※この作品はR-18です。

対魔忍アサギ 苦労人奮闘記   作:HK416

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『催眠術? 人間の使える技能なら、苦労人が習得していないはずがないじゃない』

 

 

 

 

 

 グラムは暗闇の中に居た。

 

 

(此処は、何処だ。私は、一体、どれだけの時間、此処に居るのだ)

 

 

 対魔忍とカーラ達に敗れたグラムは、目隠しと猿轡を噛まされた上に拘束されてトラックにて搬送された。

 当然、変化の能力を使って逃れようともしたが、身体に貼り付けられた固着の護符によって不可能であった。

 搬送された先が何処かを彼は知ることもなく、何故か顔面がパンパンに腫れ上がった白衣姿の眼鏡の男を最後に、暗闇へと放り込まれている。

 

 吸血鬼の力を持ってしても破壊できない鋼の手枷で手足だけではなく、首や胴にまで嵌められており、()()()()の姿勢のまま不動を強いられていた。

 

 彼が入っているのは棺、或いは試験管だ。

 円筒形のミサイルの直撃にも耐える特殊強化ガラスの入れ物に、魔界製の合金で外装が形成された箱。

 内部は桐生特性の薬液に満ちており、魚のようにエラを用いずとも酸素を体内に取り入れることが可能であり、生存も必要な栄養素も摂取できる優れものである。

  

 文字通りに生かされている。

 文字通りに生きているだけ。

 

 何も見えない闇の中、初めの内はグラムも激しい怒りを煮え滾らせていた。

 捻れに捻れた積年と万感の思いを向けたカーラすら既に頭にはなく、素顔を晒した虎太郎の事ばかりであった。

 

 己の全てを台無しにし、全てを奪い去った醜く、愚かで、弱い人間。

 彼のような人格の持ち主であれば、全ては自業自得の末路だと言うのに、己の全てを棚に上げて己を陥れた者を憎むのも無理はない。

 

 けれど、真っ赤に燃え上がる憤怒も、どす黒く握っていく憎悪も、長くは続かない。

 

 彼に残された自由は、生きることと考えることだけ。

 思考すればするほどに、己の愚かしさばかりが頭に浮かぶ。

 

 隼人学園になど手を出さなければ。

 アムリタや人間も、同胞たる吸血鬼も見境なく奴隷として売り捌く真似などしなければ。

 先王の方針や女王、その側近に逆らわなければ。

 

 何よりも、あの男にさえ出会わなければ。

 

 ――この結末を回避する選択肢などいくらでもあったのに、こんな結末を迎える可能性を考えずに走り続けた――

 

 そう思い至ったのは、暗闇に放り込まれてから僅か24時間であり、その瞬間に彼の精神から怒りも憎しみもなくなった。

 その後は此処から出してくれと声も出せないままに藻掻き続け、かつての己が見れば笑い転げるであろう不様な姿を晒したが、誰の耳に届くこともなく、誰の目に映ることもなかった。

 

 そうだ。それが何よりも怖かった。

 

 誰に恐怖されるでも、誰に憎まれるでも、誰に嘲笑されるでもなく、何の価値を見出されることもなく、この世に何の爪痕も残すことなく死んでいく恐怖に、グラムは発狂した。

 しかし、そんな彼の苦しみも悲しみも誰に届きもしない。届けるだけの価値もなく、見ている価値もないのだから。彼に残された価値は、虎太郎が許したブラックを確殺するためだけの実験材料というものだけ。

 

 

(違う。こんなのは違うんだ。こんな結末は望んではいない。こんなもの目指してはいなかった、いなかったんですよぅ……)

 

 

 肉体、精神ともに疲れ果てたグラムは、ほんの僅かに正気を取り戻したが、思考は幼児退行してしまったように幼く未練がましい。

 全ては、彼の選択故に辿り着いたもの。同情の余地はなく、ここまで来て己の罪を認めぬのは余りにも犠牲になった人々が報われないが、罪には罰が付き物だ。

 

