「ここがアトラスの家か」
「ああ……なんか、凄い久しぶりだな」
二人が家についたのは暫く後のことである。あの後、何故かカフェの前に待機していたマスメディアの皆さんに追い回されてしまい、家に帰ってきたのはもうすぐ日暮れという時間になってからだ。
「そうか、こっちに帰ってないからか」
「いや、そう言うんじゃなくて、俺世界中を飛び回ってたからさ」
遊吾は己を鍛え直すために各地を旅して回っていた。それに元々彼は旅をしている期間の方が長いのだ。ならば、自宅に戻るのが久しぶりのことなのはいつものこと。ただ、彼女たちと共に暮らすようになってからは、その場に居座ることの方が多くなってしまっていたためさらに懐かしく感じてしまうのだ。
「さて…今日は遅いし、泊まるか?」
「ああ、そうだ――え?」
「じゃあ飯作らねえとな」
何か残ってるかなぁ、と鼻歌を歌いながらキッチンに向かう遊吾。その鼻歌が彼女の新曲と言うことに気づいて嬉しくなる。
――いや、そうじゃない! そうじゃないぞ私!?
思わず頭を抱えてしまう。
男と女が一つ屋根の下。しかも此処は彼の実家。年頃の女性の姿というものが分からないなりに、色んな人からニヤニヤされながら選んだ服だから失礼なことは無いはずだ。しかし、男の家に泊まるというのはどういうことか。これは即ち膳云々ということなのか、だが彼はそういう雰囲気ではなく、純粋にもう遅いからという感じだし。
「…翼?」
「いや、だが…でも……うぅ……」
「つーばーさー」
「大丈夫なのだろうか? 失礼、いや、でも…」
「ズバババン!!」
「うひゃあ!? な、なんだ突然!?」
「それはこっちの台詞だ。オシリスかお前は」
「おしり――え?」
「いや、なんでもない」
とにかく、と彼は手に持った二つの箱を彼女に見せて問う。
「カレーとシチュー、どっちが良い?」
「シチューで」
「早い!?」
「カレーは作りおきがあるからな」
「ああ、そういや作ってたな」
休み中になにかあっても良いように、彼が前日に仕込んでおいたのを思いだし、ならシチューだなとキッチンに引っ込もうとする遊吾。
そんな彼に翼が言った。
「アトラス!」
「ん?」
「私も料理しても、いいか?」
「ああ、構わねえよ」
いつも彼に料理をしてもらってばかり。こう言うときこそ少しは手伝いたいと思っていた翼。そんな彼女の提案を、遊吾はなにも言わずに了承する。
まさかここまで素直に事が運ぶとは思っていなかった翼は、目をぱちぱちと瞬いて、あれ? と身体を動かせずにいた。
「おーい、作るんなら早く来いよー」
「あ、ああ!」
彼に声をかけられて、動揺しながらも彼女もキッチンへと向かうのであった。
「…さて、しっかりエプロンもしたみたいだな」
ところ変わって此処はキッチン。
リビングに面した広々としたシステムキッチンは、新品同様の輝きを放っていた。
「…料理、しないのか?」
翼は思わず首をかしげた。
人がどれだけ綺麗にしようが、そこには必ず人が使ったという形跡が残るもの。だが、このキッチンに関してはそれが薄い。
「ああ、親父は料理からっきしだからな」
「そうなのか?」
「ああ。だって、シンクロン丼だの、シンクロ弁当だの作るんだぞ?」
シンクロ弁当? 首をかしげる翼に、遊吾が全容を語ってみせる。
遊吾・アトラスという養子を得て、ジャック・アトラスは少しだけ変化した。その変化とは、家事を行うようになったこと。
レストランなどで外食が基本だったジャックが、掃除や洗濯、料理を始めたとなれば、彼を知る誰もが驚いた。
特に、ジャックを昔から知る友人などは「あのジャックが家事…一体何があったんだ」とか「嘘だろ!? 嘘だと言ってくれ!!」とか深刻に言う始末。
掃除、洗濯に関しては洗濯機や掃除機の扱いさえ分かれば多少できるようになるため、問題は無かった。
だが、天は二物を与えてくれなかったようで、ジャックには料理の才能が無かった。
シンクロ弁当、そしてシンクロ丼。それはジャックが作った弁当なのだが、その内容が凄まじい。
山盛りのご飯の上にこれでもかと置かれた海老フライ、鮭、ハンバーグ、コロッケ。色合いのためかトマトやキャベツがしっかり乗せられているのが質が悪い。
これでもかと好きなものを詰め込むジャックの料理。別にそれが悪いとは思わない。そういう食べ物は自分も好きだからだ。
だが、それを実際に見たうえで食べさせられることとなったとき、子供心ながら遊吾は決意した。
俺が料理をしよう、アトラス家の食卓と食費は俺が守るのだ、と。
