「キ、キツい……ッ!」
「ふぅ、ふぅ、退院したてですし、そんなに無理しないほうがいいかもしれないですね。今日はこのくらいにしておきましょうか、翔先輩」
「はぁ、はぁ、翔さんでも、トレーニングしなければ体力は落ちてしまうんですね。私でよければいつでも付き合いますから」
早朝。2人の若い天才、綺凛とアインハルトとのトレーニングに付き合っていた。思えば長い入院生活はこのトレーニングの初回から始まった。長い時間を経て、ようやくここへと戻ってきた感じだ。
しかし、その内容は惨憺たる結果となってしまった。2人のペースに全くついていけず、先輩としては非常に情けない姿を晒してしまった。
もちろんこれには理由がある。退院したてで体力が落ちたという事もあるけど、この2人の場合、魔力やなんやらで体力を底上げしてる。筋肉のように限界まで使って休む、を繰り返すと魔力というものはどんどん伸びる。必然的に積極的にトレーニングに取り入れることになる。
練習メニューを聞いた時に真顔になってしまった。そんなものに俺が追いつけるわけがない。才能がある2人の訓練は、生身でごまかせる学校のものとは違った。俺のためにレベルを落としてしまうというのも申し訳ないので、そのまました訳なんだけれども、このざまだ。
俺も能力として魔力を使うものを持っているんだけれども、この手のものが全くできない。いったいどういう仕組みになっているんだろうか。
それはそれとして。
メニューが一通り終わり、タオルで汗を拭いたり飲み物を飲んだり、完全に終わりの空気になっている中、こんな話題を振ってみる。
「で、アインハルトはなんで綺凛の胸元を凝視してたんだ?」
「ぎょ、凝視!?」
「え……ア、アインハルトさん……?」
「え、あ、ち、違いますからね、綺凛さん! 翔さんも変なこと言わないでください!」
変なのは君の方なんだけど。ランニングでチラチラ見てたけど。後ろからは丸見えでしたよ?
アインハルトも年頃の少女ってことだろう。良きかな良きかな。あ、違うぞ。この年代の子供らしく自分と他人の違いに繊細になっていることがいいことだって言ったんだぞ。覇王流一筋だったアインハルトがそういうことに目を向けてるのが、良いことだって言ったんだぞ。
「い、いえ、いいんです。学校でもしょっちゅうですから」
「学校でもしょっちゅう?」
アインハルトが聞き返した。俺にはなんとなくわかってしまった。
「はい。私、最近まで伯父さんと一緒にいることが多くて、お友達とかいなかったんですけれど……体育の時の着替え、とか、クラスの女の子が私のこと見てるんです」
「胸を、ですか……?」
「……はい。それだけじゃなくて、体育で走ってる時とかも結構視線が。まさか、アインハルトさんもだなんて思ってもみませんでしたけれど」
「すみません、綺凛さん……っ! どうかいやらしい私を許してください……っ!」
「い、いえ、そんな! むしろ私の方こそ、すみません!」
綺凛は一体何に謝っているんだろうか。アインハルトの視線を集めてしまった胸の大きさについてだろうか。
体育の時間もってことはやっぱり男子の視線も集めてるんだろうなぁ。男子と女子で分かれるほどやさしい仕組みになってないから。
思春期になりたての男子中学生にはさぞ刺激が強いことだろう。
俺? 俺はさっきも言ったけど2人のペースについていくのが難しかったからずっと背中を追いかけてたよ。だから背中しか目に入ってない。お分かり?
