「よし、これなら文句ないだろ」
綺麗に敷かれた布団を見て、不満ありげな顔をしつつも頷いてくれるヤミ。
いくらなんでも一緒のベッドで寝るのは嫌だと言われた。それはまあ、女の子なら普通のことだ。俺の周りが少し世間の常識とは違うだけで。かと言って、どちらかの部屋のベッドで寝るのも、あまり好ましくない。
最終的に、リビングにあるテーブルとソファーをどかして布団を敷くことになった。
効果はおよそ半日という話だった。となると授業終わりの時間も考えて夜中から明け方にこの手は離れる計算になる。
明日から夏休みなので別に夜更かしをしても問題無いんだけど、俺は明日の夜から研究所を襲撃するという楽しい用事が待っている。
日中はみんなにあちこちに引っ張られることになるので、明日に備えて休んでおかないといけない。
すでに1日延期しているんだ。遊びじゃない以上、真剣に取り組まなくてはならない。
というわけで今日はこのまま、ヤミと手をつないだまま床に就くことになった。
すでにリビングには人がいなくなった。後は布団を敷くのを手伝ってくれた雪菜だけだ。
「よし、っと。それじゃあ先輩、おやすみなさい。くれぐれもヤミさんに変なことはしないでくださいね? ……と言っても」
雪菜は視線を横にずらす。その先にいるのはもちろん、俺と並ぶように立っているヤミだ。
「ヤミさんなら、『そういう』心配はいりませんよね。ゆっくり休んで下さい」
「はい。おやすみなさい」
雪菜はそう言うと、あっさりと自分の部屋に向かっていった。ずいぶんと信用されているみたいだな、ヤミは。俺への信用もあったと思いたい。
「俺たちも寝るか」
「そうですね」
特に何かするわけでも無く、俺たちは横になったのだった。
なったのだが。
「眠れないんですか?」
ヤミに声をかけられた。
頑張って寝ようと、何度も何度も体勢を変えていたからだろう。気になってしまったようだ。目をつぶってしばらく経っていたから、もう寝たんだとばっかり思ってた。
「そっちこそ、眠ってないじゃないか」
素直に仰向けになり天井を見上げる。
あまりこの部屋の天井を眺めたことが無かったな。数カ月住んでいるのに知らない天上だ。
「あなたの隣で、安心して眠れるとでも?」
「それもそうだ」
「……それは冗談として。殺し屋になってから、本当に心の底から落ち着いて眠ったことはありません。目を閉じても体を休めるだけで、深い睡眠はとらないようにしています」
安心して眠れないってのが冗談ってことで良いんですかね? そんなことを言えば、せっかく穏やかなヤミを、ぶち壊してしまうことになるか。
「この家に来てからでもか?」
「アゼンダの一件があったでしょう。色々なところで恨みを買っていますから。いつどこで誰に襲われるか分からないんです。今この瞬間に襲われる可能性もありますから」
いつ襲われるか分からない。そんな精神をすり減らすような生活をずっと続けてきたのか。
なんともないような顔で言うが、この世界でもかなり厳しい生活をしているんじゃないだろうか。
「前さ」
「はい?」
俺は口を開かずには入れなかった。
「ヴィヴィオちゃんのことで色々と言っただろ? ほら、ヤミがいなくても襲われる云々。無責任だったな。いつ襲われるのかわからない怖さってヤツ。俺、全然知らないのに偉そうなこと言って」
この口ぶり。これまでのヤミの人生で、襲われたことはたくさんあったんだろう。
ホテルで寝ているところに爆弾を放り込まれれば、周りにだって被害が及ぶ。それがヤミだけを狙ったものだったとしても。
そんな生活の恐怖や厳しさというものを、一番理解していたのはヤミなのだ。俺は何も知らずにそれを利用したのだ。
「……っ、ぁ、いえ……考えてみれば、あなたの指摘はもっともでした」
俺の右手に加わる力が少しだけ強くなる。
「私がいなくなっても、高町ヴィヴィオに危害が及ぶ可能性は十分にある。人質は悪人の常套手段ですから」
それについては間違ったことは言っていないと思っている。人の恨みというのは恐ろしいものだ。
すべてを失ったと言ったアゼンダのエネルギーはすさまじいものだった。相手を陥れるためなら、なんだってするだろう。小さい女の子に危害を加えるくらい、ためらいなく実行出来る。
「……だから、あの時止めてくれたのは……感謝してます」
「そっか」
「……っ、……忘れてください。心にも無いことを言いました」
心にも無いは流石に言いすぎだろ。俺は心の中でツッコミを入れる。
それっきり、お互い無言になる。
「……」
「……」
だが、ヤミと一緒に寝るプレッシャーは無くなったように思う。体が一気に楽になった気分だ。これなら静かにしていれば眠ることが出来るだろう。
「ん……、っ」
逡巡しているかのように、握られた手にせわしなく力が込められている。
「ティアーユ・ルナティーク博士……」
「……ぇ!?」
その言葉に俺の心臓はドキリと跳ねた。
思いがけないセリフに、ヤミの方をチラリとみると、同じタイミングでこちらを向いたヤミと目が合う。今日初めて正面から顔を見た。
「今日あなたと手を繋いでいて、彼女のことを思い出しました」
一体どんな心変わりがあったんだろうか。俺にそのことを話してくれるなんて。俺は口を開かずに耳を傾けるだけだ。
「……少しだけ、昔話をしましょうか」
――――――――――――――――――――――
「ティアーユ博士……その人がヤミの生みの親って訳か」