 脳裏に浮かぶのは、鮮烈過ぎる女王の姿と己と較べても悪意に満ち満ちている男の姿。

 其処で、彼はようやく虎太郎が素顔を晒した意味に気づいた。グラムではこれに耐えられず、最早、敵にすらなることはないと判断するからだ。

 

 あの男と敵対したにも拘らず、あの素顔を見た時点で、彼の最後は決まっていた。

 

 

(あ、あぁ、ああぁあぁ……あんな化物に関わるべきじゃ、なかったんだ……)

 

 

 その思考を最後に、グラムは考えることを止めた。

 彼が自我を喪失するまでに掛かった時間は、1週間。虎太郎の言うように、一山いくらの悪党には短くもなければ長くもない、見るべきもののない時間。

 

 こうしてグラムという人格(ラベル)は引き剥がされ、後に残ったのは実験材料となるに身体(容器)のみであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あーぁ、つっかれたぁ~」

 

「ご苦労様。貴方のお陰で乗り切ることが出来たわ」

 

 

 吸血鬼対策協議から戻ったカーラと虎太郎は、隼人学園の理事長室で来客用のソファーに腰掛け、向かい合っていた。

 

 協議は恙無く終了した。

 結果のみを簡潔に要約するならば、各国ともに吸血鬼の起こす犯罪行為やアムリタの流通取締の強化に合意。

 また吸血鬼の王国ヴラドもまた吸血鬼の犯罪に対する捜査協力、吸血鬼の組する組織犯罪への部隊派遣を約束する形となった。

 

 途中、米連がカーラが犯罪組織への関与の疑惑をぶち上げたのだが、カーラは真っ向からこれを否定。

 数々の状況証拠や映像記録まで持ち出してきたものの、マリカに代わって補佐を務めた虎太郎――無論、吸血鬼と立場を偽った上で、包帯で顔まで隠して名もその場で思いついたものだ――が、用意してあったカバーシナリオによって潔白を証明した。

 

 しかし、其処は人の心理と言うべきか。ヴラド側に少しでも非があれば、僅かであろうとも利権を得ようとするのは当然のこと。

 米連以外の保身と利益の為に沈黙を守って舌戦を見守っていたが、日本の高官がカーラの身の潔白を信じると口にしたことで流れが変わった。

 勿論、日和見主義の日本高官が、米連に警戒をされるような一言を口にしたのは虎太郎が山本長官に事の経緯を説明し、根回しを行っていたからである。

 

 それが決め手となり、各国は次々にヴラドの支持に動き、米連側は口を閉ざさるを得なくなった。

 結局、米連は人身売買、アムリタ流通の取締強化にのみ合意し、ヴラド側との協力体制を拒否した。

 

 カーラは米連内部に吸血鬼とアムリタによる犯罪の蔓延る温床が残ってしまったことを気に病んでいたが、結果としては最良と言えよう。

 

 

「おぅ、邪魔するよ。連れてきたぜ」

 

「………………」

 

「マリカ、目を覚ましたのね!」

 

 

 ノックも無しに扉を開けて入ってきたのは、東とマリカだ。

 既に正気を取り戻しているのか、マリカの表情は重く暗い。マリカに対して減らず口や挑発を繰り返す東であっても気軽に声をかけられないらしく、頭をガリガリと掻いていた。

 

 カーラだけは喜びの表情を浮かべているが、忠誠心の強いマリカはより一層表情を曇らせる。

 東も多少は理解できるだろうが、段階が違う。東は完全に堕ちる前に救出されたが、二人はグラムの傀儡となってから救出されたのだ。もし、マリカの心情を理解できる者が居るとするならば彼女だけ。

 

 マリカは、あの夜カーラに意識を奪われた後、虎太郎の用意しておいた睡眠薬を投与され、眠り続けていた。

 その間に、カーラの血を飲ませたことで、寄生蟲の呪縛から逃れることが出来たようだ。

 

 

 

「マリカ、顔を上げなさい」

 

「カーラ様、私は……」

 

「気にしないで、とは言わないわ。貴方の気持ちは痛いほどよく分かる。けれど、私は王として、貴方は私の従者として下を向いている暇などないわ」

 

