ゆっくりと瞼を上げた。
目の前には木造の天井、少し視線を下に下げれば布団があり、横に向ければ襖、逆に向ければ障子がある。
暗い部屋の中を、障子越しの月灯りが薄らと明るくする。
ぼんやりとした頭のまま、上半身を起こす。
随分と、俗的な地獄だと思った。
ジクリ、と右足首が痛む。痛みは熱に代わって、僕を這いずりまわり、ひっそりと消える。
あぁ、なんだ、また、生きていたのか。
吐いた息が溜め息に代わり、包帯で固定されている右足を折りたたんで抱きしめる。
着流しから出ていた僕の腕も白い包帯が巻かれていて、ソレが余計に苦しく見えた。
何かを求めて、僕は立ち上がる。ジクリと右足から痛みが這いずり回る。なるべく体重を掛けないように歩き、障子に手を掛ける。
意外にもスルリと開いた障子の先は鬱蒼とした森ではなくて、雑木林と綺麗に整備された区画。
ヒヤリと冷たい床が足に触れて、頬を冷たい風が撫でる。少しだけ土が湿気た匂いと地面に水たまりが出来ているのを見て雨上がりだとわかる。
ペタリ、ペタリと足を動かして縁側に座る。床板に体温が奪われていく感触に段々と現実味を感じてくる。
生きている。
そう、生きてしまっているのだ。
幽香……風見幽香に捨てられた理由はわからない。要らなくなっただけなのか、はたまた放置して僕の反応を楽しもうとしたのか。いや、彼女の場合は目の前でその表情を見たがるのだろう。
どちらにせよ、僕は生きてしまっているし、風見幽香に棄てられた結果は変わらない。
僕は風見幽香に棄てられた。
たったそれだけの事だ。以前と同じ。僕は棄てられた。それだけ。
それだけの筈なのに。たったそれだけの事なのに。
詰まった息を正そうと、ゆっくりとした呼吸をする。
深く、深く吸って、少しだけ止めて、吐き出す。
吸って……少し止めて、吐き出す。
「目が覚めたのかい?」
「……」
暗示的な思考を中断して声の主を見る。
影になって分からないけれど、声からして女性。影で隠れているというのに、双眸が光っているように、僕を睨んでいるのがよく分かる。
「天狗が貴方を背負ってきた時は驚いた」
「……天狗?」
「射命丸文。知り合いなのだろう?」
「……うん」
そうか、文が僕を助けたのか……お礼を言わないと。
僕を睨んでいる彼女は隣に腰掛けて、ようやく明るみに出た顔は端整で、深い紫色の髪が肩口で切りそろえられていた。
見ているだけで、威圧される……とは少し違う。神々しく感じてしまう彼女はゆっくりと、口を開く。
「で、念のための確認だが、貴方は『自分の存在意義』を分かっているか?」
存在意義?
どうして僕が存在しているのか。餌としては役目を全うした。意義をなくしたのだ。
その僕に存在している意義はあるのだろうか。あったのだろうか。
そう考えていても、どう考えていても。僕の口は自然と開いて、言葉を吐き出した。
「愛玩人形」
「…………」
その自然と出た一言が、心の中にストンと落ちて、納得した。
僕は生きている限り、そういう事になる。これは単なる経験則だ。たった十年ほどしか生きていない僕の経験則でしかない。
そんな言葉に神々しい彼女は、キョトンとして、吹き出した。
「ブッ、フッハッハッハッハッハッ!!なるほど、なるほど!!愛玩人形ね。的を得ている。しかしながら曲解かつ極論、いや、暴論とでも言うべきか」
それほど可笑しな事なのか、彼女はまだ肩を揺らして笑っていた。
「いや、悪いね」
笑いで出た涙をぬぐいながら、彼女は言葉を出した。その言葉には先ほどまでの高圧的な神々しさはなく、至って普通の言葉だった。
「そっちが、素?」
「近頃は親しみやすい神の方が信仰を集めやすいのよ」
随分と俗物的な神様だと言うことがよく分かった。
先ほどまでの神々しさなど嘘のようだった。
「ま、日が昇るまでまだ時間はある。それまでまたお眠り」
「……そうする」
右足を庇いながら柱を杖に立ち上がる。そのまま先ほどまでいた部屋に戻って障子を閉める。
