何とか翔達から逃げおおせたアナザーゴースト―――ユウキは手足を引きずりながら家に向かって歩いていた。
エジソン魂の電撃は確実に効果を表している。いまだに体はしびれて感覚があいまいだし、乱れた呼吸が元に戻ることはない。一刻も早く家にたどり着かなければ、その場に倒れこんでしまいそうだ。
「(ごめん、姉ちゃん。今日は行けそうにないかも)」
苦渋の決断ではあるが、ここで倒れてユウキが捕まるわけにもいかない。1日程度なら大丈夫だろうと判断して姉の訪問をあきらめることにした。
アナザーゴーストは夜明け間近の道を歩いていく。時たますれ違う人や車も、アナザーゴーストには何の反応も示さない。いつも通り、自分は幽霊として常人の目には触れない存在になっているのだ。
そのはずだが、
「(なん、だろう? なんか、変?)」
異変は外ではなく自分の中にある、ような気がする。
自分の中にぽっかりと穴が開いたような、いや、違う。ごっそりとなくなっているのはウォッチの力の方だ。直接的な力が落ちているというわけではないが、その存在自体をほとんど持っていかれた、そんな予感がある。
「(あの時なのかな)」
戦っている最中、自分から光が放たれ、相手の手に収まった。あの時は戦闘中で余計なことを考える暇がなかったが、心当たりとしてはそれしかない。
なくなった部分を埋め合わせるように、自分の存在が引きこまれていくような感覚。
「うぐっ」
末端からじわじわと冷えていく。気が付いた時には地面に転がり、体が動かせなくなっていた。
「(まず、い……一回、変身を、解除……っ)」
光とともにウォッチが体外に排出され、ユウキの姿が八神家を飛び出したときのトレーニングウェア姿に戻る。すると急激に感覚が取り戻されていく。そのことに安堵しながら体を転がして空を見上げると、夜空の一部がだんだんと青くなり始めていた。もうすぐ夜が明けるのだ。
いつまでもここで寝転んでいるわけにはいかない。
「かえら、ないと……」
身体に力が戻ると、今度はどっと疲労感が押し寄せてくる。
それでも一歩ずつ前へ進む。やっとの思いで学生寮に辿り着き、部屋の中に入ることが出来た。
着替えもせずにベッドへ倒れこむ。
「(今日はいけなかったし、明日ちょっと多めに姉ちゃんに渡さないと……)」
そう考えながら、ユウキは目を瞑るのだった。
そんなユウキの一部始終―――学生寮に入るまでを、助けるでもなく物陰から覗いていた男がいた。
「……」
ボロボロのユウキは終ぞその人影に気付くことはなかった。
ユウキがアパートの入り口に消えたところで、男は端末を取り出した。
《オレだ。どうした?》
「ア、アニキですかい? オレ、信じらんねぇもんを見ちまって……」
《なんだ、幽霊でも見たってのか?》
冗談めかして言われたセリフだが、男は唇を震わせながらその場で何度も首肯する。
「そ、そうなんです。ほら、近頃騒ぎになってるじゃあないですか、『路地裏の幽鬼』ってヤツが」
《ん? ああ、どこもかしこもヤツのせいで商売上がったりだって―――って、オメェ、まさか》
「そうなんです! 見ちまいましたよ! 幽霊の、正体見たりってやつです!!」
《なんだと!? 詳しく……いや、まずはそこを離れろ。ヤツには気づかれてないんだな?》
「ええ。ずいぶんとくたびれてる様子でしたからね。ぴったり後ろにくっついてたのに、振り向きもしませんでしたよ」
《わかった。詳しい話はいつもの場所で聞く。すぐに来い》
「へい! いやー、俺らにも運が回ってきましたねぇ!」
アニキの言葉に下っ端らしく従順に頷いた。
男は興奮する心臓を押さえつけながら、いつもの店へ急ぐのだった。
―――――――――――――――――――――――
ユウキに養子の件を持ち出し、険悪な雰囲気になってしまった、その翌日。はやてはいつも通り部隊長室で仕事を行っていた。
「ふぅ……」
書類仕事であることが幸いし、多少別のことを考えていても仕事をすることは出来ていた。だが心の中で考えているのは、昨日あまり良くない形で別れることになってしまったユウキの事だった。
「はぁ……いきなりだったんかな……」
はやてには昨日のユウキの言葉が深く突き刺さっていた。あんなに敵意を向けられたのも初めてだった。
だがはやても諦めていない。
「ん、落ち着いたら、藍子も一緒にお話ししてみよ。全員で落ち着いて話せば、変わるかもしれへんし」