「………………」

 

「交わした契約を忘れたの? 私達は一心同体、比翼の鳥よ。これからも、私に尽くしなさい。頼りにしているのよ」

 

「――――はっ」

 

 

 それがカーラ当人の言葉と表情であったのだろう。

 何処か凍てついた王としての怜悧さはまるでなく、陽だまりを思わせる笑みを浮かべていた。

 その表情にマリカは涙ぐみながらも、必死で期待に応えようと短く返答する。

 彼女の返事に、カーラは今まで堪えていたものが堰を切って溢れ出したのか、マリカの身体を両腕で包み込んで抱き締める。マリカが己を責めているように、カーラもまた己を責めていたのだろう。

 王と従者が互いを思って抱き合う姿を、傷の舐め合いと嘲笑っては性根を疑わざるを得ない。誰の目から見ても美しい、正しい主従の光景であった。

 

 

「さて、あっちは女王様のお陰で何とかなったが、こっちの方はどうだ。ほらよ」

 

「どうも。と言っても、上原 北絵を筆頭に、隼人学園の全員は五車町で暫くの間、検査と治療を受けて貰わにゃならん。寄生虫の有無と除去が終わった者から順次、実家の方へ戻らせる。事実上の学校閉鎖だ」

 

「ま、そりゃそうだわな」

 

「表向きにはガスの漏洩による中毒症状者の多発とガス爆発の恐れありってことで緊急点検に入る形を取る」

 

 

 隼人学園の人員は逃亡者、行方不明者は確認されず、間違いなく全員が確保され、催眠ガスに眠った状態のまま五車町へと搬送された。

 今は桐生を筆頭に、対魔忍の医療班が検査と治療、教員と生徒への状況説明で、てんてこ舞いとなっている。

 とは言え、寄生蟲の検査方法、除去方法ともに確立している以上は難しい仕事ではない。グラムの傀儡となった者が潜み、逃亡を企てようとする万が一にさえ備えておけばいい。

 その辺りの監視、護衛も根回しは済んでいた。碧、零子を中心に、翡翠、紅羽、奏が中忍、下忍、生徒達を統括する。問題はあるまい。

 

 問題があったのは、北絵だ。

 ウイルスを投与しても一定の効果しか見られず、施された人体改造と洗脳が解除されない状態にあった。

 よって、神経に癒着して副脳化した寄生虫の直接除去を桐生が担当し、その後、再生医療が行われる予定だ。向こう一ヶ月は、学園に戻ってこれそうもない。

 

 更にもう一点――――

 

 

「その間は、アンタに矢面に立ってもらうことになるがな」

 

「うぇ!? ちょ、ちょっと待てよ! 学園の運営だの、何だのって小難しいことは全部、理事長任せだったんだぜ!? いきなりやれなんて無理言うな!」

 

「分かってるよ、それくらい。そんなもん初めから期待してない。だから、オレが補佐するために此処に残ったんだろうが」

 

「勿論、私も微力ながら協力するわ」

 

「はぁ~、驚かせんなよ。マジでビビるわ」

 

「それから、カーラとマリカに残念なお知らせがある」

 

 

 隼人学園の今後に関しては、東が北絵の代理と言わば顔として動き、実務及び補佐に関しては虎太郎とカーラが担当する。

 政府関係者からの緊急査問、査察などは虎太郎が無名の教員として補佐に入る。カーラではネームバリューが大きすぎて下衆の勘繰りをされかねないことを考えれば当然だ。

 隼人学園の運営はカーラが中心に、補佐として虎太郎とマリカが付く。国と学園とではまるで違うが、組織の運営の基本は同じ。此方も問題はあるまい。

 

 問題であったのは、北絵の身体を調査した結果であった。

 

 神経に完全癒着して副脳化した寄生蟲は、宿主の体組織を取り込み、纏うことによってウイルスからの攻撃を躱し始めていた。

 グラムが手を加えた故か、それとも生命の危機に瀕した寄生蟲が生存のために新たな能力を獲得したのか。ともあれ、喜ばしい話ではない。

 

