は雄を誘っているかのよう。男なら見ただけで股間を熱くするだろう。

 

 見間違いようがない。水城 不知火だ。

 

 

「…………チッ」

 

 

 不知火は結局、虎太郎の姿を見失い、舌打ちを一つすると何処かに消えていく。

 それを完全に確認してから虎太郎は物陰から姿を現し、忍法を解いた。

 

 

「参ったな。一番初めに一番厄介な奴が出てきやがった」

 

『そのようです。我々の予想は外れていたのでしょうか……?』

 

「いや、それは早計だ」

 

 

 虎太郎も馬鹿ではない。不知火が既に敵と化していることは話を聞いた時点で察していた。

 失踪から既に5年。人が変わるには――――矢崎とリーアルの手によって変えられるには十分過ぎる時間だ。身も心も堕落していたとして不思議はない。

 

 二人が驚いたのは、その順序だ。

 不知火の出現は救出任務が佳境に差し掛かった折り、矢崎とリーアルが最後に切ってくる切り札(ジョーカー)と踏んでいた。

 まだまだ作戦の仕込みの最中だ。そこで交通事故のように鉢合わせるとは考えてもいなかった。ましてや矢崎もリーアルも関わりのない場面で。

 

 

「一旦、戻る。策は其処で考えるぞ」

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

「にゃ。おかえりにゃ、虎太郎」

 

「ああ。この間言った通り、暫らく間借りするからな」

 

「構わにゃいにゃ。餌はくれるし、攻撃してもしてこにゃいし、お安い御用にゃ」

 

 

 ヨミハラは確かに危険で反吐が出るような退廃の都であるが、彼女の住まう一角はその限りではない。

 環境はスラムも同然であるが、不思議なことにこの一角は乱暴者は少なく、穏やかでさえある。 

 

 それはひとえに彼女――猫の獣人、クラクルのお陰だ。

 何時の間にかヨミハラに住み着いた獣人であり、いつやってきたのか誰も、そして当人も覚えていないらしい。

 彼女は何処の組織にも属していないが、高い戦闘力から一目置かれている。

 何かをするでもなく、ただ猫のように気侭に生活をし、餌をくれる者によく懐く為、近隣の住人からマスコットのように可愛がられていた。

 

 クラクルとの出会いは虎太郎が初めてヨミハラを訪れた時である。

 不手際から不用意に彼女の縄張りに足を踏み入れた虎太郎であったが、殺される寸前に何とか説得に成功し、それ以後はこの一角を拠点として行動していた。

 20年近い時が経過した今でも、クラクルの容姿にも性格にも変化はない。流石に、人間とは異なる時間を生きる魔族だけのことはある。

 

 そして今回も、クラクルの縄張りをセーフハウスとして利用することを考えた。それ故、用意した装備の中にクーラーボックスと大量の魚があったのだ。

 

 はっきり言って、彼女の縄張りは下手な宿を取るよりも、誰かを脅して部屋を奪うよりも余程安全である。

 いちいち周囲の者達に気を配り、気を揉んで過ごすよりもマシだ。

 クラクルは素直な性格故に、いずれは情報が洩れるであろうが、その時にはもうヨミハラに虎太郎の姿はないだろう。

 

 

『クラクル様、少し遊びましょう』

 

「君とにゃ? ん~、悪いけど僕はお喋りよりも、動く方が好きにゃ」

 

『では、こういうのはどうでしょう』

 

 

 アルフレッドの言葉に、虎太郎はクラクルの前に携帯端末を放り投げた。

 彼女は不思議そうに虎太郎と端末を見比べて首を傾げる。何が起きるのか、何をすればいいのか分からなかったのだろう。

 すると、端末から一つの立体映像(ホログラム)が現れる。犬の尾のような花穂に、細い茎の植物だ。正式名称は狗尾草(えのころくさ)、通称はねこじゃらし。

 ゆらゆらと揺れる猫じゃらしに本能を刺激されたクラクルは瞳孔をキュっと窄め、頭の天辺から尻尾の先端の毛を逆立てる。

 

