※この作品はR-18です。

皇紀二六二〇年 終戦未だ遠からん   作:Schuld

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水底を夢に見て

 喪ってはじめて五体が健全であることの幸福を知る。

 

 それを一番実感する時は何か?

 

 「では提督、失礼しますね」

 

 私の場合、配下に着替えを手伝われている時だ。

 

 細い白魚のような指が胸に伸びてきて、シャツのボタンを留めていく。それから襟の形を整え、裾がきちんとズボンへとしまわれた。

 

 夏期制服のズボンの前を合わせてベルトを通し、着替えは終わった。その以前の段階も色々と手伝われているのだが、私の尊厳のために割愛しよう。思い出しても、あまりいい話では無い。

 

 軍学校を卒業し、三十路を大分過ぎた男が晒す様がこれとは、まこと情けない話だ。既に米英との戦争で玉砕した父にも、未だ本土で私の無事を祈ってくれているだろう母にも、この醜態は見せられん。

 

 「提督、どうかなさいましたか?」

 

 「いや、何でもない、鳳翔」

 

 車椅子に乗った少女に介助される、情けないこと極まりない自分の姿など。

 

 「そうですか。では、朝餉に致しましょう」

 

 髪の毛を頭の高い所で括った愛らしい女性、軽空母の鳳翔が車椅子の上で微笑んだ。

 

 さて、ご覧の通り私は五体不満足だ。左腕は肩から先が無く、半袖のシャツの袖が所在なさげに揺れている。左足も膝から下が喪われ、靴べらの如き様相の貧相な義足が据えられていた。

 

 これが実に難儀な物で、歩行すらおぼつかぬのだ。膝と足首の一切を曲げずに歩こうとするなら、私の難儀さが少しは理解できるかもしれない。

 

 その上、片腕が丸まるないので杖も使えないときた。これが互い違いに無くなっているのならまだしも、同じ側の四肢が無いというのは本当に都合が悪いのである。

 

 となると子供が使うような歩行器を用いれば良いのではと思えど、道が平坦ではなく階段も多い船では移動など能うはずも無い。

 

 必然的に私が指揮を執ることを含めて、全ての行動に介助が必要となるのだ。

 

 着替えすら一人で満足に行えない男に軍籍を残し、小艦隊ながら部隊を与え指揮錫杖を握らせる我が軍の困窮度合いは如何なるものか、察して剰りある惨状であった。

 

 にしても、両足が無い女に介助されるというのも実に滑稽な話だ。とはいえ、流石に当番兵にやらせるのも心苦しいし……。

 

 そこまで考えて、私は小さく首を傾げた。余人の前でなくば、うなり声も上げていたかも知れない。それ程までに、浮かんだ小さな疑問は私の思考を苛んだのだ。

 

 いや待て、兵士にやらせるのもそうだが、女性にやらせるというのも如何なものか。確かに艦娘は私の直下で隷属する兵器であり、他の指揮系統に含まれていないとはいえ、今まで何の疑問も抱かなすぎではかっただろうか?

 

 逆にこっちの方に羞恥心を覚えるべきだろう。ともすれば結婚適齢期に達している婦女達であるのだぞ。やはり、どう考えてもこれはおかしくないか?

 

 「提督? どうかなさいましたか? お加減が宜しくないとか……」

 

 思考を繰って何時までも立ち上がらない私を見て、鳳翔は不思議そうに首を傾げた。

 

 「……気にするな。考え事をしていただけだからな」

 

 そして思考を切り替える。気にしても仕方有るまい。元より我々は異質なのだ。噂に聞けば、艦娘は提督の命令に逆らわぬよう、何らかのフェイルセーフが仕込まれていると言うし、我々提督も艦娘を指揮するために素養を求められる。

 

 きっとそのせいだ。最初から何処かおかしいからこそ、私は提督などという身に余る称号を受けて、この南海の地獄で一隊を率いている。

 

 難しいことを考えない方が、精神衛生的にはよかろうて。結局、環境が狂っているのであれば、自分も狂うしか無いのだ。

 

 むしろ役得と思おう。むくつけき当番兵に着替えを手伝われるよりは、女性の柔らかさに触れる方がずっと楽しいのだし。

 

