「クソ、クソクソクソッ!! マシンパワーが足りないだろうが……っ。これで間に合うのかよ……っ!」
天井 亜雄は、自分の車の運転席でせわしなく貧乏ゆすりをしていた。膝の上にはノートパソコンが置かれている。限界まで稼働し、ズボンの上からでも熱くなっているのが分かった。
助手席には1人の子供が乗っていた。御坂美琴をそのまま5歳くらいにした女の子だ。呼吸は浅く、汗の量も凄まじい。
調子が悪いのは一目でわかる。
「頼む、
天井が祈るように声を絞り出す。
この少女こそ、2万人の妹達が形作る『ミサカネットワーク』に指令を送ることのできる個体、
体の至る所に電極が貼り付けられ、存命ギリギリのバイタルをPCに映し出している。
頭には
天井は元々、量産型能力者計画の責任者だった。しかし、
計画は頓挫し、研究所は閉鎖。多額の借金が残るだけだった。
落ちるところまで堕ちるはずだった天井を救ったのは絶対能力者進化計画だ。この実験が成功しなければ、借金はそのまま。死ぬよりもつらい目に遭う可能性すらある。
そして今日、絶対能力者進化計画すらも失敗に終わってしまった。
もはや何をしても終わってしまう運命だったが、それでも、怪物化したティアーユの命令には逆らえなかった。
ティアーユの指令は簡単だった。
「それがこんなに……っ」
今にもこと切れてしまいそうな
元々
それを無理やり培養器から出して、酷使させているのだ。
天井も、もっと良い環境で仕事をしたがったが、管理局と武偵の目が厳しすぎる。関連施設に行けば、すぐに捕まってしまうだろう。
結果、市街地から離れた場所の、車の中で震えているという訳だ。
「ッ!? あ、ああ……」
天井の目は人影を捉えた。
「ああああああああ――――――!」
逃げなければ。その一心で、アクセルを踏んだ。急速に回転したタイヤが地面を掴み、車は一気に加速した。
愚かにも、目の前に現れた一方通行に向かって。
「……」
3秒後、車と一方通行は正面からぶつかり合った。
車体がひしゃげる音ではなく、コンクリートが砕ける音がした。
衝突のベクトルをすべて下に。車のタイヤはすべてパンクする。
ポケットに手を入れた一方通行が、何事もなかったかのように、運転席のドアに手をかける。
空けるのではなく、引きはがした。鉄くずになったドアを適当に放り投げる。
「よォ」
「ひっ――――」
肩を掴まれた天井は情けない声を出し、次の瞬間には車外に放り出されていた。コンクリートの上をゴロゴロと転がり、気絶する。
「首は捻挫したかもしンねェなァ。まァ死ぬよりはいいだろ」
一方通行は助手席にいる少女を確認し、電話をかける。
電話の主は、出るなり、
《一方通行? あなた、今何処に――――》
「芳川か?
《……本当?》
電話の主、芳川 桔梗の声が一気に冷める。
「あァ。実験の研究員の、あー、天井だったか? そいつと一緒にな。天井はそこらへンで寝っ転がってる。場所は―――」
一方通行は状況を説明していく。
《わかったわ。とりあえず、すぐに管理局が向かうように手配するから》
「早めにしたほうがいいぜ……このガキ、体に電極やら何やらが付いてるが、はがしちまってもいいのか?」
《ちょっと見せて》
一方通行はビデオ通話モードにして、
《どっちでも問題無いわ。ただの妹達の身体検査キットだから。それを使ってPCに情報を移しているの》
「そうか」
とは言え、もしもがあってはよろしくない。下手に触らないように心掛ける。
《それにしても、あなたが動いてくれるなんて思わなかったわ》
「うるせェよ。あンなこと言って、その理屈は通らねェだろうが」
《それでも、予想外だったということよ》
「ミ、サカ」
「あァ?」
目をつぶったまま、
うわごとのような単語だったそれは、
「み、さカ……みさか、ミサカは―――ミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはミサカはmfivosivnsprサbnsか―――――!」
突然、意味不明な事を叫びだした
「おい芳川! これはどォなってやがるっ!! どういう症状だ!」
《落ち着いて! なんて言ってるか、私にも聞かせなさい!》
