グラムは混乱の極みにあった。
それもその筈。彼は、対魔忍の魔科医が寄生蟲を死滅させるウイルスを開発したなど露も知らない。
彼の視点で見れば、対魔忍の協力者の血を吸った後に、突如としてカーラが正気を取り戻したようにしか思えなかった。
まだ己が“
血を吸ったことによって、新たな力にでも目覚めたのか。
それとも対魔忍が、己ですら気付かぬ内に何かを仕掛けていたのか。
様々な推論が頭を駆け抜けては消えていく。
何一つ明確な確信を得られぬグラムであったが、彼に出来ることは一つだけだ。
「蟲共よ、目覚めろ! カーラの動きを止めろ!」
「――――っ」
彼の命に、カーラは身体に電流が走ったかのようにビクリと跳ねる。
寄生蟲は未だに機能している現実にグラムは安堵の表情を浮かべたが、直ぐ様にその安堵は水泡の如く消え失せた。
カーラは一度だけ深呼吸をすると、再び歩き出したのだ。
身体は神経に癒着した寄生蟲と薬物の中毒反応によって発情し、鋭敏化している上に、副脳染みた機能を有する寄生蟲は絶えず彼女の行動を阻害している。
にも拘らず、血を吸った事で全身を駆け巡る全盛期の力で全てを捻じ伏せ、彼女は闊歩する。
発情する情けない表情は影も形もない。そのような弱さなど面に出しはしない。
凛々しくも勇ましく、美しくも逞しい歩みは正に女王の行進と呼ぶに相応しく、巨人が地を行くが如く止めようがないかのよう。
誰もが戦闘すら忘れ、カーラに魅入られていた。
「ふっ――!」
「ぐぁっ――――て、テメェっ!」
しかし、動いた者も居る。更には、カーラの進路を遮るという、英断であると同時に愚行も犯した。
東と鍔迫り合いを演じていたマリカは、彼女の隙を突いて腹部に蹴りを叩き込むと、カーラの前に立ちはだかる。
シヴァを威嚇するように唸らせ、歯を剥き出しにしてグラムへの壁となった。
「退きなさい、マリカ」
「聞けません。止まるのは貴方の方です、カーラ様!」
「そう――――残念だわ」
一切歩みを止めることなくマリカに命じるカーラであったが、返ってきたのは拒絶の宣言、そして勇ましい雄叫びと突撃であった。
最早、マリカの主人はカーラからグラムへと変わっている。傀儡となったからとは言え、マリカが受け入れている姿に悲しげに目を細めたが、迷いは皆無だ。
人知を超えた速度で踏み込んだマリカは、掛け値なしに疾風であった。
土煙を巻き上げながら、ただの一歩でカーラとの間合いを詰める。
振り上げたシヴァの刃が限界駆動による高速回転で火花を散らし、渾身の力で唐竹に振り下ろす。
対するカーラはマントを槍や翼に代えて防御するでもなく、ただ左腕を翳しただけだ。
まるで、それで十分とでも言うように。
「ふぅうぅぅうう――――!」
激しい血飛沫を上げながら、シヴァの刃がカーラの左腕を両断していく。
同胞も人間も見境なく、カーラの敵を処断してきた筈の刃は、今やカーラ自身を傷つける刃と化した。
マリカの胸中に浮かぶのは何だったのか。ある種の興奮と狂気の浮かぶ顔は、確かに笑みを浮かべている。
「――――っ!?」
だが、その笑みも凍りついた。
肘の半ばまでカーラの腕を両断したシヴァは、それから先に進まなくなった。
誤作動で回転刃が停止したわけではない。マリカの血肉から生み出された武器である以上、彼女に不手際でもなければ止まることはない。
単純に、カーラの再生能力がシヴァの切断能力を凌駕しただけだ。
切り裂かれる端から肉が盛り上がって再生を果たし、シヴァを見る間に押し返していく。
マリカは顔を顰めてシヴァを押し込もうとするが、全くと言っていいほどに無意味であった。
「マリカ、少し休みなさい。働きすぎだけが、貴女の唯一の欠点よ」
「――――――が、はっ」