 カーラ、マリカ共に正気こそ取り戻してはいるが、完全な除去は済んではいない。ウイルスによる除去はその途上。

 二人の身体に潜んでいる寄生蟲が、北絵の身体に潜む寄生蟲と同様の能力を獲得したとしても何ら不思議はない。

 

 

「つまり、私達はまた……」

 

「ウイルスが居る限り、寄生蟲は休眠状態に入るとのことだが、安心安全とは言い難い。根本治療は寄生蟲の完全な除去。此方の準備を進めているが、如何せん治療が必要な人数が多い。二人の順番は、一月後、上原 北絵が戻ってきてからだ」

 

 

 寄生蟲が休眠状態である以上、すぐさま正気を失い、グラムの傀儡になることはない。だが、このまま放置しておくことも、不安が残る。

 よって、北絵及び隼人学園の教師、生徒の完治が確認された時点で五車町へと向かい、除去手術を受ける手筈となっていた。

 

 それまでの間は、ノイの作った契約書を用いる。

 二人が意識しないままにグラムの傀儡へと戻ってしまった場合に備えてである。

 いくつか制限を設け、誓約を強制的に遵守させることで、最悪の展開だけは避けるつもりなのだ。

 

 最重要であったのは、虎太郎、東へ危害を加えることを禁じること。

 更に、虎太郎の許可なく学園外へ出向くことを禁じ、寄生蟲の流出・漏洩を防ぐ。

 桐生の除去手術が終了後に契約を解除し、晴れて二人は二人の日常へと戻っていく。

 

 

「それから、二人には定期的にオレの血液を摂取してもらう」

 

「………………」

 

 

 桐生曰く、万が一に備えてウイルスが多いに越したことはない、とのことだ。

 ウイルスは寄生蟲を攻撃するものの、寄生蟲の存在、活動を発見できない場合は増殖せずに一、二週間程で死滅してしまう。元々、虎太郎の身体や細胞、遺伝子に合わせて調整されたものである為、仕方がないだろう。

 その場合、寄生蟲が目覚めかねない故に、虎太郎の血液を摂取するのが手っ取り早い対抗方法ではあった。

 

 だが、カーラの表情は険しかった。

 虎太郎も彼女の反応は予測していたのか、大きく溜め息を吐く。

 

 

「それは、出来ません」

 

「……まあ、だろうな」

 

「カーラ様、それは……」

 

 

 カーラは鉄の決意で、これを拒絶した。

 それも当然のこと、これは彼女にとって張り通さねばならないからだ。

 

 ――ヴラドの国民は、人の血を吸うべからず――

 

 それが先王の残し、人と交わした契約だ。

 多くの国民が内心で不満を溜め込んでいるであろうが、先王の遺志も思いも理解し、全てを納得した上でカーラは王位を継承した。

 

 王として良しとした掟を、王自らが破る訳にはいかない。

 

 その思いから、意地を張り通すと決めた。今この場に、国民の目はないと言うのに。

 再び、グラムを賛美し、縋るだけの傀儡になってしまう恐怖はあったが、幸いなことに契約書に込められた魔力と術式から自身でも遵守せざるを得ない程の力があることは分かっていた。

 契約書の項目が増え、虎太郎と東に迷惑を掛けてしまうだろうが、それも許容の範囲内で収まるだろう。

 

 

「それから、マリカのことだけれど、彼女には…………」

 

「無論、私もカーラ様と共に」

 

 

 説得は不可能と判断したマリカは、カーラの提案を真っ向から拒絶した。

 せめてマリカは、というカーラの思いを否定し、従卒として王の決定に従い、同じ苦境を共にする道を選ぶ。

 カーラが王として立つと言うのならば、マリカもまた従卒として立ち上がり、その責務を全うする。それが、忠義、忠節というものだろう。カーラが鉄の決意を示し、マリカもまた鉄の忠誠を示したのだ。

 

 

「あー…………それなんだがよ、実は……」

 

「おい、余計な事を言うな。面倒だ」

 

