※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『作戦開始! 作戦開始! 一気に敵の首を締めにいっちゃおうねぇ! 但し、殺すのはまだだ、まだ早い!』

 

 

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り2日となる午前0時。

 隼人学園の正門へ向かって歩いて行く三人の美女の姿があった。

 

 白い対魔忍装束を纏い、得意の戦斧ではなく珍しく忍者刀を手にした八津 紫。

 隼人学園の教師にして、多くの吸血鬼と魔族の血を吸った鬼切を肩に担いだ神村 東。

 

 完全に戦闘態勢に入った二人。

 昼間であれば人目を引く格好と手にした凶器から、警察への通報は免れなかったであろうが、幸いにして時間帯は深夜。隼人学園の周辺は、この時間帯に出歩くものはいない。

 隼人学園の周辺地域は全てが上原家の土地。余計な疑いや情報漏洩を防ぐために周辺住人は厳正な審査――特に住人の生活スタイルが日中を主とするか否かを中心に――を受けてから土地を借りて家を建てるか、借家を借りるからだ。

 

 吸血鬼が凶行を働くのは深夜が主であり、最も力が高まる時間帯でもある。

 吸血鬼が活発に活動する時間を想定し、隼人学園の授業も深夜帯に行われる場合がある故の配慮であった。

 

 

「さて、お披露目の時間ね――――武装化(アムド)

 

 

 最後の一人はワイトであったが、彼女だけは普段通りの服装だ。

 道を行けば人目を引くだろうが、決して通報される類のものではないのだが、これから戦いに赴く二人と並んで歩くには余りにも心許無い。

 

 しかし、彼女の掛け声と共に衣服が黄の瘴気と共に全て弾け飛び、裸体が一瞬露わになるも、同じく一瞬で死霊騎士としての武装が顕現した。

 但し、かつてのような露出の多い鎧ではなく、其処から更に黒鉄の装甲を付け足し、頭部までもがおどろおどろしい兜で覆われる新たな武装。

 

 兜は眼窩も鼻孔もない頭蓋骨に、凶暴な歯並びのみを残し、後頭部には三本の紐状の物体が伸びた意匠。

 胴は幾重にも肋骨が折り重なったかのよう。手足には無数の凶悪な棘が伸びている。

 

 鎧兜と言うよりも、甲殻類の外骨格のようだ。

 有機の美しさを残しつつも、無機の悍ましさを付け足したかのような。

 無機の流麗さを残しつつも、有機の異質さを組み込んだかのような。

 一部の隙もなく、正体をひた隠す戦装束。

 

 これぞ虎太郎が考案し、ワイトが着想した新たな力だ。

 

 死霊騎士の最大の利点は、死体を動かし、生者を死者へと変えることで無尽蔵に自軍の戦力を増強させていくことにある。

 しかし、虎太郎にしてみれば、屍の王にワイトの存在は此処にありと伝えるような真似はしたくない上に、対魔忍として戦うのであれば死体を操るような真似は最低限にしておきたかった。

 ワイトとしても、小さくも儚い命に触れた今、かつての所業は悍ましいものとしか映らず、虎太郎の命でもなければ決して使いたくない。

 

 何にせよ、二人の思惑は一致していた。

 さりとて、死霊騎士の瘴気は屍の王から賜ったものであり、今や虎太郎が横から奪っていた貴重な武器でもある。このまま使わずにしておくのは惜しい。

 

 ならば、と考えたのは、瘴気を外に向けるのはでなく、瘴気を身に纏い、内へと向ける方向性。

 

 ワイトが死霊騎士としての鎧を纏うメカニズムは実に単純だった。

 来ている服を瘴気によって分子レベルまで分解し、瘴気ともに再構築したものが鎧だ。瘴気を解放すれば、分解された衣服は自然と元の形へと戻る。言わば、鎧そのものが物質化した瘴気であったのだ。

 ならば、籠める瘴気の量を増やせば増やすほどに、鎧の面積が増えていくのは自明の理。

 反面、鎧に向ける瘴気を増やすほどに、死体をリビングデッドへと変える効果も、構築して操るゴーレムの数も減っていく。更には瘴気それ自体を魔力へと転換させることで爆発的な身体能力の向上へと繋がった。

 

 言わば、死霊騎士の最大の利点、特性をかなぐり捨てることで得た、ワイト個人の超絶的な自己強化(ビルドアップ)

 敵を引き裂く力はオーガを超えて紫に並び、地を駆ける速度はアサギ、虎太郎と遜色はなく、身を守る堅牢さは対魔殻を纏った佐久 春馬以上。更には毒に対する耐性まで得ている。特殊能力という前提がなければ、高位魔族ですら敵うまい。

 

 

「――――行くぜ」

 

 

 辿り着いた隼人学園の正門は、開け放たれたままだった。

 まるで哀れな獲物を誘う蟻地獄のよう。グラムの自信そのもの示している。

 

 勝手知ったる学び舎と東は意気揚々と門を超え、二人もその後に続く。

 本来であれば、魔の者であるワイトは超えられぬ結界であるが、何事にも例外がある。それが禁則破りの印。

 カーラやマリカが大手を振って隼人学園に足を踏み入れられる理由であり、結界を施した術者のみが施せる結界の効果の対象外となるための印だ。

 無論、隼人学園に入った吸血鬼共にも渡されている代物。東を救出した折に接触した吸血鬼から奪っていたものを、ワイトが持っていた故に、結界は何の効果も発揮しない。

 

 正門を超え、校庭まで踏み込んだ三人を待ち構えたのは無数の吸血鬼だ。

 闇の中から滲み出るように、品性を感じ取れない下卑た笑みを浮かべている辺り、グラムの部下らしいと言えば部下らしい。

 

