橘千花の事件から数日後、総司は凡矢理高校へと戻っていた。
教室には橘万里花と一条楽がいない。
前者は転校扱いだったが、後者は事実上の謹慎処分である。
とはいえそれは学校側が処分したのではなく集英組で行われた。
さすがに今回の一条楽の行動は子供のやったことで済まされることではなかったのだ。
「ん~ダーリンと帰るの久し振り~」
学校の帰り道、日も沈みかけ空が夕焼けに染まっている。
両手を上にあげて千棘はぐっと背伸びをする。
すらりと伸びた手足、女性らしい膨らみを残しながらも余分な肉つきのない体に総司も少し目を惹かれてしまう。
総司も機嫌よく談笑しながら千棘とともに帰り道を歩いていた。
彼の機嫌が良かったのは橘千花とのパイプをつなげることができたからである。
今頃橘家は犯人が集英組であると断定して動いている。
無論証拠はない。千花の証言だけであるが最高権力者である彼女が黒といえば証拠がなかろうと関係なく黒である。
そして集英組には橘家とビーハイブの2正面作戦を戦える力はない。
ビーハイブは手打ちにしたといっても表面上だけであり、完全な終息にはまだ遠い。
思い通りに事が進んだことに総司はご機嫌だった。
だがその表情はすぐさま変わることになる。
突如として道の真ん中に立ち止まる総司。
目の前から3人の男達が歩いてきていた。
その姿はスーツであり、サラリーマンといえなくもないが帽子をかぶり、仕事鞄も持たない明らかに浮いた姿であった。
(集英組か―――?いや違う)
思わず総司は下唇を噛む。
油断。
油断だった。狙いは自分とは限らない、横にはビーハイブの令嬢がいるのだ。
(ビーハイブの敵は多すぎる、――-集英組への対応へ全力を尽くしていたがゆえにビーハイブの監視網に穴が開いたか)
3人ならば総司は数分足らずで殺せるだろう。
だがこの場では千棘を護りながら戦わなくてはいけない。
おまけに今日は鶫は仕事で街を離れており、ビーハイブの監視もいない。
総司は自分がヒーローや主人公とは思っていない。
彼の根幹にあるのは灰となった母や父、そして絶望の果てに死んだ祖父を下敷きにした現実主義である。
(千棘)
「何?ダーリン?――-っ!?」
さすがに千棘も気付いたのか息をのみ、総司の手を握りしめる。
彼女もまた危険の匂いを知っている人間である。
眼前に迫る殺意と暴の匂いを敏感に感じ取っていた。
「千棘、走れるか?」
「運動なら任せて」
千棘の超人的な運動神経と身体能力は鶫にこそ劣るもののかなりのレベルである。
2人息を合わせて路地へと逃げ込む。
背後からは慌ただしい足音。
「千棘!次の路地を右に入れ!」
「うん!」
(思ったより不味いな)
人が見当たらない。おそらく周囲に人がいないことを確認して襲撃してきたのだろう。
それに襲撃人数が3人とは限らない。
そしてさすがにプロといったところか、追撃が速い。
体力の差もあって千棘を連れて逃げ回ってもジリ貧がいいところだろう。
少年漫画宜しく逃げ切れるような幸運に賭けるなどという行為は総司にとって絶対に取れない行動であった。
(やるしかないなっ)
千棘を先に走らせると総司はその場に立ち止まり、3人の黒服を迎え撃つ。
「銃はなしか、ありがたい」
男たちの手に握られているのはナイフであった。
男たちの動きに一切のためらいは見られない。
頸動脈、心臓――-人体の急所に向けて何のためらいもなく刃を振り下ろす。
総司は1人目の、心臓狙いの刃を掴む右腕を掴み軌道を逸らすとそれを全力で握りつぶす。
筋肉の断裂音と前腕骨・尺骨の砕けた音とともに悲鳴を上げて男が崩れ落ちる。
頭を垂れたその頭蓋を総司の踵が踏み抜く。
砕ける音とともに頭部をつぶされた元人間は四肢を痙攣させる末路を迎えた。
その光景を見て残る2人は思わず動きを止めてしまう。
(俺の事を知らないということは狙いは千棘か)
男が落としたナイフを拾うとためらいなく総司はそれを投擲する。
声を上げる間もなく喉に刃が突き刺さった男が悲鳴なく白目を剥いて血しぶきを上げる。
最後の一人の男はそれを見ると脱兎のごとく路地を引き返して逃げて行った。
(さすがに突っ込んでは来ないか、不利と見るやすぐさま退却――――やはりどこかの組の―――)