「そう言われてもな。二人の覚悟は分かったが、明かさねぇのはフェアじゃねぇだろ」

 

 

 二人の宣言に少しだけ悩むような素振りを見せながらも、東はある事柄について語りだそうとした。

 虎太郎は止めようとしたものの、東の滑る口は止まることはない。

 

 彼は心底から嫌々、そして桐生への憎しみと怒りを募らせながらも、それ以上は邪魔立てしなかったのは東の言い分も一理はあると判断したからに他ならない。

 

 そして、東の口から語られたのは、虎太郎への嫌がらせという一点の理由で作成したウイルスの仕様であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 深夜。

 割り当てられた教員寮の一室で、カーラはベッドに腰を下ろし、昼間にあった東の言葉を反芻していた。

 

 東から聞いた驚愕の仕様――血液よりも、精液の方がより多くのウイルスを取り込めるというもの――である。

 

 それを聞いたマリカは激怒した。

 不特定多数の男に犯されてきたというのに、更に身元はハッキリしている相手とは言え、また犯されろというのだから当然だろう。

 

 カーラとしては怒りよりも疑問や疑念の方が大きかった。

 そのような仕様では相手から不信感や不興を買うばかりで、とてもではないが建設的とも合理的とも言い難い。

 ここ数日、虎太郎という人間に触れてきた所感では、彼は徹底した合理主義であり、冷徹なまでの効率主義。より確実な方法であれば、己の命すら簡単に天秤に賭けられる破綻者。そんな彼が関わって作られたにしては、余りにもそぐわない仕様である。

 

 

『うるせー! オレだって何でこんなのにしたか聞きてーよぉ!! 誰がこんな面白可笑しい仕様にしろっつったよぉ!! 嫌がらせも大概にしとけやぁあぁぁあぁああぁ!!!』

 

 

 もっとも、彼のそんな魂の叫びとソファから跳ね上がってどっかんどっかん天井に頭突きを噛まして穴を開ける姿を見れば、疑問も疑念も吹き飛んでしまったが。

 マリカはマリカで、虎太郎の奇行に目を丸くし、口をあんぐりと開けて驚きを隠せず、怒りも忘れて追及すら出来ない有り様であった。

 

 ただ、その仕様の効果は理解できた。

 東が身を以て体験した、と包み隠さずに語ったからである。

 事実として、東の肉体から癒着前の寄生蟲は完全に排除されていた。その結果か、肉体に現れた変化も正常な状態へと戻っているようだ。

 

 寄生蟲が完全に癒着してしまった二人にはどれだけの効果があるかは分からないが、何もしないよりはマシだ、とも。

 

 東としては、虎太郎を筆頭とした対魔忍よりも、自分達の方が心情的には近い。

 わざわざ彼の肩を持つ必要など何処にもない以上は、信用してもいいだろう。

 

 ただ、不安であったのは、再び男に身体を汚される屈辱に耐えられるかどうか。

 

 身体を許すことに不満はあれども、拒絶は出来ない。

 血を吸わないと決めたのは、あくまでも意地だ。此処には国民はいない以上、彼女自身の我儘と大差はなく、虎太郎が付き合ってやる謂れなど何処にもないのだから。

 

 様々な不安を抱えながらも、カーラは受諾を決めた。

 意地を張り通した上で、グラムからの支配に怯える必要性がなくなるのであれば、これ以上ない結果である。

 

 けれど、時間が立てば立つほどに。

 しかし、一人で居れば居るほどに。

 

 不安で押し潰されてしまいそうになる。

 一人で居れば、王としての仮面を被ることも出来ない。王は孤独であれども、王道を示す民が居てこその王。今の彼女は、何処にでもいるような少女のようなもの。

 

 身体を許すのが怖い。

 痴態を晒すかもしれないのが怖い。

 屈辱に耐えられるか分からないのが怖い。

 またしても誰かの傀儡になるかもしれないのが怖い。 

 

 グラムに刻まれた心の瑕は、カーラを責め苛む。

 この点では、彼の目的の一端――カーラを貶めるという下卑た欲望は達成されていたかもしれない。

 不安と恐怖から震え出す身体を押さえ込むようにカーラは己の身体を抱きしめた。

 