 

「にゃ。にゃん。にゃ、にゃにゃにゃーーーっ!!」

 

『しかし、参りましたね。不知火様は矢崎やリーアルの手先ではないのでしょうか』

 

「……いや、間違いなく手先さ。正確には少し違うがな」

 

 

 本能のまま思う存分、仮初の猫じゃらしにじゃれつくクラクルを尻目にアルフレッドと虎太郎は路地裏での続きを再開する。

 アルフレッドなりの配慮なのだろう。じゃれている内はそちらに集中して、クラクルが聞かなくてよい会話を聞くこともない。

 

 大きく溜め息をつきながら、虎太郎はクラクルが拾ってきたソファに横になったが、顔を顰める。

 クラルクの生態は猫に近い。つまり風呂が大嫌いということだ。洗っていない猫の匂いは強烈だったが、首を振って諦めた。

 

 

「可笑しい可笑しいと思っちゃいたが、ようやく合点がいった」

 

『と、申されますと……?』

 

「葛が情報を得た時と、ゆきかぜと凜子が手中に収まってからの対処だよ。前者は繊細でどちらに転んでも構わないってやり口。なのに後者は是が非でもってやり口だ。同一人物がやったにしちゃ質が違い過ぎる」

 

 

 黒百合が情報を得た状況は極めて偶発性が強く、不知火の情報が対魔忍に渡る可能性は本当に偶然に任せられたものだった。

 その分、情報を流した者が特定し辛く、自己の存在を極力隠そうとしている。

 

 対して、その後の対処は杜撰の一言だ。

 アサギたちの介入を阻む為に、政府側から指令が出たのだが、その命令を辿ればすぐに矢崎に行きついた。

 

 

「矢崎のやり方はとにかく力押しだ。政敵を潰す時も金と権力に明かしている。こんなやり方選ばないし、思いつきもしない」

 

『それは、つまり……』

 

「入れ知恵した奴がいるってことさ。そして矢崎も、リーアルも、不知火も、ソイツの操り人形だ」

 

『…………ならば、その可能性が高そうなのは』

 

「淫魔族……それも、相当高位のな」

 

 

 淫魔族。

 サキュバス、インキュバスに代表される知的種族を魅了し、夢を操り、無防備な夢を介して精気を吸収する種族だ。

 その多くは違和感なく夢を操るだけあって高い知性を持ち、魔界の貴族階級の執事や侍女を務める者が多く、中には自ら爵位を持つ強力な高位淫魔族も存在すると言われている。

 

 

「淫魔族の経営してた娼館を襲撃してすぐにあれだ。しかも、ソイツは十中八九ヨミハラにはいない」

 

『何故、そう言い切れるのですか?』

 

「ソイツは極力、表に出てないように気を使っている。そして、リーアルの立ち位置から分かるようにノマドとは別系列の組織でもある」

 

『――エドウィン・ブラックを警戒しているのですね』

 

「怖れているのさ。なんであんなの一々相手にするかね」

 

『不死の王をあんなの呼ばわりですか。直接相対したこともないのに』

 

「それがあるんだなぁ。この街で、運悪くな」

 

『……っ!? 全く、貴方にはいつも驚かされます』

 

「一目見て、ブラックのことはおおよそ理解できた。アレはな、相手にするだけ馬鹿を見る相手だ。問題は相手にしなくても勝手に此方に突っ込んでくる自動照準装置付きの核弾頭ってとこだ。傍迷惑にも程がある」

 

『貴方の天敵ですね。苦労に喘ぐ貴方が目に浮かびます』

 

「おい、やめろ。現実になりそうだろうが」

 

『半ば本心ですので。因みに、貴方のブラック評は如何なものなのでしょう?』

 

「あー、―――――ってとこだ」

 

 