「それにしても、アインハルトさんも、その、気になりますか?」
「それは、その……すこしは……。決して、大きいのがうらやましいとか、そういう事ではありませんがっ!」
「ま、胸の大きさは、一概に大は小を兼ねるとは言えないからな」
顔を真っ赤にして必死に否定するアインハルトを見ながら俺はぽつりとつぶやいた。
持つものは持たざる者の苦しみを知らず、持たざる者も持つ者の苦しみを知らない。世界とは何て複雑に作られているのだろうか。
そんな2人のやり取りをほほえましく思いながら見ていたが、ここは年長者らしく言わなければいけないことがある。
忙しい平日の朝、早朝訓練のメニューを一通りこなした俺達に残された時間はそう無い。
俺は2人に声をかけ腕時計を示し、それとなく今の時間を伝える。
「こんな時間だし、もう解散したほうがいいんじゃないか?」
「そうですね。そうしましょう」
「はい。それじゃあ、お疲れさまでした」
俺たち3人とも家は別々の方向。送っていくと流石に時間が足りなくなるので公園の入り口でそれぞれの方向に分かれる。
2人の背中を見送り数歩。立ち止まる。
「っと、やっぱトイレしておくか」
家まで我慢してしまおうかとも思ったけれど気が変わった。道中何があるかわからない、という事をもう学習したわけだから、スッキリしてから帰ることにしよう。
俺は公園に備え付けられている公衆トイレに足を向けたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――
何事もなく用を足しトイレの外に出る。
すると、目の前に意外な人物が現れた。
「せ、先輩」
「ん? え、えぇ? 綺凛? どうした? 忘れ物か?」
さっき別れたばかりの綺凛だ。緊張した面持ちでそこに立っている。
まさかとは思うが、新手の敵じゃないだろうな。事件の爪痕はすっかりなくなってしまったとはいえ、ここはこの前の公園で時間帯も同じだ。
変装能力を持った敵が攻撃を仕掛けてきたとしても不思議ではない。不思議ではないのだが……体をがちがちに緊張させて、顔を真っ赤にするところまでこんなにリアルに表現するのは、本人以外には難しいだろう。
「あの、少しお話が合って……いいですか?」
「ん、いいけど。どうした?」
「私不器用で鈍くさくて、剣術しか自慢できることがなくて。剣がうまくても男の人へのアピールになりませんよね?」
「う、うーん……」
確かによほどの剣術マニアならともかく、剣術で男性にアピールは難しい。
「もしかして、先輩、もう誰かとお付き合いを……?」
「や、お付き合い、というか、なんというか……」
それより深い関係と言いますか。君が聞いたら卒倒しそうな関係と言いますか。
と、ふと思う。俺とみんなって、世間一般的にはどんな関係になるんだろう。複数人いるけど恋人? ……他人にはかなり説明し辛い関係であることは確かだな。
「って、焦りすぎだぞ、色々と。綺凛が俺を、ん、まぁ、好き、なのはわかってるけど。昨日の今日で、みたいなのはさ」
病院でのキスは不意打ちとして最強の威力を持っていただろう。小説で言えばラストで挿絵付きで載ってそうなくらいだ。疑う余地もなく、鈍感主人公でも気が付くレベルのアピールといえる。
しかし、女の子と直接顔を合わせてわずか1週間でセックスしているような男が何を言っているのか。昨日の今日でHなことしてる俺。
「あっ……ごめんなさい……でも、学年が違うとなかなかお会いする機会もありませんし、翔先輩の周りにはきれいな女の人がたくさんいますし……」
綺凛が直接会ったのは雪菜とアスナだけだった気がするけど……病院かどこかで顔を合わせたんだろうか。
「そ、それならっ、私と
「
なるだけなら大した問題じゃないんだけど、俺の強さの大部分が特殊すぎることもあって教えられることがなさそうだし。むしろ、剣術を教えてもらうまでありそう。
一緒にいたいって理由だと上の人に何を言われるかわかんないしなぁ。俺も先生方を敵に回したくはない。
それに、男女間のペアの場合(特に先輩が男子生徒の場合)、先輩という立場を利用していかがわしいことをするヤツもいるってことで、報告と監視が厳しくなっている。
しかし綺凛の行動力を見るに、断っても別の手法で攻めてきそう。こんなにアグレッシブな娘だとは思わなかった。不意打ちキスの時から考えておくべきだったか。
「……っ」
俺が考え込んでいると、綺凛が小さく息を飲んでいるような音が聞こえた。そして気が付くと、すぐ目の前に立っていた。本当に目の前。動きやすそうなトレーニングウェアを大きく押し上げている2つの双丘が、俺の目の前5センチのところで上下に揺れている。
「き、綺凛?」
「……翔先輩」
もじもじ、もじもじ。今日の早朝練習、はきはきとアインハルトとしゃべっていたのが嘘のように、視線をさまよわせる。手も落ち着かず、一人で絡めたり、服を握ったり。
しかし覚悟が決まったのか。顔を上げる。
「私の、わたしの……胸、触りたくないですか?」
「……今なんて?」
あまりの衝撃発言に、思考がフリーズしてしまった。
「で、ですからっ、先輩も男の子ですし、女の子の胸、とか、触りたいって思ってるんじゃないかなぁ、って思って……っ。私のだったら、先輩の好きなようにしても……っ!」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや! だから早いって! どうしたんだよ突然!」
さっきは敵には見えないといったが、もしかすると敵だったかもしれない。俺のことを色仕掛けで落とそうとしている敵の……や、無いな。やり方が回りくどすぎる。
そんな冗談は置いておいても、綺凛がらしくないことを言っているのは確かだ。
「調べたんです!」
「調べた!?」
何を?