 

「やはり、生きていたか」

 

「おうよ。当たり前だろうが、まだお礼参りが済んじゃいねぇからな、グラムさんよぉ……!」

 

 

 その中に、山川の姿もあった。無論、姿を変えたグラムである。

 東が浮かべた獰猛な笑みを前にして、グラムは慌てた様子を見せずに、山川の擬態を解いていく。

 

 現れたのは王族としての使命も重さも知らぬとばかりに欲望に塗れた笑みを浮かべたグラム。

 反吐が出る、と言わんばかりに東は唾を吐き、鬼切を握り直した。

 

 

「しかし、米連辺りに誘拐されたと思っていたが、対魔忍どもと手を組むとはな」

 

「何か問題でもあるかぁ? こちとら口約束と言えども同盟関係だ。もっとも、お前にゃ関係のない話だがなぁ!」

 

「いいや、ある。あるとも。思わぬ収穫だ。よもや、此処であの男への足掛かりを得られようとはな……!」

 

「あぁ……?」

 

「私を見ないで欲しい。私は関係がない。関係があるのは、あの最低男だ」

 

 

 生きていた自分に自信でもなく、苛立ちでもなく、ただ悦びを覚えているグラムに違和感を覚えた東は、反射的に紫を見た。

 東の知らないグラムと虎太郎の因縁――いや、グラムの主観によるならば才谷 梅太郎との、か――を知っている紫は、頭が痛いとばかりに首を振る。

 

 暫くの間、グラムと紫を交互に眺めていた東は、何かを直感したらしく腹を抱えて笑い出す。

 

 

「あはははは! つまりアレか。要は、アンタは虚仮にされたわけだ! そりゃ執心するってもんだ!」

 

「黙れ! 貴様如きに、人間如きに! 我が屈辱を理解できるはずもない!」

 

「ハっ。まあ、確かにな。偉ぶってるだけで何が偉いのか分からねぇクズの屈辱なんぞ、アタシにはどうでもいい話だしなぁ……」

 

「………………っ!!」

 

「だが、借りがある。お前にゃ、どでかい借りがな。生徒達の分も利子付けて返させて貰うぜ……!」

 

 

 一頻り笑い終わった東は、鬼切をグラムに向け、特大の闘気と殺気を向ける。

 余りの威圧感に吸血鬼共は勿論のこと、グラムですら表情を引き攣らせるほどだ。

 

 これが神村 東。

 人の身でありながら、人以上の怪物を屠り続けた日本最高峰の狩人。

 

 東の殺意に応じるように、ワイトもまた前に出た。

 荘厳な館のメイドのように恭しく。それがまた、鎧を纏った姿を異質に映させた。

 

 こうして、戦いの火蓋は斬って落とされた。

 グラムの切り札にして最大戦力である三枚のカードが伏せられたまま。

 

 

(これで囮として奴等の目を惹き付けた。後は頼むぞ、お前達)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「う~ん、中々、難しいです。でも、こうして…………やった!」

 

 

 同刻。街の中でも比較的住人の多い住宅街に桃子の姿があった。

 

 とあるハウスメーカーの住宅展示場をグラム達は拠点としていた。

 暗示によって人の寄り付かなくなった展示住宅は、生活するにも不便がなく、後腐れなく引き払うことが出来る。

 

 壁で囲われた住宅の裏手。

 勝手口の前に膝をつき、特殊な工具でピッキングを行っていた桃子は自らの成功に小さくガッツポーズをした。

 

 音もなく扉を開けると、音もなく内部へと侵入していく。

 住宅の中は照明の明かりは灯っていなかったが、完全な闇ではなかった。

 侵入したキッチンのすぐ横にあるリビングには、備え付けのテレビに電源が入れられており、バラエティのMCが何事かを喋っていた。

 それをつまらなそうに眺めているのは二名の吸血鬼だ。彼等の足元には酒瓶が転がっており、僅かな血臭は食事を楽しんだ後だと分かる。

 

 哀れな犠牲者の冥福を祈りながら、桃子は更に住宅の奥へと進む。

 彼女の目的は、奴等の隠しているかもしれない人質とグラムの代替個体(スペア)の確保。

 これまでの調査で万が一にもそのような隠し玉はないことは確認済みであったが、あることを前提として動いた方が何かと確実であった。

 

 二体の吸血鬼に存在を悟られず、廊下に出た桃子は更に奥へと進もうとしたのだが――――

 

 

「――――あっ」

 

「――っ! な、何者だ!! お前等、侵入者だ!」

 

 

 ――――間の悪いことに、廊下の突き当りにあったトイレからベルトを締め直しながら現れた吸血鬼とバッチリ目が合ってしまう。

 

 吸血鬼の掛け声に、リビングで寛いでいた二体の仲間も廊下へと雪崩込んでくる。

 

 こうなってしまえば桃子に抵抗の術はない。

 基本、偵察や潜入を主とする桃子の戦闘能力は低い。狭い廊下で前後を挟まれては如何ともし難かった。

 

 

「きゃあ……!」

 

 

 あれよあれよと言う前に腕を捕まれ、リビングのテーブルの上へと投げ出されてしまう。

 二人の吸血鬼に両腕を押さえつけられ、両脚を暴れさせても最後の吸血鬼にあっさりと掴まれてしまい、抵抗の余地もない。

 

 

「噂の対魔忍って奴か。こんな間抜けだったとはな……」

 

「何だって構わねぇさ。思いもよらないご褒美だ。犯すも血を吸うも好き放題ってな」

 

「おい、その前に対魔忍の情報を絞るぞ。グラム様の厳命だ。その後は好きにしろ」

 

