闇の存在・魑魅魍魎が跋扈する今より先の未来。
近未来 日本。
人魔の間で太古より守られてきた暗黙のルール「互いに不干渉」。それは人が外道に堕してからは綻びを見せはじめ、今では人と魔が結託した犯罪組織や企業が暗躍。
時代は混沌へと凋落していった。
しかし、正道を歩まんとする人々も無力ではない。
時の政府は人の身で「魔」に対抗できる「忍びのもの」たちからなる集団を組織し、人魔外道の悪に対抗したのである。
人たちは彼らを―――「対魔忍」と呼んだ。
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日本の首都、東京の地下100メートル。
かつて首都圏外郭水路と呼ばれていたそこは建設途中に破棄され、未完成のままその形を残していた。地下トンネルから流れ込む水の勢いを調整するための調圧水槽は長さ117メートル、幅78メートルの広さがあり、59本の巨大なコンクリート柱が林立している。天井に備え付けられた幾つもの照明の放つ光が、かろうじて闇を退けていた。
魔と闇が支配する無法都市、ヨミハラへ続く静寂の場は、時折コンクリートの床に滴る水の音が響くのみのはずであった。
――ガキィィン!
金属と金属が撃ち合わされる甲高い音が響く。
静寂を破った、調圧水槽の壁に反響を重ねる音の発信源に、2人の女性がいた。白と黒を基調としたチャイナドレス風の対魔忍装束を身に纏い、その手に持つ薙刀を身体の一部のように、自由自在に操る女性。幾分、年齢を重ねているように見えるが、その程度が気にならない程の美貌と牡欲をそそる淫猥な体つきをしていた。彼女の成熟した淫靡な雰囲気に気を取られた瞬間、その命は蝋燭の火を吹き消されるように呆気なく消えるのだろう。
その女性の名前は水城不知火。
対魔忍の隊長を務める最強の対魔忍――井河アサギと並び、最強と称される対魔忍であった。水遁の術を使う対魔忍の中では非常に珍しい異能系忍法<幻影陣>の使い手である。幻影陣とは巧みに水を操り幻影を成す秘術のことで、この秘術を使い熟す彼女は<幻影の対魔忍>と勇名を馳せていた。
(――この少女は何者?)
不知火は目の前の、黒い外套に身を包む少女の突き出した薙刀を躱しながら思考していた。ヨミハラの調査任務の帰り、突如襲ってきた目の前の外套の少女のことを。
地下無法都市ヨミハラの調査任務が終了し、不知火は全速力で地上へと駆け抜けていた。その帰還の途中、視界の端に外套を着た人影を捕えた。一瞬、ヨミハラへ向かう奴隷商かと思うも、その身に纏う雰囲気は奴隷商のそれではない。不審に思い、死角へ回り込むと人影と距離を詰める。骨格から女性と判断し、警戒を強めた。
「……あなたが水城不知火?」
コンクリートに声が響く。
完全に死角から近づいたにも関わらず、若い女の子の声で響いた、答えようのないその問いに警戒心を最大まで跳ね上げた。瞬間、無意識に身体を逸らし、飛んでいた。それは感でも経験でもない。身体が、身体が自然とそう動いていた。
それと同時にコンクリートの壁を貫く薙刀。背後から心臓目掛けて薙刀が突き出されていたのである。避けれたのは幸いであった。並の対魔忍であれば何が起きたのかすらわからず心臓を貫かれ、絶命していただろう。距離と言う概念を踏み潰したように、背後に現れた彼女は薙刀を突き出した姿勢のまま、こちらを見る。仮面に覆われ、表情すら見えぬその顔が、笑った気がした。
「……あなたが水城不知火なのね?」
確信したように問う少女はコンクリートを貫いた薙刀を引き抜くと、有無を言わさず襲い掛かってきたのだ。
少女はとにかく異常だった。仮にも対魔忍で最強と称される以上、それだけの実力を持っていると言う自負が不知火にはある。その最強の全力に目の前の少女は着いてくるのだから。
「はぁぁぁぁあああああ!!!」
不知火と少女の薙刀が打ち合い、逸らし、流し、互いの身体の紙一重の空間を切り裂き合う。
敵の薙刀がまっすぐ、滑り込むように切っ先が胸元に迫る。身体を回転させそれを打ち上げるように薙刀を振り上げた。火花を散らしながら打ち上げられた薙刀の感触は、軽い。
少女は打ち上げられた薙刀をそのまま全身を使って回転させると、遠心力を最大限乗せたそれを振り上げる。
不知火は薙刀を手元に急いで手繰り寄せ、それを受ける。と同時に受けた衝撃を利用しサマーソルトの蹴りを放つ。少女は切り上げた直後の体勢から身体を捻ると即座に後方へ無理矢理飛ぶことでそれを避けた。
互いに距離を取り、互いの得物である薙刀の間合いの範囲外、本来であれば読み合いが始まるその距離は両者が踏み込むことで瞬時に潰され、獲物から火花が散った。
薙刀を回転させ、打ち合わせるも全く同じ動作で刃が打ち合わさせる。相手の刃を千段で受け止めると同時に相手の足元を掬うように蹴りを繰り出すも、即座に引き戻された薙刀で受け止められる。そこから薙刀を突き出し、回転するように薙いだ薙刀は過たずして少女の薙刀と打ち合わさった。まるで鏡を相手にしているかのように繰り出してくる薙刀の猛攻に、冷や汗をかきながらも不知火は薙刀を手元に戻した。
全く同じタイミングで回転し、遠心力を得て繰り出される横薙ぎ。不知火の薙刀と少女の薙刀が接触する。競り合うと思われた少女の薙刀が、不知火ごと薙刀を真一文字に切り裂いた。切り裂かれ、少女に力無く倒れ込む不知火の傷口から大量に飛び出したのは赤い血、ではなく大量の水。切り裂かれた不知火は一瞬にして大量の水と化し、弾けるように少女の周囲に撒き散らされる。同時に水は内側から大きく膨張し、一拍の間を置いて大爆発を起こした。
―――ドオオオォォォォォォオオオオオンンン!!!!