遅かれ早かれ『その時』は来てしまう。話せるときに話しておかなければ取り返しがつかなくなってしまう。
だからその前に―――
「……あー、アカンアカン。こんなこと考えてるから、ユウキにあないな事言われてしまうんや……」
はやては両手で顔を押さえて横に振る。
はやての考えは極めて理性的だ。だがユウキにとっては。大好きな姉がいなくなること前提に話されることが、どれだけ辛いことか。
自分に置き換えて考えてみる。
幼い頃に別れた初代リインフォース。彼女が存在することの危険性を淡々と、理論的に説明され、当時の自分がどういう反応をするのか。
「ま、ユウキと同じやな」
容易に想像できる姿に、思わず笑みがこぼれる。たとえそうなると決まっていても、そのやり方はただの逆効果。
本当に一番良いのは、藍子の病気を治して2人とも養子にすることだが。
「それこそまさに、『夢物語』か……」
強大な魔力を持ち、『歩くロストロギア』などと大げさな比喩で呼ばれることもあるはやてだが、藍子の病気を治すことは不可能だった。
どうにも魔法と病気との相性は悪いらしい。怪我が治せて病気が治せないのは、一説では病気の治る姿がイメージできないからではないか、などと言われているが。
何処でもいい、2人が一緒になって外を駆け回る姿。
「簡単なんやけどなぁ」
ため息を吐いて、仕事に集中する。余計なことを考えないように。
そうしていると、いつの間にか12時半を過ぎてしまっていた。
「ぁ、もうこんな時間……ん、翔君?」
翔から連絡が来ていた。それもメールではなく電話だ。
「どうしたんやろ……はい? 八神やけど、翔君?」
《あ、どうも、お疲れ様です、夜月です》
「ん、お疲れ。どうしたん? 謹慎解除まであと少し、ちゃんといい子にしとる?」
良い子である翔はしっかりと規則は守るところがある反面、必要があれば軽々と規則を破ってしまうことは短い付き合いながら理解していた。
だからこその軽い問いかけだったのだが、予想以上に翔の口調が神妙だった。
《それはもちろん……と、言いたいところなんですけど、そのことで少しご相談がありまして》
「ん~? つまり謹慎期間を短くして欲しいっちゅう事?」
別に短くしなくてもあと数日の謹慎なのだ。しかも今は緊急の事件も起きていない。無理に復帰しなくても良いのではないか。
「(翔君も中々なワーカーホリックやなぁ)」
しかし、一度決めたことを覆すのは無理とは言わずとも面倒だ。あと数日なのだからその間は我慢してもらおう。そう考えたはやては口を開こうとして、翔に遮られた。
《いや、短くというか……俺にしか出来ないことができたので、あ~、これだと相談じゃないな……ま、いっか。やることが出来てしまったので、謹慎期間ですが動きます》
「ぷはっ、確かにそれは相談やないなぁ」
翔の中では確定事項らしい。翔の決意を曲げることは部隊長であるはやてにも不可能だ。そんなことはこれまでの行動を見ていれば分かる。
だが、わざわざ報告してきたことに思わず吹き出してしまうはやて。
「私の目に留まらんようにしといてな? 見つけたら注意しないといけなくなるから」
《はい。それは気を付けます……それで、もう1つお聞きしたいことがありまして》
「ん、何?」
《八神道場のユウキの事なんですけど》
「―――っ」
椅子に座っていてよかったと、はやては心の底から思った。ユウキの名前を聞いた瞬間、体から血の気が引くのを感じる。
何故このタイミングで翔からユウキの名前が出てくるのか。翔が口にした『自分にしか出来ない事』とやらに関係があるのか。翔の事件に対する嗅覚はとても鋭い。何か危ないことに巻き込まれているのではないか。
「な、んで、ユウキの事……?」
様々な予想が頭を駆け巡り、絞り出せたのはこれだけだった。
《や、それがですね……》
歯切れの悪い翔に、
「あの娘に何かあったん!?」
大声を出して、はやてはハッとする。これでは昨日のユウキと同じだ。
でも翔の態度はユウキに何かあったと言っているようなものだ。はやてが焦ってしまうもの無理はない。
「ご、ごめんな。突然、大声出したりして……」
《いえ、それは良いんですけど……そちらも何かあったんですね》
そして確信したのは翔も同じだ。ユウキの名前を聞いた時のはやての態度、ユウキの身に何かあったとしか思えない。
はやては隠さずに頷く。