 「さ、飯としよう」

 

 「はい、提督」

 

 

 

 

 

 

 配下に気合いを入れるため、司令官が基地内を巡回するのは仕事の一つである。

 

 されども、頻繁にやり過ぎても萎縮されるし、風紀を引き締めすぎると後ろ弾が怖い。ある程度気を引き締めさせて、恨まれない程度に絞る。その塩梅と、塩梅を掴む感覚が指揮官にとって大事なのである。

 

 「ふむ、つまり替え時であるか」

 

 「はっ。やはり潮風に晒されると寿命が短くなりまして……」

 

 私は従兵と杖を時雨に兼任させつつ、泊地の海岸からほど近い森の中に築いた対空陣地を訪ねていた。

 

 擬装の施された五式四十粍高射機関砲が都合六問並ぶ、少しばかり寂しい対空陣地だ。

 

 一五年前に鹵獲品を参考として作られた対空砲は、型落ちになりながらも深海棲艦が放つ航空兵器相手に現役で火を噴いている。

 

 スケールモデルの模型飛行機染みた大きさの敵機であれど、艦娘と同じく身に宿した概念は兵器のそれ。叩き落とそうと思えば、機銃でなければ役者が足りぬ。

 

 であるが故に、雄々しさにそぐわぬ無力さの砲身を天に向けながら、機銃は吹き付ける潮風に蝕まれつつも佇み続けさせられていた。

 

 「ううむ、しかし成果が低い上にデカイ代物を内地が送ってくれるかどうかはな……」

 

 「それでも無いよりはマシですよ、閣下」

 

 “閣下”とは本来将官への尊称であるが、海兵は階級を問わず提督を閣下と呼ぶ。多分「自分たちとは違う世界の人間だ」と迂遠に示したいのだろう。

 

 ま、そもそも提督そのものも艦隊指揮官への敬称みたいなもので、正式な階級ではない。軍内部での政治、そして微妙な処世術と思えば腹をてることもあるまいて。

 

 「うーむ……やはり違うか?」

 

 「あの虫か甲殻類みたいな飛行機も、一応は恐怖を感じるのか、弾幕には突っ込むのを躊躇しますからね。追い返すくらいはできるので……」

 

 海兵陸戦中隊――今のところ、規模としては実質増強小隊程度でしかないが――の指揮官は、腹に言いたいことを飲み込んだままの中途半端な表情で、機銃の表面を撫でた。

 

 実物大の航空機ですら、高度一万以上の高高度領域では豆粒にしか見えない。それが模型じみた深海棲艦の航空機となれば、殆ど視認は不可能だ。

 

 精々攻撃の為に急降下してきて、漸う反応できる程度のもの。狙って当てるのは、不可能と言いきっていい。

 

 幸いなことに重爆撃機や陸攻のような機体を深海棲艦は使わないので、攻撃時に狙いを付けられる程度には見えると言うが、それでも脅しの域は出ない。

 

 要は脅しにしか使えないが、その脅しがどれくらいの価値を持つかが問題なのだ。本土から取り寄せるため、交渉をしたり他の物資を諦める必要も出てくるのだし。

 

 「何が必要になる?」

 

 「少なくとも銃身と外装は幾らか必要になると工兵は言っております。基部も腐食が激しくなると、事故の元でありますので……」

 

 さて参ったな、優先度は如何ほどの事案か……と黙考し始めると、甲高い音が上空で響いた。

 

 見上げれば、白い機体が天高く雲の尾を伴って跳んでいるではないか。極めて初期型の艦上攻撃機であり、我らが旗印が機体側面にて輝いていた。

 

 しかしながら、その機体は跳んでいるであろう高度の割に嫌に小さく映る。我らが知る、人が乗り人が操る神兵の銀翼ではないのだ。

 

 「九六式か」

 

 「鳳翔さんの機体だね」

 

 ふと思い出す。そういえば訓練飛行計画書が提出されており、認可を出したことを。ここしばらくは鳳翔の攻撃隊に出番がなかったので、腕を錆び付かせないために上げたのだろう。

 