 

 対魔忍の襲撃を予測したわけではなかったのであろうが、グラム個人の対魔忍に対する憎悪は、見つけ次第に捕らえ、情報を得ろという形で部下へと伝えられていたようだ。

 一人は呆れ顔で、一人は下卑た笑みを浮かべ、一人は下らないと一蹴し、それぞれの性格を現しながら好きな言葉を口にする。

 

 今の今まで慌てていた桃子であったが、その様子にほっと息をついた。

 

 

「さあ、殺されたくなかったら、我々の質問に答えて貰おうか」

 

「は、はい! 私の能力は催眠誘導と言って、凄く使いにくくて、私としてももっと派手な忍法とか使いやすい忍法の方がいいんじゃないかなぁ、と思ってます!」

 

「いや、誰もそんな話は……」

 

「それでも利点はあります。例えば、今みたいに自分一人に意識を向けさせて、他の襲撃への意識を反らせたり!」

 

「我々は、そのような質問を――――っ!」

 

 

 しているわけではない、と続けようとした一人は強烈な違和感に襲われた。今、この小娘は何と言った、と。

 

 確かに、吸血鬼の行動はおかしかった。

 侵入者を捉えるのは良い。良いには良いが、彼等は何故、これからの襲撃に備えようとせず、小娘一人だけを侵入者と判断したのか。

 普段であれば、一人だけではなく、他に侵入者がいないかを探るの当たり前だというのに。

 

 言うまでもない。

 彼女の持つ異能系忍法“催眠誘導”によるものだ。桃子は今、吸血鬼達の意識を自分一人へと向けさせていた。より、確実に敵を殺害させる為に。 

 

 

「骸塵流、散華(はららばな)――!」

 

「――逸刀流、霧狐(きりぎつね)!」

 

 

 吸血鬼の一人が違和感を持つのも束の間、全ては手遅れだった。

 既に吸血鬼共の背後へと立っていた里奈子と奏による剣閃が、同時に彼等の首を断っていたからだ。

 

 骸塵流は、百田家の火遁と来歴すら分からない意志を持つ魔刀“伊邪那美”を前提とした魔神の殺法。これを修めた者の太刀筋は、あらゆる魔族を焼き払い、斬り伏せて調伏すると言う。

 散華(はららばな)は骸塵流において、基本となる技。炎を刀に纏わせての斬撃は、花弁の散る華の如く火の粉を舞わせる故に、そう名付けられた。

 

 逸刀流は、秋山家を頂点とする対魔忍の剣術だ。

 霧狐は、その中でも速さに重きを置いた抜刀術。これを喰らった者は、まるで狐につままれたかの如く、呆然と死んでいく故に、そう呼ばれる。

 

 ゴトリと三つの首が床へと堕ち、同じく頭部を失った身体はあらゆる力を失って後を追う。

 里奈子によって倒された一体は傷口から煙を上げ、奏によって倒された二体は床に倒れてから、ようやく僅かばかりの血を流し始める。

 

 

「大丈夫ですか、前園さん」

 

「ええ、勿論、二人とも居てくれましたから!」

 

「峰麻先生、此方は終わりましたが、外の様子は……?」

 

『変化はありません。情報通り、この拠点に残っていたのはその三人だけだったようですね…………ごめんなさいね。貴女達にばかり、こんな真似をさせて』

 

「いえ、お気になさらずに。対魔忍の本分と峰麻先生の信条はまた別ですから」

 

『ありがとう。では、任務の続きを。貴女達はそのまま拠点の中を探ってちょうだい。全てが終わった後は、百田さんの火遁で火を放って』

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あーもう、しくったー!」

 

 

 同刻。街の中にある貸倉庫が並ぶ地域で、紅羽は追い詰められていた。

 倉庫の屋根から屋根へと飛び移り、疾走する彼女の背後には二体の吸血鬼が迫っている。

 

 拠点の一つであった貸倉庫に虎太郎謹製の爆弾を仕掛けようとしたのだが、吸血鬼共の優れた五感は彼女の存在を嗅ぎ付けた。

 紅羽は上忍。戦闘が出来ないわけではないが、攻撃方法は苦無が基本であり、彼等を殺し切るには心許無く、逃亡を選択する他なかった。

 

 しかし、吸血鬼の身体能力も中々のもの。密偵や隠密を主とする彼女でも振り切るのは難しい。

 どうにかして逃げ切ろうとする紅羽であったが、吸血鬼の方が一枚上手であったのか――

 

 

「あーらら、絶対絶命だね、こりゃ……」

 

 

 一つの貸倉庫の屋根で、紅羽は脚を止めた。いや、脚を止めざるを得なかった。

 彼女を待ち構えていたのは、更なる吸血鬼の一人であった。二人に後を追わせ、自らは彼女の逃走経路を予測して先回りしたのである。

 

 

「日本では、こういうのは大捕り物と言うのだったか?」

 

「うん。まあ、間違っちゃいないよね。変に博識だなぁ…………こりゃ仕方ない」

 

 

 先回りしていた吸血鬼から視線を外さずに、紅羽は背後の二人も追いついてきたのを感じ取り、ガックリと肩を落として指に挟んでいた苦無を放り捨てた。

 両腕を上げた姿は明らかに降参を意味していた。これには吸血鬼も拍子抜けだ。

 

 

「情けない。抵抗もせずに降伏するとは」

 

「私はそれほど強くないし、あんた達を殺せる手段もない。何より、生きて帰るのが私の任務で一番重要なの。だから、こんな所で死ぬ訳にはいかないのよ」

 

「ふ、此処で死んでおけばよかった、と思うだろうが――――なっ!?」

 

 