「おい、千棘!大丈夫か!」
「ダーリン!だ、大丈夫なの?」
彼女には傷一つ見られない、とはいえさすがに緊張したのか額から汗をかいている。
そんな姿にもかかわらず美貌に崩れがないはさすがというべきか。
「俺はお前のボディガードだぞ?大丈夫に決まって――――――――――――――――」
愛しい彼氏が帰ってきた。男を笑顔で迎える千棘だったが。
次の瞬間、彼女の顔に赤い液体が数滴付着した。
彼女がそれを総司の血液だと理解するには、崩れ落ちる総司の姿を認識しなければ無かった。
腹部が血に染まっている彼の姿を。
「だ、ダーリン?起きて――――――――起きてよ―――!?」
千棘の脳裏にクロードの記憶がフラッシュバックする。
自分はまた失うのか。
「嘘でしょ、そんな―――ねぇ起きてよ!私と結婚するんでしょ!死なないで!」
千棘の祈りが届いたのか男が呻き声をあげながらよろよろと起き上がらる。
さすがに顔色が青い。
男は涙をためる千棘の頭をぽんと叩くと心配するなと笑って見せた。
「―――-っ!」
千棘は彼の変化を見逃さなかった。
いつもの総司ならば軽口の一つ叩くだろう、だが今の彼からはそんな余裕が見られない。
(銃声が聞こえなかった、消音狙撃銃(VSS)か―――迂闊だった―――)
銃はないと決めつけてしまった自分が恨めしく思う。
幸いにも急所は避けており、銃創からみて口径は9mm弾だと総司は推測する。
彼の全身筋組織の特殊体質もあって深刻な致命傷、臓器損傷は避けている。
だが軽症とはとても言える状況ではない。
頭部を狙われなかったのは、もしくは外したのは幸運といえるだろう。
口内に滲む鉄の味が恨めしい。
「千棘――-少し走るぞ!」
おそらく追撃が来ないということは狙撃をやめて近距離まで近づいてくるつもりだろう。
だが開けた場所では狙撃の的である。屋内に駆け込むべきだろう。
「っぐぅ」
足を踏み出すたびに右腹部に滲みだす血液と激痛。
それ押して男女は駆けだす。
「ぐぅ!」
「大丈夫!?ダーリン!」
2人の姿はさほど遠くない廃工場にあった。
千棘は目じりに涙をためながら総司の傷に自分の制服を巻きつけていく。
ないよりましな止血帯である。
敵は2人か―――
あの時追撃に来なかったということは残敵は狙撃手と逃がした1人。やがてここに来るだろう。
(血を流しすぎたな―――手足に力が入らん)
総司の欠点とはこれである。
巨大なエンジンを搭載している彼の肉体だが、その分燃費は最悪であり負傷時の消耗具合も激しい。
ゆえに常時高カロリーを摂取し続ける必要がある。
今の自分では手練れ相手の勝率は2割ほどだと試算する。
油断、油断だったと総司は汗が目をにじませる中後悔する。
(このままでは確実に死ぬ。どうする―――――援軍を待つか?いや無理だもう時間がない)
総司は自分を心配そうに見つめ、汗を拭く千棘を見つめる。
(こんな女を死なせるわけにはいかねぇな)
死がひたひたと迫るなか最後まで女のことを考える自分のアホらしさに思わず苦笑する。
だがこれが芹沢総司という男である。
彼は彼のために生きる。
彼の復讐は祖父のためでも両親のためでもない、自分のためである。
死ぬ瞬間まで自らの欲に忠実に生きるのが彼の生き方だ。
(まだこんなところでくたばるわけにはいかねぇな)
まだ千棘を抱いていないのだから。
「アンタ!私を置いて死ぬ気なの!根性見せなさいよ!!!」
仁王立ちし、涙を流しながらも大声で発破をかける千棘。
総司はそれを見て思わず目を奪われた。
その大きさを。
総司は正直な話自らの組の復興など考えていない。
彼は自分自身がトップに立てる人間とは考えていないからだ。
だが彼女は違う。
器の大きさ、カリスマ。
恒星には星々が集まるのだ。
いつからだ、彼女が復讐のための駒と思えなくなったのは。
いつからだ、彼女に惹かれたのは
(やはりお前は太陽だよ。千棘)
「なぁ千棘、決断してほしい」
「えっ?」
千棘の前におかれたのは黒く光る死の具現。
ベレッタM92
人殺しの道具であった。
彼女がもしマフィアとして生きていくならば必ず越えねばならない線がある。
いつまでも子供では、お嬢様ではいられない。