カーラの表情は優しさで満ち、声色は慈しみで溢れていた。だが、放つ一撃に容赦などなく。
瞬間、マリカの腹部で火薬が爆ぜた。
少なくとも、マリカにとってはそう判断せざるを得ないほどの衝撃だった。
片腕を両断されたままカーラは爪先を跳ね上げた。
技量も術理も感じさせない力任せの蹴りであったが、その結果は凄まじい。
四階建ての校舎を遥かに超え、数十mの高みまでマリカの身体は天高くに打ち上げられている。
グラムは唖然と空を見上げ、眺めることしかできない。
寄生蟲によって身体を発情させられ、行動を制限されながらもこの威力。魔界の腕力自慢たる鬼族ですら及びは済まい。
マリカは上昇が止まるとようやく現実を認識したのか、血塊を吐き出した。
衝撃の余りに視界は霞み、手足が意のままに動かない。その歪んだ風景の向こうで確かに見た。翼を広げ、自らに追い縋る女王の姿を。
「――――ふっ!」
悪魔の如き羽を羽撃かせ、カーラは甲高い風切音を掻き鳴らしながら飛翔する。
既に衣服にも怪我を負った痕跡は微塵も残っていない。最早、復元と言っても差し支えのない埒外の再生能力で快癒した左腕でマリカの顔面を掴み上げる。
飛翔の勢いが凄まじ過ぎた。
マリカは顔を片手で掴まれた挙句に勢いをそのままに何度となく振り回され、次は天上から地上へ飛翔の勢いを乗せたままに投げ飛ばされる。
まるで球技用のボールか何かのようだ。マリカの投げ出された速度もそれらと何ら遜色のないものだった。
女王と従者の戦いはそれで幕を下ろす。
マリカは凄まじい轟音と土埃を巻き上げながら、校庭へと叩きつけられた。
土の帳の晴れた先に残されていたのは、気を失ったマリカと隕石でも落下したと偽れるクレーターのみ。
カーラは冷たい美貌を讃えたまま、月から降りてきた女神の如く校庭に降り立つ。
ピクリとも動かないマリカに視線すら向けず、再びグラムに対して歩みを開始する。
ともすれば、自らの従者に対して残酷にすら見える仕打ちであったが、彼女はこの上なく優しかった。
ただの物理攻撃では、吸血鬼に対する効果は軒並み低い。
高位の吸血鬼同士による肉弾戦は血で血を洗う泥仕合に発展しやすく、よって互いの攻撃に魔力を込めることで威力を高め、何らかの特殊な能力を用いる場合が殆どだ。
にも拘らず、カーラは攻撃を純粋な膂力によるものだけに留めていた。
吸血鬼を殺すには、物理法則の範疇を超えた攻撃――人外の魔力によって発現する業、人の霊力によって発動する技、対魔忍の対魔粒子の行使によって繰り出される忍法――が必要となる。
だが、吸血鬼を倒す――――即ち、意識を刈り取るだけであれば、物理攻撃でも十二分。人と吸血鬼の肉体に強度と出力の差はあれど、構造自体に大差はない。
アレだけの衝撃だ。どれほど頑強な肉体を持とうとも意識を手放さざるを得ないだろう。
脳と心臓さえ無事であれば、意識を失っていようが身体は再生する。何より、余人には知り得ぬ事実であるが、カーラとマリカの間に交わされた契約は両者を、ただでさえ不死身の身を更に不死身足らしめている。この程度では揺らぎもしない。
必要以上の痛みも苦しみも与えず、肉体を破壊するでもなく意識を刈り取るだけの攻撃。殺し合いの場において、これほど優しい一撃は他にあるまい。
「強い強いと思っちゃいたが、此処までとはねぇ……」
「これが、吸血鬼の女王か……」
「――――ぐっ」
生物として圧倒的な差、余りにも隔絶した強さに、東と紫は顔を引き攣らせたまま笑みを浮かべていた。
二人の胸中にあったのは安堵だ。
これだけの強さを生まれながらに持った怪物となど、二人であれ戦いたくなどない。
そうせざるを得ない状況に叩き落されれば、恐怖も不満も押し殺して戦い、勝利を目指すであろうが、今は心底から敵から味方に戻ったことに胸を撫で下ろす。