 戦いもせずにあっさりと投降を選んだ紅羽に侮蔑の視線を向けながら、吸血鬼達は彼女へと近づいていく。

 

 しかし、それも次の瞬間には驚愕へと変わった。

 紅羽がにんまり微笑むと、彼女の姿は陽炎の如く揺らめき、形を解かせ、やがては消え去った。

 

 

「幻術っ! 一体、いつから……!」

 

「やっほー! こっちこっちー!」

 

 

 忍びの術によって幻像を追いかけていた屈辱に震える吸血鬼は、陽気なお調子者の声に、反射的に道を挟んだ向かいの倉庫へと目を向けた。

 その屋根には先程まで追っていた女が、晴れやかな笑みを浮かべて手を降っていた。

 

 我々を馬鹿にするにも程がある。

 

 そう考え、頭の芯まで怒りに染まった吸血鬼達は、あるものを見逃した。

 紅羽はにこやかに笑いながらも、瞳には冷徹な光りを宿しており、片手で彼等の頭上を指差していることを。

 

 

「このっ――――がぁあああぁああぁっ!!」

 

 

 紅羽の元へと飛び移ろうとした吸血鬼であったが、凄まじい衝撃が全身を遅い、悲鳴を上げた。

 

 彼には何が起こったのかは分からなかった。

 だが、衝撃に相応しい轟音が轟き、周囲には濛々と埃が舞っている。

 見れば、自身の下半身は鉄塊によって押し潰されているではないか。

 上を見上げれば天井には大穴が空いており、何かが自分達の上に降ってきた上で押し潰し、貸倉庫の中へと落としたのだと間抜けな彼はようやく悟る。

 

 

「ば、かな……車が降ってくるなど!」

 

 

 そう。鉄塊の正体は、虎太郎が今回の作戦で乗り回していたハイエースであり、紅羽達がこの場に来るために使用した移動手段。

 

 困惑しきった吸血鬼が天井の穴を見上げれば、三人の女が見下ろしている。言うまでもなく、紅羽を筆頭とした乾班である。

 蛍のテレキネシスによって重力と質量から解放されたハイエースは貸倉庫の空中に浮かんでおり、幸奈の雪遁の術によって巧妙に隠蔽されていた。

 紅羽は吸血鬼に追い込まれた訳ではない。逆に誘い込んでいたのだ。初めから吸血鬼がどう動くのかを読んだ上で、仮初の逃走経路をひた走っただけのこと。

 そもそも、紅羽がその気になれば、相手が吸血鬼であれど姿を眩ませるなぞ容易く、そもそも存在を察知されるなど在り得ない。

 

 自らの能力を過信し、紅羽の行動に疑問を持たなかった彼等には当然の末路だった。

 

 

「ぐぁあっ! 貴様ら、何を――――」

 

「ほい。そんじゃ、灰は灰に、塵は塵に、ってね」

 

「や、やめっ――――!」

 

 

 潰れた下半身から昇ってくる痛みに耐えながら、仲間へと声をかけるが、他の二人は幸運なことに上半身を潰され、即死していた。

 紅羽は微笑んだまま手にした発炎筒に火を灯すと、吸血鬼の言葉に耳を貸すことはなく、穴の中へと落とした。

 車のタンクから漏れたガソリンへと瞬く間に引火した炎は、同じく吸血鬼の身体へと燃え広がる。

 人であることを止め、グラムの元で吸血鬼となった男は摂理に逆らうことなく、炎に焼かれて灰となっていく。正に、相応しい最後と言えよう。

 

 

「よし、これで心置きなく拠点をアレコレできる。二人共、よくやったね。虎太郎の教育のお陰かな?」

 

「ええ、まあ……」

 

「凄く、不満ですけど……」

 

「まあまあ、そう言わずに! 人に教えることは巧いからなぁ、アイツ」

 

 

 炎に包まれる貸倉庫の主に心の中で謝りつつ、火災保険くらい入っているよねと楽観視する紅羽は、この作戦を発案した二人を手放しで賞賛した。

 ただ、これが虎太郎の教育による戦果だというのが気に食わないのか、二人共不満顔であった。

 

 実際に、二人だけではこの発想に辿り着かなかっただろう。

 蛍は紫を、幸奈はさくらを自らの理想としているが故に、能力や忍法の使い方は憧れた二人に習ったものでしかなかったからだ。

 蛍は異能であるテレキネシスで手にした武器を重力から解放することで身の丈に合わない大斧を振り回すことが中心であったし、幸奈は雪遁で光の屈折を操り、姿を隠しての奇襲が中心だった。

 

 

『いや、お前ら、どうしてそんな使い方しかしねーの? もっと簡単な方法あるじゃん!』

 

 

 と発案したのが虎太郎だ。

 自分の得物以外の重さを操る。自分自身以外の姿を隠す。

 その発想は二人にはなく、正に青天の霹靂の如き衝撃を与えたのは確かだ。

 況して二人が組む事を前提とすれば、更なる相乗効果を期待できるとあって、虎太郎を嫌う彼女達であっても素直に従わざるを得ない。

 

 結果は御覧じろ。

 乾班の全員がさしたる被害を受けず、敵を駆逐することが出来た。

 正直な所、二人は複雑な気分であったが、自らの成長が任務の助けになったのならと割り切った。

 

 かつての自分の姿を二人に重ねたのか、紅羽は笑みを浮かべて後進の成長を見守っていた。

 

 

「よぉし! 後は拠点に戻って必要な情報を集めて、後はガソリンと爆弾でボンバーだ!」

 

((蘇我さんも弐曲輪先生に毒されてるー!!))