「――っ!」
爆発はコンクリートの天井を破砕し、柱を根元から完全に吹き飛ばす。生身で受けたならば一瞬のうちに、人間を粉々の肉片に変えるであろうその爆発を数瞬早く察知し、少女は跳躍していた。
「やぁぁぁぁああああ!!!」
――ガッ!
爆心地の近くに居ながら無傷で離脱した少女が着地した瞬間、横から迫る薙刀。切り裂かれたはずの不知火が振り抜いたそれは少女の薙刀と競り合う。不知火は薙刀を中心に回り込むと少女に鋭い蹴りを見舞う。が、少女はそれを薙刀で防ぐと大きく後ろへ跳躍した。
(――着地で体制が崩れたタイミングを狙っても受けるなんてっ!?)
奇襲が失敗し、これ以上踏み込むのは危険と判断し、後方に大きく飛んだ。幻影陣を絡めての奇襲でさえも完全に対応して見せる目の前の少女に、不知火は内心舌を巻きながらこれまでの少女との攻防を分析していた。
「界面接触型の水蒸気爆発をこんな狭い場所で起こすなんて……心中するつもり?」
「その爆心地の近くに居ながら無傷のあなたが言う台詞ではないわね」
――ピリリリリッ
思考しながら少女の発した言葉に、皮肉を返すと同時に響く電話の着信音。緊張を一気に弛緩させた音の出所は少女からであった。
少女が外套のポケットから簡素な携帯を取り出し、電話に出る。
「なんでしょうか?」
交戦している敵の目の前で電話に出ると言う、完全な隙を晒してる少女。そんな状況であっても尚、それが隙足りえない少女を前にして不知火は離脱を考える。が、そう簡単に逃げ果せているならばここまで全力で戦闘するなどあり得ないのだ。敵が電話をしていたから、背中を見せて逃げようとした瞬間、その背中を襲われました。などとなってしまえば笑い話にすらならない。
ならば少しでも、少女から我が身を引き離す方法を考えることが賢明と思考を再開した。
(――待っててね、ゆきかぜ。お母さん、必ず帰るから……)
今この時も、我が家で自分の帰りを待っている愛しい我が子の幸せそうな寝顔を思い出し、不知火は今までの疲労が消え、気力が溢れるのを感じた。
<ふむ、やはり強いか……>
電話から聞こえてくるのは若い少年の声。
「ええ、慎重で隙を見せない、かと思えば水蒸気爆発で私を殺しに来る豪胆さがあります」
<水蒸気爆発?>
「はい、水に微量のジルカロイを投げ込まれました」
<ふむ、君は無事かい?>
「はい、特に目立った外傷はありません」
<なら良かった。であれば合格と判断しよう。君の好きにして構わない>
「承りました。ご主人様」
――ピッ
少女が電話を終え、携帯をしまう。それと同時に不知火も思考の海から浮上し、その瞳が少女を捕えた。
「電話は終わったかしら?」
「ええ、ご主人様から合格も出ましたし、嬉しいです」
今までの少女の感情が欠片も存在しない声が、一転。嬉しそうな可憐な少女の声に変わる。
少女の変わりように不知火の首筋を嫌な汗が一筋、流れた。
「なら良かったわね。……合格って、なんのことかしら?教えてくれる?」
「合格は合格です。……あなたは合格です」
突然、相手から合格と言われて不審にならない者はいない。不知火は少女に聞き返していた。
「私が、合格?」
「ええ、あなたは合格です。ご主人様がそう判断されました。ですので……」
そう言った少女の雰囲気が一変する。
目の前の少女の姿からは到底想像もつかない程の禍々しい気が不知火を襲った。
「……なっ!?」
不知火は思わず息を呑んだ。
目の前の少女の発する気は到底人間の出せるものではなく、魔族の発するそれである。それも、ただの魔族ではない。支配階級に属する魔族が発する絶対強者のそれであった。それを不知火はかつて、一度だけ感じた事があった。魑魅魍魎と結託する多国籍複合企業体・ノマドの創始者にして吸血鬼の始祖と言われる男。かのエドウィン・ブラックと戦った時である。
嫌な記憶を無理矢理彷彿させる禍々しい気を目の前にし、不知火の薙刀を持つ手に力が籠る。
「……あなたを頂きますね。では、行きますよ?」
禍々しく妖艶で、全てを呑み込まんとする気を発する少女が、不知火に向かって宣言をした。