グラムは全身を冷や汗で濡らして、呻き声を漏らしていた。
今や、彼は追いつめられたも同然だ。最強の駒であるカーラは手元から離れ、最強に次ぐマリカは戦闘不能、残る北絵が如何に防衛に長けようが敵全員に対抗できるはずもない。
グラムが即座に逃亡を選択しなかったのは、虎太郎には見抜かれていた彼自身ですら決して認めようとしないカーラへの劣等感と執着があると同時に、まだ彼にしか出来ない逃走経路が残されていたからだ。
それでも恐怖を拭いきれるはずもない。
身を穢された怒りすら見せず、ただひたすらに怜悧な美貌のまま向かってくるカーラの歩が進む度に、グラムは身が竦んだ。
「――――動くな!」
グラムのとった行動は、傍目から見れば愚かこの上ない行為であったが、その場の全員が硬直するには十分過ぎる威力があった。
彼は事もあろうに自らの味方である筈の北絵の首に腕を回し、作り出した直剣の刃を押し当てた。
確かに、彼女達にとっては有効な手段と言えた。
グラムにとって北絵は味方ではあるが、同時に敵でもある。これまでかけた労力を考えれば盾にするには過ぎた相手であるが、使い捨てても惜しくはない。
カーラにとっては長年の友人であり、東にとっては自身を拾い上げた恩人、紫とワイトにとっては五車町に結界を張って貰わねばならぬ隣人。無下にする訳にも、切り捨てるわけにもいかない、替えの効かない存在だ。
人質にするには十分過ぎる。殊更、彼女達のように自身の正義に従う者には効果的だ。
傀儡である北絵はグラムの意図を察したらしく、何時でも最高位の結界術を起動できるように霊力を漲らせた。
まるで鼠のような不様さだ。
しかし、グラムらしいとも言える。彼自身、気づいていない上に認めないだろうが、そのような立ち回りをした方が、下衆で狡猾な彼の性にはよく合っている。
グラムの狙いは、言うまでもなく逃亡だ。
全てを失ったも同然であるが、体内の寄生蟲さえあれば、立て直しは可能だ。
何年も何十年もの間、自身を追うであろうカーラの影に怯えながら地下に潜って逃げ回り、力を蓄え、逆襲に備える。
北絵を盾と囮として使い潰しつつ、自身は全力で逃げる算段。
…………本当に、不様にも程がある。未だに、自身に逃走経路が残されているなどと信じているなど、笑い話にもなりはしない。
「――――――呆れたわ」
「――――――何だと?」
カーラが何事かを口にしようとしたのだが、一瞬だけ目を見開くと溜め息と共に言葉を紡ぐ。
グラムはその仕草に煮え滾るような怒りを覚えたが、次第に困惑を強めていく。今の言葉は自身に向けられたものではないことに気づいたのだ。
カーラはグラムなどを見てはいない。
彼も認めたくはない事実であるが、カーラの間に横たわる実力差は天と地ほどの差がある。カーラにとってあくまでも排除と制裁の対象であって、敵にすらなっていない。
それがまたグラムの怒りを深めさせる要因となったのだが、それよりも困惑の度合いの方が強かった。
ならば、今の言葉は誰に向けて放たれたものなのか。
自身の見えていないものが見えているカーラに、グラムは自分がとんでもない間違いを犯してしまったかのような不安に陥った。
一度、鎌首を擡げた不安を押し殺すことなど不可能に近い。
憤怒、困惑、不安。様々な負の感情が渦巻くグラムの胸中は、正に混沌。混乱状態と言っても差し支えはない。
グラムの不安はどうしようもなく正しく、的を射ていた。東の直感に勝るほどの勘の冴えだ。
尤も、彼女のように身を助くる類のものではなく、自身の破滅を決定づけさせるだけの、意味もなければ価値もないものではあったのだが。
「――――っ!」