大きく息を吐き出した所で、荒れていた心が落ち着いているのが分かる。
珍しく、何もせずに眠れそうだ。
~~
「神奈子」
「なんだい?諏訪子」
屋根の上にいた友人……親友?、家族である諏訪子に意識を向ける。
「どうしてあんな子が選ばれたんだろうね……」
「さぁ……?あの子は何も知らないだろうけど」
「逆に知っていたら普通、外に出れないよ」
普通なら、ね。
そういう私の無言を察したのか、屋根からヒラリと地面に着地して、親友はこちらを向く。
「私たちに出来る事は……」
「ないね……」
お互い、それは知っていることだろう。証拠に聞いていた彼女の顔は望みもなく、歪んでいた。それが何も出来ないことを悔やんでいるかは分からないけれど。
分かっていた事だ。私達には分かっている。妖怪達は一片しかわかっていないし、ソレさえ分かれば大差などない。
彼は永遠に逃れられないし、永久に逃げられ、永劫に掴む事はできない。
「……寝る」
「そうね」
そう言った親友は私の横をすり抜けて、私も立ち上がる。
そして私達は同じ障子を開いて、同じ布団を捲り、体を滑り込ましていく。都合よく、都合よくある同じ抱き枕を軽く抱きしめながら、ゆっくりと瞼を落とした。
愛玩人形。
なるほど、言い得て妙だ。
~~
いつも通りの拘束感と温かさで目が覚める。
前からは金髪の少女が僕の体を束縛して、後ろからは昨晩の俗物的で神々しい彼女が僕を拘束していた。お陰で動けない。
ふと、慣れてしまったような思考に少しだけ自嘲してしまう。アチラにいた時は拘束を感じることなど一切なかったのだから。そう考えれば昨晩の疑問であった『愛玩人形』というのにも些か疑問が生じる。
そんなこと、どうでもいいのだけれど。
ともあれ、一切と言っていいほど身動ぎ出来ない僕。そしていつものように太陽が昇る前に目が覚めてしまったのだ。彼女らを起こす、という行動も彼女らに悪い。
いや、もう、太陽が昇る前に起きる必要などないのか……。
僕はもう一度、ゆっくりと瞼を下ろす。眠りは出来ないだろうけれど、少しは自分で気持ちの整理をしたいのだ。
「…………」
少し時間が経過して、太陽も上ったらしく障子には、前にあった雑木林の影が映りこんでいる。
どうやら目が覚めているらしい二人、いや、一人と一柱は僕を抱きしめる力を強めた。痛い。
後ろにいる一柱は僕の髪に顔を埋めて呼吸をしていて、前にいる少女は僕の肌を撫で回したり、鳩尾を舐めたり、と実に好き勝手されている。
当然のことながら、後ろの彼女に抵抗をしたところで意味などない事はわかっているし、前にいる彼女に抵抗をしたところで、きっと今以上に責めがキツくなることも予想されるので、抵抗などする気が起きない。
「抵抗しないの?」
「抵抗してやめるの?」
「…………起きているとはオモワナカッタ」
随分と白々しい言葉である。やはり神様としてどうなのだろうか。
あと、前にいる少女を止めてください。
「うーん、確かに美味しい」
「……妖怪?」
「人に信仰されてるから神様だけどね」
そういって少女は苦笑する。
なるほど、人にとって有益なら神様、無益ならば妖怪、有害ならば悪い妖怪、とでもいうのだろうか。
「さて、早苗がそろそろ起きる頃かな」
「ほら、さっさと行きなよ」
「わかってるわよ」
わかっている、と口では言いながら後ろにいる一柱は相変わらず僕の拘束を解いてはいない。わかっている筈なのだけど、僕の拘束は解けていない。
すこしだけ強く抱きしめられた後に、ゆっくりと、それはもうゆっくりと拘束が離れ、後ろにいた一柱がようやく立ち上がる。
「諏訪子、わかってると思うけれど」
「はいはい、先に食べたりとかしないから」
「わかってるならいいわよ」
襖から出て行った一柱の足音が離れていき、金髪の神様もゆっくりと体を起こした。
「さて、おはよー」
「おはよう……誰?」
