「じゃあ、オレの手を握って」
「――――ええ」
カーラがエナジードレインを発現させて三日。
理事長室のソファで隣り合いながら、カーラは虎太郎に差し出された右手を両手で握り込む。
こうして二人は隼人学園の運営における事務処理の合間を縫って、訓練に励んでいる。
エナジードレインなど、これまで全く自覚もなく、扱った記憶もない能力の制御など悪戦苦闘するものと思い込んでいたカーラであったが、虎太郎の指導故にか、殊の外スムーズに進んでいた。
無論、虎太郎も初めて触れる能力であったが、大抵の能力に共通する点として、大半が能力保有者の
これまで多くの能力を奪いながら、意識的に自己へと合わせて改造を繰り返してきた虎太郎にとって、想像力が如何に能力へと影響を及ぼすのかは、痛いほどによく分かっている。
エナジードレインを扱うに当って重要になるのは、如何にして生命力を捉え、認識するか。
確かに存在するが、機械で観測できず、目で認識することもできないあやふやなものを、カーラがどう捉えるかが鍵と踏んでいた。
様々な試行錯誤の結果、彼女は生命力を“熱”として認識するのが、彼女に合っていたようだ。
分かり易いと言えば分かり易い。筋肉の動き、血液の循環、外的要因への免疫機能の活性。生きているのならば、大なり小なり肉体には熱が生じ、全ての機能が停止した存在は恐ろしくも悲しいほどに冷たいものだ。
カーラは深呼吸を繰り返しながら、瞼を閉じて握った手から伝わってくる虎太郎の熱に意識を集中する。
人体の機能として生み出される体温とは全く別の、命そのものが生み出す
その熱を、自らの手に移し替えていくように吸い上げる。
徐々に、だが確実に、熱は己の手へと移り、反対に虎太郎の手からは熱が失われていく。
「……流石に、経験値が違う。意識下での使用は、ほぼ問題ないみたいだな」
これ以上は、とカーラの両手から解放された右手を握り締めては開きを繰り返しながら、虎太郎は呆れとも感嘆とも付かない声色で呟いた。
カーラはこの三日間で、ほぼ完璧な形でエナジードレインを使い熟してみせている。
身体に腕がもう一本増えたような変化に等しいのだが、それを感じさせない成長ぶりだ。
それだけ先王か、彼女の教育係の教育が厳しく、そして愛に溢れたものであったと想像に易い。
彼女のことだ。産まれた時より才能に満ち、周囲にもそれを見せつけてきたに違いない。
周囲はそれに感服したか、或いはグラムのように妬んだか。しかし、彼女に真に近しく、愛した者は危惧しただろう。
優れ過ぎた才能は、暴走と驕りを呼び込む。大いなる力を行使するには、大いなる責任が伴い、正しく扱うには正しい理念と信念、そして強靭な意思が不可欠だ。
それらがなければ最後に待っているのは壮絶な自滅であり、才能が大きければ大きいほどに自滅は周囲すらも巻き込んだものとなる。
先達としての知恵、カーラを愛する者としての慈愛が、彼女をこの領域にまで押し上げた。
虎太郎ですら敬意を払わねばならないと認知し、また愛した者が理想とした姿を体現してみせたカーラにも同様の念を抱く。
「………………」
「おいおい、だから大丈夫だって」
むすっとした表情のまま、カーラは虎太郎の顔を両手で包み込み、
虎太郎が、危険に見える橋であったとしても渡れると判断すれば、躊躇なく足をかけることは、もう分かっていたが、彼女としてみれば気が気ではない。
気功・房中術に精通し、それらの源となる生命力についても造詣の深い虎太郎は、対象としては最高と言えるのは理解できる。
エナジードレインが危険な能力であり、万が一にでも暴走させようものなら、一体何名が犠牲になるか分からないのも理解できる。
だが、この訓練も加減を少しでも誤れば死に直結する。カーラは微塵も納得などしていないのだ。
だからこそ、訓練の後は虎太郎が自身の生命の危機を黙っていないのか、納得するまで確認する。
「あのさ。アタシの前で、そうやってイチャつくの止めて欲しいんだけどよぉ……」
「東、何度言えば分かるの。これはイチャついているわけではありません。訓練です」
本来は北絵の座る執務机に腰掛け、書類に目を通していた東がジト目で睨みながら、声を掛けてきた。
