六課に設置されたシャワールーム。そこではセシリアがこの後に控える戦いのために汗を流していた。
タイルに落ちる水音よりもはるかに大きく鼓動する心臓。
シャワーを浴びたのは汗を洗い流す意味もあったが、心を落ち着かせる意味もあった。だが緊張は高まるばかりだ。
「(大丈夫。大丈夫ですわ。チェルシーの調査通りなら。そこまで心配する必要はない)」
昨日の夜散々話した内容を思い出すセシリア。翔の性格を考えると無茶な要求をしてくることはないと。
とはいえだ。絶対とは言い切れないのだから緊張はなくならない。だがすでに覚悟は決めた。
大金を要求されたのなら家の資産を切り崩し、男女交際を求められたら1人のレディとして真剣に向き合うつもりだ。
シャワーを止める。
緊張とシャワーの熱でわずかに上気した肌に付着した水滴をタオルでふき取り、下着を身に着けていく。それは今日、日中に身に着けていたものではなく、まったく新しいものだった。
それはこの後、何かしらの『行為』があった場合の備えだった。
「よし。行きますわ」
翔に指定した部屋に行くと扉の前にはチェルシーが立っていた。
「チェルシー、夜月さんは?」
「すでに中でお待ちです」
「そう」
無駄なやり取りは行わない。
目を伏せるチェルシーの横を通り過ぎ、セシリアは部屋の中に入るのだった。
―――――――――――――――――――
「お待たせいたしました」
「ん、ああ」
10分ほどして部屋の扉が開いた。
扉が開き、セシリアが入ってくる。どうやらチェルシーは外で待っているらしい。
正面に座ったセシリア。話し始めるまでに時間がかかるかと予想していたが、それは裏切られることになった。
迷いのない眼で俺を見て―――頭を下げた。
「夜月さん。まずは謝罪を。自らの実力を把握せずに夜月さんに無礼を働いてしまったこと、そして敗者の責務を1日とはいえ放棄してしまったこと、合わせて謝罪したいと思います。申し訳ありませんでした」
初手からの謝罪に、
「―――」
俺は固まってしまった。
これも1つの技なのかもしれない。初手で自分の非を認めることで、相手の怒りを収めたりそれ以上怒りにくくしたり、そういった効果があるのかもしれない。
だがそれ以上に、セシリアの纏う雰囲気に。
俺自身、セシリアの行動は原作通りだ何だと言って軽視していた部分があった。一夏を巡って少々過激な行動をとることもある女の子だと。
だが今のセシリアは、幼稚な様子など微塵も見せない。恐らくは同性代ではなく大人―――セシリアの家の遺産を狙っていた金の亡者に対応するために身につけた顔だろう。知らない一面を見せつけられたような気分だ。
同時に誰かにこうやって面と向かって謝罪されたことがないため、背中がむずむずして落ち着かなくなってしまう。
だが向こうがこうして頭を下げているのだ。俺が無礼を働くわけにはいかない。
「頭を上げて下さい、オルコットさん」
俺の言葉で頭を上げるセシリアの瞳は不安に揺れていた。気分は俺の裁定を待つ罪人だろう。
「謝罪を受け入れます。こちらこそ、オルコットさんの誤解を招くような態度をとってしまって申し訳ありませんでした」
俺も頭を下げる。
それだけで部屋の空気が緩んだのを感じた。だが完全ではない。俺は手っ取り早く『やるべきこと』を終わらせてしまおうと考え、
「それで、決闘の報酬についてですが」
「っ、はい。交わした言葉を撤回するつもりはありませんわ。何なりとお申し付けください」
キュッと唇を結び、俺の目をまっすぐ見てくるセシリア。
「別に難しい事じゃありません。ただ単に、これからは対等な友人として接して欲しいんです」
「はぁ、友人、ですか……?」
想定に反してあまりにも軽い要求だったのだろう、目を丸くして何度も瞬きしている。
「これからも、まあ何時までかは分かりませんが、六課で一緒に働いていきます。だったら少しでも仲良くなっておかないと。本当はこんな要求じゃなくて、自然とそうなれれば良かったんですけど」
「―――分かりました。夜月さん、いえ、翔さんがそう言うのなら」
何か言いたそうだったセシリアだったが、余計なことは言わず1もう一度頭を下げてきた。
今度こそ、部屋の中の空気が完全に緩んだ。
それにしてもいきなり名前呼びになったな。
「ええ。友人ですから。もしかしていけませんでしたか?」
「や、好きに呼んでもらえればいいですけどね」
「ではあなたも、『オルコットさん』ではなく『セシリア』と。口調も、もっと砕けたものにして下さって良いですわ」
「そうか? じゃ、そうさせてもらうよ」
こうして俺とセシリアの間になった遺恨は完全になくなり、対等な友人関係が結ばれることになった。
で、友人関係になったからには、用が済んだからと言ってすぐに解散とはならない。少し雑談することになった。
「緊張してたんだな」
「それは、まあ、そうですわね。どんなことを要求されるのかとヒヤヒヤしてましたわ」