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「話は終わったか?」
「ああ、終わった」
黒い外套に身を包んだ少年が電話を切り、ポケットにしまう。優雅なクラシックが響き、ホテルのVIPルームを思わせる調度品が置かれたその部屋で、少年は視線をガラスの向こうに戻した。ガラスの向こうに広がるは闇のアンフィテアトルム。カオス・アリーナと呼ばれるそれは参加者同士で殺し合わせ、勝者には栄光と名声が、敗者には男性であれば死が、女性であれば凌辱が与えられる場所であった。
「貴様はどうするのだ?」
「どうもしない、面白いならば残る。面白くなければ消えるだけのこと」
少年の返事と共に部屋の温度が下がる。濃密な魔力に部屋の空気が押しのけられ、部屋が少し、震えた。少年の隣のイスに座り、その魔力を身体から発している男こそ、このカオス・アリーナを運営する多国籍複合企業体・ノマドの創始者にして吸血鬼の始祖と言われ恐れられる男。エドウィン・ブラックである。
「何もせず消えるのは許さん」
「まだ判断するには早いぞ」
部屋中に撒き散らされた魔力を何処吹く風と少年が席を立つ。ブラックは少年がアリーナの鑑賞に飽きた事を悟り、従者に視線を飛ばした。
「はっ……」
先回りし、ドアを開けたピンク色のロングヘア、褐色肌の従者を少年は一瞥する。
「ブラック」
「なんだ」
「今回は楽しそうなことが起こる気がするよ。私にとっても、君にとっても」
そう少年は呟くとドアを潜り、闇に消えて行った。
「ふむ。お前が言う事だ、期待するぞ」
カオス・アリーナを眺めながら、ブラックの口は少し笑っていた。
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――ポチャン……
水滴がコンクリートに作られた水たまりに落ちた。
少女が水の中に倒れ伏した不知火を掴むと、肩に背負う。
「やはり私は胸が大きいのですね。ご主人様が喜びます」
不知火のメリハリの利いた過剰なサイズの胸を無造作に掴み、少女は笑顔になる。薙刀の石突でコンクリートを叩く。
空気が弾けるような音と同時に、少女と不知火の姿は掻き消えるのであった。
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少年はカオス・アリーナから出た後、東京キングダムに聳えるビル群の中の一つのビルの屋上に立っていた。カオス・アリーナで外套にこびり付いた生臭い匂いを風に流していたのである。ぼーっと周囲を見渡す。何も目的は無く、ただ視界に映る景色を脳が処理するだけの惰性。しかし――
「ん?」
少年の視界が東京キングダムの夜を高速で駆け抜ける何かを捕えた。少年の眼が無意識にその何かを補足し、拡大する。補足したそれは黒の対魔忍装束に身を包んだ女性。対魔忍装束の色と同じ、濡れ羽色のポニーテールを靡かせながら女性は駆け抜けていた。
誰にも気づかせず、人々の死角を予め知っているかのように夜の闇を駆ける女性。時々、物陰に隠れると予期していたかのように人や魔が通る。そして、図ったように人が消えた隙間を通る。そうして女性は存在を悟らせることなく走る。
(――上手い)
と、少年がそう思っていると女性が一瞬、こちらを見た。普通の人間であれば、どれほど目が良かろうとこの距離の相手を視認することは不可能。しかし、女性は目を瞑り、次の瞬間にはこちらを認識したかのように驚きと共に目を見開く。そして、即座にこちらの視界から逃げるように建物の影に消えた。
(今のは、視覚系の千里眼の類いか?)
少年の好奇心が沸き上がる。こちらの視線を感じる感覚、即座に撤退を下す判断力どちらを見ても一流と判断できる。少年は女性に会ってみたくなった。会ってみたい、と言うのは少し違うだろう。自分の物にしたい。そんな気持ちが少年の思考を侵食し始めた。
対魔装束を着ていたのだから仕える者はいるのだろう。もし、その者が女性が仕えるに値しないと判断した時は――
(その者を殺してでも女性を私の物にしようか)
少年の姿が屋上から掻き消えた。