車内にもはや人の言葉ではない叫び声だけが響く。
《そんな……》
「分かったのか?」
《ウイルスコードよ、それ。もう起動状態に入ってる》
「ッ!?」
PCには赤い警告ウィンドウが何重にも表示されている。
だが、一方通行がしてあげられることは無い。
《いえ、まだ手はあるわ》
「なンだと……?」
《そのウイルスはまだ配信されていない。妹達が逆らえない命令に変換するまで残り10分ある。ウイルスが配信されなければ、妹達が暴走することは無い》
「おい……」
《それしか、方法は無いわ》
「おいッ!!」
《処分しなさい。その子を殺すことで、世界を守るのよ》
一方通行は歯を食いしばった。
「俺は、なンのためにここに来たんだ?」
《その行動を起こしたことに意味があるわ。でも今回は……》
「クソったれが……!」
《恨むなら私を恨んで。あなたをそこに向かわせた私を》
どんなに強大な力を持っていても、核が直撃しても生き残るような能力を持っていても、話したことのない少女1人救うことが出来ない。
強大な能力も、思いつく使い方はモノの壊し方だけだ。
人に使うなんて、それこそ血液や生体電気を逆流させて殺すくらいしか――――
「おい、芳川」
《なに?》
「脳内の電気信号さえ操作出来れば、学習装置が無くてもこいつの頭ン中をいじくれるんだよな?」
《まあ、理論的にはそうなるけど……まさかあなた、あなた自身が学習装置の代わりになるって言いたいの!? さすがに無理よ。操作って言っても、それは電子顕微鏡クラスの精密な操作よ。とても人間に行える作業じゃないわ》
「出来ねェことはねェだろうが。実験中、何度も生体電気を操って殺してンだ」
《万が一、学習装置の代わりが出来るとしても、必要のない部分を壊してしまえば意味が無いの。ワクチンプログラムだって用意されてない! ウイルスの除去とワクチンの生成、あなたにはこの短時間で出来るの!?》
『初めて』行う作業にしては、難易度が高すぎる。
もし失敗すれば、何人が犠牲になるかわからない。翔や美琴がやっとの思いで救った妹達が、暴走し、人を傷つけ、最後には殺される結果になってしまうかもしれない。
だが、救われる妹達には
「当たり前だ」
《……っ》
「データをよこせ、芳川」
芳川は甘かった。
10秒ほどで、ウイルス感染前の
これを今の
2つのデータを暗記し、比較、修正箇所をピックアップする。
全ての作業を3分以内に終了させた。
貴重な5秒を使って震える掌を見つる。
「ははっ、なめンじゃねェぞ。俺を誰だと思ってやがる……っ」
そっと
反射を切った掌に伝わるのは、重い風邪をひいたときのような人の体温だ。
「上等だ。愉快に素敵にビビらせてやるよ……っ」
ベクトルを操作する。
修正箇所はおおよそ35万。極限の集中は一方通行の脳を限界まで稼働させる。
PCの警告文が消え始める。一方通行の能力が、悪性プログラムを消した結果だ。
「(そういやァ)」
恐ろしいことに、一方通行はこの作業に慣れ始めていた。少しだけ余裕のできた頭にふと疑問が浮かぶ。
「(どうして俺は、こんなガキのために必死になってンだ?)」
今まで1万回壊してきた出来損ないの人形。多少サイズが違うだけで、目の前の少女もその人形の一つのはずだ。
汗水垂らして救ったとして、目が覚めた瞬間に指をさされ、罵声を浴びせられるかもしれないのに。
「(ハッ、罵声を浴びせるなんて、コイツらにそんな器用なマネ出来る訳ねェよなァ)」
警告文はどんどんなくなり、作業終了まで残り30秒。
「(まァ、いいか。そんなことは後で考えれば―――)」
がさ。
「ッ!?」
不自然な物音が後ろから聞こえた。
「邪魔を、するな……!」
気絶していたはずの天井だった。その手には拳銃が握られている。
初めて、その鉛玉を吐き出す武器に脅威を覚える一方通行。
あと少し、あと数秒で能力を取り戻せる。
だが天井がその数秒を待ってくれるわけがない。
天井自身、一方通行が何をしているのか理解していない。だが、大事な
冷静に考えれば意味のない行為でも、冷静ではない天井には――――
「じゃ、ま、を……するなぁぁぁぁぁぁ!!!!」
