一方通行は夢を見ていた。
この能力はいつか世界そのものを敵に回し、本当に全てを滅ぼしてしまうかもしれない。
そう思ったのは小さいとき、怖くなって振るった腕が、相手をバラバラに引き裂いた時だった。
まだまだ最強の超能力者ではなかった時。突っかかってきた同級生が悲鳴を上げ、止めに入った教師が吹き飛び、出動した管理局員が千切れ飛んだ。
彼はただ怖がっていただけだった。
振り上げられる拳が怖くて、がむしゃらに腕を振るっていただけだった。
だが、最新機器の残骸や彼に傷つけられた人が積み重なっていくと、彼も気が付いた。危険なのは自分の方だと。
このまま自分に向けられる脅威を跳ね返し続けていれば、そのうち世界そのものを破壊しかねないのではないかと。
そうならないために、他人に何をされても動じない人間になることを選択した。軽く撫でただけで人が死ぬのなら、何をされても感情が動かない氷のような人間になれば良い。
決定的に間違えた選択をしたまま、少年は成長した。
そんな一方通行にすり寄る研究者がいた。
「だが、最強の先へと進化すれば何かが変わるかもしれないよ?」
その言葉は、錆び付いた心の隙間に染み込んできた。
「その為には計画に従い実験の遂行を」
チカラが争いを生むなら、戦う気も起きなくなる程の絶対的な存在になればいい。
今考えれば、本当に。
「何やってンだ、俺……」
―――――――――――――――
「ァ……っ」
一方通行の意識が覚醒する。徐々に感覚がはっきりしていく。
鼻先を起点にしてじくじくという痛みを感じていた。顔をしかめると逆に痛みは強くなる。
「クソ……」
遅れていつも自分が寝ている、ボロボロの部屋ではないと気が付いた。真っ白な布団に標準的なマットレス。病院のベッドだ。
頬に鬱陶しいものが張り付いている。
手を動かして確認すると、それは傷口を抑えているガーゼだった。
「あァ、そういやァ……負けたンだっけか」
気を失って病院に運び込まれる。これを負けと言わずに何と言えばいいのか。
生まれて初めて、戦闘での敗北を喫した一方通行だったが、不思議と心は穏やかだった。自分を殴り飛ばしたあの男へ報復する。そんな考えは全く起きなかった。
虚無感、というの場一番正しいのかもしれない。『最強』という肩書のために入れていた力が一気に抜けて、しぼんでしまったかのようだ。
その時、病室の扉を開けて1人の女性が入ってきた。
「あら、起きたみたいね。一方通行」
「テメェは……芳川 桔梗だったか」
白衣を着ているが、医者にしてはその白衣は薄汚れている。色の抜けたジーンズによれよれのTシャツと、清潔という言葉とはかけ離れた格好をしていた。
「流石ね。言葉を交わしたことは、1度か2度しかなかったと思ったけど」
「研究員を止めて、医者にでも転職したのかァ?」
「残念、ハズレ。聴診器の1つもぶら下げていない医者はいないわよ」
「見舞いを頼ンだ覚えはねェぞ。紛らわしく白衣まで着てよォ。俺が病院に担ぎ込まれて、焦ってそのまま来ちまったのかァ?」
芳川は椅子に座りながら肩をすくめる。
「それもハズレ。あなたがここに運び込まれたのは単なる偶然よ。ここにいたのは実験の大筋とは別の用事があったから」
「あァ?」
大筋とは別、ということは。
「そう。大筋とは別だけれど、別の意味で実験に大きな関わりがある要因。そのことでここに来たの。より正確には、待機しているのよ」
特に一方通行は聞き返さなかったが、芳川は続ける。
「
「
飲食店以外では聞かない言葉だ。
「そう。検体番号20001。開発コード
「……ちょっと待て。20001だと? 実験は2万人ジャストで終わりじゃなかったのかよ」
「あら、興味が出てきた?」
「おちょくるンなら、余計な音も『反射』してやろォかァ?」
話しかけてきたから疑問を返しただけ。それ以上の興味が無い一方通行。
「ごめんなさい。質問に答えると、
2万人もの人造能力者を使って行う実験。妹達は従順に従っていたが、もし反旗を翻されれば一大事だ。
2万人もの能力者を、非力な研究員だけで取り押さえるのはまず不可能。
さらに、一般人に知られれば隠ぺいは困難。実験も終わりになるかもしれない。
