畳に下ろされた→木製の床に下ろされた
報告に感謝です。
目が覚めた。
変わらずもハッキリとした視界とぼんやりとした視界で広がる世界を眺めて背骨を伸ばす。
ふと、自分の体を見れば裸である事に気付いた。そして障子の先を見れば随分と明るい。
あぁ、どうやら寝すぎた様だ。
近くにあった本を取り、目を通す。内容は自身の日記である。日記、というモノがこれで正しいかは分からないけれど、その日を書いているのだから、きっと合っているだろう。その日を記す、という事で文字通り、日記だ。
まだ数ページしか進んでいない日記に目を通し終えて近くに置いていた紙に気付いた。
随分と綺麗な文字で書かれた内容は、今隣に居ない事、そして昨晩の謝罪、そして最後に上白沢慧音という名前だ。
そういえば伽をして眠ったのだっけか。裸だというのも納得がいった。
紙を丁寧に折りたたんで日記の中に挟んでおく。コレも今日あった事なのだから、きっと書くのだろう。
汗が渇いた肌を触れて、少しだけ嫌悪してしまう。今更汚れが増えたところで何の嫌悪が増えるというのだろうか。
同時に近頃湯船に入っていない事を思い出した。鈴仙が体を拭いていたから垢はある程度無いとは思うけれど。丁度いい機会かもしれない。
僕は近くに捨てられた白い着流しを羽織り、布団から抜け出した。
「ふぅ……」
ちゃぽん、と湯船の水面が揺れた。
肩から力を抜いて、瞼を落とす。湯気が顔に辺り、熱気が立ち込める。
湯船の使用に関しては永琳と輝夜が許可をしてくれた。鈴仙は断固として拒否を示していたけれど、どうしてかその理由が『自身の仕事が減る』という理由であるから驚きである。
本での登場人物でいうなら、きっと彼女は生真面目、という性格に当たるのだろう。尤も、その理由を聞いた輝夜と永琳は冷めた瞳で彼女を見ていたのだけれど。
ある程度の汚れを落として、僕は湯船に入っていた。
そう、ある程度だ。
消えてしまった叔父殿曰く、穢れた存在である僕は穢れの塊でもある。こんな湯船になど浸かる事など有り得ない筈なのだ。冷水でも掛けられてしまえばいい。
そういえば、幽香の所にいた時はそうしていたのだっけか。
思い出して苦笑する。どうしようもない自分でも体の汚れだけは気になっていたらしい。
当然、過去である僕も汚れだけは気を使っていた。尤も、ソレは豪族の誰かに会うときに強制されていただけであったし、普段なら冷水を掛けられていた訳だ。
こうして過去を辿って、ようやく合点がいった。
胃袋が縮んでいく感覚、そして心臓を鷲掴みにされていくような、そんな感覚が支配していく。
カチカチと鳴る歯を食いしばって、ゆっくりと呼吸をする。
大きく、ゆっくりと、吸い込んで、
少し止めて、小さく吐き出していく。
水面に映る自分が酷く歪んで見えるのは波紋のせいだろうか。そんな自分の顔を見ながら、頭に残ってしまっている言葉を吐き出す。
「……さぁ、深呼吸を始めよう」
余計に心臓が押しつぶされていくような感触。けれど言葉を続ける。
きっと、こうしなくてはいけないのだ。そうでなければ、僕はまた同じ事になってしまいそう、そんな気がする。
「自虐的ですこと」
「ッ!?」
体を動かしたことでバシャンと水が跳ねる。
声がした方を見上げれば、そこには細くした金の髪をした女性が中空で頬杖を着いて僕を見下げていた。つまらなそうに目を細めて、しっかりと湯船に入る僕を見ていた。
「こんな時に失礼しますわ。 お久しぶりです、覚えているかしら?」
「…………八雲紫?」
「そう、八雲紫。どうやら名前と顔を覚えられていたようで何より」
実は不安だったのよ、と繋げた八雲紫はすこし悪戯気に笑った。そして、何やら邪魔そうに手を少し払えば湯気が突然消え去った。
「これでようやく顔をちゃんと見て話せますわ」
「……」
「ついでに体もね」