 あの勇姿は模型飛行機のようなサイズなれど、帝国軍が誇った艦上攻撃機の一種、九六式艦上攻撃機に相違ない。

 

 艦娘、特に空母型が装備する航空機は管制方法に幾らか種類があれど、その全ては深海棲艦と同じく縮小された航空機である。

 

 砲や魚雷と同じく、小さくも宿した概念は航空機のそれであり、250kg爆弾が投下されたならば、正しくその名に恥じぬ効果を発揮するのだ。

 

 しかし、見れば見るほど小さい。そのくせ驚くほど早いのだ。視界の中央に捕らえたと思えば、次の瞬間には端っこに達しようとしている。

 

 速度や攻撃力そのままに小さくなったが故、尚のこと素早く見えるのであろう。然程素早いとは言い難い九六式であれなら、新鋭の格闘機は如何ほどの速度で飛翔するのか。

 

 なるほど、錬磨された海兵が機銃を無いよりマシ、と言うのも頷ける速度であった。

 

 「あの距離なら墜とせるか?」

 

 「速度以外にも、時刻による視認性の問題もありますので、難しいとしか言えません。殆ど運の領域ですよ。我々にとっても、奴さんにとっても」

 

 私の問いに中隊指揮官は力なく首を振りながら答えてみせた。彼の疲れが見える顔には、艦娘や深海棲艦に全く適わぬ、人間兵士の悲哀が滲んでいる。

 

 もう我々は、この種族を超えた生存戦争において外野に近いのだ。

 

 国家を守るため、強大なる超大国と戦った彼らだ。感じている無力感の大きさは、痛いほど分かった。

 

 私も終戦と新たな戦争の始まりを江田島で聞いた口である。知らされる戦況の変化に、脱力を伴う無力感を味わったのは同じだ。

 

 やはり、精神的な拠り所という意味で人間の居場所は必要なのである。例え人が操る兵器が、艦娘や深海棲艦の前では蟷螂の斧に等しかろうとも、抗う意志を示すという意味では不可欠だった。

 

 「……補充の件だが善処しよう、中尉」

 

 「はっ、ありがとうございます、閣下」

 

 私達が目を合わさずに別れたのは、きっと互いに気まずくなるだけだと分かっていたからであろう…………。

 

 

 

 

 

 

 「あら、提督」

 

 視察の序でに島の中程に作られた、急拵えの飛行場を訪れてみれば、そこには車椅子に腰掛けて艤装を身に纏った鳳翔の姿があった。

 

 腕に担うのは長大な和弓。そして肩部ジョイントに固定されるのは、磨き上げられた見事な飛行甲板だ。傍らには矢が納められた矢筒も置かれてあった。

 

 「訓練飛行ご苦労」

 

 「たまには飛ばせてあげないといけませんからね」

 

 楚々と笑う鳳翔の隣に立ち、航空機の倉庫すらない寂しい飛行場を眺めた。

 

 数機の攻撃機が舞う此処は、陸戦隊が急拵えで整えた飛行場なれど、利用された回数は驚くほど少ない。南方視察に出るお偉方の護衛航空隊が、給油のために一度降りた位で、後は緊急の物資輸送における中継地として活動した程度のものである。

 

 ここを定期的に利用するのは、軽空母級の艦娘である鳳翔ただ一人だ。

 

 彼女は一度着底したために来した機能不全により、海上航行が適わぬ身なれど航空機の管制機能まで喪失した訳ではない。であるが故に、この地にて貴重な航空戦力として機能してくれているのだ。

 

 海上であれば空母から艦載機を発艦するために合成風力に頼らねばならぬが、地上の滑走路が使えるのであれば、例え足が駄目になった航空母艦でも仕事はできる。

 

 仮に足回りが駄目だとしても、艤装が活用できる以上は、身に宿した管制設備は十全に機能するのだから。航空戦において重要な管制塔の役割を果たせる以上、鳳翔は未だに艦娘として死んだ訳ではないのだ。

 

 「具合はどうだ」

 

 時雨の手を借りながら、鳳翔の隣に腰を下ろした。この足で歩き回るのは腰にクるので、適度な休息を挟まねばならない。

 

 「悪くありません。ただ、迎撃隊の子達と違って、出番がないからと攻撃隊の子達が不満を零していますけど」

 

