今回はエロのないお話です。
*5/17 一部加筆修正。
まだ梅雨も来ていないというのに、今週は雨がずっと降り続いている。
そのせいだろうか。春の陽気を打ち消すかのような、この冷たい空気は。
この日、俺と村雨と白露は遠方の会合へ出席するため、海から遠く離れた山間地帯へと車を走らせていた。
今朝から窓の外では、無数の雨粒が地面を叩きつける音が響いている。
平らな大海原がとうに遠ざかり、壁のような山の峰々が近づいた頃――水分を多く含んだ空気が霧となり、目の前の視界を霞ませる。
長く続く道をひた走る中、かけていた筈のオーディオがいつの間にか途切れていたことに気づく。だけど、かけ直す気にはならなかった。
出発したときはにぎやかにお喋りしていた白露と村雨は、今は静かだ。
ずっと長い道のりを走っているせいだろうか。俺たちの間に言葉数は少ない。
多分、三人とも疲れているのだ。
フロントワイパーが窓ガラスを拭く音と、外の雨音だけが車内に響く。
「少し、寒いね」
隣に座る村雨が言う。
「暖房入れるか?」
「うん、暖まりたいかな」
そう言いながら村雨は、俺の方に体を傾け気味にして熱を求めてきた。
ふたりの間は物理的な意味で離れている。
それでもなぜだろうか、空気をつたって村雨の熱を感じるのは。
「すごい霧だね。全然、前が見えないや」
後ろの座席に座っている白露が、背後から首に腕を回して抱きついてきた。
白く柔らかな腕は、冷えた空気のせいかひんやりとしていた。
でもその冷たさが、かえって熱を感じさせてくれる。
「あと一時間くらいしたら着く。もうしばらくの辛抱だ」
「ん」
短い返事。
白露はじっと抱きつきながら、それ以上喋らなかった。
車窓から見える霧に包まれた景色が、余計に静かなものに感じられた。
出張先で会合を終えた頃には、外はもう夕暮れの色へと変わっていた。
元から一泊二日の予定だったから、宿泊先はとうに決まっている。
とはいえ土地勘のない場所なだけに、ちゃんと探し出せるかどうかが不安であるが。
――結局、宿泊地へたどり着いたのはあたりが闇に包まれた頃だった。
木々が繁り暗くなった道を進み、人の気配もない暗闇をひた進んだところに、それはあった。
暗い霧の中にぼんやりと浮かぶ、一軒の館。それが俺達の宿となる貸家だった。
扉を開けると、中は真っ暗で誰もいない。
灯りをつけると、古めかしい内装が浮かび上がった。
「幽霊とか出そうな雰囲気ね」
「広いなぁー、前はお金持ちが住んでいたのかな?」
口々に感想を述べつつ、部屋の装飾や調度品を見てまわる村雨と白露。
俺はその間に、この館のライフラインをひと通り確認することにした。
最初は、適当なホテルでも見繕っておこうと考えていた。
しかし、宿を探しているときにたまたま見つけた貸家、それに村雨が注目した。
白露も興味を持ち、ふたりとも『ここに泊まりたい』と言った。
折角の機会だし、そういうのも悪くないだろうと思い了解した。
――かつて鎮守府には、俺と村雨だけだった。
そして月日が流れ、白露が来た。それによる変化は、とても大きかった。
俺たち
各部屋を回り終えたが、水道も電気もガスも問題なしだった。
一応家の手入れはされているようで、外観の割にはなかなか近代的な家だ。
俺はキッチンへ向かうと、ここに来るまでにあらかじめ買っておいた食材を持ち込み準備を始めた。
白露と村雨も一緒に手伝ってくれたおかげで、思ったよりも早く料理は完成した。
今夜の献立は牛バラ肉の赤ワイン煮、かき菜のオリーブオイル炒め、そして田舎パンだ。
赤ワイン煮は煮えやすい部位の肉を使い、シンプルに仕上げた。最後に汁を煮詰めて水分を飛ばすことで、おいしそうな照りが出ている。
かき菜のオリーブオイル炒めはしっかり火を通しているので、形が崩れている。しかしながら菜っ葉の風味が凝縮されていて、これが中々うまい。
田舎パンは途中でパン屋から買ってきたものを薄めに切っておく。目が詰まっているから、それでも食べごたえは十分にある。
出来上がった食事を前に、適当にみつくろった安い早摘みの白ワインで乾杯する。
まだ果実が青いうちに摘んで醸したせいか、色も香りもほんのり青々しい。
度数低めで爽やかな味は、旅疲れした体にしみじみ染み渡った。
白露のほうを見ると、パンの上に牛バラ肉をのせて、さらにかき菜もプラスでトッピングしていた。
「チーズもいるか?」
「うんっ」
明日の朝食用に買ったチーズを切ってやると、白露は喜んでそれを先程の特製サンドにのせる。
熱でチーズがとろり、とろけてゆく。
その上からさらにパンをのせてギュッと挟むと、大きく口を開けて頬張った。
「おいしい!」
満面の笑みがこぼれる。
「へー、美味しいんだ。チーズバーガーっぽい感じ?」
「そそ、そーゆー感じ。村雨もやってみなよ」
勧められて村雨も、パンに各具材を挟んで食べてみる。
「うん、確かにこれは結構いけちゃうわね」
「そんなに?」
「提督も食べてみる? はい、あーん」
差し出された村雨特製サンドをかじる。おお、確かにうまいぞ。
すると、白露も自分の作ったサンドを差し出してきた。
「あたしのも食べてみて」
「挟んだ具が同じなんだから、味は同じだろ」