 その一言に、アルフレッドは絶句した。

 あの絶大な力を誇る“不死の王”、全ての吸血鬼の祖、圧倒的な勢力を誇るノマドの頭領を、今何と評したのか。

 少なくとも、アルフレッドが端末の故障を調べ、虎太郎が正気かどうか調べるほどの威力を秘めていた。人間的に表現するなら耳を疑う、だ。

 

 しかし、アルフレッドの知る限り、虎太郎の人物評は外れたことがない。

 かつてふうまの頭領として学んだ人心把握、掌握術故にか、或いは苦労ばかりを重ね、人を多く見続けてきたが故なのかは分からない。

 そしてアルフレッドは知っている。この男のダメなところは、他人を理解するのは異常に速い癖に、他人に共感する気が一切ない所だ、ということを。

 

 

『いずれにせよ――――好機、ですね』

 

「ああ。ゆきかぜと凜子を救出する上で最大の難関が不知火の存在だった。オレの顔を知っているしな、どうしても力押しにならざるを得ない。変装して侵入できないのは余りに痛かった」

 

『次の一手は、不知火様の救出ですね』

 

「やだやだ。仕事が増えた。元々、助けてやるつもりなんてなかったのに」

 

『ああ、そういえばアサギ様にもお二人の救出と言っていましたね。このドライモンスター、当人たちの前で絶対に言わないで下さいよ』

 

「言う訳ないだろ。初めから地に落ちてる心証を自分から地面にめり込ませてどうする」

 

『では、淫魔族と関わりのある施設を調べましょう。そこから不知火様の所在を――――』

 

「その必要はなーい。もう仕掛けは済ませてある。発信機兼盗聴器をな。いやはや、実に便利な世の中になったものですなー」

 

『驚くべき手の早さです。その油断の無さと容赦の無さ、誰も真似できません』

 

 

 虎太郎は隠れる寸前、小型の発信器を仕掛けて置いた。不知火に近づける筈もない故、地面に設置してだ。

 彼の思惑通り、不知火は何も気づかぬまま発信器を踏み付け、みすみす自分の居場所は教える羽目になったのだ。

 

 

「さて、やろうか。奴らの絵図面を引き裂くぞ」

 

『承知しました。全力で援護(サポート)します』

 

「まずは不知火だ。淫魔族だろうが、ノマドだろうが、幻影の対魔忍だろうとも、オレの前じゃあ全員指定席に座って貰おうか。正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討ってやる」

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

「取り逃がすなど貴様らしくないではないか、不知火」

 

「申し訳、ございません」

 

 

 虎太郎が襲撃した娼館の一室で一組の男女が向かい合っていた。

 

 女――不知火は片膝をついて頭を垂れ、自らの不手際に対して言い訳の一つもしない。しかし、表情は痛々しく、重く沈んでいる。

 男は一人掛けのソファに腰掛け、表情は闇に溶けて窺い知れない。ただ声からはかなりの老齢であることは分かった。

 

 

「まあいい。あの御方も、お前はよくやっていると認めておられる。貴様の娘と剣士気取りの娘を堕とせば、褒美を頂けるであろう」

 

「…………あぁ」

 

 

 不知火は胸に手を置き、身に余る光栄を頂いた騎士のような仕草を見せる。

 しかし、その表情は余りにも蕩け、堕落している。これから与えられる快楽を夢想して、股座を濡らす淫売のそれだ。

 

 

「では、ワシは本拠に戻る。貴様は引き続き、我らの同胞を殺め、我らの主に楯付く愚か者を処断し、対魔忍の二人を此方に引き入れよ」

 

「承知しました」

 

 

 それだけ言うと、男は声からは想像できないほど若々しい動作で椅子から立ち上がり、部屋を後にした。

 

 

「――――ふふ」

 

 

 邪悪さと淫靡さの同居する笑みを浮かべ、薙刀を片手に不知火は窓を開け放つと瞬く間に娼館の屋根に上る。

 

 

