彼は一人だった。隣には本があった。
読まれた本達は床に散らばって、閉じられる事もなく、乱雑に置かれていた。
その中の一冊が消えた所で少年は気付く事はないだろう。
少年は独りではあったけれど、空間を心地イイと感じていた。
少年は目を覚ました。
ぼんやりとした視界に肌色が見えた。柔らかい感触と暖かい温度。身じろぎすれば少し上擦ったような寝息が聞こえた。
少年は顔を動かしてようやく抱きつかれている本人の顔を見ることができた。黄緑色の髪にだらし無い寝顔である。
少年は少し迷ってから、枕元に置いていた本を手にとった。幸い、拘束されていたのは腰の部分で腕は自由に動いた。
本の内容は、日記だった。筆者は贄である少年の日記。淡々と日々を書かれたソレ。
表紙を開いて、頁を捲り、捲り、捲り、そして白紙をもう一度捲って、その日記を閉じた。
少年、レンは自分で書いた日記をまた枕元へと置いて溜め息を吐いた。
「うへへぇ……」
寝ぼけた声がレンの耳に入ってそちらを見れば、やはりだらし無い笑顔を浮かべてムニャムニャと口を動かしている早苗がいた。早苗は少しだけレンを抱きしめる力を強くして、大きく呼吸をした。そこにレンが在る事を確認して安心したのか、まただらしなく笑って、彼女は静かな呼吸を再開した。
「へへぇ……お姉ちゃんがいますよぉ……」
なんて零した早苗に少しだけピクンと反応をしたレンは苦笑して、彼女の黄緑の髪を梳いた。自身を姉と言い張る彼女に何かを感じたのか、レンはそのまま早苗の頭を撫で続けた。
早苗が目を覚ました時、レンが自身の頭を撫でてる事に一瞬思考が停止して、改めてむぎゅう、と彼を抱きしめて二度寝をするという事件があってから一時間。
今その一時間キッチリ寝坊をかました罪人と寝坊を誘発した抱き枕くんは正座をして、目の前の少女に見下されている。腕を組んでその慎ましやかな、まな板を思わせる自身の胸を抱きしめた少女こと洩矢諏訪子はため息を吐いた。
「まぁ、わかるよ。あぁ分かるさ。でもね、早苗、今日の朝食の当番はアンタだろうが」
瞼を伏せて、説く様に言ってのけた諏訪子。
正座をして正常に諏訪子をジッと見つめているレン。その隣にいる早苗はどこかフラフラとしてまだ寝惚けているようだ。
返事のしない早苗に気付いたのか、片方の瞼をチラリとあけた諏訪子はそんな揺れている早苗を見て、頬を引きつらせて笑う諏訪子。片頬がヒクヒクと揺れている。
「この乳かッ!! この乳がすべて悪いのかッ!!」
「ひゃわぁ!? す、諏訪子様!?」
「これが、これが全部悪いんだッ!! チクショー! いい触り心地だねぇッ!!」
「そ、そんなに強く揉まないでくださいよッ、ちょ、ダメ」
下から掴む様に、そしてまるでパン生地をこねる様にむぎゅむぎゅと揉み込む諏訪子。その力の入れ具合で形が変わっていく早苗の胸。魅惑の肉塊である。
何か耐えれなくなったのか、逃げるようにうつ伏せになった早苗。ソレを追うように背中に乗って手を胸から離さなかった諏訪子。
そんな様子を淡々と無表情で見ているレン。
「フハハハハッ!! なんだノーブラかッ!ノーブラなのかッ!! この乳で何してたのか、私ッ気になりますッ!!」
「何もしてませんッ!! 寝る時は苦しくなるから外してるんですッ!!」
「うっせぇ!! 起きてる時もノーブラである貧乳の私への嫌味かチクショーッ!!」
「何ですかその深読みッ! 私ほとんど関係ないじゃないですかッ!!」
どこか半狂乱になって口調まで変わってしまった諏訪子。その狂ってる諏訪子に胸を揉まれる早苗。