「違うんだなぁ~、あたしの愛情がこもってるから一味違うんだよぉ」
自信たっぷりに言い切る白露。
愛情で味が変わるかなんて疑わしいものだと思う。まぁ、食うけどさ。
かぶりつこうとしたその時。
「ねぇ、提督。私の愛情こもったこれと比べて、どう違うか聞かせてくれるかしらん?」
隣の村雨が、にやにやしながら流し目でプレッシャーをかけてくる。
目の前には、期待をこめた目で感想をうながす白露。
――参ったな。
食事の後、風呂を沸かして一緒に入った。
この館自体は大きくてそれぞれの部屋も広いのに、なぜだか浴室はやけに小さかった。
バスタブも小さく、三人で入るとせっかく入れたお湯がほとんどあふれてしまう始末だ。
「ん、くすぐったいよ提督」
「仕方ないだろう、この中狭いんだから」
俺の胸にもたれた白露が身悶え体をよじらせる。
少女の体を抱きしめる手は勝手に動き、罪をはたらく。
「やらし~」
向かいに座る村雨がくすくすと笑う。
柔らかさといい匂いに包まれながら、ふと上を見上げた。
部屋の狭さに比べて高いその天井は、湯気で曇ってよく見えなかった。
湯上り。寝室でしばしくつろぐひと時。
「全然、何も見えないなぁ」
白露は窓を開けて体を乗り出しながら、周囲の景色を見渡している。
「明日雨が止めば、霧も晴れるかもな」
俺も一緒になって、窓から顔を出す。
暗い灰色の雨雲に覆われた空と、霧に覆われた黒い森だけが視界に映っている。
「こういうのも、中々幻想的だな」
「そうねぇ。私、好きよ。こういうの」
賛同者、あらわる。
隣から顔を覗かせた村雨と、お互い目を見合わせた。
「そーお? よく分かんないや」
白露は空を見上げながら、釈然としない顔だ。
ずっと外を眺めていると、次第に空を覆う雲が風に流されて動き始める。
そして、雲の切れ間から、霧でぼんやりと霞む月が現れた。
ほのかな月明かりは、周囲の森や丘にほんの少しの輪郭を与えた。
「……綺麗だなあ」
白露はそっとつぶやいた。
布団に入り、灯りを消してからどれだけ経っただろうか。
なんだか眠れず、しばし目を開けていた。
夜も深まった頃、カーテンの隙間からはほのかな月明かり。
眼が慣れてくると、ほの暗い部屋の中がはっきりと見えてきた。
「ね、起きてる?」
隣で眠っていたはずの村雨が、小さな声で聞いてきた。
「ああ」
それに短くうなずき、答える。
反対側で眠っている白露はといえば、熟睡しているらしく静かな寝息だけが聞こえる。
「ちょっと村雨と夜更かし、付き合ってくれる?」
モノトーンの視界の中で、起き上がった村雨と目が合った。
この館の客室はよほど手が掛けられていたのか、特に豪勢な造りだった。特に、その中でも一際目立つ大きな振り子時計は古めかしい重厚感にあふれ、静かに時を鳴らしている。
正面の大きなガラス窓からはゆらめく月が見え、シックな部屋を青白い光で照らしていた。
ソファにふたり並んで座り、淹れたばかりのインスタントコーヒーを少しすする。
しばし、無言の時が流れる。
振り子時計から聞こえる音も、今だけはやけにうるさく聞こえる。
「……こんな静かな夜って、久しぶりね」
「……そうだな」
ふたりの距離はいつの間にか縮まり、お互いにぴったりと寄り添っていた。
「ずいぶんと鎮守府もにぎやかになったもんな。最初は……俺と村雨だけだったし」
「そうね――でも私、今の生活も好きよ。騒がしくて、ごちゃごちゃした、そんな皆との生活が、ね」
ふと、帰る場所へと思いを馳せて、そしてうなずく。
「ああ、俺もだ」
村雨もうなずき返しつつ、さらに続けて言った。
「ただ今は、こうやってふたりっきりで居るこの感じ、なんだか懐かしいのよ」
「……それは、わかる」
「ね、覚えてる? こんな風に、静かな夜を過ごしたことを」
「勿論……でも」
「でも?」
「今はふたりっきりじゃない、だろう?」
寝室へ戻ると、白露が起きていた。
「てーとくぅ……むらさめも、何処行ってたのぉ……」
俺の胸に飛び込んできた白露は、顔を擦り付けるようにして求めてくる。
「ごめんな、もうひとりにはしないから」
白露の頭を撫でながら抱き返す。その体の小ささを、改めて実感する。
「もう、ふたりだけの世界じゃないものね」
村雨も一緒に白露を撫でながら、そうつぶやいた。
その後、俺たち三人は抱き合いながら眠った。
翌朝。
今日も雨音が聞こえてくる。
窓の外は曇り空で真っ白で、ぼんやりとした光に包まれていた。
「今日も雨だねぇ」
「予報通りよ、まだ一週間は続くってさ」
「そっかぁ」
寝ぼけ眼の白露はトーストしたパンをかじりながら、外の景色を眺めてぼやく。
村雨は苦笑しつつ、『でも』と続けた。
「私は雨って嫌いじゃないのよね。落ち着くっていうか……救われるっていうか」
「何が救われるのさー?」
「何だろう……ねぇ、提督?」
白露の質問に、村雨は困ったように笑いながら尋ねてきた。
「お前、分かってて聞いただろ」
「ん、実は」
「分かってるなら、聞かせててくれよ。飯、食ったあとで」
「いいわ、白露もそれでいい?」
「むぐむぐ、いーよ」
白露は眠そうな返事をしながら、パンを口いっぱいに詰め込んでいた。
ちょうど時刻は8時を指し、振り子時計の鐘が雨音をかき消すように鳴り響いた。