 「そうか……だが、大規模な攻勢がなければどうにもな」

 

 彼女は微笑みながら、我が子を見る母親の如く空の航空機を眺める。いや、彼女にとっては子に等しいのだろう。自分が管制する航空隊の妖精達は。

 

 海を行く足を失った彼女は、時折寂しそうに空を眺めている。今もきっと、微笑みながらも瞳は泣きそうに潤んでいるはずだ。

 

 しかし、私はそれに触れようとは思わないし、時雨も干渉する気は無いらしい。

 

 大きな傷は、体だけではなく心に深い傷跡を作る。海を征くという、レゾンデートルを奪われた船が負う傷の深さは、想像するまでもない。

 

 いや、むしろ想像などできまい。あまりに深く、あまりに大きいが故に、何にせよ生きていれば何とでもなる人間の私には、理解できる筈が無いのだ。

 

 羽をもがれた鳥の悲哀を理解できぬのと同じく、二度と海に戻れぬ船が背負う悲哀が理解できるはずもない。ただ想像し、その大きさを空想して途方に暮れるだけだ。

 

 だからこそ、私に出来るのは指揮をしつつ、彼女たちがしたいようにさせるだけ。

 

 色々な所で世話を焼きたがる鳳翔。目立つ表傷を隠すでも無く闘争に走る時雨。片目を失いつつも刃に拘る天龍と、ただただ戦いと夜の海に狂う夕立。

 

 人が船にしてやれることなど、本当に少ないのだ。整備し、指揮し、船として戦わせてやる。されど、船が持つ娘としての本質は何処に投げ出されるのか?

 

 彼女たちは自分たちが求める幸せを、大っぴらにはしない。軍属としての誇りがあるのか、軍船としての矜持があるのか、即物的な物は兎も角、深い所は本当に謎だ。

 

 そもそも、幸福を望んでいるのかさえ分からないのだ。追い詰められつつある船が何を望むのかは、考えを巡らせる事すらも困難である。

 

 「なぁ、鳳翔」

 

 「はい? どうしました、提督」

 

 問えばいいのかもしれない。問わねば答えが返ってこないのは道理である。

 

 しかし、私に彼女たちの願いに踏み入る権利があるのだろうか? そこを考えると、どうしても口が動かなくなるのだ。

 

 結局、私にできたのは無難に夕餉の話を振ることだけであった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 昼間の暑さに比べるとひんやりとした夜気が吹き付ける、座礁した指揮艦の船縁に佇んでいると酷く不安な気持ちになります。

 

 この船体が歪んだ船は、私と同じようなもの。二度と海に還ることは適わず、屍に近い体を晒しながら朽ちるのを待つだけの運命。なのに未練でもあるように、海と陸が触れあう境界に横たわっている……。

 

 航行能力を失った艦娘の私も、きっと似たようなものなのでしょう。

 

 少し思うことがあったのと、この光景を見ていると過去の体験が想起させられます。あまり思い出したいことでもなければ、思い出す必要もない記憶ですが……。

 

 あれは確か、先の大規模攻勢に備えて実施された敵泊地付近の間引き作戦があった頃の話でしょうか。

 

 幾つもの小艦隊を展開させ、包囲網を狭めて深海棲艦艦隊をパラオ泊地の主力艦隊が待ち構える殺し間へ誘導。その後は戦艦四隻と航空母艦六隻の火力で一網打尽にする。そんな追い込み漁のような作戦だったと聞き及んでいます。

 

 私達は小さな泊地の艦隊ですから、当然鎮守府の主力勢と違って地味な仕事を担っていました。艦隊主力に砲弾や燃料を供給するための油槽船を護衛し、跳梁する潜水艦や小型艦を追い払う任務。

 

 要するに何時もの仕事、というやつです。殆どルーティンワークになってしまった生活の一環。泊地となる島の外周を通り抜ける船を守る、私達の本分。

 

 ですけど、あの日は勝手が少し違いました。

 

 包囲から抜けようと、数個艦隊が此方に流れてきていたのです。戦艦と軽空母を擁する、極めて有力な艦隊が。

 