その時、グラムは肩を叩かれた。
まるで、気付かなかった落とし物を知らせるような気軽さで。
逃亡を成功させる為に何をすべきなのかに思考の大半が向けられたグラムは、背後に何者かが立つ気配を感じ取れなかった。
反射的に北絵を盾にしたまま背後を振り返った直後、グラムの思考は混乱の極点に達し、掛け値なしに思考は停止する。
「よお、久し振りだなぁ」
グラムの見覚えのある男が狼の大剣と短剣を携えて、背後に立っていた。
隈取の入った狐の面。黒いハイネックのノースリーブシャツと同色のスボン。その上に灰色の防弾防刃ベストと同色の手甲。背中の忍者刀、脚にはクナイと手裏剣を納めておくレッグホルスター。
グラムにとって忘れようもない、ともすれば、カーラ以上に執着している男だ。
かつて日本に足を踏み入れたばかりの折、徹底的に虚仮にされ、途方もない屈辱を味あわせた相手。
「才谷 梅太郎ぉぉぉぉおおぉ――――っっ!」
「あぁ、アンタなら、そうするよなぁ」
混乱の渦中にあったグラムに投げ入れられた火種は、今まで燻っていた憤怒の炎を燃え上がらせるには十分であった。
狐面の男を見た瞬間、グラムがとった行為は考え得る限り、最も愚かだった。
事もあろうに、グラムは盾としていた北絵を放り投げ、狐面の男に斬りかかったのである。
ある種の現実逃避でもあった。
瞬きの間に崩れた自身の優位。本来の力を取り戻したカーラの凄まじさ。またしても逃げねばならぬ情けなさ。屈辱を晴らしていたはずが、何時の間にやら更なる屈辱を積み重ねる始末。
彼でなくとも逃げ出したくなるような現実であり、虎太郎の言うように一山いくらの悪党に過ぎなかったのだろう。
極度の緊張と混乱状態から更に感情を爆発させる存在の目視。
グラムは悪辣でこそあったが、育てられ方故か、育ち方故か、感情の操作は不得手であった。
行動は理知的でありながらも端々には感情からの行為が目立ち、自身の非を認めぬ幼さを鑑みれば、この行動も無理からぬこと。
狐面の男であり、狼虎でもあり、才谷 梅太郎でもあり、弐曲輪虎太郎でもあり、そのどれでもない男は仮面の下で失笑すると――――事も無げに、グラム渾身の一撃を短剣で軽く払う。
返す一撃は苛烈の一言。
一切の感情を乗せず、短剣を握ったままグラムの肩を掴むと、不死すら断つ大剣を鳩尾に深々と突き立てた。
「あ、ぐ、ぎぃいいぃぃいいいいぃ――――!」
「ご、ごしゅじん――――あぐっ!」
苦悶か、怒りか、屈辱か。
グラムの口から漏れた声は、怪鳥のように甲高い。
完全にグラムの窮地しか頭になく、助けに入ろうとした北絵は、隙を伺っていたワイトの当て身によって呆気なく意識を消失した。
吸血鬼の再生能力を阻害する魔剣であろうとも、吸血鬼の生命力は健在だ。即死する事だけはなかったが、虎太郎は情け容赦もなければ、油断もなかった。
深々と突き刺した大剣を更に押し込み、倒れるグラムの身体を校庭に縫い付けた上に、かつてセーフハウスで霧化を阻害するために使った“固着の護符”まで貼り付けている。
グラム・デリックの命運が完全に尽き、カーラ、対魔忍の手中に収まった瞬間である。
「本当に、呆れたものね。全て、貴方の掌の上だったというわけ」
「カーラ殿、度重なる非礼はお詫び致します。ですから、どうか――――」
「構いません。此度の件は、身内の恥であり、私自身の落ち度でもある。腹立たしくはあるけれど、責めはしません」
カーラは先程まで狼虎の倒れていた場所に視線を向けるが、残っているのは鎧だけ。次に狐面の男の体臭から、仮面の下に隠された素顔が、弐曲輪 虎太郎であると察していた。
グラムの抱く憤怒の度合いを見れば、彼と虎太郎が何らかの接触をしていたことは想像に易い。先に虎太郎がグラムの存在を察知し、秘密裏に行動を開始したことも理解できた。
