アイズさんの爆弾発言によって、広間全体が凍りついた。
え、え? 今なんて言った? わたしにも出来ると思う?
未だに真っすぐ、本気の目で見られてる俺はとっさに言葉が出ない。
「――は?」
ロキ・ファミリアの、誰かの声が裏返った。
「ちょ、アイズ、待って待って!! 何言ってるか分かってる!?」
「翔の力になりたい。それだけ。女性と深い仲になることが条件なら、私でも出来るでしょ?」
「そういう話じゃないんだって! もっと、その、直接的なことだから――」
「じゃあ、直接的にどういうことか、ちゃんと教えて」
アイズさんは至って真剣な顔で、そう言い放った。冗談やからかいの色は、微塵もない。むしろ、迷いなく前を見据える瞳は、戦いに挑む時のそれと、どこか似ていた。
「アイズさん、駄目です、絶対に駄目です!」
真っ先に悲鳴を上げたのはレフィーヤだった。顔を真っ赤にしたまま、両手を大きく振り回している。
「そんな、意味も分からないまま、そんなこと言っちゃダメなんです!!」
「だから意味を知りたい」
「それは、そういう問題じゃなくて……!」
「知らないから駄目、っていうなら、知ればいいだけ。わたしは、本気で言ってる」
アイズさんは一歩も引かなかった。
「レフィーヤ」
視線をまっすぐレフィーヤに向けた。
「さっき、真っ先に意味が分かってた。一番反応してた。翔にも、多分、ひどい事言ってたよね?」
「う゛!? そ、それは……」
今になって勢いに任せた発言を後悔したのか、俺を横目で見てくる。
まあ、レフィーヤさんの反応は普通の貞操観念を持っていたら当然と言うか、そこを責めるのは少しかわいそうだ。俺も覚悟してることだしな。
「でもそれって、レフィーヤが翔の能力取得の条件を正しく理解したってことだよね? だから―――レフィーヤが教えて」
「ちょ!? そ、そんな……!!」
「ダメ?」
「それは、その、反応してただけで、別に説明できるほど詳しい訳じゃ……」
「知ってるなら、教えられるはず。知ってるところまででいい」
「知ってるとか知らないとかじゃなくて、こういうのは、その、もっとこう、段階を踏んで自然に分かっていくものというか……!」
しどろもどろになるレフィーヤに、アイズさんはますます真顔で詰め寄った。
「段階って、どのくらい?」
「そんなの決まってませんけど!」
「じゃあ、今聞いても問題ない」
「~~~~~!!!」
もはや涙目になったレフィーヤが、両手で自分の顔を覆って後ずさる。だが下がった分だけ、アイズさんも一歩詰める。周囲はすっかり傍観に回っていた。誰も彼も、この状況にどう介入していいか分からず、ただ困り顔で成り行きを見守っている。
「もういいです、わたしには無理です、誰か代わってください!」
悲鳴のようにレフィーヤが叫ぶ。だが、それに応じる者は誰もいなかった。ティオナさんとティオネさんは目を逸らし、ベートさんは露骨に興味なさそうな顔で腕を組んでいる。フィンさんでさえ、なぜか窓の外を眺めていた。
何やってんだ。全員揃って逃げるな! あ、俺も目を反らしてた。ごめんね。
だがアイズさんは、レフィーヤから助けを引き出すのをあっさりと諦めた。
「分かった。もういい」
「え、分かってくれたんですか……?」
ほっとしたように顔を上げたレフィーヤに、アイズさんは静かに首を振った。
「レフィーヤに聞くのは、やめる。本人に直接聞く」
「――は?」
そして、今度は俺が凍り付く。
「翔に聞けば、一番早い」
言うが早いか、アイズさんはくるりと踵を返し、俺の方へ迷いのない足取りで歩き出した。
「ちょ、アイズさん!?」
「待って待って、それは駄目、それだけは駄目だから!」
レフィーヤとティオナが同時に叫んで飛びついたが、間に合わなかった。アイズは既に壇上にいる俺の正面に立ち、じっと見上げていた。
「翔」
「や、それはちょっと」
「深い仲になる、って、具体的に何をするの」
直球すぎる質問に、広間の空気が完全に凍りついた。
「え――ええと」
俺が言葉に詰まる。助けを求めるように視線を彷徨わせるが、誰も俺と目を合わせようとしない。ロキだけが、腹を抱えて笑いを堪えていた。
「教えて。わたしに出来ることなら、やりたい」
「や、りたい。や、それは……」
「翔さん!! 分かってますよねぇ!!」
レフィーヤが鬼の形相で睨みつけてくる。ここで下手な返事をすれば何が飛んでくるか分からないな。
「出来ないこと?」