そのために用意されたのが
「ミサカネットワークという言葉を知っているかしら」
一方通行には聞き覚えがあった。
妹達の間でつながっている脳波リンクのようなものだ。ネットワークそのものが巨大な意思を持っていて、各妹達を操る術もあるとかなんとか。
「
最高の安全装置という訳だ。
「それ故に、
「人型のリモコンたァ、エグいもンを作るぜ」
知識のある人間が使えば、妹達を自由に操作出来る非常に危険なリモコンなのだ。
「それで、そいつがいなくなったと」
「そうね、大問題だわ」
「いつ分かったンだ?」
「だいたい10日前ね」
「ンだと!?」
10日間も見つけられず、生死の確認も取れていないというのは、いささか悠長な対応だ。
「仕方がなかったのよ。この実験は黙認されているとはいえ、知られれば国際法違反の犯罪。管理局や武偵に泣きつくことも出来ない。残った私たちは、そういうことについては素人だもの」
さらに言えば、そのころから翔の研究所襲撃も始まり、御坂の分と合わせて後処理の量が2倍になったことも大きかった。
「本当に、今頃どこにいるんだか」
その顔には、隠しきれない心配の色が見える。機密の漏洩ではなく、ただ純粋に妹達を案じる顔だ。
芳川は甘い女だった。
自分たちの実験で使うはずの妹達に、遺伝子レベルで同じ顔の妹達に、わざわざ名前を付けて区別しようとしていたことがあった。
妹達をかわいそうに思うのなら、実験から手を引けばよい。無駄と知っても抗議活動をすればよい。
しかしそういうことはしないのだ。
何処まで行っても、優しいのではなく甘い女。それが芳川 桔梗だった。
「もう死ンでんだろ。精神と肉体は幼いままってことは、いつものヤツらよりもガキって事だろォが。そんな奴が、誰の手も借りずに生きていられるわけがねェ」
この島も治安が良いわけではない。
警察機関として管理局はいるが、同じくらい能力者の犯罪がある。
「ああ、いえ、生きてはいると思うのよね」
「根拠があるのか?」
「実は今、
「……おい」
いきなり出てきた不穏な単語に、思わず素でツッコむ一方通行。
「どうしても見つからなくて、
「ウィルス起動から10分後、ミサカネットワークを介してすべての妹達に感染。予測できる症状は、人間に対する無差別な攻撃ってところね。そうなるともう最後、あなたと戦うためにあらゆる戦闘方法を教え込まれた1万人の能力者が、人を殺して回ることになるわ」
「……、……、ちょっと待て。今起きるって事か? そいつが?」
「それは分からないわ。でも、今すぐに起きてもおかしくはないの」
通常時の島であっても、それは大事件だ。
しかし、今は8月だ。様々な大会で選手が集まり、大会を見るために島の外からも人が集まる。さらには各国の要人が集まり、島のことについて話し合う会議も開かれる予定になっている。
そんなところで妹達が暴走することになれば、
「人造能力者、それも1万人が暴走する。一研究の失態じゃすまないわね。多数の民間人が犠牲になる。要人が犠牲になれば、戦争の火種にもなりうる。この島の存続にかかわるレベルの大失態になるわ。過激な国からは軍艦やミサイルを向けられるかもしれない」
いずれにせよ多くの人命が失われることになる。
「ンで? そいつはいったい誰が原因なんだ? 産業スパイにでもやられたか、それとも戦争を望む兵器会社の陰謀かァ?」
「さあ、そこまでは。私は探偵じゃないもの。でも手口の鮮やかさ……特に
ここで芳川はいったん話を切り、
「それで、一番最初の質問に戻るけど」
「何だったか……」
「私がどうしてこの病院にいるのかって話よ」
「あァ、それか」
一方通行は話のインパクトですっかりと忘れてしまっていた。
「この病院にいるのは、
「見つかるアテがあるってのか?」
「今は色々あって管理局に探してもらってるわ。色々なめぐりあわせのおかげね」
芳川はこの状況を打破するために、協力者を見つけることにした。
選ばれたのは、クローディアと協力する前、独力で調べようとしていた翔だ。
「ネット上のセキュリティはかなりおざなりだったから。アドレスを調べてメールを送ったのよ。実験についてわざわざ調べてるくらいだから、協力してくれるんじゃないかと思ってね」
