エロは……添える物だと聞きました。
「あ、咲夜だ!!」
「――ッ。……これは妹様。おはようございます」
十六夜咲夜が僕を庇うように背中に隠して当然の様に現れた人物に挨拶を交わした。見えないけれど聞こえる声は相応に幼くて、明るい声だった。
おはよう、という挨拶には些か遅すぎると思う。いや、妹というモノに敬称を付けたという事は、吸血鬼の妹なのだろうか……ならば、おはようで合っているだろう。
「おはよう、咲夜!! あら、そっちに居るのは人間かしら?」
「……パチュリー様の御客人です」
「パチュリーの? ふぅん」
フワリと飛んで僕を見つめた存在。金色の髪を短く揃え、まるで枝の様に伸びた羽に七色の宝石を付けて、僕の後ろに降り立った。僕は後ろを振り返り、しっかりと少女を見つめた。少女も少女で僕の瞳を真っ直ぐに見ている。
「初めまして!! わたし、フランドール・スカーレット!!」
少女、フランドール・スカーレットは僕に握手を求めるように手を伸ばした。
僕と彼女の間で止まった手を、僕は握り返す。そして僕はいつものように自己紹介を口から吐き出す。
「……レン」
そんな僕の自己紹介に驚いたのか、それとも僕が手を握ったことに驚いたのか、ともかく、フランドール・スカーレットは驚いていた。
何を驚く事があるのだろうか。僕自身の穢れを気づいたのだろうか。
「……ねぇ、レン。わたしって吸血鬼なんだよ?」
「……そう」
「簡単に今握っている手も壊せるんだよ?」
「……そう」
「怖く、ないの?」
「……怖くない」
例え、目の前の少女が僕を殺せたとして、何を怖がる必要がある?必要も無い。意味もない。殺される事に躊躇は無い。
なんせ、僕は贄となったのだ。
僕をジッと見ていたフランドール・スカーレットは真面目だった顔をニンマリと笑顔に変えて、笑い出す。
「アハハハハハ、すごいね!! すごいよ。ねぇ咲夜聞いた? わたしが怖くないんだって!!」
「えぇ、聞いておりました」
「スゴイよね!! 本当にすごいよ!! わたし、もっとアナタの事が知りたいな!!」
腕に抱いたお燐が思いっきり抓っている。行くな、ということなんだろう。
僕は後ろを向いて瀟洒なメイドを見る。彼女は彼女で瞼を閉じて、ジッとしている。
「……大丈夫」
「あはっ、じゃぁ、夜に会おうね。咲夜に言えばわたしの部屋まで来れるから。ね、咲夜」
「……仰せのままに、妹様」
「うん。夜にまた会おうね!」
そう言って、また少しだけ浮いて何処かへ向かったフランドール・スカーレット。僕の胸元では既に聞きなれてしまったため息が聞こえた。
「レン。あたいだってアンタを守りたいんだ。でもね、易々と危険に突っ込む人間をどう守れってんだい」
「…………」
僕は応えずにお燐の頭を撫でた。きっと、僕の持つ答えはお燐を困らせるから。お燐は誤魔化したのがわかっているのか、また呆れた様に溜め息を吐きだした。
ねぇ、お燐。守られる存在に狙われてる僕は、どこへ行けばいいんだろうか。
吸血鬼は流水を苦手としているらしい。
けれどもお風呂はある不思議。紅魔館の前に湖もあるのだから、この程度は流水には当てはまらないのだろうか。
「ふぅ……」
吐いた息が湯船の湯気を揺らした。その湯気を追えば綺麗に光る月が見える。風情がある、といえばいいのだろうか。
まるでニンゲンの嗤い口の様に細く長い月。やや赤く染まったソレが余計にそう見えるのだろう。
紅魔館に来て二日。本を読む事しかしなかった僕。知った事は様々だ。魔法の事、魔術の事、寓話、逸話、幻想話、冒険譚。読んでも読んでもキリが無い空間。文字の濁流が僕の頭の中を占領し、今は整頓されて落ち着いている。
ニンゲンが贄を捧げる。その行為に関して言及している書物は無かった。贄、という呼び名が《器》に変わっていた、という事は何かしらがあるのだろう。あるいは贄の能力……人外にとって有益過ぎる能力の入れ物、故に《器》なのだろうか。
湯気を吸い込んで、頭までしっかりと湯船に沈める。
顔に熱湯を感じながら、力をゆっくりと抜けば、目の前には赤色に嗤う月が見える。
色々と思考した所で、わからないのだ。本に答えが載っている、という事も無いだろう。載っていたとしても答えでは無いのかもしれない。
瞼を閉じて赤い月を隠した。耳の中に水が入り、篭った音を鳴らす。呼吸を一定にして、頭の中を消していく。実に、ニンゲンらしい。反吐の出る思考だった。
僕が何であれ、僕は僕なのだ。穢れと言われようが、餌と呼ばれようが、贄と諭されようが、器と称されようが。全ては一緒だ……変われない。
「あら?」