「男の人は、女の人の、は、ハダカを見たり、胸を触ったりしたいんですよね……?」
否定はできませんが。
「私と
どこかの小説の一説を丸々持ってきたことを言う綺凛。セリフはとても魅力的なのだが、言っている当人がガチガチすぎて、こちらの力が抜けてしまう。
おかげで冷静になれた。ひとまず時間のこともあるし、
「え……」
「え?」
「エッチなことから始まる恋があってもいいと思います……っ!」
「それダメな奴だから」
いったい、本当に、どんなこと調べたんだ。
「お、おと、男の人と女の、人が裸になって……っ。ぴしゅぅぅぅぅうっぅ」
「いや、いいって! 事細かに説明しなくても!」
茹でたタコのようになってしまった綺凛を介抱し、今後身体で釣ろうなんて考えてはいけないときつく言って帰した。
抑圧からの解放。今まで伯父さんに押さえつけられていた自分がすごく表に出てきたんだろう。伯父さんの監視下では、ネットに触れる機会すらなさそうだったし。
自分で調べるようになれば、あとはもう『テレビとは違って規制がほとんどないネットの世界』+『興味のある事柄』のコンボで超吸収スポンジのように知識を蓄えていたんだろう。
少女漫画も、モノによっては少年漫画のお色気シーンよりはるかに過激だって聞いたこともあるし、女の子がHなことに興味を持たないなんてあるわけないんだし。
俺がきっかけになっても、俺が悪いわけではないのであーる。まる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ごめんなさい、アインハルトさん。先に行っててもらってもいいですか?」
「え? どうかしたんですか?」
翔と別れてすぐ、綺凛が立ち止まった。
「え、っと……大したことじゃないんですけれど……ちょっとトイレに行っておこうかなって」
「トイレ、ですか? それなら公園にありましたね。待ってます」
「い、いえ! 大丈夫ですよ! アインハルトさんも忙しいでしょうし」
アインハルトの提案を首をブンブン振って否定する。その必死さに多少の違和感を覚えるアインハルトだったが、そこに何か邪悪なものを感じ取ることはなかった。
「(お腹の調子が悪いんでしょうか……)そうですか? それでは、先に」
「はい! また学校で!」
そう言って、綺凛は元来た道を走って公園に向かっていった。アインハルトはトイレを我慢しているのにあんなに走っても大丈夫なのかと心配しつつも、別れて歩き出した。歩き出したのだが、
「やはり気になりますね……」
妙な胸騒ぎを感じたアインハルトは来た道を戻る。たいした時間もかからず、公園に到着した。島全体が起き始めるこの時間帯が、早朝の散歩や自主トレする人が少なくなる。日が昇っている時間では、一番人が少ない時間と言える。
アインハルトはそんな公園を迷わず突っ切り、トイレの前まで来た。
「ん?」
綺凛の話し声が聞こえてきた。
このトイレは構造上、男女の入り口が反対になっている。アインハルトは綺凛を追ってきていたため、もちろん女子トイレの入り口にいる。そして声が聞こえてきたのは、
(向こう側? 男子トイレの入り口に?)
頭の中の疑念がどんどん大きくなっていく。
こっそりと、足音を立てないように声の方向に歩を進めていく。
壁の角から様子を伺った。
(綺凛さんと、翔さん?)
2人の姿を見て肩の力を抜きかけ――――その直後の綺凛の発言に噴き出すのをこらえることになった。
「私の、わたしの……胸、触りたくないですか?」
(ええええええええええええぇぇぇぇ!?)
あまりの衝撃に立ちくらみがする。アインハルトの代わりに翔が叫ぶ。
一度隠れ、混乱した頭を整理しようとする。
アインハルトは視線を下に移した。服を着ているとあるかどうかもわからない自分の胸。なんだがすごく、負けた気分になるアインハルト。
アインハルトがこっそりのぞき見していることなど知る由もない2人の会話はどんどん進んで行く。
(あ、あんなに近くに……っ! しかも見つめあって……っ!)
格闘技一筋だったアインハルトでもキスぐらいは知っている。以前テレビで見たドラマのワンシーン。それにそっくりの構図に、見ているだけのアインハルトの心臓が速くなってくる。
自分の知り合いの、ついさっきまで一緒に話していた人たちの逢瀬を盗み見しているという状況に、息も荒くなってきた。
「私と
(それはいけません! いけませんよ綺凛さん! 翔さんも、変なことを考えていたりしませんよね!? ……あっ、こっちに来る!)
アインハルトは急いで女子トイレへと駆け込んだ。そこでやっと一息つく。
「はぁ……私はなんてことを……盗み見してしまうなんて……」
熱に浮かされたような、夢から覚めたばかりのようなふわふわとした気持ちで、トイレの天井を眺める。
「っ!!」
一瞬で現実に引き戻されたアインハルトは履いていたジャージと下着を少しだけ降ろした。あそこと下着の間に、突然液体が現れたのだ。
(な、なに? 汗……じゃないよね? 少しねばねばしてる?)
自分が今まで分泌したことのない液体に戸惑うが、このことは今日見た光景に流されすぐに忘れてしまうことになるのだった。