レンは目を開いた。そこは不思議な空間だった。
誰もがいる空間で、誰もいない空間で、何もない空間で、何かある空間だった。
誰かがレンの肩を叩いた。振り向けば知っている顔だ。けれども顔は無い。
レンは首を傾げて立ち上がった。床に乱雑に置かれている本達を踏んで、レンは扉を開いた。
ボキリ、バキリ、と固い何かが折れる音。グチャグチャとだらしなく音を鳴らし、何かが何かを咀嚼していた。
黒い何かが、そこには在った。
レンは咄嗟に口を抑えて、吐き出しそうな何かを抑えた。
黒い何かがグルリとレンの方を向いた。
その黒い物体の歯の間から腕が生えていた。白く長い裾と黄緑色の糸が何本もその口の間からはみ出ている。
真っ赤な舌でその腕を包み込んで、黒い何かはソレを口の中に収めた。
バキリ、ボキリ、グチャリ、ネチャリ、グチュリ、ベキリ。
やがて音が止んで、モゴモゴと動いて黒い何かがいやに白い歯を見せてレンに笑った。
少年は目を覚ました。
目の前に肌襦袢を着た女性、深い緑の髪、真っ赤な瞳が瞼に隠れていて、心地よさそうな寝息を立てている。
少年は安心したように息を吐き出して、近くにあった本を手にとった。
それは日記だった。たった数日、それこそ二桁にも満たない日々を綴っただけの、なんら不思議の無い日記。けれども、少年は食いつくようにそれに目を通して、そして白紙のページまで捲って、次はないのか入念に確認した。
少年、レンはようやく自分の日記を閉じた。
そして荒くなりそうな息を押し止めて、必死に何かを拭う様に日記を抱きしめて、目の前にいる幽香に埋もれる様に布団に潜り込んだ。
「本当に荷物はソレだけなの?」
「……うん」
しっかりと抱き込んだ本をもう一度見てレンは幽香の問に答えた。
所有物の少なさに思わず頭を抱えてしまう幽香。その目の前には守谷家が勢ぞろいしている。
「レン、寂しくなったらいつでも帰ってきていいからね」
「……わかった」
「風見が泣かしたらいつでも帰ってきてもいいんだからな」
「誰が泣かせるって?」
「泣かしたことのあるヤツ」
「うぐ……」
「……わかった」
諏訪子と神奈子の冗談交じりな挨拶に真剣に頷いてみせたレン。そんな冗談に一々反応してしまい、結果的に正論であるから思わず怯む幽香。
そんな中、早苗がレンをしっかりと抱きしめる。
「いいですか、レンさん。私達は、もう家族なんです。 寂しくなくても、泣いてなくても、いつでも私達を頼っても大丈夫なんですからね」
「……うん」
抱きしめる早苗に応える様にレンもしっかりと早苗を抱きしめた。
変わらずも無表情ながら、どこか寂しいのか少しだけ戸惑った顔をしている。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
ビシリ、という音が聞こえた。
正確にはその音と同時にどうしてか全員が固まった表情を固めている。レンだけが疑問を浮かべている。
ギギギと錆た何かを動かす様に首を動かして幽香を見上げた早苗。表情が固まっているけれど、目だけが爛々と輝いている。
「――やっぱり移動はなしの方向で」
「巫山戯んな」
「ですよねー」
やっぱり早苗さんは早苗さんのままで、真っ黒な笑顔を浮かべた幽香に一刀両断されるのだった。
まるで恋人を連れ去られてしまう男の様に、あうあう言いながらレンを引き止めようと手を伸ばして涙を流していた早苗に見送られて数時間。
のんびりと歩いて太陽の畑へと到着した二人。
当然の事ながら、人目を避ける場所は選んで通っているし、妖怪の目についたところで自称幻想郷の力関係で上から数えたほうが早い風見幽香がいるのだから、下手に手を出す妖怪もいない。連れているのが贄という特異点ではあるけれど、それも八坂様特性の式があるのだから単なる人間に等しい。
ともかくとして、そうしてのんびりとしっかり数時間のデートを無言に近い状態で過ごした二人。文面だけみると勘弁して欲しいモノもある。
けれど、二人の顔には笑みがあり、レンの手には日記と、一輪の花が握られている。
一輪草と呼ばれるその花。実際は春に咲く多年草であり冬に近しい季節である今見ることはありえない花だった。
そんな随分と寝ぼけている一輪草はフラワーマスターの称号を持つ幽香の手解きの下、レンによって大事に摘み取られたのである。