怒りと言うよりかは、様々な感情の混じった複雑な声色で、からかいにも似た言葉選びであった。
しかし、カーラは心外とばかりに東の言葉を否定し、動揺も見せずにピシャリと否定する。
彼女にしてみれば当然のこと。無茶を繰り返す虎太郎への配慮と純粋な善意によるものだ。そこに親愛の情はあっても情欲は絡んでいない。
ここ数日、何度となく繰り返してきたやり取りである。
東としては、もっと言いたいことはあったのだが、立場上、それ以上の事を口にする権利も権限もなく、何とも言えない表情で押し黙る他ない。
「弐曲輪、手を貸せ」
その時、理事長室の扉が開き、マリカが入ってきた。
だが、カーラに顔を掴まれた虎太郎の姿に顔を顰め、両目に凄まじい眼光を向ける。
明らかに敵へと向けるレベルのものだ。
カーラは止しなさいとばかりに視線を送るものの、マリカは取り合わない。
従者である彼女にしてみれば、面白くないことこの上ない。
敬愛する主人が下賤も下賤の男に触れ合い、身を案じるなど、あってはならない現実だった。
カーラの平等さ、慈愛の深さや高貴なる義務を理解した姿勢は、マリカにとっては誇らしいものではあるのだが、今回ばかりは行き過ぎだ。
(二人の距離が縮まれば縮まるほど、カーラ様の御身を汚される可能性が増す……!)
そして、彼女はカーラが虎太郎に身体を許した事実を聞かされていなかった。
もし聞かされているのなら、彼女のシヴァが唸りを上げて虎太郎へと振り下ろされているだろう。
無論、カーラが想像に易いマリカの行動を理解して、意図的に事実を伝えていないからである。
虎太郎は自らもまだ時期ではないと判断して、カーラの意思を尊重した。
二人の関係性の変化に気づいているのは東くらいのもので、或る意味でマリカは一人蚊帳の外。
それもこれも、マリカがカーラへと向ける、如何なる理由があれ、カーラ様があのような男に身体を許す筈がない、という全幅の信頼が彼女の目を曇らせていた。
「はいよ、分かった」
(虎太郎。あの子のこと、よろしく頼むわ)
(はいはい、勿論ですよ。それが誠意ってもんですからね。それから、お前の面倒もな。夜、楽しみにしててくれ。今日も目一杯、イジメて可愛がってやるからな)
(………………ッ)
(やっぱり、イチャイチャしてんじゃねぇか……)
マリカが手を貸す理由も問わず、虎太郎はさっとソファから立ち上がる。
その折、カーラは虎太郎へとマリカの扱いについて彼に一任する旨を伝えたが、返ってきたのはくつくつとした笑い声とからかいの言葉だ。
昨夜の蕩けるような交わりを思い出したカーラは、頬をさっと朱に染め、太腿を擦り合わせながらも、こくんと頷いた。
二人の逢瀬の約束をチラリと横目で眺めていた東は心の中で嘆息し、同時にこれだけ親密な関係になっているにも関わらず、全く気づいていないマリカに呆れ返った。
声を掛けるだけ掛けて出て行ってしまったマリカの後を追う虎太郎を見送り、東はまた書類に視線を落としたフリをして、カーラの様子を探る。
カーラは普段の凛とした佇まいは何処へ行ってしまったのか、頬を染めたまま美しい銀髪を指で弄り回していた。
東は二人の間にどのようなやり取りがあったのかは聞き取れなかったが、傍目から見ても明らかに期待した態度だと分かる。
「…………ハっ!? ん、んんっ、さ、さぁ、仕事を片付けないと、ね」
「そうだな。やることはきっちりやらないとな……」
知らず知らずの内に睨み付けてでもいたのか、それとも溜め息でも吐いてしまったのか。
東の視線に気付いたカーラは、はっとした表情から咳払いをすると、残された書類に手を付け始める。
誤魔化しているのか、照れ隠しなのか。隠しきれない喜びに、東は苛立ってしまう。
しかし、その苛立ちの原因が彼女自身も判然としない。いや、分かってはいるが、認めてしまうのが癪だ。
(あんなのの何処が良いんだよ、女王様も、アタシも……)
(生徒達の危険を無視して放置するわ、アタシを助ける過程で車で跳ねるわ、グラムもドン引きするような方法で処分するわ。やりたい放題じゃねぇか)
(…………いや、でも、それもグラムを確実に捕えるためだし? アタシもその後に優しくして貰ったし? グラムはどんな目に合ったって文句は言えねぇし?)