彼女の記憶にあるグラムが優越感たっぷりに語っていた寄生蟲の特性と彼の不死性を鑑みれば、虎太郎の慎重な行動も無理からぬことと納得している。
何処でグラムと接触したのか。グラムとの関係性はどういったものなのか。どのようにして寄生蟲の秘密を知り得た上に、対抗策まで用意したのか。
疑問は尽きなかったが、全てが終わった後でも十分過ぎる。ふつふつと湧き上がってくる疑問も不安も押し殺してはいたが、それ以上に呆れの方が強い。
これだけグラムの心理を読みきり、自身を囮にしつつも自身で決着を付ける様は、強い猜疑心の現れと言える。
その上、私が今こうして考えていることも計算しての事でしょうね、という思いから怒りは浮かばず、呆ればかりが先行してしまう。
何とも言えない表情のカーラに、心中を察しつつも紫は胸を撫で下ろした。
どうあれ、今の所はカーラからの抗議も叱責もない。これ以後も同盟関係は保たれたままになるだろう。
無論、胸を撫で下ろした理由はそれだけではない。
紫がチラリと視線を向けた先には、地面に縫い付けられたグラムの手の届かぬ範囲で、股を開いて膝を折り曲げた状態で見下ろしている虎太郎の姿があった。
全身の血を抜かれ、死亡した筈の彼が生きているのは、魔眼の力で紫から忍法“不死覚醒”を借り受けた故にだ。
紫が獲物である戦斧を持たず、積極的に戦闘へ参加しなかった理由は、グラムを逃さぬ役回りだった以上に、不死覚醒を失った彼女では単純に戦斧を持ち上げられなかったからだ。
不死覚醒は身体強化の最高峰となる異能系忍法。その強化は全身を細胞単位で強化し、人ならざる不死性と膂力を生み出す。脳と心臓を同時に破壊されぬ限りは決して死ぬことはない。
虎太郎の読みでは、その弱点すらも人としての体を保つための
紫は自身よりも魔の力を引き出せるであろう虎太郎に、一抹の不安を覚えていた。
不安だったのは永遠に力を奪われることでも、作戦が失敗することでもない。魔の力に魅入られ、弐曲輪 虎太郎という人格が失われることこそを恐れていた。
しかし、その不安も杞憂に過ぎなかった。ただ、紫の不安が解消されたのは、グラムに罵詈雑言を浴びせられながらも、膝を手すり代わりに頬杖を突いて無関心に眺める普段通りの姿であったのは、笑えばよいのか、呆れればよいのか分かったものではない。
「おいおい、ぼーっとしてる場合かよ。米連の連中が近くまで来てんだろ? こっちにゃ女王様がいるが、乱戦でグラムに逃げられちゃ堪ったもんじゃねぇぞ」
「大丈夫だよ。そろそろ来るから…………ほら、来た」
東の心配を他所に、虎太郎はグラムから一切視線を外さずに、そう告げた。
カーラも米連の存在が潜んでいる事実に驚いていたが、校門から入ってきた存在に更に目を丸くした。
入ってきたのは、自衛軍が所有する74式特大型トラックだ。
戦時、災害派遣時に人員や避難民の移送は勿論の事、武器・兵器の輸送も担う輸送トラックである。
今回入ってきた仕様は人員の輸送に特化したものであり、荷台部分は電子機器による索敵も妨害する特殊繊維で編み込まれた布に覆われており、中の様子を伺うことは出来なかった。
15台ものトラックが次々に校庭に流れ込んでくるや、綺麗に並んで停車する。
何も聞かされていなかったカーラと東は驚くばかりで、言葉すらも発せられない状態だ。
そして、中から現れた人物に度肝を抜かれた。
自衛軍に正式採用されたボディーアーマーに身を包んだ輸送部隊の隊長らしき人物を伴って現れたのは、濃紫の対魔忍装束を身に纏ったアサギである。
隊長はアサギをカーラの前まで連れ立つと見事な敬礼を見せ、そのまま不動の体勢を取ると彼女を促した。
