燐の一人称
あたし→あたい
に訂正
チリン、チリンと縁側に鳴る風鈴。夏も終わる季節だと言うのに、日差しはまだ強く、蝉も命を鳴いている。
汗をかいた氷入りの水もカラン、と音を鳴らして、時折流れる冷えた風が少し汗ばんだ頬を撫でる。
ゆっくりと時間が経過し、影が伸び、そして太陽が落ちていく。
ソレを眺めるのが、今の僕の日課となっていた。以前の僕も似た事をしていたのだけど、こうして風景として太陽と影を追う事は無かった。
蝉の鳴き声が耳を揺らし、風鈴の音が鼓膜にこびり付き、今朝に撒いた水が蒸気へ変わっていく。
白い靄が僕の前に現れて、語りかける。
コレは夢なのではないか?と。
実は時間は一切進んでなくて、いや、それどころか、僕はまだあの日常にいて気を失っているだけかもしれない。
幽香も、文も、早苗も、神奈子も、諏訪子も、雛も、全て幻想なのかもしれない。
幻、偽り、僕の頭の中で形成された妄想。
靄は何も応えない。
僕は何も答えれない。
靄は僕の目の前にいる。
僕は靄の目の前にいる。
カラン、と氷が溶けて音を鳴らす。
目の前にいたはずの靄は消えて、ソコには蝉の鳴き声だけが響いている。
額から流れた汗が顎を伝い、雫となって手に零れた。
荒くなった息を整えて、大きく息を吐いた。
息を吐いてから、コチラを見る存在に気がついた。
影に紛れて、影よりも黒い猫が真っ赤な瞳でコチラを見ている。
僕は猫を見ながら、恐る恐る手を伸ばす。
「おいで……」
伸ばした手は猫には程遠く、縁側の影を出ることはない。
境内の端にいる猫とは対極の位置。それだと言うのに、猫はゆっくりとコチラに寄ってくる。
太陽に晒されたその姿は、黒い姿に所々に赤い毛が混じっている。
僕の手の届く位置に来た黒猫は僕の手に擦り寄り、モフモフとした感触が僕の手に広がる。
僕は僕で、恐る恐る、それこそ猫が逃げないようにその頭を撫でる。
猫はそんな僕をジッと見て、膝の上に飛び乗った。
驚きはしたけれど、困る事はないので、僕はまた猫の体を撫でる。
少しだけ埃の付いた猫を撫でて、埃を取っていく。
太ももが温かい。熱いとも思えるのだけど、温かく感じてしまう。
猫はクアァ、と欠伸を漏らして、そのまま丸くなってしまう。どうやら居心地がいいらしい。
しっかり尻尾まで巻き込んだ猫を見て、起こすのも悪いので、僕はいつもの様に本を開いた。
バサリ、という音に我に返った。
正確に言えば、落ちていた瞼を持ち上げたのだけど。
黒い羽を舞い落とし、同色の翼で何度か風を起こして着地したのは、もはや顔も声も手も肌も覚えてしまった文だった。
「レンさん、可愛かったですよ」
どうやらしっかりと眠っている所を見られたらしい。
別にいつも見ているだろう、と呆れるのだけど、文はニコニコとしながらそんな事を流してしまう。
そんな文が僕の膝に目が行き、固まった。
視線の先には黒猫。猫はまだ眠っている。
「おや、珍しいですね。地獄猫がこんな所にいるなんて」
「地獄猫?」
「いえ、まぁ、そんな事はどうでもいいんですが、どうして膝枕なんてしてるんですか? 私だってまだされた事が無いと言うのに」
猫を威嚇する烏天狗が、目の前にはいる。それも文の周りに小さな竜巻が起こる程に目に見える威嚇。顔だけはニコニコと笑顔なのだけど。
僕の膝の上にいた猫はゆっくりと顔を上げて、文を確認する。確認して、また頭を下げて眠った。
「レンさん、ちょぉっとどいてください? 途方に飛ばして、彼方に暮れてもらいますから」
「……猫相手に何を」
「だって猫ですよ? 猫なんですよ? それだけで十分です。私だって膝枕されたい!!」
うわーん、なんてわざとらしい泣き声と一緒に僕に縋り付く文。僕は少しだけ迷いながらその頭を撫でる。撫でた時に文がニヤリと嗤ったことは……まぁ知らないでおこう。
膝にいた猫は少しだけ呆れたように溜め息を吐いて、僕から降りる。
「ようやく降りましたか。さぁレンさん! 次は黒猫ではなく、同じ色のこの烏天狗に膝枕を」
「今度」
「Oh……」
膝を付いて落ち込みだした文を放置して僕から降りた黒猫に寄る。
しっかりと地面に座った黒猫は、二又の尻尾を揺らし、赤い瞳をコチラに向ける。
「あたいに何か用かい?」
「……」
喋った。
喋った?誰が?何が?猫が?え?猫が喋った?