セシリアも苦笑する。
「これからはあんな条件を安易に賭けるなよ」
まったく、俺じゃなかったらどうなっていたことか。まあ、セシリアも相手を見て判断するだろうけど。
なのはさん辺りには絶対にそんな条件は出さないだろうし。
「本当ですわ、良い勉強になりました……チェルシー、外に控えてる付き人にも注意されましたわ」
「そりゃそーだ。だからこんなもの渡してくるんだろうしな」
俺はチェルシーから受け取っていた紙切れを差し出した。チェルシーの連絡先が書かれたそれを見て、セシリアもその意図を察したらしい。
「返しておいてくれ。別に必要じゃないし。ああ、端末に登録もしてないから」
「ええ。そうしますわ」
後でトラブルになっても面倒だしな。ここでセシリアに受け取ってもらう。チェルシーはチェルシーで、俺のことを秘密裏に処理しようとしていたのかもしれない。
「ま、代表候補生に選ばれるくらいだしな。隙は見せられないんだろうけど……」
「代表候補生、ですか」
『代表候補生』。その言葉をつぶやいたセシリアの顔はずいぶんと暗い。
「……そうですわね。わたくし、その肩書に胡坐をかいて慢心していました」
「そ、そうかな?」
正直そうだと思うけど、ここで馬鹿正直に頷いても話がこじれるだけだ。と思ったのだが、セシリアは俺の言葉をきっぱりと否定した。
「いえ、わたくしの増長が学園での態度にも現れてしまっているんです……」
「IS学園で?」
俺はIS学園でのセシリアの様子を聞いた。
代表候補生から見た他生徒のレベルの低さ。それによるモチベーションの低下と周囲へのいら立ちで常にピリピリしていると。
これも一夏がいないことの弊害、なのか? 原作では早々に一夏に惚れるから素の面が見えやすくなってクラスにも馴染むようになる。それが無い場合か。
原作でもラウラがレベルが低いだ何だと言ってた記憶があるし、やっぱり代表候補生から見ればレベルが低いと思うのはしょうがないんだろうな。
原作描写を見ても、みんな割ときゃぴきゃぴしてたし、向上心のあるセシリアにとっては厳しい環境なのだろう。かと言って中退するわけにもいかないし。
でも鈴がいるし、同じ代表候補生ならライバルになりそうなもんだけど……
「鈴さんはその……あまりやる気がなくて……」
「そうなのか?」
うーむ、いまいちどうなってるのか分かんないな。別にやる気が無いってだけなら本人の問題だからいいんけどな。
今は置いとこう。問題は、
「それで他の生徒に対して横暴な態度を取っていたと」
「はい……ですがあなたに負けて、自分の未熟を思い知りました。この程度で自らを誇っていたことが恥ずかしいですわ……」
「い、いや、そんなこと言わなくても……」
どうやら、あまりにも圧倒してしまったことでセシリアのプライド的なものが粉々になってしまったらしい。や、やりすぎたか?
「代表候補生として少しでも自らを高めなければと思っていたのに、全てが中途半端で……」
「別に代表候補生として自分を高めるのは悪くないだろ。ただ、それ以外にもやらないといけないことがあっただけで」
「はい……」
「で、セシリアはそれに気づいてて、今までの振る舞いを後悔してると」
「そうですわね……」
「じゃあ今度はそれをすればいい。代表候補生として自分を高めるだけじゃなくて、周りの手本にもなるように」
「……ですが、いまさらわたくしの言葉に耳を傾けてくれるでしょうか?」
「最初は無理だろうな。それで諦めるならそれまでだ。でも今まで自分が悪いことをしてきたと思うなら、罪だと受け入れて努力してみるしかない」
横暴な態度を取って嫌われるのは完全に自業自得だからな。印象を変えるのは並大抵の努力では出来ない。
「それにあれだ。セシリアは貴族だし、ノブレスオブリージュ? 的な考えもあるんじゃないか?」
「……少し、考えてみます」
そう言ったところで、外にいるチェルシーから声がかかった。そろそろ良い時間になったのでIS学園に戻ったほうが良いと。
俺達はお互いの帰路に着くのだった。
――――――――――――――――――――――――
翌日、IS学園の実習訓練にて。
本日は射撃武器を使った訓練が行われていた。
訓練用ISである打鉄を装備した少女10人が横並びになり、30メートルほど離れた的に向けてIS用の大型アサルトライフルを構えていた。
「よし―――撃てッ!!」
千冬の号令と共に発砲音が響き渡る。既定の回数撃つと次の少女に順番が変わる。
そんな様子を、セシリアは1人外れた場所から眺めていた。
セシリアは代表候補生選考の教導でこの程度の訓練はすでに完了している。いまさら繰り返すよりも出来ない人への教師役になるように、そういう意図があったのだが、上手くいっていなかった。