「それは凄まじいな」
「まあ、親父の気持ちも分かるんだけどな?」
ジャックの気持ち。
ジャック・アトラスもまた、遊吾と同じくサテライト出身者であった。そのため、サテライトの惨状は良く理解していた。
満足に食べることができない、食べ物があれば奪い合う日々。
そんな日々を経験しているからこそ、ジャックは息子にそんな思いをしてほしくなかったのだろう。
好きなものを好きなだけ食べる。それはサテライトの住人が心の何処かで常に持っている夢なのだから。
「そうか…その、すまないことを聞いてしまった」
「構わねえよ。サテライトでの日々は俺の誇りだ」
サテライト。彼の過去を思うと、恐らくあまり思い出したくないだろうに。それを思い出させてしまうような質問をしてしまったことにシュンと顔を下げてしまう翼。
そんな彼女にヒラヒラと手を振りながら遊吾は笑ってみせた。
サテライトでの日々は確かに厳しく、苦しいものであったし、もちろんあまり人に言えないような行為を何度も繰り返していたことだってある。しかし、それは彼にとって得難い経験であり、サテライトという過酷な環境で育ったという経験は彼の血となり肉となっている。
「こういうとナルシストみたいだけどよ。傷つけて傷ついて、だから俺はこうして強い決闘者になれたんだ」
傷つけたから、どうすれば人を傷つけられるのか分かる。傷ついたから、どういうことで人が傷つくのか分かる。
無論、それは状況によりけりだし、個人差だってある。だが、傷を知る者は優しくなれるし、傷つけることを止めることが出来る。
「なんて言っても、俺が優しいかって言われたら少々疑問が浮かぶけどな」
自分で自分のことを優しいなどと言うのは恥ずかしいのだろう。はにかみながら彼は水にさらしておいた玉ねぎを手にとってそれを繊維にそって薄切りにしていく。
「謙遜するな。お前は優しい」
「フィェイッ!?」
驚き過ぎて気管に唾が入ってしまったらしく、甲高い声と共に咳きこみはじめる遊吾。苦しそうにしながらも視線は翼に向けられており、その目は雄弁に彼の意志を伝えていた。
「確かに、独りよがりで暴れ馬のように好き放題走り回ることの方が多いし、そのせいで色々なところに迷惑が行っていることを考えれば、優しさなんて全然感じられない」
「うわ、そう言われると」
「だがしかし、アトラス。そんな君の行動で助けられている人は同じくらい多いんだぞ? 立花や小日向は勿論。最初は敵対していた雪音も。聞けば、マリアたち元F.I.S.のメンバーたちに対しても色々していたそうじゃないか。それに、あの時奏を助けてくれて、今だってこうして私に休暇を楽しんでもらおうとしている」
そうした行為は優しさから来るものじゃないのか? 真っ直ぐに問いかけられて、遊吾は思わず目を逸らした。
確かに、彼女たちの為になればと思って行動したことはある。だが、その根底には、物語のキャラクターと仲良くなりたい、だの、俺なら助けられるのではないか、などといった下心、それも驕りに満ちた感情が無かったかと言われたら正直無いとは言い切れない。
果たしてそうした感情は優しさなのだろうか? いや、違う。優しさというのは誰かを慈しみ、助けられるということだ。礼儀正しく、慎ましく、思いやりがある。それが優しさだ。ならばそういう行動は優しさという行為からは明らかにかけ離れていると言って間違いは無い筈だ。
「けど、それは俺がこっちに帰りたかったりとかしたからであって」
「…アトラス。お前にとってはそうなのかもしれないが、私たちにとってはそうじゃないんだ。こんなところで変に謙遜するんじゃない」
立花や小日向もそうだが、三人とも妙な所で謙遜するからな。それは良くないぞ、と腕を組んで言われてしまい、視線を玉ねぎに落として手を動かしつつ、ついつい口をとがらせてしまう。
「けどよ、謙遜と言うか実際下心満載なわけでだなぁ」
「そうやって自分から言えるってことが優しさの証明だよ。それに、下心無しに人が行動するものか」
そりゃどういう意味だ、と顔をあげた彼の前で、翼はにっこりと微笑みながら言った。
「少なくとも、私は下心があって一緒に居るんだけど」
ダンッと力一杯包丁を振り下ろしてしまう。
飛び上がるくらいの速さで玉ねぎに身体ごと向き直った遊吾は、頬の熱を振り払うように玉ねぎを次々刻んでいく。
下心があって一緒に、それはどういう意味なのか。下心ということはあれなのだろうか、しかも仮にも男の家にやってくる上で下心があるというのはやはりそういうことなのだろうか!?