「出来ないわけじゃ、ないですけど、そういう、その、順番というか、心の準備というか」
「心の準備って、どのくらい」
「そんなの決まってな――って、これさっきも聞いた気がするな!」
思わず声を上げた瞬間、後ろから羽交い締めにする勢いでティオネが割って入った。
「アイズ! ストップ! ストップ!! それ以上はもう、ホント駄目な奴だから!!」
「なんで」
「なんでもだよ! とにかく駄目!」
「理由も言わずに駄目って言われても、納得できない」
「理由は……理由はその、あとでちゃんと言うから! 今はとにかく落ち着いて! とにかく、翔に聞くのはダメだから!!」
押し留められながらも、アイズさんの表情には一切の迷いがなかった。むしろ、なぜ皆がこれほど焦っているのか、心の底から理解できないという顔をしている。
「分からないことを分からないままにするのは、嫌い」
ぽつりと呟かれたその一言に、ティオネもレフィーヤも、返す言葉を失った。
フィンさんが小さくため息をつく。
「……これは、思ったより長引くか」
「止めに入るか?」
「ン~……僕が止めに入っても、事態は好転しないと思うけどね?」
ガレスさんの問いかけに、フィンさんは少し考えるように笑った。そして、その視線を横に座るエルフ――リヴェリアさんへ向ける。
視線の意図を理解し、ため息を吐きつつ立ち上がる。
「そこまでだ」
凛とした声が、広間の空気を切り裂いた。
それまで黙って成り行きを見守っていたリヴェリアさんが、静かに、しかし有無を言わせぬ足取りで歩み出てくる。翔に詰め寄っていたアイズも、ティオネに羽交い締めにされたまま、その声に反応して振り返った。
「リヴェリア……」
「翔、悪いが少し離れていてくれ。ティオネ、手を離していい」
短くそう告げると、リヴェリアはアイズの正面に立った。長年、母親代わりとして彼女を見てきた者だけが持つ、静かな威圧感があった。
「アイズ」
「……何?」
「お前の言い分は、分かる。分からないことを、分からないままにしたくない。その姿勢自体は、悪いことではない」
思いのほか穏やかな声だった。責めるでも、叱るでもない。それが逆に、アイズを戸惑わせた。
「だが」
「だが……?」
「聞く相手と、聞き方を間違えている」
リヴェリアはそう言ってから、小さく息を吐いた。それは、アイズに向けたものというより、自分自身に向けた後悔のように見えた。
「―――正直に言えば、これは私の落ち度でもある」
「え?」
思わぬ言葉に、アイズだけでなく周囲もざわついた。
「お前にはお前の目標があり、その為の教育をしてきた。それは間違っていないと、今でも思っている。だが、それだけでは足りなかった。お前はもう、子供ではない。いずれ誰かと深く関わり、心を寄せ、時には傷つき、それでも前に進んでいく――そういう機微を、教えるべき立場の者として、私は怠っていた」
「リヴェリア……」
「無菌室の中で生きていける訳ではないのだから。むしろ、こういう話こそ、きちんと向き合って教えるべきだった。それを先延ばしにしてきたツケが、今日、こういう形で出た。そう思っている」
周囲は、水を打ったように静まり返っていた。ロキでさえ、珍しく茶々を入れずに、腕を組んで成り行きを見守っている。
「だから、ちょうどいい機会だ」
リヴェリアは、アイズの肩に手を置いた。
「その話は、私がお前にきちんと教える。翔に直接聞くようなことでも、レフィーヤに詰め寄るようなことでもない。分かったら、この場は納得しなさい。時間を改めて、私が教えよう」
「……うん」
アイズは、これまでの頑固さが嘘のように、素直に頷いた。リヴェリアの言葉には、これまでの誰の説明にもなかった、確かな重みがあったからだ。
広間に、目に見えて安堵の空気が流れた。ティオネが崩れるように椅子に座り込み、レフィーヤが両手で顔を覆って深く息を吐く。俺もようやく肩の力を抜くことが出来た。
「……助かった」
小さい呟きに、隣に立っていたフィンが苦笑を返す。
「まったくだ。しかし、リヴェリアがああ言うとはね」
「確かになぁ……リヴェリア、経験ないはずやけど、どうやって説明するつもりやろ?」
「この場を収める方便だったら、さらに荒れそうだね」
何とか収まった場を、フィンさんやロキと共に眺める。
「頑張ってください……」
そこまでは俺も責任は持てない。ロキ・ファミリアで何とかしてもらうしかなかった。