 その時、扉をノックする音が部屋の静寂を揺るがした。

 もうそんなに時間が立っていたのね、とカーラは、はっとして面を上げた瞬間から、女王としての仮面を被る。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「邪魔するよ」

 

 

 カーラの入室の許可を確認すると、虎太郎は不遠慮にすら見える態度で部屋の中へと上がり込む。

 嫌々、と言うよりも寧ろ、気不味そうな顔で頭を掻いていた。

 

 彼としても不本意なのだろう。

 東を抱いたのは作戦上、彼女の戦力が必須だったからに過ぎない。

 確かに、カーラやマリカを抱いた方が、より安全であるのは認めざるを得ない。

 

 だが、自他ともに認める女好きの彼であるが、抱く必要のない、抱かれる意志のない女を組み敷くのは頂けない。

 それでは自慰行為と大差がない。互いの求めるままに、互いに気持ちよくなること。一人では出来ない情交と快楽の交換こそが、性交の本質だと結論するが故に、僅かでも一方的であっては彼にとっては作業や自慰に成り下がる。

 

 

「………………」

 

「その、なんて言えば、いいのか……ごめん、なさい……」

 

「はぁぁ……いや、謝るのは此方の方だ。そもそも、あのマッドがこんな馬鹿みたいなウイルスを作らなきゃ、こんなことにゃならなかったんだからな」

 

 

 じろり、と虎太郎に一瞥され、カーラは訳の分からないままに謝罪していた。

 取り繕った筈の仮面ですらが、意図しないままに脆くも崩れ去ってしまう。

 

 そんな彼女の内心を見抜いたのか、余計な気を使わせたと虎太郎もまた謝罪を口にした。

 

 少なくとも、この現実へと至った責任のある人間はいないのだ。

 悪いのは全部桐生である。そして、彼は今、五車学園で新たな研究素材を手にした喜びと北絵と隼人学園関係者の治療でヒーヒー言っている。

 喜びもある、仕事もある。紫がとっくの昔に虎太郎の女になっている以上、正に人生の絶頂期と言えよう。後は堕ちるだけだ。ざまぁない。

 

 カーラを不安にさせるような態度ですら、八つ当たりに過ぎないと断じ、虎太郎は全ての不満を封殺してベッドへと向かっていく。

 

 

「ベッドに横になれ」

 

「え、えぇ……分かっ、たわ」

 

「違う。服を脱ぐ必要はない。そのままだ。そのまま横になるんだよ」

 

「――――え?」

 

 

 虎太郎の言葉に、いよいよか、と暗澹たる気持ちで服に手をかけたカーラは、予期せぬ言葉に硬直した。

 困惑しか浮かんでこないだろう。気分は沈んでいたが、覚悟は決めてあったのだ。彼女にしてみれば、急に梯子を外されたようなものだ。

 

 言葉も出てこないカーラを尻目に、虎太郎は部屋に備え付けられているソファを見繕うと、そのままベッドの脇にまで持ってきて腰を下ろす。

 そのまま顎をしゃくり、早く横になれと命じ、困惑しきりの彼女は従わざるを得なかった。

 

 

「あの、これは……」

 

「元々、今日は手を出すつもりはなかった。アンタはまず、心を快癒させる必要があるからな」

 

「………………」

 

「安心しろ。アンタが本当に覚悟を決めるまで手を触れるつもりもない。それだけの時間の猶予はある筈だ。オレの言葉にだけ耳を傾けろ。瞼を閉じて、身体から力を抜くんだ」

 

 

 手を触れるつもりはない、と聞いた瞬間、カーラの心に広がったのは安堵であった。

 覚悟を決めた振りをして、その実、何の覚悟もしていなかった自分に不甲斐なさを抱きながらも、彼女は彼の言葉に従っていた。

 困惑も、自己嫌悪もすぐに忘れていたのは虎太郎の声音が、普段の冷徹な響きなど聞く影もなく、驚くほどの穏やかさに満ちていたからだろう。

 