やはり悪戯気に微笑んだ八雲紫。その視線は変わらず僕を見ている。体を見て話す事に何の意味があるかは分からないけれど、それならば上半身しか晒していない彼女は随分と礼儀は反する事になる。
つまるところ、意味はなく、彼女の趣味でしか無い事なのだろうか。
数秒程湯船に浸かる僕を見たあと、彼女はニンマリと笑い、満足したのか息を吐きだした。
「傷は治った様ね」
「……うん」
傷があった筈の胸を撫でながら僕は返した。手には変わらず凹凸すらも消えた胸板の感触と骨の感触がある。
「本当に、アナタ一人になる時間が短くてどうしようかと思ったのだけれど。こうして時間を作ってくれて」
と言った所で八雲紫の声が止まる。視線は浴室の扉に向いていて、面倒そうに溜め息を吐きだした。
そして聞こえる騒がしい声達。声の内容は『私が入る』だとか『ふざけんな脳内お花畑』だとか、『落ち着いてください神奈子様、私がお姉ちゃんとしてですね』だとか、まぁたぶんそんな感じ。
もう一度、溜め息を吐き出した八雲紫がパチン、と指を鳴らせばその声は消えてしまった。
声だけではない。サワサワと鳴っていた竹の音も、風の音すら消えてしまった。
「こうして誰も居ない、静かな時間を作ってくれてありがとう」
「……」
ニッコリ、と笑った八雲紫。先程の声の事は既に彼女の中で無かった事にされているのだろうか。いや、何もなかったんだろう。
「さて、こうして境界を弄ってアナタを孤立させたのには理由があります」
「……うん」
「あの時の報酬をいただきにきましたわ」
「……わかった。いつ?」
「今日。今から
とは流石に言いませんわ。けれど出来るだけ早く」
「……持っていきたいモノがある」
「あの日記のことかしら?」
僕は首肯で応えた。あの日記は書かなくてはいけない。それこそ永琳との約束もあるのだから。
どうやら知っていたらしい八雲紫は苦笑して、大丈夫だと言ってくれた。
「色々と話たい事もありますが、今はいいでしょう。煩悩とお花の妖精さんがここの結界を破らんばかりに攻撃していることですし」
「……合図は?」
「そうですね……ゆかりん愛してる、とか?」
「………………」
「嘘よ。日記を二回叩くでも、なんでもいいわ。落とすけれど、下にクッションがあるから大丈夫よ」
「……わかった」
ではこれで。と出していた部分を切れ目に入れていき、手だけをだして、パチンと弾いた。
同時に風がフワリと入り込んで、浴室の扉が吹き飛んだ。木製の扉は壁に弾かれて力なく横たわっている。
拳を突き出した形の幽香は唖然としていた。
他の人達の顔も唖然としていた。
まるで、何をしても壊れなかった扉が突然壊れてしまったかの様に。
「……」
いや、実際そうなのかもしれないけれど、どうして全員僕を見ているんだ。凝視をしないでほしい。
早苗に至っては親指を上げて拳を握っている。
「眼福ってヤツね」
そう輝夜が声を出して、ようやく沈黙を破る様に輝夜が吹き飛んで壁に激突した。拳を握っていたのは神奈子と幽香だったけれど、拳を振り切っていたのは永琳だった事を日記に書いておこう。
「……退院?」
「えぇ、傷を見た所もう大丈夫でしょう」
何かを書き終わった永琳が僕の方を見てそう言った。
僕の後ろにいた早苗が手放しで喜んでいたり、僕の肩に手を置いていた幽香が少し力を入れていた。
「スキマも来たことだしね」
「……」
そう小さく呟いた永琳は僕が聞こえた事に気がついたのか、僕だけに聞こえる様に言ったのか、珍しく悪戯をするように意地悪く舌をぺろりと出した。
そのことに気付いたのも、たぶん僕一人だった。
「じゃぁ、レンさん。守矢神社に帰りましょうか」
「は?何を言っているのかしら、人間」
「そちらこそ何を言ってるんですか? 花の妖怪さん」
お互い睨む様にして顔を突き合わせた二人。
早苗から借りていた絵本ならば、二人の後ろに『ゴゴゴゴゴッ』と太く黒い文字で書かれるのだろうか。尤も、現実でそんな特技を見せられても困るのだけど。