「昨日はしてやられたけれど、今日は随分と間抜けな鼠さんね……?」

 

 

 屋根の上には、不知火が昨日取り逃がした紫のコートの男がいた。先程の会話に聞き耳を立てていたのだろうが、生憎と不知火には感付かれていたようだ。

 

 男はじりじりと後退りながら、逃走のタイミングを図っている。

 不知火にとって、男がどのような目的を持っていようと関係がない。主の命令通り、この男を殺し、速やかに元の仕事に戻る。娘を淫魔の奴隷に仕立て上げる悍ましい仕事に。

 

 

「じゃあ、死んでもらえるかしら?」

 

「――――!」

 

 

 夕飯のお遣いを頼むような気軽さで、吐き気を催すような殺意を放ち、残酷な死を宣告する。

 

 堪らず、男は背を向けて逃走を開始した。

 ヨミハラの誰にも気づかれることのない、逃走劇が始まった。

 

 屋根から屋根へ。男は恐るべき身体能力とバランス感覚で、平面斜面問わない屋根を必死に逃げる。

 しかし、決して振り切れない。不知火の身体能力は男以上であり、単純な性能争いである以上、振り切れる道理はない。

 

 その上――

 

 

「ッ――!?」

 

「残念だったわね」

 

 

 ――逃走経路の先で、待ち構えているように現れる不知火。

 

 勿論、本物は彼の後ろにいる。これは彼女の忍法による分身だ。

 彼女の操る忍法、水遁の術・幻影陣。水や水蒸気で光を屈折させ、姿を消し、あるいは見た目を変える幻惑(めくらまし)の術。

 その絡繰りを知っていれば、ただ突破すればいいだけの話だが、男は無知蒙昧の羊、見抜けよう筈もない。

 

 徐々に、徐々に。獲物を追い立てる狩人のように、限りのない愉悦の笑みを浮かべながら確実に距離を詰めていく。

 

 

「さあ、捕まえたわ」

 

「づっ――――!!」

 

 

 逃走する男の脇腹を不知火の回し蹴りが捕らえ、男は屋根から転落し、地面に叩き付けられる。

 男は慌てて立ち上がるが、既に彼は蟻地獄に捕らえられた蟻も同然だった。

 

 そこは無差別な建造によって出来た奇妙な空間だった。

 四方を建物の壁で囲まれ、壁の高さは8m。とても一跳びで越えられる高さではない。

 中庭という訳ではなく、考えなしに繰り返した増改築の結果出来上がった空白地帯のようだ。

 

 

「うふ、ふふふ……!」

 

 

 手に持っていた薙刀を投げると、音を立てて地面に転げ落ちる。

 不知火でなければ何の意味もない行為であったが、こと不知火に限っては最適の手段である。

 薙刀の周辺に不定形生物のスライムのように水が集まり、大きく膨張し、色が付き、形が整い、実体を伴った不知火の水分身が生み出された。

 続き、周囲には光の屈折によって生み出される虚像が無数に生み出される。

 

 そして、凄惨な攻撃が始まった。 

 虚像と実体を伴った水分身の波状攻撃。

 おまけに霧を発生させて視界を悪くさせ、回避行動を鈍らせる。

 止めに、屋根の上で待機する不知火は両手一杯のクナイを握り、苦痛と絶望に堪りかねて飛び上がった男を串刺しにしようと待ち構えている。

 

 これぞ、幻影陣の真骨頂。虚実入り混じる攻撃で敵を惑わし、確実なる止めを刺す。幻影の対魔忍足る由縁の技。

 

 男もよくやった方だ。

 実に5分もの間、幻影と水分身の攻撃を受け、止め、躱し続けたのだから。

 

 しかし、何にでも限界はやってくる。

 致命傷こそないものの、全身を斬り刻まれて紫のコートを真紅に染め上げた男は、体力と緊張の糸が切れたのか、その場に片膝をついてしまった。

 