 虎太郎は意図的に声音や所作の律動を、1/fゆらぎに持ってきていた。

 ピンクノイズとも呼ばれるそれは、人の心拍の間隔や小川のせせらぎ、蛍の光り方など自然界にも多く存在し、科学的な実証はされていないものの、ヒーリング効果があると言われている。

 

 

「息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。そう、ゆっくりだ。身体が溶けて、皮の中身が水になったようにイメージして」

 

「すぅ……はぁ……すぅ……ふぅ……」

 

 

 加えて、呼吸を睡眠時のものへと合わさせていく。

 

 虎太郎が行おうとしているのは、独自に見出した催眠療法だ。

 催眠療法は、有効性が認められた精神療法の一種。もっとも、彼が用いるのは正規の催眠療法士が用いるものではなく、兎に角、リラックスさせることにのみ重点を置いたものだった。

 

 しかし、そう簡単にはいかない。

 カーラは虎太郎の能力を認めてはいたものの、信用しているわけではない。

 まして、彼女は今や男に対して無意識の内に、強い警戒心を抱いていた。生半可なことで催眠状態に入るほどにリラックスできない。

 

 だが、虎太郎は、とても嫌々やっているようには思えないほど穏やかに根気強く、カーラへと声をかけ続けた。

 

 

「今は、どんな気分かな……?」

 

「……何だか……ふわふわ、するわ…………でも、それが不安になるの……」

 

「そうか。その状態になれば、普通なら安らぎを感じるものだが、不安を感じているのなら、アンタの精神状態が良くないということになる。だから、自分が今まで生きてきた中で、一番穏やかだった時を思い出すんだ」

 

「穏、やか……でも、そんなの……」

 

「もっと、オレの言葉に耳を傾けて。深く深く、自分の記憶を探ってごらん」

 

 

 まるで身体が宙へと浮かんでいるような心許無さに、カーラは素直に不安を漏らした。

 しかし、虎太郎は焦らずに、また彼女の自覚していない彼女自身を包み隠さずに伝え、快癒に必要な記憶を探らせていく。

 

 催眠療法の手法の一つとして、本人すら自覚していない原因を探るものもあるが、此度は違う。

 カーラの傷ついた原因ははっきりとしており、本来であれば彼女自身の強さと克己、時間のみが心の傷(トラウマ)を癒やすものだ。

 だからこそ、今回はカーラの心に栄養を与える。無理に傷を塞げば、心に歪みが生まれ、予期せぬ害悪を生むものだ。自然に治っていく傷を、ほんの少しだけ早く、傷跡が残らないように手助けするだけ。

 

 

「あぁ……そういえば……ずっと昔、母様とマリカと一緒に国の花畑で遊んだことが、あったわ……マリカったら、昔から堅苦しくて、意地っ張りで……そんな彼女を見て、私も、母様も、笑っていた……」

 

「そうか。ソイツは素敵な記憶だ。良い思い出だ。もう終わった過去だが、今日はその夢を見るといい。安心おし、悪夢に変わり始めたら、すぐに起こしてやるからな」

 

「…………すぅ…………すぅ…………」

 

 

 虎太郎の言葉が終わると、カーラはすぐに静かな寝息を立て始めた。

 何処か強張っていた表情は解きほぐされ、まるで陽だまりの中にいるかのように穏やかだ。

 

 九郎の調査によって、カーラの母親は既に死亡していることは分かっていた。

 どのような過去を想起しているのか、どのような夢を見ているのかは虎太郎に知る由もなかったが、推測するのは容易い。

 今、カーラが見ているのは、間違いなく穏やかな記憶に相違ない。彼女が王として戴冠する以前、まだ王としての教育を受ける以前の、ただの少女として生きていられた時代なのだから。

 

 

 虎太郎は約束通り、カーラに指一本触れることはなく、かと言って穏やかな寝顔を眺めるような無粋もせず、カーラが心の傷に起因する悪夢へ堕ちた時に備え、眠ることもなくただ静かに瞼を閉じるのであった。

 

 

 

 

 

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