マンションの1室。
総司が新しい制服に身を包んでいた。
彼の背丈は年にしては小さい。虎(186㎝)と比べると親子のようだ。
だがその体は筋肉の鎧に包まれている。
それも上から制服を被ると見えなくなった。
髪の毛を下ろすとさえないような眼鏡をかける。
「若、おはようございます」
「んんっ」
虎が挨拶しに来たとき、総司は大量の食事を口に詰め込んでいた。
朝から食べるような量ではない。
「1限目は9時からですね―――あっしは」
「お前は仕事だろう?」
このマンションの家賃や学費、食費を賄っているのは虎だ。
虎の仕事はこのマンションの1室にある。
そこはパソコンに囲まれた部屋。彼の職業は俗にいうトレーダーである。
その手腕は確かで、末期の芹沢組は虎に支えられていたといっていいだろう。
「若、その眼鏡は?」
「俺が入学することは集英組にもバレてる。下手に警戒されるより人畜無害を装っていたほうがいいさ。幸い俺は奴らとの抗争で前線に出ちゃいないから警戒は薄いだろう」
「よし」
いかにも根暗で、目が髪に隠れて見えない少年が鏡の前に出来上がった。
これで転入すれば波風たつようなことはあるまい。
「それで集英組の倅は何と言ったかな?」
虎はファイルに入った資料を総司に差し出す。
総司はそれを朝食とは思えない大きさのステーキをかみちぎりながら捲っていく。
そこには名前、身体情報、好物から交友関係、いきつけの店までもが網羅されていた。
「一条楽、成績は中の上、特技は料理、格闘技経験はなし―――と」
「普通の高校生ですね」
「ヤクザの息子に生まれた人間がヤクザから離れられると思っているのかね。このボンボンは」
「芹沢組ならまだしも集英組の跡目問題となればそれこそ大量の死人が出るだろう。それに周りへの影響力が削がれれば当然抗争だ。まぁ、甘やかされて育ったんだろう。戦争の悲惨さは知っているが戦争は知らんというどこぞのおめでたい国民みたいなもんだ」
「どうされますか?」
「精々、利用させてもらうさ」
そういって総司は煙草の火を楽の写真へと押し付けた。
小粋な排気音とともに総司は原付で高校への道を進む。
両親がいないという総司の家庭事情と交通事情を鑑みて特別に通行許可をもらったのだ。
(しかし―――平和だ)
芹沢組の抗争末期。血と硝煙の臭いしかなかった時代。
なんとか中学は卒業できたもののあの頃は総司ですら通学していなかった。
もっぱら前線からはなれた後方での荒事をこなしていた。
それもあって随分と鉄火場には慣れたが。
そうした経験上、武器は必要だ。
とはいえすでにヤクザとは言えない身。服に仕込んだ小口径のピストルぐらいが彼の持つ武器だった。
「ん?」
ふと上空を見ると黄色い影が跳躍していた。
(なんだありゃ猿か?)
「あああああああああああ」
次の瞬間、その影はあろうことか信号待ちをしていた総司に向かって特攻してきたのだ。
これには虚をつかれたのかその影もろとももんどりうって原付から転げ落ちてしまう。
「ぐえっ」
カエルのつぶれたような声が総司の気道から漏れる。
無防備な側面に全体重と速度が乗ったドロップキックを撃ち込まれたに等しいのだ。
並みの人間なら肋骨が折れていてもおかしくはない。
スローモーションになる視界の中、総司は自らに突っ込んできた黄色の物質を見る。
今朝、一条楽の次に見た資料にあったものと同じ顔を。
「っ!」
咄嗟に彼女を。ビーハイブの桐崎千棘を腕に抱きかかえるとその勢いのまま路肩へとダイブする。
2回転、3回転、骨と肉がコンクリートとぶつかる音が響き、やがて止まる。
「いたた…っ!?」
やがて少女は自らが男性の腕に抱きしめられていることを認識すると少し声を上げて立ち上がる。
「ご、ごめん!急いでたから…大丈夫…よね?」
地面に横たわった総司を心配そうに眺める千棘。
「や、やばっ!どうしよう!救急車よね?日本って何番だっけ!」
(随分とお転婆な―――これがビーハイブの一人娘か)
あたふたする千棘を見ながら横たわる総司。
(だが―――へぇ、いいな)
顔は満点。体も十二分に合格といっていいなと総司は心の中で彼女を称賛した。
(あのボンボンにくれてやるのはもったいないか)
「ああ」
総司が満面の笑みで笑う。
彼女はビーハイブの一人娘。集英組との政略結婚が予定されている―――だ。
じゃあ彼女を―――手籠めにしてしまえばこれらの関係はどうなるのか
邪な思考が総司の脳内を駆け巡る。