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 同刻。繁華街。

 繁華街の大通りから外れた雑居ビルの前で、一人の吸血鬼が煙草を吸っていた。

 その雑居ビルこそがグラムの拠点であり、他にテナントは入っていない。彼は賭けに負け、唯一の出入り口で不服ながらも見張りの役割を果たしていた。

 

 見張りなど楽しくもないのだろう。

 そもそも、今日も隼人学園に向かった連中は米連の襲撃さえなければ、小生意気な女共を好き放題に犯しているに違いない。不満の一つも募ろうというものだ。 

 

 その時、雑居ビルの前を一人の美女が通りがかり、ボンヤリと見張りをしていた吸血鬼は、ドクンと心臓の鼓動が大きくなるのを自覚した。

 

 濃くはあるが下品ではない化粧。くるくるとしたパーマのかかった美しい黒髪。背中が大胆に開いたドレス。

 何処からどう見ても、これから出勤するか仕事を終えた商売女であったが、その美貌に誘われたのか、その肢体に興奮したのか、吸血鬼の一物はズボンの中でこれまでにないほど熱く猛り狂った。

 

 

「お、おい、アンタ!」

 

「…………私?」

 

「そ、そうだ。アンタだ!」

 

 

 煙草を取り零した吸血鬼は、知らず知らずの内に声をかけていた。

 声をかけられた美女は脚を止め、怪訝な表情で振り返り、脚を止める。

 

 真正面から見た顔に、吸血鬼はますます牡の本能を刺激されてしまう。

 見れば見るほどに良い女だ。すました表情を涙で濡れさせ、豊満な肉体を欲望のままに組み敷いて犯したくなるほどに。

 

 

「生憎と仕事は終わったの。女が欲しいなら、他を当たってちょうだい」

 

 

 そんな欲望が顔に滲み出ていたのだろう。

 美女は汚らわしいものを見る目で足早に去っていこうとする。

 

 そんなつれない態度も男の獣欲を煽るものだ。

 まるで犯されるために生まれてきた女だ、と吸血鬼は欲望を開放する未来に舌舐めずりをしながら脚を踏み出そうとしたのだが――――

 

 

「今よ、やりなさい」

 

『ほいきた! 深月ん、修正よろしく!』

 

『分かったわ。思いっきりやってあげて』

 

 

 ――――美女の名が葛 黒百合という男を籠絡する天性を生まれ持ち、男を虜とする訓練を積んだ対魔忍であることを知らず、また彼女の下についた若き対魔忍の存在に気付かなかったのは、不幸と言わざるを得ない。

 

 吸血鬼の身体は前に進もうとしたが、意志に反して背後へと吹き飛んだ。

 一体、何が起こったと言うのか。吸血鬼の身体はそのまま雑居ビルの扉を派手にぶち破って、内部へと放り込まれた。

 

 甲高いガラスの砕ける音と重く鈍い破砕音に、雑居ビルの一階に居た仲間二人が異常を察して玄関へと躍り出た。

 其処で見たのは、恍惚の表情を浮かべたまま息絶えている仲間の姿。見れば、彼の胸には野球ボール大の穴が空いており、何かが心臓を貫通したことを示していた。

 

 二人は目配せをすると、片や手に剣を作り出し、片や爪を長く伸ばし、周囲を警戒しながらビルを飛び出した。

 やはり、最初に目に止まったのは、美女――言うまでもなく、黒百合である――の姿だ。

 

 振り返った黒百合の美貌に、目眩を覚えるほどの興奮に見舞われた二人であったが、警戒の高まった今では、それほどの効果はなかったようだ。

 いや、それどころか、理性の低下した状態では思考が仲間を失った怒りで染まっており、何の確証もないままに黒百合を敵と決めつけ、襲いかかろうとした。

 

 

「あら、私なんかに構っていていいのかしら?」

 

「ほざけ! 貴様、何――――な、んだ!?」

 

 

 今まさに黒百合へと飛びかかろうとした一人であったが、背後から再び響いた重い破砕音は無防備に振り返ってしまうのに十分過ぎる威力を秘めていた。

 彼の見たものは、下顎から上を完全に吹き飛ばされて立ち尽くしたままに死に絶えている仲間の姿。

 

 白いエナメル質の歯が綺麗に並び、舌は何事かを伝えようと蠢いたが、やがては痙攣に変わり、どうと地面へと倒れ伏す。

 

 

「はっ、な、何だ、はっ、ふっ、何が起こって――」

 

 

 恐怖に震えながら剣を握り直した吸血鬼は最後に不可思議なものを見た。

 今し方、頭を吹き飛ばされた仲間の死体の横に、アスファルトにめり込んだ鉄球を発見したのである。

 それが何を意味するのか、それが何故そこにあったのかに気づくよりも、彼が答えに辿り着くよりも早く彼の意識は黒に染まり、永遠に戻って来れない闇へと堕ちた。

 

 吸血鬼の側頭部に先の二体と同様に、鉄球が突き刺さったのである。

 

 

「もういいわよ。二人共、降りてきなさい」

 

 

 脳漿をぶち撒けて死んだ吸血鬼の身体が地面に倒れ伏すのを確認すると、黒百合は二人の攻撃役に声をかけた。

 すると、向かいのビルの屋上から雫と深月が一息に飛び降り、音もなく地面へと着地して現れる。

 

 

「考えたものね。筋力強化による鉄球の投擲と風遁による突風での制御を合わせて狙撃、か。展開としても理想的よ」

 

「いやぁ、ウチの忍法じゃ吸血鬼相手には泥仕合確定。深月んの忍法じゃ周りへの被害が大きすぎる。随分、悩みましたわ」

 