考えないようにしようとすればするほど、その後、を考えてしまい彼は顔全体がカッと熱くなるのを感じ振り払うように包丁を振り下ろした。
「づぁ!?」
あまりにも思考が逸れていたせいか、刃先を指先に食い込ませてしまった遊吾。
慌てて包丁を離して手を挙げるが、人指し指からは既に血が滲みはじめていた。
「大丈夫かアトラス!?」
「ああいや、この程度なら――」
「血が出てるじゃないか、あむっ」
「ツバッ!?」
指を切った、と言っても多少血がにじむ程度の軽傷だ。これが血が溢れるくらいならともかく、この程度ならかすり傷にもなりはしない。
それこそ唾を付けとけば治る程度の、傷にもならない傷。確かに迅速な処置は傷口から菌が入って化膿することを防ぐし、確かに有効ではある。
遊吾の目の前で行われているのは、迅速かつ熱心な治療だ。
左手に優しく添えられた柔らかな両手。切った人指し指は、普段は鋭く力強い歌を放つ唇の中。中腹を擽る固い歯の感触と、獲物に喰らいついた蛇のように人差し指を這い回る熱くねっとりとした舌。
換気扇の重い音が響く中、ちゅぱっ、ぴちゅっ、と空気の混ざり合う音が嫌に響き渡り、唇の端から漏れる透明な粘液に否が応にも反応してしまう。
だが、目を瞑って一心不乱に指をしゃぶるその表情からは何の他意も感じられない。あくまでもこれは治療行為の一環であり、決して何かしらの意図があって行っていることではないようだ。
堪ったモノではない。ゾクゾクと背筋を駆け抜ける感覚に抗うように左腕に力を込めてゆっくりと彼女の口から指を引き離す。
「ちゅぱっ……あ」
「ほ、ほら、えっと、その、えっと、と、とりあえず切ったりしといてくれ!! 俺絆創膏とかしてくるからッッ!!」
透明な架け橋が途切れ、切なそうな息が漏れる。一瞬翼の表情が切なそうに見え、彼はそんな幻覚を振り払うように全力でキッチンから駆け出した。
残像が残るのではないかと言うほどの速度。決闘者、そして一戦闘者としての身体能力と加速技術を最大限利用した全力疾走。彼の背中を見送りつつ、翼はチラリとキッチンに置かれた棚を見た。
透明なプラスチックの蓋の中にあるのは、市販の消毒液と包帯、そして絆創膏。何かと準備したがる彼が、実家であるこの家に準備をしていない筈が無いのだ。
「ここにあるのは何なんだか」
まったく、とため息を吐きつつ翼は笑った。
耳まで真っ赤にした彼なんて、早々見れるものではない。普段の子供っぽいようなところとは違う、歳相応な一面を見れて嬉しく感じると同時に、翼は唇を舐めながら目を細めた。
「…中々美味だったな」
ふふっ、と笑みを溢した彼女は、包丁を手に取り下ごしらえの続きを始めるのだった。
尚、遊吾はその後翼がシチューを完成させるまでキッチンに戻ってくることは無く、戻ってきたら戻ってきたで借りた猫のように顔を伏せて沈黙を保っていた。
※※※※※※※※
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああ…」
ブクブク、とお湯の中に顔を沈めながら遊吾・アトラスは叫び続けた。
失態に続く大失態である。というか何あの天然破壊兵器。やはり日本の防人は化け物かッ!!