(そりゃ、ドン引くような奴だけど、有言実行するし、やることはちゃんとやるし、気配りもちゃんと出来るし、認めた奴にはちゃんと優しくするし………………あ、こりゃもう駄目だ、アタシ)
これまでの虎太郎の行動を思い返し、東は書類を机に落とし、片手で顔を覆いながら天を仰いだ。
それはそうだろう。人の欠点を挙げ連ねて罵るのではなく、人の美点を探して認めている時点で、その人物に好意を持っていると認めているようなものだ。
最早、認めざるを得ない。
こんなにも軽い女だったかと暗澹たる気分になったが、自分の男性遍歴を思い返してみれば不思議はない。
どれもこれも、社会的に見て問題のある連中ばかり。ワイトが見抜いたように、甘い言葉に誘われて、泣きを見た挙句に怒りで暴れまわった経験を何度重ねたことか。
「ちょっと、東……」
「あー、はいはい。やることはきっちりやりますよぉ……」
(負けだ、負け。アタシも、腹括るしかねぇよ……)
カーラから見咎められた東は、苛立ちの原因を理解した上で認め、いっそ清々しい表情で再び仕事へと向かうのであった。
―――――
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―――
――
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理事長室から出た二人が向かったのは、保健室であった。
入り口から向かって左側には鍵付きの薬品棚が並び、その奥には保険医の机。正面は校庭の見渡せる窓、右側には周囲をカーテンで囲えるベッドが二つ。
一見すれば、どの学校にも有り触れた清潔な保健室といった趣だが、薬品棚には消毒液や市販の飲み薬ばかりでなく、麻酔やメスなどの医療品も仕舞われている。
生徒達の訓練中の怪我も想定してある。流石に、命に関わるような怪我は病院に運ぶ必要があるだろうが、簡易的な外科手術ならば可能なようである。
マリカは無言のまま外套を脱ぐと、用意してあった椅子の上に座る。
隼人学園を解放してからの虎太郎とマリカの日課であった。
カーラがアムリタの後遺症に苦しんだように、マリカも同様の症状で苦しんだ。
これを解消するには、虎太郎がカーラにしたように、身体を重ねて発散させるか。
或いは、マリカのように、虎太郎の気功の一種によって症状を緩和させて、耐えるしかない。
「はぁ……ふぅ……早く、しろ……!」
「分かったよ」
理事長室へ足を踏み入れた際には、カーラに心配をかけまいと顔には出していなかったが、今やマリカの全身は汗で濡れ、頬を上気させて荒い呼吸を繰り返している。
誰の目から見ても分かるアムリタの禁断症状。無理に我慢を重ねても、待っているのは発狂だけという余りにも悲惨な後遺症だ。
虎太郎は症状を収めるために、彼女の背中に手を翳す。
丹田で練った気を腕へと流し、更にはマリカの身体に行き渡らせる。
これは、アサギが桐生によって施された改造で上がった感度を押さえる為に用いたものと同一。
対魔粒子とは異なり、自らの生命力を活性化させて練った気を全身へと行き渡らせ、肉体を健全な状態へと保つもの。
違いは己の身体に使うか、他人の身体に使うか、でしかない。
(しかし、アサギぐらいの容量と才能があれば余裕だろうが、オレには辛いぜ)
気を練るのに必要な呼吸法に乱れはなかったが、反面、心拍は急速に弱まっていく身体に、虎太郎は苦笑いを浮かべる。
アサギは気の練り方が巧い。
必要最小限の生命力で、考えうる最大限の気を練れる。また全身へと行き渡らせるにも無駄な消費は少なく、これらを呼吸をするように行えるのだ。
対し、虎太郎は一度に練れる気の量は限られており、常に生命力を消費して気を練る必要がある。また全身へと行き渡らせるにも無駄が多く、その分だけ負担が大きい。
もっとも、アサギはアサギで他人の身体に気を送り込む、などという器用な真似は出来ないのであるが。
