目の前には本がある。
羅列された文字と乾いた紙、左綴じにされた本たちは面白みの無い、至って簡素で、そして実に面白い内容を並べている。
「――、――!! レン!!」
「……ん」
「まったく、本に集中するのはいいけれど、あたいに頼み事をしてそのまま放置ってのはどうかと思うよ」
「……ん」
「あー、ダメだ、聞いてないね」
「……ん」
お燐の声を聞きながら本へと、文字へと没頭していく。わからない文字があればその時点で辞書を開き、わからないモノが出てくれば調べる。
幸いにして隣には本が積まれていて、幸いにして読み終わった本はお燐の手によって戻されて、そしてまた幸いな事に新しい本が運ばれてくる。
ほの暗いこの図書館内で、僕がいる場所だけは明るい。かの魔法使いが光球を漂わせているからだ。熱量も実体もない光源がソコには浮いている。魔法、と呼ばれればソレで終わるのだけどソレは今までの僕とは掛け離れた法則であり、概念でもある。
ようやく読み終えた本を閉じて、息を吐く。そのまま瞼を下ろして読んだ内容を整頓、詰め込まれた知識をゆっくりと消化していく。
そして僕は一言だけ呟いた。
「……灯れ」
しっかりとした概念を持ち、読んでいた初級魔法辞典の目次の一番上に書かれていた魔法を呟いた。魔力が無くても外気中に魔力の素があれば出来るらしい魔法。
そして、変化は当然の様に起きない。
それこそ、当たり前の事なのだ。この図書館に魔力の素がないわけではなく、僕の呟いた言葉が間違っている訳でも無く、この本が間違えている訳でもない。
僕は溜め息を吐くこともしなかった。
「レン」
「……お燐」
「ようやく戻ってきたのかい?」
「……どこにも行ってない」
「あたいには別の世界に行ってる様に見えたよ」
「……そう」
お燐は溜め息を吐いて、猫車に本を詰め込んでいく。新しく僕の横に積まれた本達。僕にとって利用価値が一切無い、ただの知識の塊がソコにはある。利用価値が無いだけで、価値は十二分にある。
僕は新しく本を開く。
隣にいたお燐は溜め息を吐いて、僕に読まれてしまった本達を猫車へと乗せていく。乱雑に積まれている筈なのにどこか規則的なそれを見つめてしまう。
「ん? どうかしたのかい?」
「……」
数秒程して、僕の目の前にあったのは積み上げられた本の山だった。支えているのは猫車であり、その荷台から今にもこぼれそうな程乗っている。けれど溢れることはない。
「じゃぁ、持ってくよ。何か注文はあるかい?」
「……適当に」
「はいよ。テキトーにね」
既に踵を返したお燐はヒラヒラと手を振って、尻尾を揺らして仄暗い世界へと消えた。
まるで切り離された様に明るすぎる空間で、また僕は本に埋没していく。
「……ん」
指に湿り気と熱を感じて目を覚ます。どうやら眠っていたらしい。湿り気を感じる手を見れば、そこにはお燐が四足で頭を下げて、僕の指を綺麗にするように舐めている。よく見れば指先から赤い液体が溢れている。どうやら少しだけ噛まれていたらしい。
仕方ない、と頭ではわかっていたのでそのまま逆の手で本を開く。
「ん、ちゅぱ……」
少しだけ強く吸われる。同時に痛みが指先から伝わった。横目でお燐を確認すれば頬を少しだけ赤らめて熱心に僕の指に吸い付いている。
そんなお燐が僕を確認するように目を上げた。起きて本を読んでいる僕。固まるお燐。タラリとお燐の口元から赤い液体が垂れた。
お燐は少しだけ名残惜しそうに指を一舐めして後ろに一歩下がり、猫に変わった。
「にゃーん」
頭を猫手でクシクシと掻いて、まるで何も無かったかの様に一鳴きした。
仕方ない事だと、僕は割り切っているけれどお燐は悪い事をしたようにバツが悪そうに僕の周りを回って、僕を見上げていた。まるで罪の無い猫の様に。実際、罪はない。
「あら、おしまいなのかしら?」
「な、ナンノコトカワカラナイナー」
そう言って宙にいたのは魔法使いだった。笑いながら何処か眠そうな瞳をコチラに向けている。お燐は慌ててそう言った。何を慌てているのかわからないけれど。
僕はお燐の頭を撫でながら抱き込む。温かい。モフモフである。早苗がお燐が来た当初に
『モフモフは正義なのです!! 猫は正義なのです! だからレンさんこの猫耳を装☆着しましょう!!』
と言っていたのがよくわかる。いや、最後の言葉は理解に苦しむ、というか今の状態でも解らないけれど。
「なるほど、自分を糧にされているのに随分と好きなのね、その猫」
「……」
好き。つまり本やお風呂と同じ感情を抱いているか、否か。少しだけ瞼を閉じて考えて、本やお風呂とは別の感情である事がわかった。つまり、
「……好きじゃない」
という結論に至る。かと言って、対極に当たる『嫌い』という感情でもなさそうであり、コレは『好き』によく似た感情でもある。尤も、それはお風呂や本とは比べる意味もない別の感情でもある。
そんな僕の言葉にどこか俯いているお燐と、そして固まっているパチュリー・ノーレッジ。
「そ、それより、どうかしたのかい?魔法使い」
「あ、あぁ、そう、用事があったのよ」
「……用事?」
「この館の主からの呼び出しよ」
「……いかないと、駄目?」
「山の神様達の顔を潰したければ本を読んでいても大丈夫よ」
「……いく」
「それはよかった」
さも心配していた、という風に息を吐いたパチュリー・ノーレッジ。お燐も溜め息を吐いているから、僕の予想は合っているだろう。どうせ、行かなければいけないのだ。