それがここにあった。
日常と非日常を分ける境界線。
この線を渡らなければ、千棘はビーハイブの表顔として多国籍企業の社長として裏に触れずに生きて行けたかもしれない。
だが渡ればマフィアビーハイブと多国籍企業、表と裏、混沌の世界の住人となる。
この線を渡った人間は総司や鶫をはじめとするマフィアやヤクザ達
この線を渡らない人間は一般人
「決断してくれ――――これを千棘が使うか――――使わないかを」
「でもダーリンが使えば―――」
「それは無理だ。俺の銃の腕前はポンコツ以下だ、それにこんな体ではまともに狙いなどつけられん。だが――――無理だといういうのなら
ばそれでいいそれならそれで手を考えよう」
千棘は床に置かれた、いつもは鶫が持っているそれを見つめる。
千棘は目の前の境界線を見つめていた。
これは分岐点。
彼女の今後の運命を左右する選択肢である。
男は血の跡をたどりつつ廃工場を発見した。
暗く、死角のできやすい工場内は待ち伏せの危険が高い。
だが男は2人組であり、獲物の片方はすでに手負いである。
「どうする兄貴?」
ナイフを握った小太りの黒服が後ろから歩いてきた男に指示を仰いだ。
長い髪の毛を結びもせずに垂れ流した、兄貴と呼ばれた男はスーツケースを地面に降ろすと中から狙撃銃を取り出す。
SVV消音狙撃銃。
消音機の銃とは違い、専用設計を用いることで発射速度を音速以下まで制御することを可能にしている。
分解組み立ても容易であり、某国が産んだ傑作狙撃銃として知られている。
「あの男の方の動きを見ていなかったのか?あれは尋常ではない、おそらくビーハイブに雇われた護衛だろう。手傷を負わせたとはいえ油断はするな。」
男はそれを組み立てて小太りの男へと渡すと自らは懐から拳銃を取り出す。
重い扉が開けられ2人が銃を構えながら屋内へと入っていく。
薄暗い室内には誰もいないように感じられた。
「っ!」
兄貴と呼ばれた男が奥にたたずむ一人の男へと銃口を向ける。
男は一人立っていた。
その腹部は血の跡が広がっている。
(1人か――――殺害対象はどこだ?)
千棘の姿を探すがこうも暗くては見つけようがない。
この工場の出入り口はここだけであるため少なくともこの中にいるのは確実である。
「兄貴、さっさと終いにしましょうぜ」
「油断するなといったはずだぞ?まず目の前のアレを仕留めるんだ。いいか?絶対に近づくなよ」
男は少年の姿をスコープ越しで見ていたが、あの動きは人のそれではない。
万が一射程内に入れば次の瞬間頭部をねじ切られることをは想像にたやすい。
単発の射撃音が2人の銃から発せられる。
だが男はそれらを回避ししつつ物陰へと飛び移っていく。
(あれが人間の動きかよ―――だが近づかなければあちらの攻撃手段はない)
男は一つ見落としていた。
この空間には男3人のほかに殺害対象がいることを。
そしてその少女に牙などないと思い込んでいること。
千棘は発砲音に震えながら総司とは離れた男たちの右手コンテナの裏に隠れていた。
口内が乾き、心臓の鼓動が口から出そうになる。
拳銃を握りしめた手からは大量の汗が噴き出していた。
これから自分が何をしようとしているのか彼女は実感していた。
人を殺すのだ。自分の手で。
震える手を必死に抑え込むが震えは止まらない。
総司が囮になっている間に男たちに銃弾を撃ち込むのが彼女の役割である。
背後から聞こえる何発もの銃撃音。
(ダーリン―――――)
千棘は目を瞑り息を整える。
そして目を見開いたとき彼女の目に迷いはなかった。
覚悟とは責任を負うことである。
自分勝手な勇気などは覚悟ではない、蛮行である。
彼女はこの瞬間、覚悟を決めた。
ビーハイブとして、マフィアの娘として生きていく覚悟を。
いままで彼女は直視しなかった。
だが向き合うときが来たのだ。
その目は天真爛漫な目ではなく、鋭い―――強さを持った目だ。
普通の人間がそう簡単に銃など扱えるはずがない。
だが彼女は違う。
マフィアという生まれゆえの銃への慣れ、理解。
そして天性の超人的な身体能力。
千棘の弾丸は小太りの男の頭部に命中すると、男は膝から崩れ落ちる。
だがあくまで経験のない千棘がそれだけの命中精度を得るにはターゲットに近づかざるを得なかった。