「……っ……ふぅ……」
気が行き渡るに連れて、マリカの顔から紅潮が、身体からは汗が引いていく。
マリカの胸中にあったのは安堵だ。
望まぬ発情は、彼女にとって忌々しい傷痕だ。
グラムの策略に嵌り、抗いきれずに傀儡となって、事もあろうにカーラの御身を汚す結果となった。
自分が傀儡になってしまうのは怖くはない。カーラの身を守りきれなかった己には相応しい末路だと嘲笑うことも出来る。
だが、その末に、またしてもカーラを傷つけてしまうことだけは、耐えられない。
だからこそ、発情さえ収まれば不安も掻き消える。王に仕える騎士に戻れるのだ。
虎太郎も、マリカに即座に効果の現れる対症療法を取ったのは、彼女の心境を理解していたから。
マリカはカーラが無事ならば、手を貸さずとも勝手に立ち直る確信があったのだ。
それほどまでにマリカの忠誠は深く重い。ともすれば、盲信にすら至ってしまうレベルである。
「ほらよ、これで、いいか……?」
「ええ、十分」
堪えきれない発情から解放された声色は、普段の通りに氷点下のものへと戻っていたが、其処でマリカは言葉を詰まらせた。
彼女もまた、カーラや東同様に虎太郎には感謝している。
彼へと嫌悪に近い感情を剥き出しにするのは、彼がいけ好かない性格であること以上に、カーラに近しいこと事態が問題だった。
マリカにとって、カーラは何者にも替えの効かない存在であり、また王族でもある。王の従者として、決して近寄るべきではない存在である。
しかし、個人としてならば別だ。
彼が何の為に対魔忍などと言う汚れ仕事の代行者を務めているのかは、碌に会話をしたことがない故に分からない。
ただ、マリカもまた暗殺騎士団の長として、その手を血で染めてきた。多少ではあれ、一方的ではあったが共感していた。
自身の不手際と不覚を帳消しにしてくれたのは、彼という認識もあった。
けれども、カーラの身を守ることばかり考えて、今の今まで礼の一つも口にしていない。
如何な暗殺騎士とは言えども騎士は騎士。感謝の一つも口に出来ないようでは、それこそ礼節に欠くというものだ。
だが、一週間以上も頑なな態度を崩さなかった今となっては、どう言葉にしてもいいのか分からない。完全に、タイミングを逸していた。
「――――?」
あーでもない、こーでもないと思い悩むマリカであったが、背後の気配が急に消失し、不審から振り返る。
見れば、虎太郎の姿はなかったが、彼の姿を見つけるのは難しくはなかった。
――何せ、蒼褪めた表情で、床に倒れているだけだったのだから。
マリカの与り知らぬことではあるが、連日のカーラのケアとエナジードレインの訓練、更には気功による治療。
どれだけ生命力に溢れた人間であっても、オーバーワークだ。気功に精通した術士ならば、正気の沙汰ではないと殴り倒してでも彼を止めるだろう。それほどまでに危険と隣合わせの綱渡りだった。
既に虎太郎に天地の感覚はなく、視界も薄れぼやけ、マリカの悲鳴のような声でさえ遥か遠い。
明瞭に感じられるのは、吹雪の中に裸一貫で放り出されたような猛烈な寒気だけだ。
(これなら、死にはしないか。この感覚なら何度か体験したことがある。いや、しかし、何度も、体験したいことじゃ、ないん、だけど、ねぇ…………)
狼狽するマリカに反して、虎太郎は異様なほど冷静だった。
気功を修める過程で既に体験した出来事であるが故に、死の一歩手前にまで脚を踏み入れても、冷静で居られる。
彼の胸中に浮かぶのは、己の馬鹿さ加減だ。どうせだったら、互いに気持ちいい方がマシ。そんな考えの元で、このざまでは確かに馬鹿馬鹿しいにも程がある。
誇りも理念も正義も信念も興味がないと言うのに、誇りも理念も正義も信念でもすらない詰まらない意地なんぞに、自分を切り売りしているんだか。
虎太郎は腹の中で漏れた己への嘲りを最後に、真っ暗闇の中へ意識を手放した。