「でも、私も風遁の限定的な使用法も学べたし、大島さんも新しい攻撃方法を得られることが出来ました」

 

 

 雫の生まれ持った異能はポピュラーな身体強化系。

 脚に気を送り込めば筋肉が強靭化して爆発的な速度を生み出す。腕に送り込んでもまた同様。但し、欠点として腕と脚の両方を同時に強化することは出来ない。

 身体強化系の頂点に位置する不死覚醒には総合力でも腕力でも頑強さでも及ばないものの、単純に全身強化をする類の能力よりも、強化が限定的である分だけ爆発力は段違いだ。

 

 そんな異能であるが故に、雫の戦闘の基本は格闘だ。

 だが、吸血鬼が相手では打撃系は効果が薄く、雫は異能に目覚めて日が浅く、対魔殺法を修めているわけではない。

 打撃によって頭蓋骨を割ることは可能であろうが、頭部を完全に砕くことは不可能。更に、心臓を裂けさせる衝撃を生み出せても、完全な破壊には至らず、吸血鬼とは相性が悪い。

 

 深月の生まれ持った風遁の術。

 攻守を併せ持ち、幻惑にも長けた術であったのだが、問題なのは深月の適性だ。彼女の場合は兎に角、攻撃にばかり向いていた。

 巨大な竜巻を発生させるような広域への破壊を鑑み得ない大規模な破壊は得意であるが、風の流れを操って遠くの音を聞くような細やかな操作は苦手。

 

 つまり、街中での使用は難しい。

 竜巻の生み出す風は脅威そのもの。吹き飛ばされたダンボールが車のフロントガラスに突き刺さるような事例も存在している。

 魔界都市のような周辺への被害を鑑みる必要のない土地で最大限の効果を発揮する。反面、このような民間人への被害が発生しうる土地では深月自身の性格もあって全力は振るえない。

 

 ならば、と二人が考えたのが、狙撃だった。

 

 雫の全力強化による投擲であれば、投擲物にもよるが十二分過ぎる威力を期待できた。

 深月の苦手とする能力の細やかな操作も、突風の向きや鉄球の簡単な軌道修正であれば十分に行えると判断した。

 自らの能力を自覚し、限られた互いの手札を理解していなければ不可能であった連携である。此処にも、虎太郎の教育が生きていた。

 

 パンとハイタッチする二人に、若者の成長の速さへ苦笑を漏らしていたが、彼女は彼女で“淫蕩の術”を使って吸血鬼共の理性を狂わせ、正常な判断を奪い去っていた。見事な手並みである。

 

 

「さあ、死体を片付けて拠点の中を探ったら撤収するわ。死体の処理は政府の人間に任せましょう」

 

「はー、任務が上手くいくのはええけど、こればっかりは慣れんわぁ……」

 

「……右に同じく」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

『太極班の交戦開始と同時に、離、坎、乾班の任務遂行を確認』

 

 

 仮設本部の置かれた屋上で、一台の奇妙な装置が設置されていた。

 多関節ロボットを思わせる外観の四脚。その先にはローラーが取り付けられており、屋上のような平面ではいくらでも移動が可能となっている。

 その上に取り付けられているのは、スコープの取り付けられていない狙撃銃(スナイパーライフル)であった。

 

 これぞアルフレッドが設計を行い、虎太郎が自分で組み上げた自動狙撃装置。

 移動、照準、射撃は各部のモーターで行い、反動を抑制する重石(ウェイト)によって転倒を避ける機構となっていた。

 

 狙撃銃の名はVSS。

 冷戦時代のソ連にて開発された、世界でも類を見ない珍しい狙撃銃である。

 魔界技術によって飛躍的に銃の性能が上がった中では型落ち感は否めないものの、どれだけ消音器(サブプレッサー)を取り付けても消音効果を期待できない狙撃銃にあって、破格の静音性能を誇る。

 これは当時のソ連が様々な戦場を抱え、ゲリラ戦、隠密潜入作戦への対応が必要不可欠であったためだ。

 

 消音器はあくまでも火薬の炸裂音を軽減する効果しかなく、発砲後に音速を超える弾丸は強烈な衝撃波を生み出し、どうしようもなく銃声が発生する。

 故に、VSSは口径を大型化し、亜音速をキープする専用弾を使用することで、この問題を解決した。その分だけ射程は短くなってしまったものの、今回のような作戦での効果は極めて高いと言えるだろう。

 

 既に鹵獲した小型ドローンを飛ばし、各々の班の動向、状況を見守っていたアルフレッドは、推移していく作戦に次なる指示を出す。

 

 

『虎太郎の音声、性格データを抽出。声帯模写プログラム、起動』

 

「――――こちら、監視役(スポッター)。隼人学園内吸血鬼の集結を確認。カーラ・クロムウェル、マリカ・クリシュナ、上原 北絵の三名も校庭へ向かった。今なら、教員寮と学生寮は隙だらけだ」

 

『こちら、兌の一号。了解した。二号は教員寮の換気ダクトに睡眠ガス設置後、異常に備えてその場に残る。その後、兌の一号、三号は学生寮に向かう』

 

「了解。極力戦闘は避けろ。敵の排除は此方で行う。隼人学園関係者の昏倒を確認した後、一時撤退。学園から距離を取って米連の襲撃に備えておけ。以上」

 

 

 アルフレッドの録音していた虎太郎の生音声を編集して喋らされているとは思えない流暢な喋りに違和感は全くない。

 恐らくは、兌班の三人――虎太郎の本性を知る零子ですら、それがアルフレッドによるものとは思っていないはずだ。

 

 ドローンのカメラからは作戦が恙なく、何の支障もなく遂行される映像が確認できる。

 

 

