絶望さんはお休みですね。
目が覚めた。
呼吸をする度に痛覚を鈍く刺激する胸。その胸を痛ませない様に、浅く呼吸を繰り返す。
一度だけ、大きく吐きだした息。胸の痛むギリギリの量の息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
痛みの波は次第に引いて、額から汗がゆっくりと流れたのがわかった。
瞼を上げれば、相変わらずさっぱりわからない天井。綺麗に梁が並んだ天井と天井板。染みを探し出すのが難しい。
咄嗟に昔の日常で繰り返していた事をしようとしていて、思わず苦笑してしまう。きっと、この癖は治らないのだろう。
半身をゆっくりと上げて、近くにあった水差しに視線を向ける。ソレの中身が限りなく少ない。
眠る直前の様に喋れない程口の中は乾いていないけれど、喉が渇いたと思う程度には水がほしい。なければ仕方ない。
ふぅ、と息を吐いた。
襖が擦れる音がして、思わずそちらに視線を向ける。
「レン……入るわよ」
その声は相変わらず変わらなくて、けれどどこか躊躇するように部屋の中に響いた。既に襖は開かれているし、彼女の一歩目は踏み出された後の言葉である。
僕を棄てた彼女。僕を拾った彼女。僕を
そんな彼女は襖をピシャリと閉めて、畳縁も気にせずにコチラに歩き寄り、そして、僕の横でストンと腰を下ろした。
「…………」
「…………」
珍しく下を向いている幽香はその口を閉ざして、何かを言おうとしては、またその口を閉じた。
もしかして、あの謝罪が届いてなかったのではないか? だからこそ、こうして無言で僕からの謝罪を求めているのだろうか。
いや、幽香の性格を考えてると有り得ない、と思う。けれど、やはり謝るべきなのだろう。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るのよ」
「……迷惑を掛けた」
驚いたようにキョトンとした顔をした幽香は溜め息を吐いて、頭痛がした時のように頭を抑えた。
「そのことは、いいわ」
「……でも」
「私はアナタを棄てたわ」
「……」
ソレを言われると、棄てられた僕はまた幽香に助けられた、になるのだから余計に謝らなくてはいけない。思わず視線が下がった。
「何があっても、その事実は変わらない……だけど、だから、もう一度だけ」
その先に言葉は無かった。
下がった視界で、幽香の手が動く。その手はゆっくりとコチラに向かい、途中でびくんと動いて制止した。
戸惑う様に、宙に迷ってしまった手を、僕はジッと見つめてしまう。同時に、彼女の真っ赤な瞳が僕の視界の中に映りこんだ。
少しだけ潤んでいた瞳。よく見れば、白目の部分も少し赤い。
僕は浮いてしまった手を両手でしっかりと握った。
冷たく感じる幽香の手を覆える事は無かったけれど、僕の熱が幽香へと移る様に、ゆっくりと温かくなる手。
「……大丈夫」
一言だけ、僕は口から出せた。
いつもの様に自分に言い聞かせるモノではなくて、幽香に言うように言葉は出た。
幽香は僕の手を優しく握ってコチラを見た。
作った様なモノじゃなくて、自然に笑みが溢れて顔に表れてしまう。
数秒程その顔をジッと見られて、幽香はどうしてか、手をパッと離してスクッと立ち上がる。
「何かいるものはあるかしら?」
「……水」
「わかったわ、少し待ってなさい」
そして流れるような動作で僕の要望を聞いて、踵を返して、手と足を同時に出して、少しぎこちなく歩いて耳まで真っ赤に染めた幽香が部屋から出た。
襖が音を鳴らして閉められる。
廊下を歩く音がしないので、まだきっとソコに居るのだろう。
数えてはなかったけれど、たぶん一分程そこに立ち止まっていたらしい幽香は足音を鳴らしてワザとらしく歩きだした。
『発情兎!! 水よ!! 今すぐ水を準備しなさい!!』
『誰が発情ウサギですか!! 少しは頼み方ってモノがあるでしょう!!』
『煩いわね! 煮て焼いて捨てるわよ! 万年発情生物!!』
『ついにウサギですら無くなった!? 第一、私がいつ発情したって言うんですか!!』
『竹取姫に聞いたわよ!? なんでもレンの寝込みを襲おうとしたらしいじゃない!!』
『姫様ぁ!? どこですか!? そんなありえそうな嘘を撒き散らしてどこへ消えたんですか!? ソレにアレは服を変えただけであってですね!!』
……あぁ、聞いてはいけない会話が聞こえる。叫んだ様に言い争う幽香と、発情ウサギさん。
伸びていた足の片方をゆっくりと曲げる。五日程眠っていたらしい自分の関節は凝り固まっていた。
少し痛む所で曲げるのを止める。ゆっくりと足を戻し、逆の足も同じく曲げていく。