それが今日。つまり、翔が居なくなって大騒ぎしていた女の子たちのところに届くことになった。
そこから女の子達に情報が共有されることになったのである。
女の子達は、あまりの規模の大きさに六課に連絡を取ることにしたのだ。その時は、既に夕方。翔が一方通行と戦う少し前だった。
「そこから事情を説明して、実験に関わった残りの研究者の逮捕と、
それで芳川の話は終わりだった。
「待ってるって言ってたなァ。俺としゃべってる暇があるわけだ。随分と余裕じゃねェか」
「今はワクチンプログラムの精査中よ。PCで判断して、ダメな箇所をもう1度修正する。これが5回目ね」
「まァ、せいぜい苦労するンだな。全部お前らの管理の悪さが責任だ」
「そうならないように、私たちは努力しているのだけどね」
本当にどうしようもないと判断された場合は、『処分』するしかない。
たった1人を犠牲にすることで、世界を守るのだ。
「もちろん、君にも出来ることはあるわ」
「……はァ?」
ここでようやく、どうしてここまで芳川が丁寧に説明してくれたのかが分かった。
「おいおい、誰にモノ言ってンのか分かってンのかオマエ。オマエの目の前にいるのは、ついさっきまでその妹達をぶっ殺してた張本人だぜ? いくら人がいても足りねェって言ってもよォ、頼る相手ぐれェは選ぶべきだぜ」
「私たちが実験に誘わなければ、あなたが妹達を殺すことは無かった、と言わせてもらうわ。それ以外の方法を、私たちが提示できていれば」
「テメェが人を殺した理由を他人に擦り付けるなンざァ、三下のやることだ。同意書にサインしたのは俺なんだからなァ」
「ああ、そうそう。言うの忘れてたわ。実験、凍結されたわよ」
「……」
芳川が見せたメールには、確かにその旨が記載されていた。
「どうやらあなたが負けたことで、計算に修整出来ない不具合が出たらしいわね」
「……そうかよォ」
まさか、こんなあっさりと実験が中止になるとは。前人未踏を目指した実験が、まさか自分の敗北1回で潰れてしまうとは思っていなかった。
だが一方通行は、何となくそんな予感はしていた。
ならばこれから自分はどうなるのか。一方通行は漠然とそんなことを思う。管理局がかかわっているとなると、クローンとは言え殺人を犯している一方通行だ。
クローンの人権や法律についてはあいまいな部分が多いため、最終的な判断には時間が掛かるはずだ。ここから長い生活が始まるのだろうか。胸を張れることではないが、言い逃れをするつもりもなかった。
「出来損ないのクローンを潰さなくてよくなって清々する? レベル6になれなくて残念? 自分の時間を無駄にされてイライラしてる? 実験に参加して、後悔してる?」
「……そこそこ面白れェ話だったぜ。話が終わったらとっとと出ていけよ」
「ええ。そうさせてもらうわ。それじゃあ、よろしくね」
芳川が部屋から出ていくと、一方通行は小さく舌打ちした。
「……クソったれが」
本当に嫌な気分だ。実験の中止をすんなり受け入れられたというのに。今はそんな些細な事などどうでも良くなっている。
星の数ほど人を殺した相手に、芳川はいったい何を頼んでいたのか。
今更そんな選択肢を提示され、どうしろと言うのだろうか。
今更見知らぬ誰かのために、この何かを壊すことにしか使えないチカラを使えと言うのか。
「蔑めよ。俺はこの期に及ンで、救いが欲しいみてェだぜ」
頬に張られたガーゼをはがしつつ、そう言うのだった。
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30分後、芳川が病室に戻ってきた。
「貴方に勝った男の子、病院を抜け出したらしいわよ。まさか、八神はやての隙をついて抜け出すなんてね。私がメールを送った相手と同一人物だったなんて思わなかったけど――――一方通行?」
返事がない。
不審に思って覗き込むと、ベッドは空になっていた。
病院着はベッドの上に脱ぎ捨てられていた。窓は開け放たれ、夜風が入ってきている。
「そう」
芳川は安心したような、慈しむような、優しい―――のではなく、
「お願いね、一方通行」
『甘い』表情を浮かべた。