招かれているのは、吸血鬼の餌なのだから。
黒猫となったお燐を抱きしめながら図書館を出れば、真っ赤な屋敷が蝋燭の淡い光だけでなく、月光に照らされていた。窓から見上げた空は随分と暗く、ソレが真っ赤な月を余計に明るく魅せている。
「行きましょうか」
「……」
いつの間にか隣にいた十六夜咲夜に連れられて歩く。
二度目の廊下だと言うのに、景色は慣れすぎている。同じ風景が視線の端を廻り、目の前には十六夜咲夜の背中が見えているだけ。
不意に髪に触って紐があるか確認をする。してから、少しだけ苦笑する。身を守る、という意識が芽生えてしまったらしい。前評判の良すぎる館の主に会うのだから、当然といえば当然なのだけど、早苗に脅されていたからだろうか。
「ムっぷ……」
停止していた十六夜咲夜に気が付かず、背中に顔を当ててしまった。二歩程下がってから十六夜咲夜の前にある扉が背中越しに見えた。
「……、ここで我が主がお待ちです」
「……はい」
少しだけ“ブレ”た十六夜咲夜が声を出した。僕は握り玉を握り、ゆっくり捻って扉を開ける。
ゾクリ、と背筋に何かが走った。快感でも無く、神奈子と最初に出会った時の様な、押しつぶされそうな程のナニか。神奈子と違うところは、ソレがただ僕を威圧するだけの物だからだろう。
「大丈夫かい?」
「……うん」
いつの間にか腕の中から抜けて僕を後ろから支えてくれていたお燐に頷く。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。瞼を閉じて、呼吸に集中する。暗示を掛けるように、ゆっくりと、肺の中を入れ替えていく。
深呼吸が五回を数えたあたりで瞼を上げる。開けた空間、真っ赤な柱と真っ赤な絨毯、そして玉座にも似た椅子に少女は頬杖を付いて存在していた。
「初めまして、器と呼ばれる存在。紅魔館が主、レミリア・スカーレットよ」
まるで僕に興味が無い様にそう吐き捨てた紅魔館館主は、ニヤリと僕の方を向いた。僕はお燐が支える手を抜けて一歩前に出る。
そして、昔々を思い出しながら、ゆっくりと頭を垂れて口上を吐き出す。
「……
お初にお目に掛かります、永遠に紅い幼き月。守矢神社にてお世話になっております器こと、レンと申します。この度はお招きいただき感謝の言葉もありません」
「……ねぇ、咲夜。聞いていた話とは違うようだけど?」
「レン!? どうしたんだい!? オカシクなっちゃって!! 病気かい!? あんな埃っぽい所にいた所為か、それともこの真っ赤過ぎる館が原因かはわからないけど、病気なのかい!?」
「……お燐、失礼」
僕の肩を掴んで前後に揺さぶるお燐を止めて、頭を撫でる。病気でも何でもなく、コレは一種の癖なのだ。
高い身分とわかれば、相応に対しなければならない。尤も、先ほど言った口上の続きは夜伽の案内になるのだから口を噤ませてもらったけれど。こうした口上や笑みの貼り付け方は幼い時から学んでいる。学ばされていた。我ながら、穢らわしい。
「いいわね、アナタ」
「……」
「私に飼われない?」
牙を見せるように笑んだレミリア・スカーレットは圧倒的とも言える存在感を惜しげもなく僕に当てる。僕の前にお燐が立ち、僕を背に庇う。
「吸血鬼、流石に大人気ないと思うんだけどねぇ?」
「あら、私は見た目通りよ。大人気なんて千年程待ちなさいな」
「なら、こっちも大人気無い対応をしなくちゃねぇ」
「あら、地獄の猫如きが私を止めれるとでも?」
「レンを逃がす程度は出来るよ、今だけだけどね」
お燐の手に青い焔が現れる。拳大のソレは
「……駄目」
「いいかい、レン。あたいはレンを守る為に」
「……駄目」
「だから」
「駄目」
「……あー、もう、わかったよ。だからそんな目で見ないでおくれ」
猫に戻ったお燐が不貞腐れたように僕の隣に座った。
僕なんかを守ってお燐が怪我をする、という理由もあるのだけどそれよりも大事なのは、目の前の主が戯れで僕を威圧しているという事だ。
引き金を引くのは、という話になるのだけど。打たれて困るのは僕では無い。早苗や神奈子達、そしてお燐なのだから僕には止める以外に選択肢はない。
「咲夜」
「……」
一言だけ、従者を呼んだ主はやはりニヤリと笑っている。笑って、僕を見つめている。
「礼儀も、そしてある程度頭も回るようで何よりね」
「……別に」
「謙遜しなくていいわ。育ててくれた人間に感謝はしときなさいな」
「…………」
僕はレミリア・スカーレットの言葉に頷きも、応答も出来なかった。そんな僕を無視して話は進む。
「確か予定では三日だったかしら」
「……はい」
「咲夜は好きに使って構わないわ。尤も、私が使っている時は来ないでしょうけど」
「……ありがとうございます」
「いいえ、借り物を汚すことも傷つける事も私の信用に関わるのだから、当然でしょう?」
ケタケタと嗤う主を背に僕は真っ赤な空間から出た。しっかりと扉を閉めてから、尻餅を付いた。大きく深呼吸をして、乾いた笑いが出てしまう。
「どうかしたのかい?」
「腰が抜けた」
少しだけキョトンとしたお燐は、何処か呆れた様な顔をして僕を笑ってくれた。そんな僕らを見ながら、十六夜咲夜は冷たい瞳を瞼に隠して、息を漏らした。
カリスマの塊、登場。後ろには完璧で瀟洒な従者が控えています。
ただし忠誠心は(ry