始めのうちはセシリアも積極的に教えようと張り切っていたのだが、高圧的な態度と『どうしてこの程度も出来ないんですの?』、『はぁ、こんなレベルなんて……』などなどの独り言のせいで、避けられるようになってしまっていた。
その内セシリアも愛想をつかし、今では半ば見学の様になってしまっていた。
今まではそれでも良いと思っていたのだが今日は違った。
「(わたくしは、代表候補生の、貴族としての役割を果たしますわ!)」
列の最後尾に回る少女、その1人が首をひねっていた。
「おかしいなぁ。なんで全然当たんなかったんだろ……」
その娘に近寄っていくセシリア。
「へっ? ぁ! な、何かなセシリアさん?」
セシリアに声をかけられた生徒は半身を引き、明らかに顔が引きつっていた。
「先程の射撃について、少しアドバイスをと思いまして」
「ア、アドバイスかぁ……え~、っと……」
ぎこちない笑顔には『いらない』と書いてあったが、ここで口にできるほど女生徒には胆力が無い。
「じゃ、じゃあ、お願いします……」
「はい。それでは―――」
拒絶されているのは分かるが、それでも進むとセシリアは決めたのだ。
セシリアがアドバイスし、数分後その生徒が撃つ番になった。
だが結果は振るわない。的には一発も当たらなかった。
肩を落として戻ってくるその娘に、再度近寄るセシリア。
「ご、ごめんね。アドバイス生かせなくて……」
びくびくとどんな言葉が返ってくるのかと怯える少女にセシリアは笑いかけた。
「一度試した程度でうまくいっては、わたくしの立つ瀬がありませんわ」
「……え?」
「次はもう少し具体的にアドバイスしようと思いますがよろしいですか?」
「う、うん……」
少女には怯えではなく困惑が浮かび始める。
「―――というふうにすれば良いですわ。何か質問はありまして?」
「え、その……」
「分かりにくいところがあったら素直に言って下さらないと。アドバイスの意味がありませんわ」
「じゃあ……ちょっとわかりにくいかも。全体的に」
「え」
「すごく細かく説明してくれるのはうれしいだけど、撃つときにそこまで考えてられないって言うか……ごめんね! 私が出来ないだけなのに……!」
「い、いえ、そうですわね。わかりましたわ……!!」
少女の言葉に唇の端を引くひくとさせながら、セシリアは手を上げた。
「織斑先生!」
「なんだ」
「この方のために少し実演したいのですが、的を使ってもよろしいでしょうか!」
「―――いいだろう。やってみろ」
「ありがとうございます!」
ブルー・ティアーズではなく打鉄を装着したセシリアは高らかに告げる。
「御覧なさい! そして盗むのです! このセシリア・オルコットの妙技を!」
「それも結構厳しいんじゃないかな!?」
少女の叫びは銃撃音にかき消されるのだった。
――――――――――――――――――――――――
「チェルシー、良いかしら」
「何でしょう、セシリア様」
「これを」
手渡された端末にチェルシーが目を通す。それはISでの射撃理論をまとめたノートだった。
「そういえば授業中に生徒にアドバイスしたとか」
「ですがその時、分かりにくいと言われてしまって。自分なりに文字に起こしてみたのですが、どうでしょうか」
「……これを全て説明するのだとすれば、かなり分かりにくいかと」
「っく! やはりそうですか。ですがこれはすべて必要で……!!」
その様子を見て、セシリアをここまで変えてしまった翔に感謝の念を送るチェルシー。
「必要でしたらお手伝いしましょうか」
「いえ、これは私がやり遂げて見せますわ。それよりもチェルシーは夜月さんのことをもう少し調べて下さい?」
「……何故でしょうか。昨日の話では例の約束は『友人になる』ことで決着がついたと」
「え、と、それは……翔さんの言葉でわたくしも色々と考えることが出来ましたし、お礼に、友人として、食事にでも誘えればと。なので好きな食べ物とか、調べてもらえると……」
「それはご自身でお調べになったほうがよろしいかと……直接本人に聞いて下さい」
全てを察したチェルシーはきっぱりと断るのだった。
――――――――――――――――――――――――
「夜月様」
セシリアと話をして数日、例のごとくなのはさんとの外回りを終えてそのまま直帰しようとした俺を、チェルシーさんが待ち伏せしていた。
周りの目が痛いが、チェルシーさんは全く動じていない。
「どうも。何かありましたか?」
「これを」
差し出してくる紙切れは、チェルシーさんの連絡先が書かれたものだ。
「いや、これは返したんですけど」
「以前とは意味合いが違います。これからも『ご縁』がありそうなので、念のためにと」
「はぁ……?」
「それでは、これからセシリア様のお迎えがあるので。失礼します」
そう言ってチェルシーは去っていった。何だったんだ?
――――――――――――――――――――――――
そしてそれから数日後。10月も残り一週間になった頃。
「決闘よ!!」
俺は何故か、鈴にも決闘を申し込まれていた。