綺凛にムサシ眼魂を渡した次の日。朝練に来た俺だったが、
「そうか……綺凛は寝坊か」
綺凛は寝坊でお休みらしい。ムサシ眼魂の影響について聞きたかったんだが。
「はい。珍しいですよね」
確かにそうだな。剣術道場の娘だからか、今まで綺凛が寝坊したところは見たことがない。まあ、それを言ったらアインハルトもそうなんだけど。え、俺? お、俺はほら……夜更かしすることがあるから……
それが今日に限って―――ムサシ眼魂を持って帰った次の日となると、何かあったのではないかと勘繰ってしまう。
だが来ていないものはしょうがない。連絡は取れてるみたいだし、ここはいつも通り朝練をするとしよう。
「はい、それでは―――」
俺たちはいつものメニューをこなす。綺凛がいないからと言って特にトラブルが起きることはなかった。
あっという間に朝練終了の時間になる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ」
最近では体力がついてきたのか、朝練が終わっても疲労を感じることがなくなってきた。あるのは運動後のさわやかな解放感だけだ。
いくら異能で体を強化出来るといっても、根底にあるのは生身の身体だ。そこをおろそかにするわけにはいかない。
「そうですね。覇王流でも基礎トレーニングは徹底するようにとされていますから」
どんな流派でも下地にあるのは体づくりってことか。それもただの見せる筋肉ではなく、実践で役立つ柔らかい筋肉が。や、わからんけどね。専門家じゃないし。
「その考えで合っていると思いますよ。自分に見合わない大きな筋肉は、逆にスピードを殺すことになってしまいますから」
「どうりで」
練習用のスパッツに包まれたアインハルトの足を見る。やっぱり、むっちりしているのではなく引き締まっている。腕や腰回りもだ。六課での訓練も始まったし、俺もそのうちいい感じの細マッチョになるのかもしれない。
「あ、あの……そんなにじろじろ見られると……」
「そうだな。悪い」
俺は視線を足から顔にずらした。足をまじまじと見られるのは恥ずかしいだろうという判断だったんだけど。
「い、いえ! 翔さんが見たいとおっしゃるのなら、いくらでも……!」
それが逆にアインハルトのやる気? を引き出してしまったらしい。確かにスパッツに包まれた健康美はいくらでも眺めていたいし、なんなら触ってみたい気持ちもある。だが、時間が迫っているもの確かだ。早朝に訓練している都合上、そこまで時間に余裕がある訳ではないのだ。
「……アインハルト、お前『見てほしい』じゃなくて、『触ってほしい』じゃないか?」
「っ!!」
俺の一言でアインハルトの顔が真っ赤に染まる。『触ってほしい』とはただ触るだけではなく、その先の行為も指した意味だった。
アインハルトの反応を見ると、その指摘は間違っていなかったようだ。
「綺凛がいないからって、お前な」
「ち、ちが、ぃ……ませんけど」
意外にもアインハルトはあっさりと認めた。恥ずかしいのか段々と尻すぼみになってたけど。
「だって、その、大会終わってからしてない、ですし。他の方とはしてるんですよね……?」
「まあ……」
思えば綺凛も(おそらく理子の入れ知恵があったとしても)、あの着衣水泳のトラブルをうまく利用して俺を家に連れこんでたもんな。
それに比べてアインハルトはまじめな性格が災いして、そういった機会に恵まれていない。俺と一緒に住んでいないから、昨日の桜のようにこっそり誘う、といったことも不可能だ。
実は大会が終わってから、アインハルト達とまともに顔を合わせているのはこの朝練だけだった。年齢や生活サイクルが違うのだから当然ともいえるが。
結果、約一か月半の間、俺との行為がないまま過ごしたことになる。意外とむっつりだったアインハルトにはつらい期間だったのかもしれない。
「……翔さんのせいで、こうなったんですもん」
「……や、結構アインハルトが自分でこうなったんじゃないか?」
俺から後輩の女の子にその手の話をふることはなかったし、アインハルトからふられたこともない。綺凛はその気配があったんだけど、アインハルトの場合はミカヤさんの道場での一件が初だった。
まあ、どっちが原因とか言い争っても意味がない。重要なのはそちらではなく。
「じゃあ、するか?」
「い、今ですか!?」
「や、まさか……」
外だし。朝だし。学校もあるし。
「そ、そうですよね! アハハ……」
……まさかとは思うけど、アインハルトの中では今から、学校に遅刻することも覚悟でOKだったってことはないよな? いやいや、まさかね。
「じゃあ放課後とか?」
昨日の今日でという話になってしまうが、結局のところそうするしかない。謹慎期間で俺から会いに行くわけにもいかないが。
「ぇ、でも、放課後は皆さんとの練習が……ぅぅっ」
『皆さん』というのはヴィヴィオ達のことらしい。何でも今日は八神道場の面々との合同練習があるのだとか。よりにもよって今日。この話をしたタイミングとは何とも間が悪い。