(アサギ様、山本長官への連絡は済ませました。後は、貴方次第です、虎太郎)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「これで、ラストぉ――!」

 

 

 東が裂帛の気合と共に振り抜いた鬼切は、さながらホームランバッターの見せる豪快なフルスイングのよう。

 ボール代わりの吸血鬼の頭部は、初めからこの世に存在していないかの如く消し飛んだ。

 血飛沫すら舞わず、思考を失った身体は校庭へと倒れ伏す。

 

 最後の一体を倒した東は、自身の調子を確かめるように肩や首を回し、グラムは忌々しげに表情を歪めた。

 

 

(対魔忍と手を組んで寄生蟲の存在に気づいたか。寄生蟲は体内に残っているようだが、数が少ない。何らかの処置を受けたか、霊力で殺したのか。兎も角、発情状態に移行させて戦闘不能には出来んようだな)

 

 

 部下の全てを失ったが、彼にはまだ余裕があった。何せ、最強のカードがまだ三枚も残っているのだから。

 

 戦闘に参加していたのは、東とワイトの二人だけだった。

 

 東は持ち前の霊力と鬼切の猛威を以て。

 ワイトは新たに得た力の暴威を以て。

 

 東が汗一つ掻かず、返り血一つも浴びていないのに反して、ワイトは血塗れだった。

 全ては戦い方の違い故。ワイトの武器は凶悪な形をした手甲と具足のみであり、東のように霊力を使用しているわけでもない。

 鎧の堅牢さで攻撃の一切を弾き返し、圧倒的な膂力で敵を掴み、臓腑を刳り、身体を引き裂き、頭部を吹き飛ばす。そのような戦い方であれば、返り血を浴び続けることになるのは必然である。

 

 紫は戦闘に参加せず、見守るだけだ。

 紫同様にグラムも動いておらず、何らかの奇襲や不意打ちを警戒しているからこその不動の体勢。

 グラムもそれに気づいているからこそ、下手な真似は出来ずにいた。だが――――

 

 

「図に乗るなよ、人間風情に対魔忍が……!」

 

 

 ――――部下を失えば当然、他の戦力を投入せざるを得ない。

 

 グラムの手に堕ちた三人の美女が姿を現す。

 北絵は校舎からゆっくりと歩み、マリカは身体を霧に変えて現れ、カーラは背中から悪魔を連想させる羽を羽ばたかせて空から舞い降りる。

 

 三人の姿を確認した瞬間に、東は舌打ちを漏らし、紫は冷や汗を流し、ワイトは兜の下で表情を歪めた。

 

 彼女達の顔からは彼女達らしさというものが失われていた。北絵の聡明さも、マリカの怜悧さも、カーラの思慮深さも何もかもが、だ。

 刻まれているのはグラムへの忠誠と淫蕩な笑みばかり。性格はさほど変化していないだろうが、各々の立ち位置や信念から決まっていた優先順位が入れ替わり、グラムの命令が全てになっただけで人も吸血鬼も此処まで変わってしまうものなのか。

 

 

「久し振りね、東。生きていてくれて嬉しいわ」

 

「そりゃどうも。こっちは残念だよ。アタシは、前のアンタの方が好きだったからな」

 

「それは悪かったわ。でも、これはこれで悪くないものよ。叔父様の与えてくれる快楽も、叔父様の見せてくれた新しい世界も。貴女も、叔父様の手の内に居れば良かったのに……」

 

「冗談。ソイツに都合の良いだけの女なんぞ願い下げだ」

 

「…………そう。私も残念よ、東。もう、貴女を殺すしかないなんて、ね」

 

 

 今や、気高い女王であった筈のカーラは、グラムの奴隷に堕ちた。

 しかし、それで彼女の根本にある力が削がれた訳ではない。寧ろ、これまでは王族としての戒律や彼女自身の誇りから決して行使してこなかった能力や手段を存分に使ってくる分だけ、危険度は跳ね上がっていると言えるだろう。

 

 ぞわり、とその場に存在していた全てが呼吸を忘れるほどの恐怖を覚えた。

 校舎や校庭に潜んでいた鳥に鼠、虫は生存本能から一斉に逃走を選択した。

 歴戦の東や紫、死は遠い過去のものに過ぎないワイトですらが、全身に鳥肌を立たせ、滲む冷や汗を止められない。味方である筈のグラムは恐怖と優越の混じった笑みを浮かべるほどだ。

 

 ただ、殺すと思考しただけで、溢れる魔力が明確な死を予感させるなど規格外にも程がある。

 これが始祖たるブラックの直系。これが人界の吸血鬼における頂点。これが血を統べる者(ブラッド・ロード)。これが、カーラ・クロムウェルという怪物の本性だ。

 

 北絵とマリカも、カーラと同様に殺意を迸らせる。

 冷や汗も表情も変えぬままであったのは流石であったが、それも所詮は傀儡としての在り方に過ぎない。もし、彼女達に弱点があるとするのなら――――

 

 

「――――――?」

 

 

 今まさにグラムの奴隷達と東達の戦いが始まろうとした瞬間、カーラだけが敵から視線を外した。

 

 吸血鬼の女王としての本能なのか、彼女は確かに異質な何かを感じ取っていた。

 優れた五感ではなく、どれにも当て嵌まらない第六感の、或いは剥き出しの魂のみで感じ取れる何か。

 

 彼女が怪訝な表情のまま視線を向けると、何かはすぐに校舎の影から姿を現した。

 

 

「ひぃ、た、たず、け、ひあ、あああああああああああぁぁぁあぁぁぁ――――!!!!」

 

 