「女王陛下、お初にお目にかかります。井河 アサギと申します。この度は、何と言葉を掛けてよいのか……」
「…………いえ、貴女がた対魔忍の尽力に感謝します。
「勿体無いお言葉を。以後も、円滑な協力関係を築ければ幸いです」
互いの身を案じながらも、女王と頭領は微笑みながら差し出した手と差し出された手を握り合う。
此処までくれば、カーラもおおよその
米連が近場に潜んでいるのなら、今の状況を監視している可能性は極めて高い。
音声までは分からないが、映像でならば確実に監視・記録していることだろう。
その記録を暴露されてはカーラ及びヴラド国、北絵及び隼人学園の立場は危ういものとなる――――なるのだが、アサギが登場したことによって、言い訳は効くようになった。
そもそも、これまでの経緯を対魔忍と隼人学園によるグラム捕獲のための共同作戦だとでも説明してしまえばいい。
カーラ、マリカ、北絵がグラムについた理由は米連には分からない以上、洗脳されていたとでも、演技だったといくらでも騙ることが可能だ。後は説明に穴や矛盾さえなければ、事情を知らない余人は納得せざるを得ない。
これならば問題はあるまい。グラムに乗っ取られたのではなく、グラムを誘き寄せる罠であるとすれば、心象はいくらかマシになる。
また、米連の強襲を恐れる必要はなくなった。
入ってきたトラックに乗せられる人員は一台あたり30名だとしても優に450名にまで至る。
無論、トラックの最大の目的は隼人学園の教員・生徒を五車町へと運び、桐生によって寄生蟲の有無を検査させ、治療させるため。中には自衛軍も対魔忍も誰一人として乗っておらず、居るのは運転手だけだ。
だが、高度な科学技術でも透過できない素材で遮られたトラックの内部を米連に知り得ず、いらぬ想像を膨らませざるを得ない。
言わば、虎太郎が救出部隊の隊長として権限を最大限利用した――緊急時にはアサギ自身も動かせる、山本長官への直接の直談判、自衛軍内部に設立された対魔忍の援護部隊など――張り子の虎だ。
しかし、米連の目には危険で凶暴な、本物の虎同然に映ることだけは間違いない。
『米連の部隊が撤退を開始しました』
「当然だな。仮初とは言え大部隊。寡兵で挑むような阿呆はいない。追い詰められてもいなければ、今回の機を逃しても後はある。あーやだやだ、余裕のある連中は楽でいいねぇ」
辺り一帯を監視していたアルフレッドから米連撤退の事実を告げられる。
虎太郎の読みは正しかった。
今回の部隊は魔族排斥派が放った刺客だ。その部隊員も、大半は魔族への恨みを持つ者だろう。
ならば、どのような状況下であれ、カーラを殺しに来る可能性はあったが、それ以上に仲間を失うことを恐れる傾向にあると考えていた。
一度、全てを失った後に得た同志。人は常に自身の意見に賛同してくれる者を探し続けている以上、一度でも大事な誰かを失った者は、更に失うことを極端に恐れる。
此処で無理をして仲間を失って戦果を得るよりも、戦果を見逃してでも仲間も守り、次の機会に賭ける方を選ぶ。
感情的にも理解できる上に、部隊の運用としても正しい行為だ。これで挑むような馬鹿者では、どれだけの実力を誇ろうとも生き残れてなどいまい。
「本当、何から何まで……」
「心中お察しするわ、クロムウェル殿。何時もこうなのよ、あの人」
「カーラで構わないわよ。貴女とは気が合いそうだわ、色々とね」
互いに敵に陵辱された身の上である共感か。或いは単純に波長があったのか。
吸血鬼の女王、対魔忍の頭領としては兎も角、カーラ、アサギとしての個人ならば相性は良いらしく、二人の口調は軽く朗らかであった。
「で、アタシとしちゃ、コイツの処遇が気になるんだがなぁ……」