そんな様子を淡々と無表情で見下しているレン。
数分しっかり揉み込んだ諏訪子はようやくレンに気付き、手が止まった。
止まった事でゼーハーとようやく息を整えつつ、早苗もようやくレンの存在を思い出した。早苗からすれば一時間ほどずっと自身を揺らして
「……朝、起きて」
と甘く囁いて来た相手なのだ。その小さな揺れが揺り篭の様に夢に誘い、そして囁きなんて子守唄扱いである。そんなレンの方を向いてみれば。
「…………」
甘い囁きなど一切なかった、いや、一緒に眠っていた事も実は夢だったんじゃね? と思える程冷たい瞳が一人と一柱を見下していた。 未だに正座の状態で、翠の瞳と黒の瞳がジト目で一人と一柱を見下している。
黄色い電気ネズミに似せた着ぐるみパジャマのフードまで被ってしまった彼の顔は少し暗い。感情的な部分ではなくて、物理的に暗い。
ソレがどれほどの効力を持っていたかといえば、昨晩ソレを着せる事に成功した早苗が「ゲットだぜッ!」なんて言ってのけた前科も夢だと思う程。あるいは今すぐにでも「ペェカァヂュゥゥゥゥ!!」と鳴いて電気ショックか十万ボルトか、はたまたカミナリでも落ちそうな程。もしくはその波打った、ジグザグな尻尾でビンタされそうな程。とにかく怖かった。怖すぎてハシャイでいた二人がすごすご正座するぐらい怖かった。ペッペカチュウ。
そんな電気ネズミ姿で正座をしたレンとそれに向かい合う様に正座している一人と一柱。いつの間に立場が逆転しているが、とにかくどうしてか冷や汗が流れた早苗と諏訪子はアイコンタクトで語り合う。
―どうしてレンさんがこんなに怒ってるんですか!?
―そりゃぁ、早苗が全部悪いんだよ
―私の所為ですかッ!? 諏訪子様だって嬉々として私のおっぱい揉んでたじゃないですかッ!!
―いやぁ気持ちよくて、つい
―ついって何ですか!!
―【つい】はつい、だよ。ついうっかりおっぱいを揉んでしまった。反省はしていない
―反省してくださいよ!!
全くもって意味のないアイコンタクトが終了した。この間二秒。
そんな一人と一柱の会話など当然知りはしないレンは、ようやく沈黙を破るように口を開いた。
「……おはよう」
「お、おはよう」
「おはよう、ございます」
こうして勝者も敗者もいない朝の戦いが終わりを告げた。当然、価値もないのでマケる事も出来ない。
尤も、早苗の代わりにご飯を作って今も、まだかまだか、とソワソワしている神奈子こそ一番残念なのかもしれない。
縁側で座るレン。以前居た時からの定位置でもあり、彼が初めて守谷神社へと置かれた時も縁側で空を見ていた。今との違いなんて太陽と月、あとは季節ぐらいだろうか。
珍しく本も読まずに空を見上げるだけのレン。彼は何かに気付いたように視線を下げた。
影になっている所に黒猫が座っていた。
二股の尻尾を持った黒猫が、双眸をレンへと向けていた。一歩進んで見れば影よりも黒い肢体が動き足の先が日の当たる場所へと出てきた。
さらに一歩進んで、猫はゆっくりと顔を上へと向けた。
さらに一歩進み、もう一歩進んだ時には猫は二足歩行の人へと変わっていた。
深い赤色の髪をおさげにして、人と成った猫はレンの手前で止まった。
「ひさしぶり、レン」
「……久しぶり、お燐」
ニッコリと笑った燐に対して、レンは静かに微笑みその挨拶を交わした。
「ニャー!!」
「わっぷ」
うずうずしていた燐は耐え切れなかった様でレンへと飛びついた。飛びついてレンを倒したのだけれど、彼の頭が床にぶつからない様に手前で支えていたのは流石だった。