銃声が鳴り響いた。
一方通行の首が無理やり動かされ、嫌な音が聞こえた。
弾丸は眉間に命中していた。
「(ったくよォ、甘すぎンだろうが)」
すでになくなりつつある感覚を味わいつつ、一方通行は思う。
「(今更、誰かを救えばやり直せるンじゃねェか、なンて)」
今の状況を一番理解していない天井は、拳銃の反動で尻もちをついていた。
「……ぁ、やった? なんだ? 何が起きた? ハハ、どうして私は生きているんだ……?」
頭から血が流れている。あれは死んだ。どう見ても死んでいる。なぜ反射が効かなかったのかはわからないが、頭に銃弾を受けて生きていられるわけがない。
自分にそう言い聞かせ、一番の脅威を取り除くことが出来たと胸を撫で下ろした。だが、次の瞬間、
「不正なコード改ざんを確認。通常記述に従い再覚醒します――――」
「なに? なに、が? なんだよそれは……何が起きて……こいつか、コイツか……コイツがやったのか……?」
そうとしか思えない。
それだけは正しい判断をした。
「は、はは、ははは―――――う、がぁぁぁぁっぁぁぁ!!!!」
天井は絶叫と共に銃口を向けた。何のためらいもなく引き金が引かれた。
「そのあたりで止めておきな」
下からの衝撃で銃が跳ね上げられた。銃弾は空に向かって消えていく。
「お、おまえは――――!」
いつの間にそこに立っていたのか、胸に赤い三日月が刻まれた怪人だ。
「ふ―――」
怪人は何もしゃべることなく、天井を完全に気絶させた。
「さてと……」
怪人は車の中を確認する。
問題は頭から血を流した一方通行だが、
「悪運は強いみたいだな」
ギリギリで処置を完了していた一方通行は、頭蓋骨を割られる程度で弾丸を反射していた。重症には変わりないが、即死するような事態は避けることが出来たのだ。
今すぐに病院に連れて行けば助かる。そして、芳川が手配した管理局員も到着しているのだ。
「あんまり拗らせるなよ。俺みたいになっちまうぜ」
そう言うと、刀を握り直した。
「それで? いつまでそこで覗いてるつもりだ?」
「……流石、気づいていたとはね。ジャグラス・ジャグラー」
木陰から顔を出したのは、ついさっき、ジオウを祝ったウォズだ。
「こそこそするなよ。俺とお話しようぜ。それとも、管理局の取調室の方がお好みか?」
「いや、あいにくだが、私は私で忙しい。ここに来たのも確認のためだ」
「確認……?」
「ああ。歴史を変えた結果。事が予定通りに進んでいるのかの確認だよ。確認は取れた」
ウォズは手に持った大きな本をめくりつつ言う。
「気に入らねぇな、その態度。自分のことを上だと思っている、その態度はッ!」
「私は偉大なる救世の魔王の配下だ。配下ですらない、操り人形の君程度では、その差はしょうがないのだよ」
「なんだと……ッ!」
ジャグラスは斬撃を飛ばすが、ウォズのマフラーが回転してはじき返す。そしてそのまま、どこかへ飛び去ってしまった。
「操り人形、ね……」
ウォズの言葉を反芻し、1つの結論に思い当たる。
「すべて教授、アンタの差し金だってことか……?」
ジャグラスとメアに実験の情報を与えたのは『教授』だ。
翔は行動を起こしていただろうが、このタイミングで一方通行と対決することが出来たのはメアが妹達と一緒にいたからだ。
一方通行を倒すことが出来たとして、その後の妹達暴走を止めるには六課の助けが必要だった。
六課がこの事件に関われたのは、ジャグラスがゼットンをけしかけたから。その始末に六課が駆り出されたからだ。
そのすべてを計算に入れてジャグラスとメアに情報を与えたのだとすれば? あの『教授』なら、その程度のことは出来てしまうのかもしれない。
知らず知らずのうちに、盤上のコマの一つとして扱われていたのかもしれない。
「あり得るから困るぜ。こいつは確かに無様だな」
教授のことを甘く見ていたのはジャグラスだった。
しかし、この結論に到達できるのはイ・ウーの内情を知っている人間だけだ。だがウォズという男、イ・ウーで見たことが無い。
となると、
「あの男、いったい何者だ?」
今それを考えても仕方がない。今は任務をこなす方が先だ。
思考をリセットし、連絡を取り始めるのだった。