「……うぐっ!?」
「おいおい、あんまり酷い真似するなよ」
二人のシンパシーを他所に、怒りを漲らせた様子で東は鬼切をグラムの下腹部に押し付けると、ぶすぶすと黒い煙で焼け焦げていく。
東の霊力によるものだろう。今し方まで虎太郎を罵っていたグラムも苦痛から押し黙らずを得ない。
そんな彼女に、虎太郎は捕虜を丁重に扱うように説得した。
もっとも、東がそのような言葉に耳を貸さず、虎太郎も心にもない言葉だったからこそ、咎めることも止めさせることもなかった。
「彼の処遇は対魔忍に任せます。但し、ヴラドの女王として極刑を望むわ」
「まあ、それが道理だわな。アタシ達は助けられた身だし。今すぐにでも殺してやりたいが、仕方ねぇや」
「それに関しては私も聞きたいわ。私もてっきり殺しているものだと思っていたのだけれど……」
「あぁ? どうでもいいんだがな、オレは。オレは排除できればそれでよかったんだ。生きていようが死んでいようがどっちだっていい」
突き刺さる三人の視線に虎太郎は肩を竦めた。
グラムをどうするのか、まるで考えていなかった、とでも言いたげであった。
だが、虎太郎は暫く考え込むような仕草を見せると、即座に自分にとって最大の利益を得られる方法を選択した。
「――――きっ!?」
「いい顔だ。その顔が見たかったんだ――――なんて言うと思ったか? どうでもいい。アンタのことなんて興味がないんだ。ただ、最後の確認が出来てよかったよ」
虎太郎は徐ろに狐の面を外す。
その下から現れた顔に、グラムは愕然と顔を蒼褪めさせた。
其処でようやく、才谷 梅太郎が弐曲輪 虎太郎であることを察し、憎い怨敵が初めから素顔のまま隼人学園で足を踏み入れたことを察する。
ならば。ならば――――この男は、学園に足を踏み入れた時点で、いや、それ以前から私の存在に気づいていたのではないか。
全ての線が繋がり、グラムは初めから虎の
虎太郎が最後の確認と称したのは、寄生蟲以外に逃亡手段を残しているかであったが、この様子ではそれもない。
何よりも、虎太郎が仮面を外した事実が、何を意味するのかに気づいているかどうか。少なくとも、彼は敵の前で仮面を外して、素顔を明かすような真似は絶対にしないのだ。
「ど、どうする、つもりだ。貴様は、私を……」
「別に、オレは何も。オレはグラム・デリックなんて
今の今まで無表情を貫き、興味のない冷たい瞳をしていた虎太郎であったが、その瞬間から慈しみと感謝を込めた視線を向けた。
その視線に、グラムは怖気が奔った。
自分とは全く性質は違っていたが、その瞳は間違いなく家畜へと向けるものだったからだ。
にこやかに微笑んだまま、虎太郎は携帯電話を取り出し片手で器用に操作すると、誰かに電話をかけ始めた。
「おう、オレだよ。桐生ちゃん、今回はクソほどよくやった。お前の作ったウイルスは確かに効いたよ」
「あぁ? 何? 怒っていないかって? 馬鹿を言うな。勿論、激憤中だ――――が、それはそれとして、働きには報酬を与えるのがオレの方針なのは知っているだろう?」
「よくやったお前にはプレゼントをやるよ。他の吸血鬼に比べてブラックに近い検体は欲しくないか? ああ、違う違う。女王の方じゃない。そんなのどう考えても立場上、用意するのは不可能だ」
「だからまあ、アレだよ。王家の血を引くって奴だ。十分とは言えないが、ブラックの不死身や能力の秘密に少しは迫れるだろう?」
「ん? ああ、殺せる手段はいくつか用意してある。あるにはあるが、あくまでも“殺せると思われる手段”に過ぎん。通用するかは試していないからな。これを機会に、奴への対処と対策がもっと確実なものになるってのは素敵なことだと思わないか?」