《……分かりました。こちらから話します。『裏路地の幽鬼』ってわかりますか? 最近噂になっていると思うんですけど》
「六課では捜査はしてないけど、風紀委員を中心に他の部署が捜査してるって……もしかして……」
《はい。『裏路地の幽鬼』の正体がユウキです》
「そん、な……」
頭に叩き込んでいた『裏路地の幽鬼』についての内容を引っ張り出す。基本的に狙うのは犯罪者。匿名の通報を行うが管理局員到着前に現場からいなくなっている。一般人への被害は今のところなし。確保した場合、厳重注意の上、親への連絡。
「ふぅ……」
情報が更新されていなければ、明確に罪に問われることはない。そのことに安堵するはやて。
「ん、ユウキが『裏路地の幽鬼』だってのはいい。何とかして調べたんやろから。それで、それが翔君にしかどうにか出来ないっちゅうんはどういう事?」
《……それは》
言い淀む翔。
「話せない事?」
はやては翔が色々と隠していることを知っている。はやてはそれを込みで翔のことを信用することにしている。
さらに一拍以上の間があき、
《……いえ、話します。ただ、通信ではちょっと。面と向かって話したいです。この事件が終わったらお話します》
「うん。わかった。じゃあ次は、こっちやね」
はやては話した。昨日会った出来事を。その中でも翔が食いついたのは、
《ちょっと待ってください。ユウキのお姉さんが? 生きて?》
「う、うん。生きとるよ。と言ってもずっと入院して、ほら、翔君がよく入院しとったって病院に」
《あそこにいたのか……》
翔がお世話になっている御門先生やカエル顔の医者がいる病院は、元は聖天子様の紹介で通うようになった場所だ。相応の設備が整っており、藍子のメディキュボイドがあるのもそのおかげだ。
患者にはプライバシーがあり、何度も入院している翔でも気が付かないのは当然のことだった。
だがこれで、何処で待ち伏せすればよいのか見当がついた。事情を話せば御門先生の協力も得られるだろう。
《ありがとうございます、俺、これから病院に行って張り込んでみます》
「……うん。私の方からも連絡しておくね」
《お願いします。それでは》
そう言って翔は通信を切った。
その後すぐに病院に連絡したはやて。やるべきことをしたはやては祈るように手を組んだ。
「翔君。ユウキの事、どうかお願い……」
―――――――――――――――――――――――
裏路地に存在する、昼間でも日の光が差し込まない店。そこに5人の男たちが集合していた。
「……まさか、幽鬼の正体がこんなガキだったとはなぁ」
「それも女かよ」
「こいつ、見たことあるな……あっ、この前のインターミドルに出てたやつだ!!」
「オメェ……そういやバイトしてたな、夏の間」
非合法な仕事にも手を染めながら、クソ暑い中でまっとうなバイトにも勤しむことに、男の一人があきれたような声を上げた。
そんな中、アニキと呼ばれるひときわガタイの良い男が低い声で問いかけた。
「じゃあ、こいつの素性は知ってんのか?」
「いや流石に。選手の個人情報なんて手に入るわけないっスよ。名前くらいだったら分かりますけど、紺野 ユウキですよ」
「だろうな」
いちバイトである人物にそんな情報を手にする権利はない。アニキも最初からあてにしていなかったため、落胆はなかった。
しかし、バイト男は『ただ』と続けた。
「ただ、こいつの所属やなんやらはアナウンスされてましたよ。たしか……『八神道場』だったかな? 八神道場はもう1人すげー奴がいたんで覚えてたんですよね。他にもチームナカジマってところが―――」
「その先の話は後で、俺以外にしとけ。とにかく、そこに張り込んでおけばこのこいつを見つけることが出来そうだな」
兄貴がニヤリと笑った。今まで謎だった幽鬼の正体が分かったのだ。今までのうっ憤を晴らすことが出来るかもしれないと思えば当然の感情だった。
徹底的に調べ上げて弱みを見つけてお返しをしてやらなければいけない。当然の摂理として考えていた。
そしてそれは、手下も同じだった。しかも、思いがけず女だ。ぼこぼこにした後、色々と妄想が捗るというものだ。
「お前は仲間を集めとけ」
「了解です! へへっ、すぐに集まりますよ。こいつには散々『仕事』の邪魔をされましたからね! 恨みを持ってるヤツはわんさかいるでしょうよ!」
こうしてゴロツキ達はこっそりと牙を研ぎ始めるのだった。