ニャーニャー言いながらレンの胸へと顔を擦り付ける彼女を猫と言わずに何というのか。もちろん、姿形が既に猫そのものへと戻った彼女は猫なのだけれど。
レンがむくりと体を起こせば、猫は体から降りてその二股の尻尾をフラリと揺らした。改めて着流しを整えたレンは膝をキチンと閉じて座り直し、ポムポムと膝を叩いた。
ソレを合図にヒョイと軽い身をレンの腿へと乗せて丸くなる燐。そんな燐の体を撫でるレン。
「随分と手馴れているのね」
「……博麗、霊夢?」
「あら? 自己紹介はしてなかった筈だけれど……あぁ、魔理沙が私の事を呼んでたわね」
何かを思い出した様にポムッと拳を掌に落とした霊夢。加えて言うならば、パパラッチが情報を売っていた事もあるのだけれど、そんな事を彼女は知らない。いや、ある程度は察してそうだけれど。
「あぁ、おそらく抱く疑問に先に応えれば、私はその猫のお目付け役。一応、地獄の妖怪だし……今回は正式な手段でやってきたようだから」
今回は、という所で燐の体が揺れた。以前はそんな事をせずにコチラへとやってきたのだ。尤も、その正規的な手段も隙間様と彼女の主であるさとり妖怪の取り決めと気分による物なのだ。前者の気分が大半を占めている事は妖怪達の密やかな噂になっている。
そしてバタバタと廊下の床板が鳴り、その方向を見れば巫女服の早苗が手鏡と櫛と髪飾りを両手いっぱいに持って歩いて着た。
「あーッ! どうして霊夢さんが!?」
「むしろ私はアンタが何をしにこっちに来たのかが気になるんだけど?」
「レンさんの髪を綺麗にする為に決まってるじゃないですか!!」
「巫女の仕事はどうした、巫女の仕事は」
「大丈夫です。一日ぐらい休んだって怒られません」
「いや、仕事しろよ。草場の影で神様が泣いてるわよ」
「草場にはいないので大丈夫です。 あと霊夢さんに言われたくありません」
「私は仕事でこっちにいるのよ」
「神社の掃除は?」
「紫が言っていたのだけれど、どこかの狐がやってくれるらしいわ」
「藍さんが草場の影で泣いてますよ」
「退治するからいいわよ」
果たして妖怪が神社の掃除をして悪影響が無いのか、尤も、常日頃に飲兵衛な幼女鬼が住まう妖怪神社にソレを追求しても意味はないだろうけれど。
そんな随分な扱いを受けている九尾の狐は箒を持ちながらクチンッと可愛らしいクシャミをして、近くにいた自身の式に「だいじょーぶですか、藍しゃま?」と上目遣いで心配されて内心半狂乱になりながらも冷静を装いながら「大丈夫だよ、
仕事もせずに、タダで、さらに勝手に出てくる渋いお茶と甘い羊羹は最高である。博麗霊夢の心の言葉である。
そんな感想を抱いている霊夢とは別の場面。
勿論、お茶を出している早苗ではなくて、レンと燐へと視点は向けられる。
「いやぁ、入院してたらしいけど、大丈夫みたいだねぇ」
「……うん」
純粋に彼の心配をしていた燐はレンの体の様子に心底安堵した。
旧地獄でレンが怪我をした、と烏天狗が教えてくれた時は烏天狗をぶん殴る勢いで殴ってしまったのだ。後に烏天狗は「腰の入った、いい拳でしたよ……」と崩れ落ちたのだが、そんなことも許されず肩を前後に揺らされてたりもする。
ともあれ、心底心配していた燐は自身の主でもある古明地さとりに交渉して、自ら八雲紫とも交渉。そして地上への外出権を得て今に至るのだ。
「で、どうしてそんな怪我をしたんだい? ん?」
「…………」