翼のリクエストの通りシチューが完成して、今は風呂の時間。
本来ならば日帰り旅行のはずだった今回の休日。だが、そんな予定は彼女の一言で吹き飛んだ。
「その、もう遅いし泊まっていっても良いだろうか?」
一日宿まるというのは別に構いはしない。彼女の予定では明日も休日だし、今日回れなかった分を明日に見ることにして、明日の夕方にでも帰ればいい。そう、別に宿泊するだけなら構いはしなかったのだ。普通の宿ならば。
だが、ここは我が家。遊吾・アトラスの実家であるアトラス家である。流石に泊めるのは拙い、そう考えて彼女を帰そうとするのだが、どれも彼女には通用しなかった。
最終手段として、下着や着替えはどうするんだ、と聞いてみたものの、それに対する彼女の答えは、
「一日分なら、下着も寝巻も持ってきている…」
頬を染めながらそう言われてしまえば、最早彼にどうこう出来る話ではない。
しかし、少々荷物が多いと思っていたがまさか宿泊の準備がしてあったとは思いもしなかった。そして同時に、彼女が事前に準備をしていたということに対して何か意味があるのではないかとついつい考えてしまう。
「アアアアッ!!」
いや、だめだ。考えるんじゃない。別の、もっと別のことを考えるんだ。
そう、例えば彼女が寝巻として着ていたあの着物。薄手で着物と呼ぶには少々ルーズな風に感じられたが、確かな気品を感じる薄浅葱色と、可愛らしい椿の花の描かれた着物。
あれを日本美人と言うのだろう。齧り付きたくなるような純白のうなじ。緩められた胸元から見える鎖骨の窪みと、着物の影となって見える微かに盛り上がる――
「あがっあががががががッッ!?!?!」
脚を突きだした際に見えたむしゃぶりつきたくなるようなスラリと伸びた太腿。
赤く上気した頬に、ほのかに香るシャンプーの香りと翼の匂い。胸元の感じと言いやはり着物の下には何も履いてないのだろうか。
ところで、こうやって口に入ったりしているお湯って翼ののこり――
「ほあっほああああああああああああ!! ほあああああああああギボッ!?」
まるで蛇がのたうち回るかのような悶え方に、ついに後頭部を浴槽の端に思い切りぶつけてしまった。
目の前で火花が飛び散り、ずるりと滑って浴槽に沈んでしまう遊吾。ぶくぶくと水面に泡が上がり、数秒置いて勢いよく湯船から立ち上がった。
頭から湯を被って冷静になったのだろう。ぷはっ、と息を吐いて勢いよく立ち上がる遊吾。
そうだ。何も焦る必要は無い。仮に家に泊まるからと言ってそんな展開になるなんて決まったわけではないし、こんな何でも無いようなことでおっ勃ててどうする。童貞か。いや、童貞だけれども。
ここで余裕を無くせば待っているのは自爆の未来だ。別に翼と自分はそういう関係ではない。確かに彼女の家に押しかけることは多々あるが、それはあくまでも自分が行きたいからであってそこに下心はあるがそれに応えてもらおうと言う気は更々無い。彼女は歌姫として頑張っているのに、それを妨害するなんてとんでもない。
彼は改めて心を入れ替えると、冷静さを取り戻すために頭の中で複雑なことを考え始める。こういうときは素数を数えると良いと言うように、決闘者には決闘者として冷静になる複雑な式がいくつも存在しているのだ。
「あー、公式戦じゃなくて只のイベントで良かったぞアレ」
頭の中で真っ先に思い浮かんだ場面と、それに追随する言葉。服を着ながらそれらの情景を思い出して。彼は思わず表情を引きつらせてため息を吐いた。
デュエルモンスターズだけでなく、多くのカードゲームには、俗に即死呪文と呼ばれるものが存在している。
即死呪文とは、ソリティアと呼ばれる複数のカードを組み合わせた複雑な動き、もしくは単純なカードの効果による圧倒的なまでの強力無比な場面を作り上げる過程を表しており、この流れを作り出されたが最後、自分は一ターンでゲームエンドを迎えてしまう。
そうした先攻封殺などを生み出すカードは、使用禁止カードに設定されたり枚数制限カードに設定される物なのだが、年に何度か開かれるイベントの中には、あらゆる禁止制限を無視したノーリミット大会と呼ばれるイベントがある。
ノーリミット大会に何度か参加した際、彼はそうした使用禁止カードなどの脅威に曝されたことがあるのだ。そのイベントは参加者こそ皆笑顔で楽しんでいるが、やっている決闘はそのどれもが殺意と殺伐の塊。公式試合ではほぼ負けなしの彼であるが、こうしたイベント事や野良試合では結構負けることもある。