 当然私達は輸送艦を守るために展開し、味方の重巡洋艦を旗艦とする、昼間でも戦艦に対抗できる艦隊の来援までの遅滞戦闘を開始しました。例え被害が確実であったとしても、攻勢を成功させるための輸送艦隊は守らねばなりませんでしたから。

 

 取れるのは、トカゲの尻尾のように敵を引きつけて一隻ずつ離れていく、きつい戦法だけでした。

 

 別に提督に責がある、と言いたい訳ではありません。あれは……いわば仕方のない決断でした。敵が進路を変えたのは追い込み担当艦隊の失敗ですし、逃げだそうにも鈍足の人が操る油槽艦を連れては限度がありましたから。

 

 ましてや、我々が油槽艦と、それを操る海兵を見捨てて逃げる訳にもいきませんし。

 

 無線越しに聞こえた提督の声は実に苦々しげでしたので、きっと司令部から“死守”命令でも下されたのでしょう。

 

 言うまでもなく私達は軍船であり軍属。軍からの命令は逆らい難く絶対であり、司令部が考える大戦略のために戦術規模、あるいはもっと小規模での自切が強いられることくらいは分かっております。

 

 我が身を呈してでも輸送艦隊を守れ。斯様な命令、今日日は何処ででも飛んでくるものです。死ぬまでやれと言わない分、提督はとてもお優しい方だと思いますよ。

 

 最初に夕立ちゃんが単騎で六隻からなる小型艦を引きはがし、次に天龍さんが単身で重巡洋艦に食らい付いて時間を稼ぎ、最後には時雨ちゃんも潜水艦を叩きに離れて行きました。

 

 敵艦隊の規模は、それほど大きかったのです。六隻一個艦隊で行動するのが艦娘と深海棲艦の基本編成ですから、きっと二個から三個艦隊は居たのでしょう。

 

 輸送艦隊に残ったのは、いつの間にか私と元から居た陽炎型駆逐艦の子が一隻だけになっていました。その時はもう、私も攻撃隊も迎撃機隊も殆ど使い果たして、作戦遂行能力の過半を喪失しておりました。

 

 随伴する陽炎型の浜風さんは中破状態と、私を含めて惨憺たる有様。よくぞまぁ、あそこまで一隻も沈められずに粘ったものです。

 

 しかしながら、幸運は何時までも続かないもので、私達は選択を強いられました。敵が追いついてきたので、次に誰が囮になるかを決めねばならなかったのです。

 

 悩んでいる時間はありませんでした。砲塔を喪い雷撃能力もなくした浜風さんでは、囮になっても大した時間は稼げないと判断し、自分が最後の殿になることにしました。

 

 幸い、攻撃隊もあと一回ならば発艦できましたし、敵も度重なる擾乱攻撃で戦力は漸減されていて、どうにかこうにか耐えられなくも無い状況。

 

 まだ囮として成立する戦力だった、私が殿艦となるのが最も合理的な選択でした。少なくとも、提督の選択は間違っていなかったと思います。

 

 浜風さんには、いざという時に輸送艦の盾艦となるよう頼み、殿艦として私は戦いに臨みました。最後の攻撃隊を放ち、精一杯目立つように敵の射程ギリギリを走り回って注意を惹き付ける……言葉で言えば、実に簡単な仕事でしたね。

 

 遠方から飛んでくる戦艦の砲撃。遠くを掠めていく魚雷の航跡と、私の艦載機を打ち払おうと賑やかに輝く機銃や高角砲の曳光弾。

 

 祈りながら、叫びながら、蛇行して弾が当たらないように運動を続ける。全て基本の動きです。

 

 基本、基本、基本、戦闘は極論それの繰り返しを如何に失敗せず行えるか。後は運と“どちらがより失敗を減らせるか”だけが問題なのです。

 

 その点、深海棲艦は私達と同じく、失敗もするし勘違いもするし、騙されてもくれる。有り難い話です。なればこそ、私達は抗うことが出来ているのですから。失敗しない敵ほど、恐ろしいものは存在しません。

 

 ですから、この結果はきっと運が悪く、同じくらい運が良かったからもたらされたのでしょう。

 