 現れたのは人の身でありながら、隼人学園の人間でありながら裏切りを働いた崎山であった。

 その不様な姿は何事か。顔から垂れ流せる全ての液体を垂れ流し、ジャージの股間を黒く濡らし、更には醜く肥えた腹からは赤黒い液体と弾力のある肉の筒が溢れ、手で抑えている。

 

 腹から溢れているのは血と内臓で間違いない。

 そのままの状態で全力疾走するなど人外の生命力であったが、彼にはアムリタがあった。

 女を強制的に発情、男は精力を増進させるのみならず、人に打てば若返りの効果まである吸血鬼の血液そのもの。それは、死の淵に瀕した者を長らえさせる効果もあるようだ。

 

 だが、カーラが感じ取った者が、崎山のような小悪党である筈もない。

 問題なのは、彼に続いて校舎の影から現れた獰猛な獣だ。

 

 

「……おお、かみ」

 

 

 呟きは誰のものであったのか。 

 狼などである筈がない。日本の狼は随分と昔に絶滅しているし、別種の狼が動物園から逃げ出したとしても捕獲されるまでの時間は短いものだ。そもそも、狼は二足歩行などしないのだ。

 

 地面に片膝を付き、具足から火花を散らせながら、それは確かに直角に曲がった。

 尖った鉄兜から溢れる眼光は獲物を追う獣のそれ。赤いボロ布の如き外套は硬い体毛のよう。手にした軛の如き短剣と血と油で汚れた白銀の大剣は、狼の爪と牙そのもの。

 それは人型だった。だが、同時に紛うことなき狼でもあり――――カーラと同じく人型の死そのものでもあった。

 

 狼が逃げる崎山の背中に襲いかかる。

 逆手に握られた大剣(きば)は、あらゆる苦痛を感じさせることなく、崎山の後頭部を噛み砕(つらぬ)いた。

 後頭部ごと地面に縫い付けられた崎山は手足をビクビクと痙攣させたが、大剣を更に押し込まれて脳幹を完全に破壊されるとようやく動きを止める。

 

 

「な、何だ、アレは……」

 

「恐れ戦くがいいわ、下衆。アレこそは、魔界に語られる血に濡れながらも誇りを損なわなかった伝説の似姿。知らないのなら魂に刻みなさい。不死隊の恐怖を」

 

 

 呆然と呟くグラムに、狼の来歴を語るワイトであったが、耳に届いているかどうか。

 

 それは、カーラも同様であった。

 単なる勘に過ぎなかったが、目の前の狼の爪と牙は己の喉元に届き得ると確信があった。

 

 だからこそ、浮かべたのは歓喜の笑みだ。

 

 これだけの敵を討ち果たせたのなら、叔父様がどれほどお喜びになるか。

 自らの最強を示せたのならば、叔父様にどれほどの褒美が頂けるのか。

 この敵の血を吸えたのなら、自分はどれほどの高みへと登り詰め、叔父様の力となれるのか。

 

 自らの死を見据えた上で、主人を優先するのは正しく奴隷・傀儡と呼ぶに相応しい有り様だ。

 

 

「北絵、マリカ。そちらは貴女達に任せるわ。私は、アレを」

 

「イエス、カーラ様」

 

「分かったわ」

 

 

 手短に二人の仲間に買って出た役割を告げる。

 カーラの赤い瞳は爛々と光を放ち、伸びた爪と乱杭歯は獣のそれよりも遥かに鋭く凶悪に、周囲では闇が胎動した。

 

 そんな彼女に応えるように、狼もまた視線を交わす。

 金と銀の眼光、獲物を威嚇するような低い姿勢、握り直した短剣(つめ)大剣(きば)は、カーラのそれに勝るとも劣らない。

 

 狼は大剣を地面から引き抜きつつも、身体を旋回させて突き刺さったままの崎山の死体ごと大剣を肩に担いだ。

 獰猛な唸り声を上げるや否や、狼は大剣を大きく振りかぶると、突き刺さっていた崎山の死体をカーラに向かって投げ付ける。

 

 死体の体重は100kgに近いだろうに、砲弾の如き勢いで射出されていた。

 硬い骨が根幹にありながらも、肉と脂肪がある程度クッションの役割を果たすと言えども、それだけの重量、それだけの速度で直撃すれば、ただの人間では無事には済まない。

 

 しかし、相手は吸血鬼の女王。

 纏った外套は単純な衣服ではなく、ワイトの鎧と似た魔力で編み込まれたカーラの身体の一部とも言えた。

 外套は一瞬で巨大な羽と化し、向かってくる醜い砲弾を只の一薙ぎで、肉塊どころか血霞に変えてのける。

 

 

「――――っ!」

 

 

 狼は狡猾だった。

 一瞬、羽によって視界を遮られたカーラの不意を打つ形で、跳躍していた。

 

 カーラは満月を背後に襲い掛かる狼の――否、狼虎の姿を目撃し、一瞬だけ目を奪われた。

 

 彼女にとって余りにも遠い狼の剣技。

 無骨でありながらも流麗。ただ執念だけで研ぎ澄まされたかの如き術理の極み。どれだけの血を流し、どれだけの敵を屠って、その頂へ至ったのか。

 最早、グラムの傀儡に過ぎないはずの彼女ですらが、敬意を払わずにはいられない伝説の後継者にして具現。

 

 瀑布の如き剣戟が、校庭へと叩きつけられる。

 余りに重い剣戟に土埃が高く舞い上がり、女王と狼虎の姿は飲まれてしまう。

 

 されど、それも一瞬のこと。

 女王は自らの羽で飛翔しながら。狼虎は自らの両脚で。

 土埃の帳を突き破り、人界における吸血鬼の頂点と魔界の伝承が、いま激突する――!

 

 

 

 

 

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