「はい。生物学上の母親というわけではありませんが。私は彼女の遺伝子をベースに科学の力で生み出された、人工の生命体ですから」
ヤミの
それは後天的ではなく、生まれる前から備え付けられることが計画されていた。
「彼女は10代にして、生物工学の分野ですでに並ぶ者のいない天才科学者でした。その腕を見込まれて、とある研究機関に所属していました。そして……今となっては、理由は分かりません。彼女がどう思っていたのか分からない。ですが、結果的に私を生み出した」
確かに、人工的に生命を作り出す研究だ。倫理的に考えて中々難しいものだ。
しかもそれに、
「ですがそれは、今となっては、です。何も知らなかった私にとって、彼女は私の光そのものでした」
色々なことをしてもらったらしい。色々なことを教えてもらったらしい。
暇なときは絵本を読んでもらったこともあった。外出しての実験の時は、空いた時間に一緒にお花を摘んだこともあった。
その接し方は、どう考えても研究対象に対するものではない。まるで本当の親子のように。実験という非日常の中でも普通に、人として育てようとしていたのが分かる。
もしかすると、その時の自分の姿をヴィヴィオに重ねているのかもしれない。
「それで、ティアーユ博士は今何してるんだ?」
「分かりません。生きているのかさえも」
でも、そんなティアーユ博士は少数派、もしくは孤独だったのだろう。周りの研究者にとって、実験対象の価値を無くすような教育をするティアーユ博士は、それはそれは邪魔だったに違いない。
研究者として優秀だったからある程度許されていたのかもしれないが、ある日その限界が訪れた。
「私を最強の
つまりは、ただ追い出されるだけではなくて、殺されたかもしれないってことだ。そりゃまあ、裏の組織ならそういう手段を取ることだってあるだろう。
しかし予想出来ていても、憤りを感じるのは抑えられない。
「胸糞悪い話だな」
「落ち着いてください。その憤りをぶつける相手は、もうどこにもいませんよ」
何処にもいないってのはつまり、
「ほどなくして、研究機関とそのスポンサーは管理局と武偵の合同部隊で物理的にも社会的にも、完全に破壊されました。今はもう存在しません」
それは良かった。妹達の実験と繋がってくるんじゃないのかと思ってひやひやしてたよ。
「すべて過去の話ですから……すみません、つまらない話をして」
「や……ティアーユ博士が研究所を離れなかったら、ヤミも今とは違った生き方が出来てたかもしれないのにな」
「……もしもの話をしても仕方がありません。結果として私はこういう生き方になった。それだけです」
そう、だな。俺は一度歴史を変えているが、自由に過去に行けるわけじゃない。もしもその機会が訪れれば、全力で戦うだけだ。
「それよりも、あなたのことです」
話題を変えるように、ヤミは言った。自分が話したんだから今度はそっちが話せと、暗がりでも光る赤い瞳が言ってくる。
「他の人がいる前では言いませんでしたが、何を隠しているんですか?」
「結局はその話になるわけか……」
どうあっても俺を逃がしてはくれないらしい。
「私はともかく、姫柊雪菜や結城アスナには心配をかけないようにしてください。前科があるんでしょう?」
「ヤミとティナの事件の時にな」
あの時はめちゃめちゃ怒られた。
「おかしな人ですね、あなたは。あの時自分の命を狙っていた殺し屋と、こうして布団で寝て平気だなんて」
「しかも手を繋いでな」
「他人のために命をかけられる。言葉で聞くと安っぽいですが、間違いなくこの家の女の子たちはそれに救われて―――」
「……ほーん」
「っ、わ、私は例外ですが……っ」
言い繕うヤミに、思わず顔がニヤけてしまう。
こきゅ。
「痛っ!?」
手にすさまじい圧力が加えられた。
「調子に乗らないで下さい」
「はい……」
「分かればいいです(……でも、もっとおかしいのは私だ。この男に、どうしてこんなに安らぎを感じる?)」
流石に懲りた。話題も反らせたし、ここはおとなしく眠ることにしよう。
「(みんな、翔とそういう触れ合いを望んでいる。私もそのぬくもりを全身で感じることが出来たら。ここにとどまっている理由もわかるかな、ティア……)」
何か言いたそうに俺を見ているヤミ。話は終わったと思ったんだけど。
「どうした?」
「いえ、何でもありません……(喉まで出かかった……『抱きしめてほしい』と……どうかしてる……)」
黙ってしまったヤミを見ていると、右手を押さえつけていた磁力がもうほとんどないことに気が付いた。
「あれ?」
するりと、俺の右手がヤミから離れた。
「お、おおーっ!? なんだ、ずいぶん早かったな! 良かった良かった! これで自由の身だ!」
試作品だって言ってたしな。想定よりも効果時間が少なかったんだろう。
「……私と離れるのが、そんなにうれしいですか?」
「逆にそっちは嫌じゃなかったのかよ。まあこんなことは、これっきりにしたい―――」
頭に凄まじい衝撃が―――
―――――――――――――――――――
思わずカッとなってやってしまった。しかし後悔はしていないし、悪いとも思っていない。
すべて翔が悪い。
「別に、そこまで喜ばなくても良いじゃないですか……」
巨大なハンマーにしていた髪の毛が元に戻る。
いつも女性に節操無く手を出しているというのに、自分に対してだけあんな態度を取られると……取られると?