「そこはアインハルトに任せるけど」
「……さすがに今日の練習をお休みするわけにはいきませんから。また後日で、その、お願いします。明日、とか、どうでしょうか……?」
今日はだめだから明日しようというのもすごいとは思うけど。アインハルトはあんまり意識してないみたいだ。自分のセリフの意味を理解していないのか、緊張した面持ちで俺を見ている。
だが俺も、その日その場で誘われることはあっても、こうして約束を取り付けてする機会はあまりなかった。
「(明日、ね)」
1日しか休んでいないはずの俺の息子は、期待に少しだけ硬くなっているのだった。
―――――――――――――――――――
「え~と、綺凛、綺凛……」
そして昼休み、俺は家に帰る前に綺凛の様子を見ておこうと中等部の校舎に足を運んでいた。
メッセージでは連絡を取ってみたが、予想通り『全然大丈夫です! 気になさらないで下さい!』って返事が返ってきたからね。普通とは違うことが起きたのに、本人が言う『大丈夫』ほど信用出来ないものはない。
中等部に入ると嫌でも視線を集めるが、最近は高等部でも同じくらい視線を集めてるからな。
中等部では『高等部の人がこんなところで何してるんだろう』、高等部では『あれが噂の婚約者の……』という違いはあるけど。そのうち中等部でもそういう目で見られるのかもな。
適当なことを考えていると、綺凛のクラスに到着する。
顔をのぞかせると、ちょうど友達と話していたらしい綺凛と目が合った。
「ぁ、ごめんね、ちょっと」
すぐに立ち上がってこちらに駆け寄ってくる。
「どうしたんですか、先輩? あの件でしたらメッセージを送ったと思うんですけど……」
「や、一応自分の目で確認しておきたくてさ。本当に何ともないのか?」
「はい」
「変な夢とか見てない? 夢の中で武蔵が語り掛けてきたり」
「―――はい。ありませんよ」
「そっか……」
淀みない解答に、俺は納得せざるを得ない。
夢の中で何かってのが、一番可能性あると思ったんだけどな。それもなかったのか。でも、じゃあなんで今日は寝坊を?
「そういうこともありますよ」
そういうこともあると言われれば、そりゃそうなんだけど。
「……ま、何かあったら言ってくれよ。言われてもすぐにどうにかできるもんじゃないけどさ」
「はい、わかってますよ、先輩」
話は終わった。『それでは』と一礼した綺凛が自分の席に戻っていく。
それを見届けた俺も体を回転させ教室から離れる。
今日の合同訓練、綺凛も参加することになっているらしいからな。何かあったら連絡があるだろ。
「俺も帰るか」
歩き出したのだが、
「あ」
「あ」
特徴的な青い髪。ショートとミディアムの間くらいの、肩にかかるくらいの長さ。そして俺を見た瞬間にその目に攻撃的な色を浮かべ、それを隠そうともしない真っ直ぐな性格。
「どうも、美樹さん」
「……ども」
この世界では雪菜の友人である『美樹 さやか』がそこに立っていた。周りには他の人物の姿は見えない。完全に一対一だ。
間に雪菜がいないときには、正直会いたくなかった人物だ。雪菜に聞いたところによると、まどマギキャラの中で俺の立場はかなり低くなっているらしいからな。その中でもさやかは、もはや敵意すら向けているのだとか。
そうなる前に少し反論して欲しかったところだが、
――――
「皆さん言うんですよ。複数の女性とお付き合いしてるのはどうなのかって」
「そりゃみんなが正しいわ」
「ですよね、先輩」
「……うん」
「いえ、理解してますけどね? 先輩の事情については」
「……ほんとですか?」
――――
って感じで、今では俺のせいで雪菜が友人関係で悩んでいないのか、不安になる日々だ。
あいさつは交わしたが、俺にこれ以上の話題はない。そのまま立ち去ろうとしたが、
「雪菜に会いに来たんですか?」
「……や、綺凛にな」
「キリン? ……ああ、刀堂 綺凛ですか」
前に一度、綺凛のトラブルの時に会っていたからか、綺凛のことは知っているみたいだな。
「中等部では有名人ですから。近接戦闘の授業ではいつも引き合いに出されてますよ」
「ああ、そういう」
中等部と高等部では当然授業の内容が違う。高等部では自分の専門を自分で選択して学んでいくが、中等部ではいくつかのクラスが合同で、体育の授業の様に1つの技術の基礎を学ぶ。
綺凛の実力を考えれば、みんなのお手本にされてもおかしくないだろう。しかもそれが学年を超えて轟いているとはね。みんなの前に出て恥ずかしがっている綺凛の姿が目に浮かぶな。
と、そこに、
「先輩!」
「「雪菜!?」」
雪菜が現れた。走ってきたのか少し息を切らしている。
「ごめんね、さやかちゃん。先輩、私に用があるんですよね?」
「いや、この人、刀藤先輩に会いに来たらしいよ」
「……綺凛ちゃんのことで、私に用があるんですよね?」
「そ、う、だな! そうだったそうだった!」
雪菜の助け舟に何とか乗り込むことに成功する。
「じゃあさやかちゃん、ちょっとゴメンね!」
「あ、う、うん」