不意に聞こえた声に反応して「ざばり」と水音を立てて半身を起こして後ろを確認した。咄嗟に髪紐をしているか確認していた左手はご愛嬌である。
湯気で視界が遮られていたけれど、目を凝らせばそこに十六夜咲夜がいた。タオルを前に掛けた彼女が僕を見て少しだけ微笑む。
「あぁ、よかった。いたのね」
どうやら湯船に浮いていた僕を見つけられなかったらしい。咄嗟に出てくる彼女にしては珍しく、しっかりと歩いて湯船に寄ってくる。
「湯加減はどう?」
「……いい」
「そう、それは上々。体を洗うからコチラへ来なさいな」
「……洗った」
「メイドの仕事をとるのかしら?」
「…………」
「あぁ、ご主人様に怒られるかもしれないわ、どうしましょう」
わざとらしくそう言った十六夜咲夜は僕をチラチラと確認している。おそらく主に言われたのも本当だろう。
脱衣所前にお燐が待機している筈なので、おそらく安全だと思う。ニンゲンらしい彼女が僕を襲って得をするとも思えない。
思いたくないだけかもしれない。
「洗うわよ」
まるで言い聞かせるように後ろから言葉が聞こえた。
石鹸を溶かした様な白すぎる液体が僕に擦り付けられる。十六夜咲夜の手でソレが広げられ、背中に手が這う。
事務的な手付きを感じながら、心地いいと感じてしまう僕がソコにはいた。
背中を擦っていた手は右手を伝い、しっかりと指の間まで洗われていく。
「どうして妹様の願いを聞いたのかしら?」
「……どうして?」
「はっきり言って、正気の沙汰とは思えないから。貴方を殺す程度はそれこそ瞬きをする程容易い事なのよ?」
「……そう」
「そう、って」
「……意味がない」
十六夜咲夜が二の句を告げる前に封殺する。
意味がない。僕が殺されようが、僕が生きようが。僕でさえ興味が無い事なのだから、誰かに興味があったところで意味がない。
十六夜咲夜はどうしてか溜め息を吐いて、僕の胸部に手を這わせた。白く粘り気のある何かを塗りたくられる。
「どうして、という問いが間違いだったわ」
「…………」
「アナタはどうしたいの?」
「……」
抱きつくように、柔らかい感触が背中に当たり、彼女の手が腹部を這う。
どうしたい?僕が?何をしたいか。
英雄の様に誰かを救いたい訳じゃない。王様の様に守るべき民がいるわけでもない。騎士様の様に守るべき物もなければ、お姫様の様に守られるべき存在でもない。
僕は、十六夜咲夜の問いに応える事は無かった。
「おはよう? それともこんにちはかな? 本当に来たんだね!」
「…………こんばんは」
いつもとは違い、十六夜咲夜に渡された黒い服を着用している僕は一礼して顔を上げる。目の前、それこそ鼻が付きそうな程近くに深く紅い瞳が僕の顔を写していた。
フランドール・スカーレットはニパッと歯を見せて笑いながら僕の周りをくるりと一周した。
「お昼と着てる服が違うのね!」
「……十六夜咲夜が選んだ」
「そうなんだ!! 似合ってるよ」
「……」
ふわりとしたスカートの裾を少しだけ持ち上げて、下ろす。長い丈のスカートは僕の足を隠しながら広がった。
メイド服しかない、と言われたのでエプロンドレスだけを省いて着ているのだけど、中々動きやすい。
「さぁ、アナタの事を聴かせてよ。とても楽しみなんだ!!」
僕の事。色々と自分の昔を思い出して、考えるのをやめた。死体、というべきか死に体の時の話はしなくてもいいだろう。僕も語りたくないし、語ったところで変わらない。
僕が生きた日を、そのきっかけになった出来事から、僕を辿ればいい。つまり、始まりは必然的にあの口上になるのだ。
「…………『その洞窟には入ってはならない。――」
~~
目の前で当然の様に自分を語っていく男の子。
贄、と呼ばれる様になり、人間でありながら妖怪に好かれ、そして人間に嫌われる。
朗々と、淡々と話す彼はまるで本を読んでいる様に、無感情に、無表情で自分の話をしているのだ。
ヒトに石をぶつけられた話。
ヒトに蔑まれた話。
やっぱり、と言うのも可笑しな話だけれど、彼は壊れていた。きっと、壊れたのは最近の出来事では無くて、元から壊れていた。
咲夜でさえ、わたしを見て息を飲んでるというのに、彼はまるでガラス玉の様な、感情の篭らない瞳でコチラを見ていた。
自分が殺されるかもしれないのに。
「レンはさ、ニンゲンを恨んでないの?」
「……恨んでない」
「どうして? そんな事されてるのに、どうして恨まないの?」
「……仕方ない事」
「仕方ない? 何が仕方ないの? そんなくだらない理由で、自分を侮蔑した存在を許すって言うのッ!?」
思わず語尾が荒くなってしまう。