「取られると、なんでしょうか……?」
思考が絶対に越えられない壁にぶち当たり、完全に停止する。
翔に背を向けて布団に寝転ぶヤミ。
「……今日は本当に、昔のことを思い出しますね」
すぐ隣に他人の熱を感じるからだろうか、だからと言ってこんな都合よく思い出すなんて。
昔、ヤミは眠るときに、よくティアーユに抱っこしてもらっていた。ヤミがおねだりすると、口では甘えん坊と言いつつも、嬉しそうにヤミを抱きしめるのだ。
だから何だというのか。
そんなことを思い出したからと言って、何があるというのだろうか。
だって、この場にはヤミと翔しかいない―――
「本当に、どうかしてる……」
体を回転させる。1人分空いていた翔との間の空間がほとんどなくなる。
ためらいがちに手を伸ばし、袖を掴んだ。
「おやすみなさい……」
そのまま目を閉じ、しばらくすると、寝息が聞こえてきた。
―――――――――――――――――――――
「雪菜、何処に行こうとしているのかしら」
「っ、クロさん……!?」
抜き足差し足で廊下を歩いていた雪菜は、背後からかけられた声に、危うく叫びそうになってしまった。
「お兄ちゃんとヤミのこと、信用したんじゃなかったのかしら?」
「い、いえ、ちょっとトイレに行こうとしただけで……」
「通り過ぎてるじゃない」
「本当は台所に飲み物を……」
「雪菜?」
「……はい」
おとなしく認める雪菜。
「ひょっとして、クロさんも気になって覗きに行こうと思ってるんじゃないですか?」
クロの性格なら十分にあり得る話だ。期待を込めて言うが、帰ってきた返事は、
「残念ながら違うわ。別に今日あそこに入っていこうなんて思ってないわよ」
「そんな! あなたは本当にクロさんですか!?」
「失礼な物言いね!」
ここが防音のしっかりしている特殊建造物でなかったら、周りが起きてくるような音量で言い合う。
「こういう状況じゃなかったら、そんなまともにしゃべったりできないでしょ。特にヤミが」
「それは……」
「色々と状況も変わってきてるんだし、ヤミもこれ以上1人で行動させられないじゃない。メアって娘のことだってあるんだし」
「はい……でもその結果、ヤミさんまでライバルになったら……」
「それはその時よ。それはまた別問題(まあ、アインハルトに綺凛もって状況で、これ以上ペースを上げられても困るんだけど……そもそも、ヤミに出ていくつもりがあるんだったら、とっくの昔に出て行ってるわよ。そうしないってのはつまり、ここがある程度居心地の良い場所だってことなんだから……あーもう!)」
「や、でも、ヤミさんですよ? 一度助けられてますけど、それだけで、その、好きに、なったりはしませんよね……?」
「劇的なイベントがあったわけじゃないのに、恋愛感情の無かったあなたが、1週間でメロメロに落とされてるでしょーが!」
「うっ……」
わが身のことを思い出し、絶望の表情になる雪菜。
「別にそっちの方で遠慮する必要は無いのよ。っていうか、雪菜は遠慮しすぎ。もっとグイグイ行きなさいよ。ちょっとだったら、私も協力するから。だから、今夜はやめましょう?」
「はい……ありがとうございます」
「話は聞かせてもらった」
「絶対聞いてないでしょ。私は邪魔するなって言ったのよ?」
いつの間にか登場した耀。目を爛々と輝かせる問題児は絶対にちょっかいをかけると意気込んでいた。
彼ら3人の攻防は、夜明けまで続くことになったのだった。
今年の投稿はこれが最後になります。
来年もよろしくお願いします。