足を戻して、ゆっくりと息を吐いて、上半身を足の方へ倒していく。以前までは爪先に手が届いていたというのに、今は全く届かない。
「あんまり過度な運動はしちゃダメよ?」
「……」
息を吸いながら上半身を戻す。
声のした方を向けば、八意永琳でも幽香でもない、艶やかな黒髪を伸ばした少女がソコにはいた。
白い指を覗かせる程度の長い袖で口元を隠して少しだけ笑っている。
「見舞い客は山の神社と吸血の館、花の妖怪ね。 人以外に好かれているのね」
話から考えると、きっと彼女は僕を贄だと知らない。贄だと知っているなら、当然の事を言っているのだから。
コロコロと笑う彼女を見ながら、僕は自身の髪に触れる。肩口まで伸びたソレは首を隠す様にたれている。髪紐はしていない。
人に見える彼女は、人ではない。なんせ、人は僕の事を化け物と蔑称するのだから。
「……何?」
「ん? お姫様」
ニコッと笑ったお姫様に思わず眉間を寄せてしまった。どうやら、お姫様は人では無いらしい。
どうあれ、彼女がお姫様、地位的に高い人物だというのなら挨拶はしとくべきだろう。
身体の彼女の方へ向けようと動く。
「あぁ、キチンとした礼はしなくていいわよ。胸の怪我が痛むでしょ?」
「……」
そう言うのなら、頭だけは下げておこう。
頭を下げれば、ふーんと一声だけ聞こえた。
「律儀ねぇ……さて、初めまして。我が従者たる天才を楽しませる存在。私は
「……レン」
「ふむ、簡素すぎるわね。もっと何かないのかしら?」
「……趣味は、読書」
あとは、伽? いや、アレは趣味でも特技でも無いだろう。
「コスプレは趣味でもないのね」
「……こすぷれ?」
「……いいえ、知らなくてイイ事よ」
また口元を袖で隠してニコニコと笑っている蓬莱山輝夜。
『こすぷれ』が何かは分からないけれど、知ろうとしてもイイ事は無いだろう。それこそ、お姫様が言っているのだから。
そんなコロコロ笑うお姫様と小首を傾げて疑問を考えている空間に襖が開く音が聞こえる。
「何をしているの?」
「あら、耳まで真っ赤にしてたお花の妖怪さんじゃない」
「引き裂くわよ?」
「……まっか?」
「あ、えっと、違うの、真っ赤になんてなってないの」
そんな慌ただしく言葉を探す幽香はギロリと蓬莱山輝夜を睨んだ。けれど蓬莱山輝夜はどこ吹く風、という風にクスクスと笑って部屋から抜け出した。
あー、えっと、と言葉を探す幽香。
「……病気?」
「いや、まぁ、ある種の病気ではあるんだけど……いやいや。風邪よ、単なる風邪。大丈夫」
「……そう」
幽香の手に持った容れ物を受け取り、水を飲み込んでいく。
少し冷たいと感じる水が喉を通り、広がっていく。容れ物から口を放し、ほぅ、と息を吐き出す。
幽香を見てみれば、どうしてだかガックリと肩を落としている。
「……どうかした?」
「いいえ、なんでもないわ。……口移しとか、はぁ」
最後に何かが聞こえた気がした。気のせいにしておこう。
もう一度、水を飲む。喉の渇きも潤った。もう一度息を吐き出して、身体をゆっくりと倒す。
倒そうとすれば、幽香がしっかりと背を支えてくれて、思ったよりも力を入れずに横になることが出来た。
「寝るのかしら?」
「……うん」
「早く、治しなさい」
「……うん」
瞼を落として、ゆっくりと息を繰り返す。
何度も呼吸を続けていれば、眠気は這い寄ってくる。
這い寄ってきた眠気に少しだけ抵抗して、瞼を上げる。目の前には幽香が座っている。
「どうかしたかしら?」
「……風邪」
「……え、あぁ、そうね。まぁ寝れば治るわよ」
「……寝ないと治らない」
僕は身体をモゾモゾと動かして、布団に少し空間を作る。
そのまま掛け布団を持ち上げて、幽香をジッと見る。
幽香が少し固まって、自分を指差す。僕は頷く。幽香が僕の隣に開いた空間を指差す。僕は頷く。幽香がもう一度自分を指差す。僕はもう一度頷いた。
「仕方ないわね」
拳をグッと握った幽香が声だけは仕方ないと言う様に布団に潜り込んでくる。
近くに幽香の体温を感じる。目の前に幽香の顔が見える。幽香の手を握って、指を絡める。
幽香の顔が少しだけ赤くなり、ゴホンと咳をした。
早く治ればいい。そんな事を願いながら、僕は再び眠気をコチラに寄せていく。
「おやすみ、レン」
「……おやすみ」
瞼を落とす前に見た幽香の顔はいつにも増して、優しい微笑みだった。
襖を出た後のゆうかりんは頬を両手で抑えて『いやんいやん』してました。これにはスキマ様も思わず苦笑。
自然に笑うレン君を見たのは貫いた時以外だと二回目ですから。以前は感情希薄でしたし。
何が言いたいかって?
ゆうかりん可愛いよ!!ゆうかりん!!