彼の肩を掴んだ手に力が入る。彼の膝下で撫でられていた黒猫が一度だけ鳴いた。
「……許せるなら、許す」
「許せるかどうかは、アナタが決めることじゃないのっ!?」
「…………」
私は、許せなかった。
495年、正確には一日だけでも、監禁という手段を選んだお姉様を許すことは無いだろう。許せる筈が無い。お姉様だって、許されるとは思っていない筈だ。
だって、わたしは長い間孤独だったのだ。たった一人で、独りだったのだ。そんな事、許せる筈がない。
「許す」
彼は感情の篭ってない澄んだ黒色の瞳に私を写しこんで応えた。散々、自分を蔑んで、嫌った相手を、許すと言ったのだ。
私は歯を軋ませた。
「じゃあ…………いま、わたしがあなたをコロシてもイイんだヨネ?」
わたしは大きく口を開けて彼の首元に齧り付く。牙を立て、血管を食い破る。
わたしの下、丁度彼の膝下にいた猫が騒がしい。関係無い。
彼から溢れ出る血液。今まで食べた何よりも美味しいと思う血。
もっと欲しい。
もっと、もっともっと。
騒いでいた猫が突然黙りこんだ。音の無い部屋で、わたしが彼の首元に吸い付く音だけが聞こえる。
彼の手がわたしの頭を撫でた。
彼の腕がわたしを優しく抱え込んだ。
わたしと同じぐらいの背丈だと言うのに、まるでわたしを安心させるように、頭を何度も撫でる。
「……大丈夫、大丈夫」
静かに彼は呟いた。何度も呟いて、何度もわたしの頭を撫でる。
「……すー………はー……」
彼の呼吸が聞こえる。深い呼吸だ。大きく吸い込んで、ゆっくり吐き出す。何度も聞いている呼吸音とわたしの呼吸が重なっていく。
彼が吸えば、わたしも吸い込み。彼が吐き出せば、わたしも吐き出す。
彼が吸い、わたしも吸い込み、彼が吐き、わたしも吐き出す。
彼とわたしが吸い込み、彼とわたしが吐きだした。
クラクラする頭。けれど呼吸だけは彼に合わせていた。
「……ゆっくり、落ち着いていく」
レンの言葉がわたしの耳朶をくすぐる。
荒んでいた心が、一段落という風に、ゆっくりと落ち着いていく。
「……大丈夫、だいじょうぶ」
また彼が呟いた。
きっと、彼がいうのだから、大丈夫なのだろう。呼吸が深くなり、微睡みにも似た、ボヤけた思考がわたしを占領する。
「…………」
いつの間にか彼が喋らなくなり、わたしを抱いていた腕が痙攣を起こしている。
パチンッ、と何かが弾けた音が鳴り、わたしの意識がクリアになった。
同時に、彼の腕が垂れ下がり、彼がわたしにもたれ掛かる。咄嗟にわたしは彼を支えて、首元から口を離した。タラリと垂れた血と、テラテラとわたしの唾液で光る首元。
ビクビクと痙攣する彼を見て、慌てる。どうしよう、どうしよう!?
「ハぁ……酷いありさまだねぇ」
「ふみゃッ!?」
「吸血鬼がそんな声だしていいのかい。まぁいいんだろうけど」
呆れた様に声を出したのは、彼に撫でられていた黒猫だった。二又の尾を揺らし、溜め息を吐いている。
「手を出すな、なんて言われた時はどうしようと思ったけど……ハぁ、どうしようかねぇ」
「ね、猫さんッ!! レンが死んじゃう!!」
「あぁ、きっと犯人は幼い吸血鬼だろうね。間違いないよ」
「も、目撃者を消さないと!!」
「いや、その理屈はおかしい。というか、やめておくれ」
一歩だけ後退った猫はまた溜め息を吐いた。
息の荒い彼を抱えながら、わたしは迷う。もしかしたら、嫌われたかもしれない。きっと嫌ってしまっただろう。
だったら、いっその事。
「レンをベッドに寝かしておやり」
「……うん」
「まぁ、その、なんだ。きっと大丈夫だよ。目が覚めたら謝ればいいさ。許してもらえるさ」
「そう、だよね? ……うん」
わたしはレンをベッドに横たえて、少しだけ青くなった顔を見る。瞼が揺れ、薄らと瞳が見える。
「……ぅ……」
「起きた?」
「いんや、まだ意識が朦朧としてるとは思うよ」
潤んだ瞳を動かして、わたしを見て止まる。しっかりとわたしを見つめた黒い瞳。震える手をわたしの頬に当てて、彼は微笑んだ。
ちょっとだけわたしの頬を撫でた手は、また力が抜けて、ベッドへと落ちた。
わたしと猫は顔を見合わせてキョトンとしてしまう。
猫は溜め息を吐き出して、わたしは思わず笑ってしまった。
「ハぁ……メイド長を呼んでくるよ」
「うん、わたしはレンを見てる」
「そうしておくれ。一応言うんだけど」
「大丈夫。血は吸わないし、壊したりもしない」
「……ならいいか」
猫はするりと扉を抜けて、わたしの部屋にはレンとわたしだけになった。
わたしはレンの手を握りしめて、一言だけ、ごめんなさいと呟いた。
~~