あのイベントだけはもう二度と行きたくない。参加者誰もが平然とワンターンキルを行ってくるイベント内容を思い出し、彼は内心そう決意しながらキッチンへ向かい冷蔵庫に手を伸ばす。
「…あ、そういやレッド・デーモンズに新しい進化形態が出てきたんだっけ。久しぶりにこっちでパックを剥くのもありかもな」
冷蔵庫の中から『レッド・デーモン・コーラ』と『キングオブウォーター』を手に取りながら、つい最近義父に教えられたことを思い出す。
翼の反応にもよるが、明日はネオシティのカードショップめぐりと言うのも悪くないかもしれない。むしろ明日もこっちに居ると言うのならば、時間一杯ネオシティやサテライトの名所や名店を巡るのも良いだろう。
明日も翼と一緒にどこかに行けるかもしれないという状況に、鼻歌でも歌いたくなってしまうくらい上機嫌に足取り軽く階段を上り、彼は彼女の居るであろう自分の部屋にたどり着く。
「翼。コーラと只の水、どっちが良い?」
フンフン、と扉を開けてそう尋ねる遊吾。
彼の予想通り、彼女はしっかりと部屋で待っていたらしい。彼の机の前に立つ藍色の着物姿の女性。だが、一切の反応が見られなかった。
「…翼?」
どうかしたのだろうか。彼はペットボトル二つを手にしたまま彼女の元へ向かう。
「翼? お前どうし――」
背後に立たれてようやく彼が帰ってきたことに気が付いたのだろう。ビクッと身体を跳ねさせた彼女がゆっくりと彼の方へと振り返る。
振り返った彼女の顔は、頬と言わず耳と言わず真っ赤だ。眉尻は困ったように垂れ下がり、その目尻には涙まで浮かんでいる。
彼女の表情に本当にどうしたんだ、と大慌てで状況を確認しようとしたて、彼は自分の机の上にあるモノに気が付いた。
そこにあるのは数冊の本。そのどれもがページ数が三十あるかないか程の冊子のようなものである。だが、決闘者の超視力が、机の電灯に照らされたそれらの題名と、読み途中らしい開かれた本の内容を伝達する。
『歌姫の狂乱』『歌恋猫』『戦姫絶頂』『S.E.X.』『戦姫絶頂G』
そして開かれた本のページには、ベッドの上でイチャイチャしている裸の男女の姿。その絵と本に登場する女性の姿から、彼はその本の題名を思い出す。
『歌姫との甘い生活』
「あ、あ、アトラス……これ、は、どういう…」
それは混乱するだろう。男の部屋からエロ本が出てくるのはまあある意味当然であるとして、問題なのはそのエロ本に出てくるキャラクターが、その名前、容姿共に自分とほぼ、否、完全に一致しているのだから。
どうするッ!? 彼は思考する。
状況は限りなく最悪だ。これならまだ本棚の中身を入れ替えてある専門書のカバーの中身を見られた方がマシだ。とりあえずまずは彼女に冷静になってもらうことから――
「アトラスッ!!」
「お、おう!!」
キッと鋭い眼光で睨み付けられ彼は思わず姿勢を正す。内心どころか額から冷や汗を流し彼は次の言葉を待った。
ふうふうとまるで獣のように食いしばった歯の間から息を漏らす翼。これは最悪腹を切ることも考えなければならないかもしれないと彼が内心ビクついていると、数秒の間を置いて彼女は静かに口を開いた。
「私は…」
「……わたしは?」
「私には――」
彼女の言葉が止まる。
ゴクリと生唾が呑み込まれ、彼の額から汗が垂れる。すぅっと息を吸い、彼女は吠えた。
「私にはこんな男などいないぞッ!!」
「…え?」
「というかアトラスッ!! 貴様どういうことだッッ!!」
「いや、どういうって、ちょっと、え?」
「立花と小日向の本が多いのは百歩譲って許そう。三人の仲は良く分かる。だが、それ以外は何だ!! 何故クリスとマリアの本の方が割合が多いのだッ!! やはりアレか、胸か!? 胸が大きいからかッッ!!」
「怒るとこそこ!? ちょっと待て翼――」
「そこまで私に魅力が無いのかッ!! そこまで私が好みではないかッ!! 答えろ、答えてみろアトラスゥ!!」
「いいからちょっと落ち着いて俺に弁解の時間をくださいお願いしますッ!!」
それから半刻ほど、彼は彼女からのありがたい説教を受けるのであった。
リハビリも兼ねて更新。エロに行くかと思ったら行かなかったでござるの巻。
下巻まではしばらくお待ちください。