「大丈夫ですよ。擦り傷ぐらいです」
しばしの思考の後に少年は立ち上がる。
確かに少年の立ち姿に不自然なところは見られない。
「よかった~って!時間!あ~もう間に合わない~」
「乗ってけ。2人ぐらいなら乗れるだろ」
原付を立て直した総司が千棘に声をかける。
「その制服?」
「どうせ目的地は同じだ、乗ってけ」
(ノーヘル&2人乗りだが万が一捕まってもこいつが庇えばなんとでもなるだろう)
権力とはかくも偉大だな。
そう総司は心の中でうなずいた。
「う~ん!分かったわ!」
「捕まれよ、振り落とされても知らんからな」
(男の人の体って結構固いのね―――)
いままでお嬢様として育てられた千棘は偶然訪れた異性との触れ合いに興味を抱いていた。
(しかしハーフってすげぇな、モデルみたいな体型してやがる)
押し付けられる柔らかな感触を堪能しながら原付を走らせる。
「あんた名前は?」
「総司」
「私は桐崎千棘、千棘でいいわよ」
「あいよ千棘な、俺も転校生だから初日から友達ができるのは嬉しいよ」
「私と友達?」
「それがどうかしたか?」
千棘の声のトーンが落ちる。
「私ね、家の事情で友達が出来にくかったの。普通に友達作って、普通の暮らしがしたかった。日本に来ればみんな私の家のこと知らないから―――そんな暮らしができるかなって」
「ふーん」
「私さ、後から引かれるのやだから先に行っとくね。私の家、ギャングなの。それもすごい大きい」
千棘はそう言って総司の背中に顔をうずめる。
返事を聞きたくないかのように。今まで何回も、みなが恐れの目でみてきたことが思い出される。
「そりゃー大変だなぁ」
「それだけ?」
千棘が総司の顔をうかがおうとするが走行中ではうまくいかない。
「俺としては親が誰であろうが、千棘みたいな美人と友達になれるんなら気になんてしないよ」
「っ!」
涙ぐむような声が総司の背中から聞こえる。
「もっと飛ばしなさいよ!」
「あいよ」
アクセルを限界まで回すと2人を乗せた影はあっという間に学校までかっとんでいった。
千棘の転入のあいさつが行われている間、総司は外の廊下で待機していた。
教室内からは男女問わず歓声が上がっている。
(そりゃあのスタイルにあの面だからなぁ)
男子高校生からすれば目に毒なレベルである。
しかし、いきなり偶然とはいえ親密になれるとは思ってはなかった。
どうせ芹沢組はもうない。
どこかの大きい組織を利用するしかない。
(身一つで上にいける世界でもない、ビーハイブの規模を考えると―――)
「次、芹沢君」
(まぁ、焦ることはないか)
「はい」
桐崎千棘の時と打って変わって静まり返る教室。
「芹沢総司です。よろしくお願いします」
「なんだ男か」
「桐崎は美人だったけど―――なんか地味な男」
「陰気な感じ私嫌~」
(学校は随分と行ってなかったが―――まぁ千棘みたいに騒がれるよりいいか。外に目線も感じるしな)
横目で外にいる白服のマフィアを見る。
そういうことで誰の興味も引かない総司の自己紹介も終わり、着席となる。
走行する間に休み時間となり千棘の席は男女が群がって近くにいた総司はあっという間に押し出されてしまう。
そんな騒ぎを少し離れたところで見物する総司。
クラスにいるかいないかわからないやつ。そんな影のような存在が最も都合が良い。
集英組に警戒されることほどめんどくさいことはない。
「はじめまして」
(クラスの女子からドン引きされた俺に話しかけるとはどんな変わり者なんだか)
「はじめまして」
振り向くとそこには2人の女子がいた。
「はじめまして、小野寺小咲です」
「宮本るりよ」
女子から、しかもかなりの美少女から話しかけられて総司は困惑を隠せない。
「こちらこそ、よろしく。芹沢です。でも僕なんかに声をかけてくれるなんて小野寺さんは優しいですね」
「そ、そんなことないよ~、ただちょっとかわいいなって」
「かわいい?」
人生初めてかけられた言葉に思わずうつむいた演技をやめて顔を上げてしまう。
「その―――なんか小さいから」
「がっ」
急所を一突きにされて総司は固まる。
コンプレックスの低身長をこんな子に指摘されるとは――――
突然、肩が捕まれる。
「大丈夫、仲間よ」
ぐっと拳を出している宮本るり(140㎝)がそこにいた。
そんなつつましい会話を吹き飛ばす絶叫が突如、教室に鳴り響く。
見てみるとどうやら千棘と一条楽が喧嘩をしているようだった。
彼女と顔を合わせるのはこの日から3日後のことだった。