 戦艦の砲弾が足に当たり、太ももから下が綺麗にねじ切られたのは。

 

 きっと弾種は徹甲だったのだと思います。そうでなければ、炸裂して上半身が綺麗なままに切断されることは無かったでしょうから。足回りだけで済んだのは、本当に幸運でした。さもなくば、とっくに私は海の藻屑となり、海底で魚礁か何かに成り果てて

いた筈なのですから。

 

 それから先のことは、あまり覚えていません。回転する視界、体に訪れる浮遊感。足の付け根に感じた酷い熱……実際の船でいうなら、機関部と梶を損傷し航行能力喪失、という具合でしょうか。

 

 ついでに船底に穴も空き、沈没間近であったとも思います。一分以内に沈むことを轟沈というそうですが、正しくその途上にあったと言えましょう。

 

 よしんば沈まなかったとしても、本来なら雷撃処分でしょうね。曳航するにも大変で、穴を塞いだ所で元通り働けるか分からない船なんて。労力に見合うとは思えませんし…………。

 

 「鳳翔」

 

 「あら? 提督?」

 

 回想を遮る声は、背後からかけられました。首だけを巡らせて見れば、船首への出入り口に提督が立っておられるではありませんか。

 

 「どうした、こんな夜更けに」

 

 提督は気軽な夏期軍服のままで、何時ものように不便そうに義足を引きずって歩かれます。片手には酒瓶と酒杯が担われていました。

 

この間、子供がクッキーの缶を隠すように戸棚へ仕舞っていたものとは、また違う銘柄の洋酒です。

 

 銘柄は本土で作っているという醸造所の物で、出来は悪くないと聞きます。きっと、夜の海でも眺めながらナイトキャップに一杯やろうとしていらしたのでしょう。

 

 「いえ、寝付きが悪くて」

 

 えっちらおっちら義足を引きずって歩く提督に、当たり障りの無い答えを返す。でもきっと、嘘だとばれてしまっているのでしょう。あの人は感情にとても聡い人ですから。人にも、船に対しても……。

 

 「奇遇だな、私もだ」

 

 だのに気付かないふりをして、提督は船縁に背中を預けると歯で洋酒の蓋を引っこ抜き、グラスを私の方へと差し出しました。

 

 「一献やるといい。よく眠れる。夢も見ないほどにな」

 

 「……提督も夢を見られるのですか?」

 

 船も見るのだから、人が見てもおかしくなかろう。そう言ってあの方は、目にまぶしい位の星空を見上げ、さも可笑しそうに笑う。皮肉のようでいて、同情のような言葉……気の強い子だったなら、また皮肉で返すのでしょうが……。

 

 「そうですね。人の鋳型に嵌まっている船です。人のように夢を見て……それを厭うこともありますよね」

 

 弱い照明に反射して、小さなグラスに注がれた琥珀色の液体が小さく揺れる。丁寧に熟成された蒸留酒の色は、時間が作り出した宝石の色だと、まだ私に足があった頃に提督が教えて下さったのを何ともなしに思い出す。

 

 この色は時間という研磨剤だけが作り出せる、滑らかで優しい色なのだと。時間は酒も心も優しく磨いでくれると。

 

 しかし、時間という研磨剤は傷を丁寧に擦って馴らしてくれるけれども、その後は酷く歪な平らさになって欠損を目立たせてしまうものでもあります。船の魂を宿した兵器である私達には、その歪さがより顕著に感じられてしまうのでしょう。

 

 あの時の事をよく夢に見ます。下半身が徹甲弾にねじ切られ、浅瀬に沈み行く中で見た景色。青い青い海のフィルター越しに映る雲一つ無い南海の空。全ての音が酷く遠く、嫌に世界が静かでした。

 

 水の反射で歪む世界から、「嗚呼、私達が戦っている世界はこんなにも透き通っていたのか」と考えながら見上げた空の美しいことといったら……。末期に見える物は全て美しいと言いますが、正に末期の光景としては最上と言えました。

 

 本質的に言えば、私達の戦いは無粋なのでしょう。美しい光景を穢すノイズのようなもの。どうして世界はこれほど綺麗なのに、私達は通うに醜く争い、生き足掻かねばならないのか……。

 