「まさか、自分から危険に突っ込んだとか、そんな事ないよね? ん?」
怪我の内容は烏天狗がゲロったので全部知っているのだけれど、それが余計に彼女の怒りを買った。
にっこりとした笑顔を顔に貼り付けた人型の燐から咄嗟に顔を逸らしてしまったレン。そんなレンにさらに顔を近付ける燐。そんなやり取りが数秒ほど続いて燐が諦めたように溜め息を吐いて顔を離した。
「……ごめん」
「いいよ、聞いたときは怒ったけど……また危険に突っ込んでんだから怒っちまうよ」
「……ごめん」
「いいよ。ただし、次からは危険な事をしないこと!!」
ズズイ、とレンに人差し指を寄せた燐。その目は真剣そのものだった。
実際、彼女と共に居たときもフラフラと危険に寄っていくレン。贄というだけで危険であるというのに自分から近づいていくのだ。彼の友人と自称する燐にとって気が気ではない。
そんな心配性の友人を持ったレンは微笑んで彼女に頷いた。
「まぁ、わかればいいんだよ」
「……うん」
「お、なんだ。地獄猫もいたんだぜ」
空から落ちる様に降りて来た普通の魔法使いは少し男勝りな口調で言った。
箒から降りて、肩に担いだ霧雨魔理沙はニカッと笑顔を浮かべて三角帽のツバを撫でた。
「なんだい、魔法使い」
「いんや、地獄猫には用はないんだぜ。そっちのレンに案内だ」
「……」
魔理沙がビシィっと効果音がつきそうな程勢いをつけてレンを指差す。差されたレンはコテンと小首を傾げた。
「退院祝いに宴会をするぜ!!」
相変わらず、当事者は一切関与しない所で計画は着々と進んでいる。場所を提供することになる博麗神社の主である博麗霊夢もその例から漏れないらしい。
トントン拍子、というか元から決められた、というかスキマ様の遊び心と決定で宴会の準備は早々に整えられるらしい。
けれど彼の知人達、正確には知神達に声を掛ける為に一日を要するらしく、宴会は翌日になった。
プリプリと怒って帰った博麗霊夢と、その博麗霊夢がお目付け役になっていた為、燐も博麗神社へと戻り、時刻は飛んで夜へと変わる。
早苗の寝息を頭に感じながらレンは瞼を上げた。眠ってはいなかったらしく、溜め息を吐き出して熟睡している早苗の拘束を容易く抜けた。
「んぅう?」
そんな眉を寄せて不満そうに漏らした早苗に少しビクンとしたレンは早苗を見つめて、元の寝息に戻ってから安堵の息を吐きだした。
枕元に置いてあった日記を手に取り数時間前に書いた内容に目を通す。
「……」
もう一度息を吐いた。吐いてから、ゾクリとした物が背筋を走った。
浅い息が続いて、落ち着ける様に深呼吸を繰り返す。
大丈夫、大丈夫。
何度も心の中で繰り返して、レンは呼吸を落ち着ける。
落ち着いても、まだ足りない。まだ足りない。
日記を抱きしめて身を屈める。必死に部屋で丸くなって、彼は怯える。
「んぅ? れんさん?」
ビクリと彼の体が揺れた。早苗の手が彷徨っている。きっとなくなってしまった温もりを探しているのだろう。レンはその彷徨った手を握って、抱き寄せられる。
眠っていたからか、少し暖かい体温。柔らかい感触。抱きしめられている拘束感。
彼は日記を枕元へと置いて、瞼を落とした。
彼は、今日も現実から逃げ出した。
火焔猫燐
女性?。猫。人型にもなれる。赤い髪。おさげ。友達。妖怪。
博麗霊夢。
女性。巫女。やる気無さ気。異変解決者。黒い髪、黒い瞳。人間。
日記の端書より抜粋。
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