千棘のはなった2発目の弾丸は残った男の武器に命中したが、男はそれを手放すとすでに近距離となっていた千棘を殴り倒す。
千棘の細い首に男の両手が押し付けらる。
「――――っ――――かっ」
千棘の頸椎を押し潰すほどの力が男の両手に注ぎ込まれる。
息ができない、千棘はもがくが馬乗りになった男の力にはさすがに勝てない。
だが頭に血が上った男はもう一人の存在を失念していた。
「人の女に何してやがる」
総司が放った渾身のリバーブロー。
まともに撃ち込まれれば悶絶することでしられるボクシングで使われるパンチの1つである。
もしそれが全力で、無防備な腹部に、人間を遥かに超えた筋力で撃ち込まれた場合人はどうなるのだろうか。
千棘は目の前の人間が、本当に文字通りにくの字に曲がるのを目撃した。
肋骨が粉砕される音、肝臓が破裂する音。
少なくとも腹部に存在する主要な臓器と骨は元の形を成していないだろう
男の拳が腹部にめり込んでいく。
兄貴と呼ばれた男は口から大量の血を吐き出しながら吹き飛んでいく。
呼吸もできないほどに苦しいのだろう、血を吐きながら肺の破けた呼吸音、浅いあえぐような呼吸しかできていない。
「っガっ――――ぁ――――――」
男が最後に見たのは自らに銃口を向ける金色の長髪をなびかせた少女の姿。
その目は彼がよく知る目。
狩られる獲物の目ではない、狩人の目ではない。
上に立つ者の目、支配者の目だ。
薬莢が地面に落ちるとともに男はその生涯に幕を閉じた。
「はぁ――――はぁ――――!!」
緊張が途切れたのか途端に息を荒くした千棘は銃を落とすと床にへたり込む。
目の前には彼女が殺した2人の人間だったのものが横たわっていた。
そんな彼女を総司が優しく後ろから抱き留める。
「わた――――私――――」
狼狽する千棘を抱き留めると震える彼女の手を優しく握る。
「千棘、お前は一人じゃない――――2人でビーハイブを支えて行こう」
生まれはどうあれ実際にはただの女子高生に近い千棘の心には殺人の二文字は重すぎた。
覚悟を決めたとはいえ、彼女はまだ強くない。
そんな自分を包み込み、支えていく存在がいることを彼女は背後から感じる温もりによって実感した。
「うん――――」
総司の手が冷たいことに気付いた千棘は後ろを振り返る。
「さ、さすがに限界だ」
「ダーリン!!!」
失血で床に倒れた総司は間もなく駆け付けたビーハイブによりすぐさま病院へ運ばれた。
「千棘?大丈夫だったかい?」
総司を乗せた車が病院へ向かうのを見送っていた千棘にようやく現場に到着したアーデルトが駆け寄る。
外はいつの間にかにわか雨が降っていた。
「パパ?ダーリンは?」
いままでの千棘ならば泣き叫ぶ場面だが、あくまで冷静に問うた彼女の態度にアーデルトは娘の成長を感じた。
彼は今の千棘から強い芯を感じた。
責任や覚悟を決めた人間としての成長を。
「彼なら心配はいらない、重傷だが内臓には異常はないししばらく治療すれば退院できるだろう」
雨に濡れながらも千棘はほっと胸をなで下ろす。
「千棘――――話があるんだ」
父の深刻な顔を見てただごとではないと感じた千棘は父に向き直る。
「君の――――婚姻が決まった。相手は一条楽だ」
千棘の目が見開かれる。
事態がうまく呑み込めない。
今、父親はなんといった?
「すまない――――――だがもうこれしかないんだ、こうしなければ2つの組織が戦争になる」
頭を下げ、苦しそうな表情を浮かべるアーデルト。
彼としても苦渋の決断なのだろう。
千棘の心の中に黒い靄が広がっていく。
何と言った?婚姻?結婚?
なんで?なんでパパはそんなことをいうの?
私は道具でしかないの?
「ふざけないで―――――――」
自分と道を歩むのは「彼」なのだ
断じて集英組の人間、あんな男ではない
「分かってくれ千棘――――」
大きな組織に幼いころから守られ、身を置いてきた千棘は知っている。
巨大な組織の中で決定事項をはねのけるすべはない。
それを変える手段は一つしかない。
千棘の中で何かが変わる。
濡れた前髪の間から、千棘の眼が鋭く光る。
もう彼女の耳には何も入っていなかった。
愛する父親の謝罪も、激しさを増す雨音も。
千棘(悪)