そんな小さな一輪草を鼻に近付けて静かに大きく匂いを吸い込んだレンは満足したように吐息を出した。
「その花、どうする気?」
「……押し花にしようと思って」
「そう」
本で住むところを選ぶほどのレン。押し花にしたモノはどうせ栞へと成るのだろう、とあたりを付ける幽香。当然、無意味に摘み取られたモノならば、幽香はレンを怒っていただろう。
咲くことを目的とした花を次に続けることもなく摘み取ったのだから。
もう一度、レンは鼻を寄せて大きく息を吸い込んだ。吐き出された薫りを楽しみながらほころぶ。
そんな様子を見ていると、まぁ、それも花の意義か。と思えてしまう幽香。自分本位であるのは仕方がないことだ。
薫りを楽しんだあとは日記の最後のページ近くに一輪草をしっかり挟んだレン。どこか満足気である。
「む」
「げ」
「……」
蒼銀の髪を腰辺りまで伸ばした女性が振り向く。彼女が反応すると、幽香が思わず眉間を寄せてしまい、そしてレンはちゃっかりと幽香の影へと隠れてしまった。
「やぁ、風見。ちょうど訪ねているところだったんだ」
「見ればわかるわよ……。で、人里の寺子屋が私に何用?」
「いいや、風見に用なんて無い。安心してくれ」
「それは私に喧嘩を売っているのかしら?」
「気を悪くしたのなら謝ろう。私の用事は後ろに隠れている彼に対してのモノだ」
「……レンに?」
その言葉にうむ、と頷いた上白沢慧音。件の少年であるレンは幽香のスカートをキュッと掴んで、その影からチラリと顔を覗かせている。
そんな様子に少しだけデレッとなってしまった上白沢センセイは幽香の睨みに気付いたのか、コホンと気を正す。
「彼の家庭教師をしようと思うんだ」
「却下」
「むぅ、彼に正しい知識を与えるのは重要だと思うのだが」
「断る」
「そうやって彼を独占してどうする」
「というか、レンが怖がっているんだけれど?」
「うぐっ」
思い当たる節があるのか、思わず後ずさってしまった上白沢慧音。当然、彼女が思い出したことは先日の家庭教師で科目を歴史から保健体育(実技)に移ったことである。彼女としては負い目を感じている事であるのだけれど、実際の話、他はもっと色々としていたりするのだから彼女が負い目を感じる事はない。
レン自身、彼女の行いに関しては贄の一環という理由と過去の自身の扱いでの慣れ、というトンデモな理由で納得をしているから、慧音が負い目を感じる必要は本当に無い。あるとすれば、もう少しおっぱい成分がごにょごにょ。
「いや、あれは、その、」
そんな言い淀んでいる慧音に対して、合点がいってしまった幽香。気持ちを落ち着ける。
「レンに手を出したの?」
ビクリと慧音の肩が揺れた。
「へぇ……教師であるはずのアナタが、幼気な少年を……へぇ」
ガタガタと慧音の体が揺れ始める。
幽香が楽しげに笑う。
「それを踏まえて、まだレンの家庭教師をしようって申し出たの? ショタコン教師」
「ぐふぅ……」
慧音が手を地面に着いて決着した。ショタコン変態教師の負けである。尤も、自分を盛大に棚に上げている事にツッコメば傘が飛んでくるに違いない。
そんな四つん這いで落ち込んでいる慧音を哀れに思ったのか、幽香はフッと息を吐き、片膝を着いて慧音の肩に手を置いた。
やや涙目になりつつも慧音が顔をあげる。まるで先ほどの事は悪かった、と言わんばかりにニッコリと笑顔を作っている幽香。
「――ショタコンが寺子屋の教師だなんて、世も末ね」
「がはっ」
当然、そんな事は一切ない、とっても
「……上白沢慧音」
「おぉ、レン。私を慰めに、」
「邪魔」
「………………」
完全に慧音先生は壊れてしまったかもしれない。レンの辛辣すぎる言葉に思わず慧音に対し同情をしてしまった幽香は本当に哀れみで慧音の肩を叩いた。
涙目で見上げた慧音の顔を見て、もう少しぐらい虐めてもいいんじゃないか? と考えが過ぎったが我慢する。
「月一程度なら、いいわ」
「本当か!!」
「え、えぇ……」
立ち上がって目を輝かせる慧音に思わず尻すぼみに答えてしまった幽香。
「じゃぁ今日から明日に掛けて、いいや明後日ぐらいまで」
「いや、なんていうか、いい加減にしろショタコン」
慧音の頭にベシリと幽香の手が当たり、中身が詰まっているクセにいい音が鳴った。
書き忘れてた。グロ注意