 最後の一撃を見舞おうと水分身と不知火の両腕に力が満ちる。

 薙刀による斬首の刑か。クナイによる串刺しの刑か。不知火は主に歯向かった愚か者に当然の罰を下そうとした瞬間――――

 

 

「――――煙玉ッ!?」

 

 

 ――その全てが水泡に帰した。

 

 水分身を操り、先程まで男の首があった場所に薙刀を振るうが、手応えがない。

 一瞬、驚愕に飛び出しそうになる身体を抑え、注意深く気配を探る。流石に戦いの熟練者だけある。このような場合、不用意な行動に出ることこそが敗北への誘い水であるのを理解している。

 

 どの道、不知火の勝利は確定している。

 再び逃走を図ろうとすればクナイによる串刺し。動かずとも煙が晴れれば水分身の一撃。何もせずとも、失血死は免れない。

 注意深く、用心深く。情けも容赦もなく、不知火はただじっと待った。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 煙が晴れた先、待ち構ていたのは幻影陣による虚像と実像。男の血溜まりだけで他には何もなかった。

 

 不知火は慌てて空き地に降り立ち、周囲の状況を探る。

 何か身を隠せるようなものは一つもなく、壁に穴を開けた形跡もない。逃げ場など何処にもない。肝心要の男は煙のように消え去ってしまった。

 不知火の脳裏に様々な憶測で満ちるが、どれも推測の域を出ず、要領を得ないものばかり。

 

 冷静さを保っているようで、その実、混乱の極みにある。

 そのどうしようもない隙を、男が――――弐曲輪 虎太郎が見逃す筈もない。

 

 

「よう、不知火さん」

 

「こ――――――ッ!?」

 

 

 虎太郎は、不知火の目の前に突如として現れた。少なくとも、不知火にはそのようにしか見えなかった。

 そして、この場に居る筈もない見知った顔が現れる二重の衝撃に襲われ、不知火は完全に硬直してしまう。

 

 顎に走る鈍い衝撃は、掌底が叩き込まれた何よりの証。

 背中から地面に叩き付けられ、脳を揺らされた衝撃でぼやける視界の中で、淡々と無表情に自分の胸元へと何らかの薬物を投与する虎太郎の姿に、不知火は自身の敗北を悟りながら意識を闇へと手放すのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ああ、痛ぇ。クソ、全身傷だらけだ、ちくしょうめ」

 

『ですが、目的は達成しました』

 

 

 倒れ伏し、意識を失った不知火を見下ろしながら一人と一体は淡々と呟いた。

 虎太郎は全身血塗れであったが致命傷はなく、息も切らせていない。全ては演技だったのだ。

 かつての不知火であれば、こうも易々とは決まらなかっただろう。

 だが、5年もの間、戦い続け、死線を潜り続けてきた虎太郎と、望むと望まざるとに拘わらず快楽のみを享受し続けた不知火とでは技量、身体能力、実戦勘に差が出るのは当然の結果だ。

 そして、右目に宿ったある対魔忍の能力を使えば負ける要素はない。

 

 彼が借り受けた能力の名は縮尺法(しゅくしゃくほう)蟻身変成(ぎしんへんせい)

 その能力は体長を最小で1.5cmにまで縮小させる忍法だ。

 アルフレッドの解析では原子間の距離を縮めることで、物体を縮小させているのだとか。

 この能力の優れている点は、ありとあらゆるモノを縮小し、重さをそのままに決してその機能を損なわせない点にある。

 また身体が縮小したことで対魔粒子が全身に行き渡り、身体能力が爆発的に向上する。

 この忍法の使い手は痴呆が進み、今や病院で最後の時を待ち侘びるばかりであるが、かつては第二次世界大戦で活躍した凄腕でもある。

 

 

「アンタにゃ関係ないが、正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討たせてもらったぜ」

 

 

 成程、彼は約束を守ったらしい。

 不知火の与り知らぬところであるが、確かに有言実行。台詞に恥じぬ、これ以上ない不意討ちだった。

 

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