 軍船にあるまじき思考をしながら見上げた空は、ずっと眺めていたいほど綺麗でした。

 

 ただその後、酷く冷たい感覚に襲われたのは覚えています。背筋に這い寄ってくる冷たいそれは、手のようでした。子供の手よりも小さな無数の手が、海の底、遠浅の海底よりも更に遠くへと浚おうとするように幾つも幾つも、私の皮膚に食い込んでくるのです。

 

 お前も此方に来いと言うように。どうしてお前の血潮は暖かいのだと恨み言を言うように。なぜだか、そう感じました。

 

 このまま目を瞑れば、手と共により深い所へ行ってしまう。でも、それも仕方のない事かと思って目を瞑ろうとした時……私の襟を誰かが掴んで引き上げる感覚と……背中から、大きな手に押し上げられる優しい感覚がしたのです。

 

 捕まれていた冷たさが嘘のように溶けていって、暖かい掌が背中に押しつけられているような熱を覚えながら、私は気絶してしまいました。

 

 次に覚えている光景は生ぬるい修復溶液に頭まで浸けられてながら見上げた、心配そうな面持ちで此方を見つめている提督の顔です。私が今ここで車椅子に乗っているので当然ですが、私は死に損なっていました。

 

 「……どうしたね」

 

 「いえ、少し感傷に浸っていただけです」

 

 あのまま沈んでいった筈の私が生きているのは、味方の増援が想定より遅くなりましたが来援してくれたことと、中破している自身の身を顧みずに弾雨の中に飛び込んでくれた浜風さんのおかげです。

 

 片腕に被弾して、殆ど肘から先が筋だけでぶら下がっているような有様だったのに、彼女は殿になった私を見捨てなかった。だから私は今も此処に居られる。

 

 ですが、それだけだとは思わないのです。あの背中に感じた大きな掌の暖かさ……片手だけ、右手の形に感じた熱だけが、今も背中に残っているように思うのです。

 

 こんな感傷に浸ったのは、きっと演習で上に上げた子たちが、遠くをシーレーン警護で航行していた浜風さんを見つけて報告してくれたからでしょう。あの浜風さんかは分かりませんが……だからこんな、痛々しい思い出を辿ってしまったに違いありません。

 

 小さく吐息し、グラスに注がれた琥珀の宝石を煽りました。酒精が喉を強く焼き、熱がすとんと胃に落ちていく。今では航行することは無いのでめっきり無くなりましたが、主機を起こして管に火を入れた時と似たような心地を感じます。

 

 本当に良い気分です。ふわりと頭が浮かび上がるようで、小さな感傷が何処かに消えていくような……。酒精の熱が抜けていくのか、背中に熱を覚えました。あの時感じたのと同じ、掌のような形に。

 

 「美味いか?」

 

 「ええ、とても。提督はどうです?」

 

 「ああ、美味い。……で、寝付けそうかね」

 

 少量ですので酔いはしませんが、今なら心地よく眠れそうです。元より酒精は神聖な物、船の魂を宿す私達と親和性は高く、心を落ち着けてくれるのです。

 

 ですが、酒の入った女の嘘というのは、可愛らしい物とも言いますし……少しくらいいいでしょう。

 

 「まだ、眠れそうにはありませんね。……我が儘を言っても?」

 

 「言うだけならタダだが」

 

 そういって、何時も貴方は高い支払いをしても買ってくれるではありませんか。それを分かって強請る私も私ですけれど。

 

 「まだ眠れそうに無いので、もう少し呑んでから寝所へ付き添ってはいただけないでしょうか」

 

 くすりと笑いながらの誘いかけは、少し露骨過ぎたでしょうか。提督は小さな吐息を漏らしておいででした。

 

 私の小さな嘘は、やっぱり気付かれていたでしょうけど……それでも提督は何も言わず、グラスにもう一杯注いで下さったので、私も騙されておくとしましょう。

 

 船と言えどおなごはおなご。酒精の熱と夜の潮風に騙される事くらい、きっと普通なのですから…………。




半年ぶりに思い出したように更新。
メインで弄っている方が気乗りしなかったが故の現実逃避です。

果たして誰が得をするのだろうか。
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