「あー、レンさん。さっきも言いましたけど、地獄猫、正確には火車という妖怪ですよ、アレ」
「アレとは随分な言い方じゃないのさ」
「じゃぁコレでもいいですよ」
「いや、それも違うんじゃない?」
「アレコレ言ってても変わらないんですよ。で、本当に珍しいじゃないですか。博麗神社じゃなくてコッチに来るなんて……もしかして、地底の主に捨てられたんですか?」
「何を馬鹿な事を言ってるんだか。まぁ、その通りなんだけどさ」
「……ダメですよ、レンさん。捨て猫は元居た場所に戻さないと」
今、黒猫のいる場所が僕が発見した場所なのだけど。そんな事を言っても変わらないんだろう。
「まぁ、さとり様の機嫌が治るまでコッチに厄介になろうと思ってね」
「そういうのは霊夢さんに頼むべきでしょ……」
「いやぁ、コッチの方が美味しいご飯が食べれると思って」
「正直者ですね……」
「情は感じるけど、死活問題だからねぇ。あたいが死活ってのもオカシナ話だけどさ」
「……ん?地底の主の機嫌が悪いとなると、他のペット達もこちらへ?」
「いんや、面倒事は全部あたいが被ってコッチに来た。散歩ついでと思えば気楽でいいさ」
「お、男前……」
「博麗神社だとさとり様の機嫌が治る前にあたいをこき使いそうだし、ご飯少なそうだし、死体集めると怒りそうだし」
「最後があるとココでも追い出されそうですよ?」
「ライフワークが禁止されるのはちょっと……」
「まぁ、バレなきゃいいんですよ。私だってこうして盗撮しててもバレてませんし」
「いや、その理屈はオカシイんじゃないの?」
やはり溜め息を吐いた黒猫は首を横に振って呆れ返っていた。
「まぁ、神様達にここに居候するのを頼みたいんだよ」
「はぁ、まぁ、私に言われても無理ですけどね」
「だよねぇ……ところで、そっちの男の子はどうなんだい?」
「よくレンさんを初見で男と判断できますね」
「ほら、太ももの感じとか手の感触とか」
「そういう判断基準なんですねぇ……」
文が乾いた笑いを浮かべて、顎に手を当てる。
何かを考えて、少しだけ唸った後にチラリと僕の方を向いた。
「……まぁ、大丈夫でしょう」
「?」
「いえ、レンさんはコレを持って八坂神や洩矢神の所へ行ってください」
「だから、コレはどうかと思うんだけど?」
文に軽々と抱き上げられた黒猫を受け取り、しっかりと抱きしめる。
苦しくないようにしっかりと気を使いながら。
両腕と胸に挟まれた猫が僕を見上げる。
「よろしく頼むよ、えっと……」
「レン」
「よろしく、レン。あたいは
写真機が光を出している中でお燐はニャーと言いながら僕に挨拶をした。文は荒い息で写真機を覗いていた。
「ほぉ、猫をねぇ……」
「ダメ?」
「私はいいと思うよ? お父さんがどう言うか知らないけど」
「お父さん言うな。猫と言っても火車だろう? 拾ったところに」
「境内で拾った」
「…………」
少しだけバツの悪そうに頬を掻いた神奈子は溜め息を吐いて視線を逸らした。
諏訪子はそんな神奈子を見ながらクスクス笑っている。
「だめ?」
「……うーん、珍しく強情だねぇ」
「……まぁ、いいさ。早苗にもちゃんと言うんだよ?」
「うん」
神奈子の了解も諏訪子の了解ももらった。
ちょっとだけ気分が高揚しながら早苗の部屋へと向かう。
ペタペタと鳴る足音と胸に抱いた温かい存在。
「うーん、随分と上手く行くねぇ」
「イヤ?」
「いんや。嬉しい限りなんだけど、拍子抜けというか」
少しだけ複雑そうに応えたお燐はどうしてだか溜め息を吐いた。
僕は首を傾げる事しか出来ず、それでも早苗の部屋へと向かう足は止めなかった。
「……」
「最後の関門だね」
「……うん」
どうしてか神様よりも強い立場の時がある早苗。
僕は深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
そんな僕が緊張していると思ったのか、お燐は意地悪そうにクツクツ笑って。
「じゃぁ、頑張るニャー」
と言った。
そんな言葉に少しだけ止まってしまい、苦笑してしまう。
「頑張るにゃ」
と僕も冗談めかして口を開いた。開いたと同時に、扉が開いた。
目の前には目をキョトンとさせている早苗。そんな早苗の瞳に映る、僕と黒猫。
早苗は何度か瞬きをして、少し震えた声で口を開く。
「い、今、レンさんの猫語が、いえ、私は何も聞いてません、聞いてませんのでさぁ!! ワンモア! プリー」
バタン。
扉が閉まった。外開きの扉はお燐により、閉められた。
「いいかい、レン。あたいが言うのも何だけど、あぁいう人間と関わっちゃダメだよ?」
「……」
お燐の何処か真剣な言葉に僕は頷く事しか出来なかった。
とりあえず、早苗にも了解を得なければいけないので、僕は深呼吸して扉をゆっくり開いて、隙間から顔を出して中を覗いた。
「おぉ!
閉めた。
僕の溜め息とお燐の溜め息が同時に廊下に響き、何処かから笑い声と背凭れ替わりにしている扉の握り玉がガチャガチャと鳴り響いていた。
東風谷早苗
奇跡を起こす程度の能力持ちの巫女
つまり、そういうことです。