雪菜が俺の背中を押して、さやかから離れた。
「それで、あの件ですか?」
あの件―――ムサシ眼魂のことはすでにみんなに伝えてある。
「ああ。でも、特に何もないって」
「……本当ですか?」
「俺も本当かどうか疑わしいと思うんだけどな。本人が答えてくれないんじゃしょうがないよ」
「綺凛ちゃんが先輩に隠し事、ですか……? うーん……」
「とりあえず、雪菜も気にかけてあげてくれ。何かあった時、雪菜の方が近いんだし」
「はい、分かりました」
「こっそり、式神で見張っておくのもいいんじゃないか? 俺にしてるみたいに」
「……気づいてたんですか?」
式神は分からないが、あんなに脈絡なく登場してきたからな。原作でも古城相手にしてたし。
「流石に式神で見張るのは……本人の許可も得ないとですし」
「俺、許可とられた覚えはないけど?」
「先輩はいいんです。先輩ですから」
どういう意味だ。ま、いいけどさ。
「じゃあ、俺は帰るから」
「はい。寄り道せずに帰って下さいね」
子供に対するお母さんのような言葉を背に受けながら、俺は中等部を後にするのだった。
―――――――――――――――――――――
「「「こんにちわー!!」」」
「おーっす、よく来たな」
元気よくあいさつするのは、ヴィヴィオ、リオ、コロナの年少ちびっこ組。それに応えるのはヴィータだ。
「ヴィヴィオさん、お久しぶりです!」
「ミウラさん!」
元気がいいのは八神道場の面々も同じだった。その中でもひときわ元気なのは、インターミドルの大会でヴィヴィオと熾烈な試合を繰り広げたミウラ・リナルディだった。
ミウラも今日の訓練を楽しみにしていたのだ。
和気あいあいとした雰囲気で始まる合同訓練。基礎的なストレッチから始まり、全員で列をなしての走り込み、お互いにアドバイスをし合っての型の練習。
だがその訓練時間はいつもよりも短い。
なぜなら今日のメインイベントは、
「よっし、んじゃ、そろそろスパーはじめっか」
「そうだな。ガキ共も待ちきれねぇらしいからな」
「「「やったー!!!」」」
練習試合の様に、お互いのチームの垣根を超えた交流戦だからだ。
その最初の対戦相手は、
「こっちからは綺凛だな」
「こっちはユウキだ……おい、ユウキ!!」
「え? は、はい!」
「どうした? ボーっとして」
「そんなことないですよ! じゃ、やろっか、綺凛さん」
「はい、よろしくお願いします、ユウキさん」
2人が広場―――八神道場で手合わせのスペースとして使われている場所に案内され、剣を抜いて向かい合う。お互いの刃が太陽の光を反射してきらりと光った。周りを囲む子供達もおしゃべりをやめ、2人に見入る。
「よし―――始めッ!!」
「はっ!!」
「やぁっ!!」
ヴィータの合図とともに打ち合わされる剣劇。それはインターミドルの試合の再現だ。
だが2人の指導者はその動きを見てすぐに眉を顰めることになった。
綺凛の場合、鶴を折るが如しと言われる連鶴がどこかぎこちない。連撃と連撃の間に無駄な力が入っているせいで、一番の持ち味が死んでしまっている。
ユウキはまるで回避を忘れてしまったかのように行動がワンテンポ遅い。綺凛の連鶴が本来の速度でなければとっくに勝負がついてしまっているだろう。
「ストップストップ! やめだ! やめ!」
ヴィータは慌てて試合を止める。そして2人を呼び寄せた。それぞれのコーチが事情を聴く。
「どうした、綺凛。ずいぶん剣が荒いぞ」
「ユウキもだ。ふらふらしやがって。気ぃ抜いてんじゃねえぞ」
コーチに注意された2人は素直に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。実は……その……今日の合同訓練が楽しみ過ぎて、昨日あんまり眠れなくて……」
「ボクもだよ~。いやー、今日の練習が楽しみすぎて眠れなかったんだよね~」
「お前らな……睡眠不足で訓練したらケガすんぞ」
「だな。楽しみにしてんのはいいがけどな」
遠足前日の子供の様な理由に、ヴィータとノーヴェは苦笑いしながらもため息を吐いた。
「しゃーねぇ、2人とも、今日は見学だな」
「それかさっさと帰って寝とけ。明日に引きずらねえようにな」
ノーヴェからは見学、ヴィータからは帰って休む、という選択肢が提示された。
それ以外は、たとえ軽いランニングでも許さないという意思を込めて。この2人の性格を考えると、どうしても続けたいと駄々をこねるかもしれないと思ったからだ。
「……すみません。それじゃあ私は、今日はお休みさせていただきますね」
「うん。ボクも今日は帰って休むことにするよ」
「ぁ? お、おう。そうか」
「……じゃあ、気をつけて帰れよ。寄り道すんじゃねーぞ!」
予想以上にあっさりとした態度に、2人のコーチは反応がワンテンポ遅れてしまう。
「はい。わかりました」
「それじゃあ、ボク達は帰るね。さよなら~」
軽い挨拶をして2人は訓練場を離れていく。
「綺凛さん……」
「ユウキさん……」
2人の友人たちはその後ろ姿を不安そうに見送るのだった。