そんな後ろの二人から更に視線をズラして神奈子の方を見れば溜め息を吐いていた。
そして僕の視線に気がついたのか、疲れた表情のまま苦笑している。
以前に彼女が言った通り、例えどの選択肢を僕が選んだとしても守矢神社との繋がりは消えはしない。繋がっている。
僕が、選ぶ。
「……日記取ってくる」
「えぇ、行ってらっしゃい」
「あぁ、行っておいで」
今まで看てくれた永琳と家族と言いたい一柱の声を尻目に僕は廊下を歩き始める。
後ろから怒鳴り声が聞こえたけれど、永琳達がどうにかしてくれるだろう。
怒鳴り声が聞こえた部屋と違い、僕が眠っていた部屋は随分と静かだ。
布団の横に置いてある日記を開き、新しく書き込んでいく。
そして今日の出来事を綴った後は、直ぐに閉じて踵を返す。
必要最低限であるモノは持った。
改めて騒がしい部屋の扉を開き、全員が僕に視線を向けた。
「ほら、レンさん言ってやってくださいよ! 僕は守矢神社にいきます、って」
「ほら、レン。この馬鹿に言ってやりなさい! 私の所へ来るって」
「……少し、頭を冷やす」
「え?」
「ふぇ?」
怒鳴り声の元が静かになって、永琳が満足気に息を吐いた。これで貸し借りは無し、とは言えないけれど少しは返しただろう。
そうして、僕は更に口を開く。
「……喧嘩、駄目」
「でもレンさん」
「あのね、レン」
「……喧嘩してる所には行けません」
これで幾分か二人の何かが収まればいい。
このままどちらかに行ったとしても、きっとソレは意味がなくなる。だから、二人には少しだけ冷静になってもらおう。
尤も、コレが演技なのか、それとも本気なのか、僕にはわからないのだけど。ソレは、今更だろう。
僕は日記の表紙を二回叩く。
変化は無い。思わず溜め息を吐いてしまう。
息を吸い込んで、幽香に聞こえないように呟く。
「……ユカリンアイシテル」
突然の浮遊感が僕を襲った。
視界には徐々に上へとズレていく幽香と早苗達。そして視界一杯に広がる瞳の群。
ここを通るのは二度目になるのだけど、やはり人の群れの中にいるよりは心地いい。
ソレが突然途切れる。
ぼすっ、と僕は何かに包まれた。
黄色い、ふわふわとして、とても心地いい何か。
「む?」
「……?」
声が聞こえ、僕は顔を上げた。ゆらゆらと黄色い何かが揺れて、その間から黄色よりも輝かしい髪ら揺れて、黄金の鋭い瞳が僕を見つけた。
「どうして贄が?」
「……どうも」
「あぁ、どうせまた紫様か……」
何か合点がいったように頭を抱えた存在。心地良すぎる空間がグラリと揺れて僕は硬い木製の床へと静かに下ろされた。
僕を包んでいて、そして今しがた僕の頬を撫でたそれが尻尾だと理解した。黄色いの尾、尾先が白い。そして数を数えれば九本。
揺れる尻尾を数え終わった僕はようやくその黄金の瞳を見つめる。
少しばかり疲れた顔をしていたけれど、スッと瞳を細めて整い過ぎている口が開く。
「はじめまして、贄。我が主の居へよく参った」
固い口調が様になる程に、彼女はとても美しい、と思えた。正確に言うなら、物体的にとても綺麗に感じてしまうのだ。
間違っても人に感じる様なモノではない。整い過ぎている、と言えばそれまでなのだ。
「主との話もあるだろうが、まぁ、なんだ……こんな格好でスマナイ、本当に、すまん」
整い過ぎている存在はかなり申し訳なさそうにそう呟いた。
大きいといえる形のいい乳房を晒し、括れた腹部を晒し、挙句、髪と同色の茂みを隠す事もせずに、本当に申し訳なさそうに言った。
場所は浴室。
つまり、彼女は全裸であった。
八雲紫
女性。神出鬼没。金髪。扇と傘。空間の裂け目に注意。妖怪。
東風谷早苗
女性。巫女、青い袴。若草色の髪。蛇の髪飾り、蛙の髪留め。明るい言動。お姉さん。人間。
八雲藍
女性。狐尻尾が九つ。金髪、黄金瞳。整い過ぎている。もふもふ。妖怪。
日記の端書より抜粋。