「あぁ、そいつは結構だとも。オレもお前を殺すのは面倒だからな。これからも仲良くやろうぜ、桐生ちゃん」
恐らく、最後は桐生は悲鳴のような声で、お前だけは敵に回さんと叫んでから電話を切ったのだろう。
虎太郎は優しげな笑みを浮かべていたが、誰の目から見てもそれは悪意に塗れた悍ましいものにしか映るまい。
最早、グラムは敵でも、排除の対象ですらない。ただの家畜だ。
ブラックに手をかけるために必要な犠牲としての実験体。誰からも文句の言われようのない最高でこそないが、そこそこの個体ではある。
「この私が、そのまま大人しくしているとでも……」
「思わないねぇ。でも言ってるじゃないか。オレも桐生も、望んでいるのは
ただ、実験体として使っては、グラムは抵抗を示すだろう。
抵抗を封じるためには、何らかの手段を用いて行動を制限する必要性があるが、魔界技術であれ人の未知の部分を用いた技術であれ、穴というものはどうしようもなく存在する。
ならば、
そうする手段は色々とあるが、今回は最も労力が少なくて済む方法を採ると、虎太郎は語る。
それは、闇の中へと投じることだ。
この世界、この地球において真の闇など早々存在しない。少なくとも人と吸血鬼の生存圏にはない。それこそ太陽の光りも、星明かりも届かない深い海の底か、或いは地の底でもなければ。
吸血鬼もまた、夜闇の中で生を謳歌しながらも、真の闇は知らずに生きている。
そんな生き物を、何の光も差さない闇へと落とし、更には身体を拘束してあらゆる刺激を断てばどうなるのか。
吸血鬼も精神性は人間と大差はない。当然のように、精神は破壊されるだろう。
「オレも色々と試していてね。吸血鬼も同じ方法で壊している。この手段は殊の外、不死と呼ばれる連中に有効だ。魔族でも結果は変わらなかったよ。正気を保てた最長記録は1440時間と少しってところ。頑張った方だな。お前も精々、オレへの憎悪と憤怒を滾らせておけよ? 結果的にその方が長持ちする。まあ、最終的には同じ末路だが」
「………………」
「あぁ、心配するな。オレはお前と違って家畜を雑に扱うような真似はしない。実に貴重な検体だ。ふとした拍子に死ぬこともないからな。肉の一握り、血の一滴、骨の一欠片、髪の毛一本まで全て有効に利用してやるから安心しろ。多分だけどな」
虎太郎は、地面に縫い付けられたまま、絶望からか言葉を発しなくなったグラムの肩を励ますように優しく叩く。
グラムのように食い物にしたものを雑になど扱いはしない。丁寧に、丁寧に、心を込めて解体し、解明し、解読し、解得し、後には何も残らなくなるまで利用する。
果たして、グラムの方がマシであったのか。それとも虎太郎の方がマシであったのか。
少なくとも、そんな手段を用いると宣言した虎太郎と、宣言されて抜け殻のようになったグラム以外の表情は、引き攣ってドン引きを示している。
斯くして、闇の寵児同士の戦いは、片や闇へと飲まれ、片や闇の中で戦い続ける結果となった。
どれだけ悲惨な末期であろうとも、それは当人以外には関係などなければ、問題もない。無慈悲に廻る世界の一幕に過ぎず、誰の目に留まることもなく消えていく。
「何はともあれ、一件落着ね。じゃあ、後は任せるわよ、虎太郎」
「くそぅ、このままいい感じに有耶無耶にして帰ろうと思ったのに……」
「当然でしょう。対策協議でカーラの補佐は貴方以外には出来ないし、諸々の後始末も貴方以外に適任はいないわよ。それとも何? 私や紫にやらせるの? 構わないけれど、メチャクチャに破綻させる自信だけはあるわよ」
「ですよねー! 帰ってもめんどくさい、帰らなくてもめんどくさい! ドチクショウがー!!!」
こうして、苦労人の奮闘は、のたうち回る彼の断末魔の喘ぎと共に続いていくのであった。