「ま、その辺りは朝食の時にでも言うよ」
クスリと笑った神様は僕の頭を撫でた。
とにかく、ようやく起きる事が出来たのでいつものように行動させて頂こう。
「うぉ……これはスゴイですね……」
巻いていた
「勝手に食材と台所を借りた」
「あ、いえ、そんな」
「ま、とりあえず食べようか」
一応、金髪の神様に許可は得ていたけれど、彼女にも一応言っておこう。すでに事後なのだけれど。
ともあれ、作った質素な料理達は机に移動させて、その机の周りに正座で座る。
「さて、いただき」
「ちょっと待ったァ!!」
「文?」
盛大に音を立てながら開かれた障子。開いた本人は翼を振り乱して、息を荒げていた。
ゆっくりと荒くなった息を整える知り合い。そんなに急いでどこへ行くというのだろうか。
「レンさんの手料理が食べれると聴いて!!」
「あぁ、そう」
一体どこからそんな事を聞いてきたんだろう。いや、深く追求すると何か恐ろしいことが判明しそうだ。
どこか、呆れ気味の俗物的な神様はため息を吐いて、まぁいいか、と締めくくった。
そんな呆れられている文はどこ吹く風。僕の隣でニコニコとしながら座っている。
「では、いただきます」
「いただきます」
俗物的な神様の一言で食事は開始される。
当然のごとく、飛び入りで参加している文の分は一切ないので、僕のおかずを食べさせるとしよう。
「あー……ん」
「笑顔が添えられれば」
彼女の願いを聞き入れて、微笑みを顔に貼り付ける。
文の口にほうれん草を入れてから彼女は感極まったように、涙しながら。
「今なら死んでもいい」
と言っていた。どうでもいいことだけれど、鼻血で畳を汚すのはどうかと思う。
そんな文を放置して僕はゆっくりとご飯を咀嚼していく。
「で、自己紹介だったね。私は
「ちっさい言うなッ!!」
頭の中で顔と名前を一致させる。
文の話で出てきた神様二柱と巫女一人。守銭奴の方ではなくて、腹黒いと噂されている巫女一人。
「レン」
僕も倣い、自己紹介をする。軽く頭を下げながら。
自己紹介なんてのは、名前さえわかれば言いと思うのだ。
~~
「文、ありがとう」
相変わらず感情を顕わにしない彼は私に礼を言った。今なら脱げと命令すれば聞いてくれるんではないだろうか、いや待て、待つんだ私。
皿洗いをしている彼は後ろを向いていて、私の表情は見ていない。見られたら、多分引かれるだろう。私は惹かれてるのだろうけど。
「助けてくれた」
「アー、それですよね」
彼は私の沈黙を何に対しての感謝なのかを考えている、と思ったのだろう。生憎ながら、一切そんなことはなく、今からどうしてやろうか、とか考えてしまっていた訳だけど。
自分としては、少し遅かったと思う。
彼が風見幽香に追い出された事を『かの賢者』から聞かされ、雨の中、家を飛び出た私。そんな私が彼を見つけた時にはボロボロで、妖怪に殺されかけている時だった。
もう少し早ければそんなことは一切なかっただろう。いや、もう少し早ければ私が追いかけている側になったのかも知れない。
助け出した彼は気絶をしていて、それも残念に思う。そうでなければ弱った彼に直接付け込めたのに。
「まぁ、ここなら安全でしょう」
「何に対してかはわからないけど」
それは、それです。
彼が彼である時点で貞操の危機は免れないだろう。
けれど、人里に連れて行くなど、絶対にありえない。気軽に会いにいけないのだから。
「大丈夫ですよ。私が守りますから」
後ろから彼を包むように抱きしめる。
身長が勝っててよかった……髪に顔を埋めながら甘い香りを肺いっぱいに押し込める。
「守る対象を犯すのもおかしい話」
「ソレは空の彼方へ飛ばしておきましょう」
だから、もう少しだけこのままで。
というわけで、守矢神社に居候。
スキマ様が唆した内容とかは……まぁ、テキトウに考えてはいるんですけど。
あの人らしくはない理由なんですよね。
まぁ、そんなこんなで、ゆうかりんは少しだけお休みです。